*【悪徳と美徳】(2023.12.27 ~ 2024.5.19完 )
①悪の誘惑から、心をしっかりと守る」⇒ ②神の恵みは私たちが霊的な闘いで勝利するのを助けてくださる⇒ ③暴食は、神の賜物である「日々の糧」を歪める⇒ ④「情欲の悪魔に抵抗し、純粋な愛を抱け」⇒ ⑤「貪欲は心の病、富は”負債”だということを忘れるな」⇒」 ⑥「日が沈む前に、相手と和解し、怒りを解消する」⇒ ⑦「悲痛のさなかに、イエスの復活からに慰めを受ける」⇒ ⑧「怠惰の試練に遭っても、信仰は価値を失わない」⇒ ⑨「神の力は弱さの中で完全に現れる」(コリントの信徒への手紙2・12章9節)⇒ ⑩「四旬節を「謙遜」をもって自分自身の高慢と戦う機会に」⇒ ⑪人間の持つ素晴らしい可能性は「徳」⇒ ⑫神は、私たちが「賢く聖なる者」となることを望まれる⇒ ⑬「『忍耐』はキリストの愛の説得力ある証しとなる」⇒ ⑭ 「『正義』は私たちを神に導き、社会の平和共存の基礎」⇒ ⑮世界の課題の”海”と真剣に向き合うのに必要な徳は『勇気』」⇒ ⑯「節制」は、すべてが「過剰」に向かう現代社会に必要な”バランス感覚”⇒⑰永遠の命にふさわしい「信仰」と「希望」と「愛徳」を生きよう⇒ ⑱「信仰」はキリスト教徒の人生で最初の賜物 ⇒ ⑲「世界はキリスト教徒の「希望」を必要としている」⇒ ⑳「『慈愛』の美徳は、私たちの中に働く聖霊の業」⇒ ㉑ 「謙遜」は世界と教会における平和の源⇒
*【使徒的熱意について】(2023.1.11~12.13完)
①キリスト教徒の生活に”不可欠な酸素”だ⇒ ② 教会は、迷い出た人たちを探すように常に求められている⇒ ③キリストに従う人々にとって、毎日が恵みの時⇒ ④謙虚さをもって神が近くにおられることを説け⇒ ⑤聖霊に祈り求めなければ宣教の火は消える⇒ ⑥洗礼を受けた全員が教会の福音宣教の使命で独自の役割を果たしている⇒ ⑦私たちは皆、使徒となるように呼ばれている⇒ ⑧ 福音を宣べ伝える教会は、まず自身を”福音化”する必要⇒ ⑨聖パウロのように人生を改め、”新たな 被造物”としていただく⇒ ⑩ 熱意に満ちた使徒たちは福音の新しさを喜び受け入れる⇒ ⑪現代の殉教者に倣い、私たちも福音を証し続けられるように⇒ ⑫「観想修道会の男女修道者たちは”普遍的な愛”を証明している」⇒ ⑬キリストの愛が、聖フランシスコ・ザビエルを遠く離れた日本の宣教に駆り立てた⇒ ⑭韓国の聖人キム・テゴンは”使徒的熱意の体現者”⇒ ⑮マテオ・リッチの中国の人々への愛は、霊的力の源泉⇒ ⑯幼いイエスの聖テレジアの『小さき道』に倣おう⇒ ⑰豪州で現地の教育に尽くした聖メアリー・マッキロップに学ぶ⇒ ⑱「福音は、”母語(現地の言葉)”を通して人々に伝えられる」⇒ ⑲ 聖カテリ・テカクウィタは、”小さな行い”も豊かな実りをもたらすことを教えている⇒ ⑳悲惨な人々の中にイエスを見た福者ホセ・グレゴリオ・エルナンデスに倣う⇒ ㉑聖ダニエル・コンボーニはアフリカへの熱意に満ちていた⇒ ㉒「聖ジュゼッピーナ・バキタ の一生は神の恵みを示している」⇒ ㉓聖シャルル・ド・フーコー は、イエスを沈黙のうちに振る舞うようにさせる⇒ ㉔”スラブ人の使徒”聖チリロと聖メトジオに「愛における自由」の道具となることを学ぼう⇒ ㉕「神の僕・マドレーヌ・デルブルは貧しい人々と福音の喜びを分かち合った」⇒」㉖使徒的熱意の4つの側面の一つ*イエスは私たちの「喜び」⇒ ㉖「イエスの福音は『皆のため』にある」⇒ ㉗「司牧のあり方についての回心が求められている」⇒ 最終回「『主を宣べ伝えたい』と思うほど、私は主を愛しているか?」⇒
*「祈りの神秘」(2020.5.6~6.24完)
①”旅”の主役は御言葉と聖霊、御言葉の力強さは「聖霊の力」だ
⇒ ②主の復活-愛の和解の力ーを証しする素晴らしさ
⇒ ③「聖霊は私たちに人間的な限界を越えさせ、教会を成長させる」④「初期教会の『共同体主義』は、この世の『個人主義』の対極だ」
⇒ ⑤「困難にある人から目をそむけない、それが教会のあるべき姿」
⇒ ⑥「自分の利益にしか関心のない『偽善』は教会を破壊する」
⇒ ⑦「初期教会は病んだ人たちを世話する”野戦病院”だった」
⇒ ⑧「私たちが困難に遭う時、聖霊が勇気と『識別のわざ』をくださる」
⇒ ⑨「『神の子としてのキリスト者』に必要なのは、自らの命を神の手に委ねること」
⇒ ⑩福音宣教の主役は「聖霊」、人々を自分でなく、キリストに惹きつけること
⇒ ⑪キリストはどのようにしてサウロを回心させたのか
⇒ ⑫論争の教会的解決の基礎は『注意深く忍耐強く聴き、聖霊の光で識別する』こと
⇒ ⑬聖霊は宣教の主役、私たちを前進させる」
⇒ ⑭「キリストを知らない人との間に橋を架け、手を差し伸べよう」⇒ ⑮「『群れに気を配る』ことこそ、すべての司牧者の仕事」
⇒ ⑯「パウロの航海は、私たちに『試練を生きる』ことを教えてくれる」
⇒ 最終回「使徒たちの宣教は、今もなお、私たちの手で続けられる」
⇒
♰「『主の祈り』は、”子”の私たちが”父”と行う”直接対話”の始まりだ」⇒ ①「主よ、私たちにも祈りを教えてください」⇒ ②「父よ」、「お父さん」で始まるのは⇒ ③「主が求めておられるのは、心を開くことだけ」 ④「全ての道の終点には、両腕を広げて待つ御父がいる」⇒⑤「苦難の時も『アッバ』で始めれば祈りの力を得る」⇒ ⑥祈りで繰り返される「私たち」の意味は⇒ ⑦「地上の愛が砕けても『天におられる父の愛』がある」⇒ ⑧「み名が聖とされますように」に込められた願いは⇒ ⑨「み国が来ますように」はイエスご自身の渇望⇒⑩「御心が行われますように」は父に向けられる子どもたちの祈り⇒ ⑪「キリスト者が願うの『私のパン』ではなく『私たち』のパンであるはずだ⇒⑫「私たちは皆、赦しが必要な罪人」⇒ ⑬イエスのご受難の三つの祈り-苦痛の極限で主の愛は絶頂に達する⇒ ⑭今が、私たちがいただいた最高の賜物-赦し-を他の人たちに贈るチャンス⇒ ⑮「主が誘惑に陥らせるのではない」訳文変更の必要再度指摘⇒ ⑯「”主の祈り“はあらゆる悪に立ち向かう祈り」⇒ ⑰最終回「祈りは、神を『父』と呼び掛けることから生まれる」⇒
*【十戒】
①私たちの、特に若者の人生における最大の危険は『平凡』と『小心」 ②世が求めるのは戒律主義者ではない、子の心を持ったキリスト者だ ③自分から出発する人は、自分自身にしかたどり着けない ④『自分にとっての偶像は何か』を知ることは愛の道の始まり ⑤『金の子牛』ではわずかな安心感しか得られない ⑥キリストが私たちの名を負われたように、神の御名を負うことに価値がある ⑦日曜は『現実からの逃避』でなく『現実を祝福する』日
⇒教皇 ⑧安息日-「最悪の奴隷状態は自我(エゴ)に縛られること」
⇒教皇 ⑨「人生の疑問は神を見出した時に晴らされ、建設的なものとなる」⑩「殺してはならない」は命の価値を守る掟
⇒教皇 ⑪「殺してはならない」は「愛への招き」
⇒教皇 ⑫「姦淫してはならない」は「生涯、忠実を尽くせ」という戒め
⇒教皇 ⑬「姦淫してはならない」は、人間的愛情の美しさを生きるための光
⇒教皇 ⑭「人生は、”所有するため”ではなく、”愛するため”の時間」
⇒教皇⑮「言葉だけでなく、振る舞いで真理の証しを求める」
⇒教皇 ⑯最後の掟が示すのは「心の解放」だ
⇒教皇の言葉 ⑰最終回「『十戒』は心を開き、キリストを観想すること」
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*【堅信の秘跡】
①受洗者を『地の塩、世の光』とする聖霊の賜物を授かる②祈り、按手、そして塗油を通して聖霊のしるしを受ける③聖霊の息吹に従って、火を消さないように
⇒教皇のことば*「洗礼の秘跡」①ただ一度の洗礼が私たちの全人生を照らす②洗礼志願者の名を尋ねるのは、神が私たちを名で呼び、愛されるから③我々の全人生が闘い-洗礼は悪と闘う力を与えてくれる④水そのものに罪を赦す効果はない、聖霊による
⑤水に浸され、消えない霊印を受け、新しい命に生きる⑥
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*【ミサを味わう】
①ミサで高く上げるのは私たちの心、ケータイではない②ミサは祈り、神との出会い、沈黙の時も必要③ミサのため聖堂に入るとき、『ゴルゴダの丘』を思い起こそう④日曜日にミサに出よう、主が今日を生きる力を与えてくれる⑤ミサはすべての参加者による”シンフォニー”⑥弱さを認め、心を開き、慈しみを求める『回心を求める祈り』⑦集会祈願の前の『沈黙』は、聖霊の声に耳を傾けること⑧言葉の典礼」神の言葉を聞くだけでなく、実行して⑨主は福音朗読を通して話される「説教はよく準備して、短く」⑩説教後の沈黙、「信仰宣言」「共同祈願」の深い意味⑪感謝の典礼 私たちのわずかな捧げものをキリストは求められる⑫「感謝の祈り」と聖変化の深い意味教皇の⑬交わりの儀ー「主の祈り」と「平和の賛歌」の意味は⑭聖体を受け、すべての人がイエスのもとに一つとなる⑮最終回・ミサ閉祭と同時に、キリスト者として「証し」する務めが始まる(2018.4.4)
⇒教皇のことばミサ
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【教皇の使徒的勧告、指針など】
*バチカンの「Christus vivit ビデオ・プロジェクト」-若者たちの感性と創造力で⇒
♰使徒的勧告「Christus vivit」を人生に生かして-教皇、若者たちに呼びかけ⇒
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