◎教皇連続講話「悪徳と美徳」⑯ 「節制」は、すべてが「過剰」に向かう現代社会に必要な”バランス感覚”

教皇フランシスコ 2024年4月17日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場教皇フランシスコ 2024年4月17日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 教皇フランシスコは17日、水曜恒例の一般謁見で連続講話「悪徳と美徳」を続けられ、今回は「節制」の徳をテーマに取り上げられた。

 講話の要旨は次の通り。

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 今回は、基本的な徳目のうち4つ目の徳である「節制」について考えましょう。「節制」は、これまで取り上げた「賢明」「正義」「勇気」とともに、キリスト教以外の文化とも、大変古い歴史を共有しています。

 古代ギリシャ人にとって、徳の実践は、「幸福」という目標を持っていました。哲学者のアリストテレスは、息子のニコマコスに生きる技術を教えるために、倫理学の本を著しました。「なぜ皆は幸福を求めるのに、わずかな人しか、それにたどり着けないのか」-この問いに答えるために、アリストレスは徳のテーマと向き合い、特に「enkráteia(節制)」について、この著作のスペースを割いています。「enkráteia」はギリシャ語で「自分自身に対する権力」を意味します。つまり「自己統治力」。反動的な情熱に巻き込まれない、マンゾーニ(アレッサンドロ・マンゾーニ、19世紀のイタリアの詩人、作家)言うところの「人間の心の混乱に秩序を与える技術」です。

 『カトリック教会のカテキズム』は、「節制」の徳について次のように述べています。

 「節制とは、快楽の誘惑を抑え、この世の善を程よく用いさせる倫理徳です。本能に対する意志の支配力を保証し、欲求の中庸を保たせます。節制を保つ人は自分の感覚的欲求を善に向かわせ、健全な控え目を守り、欲望のままに生きることがありません」(1809項)。

 「節制」はイタリア語でtemperanza-「節度の徳」です。どのような状況に置かれても、「節制」は人を、賢明さをもって行動させます。それは、人は常に衝動や活気に動かされ、結果的に信頼できない存在だからです。

 多くの人が気まま勝手に話す世界にあって、節度のある人は、自分が話すことについて考えるのを好みます。出まかせの約束をせず、約束を守れるように努力します。快楽に対しても判断をもって行動します。衝動のなすままに、快楽の放縦を完全に認めることは、人を倦怠状態に陥らせ、最後には自分自身に害を与えることになります。いったい、どれだけの人が貪欲に望むままを求め、あらゆることに対する興味を失ってしまったことでしょう。そうなるより、節度を求めた方がいい。良いぶどう酒を味わうには、一気に飲むより、一口ずつ賞味したほうがいいのです。

 節度のある人は、言葉の重みや程度を測ることができます。「節制」は、一瞬の怒りが人間関係や友情を壊してしまうことを防ぎます。一度壊れた関係を修復するには努力が必要です。抑制があまり利かい家庭生活のような場所では、皆が緊張や、苛立ち、立腹などを抑えられない危険があります。人には話すべき時と、沈黙すべき時がありますが、いずれにも節度が求められるのです。

 節度のある人が、自分の怒りやすさを制御できたとしても、いつも平和的に微笑む顔をしていられるわけではありません。節度を保ちながらも、時々憤慨することも必要です。叱責のひとことが、辛辣で恨みがましい沈黙よりも、有益なことがあります。

 「節制」は、他者の過ちを正すことが難しいと承知しつつ、そうすることが必要なことも理解しています。そうしないと、悪に自由な場を与えてしまうからです。時と場合によって、「節制」は両極を一緒に保つ―絶対的な原則や譲りがたい価値を強調しながら、他者を理解し、共感を示す―ことができるのです。

 「節制」の恵みとは、すなわち貴重で得難い「バランス感覚」です。すべてが過剰に向かっている現代社会で、「節制」は、小ささ、思慮深さ、人から隠れた生き方、柔和さといった、福音的振る舞いとよく合います。節度ある人は、他者の評価を尊重しても、行動や発言の唯一の基準とはしません。感受性が高く、泣くことができても、悲劇の主人公を装うことはしません。負けた時は立ち上がり、勝った時は、元の隠れた生活に戻って行くことができます。喝采を求めず、「自分は他者のおかげで生きている」と自覚しています。

 「節制」が、人を「精彩を欠いた喜びのない人」にする、と言うのは正しくありません。それは、皆で食卓に着くこと、友情の優しさ、賢明な人との信頼関係、被造物の美しさに対する驚異など、人生の善をより良く味わうのを助けます。「節度ある幸福」とは、人生で最も大切なことを認め、それに価値を与えることのできる人の心に花開く喜びです。

 主が私たちに成熟の恵み―年齢による成熟、愛情の成熟、社会的成熟、そして節制の恵みをくださるよう祈りましょう。

(編集「カトリック・あい」)

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2024年4月18日