☩「平和と友愛を促進するため、包括的な世界へ共に働こう」-教皇、タイの仏教使節団へ

Pope Francis meeting the Thai Buddhist monks from the Wat Phra Cetuphon temple in Bangkok (Thailand)Pope Francis meeting the Thai Buddhist monks from the Wat Phra Cetuphon temple in Bangkok (Thailand)  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年5月28日

☩「苦しんでいる子供たちのために祈り、喜びをもって前に進もう」-5万人参加の「第1回世界子どもの日」の集いで

 カトリック教会の「第1回世界子どもの日」の初日の25日午後、教皇フランシスコは、ローマのオリンピック競技場で世界の子どもたちとの集いを持たれた。

 集いには、世界101ヵ国から、子どもたちと保護者・引率者ら、およそ5万人が参加。集いの初めに、歌やダンスを交えつつ、5大陸を代表する子どもたちが自分の暮らしや環境を紹介し、また、それぞれが今心配していることについて語った。

 この中でベツレヘムの少年は「8か月間も空にはミサイルが飛んでいます… ベツレヘム、エルサレム 、ガザに生まれたというだけで、子どもたちに一体何の罪があるというのでしょうか」と訴え、ウクライナの少女は「平和が欲しい…これ以上、子どもたちが爆弾が落ちる音を聞いたり、死を目の当たりにすることがないように」と願った。ニュージーランドの少女は、水害の増加による地球の将来が心配、と述べ、アルゼンチンの少年は、病気の子どもや食べる物のない子たちへの思いを語った。

 教皇は、特別車「パパモービル」で入場、競技場を一巡された後、子どもたちに囲まれて席に着かれ、一人ひとりから挨拶を受けられた。そして、あいさつで、「第1回世界子どもの日、私たちは、皆が兄弟である平和な世界、未来ある世界を築く運動のキックオフのために、この競技場に集いました」と子供たちに話しかけられ、「皆さんのすべてが命と未来を物語っています。そして、母である教会は、皆さんを迎え入れ、優しさと希望をもって皆さんを見守ります」と語られた。

 そして、「皆さんが戦争のために悲しんでいるのを知っています。皆さんは、同じくらいの歳の子どもたちが学校に行けないことを辛く思っています。このことは、私も心に留めている現実。私はそのために祈っています」とされ、「戦争に苦しむ子どもたち、食べる物がない子どもたち、誰も治療してくれない病気の子どもたちのために一緒に祈りましょう」と呼びかけられた。

 また教皇は、「見よ、私は万物を新しくする」(黙示録21章5節)という「第1回世界子どもの日」のモットーを示され、「すべてのものは過ぎ去っても、神ご自身こそが新しく、常に新しいものを私たちにもたらしてくださる方です」と語られ、「喜びをもって前に進みましょう。喜びは魂の健康です。親愛なる子どもたち、イエスは福音の中で皆さんを愛しておられると言われました」と子どもたちを励まされた。

 そして、教皇は「天のお母さん」マリアに、「アヴェ・マリア」の祈りを子どもたちと共に捧げられた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年5月27日

十「聖霊は私たちの人生に共にいて、力となり、慰めてくださる」ー三位一体の主日、「世界こどもの日」に

(2024.5.26  The Holy See)

 教皇フランシスコは26日の「三位一体の主日」のミサを聖ペトロ広場で捧げられ、この日の「世界こどもの日」にちなんで、子供たち向けに説教をされた。内容以下の通り。

 親愛な少年たち、親愛な少女たち、私たちは皆さんと一緒に神に祈るためにここにいます。 同意しますか?  そうですか? そして私たちは父なる神、子なる神、そして聖霊なる神に祈ります。 「神」は何人いるのでしょうか?3人で一人です。私たちすべてを創造された父、私たちをとても愛してくださる父なる神。では、父なる神に祈るとき、私たち全員が祈る祈りとは何でしょうか?(子どもたちが答える―「『 il Padre Nostro(主の祈り)』です」)。

 私たちはいつも、父である神に、私たちの人生に寄り添い、成長させてくださるように、とお願いします。その御子の名前は何でしょうか? 息子の名前は何ですか?   よく聞こえません! イエスです! そして「イエス様、私たちを助けてください、私たちに近づいてください」と私たちはイエスに祈ります。

 また、聖体拝領をするときに私たちはイエスを迎え、イエスは私たちのすべての罪を赦してくださいます。 「イエスがすべてを赦してくださる」というのは本当ですか?   聞こえません、何が起こっているのですか… 本当ですか? はい! イエスはいつもすべてを赦しますか? いつも、いつも、いつもですか?  そして、男性あるいは女性の罪人、多くの罪を抱えた罪人がいる場合、イエスは彼らを赦してくださいますか? あなたは最も醜い罪人でも赦しますか?  はい! これを忘れないでください。イエスはすべてを赦し、いつも赦してくださいます。

 そして私たちは赦しを求める謙虚さを持たなければなりません。 「ごめんなさい、主よ、私は間違いを犯しました。 私は弱い。 人生で私は困難に出会いましたが、あなたはすべてを赦して下さいました。 私は自分の人生を変えたいと思っています、そしてあなたは私を助けくださいます」。 でも、よく聞こえなかったのですが、本当ですか、「すべてを赦してください」と…  よく出来ました。これを忘れないでください。

 難しいのは、「聖霊とは誰なのか」です。 ええ、それは簡単ではありません。聖霊は神であり、私たちの内におられるからです。 私たちは洗礼で聖霊を受け取り、秘跡でも受け取ります。 聖霊は私たちの人生に伴ってくださるものです。 このことを一緒に考えて、こう言いましょう―「聖霊は人生において私たちに同行してくださいます」。 皆でそろって… 「聖霊は人生において私たちと共にいてくださいます」。聖霊は、私たちがしなければならない良いことを、心の中で教えてくださるのです。 また別の時に…「聖霊は人生に私たちと共にいてくださいます」。 私たちが悪いことをしたときに心の中で叱ってくださる方です。 「聖霊…」忘れた、聞こえない…また今度! 聖霊は私たちに力を与え、困難なときに慰めてくださる方です。皆でそろって… 「聖霊は人生において私たちと共にいてくださいます」。

 親愛な兄弟姉妹、少年少女の皆さん、私たちは皆、信じているので幸せです。 信仰は私たちを幸せにします。 そして私たちは「父と子と聖霊」である神を信じます。 全員そろって、「父と子と聖霊」と。 私たちを創造してくださった父、私たちを救ってくださったイエス、では、聖霊は何をなさっているのでしょうか?

 キリスト教徒の皆さん、確かに私たちにも母親がいます。母親の名前は何ですか? 私たちの天の母の名前は何ですか? 聖母マリアに祈る方法を知っていますか? いいですか?  今すぐ、やりましょう!(全員で聖母マリアの祈りを唱える) 男の子も女の子も、良い子も…あなたは良い子です。 父は私たちを造られ、子は私たちを救ってくださいました。では、聖霊は何をしてくださったのでしょう? そうです!

 神があなたがたを祝福してくださいますように。私たち皆が前に進めますように。そして、両親のために祈り、祖父母のために祈り、病気の子供たちのために祈ってください。 今、私の後ろに病気の子供たちがたくさんいます。 いつも祈り、そして何よりも戦争が起こらないように平和を祈りましょう。

 説教はこのくらいにして、ミサを続けましょう。でも忘れないように、聖霊は何をしてくださいましたか? …その通り!それでは先に進みましょう!

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=イタリア語の原文より)

2024年5月26日

☩「共に一致を祈ろう」-香港のキリスト教一致運動の代表団と会見

(2024.5.22 Vatican News  Linda Bordoni)

   教皇フランシスコは22日、バチカンを訪れた香港キリスト教評議会の代表団と会見され、共にキリスト教の一致が進むよう、祈られた。同評議会はプロテスタントのキリスト教一致運動の組織で、世界教会評議会およびアジア・キリスト教会議のメンバーになっている。

 教皇は、水曜恒例の一般謁見の前に、バチカン宮殿のパウロ6世ホールの一室で代表団にお会いになり、訪問を感謝されるとともに、代表団の訪問を「真の慰め」と形容し、キリスト教徒が信仰で一致しているのを見る喜びを表された。

 そして、「キリスト教の一致一は『最後の審判の日』にのみ実現されるだろう」と述べた正教会の故ジジウラス司教を思い起され、「それまでの間、私たちは共に祈り、協力せねばなりません… これは非常に重要です。私たち皆がイエス・キリストを信じており、力を合わせ、共に、一致のために祈ることです」と強調された。

 また、パウロ6世教皇と会見した正教会の故アテナゴラス1世コンスタンティノープル総主教が語った言葉- 「こうしましょう。神学者たちを全員を島に閉じ込めて議論させれば、平和のうちに前進することができるでしょう」を引用された。

 教皇は続けて、洗礼によって私たちは全員、キリスト教徒となり、外に多くの「敵」がいる一方で、私たちは友人になることができる、と指摘されたうえで、「主が私たちに『教会は常に迫害される』と言われたように、敵が存在することも現実です… 信仰に殉ずることは、私たちの教会の歴史の中に常に存在します」とも述べられた。

 最後に、教皇は、聖パウロ6世教皇が1969年にウガンダを使徒訪問されたことに触れ、カトリック教会と英国国教会の殉教者について語り、全員が同じ信仰のための殉教者となった、とされ、「洗礼は2つあります。1つは私たち全員が受ける洗礼。もう1つは主が言われる『血の洗礼』、つまり殉教です。 そして、信仰のために命を捧げた多くのキリスト教徒によって殉教がどのようなものであるかを私たちは皆知っています」と語られた。

 そして、代表団に、共に『主の祈り』をするよう求めて会見を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年5月23日

◎教皇連続講話「悪徳と美徳」㉑ 「謙遜」は世界と教会における平和の源

教皇フランシスコ 2024年5月22日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場教皇フランシスコ 2024年5月22日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2024.5.22  バチカン放送)

 教皇フランシスコは22日の水曜恒例一般謁見で、「悪徳と美徳」をテーマにした連続講話の最終回となる今回は「謙遜」の徳を取り上げられた。講話の要旨は以下の通り。

**********

 「悪徳と徳」をテーマにした連続講話を、キリスト教生活の基盤であるもう一つの徳、「謙遜」の徳の考察をもって締めくくりたいと思います。

 「謙遜」の徳は、様々な悪徳の中でも最も深刻な「高慢」の悪徳への”偉大な対抗者”です。うぬぼれと高慢が、自分を実際以上のものに見せながら、人の心を膨らませるのに対し、謙遜はそれをあるべきサイズに戻してくれます。

 私たちは素晴らしい被造物ですが、長所と短所によって限界づけられた存在でもあります。聖書は、その始めから「塵(ちり)にすぎないお前は塵に返る」(創世記3章19節参照)ことを、私たちに教えています。ラテン語の「謙遜な」(humilis)は、「土」(humus)から来ているのですが、人の心にはしばしば、大変危険な「万能だ」という妄想が膨らみます。

 高慢から解放されるためには、星空を見上げ、人の本来のスケールに改めて気づくことです。それは詩編が歌うとおり、「あなたの指の業である天を、あなたが据えた月と星を仰ぎ見て、思う。人とは何者なのか、あなたが心に留めるとは」(詩編8章4-5節)。現代の科学は、私たちの地平線をより広げ、私たちを取り囲み、私たちの中にある神秘をより大きく感じさせます。

 自身の小ささについての知る人は幸いです。そうした人は、「傲慢」という悪徳から守られるでしょう。イエスは「山上の説教」で八つの幸いを、まさに、そうした人々から始められます。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」(マタイ福音書5章3節)。これが「幸い」の最初に取り上げられるのは、その後に続く「幸い」の基礎になっているからです。柔和、憐み、心の清さは、この内的小ささから生まれます。「謙遜」はすべての徳への入口なのです。

 福音書の初めの部分で、「謙遜」と「心の貧しさ」は、すべての源のように思われます。天使のお告げは、エルサレムの城門の前ではなく、ずっと辺境のガリラヤの小村で起きました。その場所はあまりにも重要性がなかったので、人々から「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言われるほどでした。しかし、まさにそこから、世界は新たにされるのです。

 そのためにあらかじめ選ばれたヒロインは、小さな女王のごとく甘やかされて育った女性ではなく、まったく知られることのない少女、マリアでした。そして、天使が神のお告げを知らせた時、最初に驚いたのはマリア自身でした。マリアの賛歌で際立つのは、まさにこの驚きです―「私の魂は主を崇め、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。この卑しい仕え女に、目を留めてくださったからです」(ルカ福音書1章47-48節)。神は、マリアの「小ささ」、特に「内的な小ささ」に惹かれたと言えるでしょう。そして、私たちが神を受け入れる時、それは私たちの「小ささ」でもあります。

 そして、これ以降、表舞台を降りたところからマリアを見るようになります。マリアはエリザベトを訪ねるためにユダの山地へ向かいます。それは身ごもり、出産を間近にしたエリザベトを支えるためでした。神以外の誰がマリアのこの行為を見ているでしょう。マリアはこの隠れた生き方から出ることを望まなかったように思われます。

 群衆の中から、一人の女が、イエスに向かって声を張り上げて言います―「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は」(ルカ福音書11章27節)。そして、イエスは、すぐにこう答えられました―「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」(同28節)。「神の母」であるという人生の最も聖なる真理でさえも、マリアにとっては人々の前で自慢する理由とはなりません。マリアは、ただ神の恵みの力によって、「高慢」とは反対の方向へ、しっかりと歩みました。

 マリアは、信仰とともに闇の中を進むような困難な時を体験したに違いありません。しかし、それによって、マリアの「謙遜」が揺らぐことはなかったのです。マリアは常に「小さき者」であり、自分を脱ぎ棄て、野心から自由な女性。マリアの「小ささ」こそが、その無敵の力。「勝利のメシア」の幻想が打ち砕かれた時も、マリアは十字架の下に留まりました。そのマリアが、たった一時間もイエスと共に目を覚ましていることができなかった弟子たち、嵐が近づく中でイエスを見捨てた弟子たちを、聖霊降臨に先立つ日々に集めることになるのです。

 「謙遜」がすべて。「謙遜」は私たちを悪から、悪の共犯となる危険から救ってくれます。「謙遜」は世界と教会における平和の源です。「謙遜」のないところに、戦争や不和や分裂が生じます。神は、私たちの救いと幸福につながるようにと、「謙遜」の模範をイエスとマリアに与えられました。「謙遜」はまさに救いの道であり歩みなのです。

(編集「カトリック・あい」=聖書の翻訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

2024年5月23日

☩「戦争が続く今こそ、世界は平和を求めている」22日の水曜恒例一般謁見で

Houses in the suburbs of Kharkiv in Ukraine, destroyed by a Russian drone attackHouses in the suburbs of Kharkiv in Ukraine, destroyed by a Russian drone attack  (AFP or licensors)

(2024.5.22  Vatican News)

 教皇フランシスコは22日の水曜恒例一般謁見で、「戦争が続く世界」の平和を祈るようすべての人に呼びかけ、ウクライナ、パレスチナ、イスラエル、ミャンマー、そして紛争で苦しんでいるすべての国を忘れないように求められた。

 謁見の終わりに教皇は、「私たちは『断片的に行われた戦争』ではなく、本当の『世界戦争』を抱えています」と語られ、「平和を祈りましょう。私たちには平和が必要です。世界は戦争中なのです」と指摘。

 そして、今、紛争で苦しんでいる、ロシアの無人機の雨が降り続く「殉教したウクライナ」、 爆撃による死者数が続く中東、 そして、国内危機とロヒンギャの窮状を抱えるミャンマーを挙げられた。

 「苦難にあるウクライナを忘れないように。パレスチナ、イスラエルを忘れないように。これらの戦争が止まりますように。ミャンマーを忘れず、戦争中の多くの国を忘れないようにしましょう… 兄弟姉妹の皆さん、私たちは世界大戦のこの時期に平和を祈る必要があります」と訴えられた。

 さらに教皇は、「平和とは、子どもたちも含め、各人が自らの貢献によって築き上げることができるもの」と述べられ、ポーランドの巡礼者たちへの挨拶の中で、初聖体を祝うすべての子どもたちに対して、「この喜びの瞬間に、苦しんでいる仲間、戦争、飢餓、貧困の犠牲者たちが求めていることにも気づくように」と励まされた。

 最後に、聖母マリアに「私たちに謙虚な奉仕を教えてくださいますように。それが世界と教会の平和の源となりますように」と執り成しを願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年5月22日

・「女性が助祭に叙階されることはない」と教皇、米CBSの人気番組で

CBS journalist Norah O’Donnell speaks with Pope Francis in the Vatican. (Credit: CBS News.)

(2024.5.21   Crux Staff)

 

 

2024年5月22日

☩「聖職者の性的虐待は容認できない、教会は対処にさらに努力が必要」教皇、米CBSの人気番組で

Pope Francis speaks to CBS’s Norah O’Donnell. (Credit: 60 Minutes.)Pope Francis says clerical abuse ‘cannot be tolerated’ in ’60 Minutes’ interview

(2024.5.20  Crux Staff)

 教皇フランシスコは、19日夜に放映された米国テレビ局のCBSの人気番組「60 Minutes」に録画出演された。

 

*聖職者の虐待-赦さないだけでなく、防止ための条件整備が必要

 

 その中でキャスターの質問に答える形で、移民・難民問題、代理出産の問題、聖職者による性的虐待問題などについて語られ、聖職者による性的虐待について「容認できません。聖職者である男性または女性が虐待を行った場合、法の全面的な強制力が彼らに降りかかります。 この点では大きな進歩が見られます」と指摘された。

 さらに、この問題への教会の対処について「さらに努力を続けねばなりません。残念ながら、虐待による悲劇は甚大です。虐待に対しては、正しい良心、そしてそれを赦さないだけでなく、そのようなことが起こらないための条件を整える必要があります」と言明された。

*移民問題―国境閉鎖は狂気の沙汰。人道的配慮が必要

 

 移民問題については、質問者が「私はテキサス州で育ちましたが、メキシコと国境を接し、カトリック慈善団体『Annunciation House( 受胎告知の家)』が不法移民に人道支援をしています。 テキサス州のケン・パクストン司法長官は『不法移民を支援した』としてこの活動をやめさせようとしていますが」と述べたのに対して、教皇は、これは「全くの狂気」だ、と語られた。

 「国境を閉鎖し、人々をそこに残す、というのは狂気の沙汰です。移民は受け入れなければなりません。彼らが(メキシコに)送り返されることになるのかどうか、分かりませんが、それぞれのケースには人道的な配慮が必要です」と強調。

 「なぜ移民の窮状に対して、これほど無関心な(人が多い)のか」との問いには、「はっきり言ってもいいですか? 人々は”手を洗っている”のです!(「イエスの血について自分には責任がない」ことを示すために群衆の前で手を洗った総督の)ピラトがたくさんいるのです。自分の周りに起きている戦争、不正、犯罪を目の当たりにして、『大丈夫、大丈夫』と”手を洗っている”のです」と批判。「心を頑なにして、無関心になる、ということが起きているのです。私たちは、心に感じるようにしなければなりません。人間の悲劇に対して、無関心ではいられない、と。無関心の”グローバル化”はとてもひどい病気です」と訴えられた。

 さらに、教皇は「移民は国を成長させます。米国にアイルランド人が移住して、ウィスキーを持ち込んだとか、イタリア人が移住して、マフィアを持ち込んだとか…(笑)冗談です。 悪く取らないでください。 移民たちは時には大きな苦しみを味わうこともあります。 とても苦しんでいます」と付け加えられた。

*代理出産―ビジネス化はどんでもないこと、道徳原則により慎重に検討が必要

 

 また、代理出産に関するカトリック教会の教えについてについての問いには、教皇は「代理母出産に関して、厳密な意味では、それは認められていません。 代理出産がビジネスになることもありますが、それは非常に悪いことです。 とてもひどいことです」と言明された。

 質問者が「一部の女性にとって、それが唯一の希望であることもありますが」と聞いたことに対しては、「その可能性はありますが、もう一つの希望があります。それは養子縁組です。 いずれの場合も、医学的、そして道徳的にも相談しながら、状況を注意深く明確に検討する必要があると思います。そのようなケースには一般的なルールがあると思いますが、道徳原則が無視されない限り、状況を評価するには、特にそれぞれのケースに踏み込む必要があります」と指摘された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。
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2024年5月22日

☩「中国のカトリック教徒は博愛と慈悲の信仰の証し人となれ」教皇、中国教会に関する会議にメッセージ

Pope Francis' video message broadcast at the Pontifical Urban UniversityPope Francis’ video message broadcast at the Pontifical Urban University 

 また教皇はメッセージで、教皇ピオ11世から公会議の組織化の任務を託された最初の中国駐在バチカン大使、セルソ・コスタンティーニ大司教の重要な貢献に言及。「コスタンティーニ大司教の努力により、バチカンと中国教会との交わりは、すべての中国人民にとって有益な成果をもたらすことができまたし」と述べられた。

*評議会に参加した人々の視線は現代の教会に繋がっている

 そして、この上海での初の評議会は「『戦略の変更』ではなく、教会の性質とその使命に最も適合する道をたどることを課題としました。出席者たちは、キリストの恵みを信頼しており、彼らの未来への視線が、現代の教会に繋がっています」とし、「中国において、主は、(当時から今に至る)過程で、神の民の信仰を守ってくださいました… そして神の民の信仰は、上海での初の公会議の前後、そして今日に至るまで、この時代を通して道を示す羅針盤となったのです」と語られた。

*イエスに従う人々は平和を愛する

 このように上海での初の評議会の成果を語られたうえで、教皇は、中国のカトリック教徒に対して、「ローマ司教との交わりにおいて、今の時代を歩んでほしい」と希望され、「博愛と慈悲の活動を通じて、あなた方の信仰を証しし、それによって社会的共存の調和を図り、”共通の家”の構築に貢献するように」と勧められた。

 さらに、「イエスに従う人々は、平和を愛します。そして、『世界の終末を加速させようとする非人道的な勢力』が働いているのを目の当たりにしているこの時代に、平和のために活動するすべての人々と自分が共に働かねばならないことを知っているのです」と強調された。

 メッセージの最後に教皇は、5月24日を祝日として祝われている上海近郊、佘山の聖母に対する中国のカトリック教徒の献身を賞賛され、中国の教会が「どこにおいても、平和を勝ち取れる」ように、聖母に執り成しを祈られた。

 そして、「上海での評議会を思い起すことは、今日、教会全体にとっての新たな道を示唆するものとなり、現在において福音を宣べ伝え、証しするために大胆に取り組むべき道を開くことにもなり得えます」とメッセージを締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年5月21日

☩「聖霊が、全世界に平和と調和をもたらしてくださるように」聖霊降臨の主日の正午の祈りで

爆撃後の黒煙が上がるウクライナ・ハルキウ 2024年5月17日爆撃後の黒煙が上がるウクライナ・ハルキウ 2024年5月17日  (ANSA)

(2024.5.19 バチカン放送)

 教皇フランシスコは19日、聖霊降臨の主日の正午の祈りで、世界の調和と平和を祈られた。

 「聖霊は、調和を作り出す方。降臨を祝う今日、聖霊が、御父と御子の愛が、心に、家庭に、社会に、全世界に、調和を生み出してくださるように祈りましょう」と促され、「聖霊が、諸キリスト教教会の信者たちの間に、交わりと兄弟愛を育ててくださるように」と願われた。

 そして、「戦争を終結に導くために、治世者たちに対話を行う勇気を与えてくださるように」。特にロシア軍の攻撃を受けたウクライナのハルキウ、さらにパレスチナ、イスラエルをはじめ、戦争が行われている多くの地域に思いをはせながら、「聖霊が、国々の責任者と私たち皆に、平和の扉を開くよう促してくださるように」と祈られた。

 また、教皇は、前日18日のイタリア北部ヴェローナへの司牧訪問を振り返り、同地の人々の温かい歓迎と愛情に感謝された。そして、この訪問で刑務所を訪れ「塀の向こうに、命と人間性、希望が息づいていることを、受刑者たちは今回も証ししてくれた」と話し、同刑務所のすべての関係者に改めてお礼を述べられた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年5月20日

☩「私たちは孤独ではない、聖霊が助け、力づけてくれる」-聖霊降臨の主日ミサで

(2024.5.19 Vatican News Deborah Castellano Lubov)

 聖霊降臨の主日、19日のミサの説教で、教皇フランシスコは「力と優しさをもって教会の中で働いておられる聖霊は、決して私たちを一人にせず、私たちが聖霊に任せれば、一人では不可能な目的を達成するため、傍にいて、賜物が与えられます」とされ、「ひどく困難な時期や苦闘の日々の最中にあっても、傍にいてくれる聖霊と賜物によって、私たちは耐え忍ぶことができるのです」と説かれた。

 説教で教皇は、このミサで読まれた使徒言行録第二章の聖霊降臨の箇所を取り上げられ、「この記述は、聖霊が、力と優しさをもって、私たちと宣教の両方に働いていることを示しています」と指摘。聖霊がどのように弟子たちに降り、「彼らの心を変え、イエスの経験と彼らを動機付けた希望を他の人に伝えるよう促す静かな勇気を植え付ける Paraclete(弁護者、傍にいる者)」として、彼らの傍に留まったか、を振り返られた。

 

 

*弟子たちと同様に、私たちも福音宣教に送り出されている

 

 そして、「このことは、洗礼と堅信によって聖霊を受けた私たち皆にも当てはまります… このミサを捧げている大聖堂の『上の部屋』から、私たちも弟子たちと同じように、すべての人に福音を宣べ伝えるために送り出されているのです」と強調。「傲慢、押し付け、打算なしに、聖霊が私たちの心の中で教え、育ててくれる『真理への忠実』から生まれるエネルギーをもって、福音を宣べ伝える必要があります」と語られた。

 

*平和、赦し、命を倦むことなる宣言する

 教皇はさらに、「私たちは倦むことなく、戦争を望む人々に絶えず平和を語り、復讐を求める人々に赦しを語り、扉を閉ざし障壁を築く人々に歓迎と連帯を語り、 死を選ぶ人々には命を、軽蔑と侮辱、拒絶を好む人々には敬意を、あらゆる絆を断ち切ろうとする人々には忠誠を語ります… 私たちのうちに聖霊の力強い働きがなければ、自分の力だけで悪を倒すことも、肉の欲望に勝つことも決してできません。世ではなく、聖霊に身を委ねるべきです」と訴えられた。

*聖霊は、私たちを助け、励ましてくれる

続けて、「聖霊に任せれば、私たちの努力を鼓舞し、助け、支えてくださいます」とされた教皇は、「それによって、私たちは苦闘の時を、成長の機会、危機から私たちがより良く立ち直れる機会に変えることができ、より強く、より自由に他者を愛することができるようになります… イエスもまた、霊に導かれて荒れ野で40日間の断食をされ、悪魔から誘惑を受けられましたが、その試練によって、人として成長し、強められ、宣教に備えることができたのです」と述べて、信者たちを励まされた。

 また、聖霊の優しさについても言及され、「聖書には、神のなさり方を特徴づける記述がよく出てきますが、私たちの宣教活動も、どこにいても他者を励まし、強めるために、すべての人を優しく歓迎するものである必要があります… イエスがなさったように、謙虚さと優しさをもって、善意を持つすべての男女に接することです」と説かれた。

*聖霊の臨在を信じる心を新たにしよう

 最後に教皇は、「平和、友愛、連帯への道には、曲がりくねった上り坂もありますが、私たちは一人で歩くのではない。聖霊と賜物の助けによって、共に歩み、その道をさらに前に進むことができるのです」と励まされ、「私たちを啓発し、心を恵みで満たし、歩みを導き、恵みを与えるために、私たちの傍にいて慰めてくれる聖霊の臨在」を信じる心を新たにするよう、全ての信者に呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年5月19日

☩「死や破壊や恐怖ではなく、希望の種を蒔こう」ヴェローナでの「平和のアレーナ」で

 

 教皇フランシスコは18日、イタリア北部のヴェローナを訪問され、平和をテーマにしたミーティングを主宰された。

 「平和のアレーナ」と題したミーティングは、「平和は皆のものでなければ、誰のものでもない」との信念のもとに、「平和が推進され、準備され、ケアされ、実験され、構成される」ための努力のプロセスの一歩として企画された。ヴェローナのシンボルである古代円形闘技場「アレーナ」で開かれたこの催しには、様々な分野で平和のために取り組む個人や団体・運動の代表者らをゲストに、およそ1万2千人が集い、相互に結びつく普遍の財産としての、平和と、正義、基本的人権、環境、経済などについて考えた。

 教皇はこの出会いで、何人かの代表者らと平和をめぐる対話をされた。

 この対話で、アフガニスタン在住のジャーナリストで女性の権利のために活動するマブーバ・セラジさんが、長い紛争と、民主主義と平和の幻想を体験したアフガニスタンの現状に触れつつ、「アフガニスタンや世界に平和をもたらすためには何ができるのでしょうか」と質問したのに対し、教皇は、「個人主義の風潮が強い文化においては、共同体的な視点が消えかねないリスクがあります」と指摘。

 そのうえで、「こうした傾向は、政治や企業、社会活動等の分野の責任ある立場の人々の思考にも影響を与え、彼らはまるで英雄のように『他者を救わねばならない』という課題にプレッシャーと孤立を感じていることがよくあります」とされ、「指導者に対する私たちの考えが、『他のすべての人の上に立ち、私たちのためになること、ならないことを一人で決めるように呼ばれた人』というものなら、私たち自身のビジョンを貧しくするだけでなく、責任を持つ人の創造的なエネルギーまでも枯渇させ、共同体や社会全体が不毛なものになってしまうでしょう」と語られた。

 そして、「誰も他者なしには存在できず、誰も一人ですべてのことはできません… 私たちが必要とするリーダーたちは、『自分の長所と限界を認め、誰に助けや協力を求めたらよいかを知る人たち』であり、特に安定した平和の構築に携わる指導者たちは、『一人ひとりの価値を認め、信頼し、人々の側からも意味ある貢献をしたい』と感じさせることができなければなりません」とリーダーについてのご自身をお考えを示された。

 また、教皇は、「社会や平和構築に参加する情熱を、若者たちに起こさせることが、一つの大きな課題」と強調され、「若い人たちの育成に投資し、彼らに、『未来への道は自分個人のための務めだけではなく、それぞれの能力に応じた義務を持った一つの民の行動を通して開かれるのだ』というメッセージを伝えなくてはなりません」と説かれた。

 この集いでは、両親をハマスに殺害されたイスラエルの男性と、イスラエルの兵士に兄弟を殺害されたパレスチナの男性が、それぞれの苦しみを通して歩み寄り、より良い未来のために対話するようになった経過を説明し、 教皇は、「この二人の兄弟、二つの民の苦しみを前に、私には言葉がありません。二人は抱擁し合う勇気を持ちました。これは単なる勇気でも、平和の願望の証しでもなく、これは『未来の計画』です」とされ、「二人を前に、それぞれ心の底から主に平和を祈りましょう」と、参加者たちに促された。

 教皇は最後に、「平和は、不信や壁や武器からは生まれません」と訴えつつ、使徒聖パウロの「人は自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです」(ガラテヤの信徒への手紙6章7節)という言葉を引用され。「死や破壊や恐怖でなく、希望の種を蒔きましょう」と呼びかけられた。

(編集「カトリック・あい」)

 

 

2024年5月19日

☩「環境破壊は神に対する侮辱、人類すべてを深刻な危機に陥れる組織的な罪」ー気候変動国際会議の参加者と会見

教皇フランシスコと気候変動をめぐる国際会議参加者たち 2024年5月16日 バチカン宮殿教皇フランシスコと気候変動をめぐる国際会議参加者たち 2024年5月16日 バチカン宮殿  (Vatican Media)教教皇フランシスコは、気候変動をめぐる国際会議の参加者らとの出会いを持たれた。

(2024.5.16  バチカン放送)

 教皇フランシスコは16日、教皇庁立科学アカデミー、社会科学アカデミー共催の気候変動危機に関する国際会議の参加者たちとお会いになった。

 15日から17日まで両アカデミーの本部で開かれた会議には、国際機関の関係者や、研究者、宗教指導者、そして横浜市など世界の自治体の首長たちが参加。気候危機への対処だけでなく、危機からの回復力を高める方策について、専門や経験を分かち合った。

 教皇は参加者たちへのあいさつで、「環境破壊は神に対する侮辱。最も弱い立場の人々はもとより人類すべてを深刻な危険に陥れ、世代間の闘争を引き起こしかねない、個人的だけでなく組織的な罪です」と指摘。

 「私たちは『命の文化』のために働いているのでしょうか、それとも、『死の文化』のために働いているのでしょうか」と問いかけ、「あなたがたのこの会議は、この問いに対して、『大地の叫びに注意を払い、貧しい人の嘆願に耳を傾け、若者の望みや子どもたちの夢を感じ取らねばならない』と答えています」と語られた。

 そして、「気候変動や、生態系の多様性の喪失、環境汚染、不平等の拡大、食料不安、人間の尊厳への脅威など、個別でありながら相互に関連し合った制度上の挑戦を、私たちは前にしています」とされ、「皆で力を合わせ、緊急に対応しない限り、これらの問題は人類の、そしてすべての生態系の存続に関わる脅威となるに違いありません」と警告された。

 そのうえで教皇は、「気候危機に立ち向かうには、調和ある協力と国際的な連帯が必要です… CO 2削減や、生活様式の見直し、資金の有効活用、自然に基礎を置く実証された解決策の利用などを通して、干ばつをはじめ、気候変動の影響への対応力を強めることができるように」と願われ、さらに、特に気候による大きな被害を受けている開発途上国や島国の必要に応えられる新しい財政構造を発展させる必要を説かれた。

 最後に教皇は、会議参加者たちの気候変動問題への取り組みに感謝され、「平等と社会正義を通して、現在の気候危機から気候回復への移行のための協力を続けてください」と激励された。

(編集「カトリック・あい」)

2024年5月17日

◎教皇連続講話「悪徳と美徳」⑳「『慈愛』の美徳は、私たちの中に働く聖霊の業」

Pope Francis at General AudiencePope Francis at General Audience  (Vatican Media)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の引用の日本語訳は「聖書協会・共同訳」による)

2024年5月15日

☩「神は決してご自身の子供たちを見捨てない」-7月28日「世界祖父母と高齢者の日」へメッセージ

Pope Francis greets the elderly during the World Day for Grandparents and the Elderly, 2023Pope Francis greets the elderly during the World Day for Grandparents and the Elderly, 2023  (Vatican Media)

*高齢者の孤独への恐れ

 

そして、「聖書には、『人生のあらゆる段階における神の近さへの確信』と、『老年期や苦しみの時に見捨てられることへの恐怖』の両方が書かれていますが、これらの言葉は、明白な現実を反映している… 高齢者や祖父母としての私たちの生活には、孤独が暗いものとして付きまとうことがよくあります」と指摘。「この孤独には多くの理由があります。多くの場所、特に貧しい国では、子供たちが強制移住させられているため、高齢者が孤独を感じている」とされ、戦争で荒廃した国に取り残された高齢者の状況を、「放棄と死が最も支配的であるように見える地域での唯一の生命のしるし」とされた。

また、「高齢者を『若者の生命力を奪うために魔術を使っている』と疑い、若者たちに影響を与える運命の責任を負わせる、世界の一部地域の文化の風潮」を非難され、「高齢者が『若者の未来を奪っている』という非難は、今日どこにでも存在します。最も先進的な社会においてさえ、別の装いで現れています」と指摘された。

*高齢者の人生を巡る”陰謀”

 今回選ばれたテーマに関連して教皇は、テーマに引用した詩編の箇所(71節)は「高齢者の人生をめぐる”陰謀”について述べています」とされ、「高齢者の遺棄は偶然でも必然でもなく、政治的、経済的、社会的、そして個人的な決定など、『それぞれの人の尊厳を認めない決定』の結果。現代社会では、多くの女性と男性が、可能な限り独立した、他人から切り離された人生の中で個人的な充足を求めています。その中で、孤独と放棄は、今日の社会情勢において繰り返し起こる要素となっているのです」と語られた。

 教皇は、旧約聖書ルツ記の1章から始まるナオミの物語を取り上げられた。

 二人の息子と夫に先立たれ、年老いたナオミは、息子たちの二人の嫁に、自分のもとを離れ、それぞれの実の母の家に帰るように言った。 ナオミは自分自身が重荷になっていると考えており、一人になるほうがいい、と思ったのだ。二人の嫁のうちの一人は彼女の言うことを聞いたが、教皇は、「もう一人の嫁、ルツは、『あなたを見捨て(るような)、ひどいことをさせないでください』(ルツ記1章16節)と言いました。ルツは、習慣や伝統的な思考パターンに挑戦することを恐れなかったのです」と指摘された。

 メッセージの締めくくりに教皇は、「孤独と放棄につながる自己中心的な態度の代わりに、『私はあなたを捨てません』と言う勇気を持つ、広い心と喜びに満ちた顔で、別の道を歩み始めましょう」と世界の全ての人に呼びかけられ、愛する祖父母や高齢者、皆の近くにいるすべての人たちに祝福と祈りを贈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年5月15日