☩「地中海会合がもたらした『希望と兄弟愛の眼差し』を具体的な行動に変えて行こう」水曜恒例一般謁見で

教皇フランシスコ 2023年9月27日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場教皇フランシスコ 2023年9月27日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場  (ANSA)

(2023.9.27 バチカン放送)

 教皇フランシスコは27日、水曜恒例の一般謁見で、先日の仏マルセイユ司牧訪問について、以下のように振り返られた。された。

 要旨は次のとおり。

**********

 先週末、私は地中海をテーマにした集い、「ランコントル・メディテラネンヌ」に出席するためマルセイユを訪れました。この催しは、地中海地域の司教や市長たちと、未来に眼差しを向けるために、多くの若者たちの参加を得て行われました。「希望のモザイク」と題されたこのミーティングが示した夢と挑戦は、地中海が文明と平和の工房としての召命を取り戻すことにありました。

 地中海は「文明と命の揺りかご」です。それが墓場となることも、紛争の場となることも許されてはなりません。地中海は「文明間の衝突と戦争、人身取引の場」とは、ほど遠い場のはずです。地中海は、アフリカとアジアとヨーロッパを、東洋と西洋を、人と文化、民族と言語、哲学と宗教を結んできた歴史を持っています。

 もちろん、海は常に、ある意味で超えねばならない深淵があり、危険なものにもなり得えます。しかし、海の水は、貴重な生命を擁し、その波と風は、あらゆる種類の船を運んできました。

 地中海の東の岸から2千年前、イエス・キリストの福音が旅立ちました。福音宣教は、魔法のように、すぐに各地に広がったわけではありません。時代のしるしを読みながら、自分たちに託された区間を進む、あらゆる世代の歩みの実りでした。

 マルセイユでの集いは、イタリアのバーリ(2020年)とフィレンツェ(2022年)で開催されたイベントに続くものです。1950年代、フィレンツェのジョルジョ・ラ・ピーラ市長が企画した「地中海の対話」という催しに端を発しています。聖パウロ6世が回勅『ポプロルム・プログレッシオ』の中で述べられた「すべての人にとってより人間的な世界、ある人々の発展が他の人々の発展を妨げることのない、誰もが何かを与え受け取ることができる世界」(44項)を推進せねばならない、という訴えに応える催しとして始まったのです。

 マルセイユの集いで得たものは何だったでしょう。それは、イデオロギーや戦略ではなく、人間とその不可侵な人権を第一にした、地中海をめぐる「人間的な」眼差しです。また、この集いから生まれたものは、「希望」の眼差しでした。非人間的な状況をくぐってきた人たち、あるいはその苦難を分かち合った人たちの証言に耳を傾ける時、まさにこれらの人々から「希望の宣言」とも呼ぶべきものを受け取ることは強く心を打たれました。「兄弟愛」の眼差しでもありました。

 この希望と兄弟愛の眼差しを一時的なものにせず、中期・長期の視点をもって、具体的な行動に変えねばなりません。人が完全な尊厳のうちに、移住するか、しないかを選び取れるように、地中海が希望のメッセージになるように、私たちは努力せねばなりません。

 この集いでは、全体のビジョンを完成させるもう一つの視点も生まれました。それは、若い世代をはじめとするヨーロッパ社会に、希望を再び与える、という視点です。自分たちに未来がないなら、どうして他者を受け入れることができるでしょう。希望もなく、私的な世界に閉じこもった若者たちは、どのように出会いと分かち合いに自らを開くことができのでしょう。個人主義や消費主義に病んだ私たちの社会は、自らを開き、魂と精神に酸素を与える必要があります。このような視点から、危機を一つのチャンスとして捉えることで、前向きに対応することができるのではないでしょうか。

 ヨーロッパは情熱を必要としています。そして、私はそれを、マルセイユで、司教や、司祭、修道者、信者らの中に見ました。この行事に対するフランス全体の関心を、証ししてくださったマクロン大統領はじめ、すべての方々に感謝を申し上げたい。地中海地域が「文明と希望のモザイク」となるために、人々の歩みを聖母が見守ってくださいますように。

2023年9月27日

☩「神の愛は、人間の正義や公平の考えを超越している」教皇、年間第25主日の正午の祈りの説教で

Pope Francis waves at the faithful during his Angelus prayerPope Francis waves at the faithful during his Angelus prayer  (Vatican Media)

(2023.9.24 Vatican News By Francesca Merlo)

   教皇フランシスコは年間第25主日の24日、正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「ぶどう園の労働者」のたとえ話を取り上げ、「神の愛は、人間の正義や公平の概念を超え、すべての人に神の無限の慈しみを体験するよう促しています」と語られた。

 このたとえ話では、ぶどう園での作業に労働者を雇った主人が、朝早くから夕方まで一日中働いた者にも、一時間しか働かなかった者にも、全員、同じ賃金を支払っている。

 教皇は、この主人の賃金の払い方は「不公平に見えるかもしれません」とされたうえで、「しかし、このたとえ話を、『賃金』というレンズを通して見るべきではありません。私たちの業績を算術で判断するのではなく、私たちを神の子として愛してくださる方の判断基準を明らかにすることが、このたとえ話の狙いなのです」 と説かれた。

 そして、このたとえ話から浮かび上がる2つの神の行為-「神の絶え間ない私たちへの呼びかけ」と「神の公平な補償」を指摘された。

 まず、「神の絶え間ない呼びかけ」について教皇は、「神は私たちを呼びに、いつでも出てかけて下さる方。 このたとえ話では、ぶどう園の主人が労働者を雇うおうと、一日中、繰り返し出かけて行きます。これは、神の人類に対するたゆまぬ呼びかけを示しているのです… 神は私たちが手を出すのを待ったりはされません。私たちを探し出すにあたって、私たちの長所を吟味することはありません」。

 さらに、 「呼びかけへの反応が遅れても、神は諦めません。神はイエスを通して、ご自分から私たちのところに出向き、ご自身の愛を現してくださいます。神は一日中いつでも、私たちの人生のさまざまな段階、時期において、晩年になっても、私たちを捜し求め続けられる」とされ、神の無限の愛と人類に対する神の揺るぎない献身を強調され、「神にとって、遅すぎる、ということは決してありません。神は常に私たちを探し、待っていてくださるのです」と強調された。

 「神の公平な補償」について教皇は、このたとえ話の究極のメッセージ、つまり「人間の理解を超えた神の正義」を指摘された。

 「最後に雇われた労働者に、最初に雇われた労働者と同じ賃金が支払われます。それは、『神の正義』は(人間の考えている正義よりも次元が)はるかに高いからです」と説かれた教皇は、「人間の正義は、私たちそれぞれの業績に応じて、当然の報いを受けることを定めていますが、神の正義は、私たちの成果、達成度、あるいは失敗で、愛を判断しません… 神は、私たちが『神の子だ』という理由だけで、無条件かつ無償の愛をもって私たちを愛してくださっているのです」と強調された。

 ” 打算的な正義”の基準から解放されるこのような受け止め方を勧める一方で、教皇は信者たちに対して、「神の寛大な恵みよりも自分自身の能力に頼る傾向、そして、神との間に”取引”の関係を造ろうとする傾向」に陥らないよう警告された。 そして、「神が、私たちに対して抱いているのと同じように、すべての人を愛しておられることを忘れず、教会が自分を優れていると考えることなく、すべての人に手を差し伸べるように。人間関係において”計算ずくの正義”の物差しから自由になり、イエスの教えどおりに、他者に対する寛大さ、理解、そして赦しを実践するように」と促された。

 最後に、教皇は、 「聖母マリアが、私たちが神の尺度、つまり無限の愛の尺度に回心するのを助けてくださいますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年9月24日

☩「国を離れるか、留まるかの選択は、基本的人権に属する」-「世界移民・難民の日」に

(File Photo): Pope Francis greets a young migrant during his visit to Mytilene Refugee Camp in 2021(File Photo): Pope Francis greets a young migrant during his visit to Mytilene Refugee Camp in 2021  (Vatican Media)

(2023.9.24 Vatican News By Francesca Merlo)

    教皇フランシスコは24日、年間第25主日正午の祈りの説教に続けて、この日がカトリック教会の「世界移民・難民の日」に当たることを踏まえて、「自国を離れるか、留まるかの選択の自由を当事者たちが持つこと、そして、自国を離れ、どこに行っても、喜んで受け入れられること歓迎されること」の重要性を改めて強調された。

 「国を離れるか、留まるかは、自由に選ぶことができる」という今回の移民・難民の日のテーマは、「国を離れることが強制されたものではなく、自発的かつ尊厳ある選択であることの重要性を強調している。

 教皇は、「基本的人権である移住の権利の行使が、多くの人にとって悲惨な状況によって”義務”となっている。『移住しない』という権利もなければなりません」と述べ、住民たちが故郷に留まる権利、尊厳が保障され、自分の土地を持ち、充実した生活を送る権利もあることを強調された。

 さらに、 「世界(の平和と安定)は、苦難、紛争、そして気候変動による壊滅的な影響によって損なわれ、数え切れないほどの人々が家を捨て、他の場所に避難することを余儀なくされています」と訴えられた。

 そして、世界のすべての個人と国家に対し、「この厳しい現実を認識し、連帯と思いやりで一致するように。避難所と慰めを求めてやって来る人々に対し、受け入れ態勢を造るだけでなく、心から受け入れ、助け、導き、一緒になるような共同体社会を作るように、努めてください」と求められた。

 このような叫びは、前日23日に教皇が閉幕式に参加されたマルセイユでの「Rencontres Méditerranéennes」(地中海会議)と共鳴するもの、と指摘された。 教皇はこの場で、「この困難な時期に、共感と団結の精神を抱き、避難を求める人々を心を開いて歓迎しようではありませんか」と呼び掛けられている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年9月24日

☩「安楽死と中絶で、人の命を台無しにしてはならない」教皇、帰国途上の機中会見で

(2023.9.23 Crux  Senior Correspondent  Elise Ann Allen)

 マルセイユ訪問を終えた教皇フランシスコは23日夜、帰途の機上会見で、記者の質問に答える形で、中絶と安楽死の両方を批判され、人生の終

Pope Francis speaks with journalists aboard the papal plane

末期において「苦痛を排除しようとする”イデオロギー的植民地化”で高齢な人々の命が消し去られることがあってはなりません」と語られた。

*「(安楽死法案を準備する)マクロン大統領には『人の命はもてあそはないように』と申し上げた」

 

 教皇は帰国前のマルセイユでのミサ の説教で、世界で中絶と安楽死が慣行されつつあることを非難していたが、機中会見でも、マクロン大統領の要請に応じてフランス政府が安楽死を認める法律を準備していることについて質問を受け、「今回の訪問でのマクロン大統領との個人的な会話では、この問題は取り上げませんでしたが、大統領はこれまでバチカンに3回おいでになっており、そのうちの1回で安楽死の問題について意見を交換しています」とされたうえで、「その場で、人の命はもてあそぶものではない、という私の考えをはっきりと彼に伝えました」と述べられた。

 そして、「これは人の命を守るかどうかの問題。単なる私見ではありません。(放置すれば)痛みを伴わない政策、つまり”人道的な安楽死”を選択することになってしまう」と強調された。

* 「命を破壊する”イデオロギー的植民地化”に陥ってはならない」

 

 さらに教皇は20世紀初めに書かれた未来的科学小説「The Lord of the World」*を取り上げ、「この小説は、(世界が)最終的にどうなるのか、と描いているが、(その世界では)人々の持つ違いが取り去られ、痛みさえも奪われ… 安楽死がその一つとなる、としています」とされ、「そして、甘美な死、生を受ける前の選別。これは、この作家が、現在起きている論争を予測していたことを示しています。人の命を破壊し、人の命に反抗する”イデオロギー的植民地化に陥らないようにせねばなりません」と訴えられた。

 マクロン大統領は近く議会に終末期法案を提出するとみられている。詳細は明らかにされていないが、多くの観測筋は、生命を断つことを希望者を「積極的に援助」するのを合法化する条項が含まれるとみている。 現在の同国の法律では、苦痛の中で死期を迎えている患者に対して「深鎮静(注:意識を失わせるような鎮静剤の使用)」のみが認められているが、フランスの世論調査では、何らかの形の自殺幇助を支持する人が僅差で過半数を占めている。大統領が教皇がマルセイユ訪問を終えるまで、意図的に法案の提出を遅らせている、とメディアは報じている。

*「高齢者の命が粗末にされている…苦痛の中で死期を迎える人のケアは人間的行為」

 教皇は、会見で、孤独になったり見捨てられたりした多くの高齢者が直面する窮状を思い起こされ、「今日、高齢者の命は粗末にされています… 若者たちが日常生活の中で高齢者と話をせず、高齢者たちは粗末に扱われる… 老いて、役に立たない者とされてしまうのです」とされたうえで、人の命を台無しにしてはいけません…それが子宮内で胎児の成長を止めるのを認める法律であろうと、安楽死を認める法律であろうと、です」と言明。

 「苦痛の中で死期を迎えている人をケアするのは、人間らしい、人間らしい行為です。慈しみです。現代科学は、苦痛を伴う病のいくつかを薬によって和らげることを可能にしましたが、人の命を台無しにする行為はいけません」と強調された。

 

*「ウクライナ和平への働きかけは、多少フラストレーションも感じるが、全力を尽くしている」

 ウクライナ和平実現のため、教皇は、イタリア司教協議会会長のマッテオ・ズッピ枢機卿を特任大使として、ウクライナ、ロシア、米国、中国を訪問させるなど、関係国への働きかけを続けているが、「ズッピ大使も、バチカンの国務省も全力を尽くしていますが、遅々とした歩みに、多少のフラストレーションを感じています」と率直に答えられた。

 また、ズッピ大使の活動の現況や今後の計画など詳細には触れなかったものの、ロシアに拉致されたウクライナの子供たちの帰還に関する取り組みは「順調に進んでいる」と語られた。

 ロシアのウクライナ軍事侵攻と関連して、教皇は、活発化する国際的な武器取引を改めて非難され、 「今続いている戦争は、ロシアとウクライナの問題だけでなく、武器の売買や貿易取引の問題も思い起こさせます。今、最も多額の利益をもたらす投資は武器の生産、”死”の生産です」と述べたうえで、 「私たちはウクライナの人々の殉教をもてあそぶべきではありません… できる限りの方法で、現在の事態を解決する必要がある。戦争指導者二人が明日一緒に食事をする、というような幻想を抱くべきではありません。 私たちは可能な方法を模索することに謙虚であるべきです」と訴えられた。

*ウクライナへの武器供与を約束しながら、考え直す国に関して”失言”?

 一方で、教皇は、ウクライナに武器供与を約束しながら、様々な思惑からそれを考え直そうとしている国々を取り上げ、 「今、一部の国が(ウクライナ支援を)後退させ、(約束していた)武器を供与していない動きが出ている。ウクライナの人々が殉教者になるプロセスが始まっています。 これはひどいことです」と発言された。(この発言について、 バチカン報道局は、釈明の声明を出し、「教皇がおっしゃりたかったのは、『武器商人は、ウクライナ人のように”殉教した”人々に課せられる選択の代償を、決して支払うことがない』ということ」と”訂正”している。)

 また記者団からは、マルセイユ訪問中に、教皇が移民・難民を支持する率直な意見を述べたことに関して、2013年7月のイタリアのランペドゥーサ島訪問以来、10年間同じことを繰り返されてこられたが、その間に、移民・難民が目指す先が北アフリカから、欧州に入ることを希望するようになってきた。これは誤りと感じているか、との質問があった。

*「移民・難民問題は、意識されるようになっている、”恐怖の支配”から彼らを守る必要」

 この質問に対して教皇は、 「そうではないと思います。 事態の進展はゆっくりですが、 今日では、移民・難民の問題が(注:以前よりも人々の間で)意識されています。  また、それはジャガイモが煮えるところまできたが、どうしていいか分からない、という認識もあります」と答えるとともに、移民・難民が「送られたり、送り返されたり、ピンポン玉のように扱われている」状況を非難された。

 そして、「多くの場合、最終的には”ラガービール”のようにされてしまい、以前よりも悪い状態になる。”恐怖の支配”です。 彼らは、自分の国を出なければならないことで苦しむだけでなく、”恐怖の支配”によって苦しめられている。彼らは”奴隷”です。 ピンポン玉のように送り返すことはできません」と指摘。移民・難民は「歓迎され、寄り添い、引き上げ、一緒にされねばならない… 同時に、彼らを残忍な人々の手に渡さないようにしなければなりません」と改めて訴えらえた。

 さらに教皇は、10月4日から始まる世界代表司教会議(シノドス)通常総会に、「Mediterranean (group) Saving Humans」の代表を招待したことを明らかにされ、彼らにはそこで語るべき”恐怖に満ちた物語”がある、とされた。また、質問にあった、 ランペドゥーサ島訪問について「訪問を決めた段階で、私はその島がどこにあるのかさえ知りませんでしたが、その島にまつわる物語を聴き、祈りの中で、『どうしても行かなねばならない』という強い気持ちがおきました。私が心の中で聞いた祈りは、あたかも主が私をそこに導いてくださったかのように、そこに行かなければならなかったのです」と語られた。

2023年9月24日

【教皇、マルセイユ訪問】「教会、そして欧州には、”信仰の飛躍”が求められている」市内のスタジアムでのミサで

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

Pope Francis encouraged us to see the movement of faith in the Visitation of Mary to Elizabeth, noting that God “inconveniences us, sets us in motion, and makes us leap.”

“We want to be Christians who encounter God in prayer, and our brothers and sisters in love”, he said, “Christians who leap, pulsate, and receive the fire of the Holy Spirit and then allow ourselves to be set afire by the questions of our day, by the challenges of the Mediterranean, by the cry of the poor – and by the ‘holy utopias’ of fraternity and peace that wait to be realized.”

The Pope concluded his homily with a prayer to Mary, Notre Dame de la Garde, asking her to watch over our lives, guard France and all of Europe, and “cause us to leap in the Spirit.”

2023年9月24日

【教皇マルセイユ訪問】「地中海を『世界平和の基盤』とすることに貢献して」地中海沿岸国大会の閉幕式で

 マルセイユ訪問中の教皇フランシスコは23日午前、パレ・ドゥ・ファロで一週間にわたって開かれた地中海沿岸各国の代表や聖職者、信徒たちによる「ランコントル・メディテラネンヌ」の閉幕式に参加され、出席者たちに「地中海を世界の『平和の基盤』にすることに貢献」するよう求めるられた。

 そして、「移民・難民問題は、賢明な先見性が必要な現代の現実… 地中海は『世界の鏡』、その中には、紛争を予防し、克服する唯一の方法である『友愛』を実践する世界的な使命が宿っています」と強調された。

  教皇はまた、「地中海の多くの文明を反映し、多民族、多文化の偉大な伝統によって、希望のモザイクとなっているマルセイユ」のもつ独特の国際的な性格、「人々の波」を思い起され、マルセイユは「 南フランスの都市を特徴づける 3 つの側面、海、港、灯台を反映しています」と語られた。

(以下、翻訳中)

Mediterranean is ‘beginning and foundation of peace’

He noted that the intertwining of conflicts between different civilizations, religions and visions in the region we hear so much about today must not make us forget that what the Romans used to call mare nostrum (our sea) has been for millennia “a place of encounter: among the Abrahamic religions; among Greek, Latin and Arabic thought; among science, philosophy and law; and among many other realities.”

Indeed, the Pope said, echoing the words of the now Venerable late mayor of Florence, Giorgio La Pira, who inspired the Mediterranean Meetings initiative, the Mediterranean is “the beginning and foundation of peace among all the nations of the world”, a concentration of people, beliefs and traditions, similar to the Sea of Galilee where Jesus proclaimed the Beatitudes.

This “crossroads of North and South, East and West,” Pope Francis said, “urges us to oppose the divisiveness of conflicts with the coexistence of differences” and at the same time “brings together the challenges of the whole world” today, including climate change.

“Amidst today’s sea of conflicts,” he said, “we are here to enhance the contribution of the Mediterranean, so that it can return to being a laboratory of peace. For this is its vocation, to be a place where different countries and realities can encounter each other on the basis of the humanity we all share, and not on the basis of contrasting ideologies.”

Listening to the cry of the poor

For the Mediterranean “to return to being a laboratory of peace” in the world, amidst “today’s sea of conflicts” and resurgent “belligerent nationalisms”, it must listen to the cry of the poor, as Jesus did on banks of the Sea of Galilee.

“We need to start again from there, from the often silent cry of the least among us” who are not numbers but faces, the Pope said.

“The change of direction in our communities lies in treating {the poor} as brothers and sisters whose stories we know, not as troublesome problems; it lies in welcoming them, not hiding them; in integrating them, not evicting them; in giving them dignity. ”

Mare nostrum has become a graveyard for migrants

Noting that “the sea of human coexistence is polluted by instability” even in European cities like Marseille, facing communal tensions and rising crime, Pope Francis once again insisted on the urgent need for more solidarity even to prevent lawlessness.

“Indeed,” he said, “the real social evil is not so much the increase of problems, but the decrease of care” for the most vulnerable: young people who are easy preys of crime, frightened families, elderly people, unborn children, people enduring violence  and  injustice in Africa and the Middle East, including Christians fleeing persecution, and, migrants losing their lives as they attempt crossing  the mare nostrum, which has become a “mare mortuum (a dead sea, ed.), the graveyard of dignity.”

Migration: not an emergency, but a reality of our times

Reflecting on the second feature of Marseille, a big port city open to the sea with a story of immigration and emigration, Pope Francis decried the fact that several other Mediterranean cities have closed their ports to quench fears of a supposed “invasion” of migrants.

“Yet,” noted the Pope, “those who risk their lives at sea do not invade, they look for welcome.”

As for the “emergency” many speak about, he remarked that “the phenomenon of migration is not so much a short-term urgency, always good for fuelling alarmist propaganda, but a reality of our times, a process that involves three continents around the Mediterranean and that must be governed with wise foresight.”

Here too, he noted, the “Mediterranean mirrors the world”, with the poorer countries of the South “plagued by instability, regimes, wars and desertification” turning to the wealthier North.

Again, the problem of ever-growing disparities between the haves and have-nots is not new, as the Church has been saying for decades, the Pope said recalling Pope St. Paul VI’s Encyclical “Populorum Progressio”.

Welcoming, protecting, promoting, integrating

Pope Francis acknowledged “the difficulties involved in welcoming, protecting, promoting and integrating unexpected persons.”

However, he added, “the principal criterion cannot be the preservation of one’s own well-being, but rather the safeguarding of human dignity.”

He reiterated that in the face of the scourge of the exploitation of human beings, “the solution is not to reject but to ensure, according to the possibilities of each, an ample number of legal and regular entrances” of migrants, in cooperation with their countries of origin.

He further undercores the crucial importance of integration in the hosting countries, which he warned, does not mean assimilation.

“An assimilation that does not take into account differences and remains rigidly fixed in its own paradigms only makes ideas prevail over reality and jeopardizes the future, increasing distances and provoking ghettoization, which in turn sparks hostility and forms of intolerance,” he said.

Witnessing the Gospel of charity and fraternity

Recalling that the port of Marseille is also a “door of faith”, Pope Francis went on to remark the duty of Christians to witness the Lord’s preference for the poor and the Gospel of charity and fraternity.

“We are called to bear witness, not to embroider the Gospel with words, but to give it flesh”, he said, citing the example of Saint Charles de Foucauld, the “universal brother”, of the seven martyrs Tibhirine in Algeria, but also of all those agents of charity in our own day.

“Adore God and serve your neighbour, that is what counts.”

Referring to the last image of the lighthouse, Pope Francis underscored the need for the Mediterranean Churches of finding “cooperative ways forward” to address the challenges of the region.

In this regard, he suggested considering also the expediency of a Mediterranean Bishops’ Conference “that could offer greater possibilities for regional dialogue and representation”, and “to work towards a specific pastoral plan” on the issue of migration so that those dioceses that are most exposed can provide the best spiritual and human assistance to migrants in need.

Young people: a light that indicates the way of the future

He then pointed to the role of young people as “a light that indicates the way of the future” in the Mediterranean, underlining again the crucial importance of education to help surmount barriers and overcome preconceptions.

He drew attention in particular on universities “as laboratories of dreams” and of this furure, where young people mature “by encountering one another, coming to know one another, and discovering cultures and contexts both near and diverse.”

“In this way, prejudices are dismantled, wounds are healed and fundamentalist rhetoric is rejected”, he said, adding that the Church can certainly contribute to this by offering her educational networks and encouraging a “creativity of fraternity”.

A new Mediterranean theology to prevent misuse of religion

Finally, Pope Francis called for a “Mediterranean theology”, capable of developing ways of thinking “rooted in reality”, in “real life”.

He said a “laboratory dosn’t work”, and urged everyone “to unite generations by linking memory and future, and promoting with originality the ecumenical journey of Christians and dialogue between believers of different religions”, so as to prevent all violent and instrumental misuse of religion.

Saluting President Macron, Pope Francis concluded his speech with an appeal for a better Mediterranean region.

“Be a sea of good, in order to confront the poverty of today in solidarity and cooperation,” he said. “Be a welcoming port, in order to embrace all those who seek a better future; be a lighthouse of peace, in order to pierce, through the culture of encounter, the dark abysses of violence and war.”

2023年9月23日

◎教皇連続講話「使徒的熱意について」㉑聖ダニエル・コンボー二はアフリカへの熱意に満ちていた

(2023.9.20 Vatican News  By Deborah Castellano Lubov) 

   教皇フランシスコは20日、水曜恒例の一般謁見で、「使徒的熱意について」の連続講話をお続けになり、今回は聖ダニエル・コンボニを取り上げ、福音の喜びに力を得た聖人のアフリカへの強い熱意と愛を称賛された。

 アフリカでの宣教に身を捧げたイタリア人司教の聖コンボーニは、1996年に聖ペトロ大聖堂で列福され、2003年に列聖された。 ウェブサイトによると、 Comboni Missionaries of the Heart of Jesusを含めた”コンボニ・ファミリー”は現在、3000人の宣教師を数えている。St. Daniel Comboni

 教皇は講話で、アフリカに大きな遺産を残した聖コンボーニの宣教の熱意を讃え、「彼は行方不明になった人を探しに行き、群れのために命を捧げる善き羊飼いの愛を証ししました… その熱意は無関心や排除に対抗する精力的かつ預言的なものでした」とされ、聖人が手紙で「アフリカを長い間忘れていた愛する教会に、真剣に呼びかけた」ことを強調した。

 また聖人は、アフリカ大陸の人々に関する著書で、「アフリカの人たちは、彼らのためだけに生きる私の心を手に入れました。私はアフリカを唇に当てて死ぬつもりです」と語っているが、教皇は「これは神を愛し、宣教に従事する兄弟姉妹たちを愛する人の言葉です」と述べられた。

 関連して教皇は、聖コンボーニが奴隷制度の「恐怖」を目の当たりにし、それを「悪」と認識していたことを回想され、「奴隷制度は、人間を客体化し、「その人の価値を他者の誰かの役に立つことに還元されてしまう」と非難したうえで、「いわゆる奴隷制度は、心の奴隷制、罪の奴隷制に根差しており、主が私たちをそこから解放してくださることを、聖人は理解していました」と指摘。そして、「残念ながら、奴隷制度は過去のものではありません。聖コンボニに倣って、私たちも、あらゆる形態の奴隷制度と戦うように求められているのです」と強調された。

 続けて教皇は、聖人が愛したアフリカの各地で紛争が続いていること、その背景に、あらゆる形の「政治的搾取」と「経済的植民地主義」があることを非難され、「この悲劇に対して、世界の国々、人々が目、耳、口を閉ざしている」と嘆かれ、「アフリカを窒息させるのはやめてください。アフリカは搾取されるべき鉱山でも、略奪されるべき大地でもありません」と訴えられた。そして、聖コンボーニはじめアフリカ宣教師たちが直面した困難と、彼らの偉大な信仰と忍耐を思い起こされ、 「他の人々はアフリカを見捨てたが、聖コンボニはそうしなかった」と語られた。

 また教皇は、聖コンボーニが識別を経て、主が福音宣教の新たな道に沿って鼓舞してくださっている、と感じたことを思い起こされ、そのことを「アフリカと共にアフリカを救おう」という言葉に要約された。そして「これは力強い識別。彼が宣教活動を新たにするのに役立ちました。人々は福音宣教の『対象』であるだけでなく、宣教の『主体』でもあったのです… 聖人はすべてのキリスト教徒が福音宣教活動に参加することを望み、彼の取り組みに現地の聖職者を巻き込み、一般信徒のカテキスタとしての奉仕を促進しました。カテキスタは教会の宝です」と語られた。

 聖人が芸術と専門職を育て、文化と社会の変革における家族と女性の役割を促進したことにも、教皇は注目され、 「外部のモデルを移植したり、不毛な福祉主義に限定したりするのではなく、『使命』という文脈の中で信仰と人類の発展を前進させることが、今日においても極めて重要」と指摘。

 さらに、「聖コンボーニの偉大な宣教への情熱は、主として、人間の努力の成果ではなく、キリストによって動かされた力でした」とされ、「彼の熱意は、福音の喜びから来ており、キリストの愛から引き出され、それがキリストの愛につながったのです と強調。慈善活動に触発され、他者の苦しみを自分のものとした聖コンボーニの宣教能力を称賛された。

 最後に教皇は、一般謁見参加者たちに、「今日、不当な扱いを受けて十字架につけられている人々のこと」を考えるよう求め、彼らのために祈るよう勧められ、さらに、貧しい人々のことを忘れないよう求められた。「貧しい人たちのことを忘れないでください。彼らは私たちのために天国の扉を開いてくれるのですから」と語られた。

(翻訳・編集「かとりっく・あい」南條俊二)

 

2023年9月20日

☩「神は、私たちを限りなく赦してくださる」年間第24主日の正午の祈り

(2023.9.17 Vatican News  By Deborah Castellano Lubov)

    教皇フランシスコは年間第24主日、17日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書(18章21-35節)の「7の70倍までも赦しなさい」と弟子たちに促された言葉に注目、「イエスは、限りない慈しみをもって私たちを赦されたように、常に他者を赦すよう、私たちを諭されておられます」とされ、「その計り知れない愛に満ちた慈悲に倣うことで、私たちの心に平和が取り戻されるのです」と語られた

 マタイ福音書のこの箇所で、ペテロはイエスにこう尋ねる。「主よ、兄弟が私に対して罪を犯したら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか?」。

 「聖書の中で『7』は完全性を示す数字です。ですから、ペテロがイエスに尋ねた『7回』そのものが、とても寛大な赦しだった」とされた教皇は、 「それでも、イエスはさらに進んでこう答えられました-『あなたに言っておく。7回どころか7の70倍までも赦しなさい』と。イエスはペトロに、赦す回数を計算する必要はない、いつでもすべてを赦すように、と言われました」と指摘。神が私たちに対して、このようにしてくださったのですから、私たちも同じように、他者をいつも赦すように求められているのです」と説かれた。

 さらに教皇は「イエスのメッセージは明らかです。神は計り知れないほど、あらゆる尺度を超えて赦してくださる、ということです。 神は無償の愛をもって行動されます。私たちは神に報いることはできませんが、兄弟姉妹を赦すとき、私たちは神に倣うことになります。したがって、赦しは善行ではなく、人ができるかできないかではありません。赦すことは、これがキリスト教徒の『基本的な条件』です」と説かれた。「神は私たちのために命を与えてくださったのですが、私たちがその憐れみに報いることは決して、できません…」と繰り返された。

     そのうえで、「しかし、神の心からの無償の行為に応えることによって、つまり、互いに赦し合うことによって、私たちは神を証しし、自分たちの周りに新しい命の種を蒔くことができる」と指摘。「赦しの外には希望がなく、赦しの外には平和がない。赦しは、憎しみによって汚染された空気を浄化する”酸素”であり、恨みの毒を消す”解毒剤”であり、怒りを鎮め、社会を汚染する非常に多くの心の病いを治す治療法方法なのです」と強調された。

 そして教皇は、正午の祈りに参加した信徒たちに、次のように自問するよう促された。

 「私は神から計り知れない赦しの賜物を受け取った、と信じているだろうか? 私がつまずいたとき、たとえ他者が赦してくれなかったとしても、自分で自分を赦せなかったとしても、神にはいつでも私を赦して下さる用意があるということを知って、喜びを感じるだろうか?」

 続けて教皇は、「自分を傷つけた人たちを赦すかどうか、についても自分に問う必要があります」と言われ、これを念頭に置いて、「皆さんに、ちょっとした練習問題を出そうと思います」とされ、「今、私たちを傷つけた人のことを思い起こし、彼らを赦す力を主に求めましょう。 そして主への愛をもって、彼らを赦しましょう。それは私たちにとって良いことであり、私たちの心に平和が取り戻されるでしょう」と説かれた。

 そして、最後に、「私たちが神の恵みを受け入れ、互いに赦し合うことができるように、慈しみの母マリアが助けてくだいますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年9月17日

◎教皇連続講話「使徒的熱意について」⑳悲惨な人々の中にイエスを見た福者ホセ・グレゴリオ・エルナンデスに倣う

(2023.9.13 Vatican News By Deborah Castellano Lubov)

    教皇フランシスコは13日、水曜恒例の一般謁見で、「使徒的熱意について」の連続講話を再開され、今回は、ベネズエラに忘れることのできない遺産を残した「貧しい人々の医者」、福者ホセ・グレゴリオ・エルナンデスの高潔さを取り上げられた。

 教皇は講話で、まず、「福者ホセ・グレゴリオ・エルナンデスは、その聖なる模範によって、私たちにインスピレーションを与えてくれます」と強調された。

福者ホセ・グレゴリオ・エルナンデスは1864年にベネズエラのトルヒージョ州イスノトゥに生まれ、カラカスのベネズエラ中央大学の医学部を卒業後、欧米に留学、帰国後は大学で教鞭を取り、細菌学の専門家となった。医師という職業に使命を感じて、最も貧しい人々を助けたが、1899年、フランシスコ会第三会に入会。9年後、修道者となるためにイタリア・ルッカのカルトジオ会に入った。だが、病を得て祖国に帰り、数年後、再度、イタリアに戻り、ローマの教皇庁立ピオ・ラテンアメリカ神学院で神学を学んだももの、病気が再発し、帰国を余儀なくされた。このような経験を通し、彼は「信徒の立場に留まりながら神と人々に仕える」という召命を自覚することとなり、スペイン風邪が大流行した際には、患者たちに献身的に寄り添い、治療に尽力したが、1919年6月、カラカス市内で病気の老婦人のために薬を買いに行く途中、車にはねられて亡くなった。 聖ヨハネ・パウロ2世教皇は1986年に彼を尊者とされていた。

 2021年にエルナンデス医師を列福された教皇は、他人を助けるために、無私無欲で自分のすべてを捧げた彼を振り返られ、母親から信仰を学んだことをまず取り上げ、「母はゆりかごから私に美徳を教え、神についての知識を育て、慈善を与えてくれました 」という彼の言葉を引用。「母親たちが、いかに頻繁にキリストの信仰と愛を、その言葉で子供たちに伝えているか」を強調された。

 教皇は、慈善活動が、福者ホセ・グレゴリオの人生を方向付けた「北極星」であると指摘しつつ、彼を「陽気な気質を備えた、善良で明るい人物であり、際立った知性の才能に恵まれ、医師、大学教授、そして医師になりました。そして何よりも、最も弱い人の側に立った医師であり、ベネズエラでは『貧しい人々の医師』として知られていました」と説明。

 さらに、「彼は、金銭的な富には興味がなく、福音の豊かさに惹かれていた。貧しい人、病人、移民、苦しみの中に、ホセ・グレゴリオはイエスを見ていました」と述べ、「自分がこの世で求めない成功を、自分のことを「民衆の聖人」、「慈善の使徒」、「希望の宣教師」と呼ぶひとたちから受け取り、受け取り続けているのです」と強調された。

 またホセ・グレゴリオは「謙虚で親切な人物で、内なる炎、神と隣人に奉仕して生きたい、という願望に動かされていました… その熱意から、彼は修道者、司祭になろうと何度か試みましたが、さまざまな健康上の問題がそれを妨げました。しかし、彼の身体的弱さは、自分自身よりも他人が必要としていることに、さらに敏感にさせました。彼は、自分に与えられた使命に固執したが、『 使徒的熱意』とはまさにこのこと。自分自身の願望に従うのではなく、神の計画に応え続けることです」と説かれた。「彼は、人々の痛みに奉仕する”聖職の医療”を生きました」。

 「では、彼は、これほどの熱意をどこから受け取ったのでしょうか」と自問された教皇は、それは「神の恵み」の確信と「神との親密さ」から来る強さの両方からだった、と指摘。また、「彼は祈りの人だった。そして、平和のために命を捧げるように召されている、と感じていました。 キリストへの信仰と愛から、『平和の使徒』となることを望んだのです」と答えられた。

 彼の奉仕人生は50代前半で終わりを迎えた。ミサに出た後、病人に薬を届けるために通りを渡っている時に車にはねられ、病院に運ばれ、聖母の名前を唱えながら亡くなった。

 教皇は、「彼の地上の旅はこうして終わりました… 慈しみの業を行いながら路上で事故に遭い、自らの仕事を”善の傑作”とした病院でなくなったのです」とされたうえで、信徒たちに「 自分自身に問いかけてみましょう。目の前の貧しいイエスがおられたら、自分がどう対応するでしょうか?」と促され、「福者ホセ・グレゴリオは、現在の深刻な社会的、経済的、政治的問題に向き合うよう、私たちを励ましているのです」と強調された。

 そして、助けを求める人々に寄り添い、平和の推進に努めることによって「自らの手を汚す」という、キリスト教徒に求められていることの模範として、ホセ・グレゴリオを讃えられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年9月13日

☩「兄弟姉妹愛をもっての”咎め”は、大いなる愛の表現」 年間第23主日正午の祈り

Pope Francis waves to pilgrims in St. Peter's SquarePope Francis waves to pilgrims in St. Peter’s Square  (Vatican Media)

アンジェラス教皇:兄弟矯正は偉大な愛の表現

(2023.9.10 Vatican News By Devin Watkins)

 教皇フランシスコは年間第23主日の10日、正午の祈りの前の説教で、この日読まれた福音書(マタイ18章15-20節)の箇所を取り上げられ、イエスが、「ある人が自分に対して罪を犯したとき、二人だけの所で、兄弟として咎(とが)めなさい」と弟子たちに勧められた箇所に注目された。

 この箇所で、自分に罪を犯した、と感じた相手にどう対応すべきかについてのイエスの教えが詳しくの語られている。

 教皇は、兄弟姉妹愛をもった咎めは、「最高の愛の表現の一つであると同時に、最も厳しいものの一つでもあります… 信仰を持つ兄弟姉妹があなたに不当な扱いをしたとき、あなたは恨みを抱かずにその人を正すことで、助けるべきです」と語られた。

 だが、そのような場合に私たちが最も頻繁にとる最初の対応は、その人に面と向かって一対一で非を咎めるのではなく、その人が自分に不当な扱いをしたという”ゴシップ”を広めることだ。「 そのような対応を、神はお喜びになりません」とされた教皇は、「ゴシップは、人々と地域社会にとっての”疫病”」であることをいつも思い起している、と指摘。

 クレルヴォーの聖バルナール(12世紀フランス出身の神学者。聖人であり、教会博士で、すぐれた説教家でもあった)の言葉を引用して、ゴシップは「分裂、苦しみ、スキャンダルをもたらし、改善や成長には決して役立たない… むしろ私たちを破滅と破滅へと突き落とす、と言われています」と述べられた。

 そして、「私たちが誰かに傷つけられたとき、イエスはより良い道を提供してくださいます。それは、あなたの誰かがあなたに対して罪を犯したなら、彼の所に行って、そのことについて二人の間で話す、ということです。相手が自分に落ち度があったことを理解できるように、面と向かって話し合うこと。彼ら自身のために行い、自分が受けた恥を克服し、真の勇気を出してください。相手を中傷するのではなく、丁寧に、優しく、相対して伝えることです」と促された。

 また、この福音書の箇所でイエスが進めておられるように、一対一で率直に話をしても、相手が態度を改めない場合、他の人に助けを求めることになるが、 「その場合、気をつけてください。ゴシップを振り撒くグループにならないように!」 と注意され、助けを求めるのは、「誤った道を歩んだ兄弟姉妹に心から手を差し伸べたい、と考える人を選ぶべきです」と説かれた。

  そして、このような手順を踏んでも、相手の心に変化が無い場合、「私たちは、その人を嘲笑したり、公衆の面前で恥をかかせるのではなく、その人が変わるのを助けるための努力を一致して行うために、イエスが言われるように、教会共同体に申し出ることになるかも知れません」とされたうえで、その場合も、「相手を一方的に非難するのはよくないことです。そうすることで、相手が自分の誤りを認めるのを難しくすることがよくあります。共同体は、その人の過ちを批判しつつ、祈りと愛によって過ちを認識し、赦しを受けてやり直せる、と彼らに感じさせるようにせねばなりません」と忠告された。

 説教の最後に教皇は、自分を不当に扱う人々に対して、どのように対応すべきか、について次のように自問するように勧められた-「何も対応せずに、恨みを自分の中にため込むのか?」「 当人のいない所で、そのことを他の人に話すのか?」、 それとも、「自分を不当に扱った相手に話をしてみるのか?」「 その相手が善に立ち戻るように、祈るか?」。

 そして聖母マリアに、「私たち一人一人が、他者との関係において善の道を模索できるように」助けを願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年9月10日