♰教皇フランシスコの四旬節第一主日の正午の祈り「信仰、祈り、 償いをもって私たちは悪に勝つ」

Pope Francis at the Sunday AngelusPope Francis at the Sunday Angelus  (Vatican Media)

 そして、キリストの福音宣教の旅全体が、病いを癒し、悪霊を追い出し、罪の赦しを与えるなど、「邪悪な者との闘いで特徴づけられている」とされ、「神の子が拒絶され、捕らえられ、死刑を宣告された時、悪魔が優位に立ったように見えるかもしれないが、実際には、イエスの死は、最後にサタンを打ち破り、その力から私たちを解放する十字架への最後の”荒れ野”なのです」とされた。

 また教皇は、このマルコ福音書の「荒れ野での試み」について読む時、「キリスト教徒は、主の歩みに倣うことで、自分たちの人生においても悪霊と闘い、その試みを受けるであろう、ということに、気づかされます」とされ、「私たちは、自分たちが永遠の有罪判決を受けること、失敗することを望んでいる、油断ならない敵の存在を十分に認識し、その敵から身を守り、闘う用意をしておく必要があります」と説かれた。

 さらに、「イエスは決して、悪魔と言葉を交わすことをされず、常に遠ざけ、あるいは、神の言葉で応じられました。私たちもまた、悪魔と言葉を交わしたり、試みに引かれるようなことがあってはなりません」と強調。同時に、「信仰、祈り、そして償いをもって、私たちが敵を打ち負かすことができる、ということを、神の恩寵が私たちに保証してくださいます」と述べられた。

 最後に教皇は、「私たちは神の歩みに倣い、『サタンとそのすべての業、空約束を退けます』という洗礼の時の誓いを新たにするように、呼ばれています」とされ、聖母マリアの取り次ぎを願うように、信徒たちに勧められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2021年2月21日

♰「若者たち、兄弟愛、友愛の美しさを語る”詩人”となれ」米の教区オンライン会合へ

ロサンゼルス大司教区主催のオンラインミーティングロサンゼルス大司教区主催のオンラインミーティング 

(2021.1.19 バチカン放送)

 教皇フランシスコが19日、米ロサンゼルス大司教区が主催したオンラインによる宗教教育ミーティングに、ビデオを通しメッセージをおくられた。

ロサンゼルス大司教区は今年、設立65周年と、同教区の「若者の日」創設50周年を迎えており、オンラインミーティングは、「神の約束を告げ知らせよう」をテーマに18日から21日までかれている。

教皇はビデオメッセージで、「すべての人、あらゆる世代の人が、人間関係・知性・文化・霊性において新しいエネルギーを解き放つことのできる、約束、才能を内面に秘めています」と語られた。

そして、新型コロナウイルスの世界的大感染は人々の生活や社会の歴史に大きな影響を与えているが、こうした現実を前に、「明日を築き、未来を見つめるためには、皆の努力と献身が必要です」と呼びかけられた。

また教皇は、目の前の現実に心を動かされ、他者の苦しみのために働きかけた「善きサマリア人」のように行動する必要を説かれ、コロナ禍で「私たちが目にした、人々の寄り添い、癒し、犠牲など、多くの寛大な無償の愛の証し」を思い起こされ、「危機の時こそ、落ち着きや慈しみ、偉大さと卑小さといった、それぞれの人が持つ心が表れるもの… 危機は、私たちに『いかに歩むべきか』の判断を迫ります」と指摘。

現在の危機の中で、「すべての人の尊厳を尊重しながら、皆が、兄弟愛を再び求めることができるように」と願われ、「未来のために皆が支え合い助け合う社会の必要」を強調された。

教皇は、特に若い人々に向けて、希望を持つよう励まし、「その希望とは、環境や生きている歴史に左右されない、人間の奥深くに根差すものです・・・皆さんは、人類の美しさ、兄弟愛と友愛という美しさを語る詩人となってください」と期待を示された。

そして最後に、参加者たちに、「夢は皆で築くものです。ただ一つの人類、同じ人間の肉を持った旅人、皆が住む同じ地球の子として、それぞれの信仰や信条、意見をもちつつ、皆が兄弟となる夢を見ましょう」と呼びかけられた。

2021年2月20日

♰「四旬節は、私たちが神に立ち帰る旅路」ー教皇「灰の水曜日」ミサで

(2021.2.17 Vatican News  Devin Watkins)

  教皇フランシスコは17日、聖ペトロ大聖堂で「灰の水曜日」のミサを捧げられ、世界中の信徒たちに、「今日から始まる四旬節を、父と子と聖霊に向かっての“復路”の旅とするように」と促された。

 ミサ中の説教で、教皇は、四旬節を神に立ち帰る旅として、そして私たちの兄弟姉妹への愛を深める機会として考察され、「神は、私たちの心と私たちの全存在に呼びかけ、ご自分の所に来るように招いておられます」とされたうえで、「今は、私たちが歩んでいる道を考え直す時。私たちが家に戻る道を見つけ、すべてのものが頼りとする神と私たちの深い関係を再発見するように、です」と語られた。

*奴隷の状態から、自由の身へ

 そして、信徒たちに、この四旬節に、自分の人生がどこに向かっているのか、どれほどしっかりと、神への道を歩んでいるのか、と考え直すように、強く訴えられた。 「四旬節の旅は、奴隷の状態から自由の身への脱出の旅… 旅を続けるうちに、以前の習慣や幻覚に戻ろうとする誘惑を感じるでしょう。しかし、どれほどつまずこうとも、神の御言葉に心を向けることで、私たちが歩む道を、また見つけることができるのです」と説かれた。

*父、子、聖霊へ

 教皇は、四旬節の最初のステップは、告白の秘跡で神の赦しを受けることによって、父に戻ること、が含まれる、と指摘。「私たちをいつも立ち直らせるのは、父の赦しです」とされた。

 さらに、「私たちはイエスに戻る必要があります。彼に感謝するために戻ったハンセン病の患者のように、私たちにも、イエスの癒しが必要です。それには彼に傷を示してこう言う必要がありますー『イエス、私はあなたの前にいます。あなたは医者です。罪、悲しみから、私を解放することがおできになります。私の心を癒してください』と」と勧められた。

 続いて教皇は「私たちは、聖霊に戻るように招かれています」とされ、「今日のミサで、私たちの頭に灰がまかれたことは、私たちが”ちり”であることを思い出させます。しかし、私たちの”ちり”の上に、神は命の霊を吹きかけられたのです」と言われた。

*心からの和解

また教皇は、私たちの神に戻る旅は、神が先に「私たちに旅をされた」からこそ、可能であり、イエスが私たちの罪と、死を受け入れられたゆえに、「私たちの旅は、その御手で私たちをつかんでいただくことイエスに私たちを手で連れて行かせること」と語られ、「神の招きに対する私たちの応えには、行為と実践を伴った、心からの和解が含まれます」と述べられた。

*愛をもって降りていく

 教皇は説教の最後に、四旬節が、神と私たちの兄弟姉妹に向かって旅するのに適切な時期だということを改めて強調され、次のように締めくくられた。

 「四旬節は私たちの内面と他の人々に向け、謙虚な心をもって降りていくこと。それは、救いが栄光に向けて登るのではなく、愛をもって降りていくのだということを、はっきり理解することです… どれほど頻繁につまずいたとしても、私たちは、いつもキリストの十字架に顔を向け、キリストの傷の中に、自分の欠点と空虚さを思い知ることができます。私たちは、その傷に接吻することで、生涯で最も痛みを伴う傷の中に、無限の憐れみをもって、神が私たちを待っていてくださることに気付くでしょう」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

(バチカン放送日本語課のまとめ)

 教皇はミサの説教で、「今からでも、心を尽くし、断食と泣き叫びと嘆きをもって、私に立ち帰れ」(ヨエル書2章12節)という、神の御心からの招きを考察された。

 まず教皇は、「四旬節は、神のもとに立ち帰る旅路」とされ、多忙を言い訳に、神と向き合うことを先延ばしにし続ける私たちに、今、神自らが、ご自分のもとに帰れ、と呼びかけておられる、と話された。

 神が「『心から』立ち帰れ」と言われるように、その回心は「心から」のものでなくてはならず、それゆえ「四旬節は、私たちの全生活、全身全霊をもって歩む旅」と語られた。

 「四旬節は、小さな信心業を積み重ねるのではなく、自分の心の向かう先を識別する時です」と教皇は話し、「自分の人生は神に向かっているのか、『私』に向かっているのか。主のみ旨にかなうことを喜びとするのか、人々の間で目立ち、称賛され、人気を得るために生きるのかーを、私たちは自らにとうべきです」と述べられた。

 さらに「四旬節は、隷属からの解放の旅」とされ、神の民が、エジプトを出て約束の地に向かう砂漠での旅で、エジプトを懐かしんだように、「私たちも悪い習慣の誘惑や偽りの安泰に囚われるとしても、歩み続けるために、これらの幻想を脱ぎ捨てる必要があります」と語られた。

 そして教皇は、「神に向かって歩み続けるための助けを、神のみ言葉の中に求める」ように勧められた。

 また、「放蕩息子のように、”家の香り”を忘れ、大切なものを浪費し、虚しい心を抱く私たちは、歩いては何度も転ぶ子どもであり、そのたびに御父に助け起こしてもらわなければなりません」とされ、「御父の赦しは、常に私たちを立ち直らせてくれます。赦しの秘跡に与ることは、御父のもとに帰る旅の第一歩」と指摘された。

 次に、「私たちは、イエスに癒された重い皮膚病を患っていた人のように、感謝するためにイエスのもとに戻らなければなりません… 戻って来て、イエスの足もとにひれ伏したこの人に倣い、私たちも、自分の罪と惨めさをもったままイエスの御前に進み出て、解放と癒しを願うべきです」と説かれた。

 続いて教皇は、「聖霊のもとに帰るように」と信徒たちに呼びかけられた。「灰の水曜日に頭に受ける灰は、私たちが“ちり”であり、“ちり”に戻ることを思い起こさせますが、この”ちり”の上に、神は命の霊を吹きかけられます。それゆえ、私たちは、はかない物事を置き去り、命の与え主、私たちを灰からよみがえらせる炎である聖霊に立ち帰らなくてはならないのです」と説かれた。

 また、「神のもとに帰ることは、自分の力ではできません。神の恵みを受け入れ、自分は神の憐みを必要とする者である、と認めることで可能になります… 謙遜の道こそが、神のもとに帰る正しい道です」と強調。

 さらに、「この水曜日に、私たちは頭を垂れて灰を受け、聖週間には、さらに身を低くして兄弟たちの足を洗うことになります」とされたうえで、「四旬節は、謙遜に、自分の内面に降りていくと同時に、他者のために自分の身をかがめる時。救いとは、栄光に上ることではなく、愛のために身を低めることと知る時なのです」と語られた。

 最後に教皇は、四旬節の歩みの中で迷わないために、「十字架のイエスの前に、神のその沈黙の学び舎の前に立ち、イエスの傷を見つめるように… その傷が私たちのために開き、その傷によって私たちが救われたことを思い起こすように」と信徒たちに促された。

(編集「カトリック・あい」=表記は原則として当用漢字表記に、聖書の引用は「聖書協会・共同訳」に改めました)

2021年2月17日

♰ 「偏見に打ち勝ち、他者の人生に関わりを持て」教皇の年間第6主日の正午の祈り

Pope Francis during the AngelusPope Francis during the Angelus  (Vatican Med

(2021.2.14 Vatican News  Linda Bordoni)  life

 教皇フランシスコは14日、年間第六主日の正午の祈りの説教で、偏見や他の人の人生に関わることへの恐れに打ち勝ち、「私たちの傷を共有し、私たちの人生を癒すイエスの模範」に従うように、信徒たちの勧められた。

 説教で教皇は、この日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所(1章40-45節)ーイエスとハンセン病を患っている人との出会いについて語った箇所ーを考察され、「主がどのようにして私たちに近づき、あらゆるの障壁を打ち破り、その人生に触れて、癒されるか」について話された。

 当時、ハンセン病患者は不純であると見なされ、律法の規定によれば、彼らは、すべての人間的、社会的、宗教的関係から疎外され、排除されていたが、教皇は「イエスは、手を伸ばして、この人に触れるところまで近づかれました… これが、イエスが宣言される『良いたより』を成就するなさり方です」と指摘。

 そして、「神は私たちの人生に近づかれました。傷ついた人類の運命に深く心を動かされ、私たちが神、他の人々、そして自分自身との関係を持つことを妨げているあらゆる障壁を打ち壊すために来られるのです」と説かれた。

*ハンセン病患者とイエスによる”違反”

  また教皇は、「この箇所でマルコは二つの”違反”を強調しています」とされた。

 一つは、ハンセン病患者の”違反”で、彼は律法の定めに反して、人々から隔離された状態を抜け出して、イエスに所に行った。彼の病は神から受けた罰とみなされていたが、「イエスの慈しみに満ちた振る舞いから、その人は、神の別の側面、つまり、『罰する神』ではなく、罪から解放してくださる、決して排除しない『思いやりと愛の父』を知ることができました」と語られた。さらに「その人は、孤立した状態から抜け出すことができます。なぜなら、彼は、イエスの中に、自分の痛みを分かち合ってくださる神を見つけるからです」とされた。

 もう一つは、イエスの”違反”だ。律法はハンセン病患者に他の人が触れることを禁じていたが、イエスはその人を見て、強く心を動かされ、手を伸ばし、彼に触れて、病を癒した。「イエスは、言葉だけでなく、彼の身体に触れました… このようなイエスの振る舞いは、苦しむ人と関係を確立し、交わり、傷を共有するまでに、その人の人生に関わること、とを意味します」と指摘。

 こうした振る舞いを通して、イエスは、傷を負った私たちに神が無関心ではなく、「安全な距離」に身を置いてもいないことを明らかにした。「このように、神は、思いやりをもって私たちに近づき、優しさで癒すために、私たちの人生にお触れになります… これが神のなさり方。親密さ、思いやり、そして優しさ… 神は、偉大な”違反者”なのです」と説かれた。

*「汚れ」を恐れないで

教皇は、非常に多くの兄弟姉妹が社会的に汚名を着せられ、疎外と排除に苦しんでいるという今の世界の現実を強く非難され、信徒たちに、「そのような障壁を打ち破り、苦しむ人々の人生に関わるように」と求められた。

 さらに、「イエスは私たちに、『神は、思い付きや抽象的な教義ではなく、私たち人間の傷でご自分を汚し、私たちの傷に触れることを恐れない神なのです」とされ、信徒たちに、「他の人たちの苦しみに関わることを妨げる、利己心、打算、恐れを克服するように」と強く促された。

 そして、「私たちが、他者との間の壁や自己憐憫から脱する勇気をもち、そして、因習を克服し、他の人々の人生に関わることへの偏見と恐れに打ち勝つ愛、に心を開くように、主に願いましょう」「ハンセン病患者とイエスのように、”違反者”となることを、学びましょう」と、説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2021年2月14日

♰「今、私たちはエルサレムへ上って行く(マタイ20章19節)ー四旬節は”信望愛”を新たにする時」教皇が四旬節メッセージ

Ashes are sprinkled on the heads of the faithful on Ash Wednesday (2020)Ashes are sprinkled on the heads of the faithful on Ash Wednesday (2020)  (AFP or licensors)

 続けて教皇は「キリストにおいて明らかにされた真理を受け入れ、生きることは、まず第一に、『私たちの心を神の言葉に開くこと』を意味します」とされ、「自己否定の一形態」として行う「断食」を通して「私たちは、神の賜物を再発見し、私たちが神の似姿として創られ、神において完成されることが分かる… そしてまた、私たち自身の貧しさを知る助けとなることで、神と隣人をともに愛するのを助けるのです」と説かれた。

 さらに、「四旬節は、信じる時… 私たちの暮らしに、喜びをもって、神を迎え入れ、神が私たちの中にご自分の『住まい』をお造りになれるようにする時です」と語られた。

*旅を助ける「生ける水」

 教皇は、「希望」の美徳を、イエスがシカルというサマリアの町で、井戸に水を汲みに来た女性に語った「生ける水」(ヨハネ福音書4章10節参照)に結び付けて話された。この水は、イエスから「飲ませてください」と言われた時に女性が考えた「物質としての水」ではなく、過ぎ越しの神秘を通して与えられる「聖霊」、期待に背くことのない「希望」をもたらすもの。「壊れやすく、不確実な時代に、『希望』を持つことは難しく思われるかも知れませんが、四旬節は、私たちにとって、まさに神に立ち返る『希望の季節』なのです」と強調。

 そして、希望は、「瞑想と沈黙の祈り」を通して得られる「霊感と内なる光」として、私たちに与えられる。そのような四旬節における希望の体験は、「​​十字架に掛けられて死に、三日目に神によってよみがえられたキリストの希望をいただくことを意味します」と説かれた。

 

*愛、信仰、そして希望の最高の表現

また教皇は、「愛」について、「心の”跳躍”です… 私たちを自分自身から連れ出し、他者との共有と交わりの絆を生み出します」と語られ、「愛の文明」を築くために、「社会的愛」の必要性を強調された。

 そして、「愛は、私たちの人生に意味を与える贈り物… 私たちがすべての男女を自分の兄弟姉妹として見るのを助けます。聖書だけでなく、自身の人生においても、喜びと飾らない心をもって施しをする時に分かるように、愛をもってなされる慈善は何倍にもなる」とされた。

 「愛をもって四旬節を過ごすことは、新型コロナウイルスの世界的大感染で苦しんでいる人や見捨てられたと感じる人をいたわること、を意味します」と述べ、「神が彼らをご自分の息子や娘として愛しておられるように、私たちも、彼らに励ましの声をかけ、助けるように」と、信徒たちを促された。

*回心の旅

 最後に教皇は、「私たちの人生のすべての瞬間は、信じ、希望し、愛するための時間」と語られ、次のように締めくくられた。

 「四旬節を、回心、祈り、そして私たちの財産を分かち合う旅として体験するように、という呼びかけは、私たちが共同体として、そして個人として、『生けるキリストからもたらされる信仰』、『聖霊の息吹にかきたてられた希望』、そして『父の憐れみ深い心からあふれ出す愛』を、蘇らせる助けとなります」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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 教皇の四旬節メッセージの英語版全文以下の通り。

 

Message of the Holy Father  “Behold, we are going up to Jerusalem” (Mt 20:18). Lent: a Time for Renewing Faith, Hope and Love.

Dear Brothers and Sisters,

Jesus revealed to his disciples the deepest meaning of his mission when he told them of his passion, death and resurrection, in fulfilment of the Father’s will. He then called the disciples to share in this mission for the salvation of the world.

In our Lenten journey towards Easter, let us remember the One who “humbled himself and became obedient unto death, even death on a cross” (Phil 2:8). During this season of conversion, let us renew our faith, draw from the “living water” of hope, and receive with open hearts the love of God, who makes us brothers and sisters in Christ. At the Easter vigil, we will renew our baptismal promises and experience rebirth as new men and women by the working of the Holy Spirit. This Lenten journey, like the entire pilgrimage of the Christian life, is even now illumined by the light of the resurrection, which inspires the thoughts, attitudes and decisions of the followers of Christ.

Fasting, prayer and almsgiving, as preached by Jesus (cf. Mt 6:1-18), enable and express our conversion. The path of poverty and self-denial (fasting), concern and loving care for the poor (almsgiving), and childlike dialogue with the Father (prayer) make it possible for us to live lives of sincere faith, living hope and effective charity.

1. Faith calls us to accept the truth and testify to it before God and all our brothers and sisters.

In this Lenten season, accepting and living the truth revealed in Christ means, first of all, opening our hearts to God’s word, which the Church passes on from generation to generation. This truth is not an abstract concept reserved for a chosen intelligent few. Instead, it is a message that all of us can receive and understand thanks to the wisdom of a heart open to the grandeur of God, who loves us even before we are aware of it. Christ himself is this truth. By taking on our humanity, even to its very limits, he has made himself the way – demanding, yet open to all – that leads to the fullness of life.

Fasting, experienced as a form of self-denial, helps those who undertake it in simplicity of heart to rediscover God’s gift and to recognize that, created in his image and likeness, we find our fulfilment in him. In embracing the experience of poverty, those who fast make themselves poor with the poor and accumulate the treasure of a love both received and shared. In this way, fasting helps us to love God and our neighbour, inasmuch as love, as Saint Thomas Aquinas teaches, is a movement outwards that focuses our attention on others and considers them as one with ourselves (cf. Fratelli Tutti, 93).

Lent is a time for believing, for welcoming God into our lives and allowing him to “make his dwelling” among us (cf. Jn 14:23). Fasting involves being freed from all that weighs us down – like consumerism or an excess of information, whether true or false – in order to open the doors of our hearts to the One who comes to us, poor in all things, yet “full of grace and truth” (Jn 1:14): the Son of God our Saviour.

2. Hope as “living water” enabling us to continue our journey.

The Samaritan woman at the well, whom Jesus asks for a drink, does not understand what he means when he says that he can offer her “living water” (Jn 4:10). Naturally, she thinks that he is referring to material water, but Jesus is speaking of the Holy Spirit whom he will give in abundance through the paschal mystery, bestowing a hope that does not disappoint. Jesus had already spoken of this hope when, in telling of his passion and death, he said that he would “be raised on the third day” (Mt 20:19). Jesus was speaking of the future opened up by the Father’s mercy. Hoping with him and because of him means believing that history does not end with our mistakes, our violence and injustice, or the sin that crucifies Love. It means receiving from his open heart the Father’s forgiveness.

In these times of trouble, when everything seems fragile and uncertain, it may appear challenging to speak of hope. Yet Lent is precisely the season of hope, when we turn back to God who patiently continues to care for his creation which we have often mistreated (cf. Laudato Si’, 32-33; 43-44). Saint Paul urges us to place our hope in reconciliation: “Be reconciled to God” (2 Cor 5:20). By receiving forgiveness in the sacrament that lies at the heart of our process of conversion, we in turn can spread forgiveness to others. Having received forgiveness ourselves, we can offer it through our willingness to enter into attentive dialogue with others and to give comfort to those experiencing sorrow and pain. God’s forgiveness, offered also through our words and actions, enables us to experience an Easter of fraternity.

In Lent, may we be increasingly concerned with “speaking words of comfort, strength, consolation and encouragement, and not words that demean, sadden, anger or show scorn” (Fratelli Tutti, 223). In order to give hope to others, it is sometimes enough simply to be kind, to be “willing to set everything else aside in order to show interest, to give the gift of a smile, to speak a word of encouragement, to listen amid general indifference” (ibid., 224).

Through recollection and silent prayer, hope is given to us as inspiration and interior light, illuminating the challenges and choices we face in our mission. Hence the need to pray (cf. Mt 6:6) and, in secret, to encounter the Father of tender love.

To experience Lent in hope entails growing in the realization that, in Jesus Christ, we are witnesses of new times, in which God is “making all things new” (cf. Rev 21:1-6). It means receiving the hope of Christ, who gave his life on the cross and was raised by God on the third day, and always being “prepared to make a defense to anyone who calls [us] to account for the hope that is in [us]” (1 Pet 3:15).

3. Love, following in the footsteps of Christ, in concern and compassion for all,is the highest expression of our faith and hope.

Love rejoices in seeing others grow. Hence it suffers when others are anguished, lonely, sick, homeless, despised or in need. Love is a leap of the heart; it brings us out of ourselves and creates bonds of sharing and communion.

“‘Social love’ makes it possible to advance towards a civilization of love, to which all of us can feel called. With its impulse to universality, love is capable of building a new world. No mere sentiment, it is the best means of discovering effective paths of development for everyone” (Fratelli Tutti, 183).

Love is a gift that gives meaning to our lives. It enables us to view those in need as members of our own family, as friends, brothers or sisters. A small amount, if given with love, never ends, but becomes a source of life and happiness. Such was the case with the jar of meal and jug of oil of the widow of Zarephath, who offered a cake of bread to the prophet Elijah (cf. 1 Kings 17:7-16); it was also the case with the loaves blessed, broken and given by Jesus to the disciples to distribute to the crowd (cf. Mk 6:30-44). Such is the case too with our almsgiving, whether small or large, when offered with joy and simplicity.

To experience Lent with love means caring for those who suffer or feel abandoned and fearful because of the Covid-19 pandemic. In these days of deep uncertainty about the future, let us keep in mind the Lord’s word to his Servant, “Fear not, for I have redeemed you” (Is 43:1). In our charity, may we speak words of reassurance and help others to realize that God loves them as sons and daughters.

“Only a gaze transformed by charity can enable the dignity of others to be recognized and, as a consequence, the poor to be acknowledged and valued in their dignity, respected in their identity and culture, and thus truly integrated into society” (Fratelli Tutti, 187).

Dear brothers and sisters, every moment of our lives is a time for believing, hoping and loving. The call to experience Lent as a journey of conversion, prayer and sharing of our goods, helps us – as communities and as individuals – to revive the faith that comes from the living Christ, the hope inspired by the breath of the Holy Spirit and the love flowing from the merciful heart of the Father.

May Mary, Mother of the Saviour, ever faithful at the foot of the cross and in the heart of the Church, sustain us with her loving presence. May the blessing of the risen Lord accompany all of us on our journey towards the light of Easter.

Rome, Saint John Lateran, 11 November 2020, the Memorial of Saint Martin of Tours

Francis

2021年2月13日

◎教皇連続講話「祈りについて」⑰「私たちは祈りの中で、生きている”今日”、神と出会う」

Pope at the general audience of February 10, 2021Pope at the general audience of February 10, 2021  (Vatican Media)

 

2021年2月10日

♰「”友愛”こそコロナ禍の危機の治療薬-民主主義の危機、信教の自由への影響も指摘」教皇、外交団と会見

Pope Francis addressing members of the diplomatic corps on 8 February 2021Pope Francis addressing members of the diplomatic corps on 8 February 2021  (ANSA

(2021.2.8 Vatican News Robin Gomes)

    教皇フランシスコは8日、新型コロナウイルスの世界的感染の影響で遅れていた新年恒例の在バチカン外交団との会見を持たれた。講話の中で教皇は、ウイルスの世界的大感染が引き起こしている様々な危機や、世界の平和と安定に影響を与えている他の問題を取り上げ、「友愛こそ、真の治療薬」であることを強調された。

 講話で教皇はまず、現在の世界の数多くの危機の中で最も深刻なのは「人間とその卓絶した尊厳について扱う総合人類学的な危機の表明としての『人と人のつながりの危機』」であるとされ、「『友愛』こそ、コロナ大感染とその他の私たちに影響を与えている有害なものに対する治療薬になる、と確信しています。ワクチンとともに、友愛と希望が、今日の世界で私たちが必要としている薬なのです」と語られた。

 そして、開催が延期され、コロナ対策としての「社会的距離」を確保しながら実現した今回の外交団との新年の会合は「希望…家族としての国々が追求すべき密接な助け合いのしるし、を意味するもの」とされ、教皇ご自身が3月にイラクを訪問されることも、その具体的な行動の一つとして示された。

*新型コロナウイルス大感染がもたらしているもの

 次に教皇は、現在の危機のうち、新型コロナウイルスの世界的大感染について具体的に言及。「人として避けることのできないものー病気と死ーに私たちの目を向けさせました。そして、子宮での受胎から死に至るまでの人の命の価値と尊厳を、改めて思い起こさせている」が、残念ながら、世界の現状は「あらゆるレベルで人の命を守る義務からかけ離れていくような法制度が増えています」と指摘した。

 また、コロナ禍は、一人ひとりの人間が尊厳をもって扱われる権利をもち、「一人ひとり、それ自身が目的であり、単に、役に立つかどうかでその価値が計られはならない」ということを、私たちに改めて思い起こさせた、とし、 「私たちの中で最も弱い者の生存権が奪われるとしたら、どうすれば他のすべての権利の保証できるでしょうか?」と問いかけられた。

 そして、政治家や政府の責任者たちに、基本的な健康の確保、医薬品、全ての人が治療を受けられる体制を確保することに最優先で取り組むよう求め、「利益をもとに医療を考えるべきではありません」とし、コロナ・ワクチンも、経済的な基準ではなく、すべての人々に公平な分配されるように要請した。

*環境の危機

 教皇は、コロナ禍は、「地球自体が傷つきやすく、扱いに注意を必要としていることについても、私たちに再認識させている」とし、「天然資源の無差別な開発・消費によって引き起こされている地球の生態学的危機は、コロナよりもずっと複雑で、長く持続するものであり、長期的な解決策を各国協調して進める必要があります… 洪水や干ばつなどの異常気象、人々の栄養失調や呼吸器疾患などの気候変動による影響も同様です」と述べた。

 私たちの”共通の家”のこうした危機を克服するための国際協力の重要性を強調しつつ、コロナ禍で今年11月に開催が延期された地球温暖化対策を話し合う第26回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)が効果的な取り組に成果を上げることに期待を表明。

 地球温暖化の影響の具体的な例として、太平洋の多くの小さな島々が水位上昇で消滅の危機を深めていること、東南アジア、特にベトナムとフィリピンで多くの死者を出す洪水が起こり、オーストラリアと米カリフォルニアで大火災が発生したこと、アフリカで、ブルキナファソ、マリ、ニジェールが昨年、数百万人が飢餓に苦しむ深刻な食糧危機が起こり、南スーダンでは、 100万人以上の子供たちが栄養失調と飢餓の危険に晒されている、と指摘、関係国の当局者に適切な対処を求めた。

*経済的および社会的な危機

 また教皇は、コロナ感染を封じ込めるために、いくつかの国が実施している移動制限は、特に中小企業と零細企業に影響し、雇用に影響し、その結果として、家庭生活、社会の全部門、特に最も脆弱な部門に深刻な影響を与えており、「このような経済的な危機は、私たちの時代の別の病気ー人と天然資源の両方の搾取と浪費に基づく”経済の病気”を浮き彫りにしています」とし、必要なのは、「人に奉仕する経済であって、その逆ではありません。ありうべき経済は、死ではなく生をもたらす経済、包括的で排他的ではない経済、人道的で非人間的ではない経済、人といたわる経済、そして環境を大切にし、損なわない経済です」と言明された。

*隔離と国境閉鎖の犠牲者

 続けて、「コロナ禍によって非公式経済部門の人々が特に深刻な打撃を受け、違法あるいは強制労働、売春、その他、人身売買を含むさまざま犯罪行為を通じた搾取に晒されています。経済の安定は、すべての人にもたらされねばならず、その実現のために、搾取、高利貸し、汚職、その他の不正と戦わねばなりません」と述べ、「コロナ感染防止のための隔離措置の影響でコンピューターや他のメディアと長時間向き合うことによって、特に貧しい人々や失業者は、インターネットを悪用した詐欺、人身売買、売春、児童ポルノなどの”サイバー犯罪”の対象となりやすくなります」と警告した。

 また教皇は、感染拡大防止のための国境の閉鎖が「スーダン、サハラ以南のアフリカ諸国、モザンビーク、イエメン、シリアなど既に経済危機にある国々の状況を悪化させている」とし、こうした国々への経済制裁は、対象国の特に脆弱な地域、分野に影響を与えることから、制裁の緩和、人道援助の強化を図ること、貧困国の債務返済を減免することを希望した。

*移民と難民

 教皇は、移民・難民の増加と国境閉鎖による状況の悪化を取り上げ、人々を移民・難民に追いやる原因の究明、受け入れ国の支援を求めた。また、難民の数が劇的に増加しており、彼らを保護するよう求めるとともに、サハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域では国内避難民の数が20倍に増えていることを挙げて、国内難民、迫害や暴力、国内紛争や戦争で故郷を捨てることを余儀なくされている人々の保護についても強く求めた。

*政治的、軍事的な危機

 また、コロナ禍の政治的な影響について、ミャンマーなど一部の国で政治危機が悪化していることに言及。とくにミャンマーについて、先の軍事クーデターによって「これまで進められてきた民主主義への道が乱暴に中断された」と嘆き、アウン・サン・スーチー女史ら民主政治指導者が「国益を目指す誠実な対話促進のしるしとして、速やかに釈放されるように」希望された。

 そして、「民主主義のプロセスは、すべての都市と国の市民社会を構成するすべての人、団体、組織の間での、包括的、平和的、建設的で、互いに敬意をもった対話を追求することを求めています」と言明し、「このような政治的、民主主義的な価値の危機は、国際的なレベルでも、多国間システム全体の反動を伴って起きている」と警告。

 同時に、核兵器禁止や軍備削減の分野での国際社会の取り組みが進展していることにも言及した。そして、2021年が、シリア紛争の終結、イスラエルとパレスチナ間の直接対話の再開、レバノンの安定、リビアの平和の年になることに希望を表明する一方、中央アフリカ共和国とラテンアメリカの状況や、朝鮮半島と南コーカサス地域における軍事的緊張について懸念を示した。

*祈りの場さえ襲うテロの激増

 さらに、教皇は、テロ攻撃が過去20年間に激増し、サハラ以南のアフリカ、アジア、そしてヨーロッパにもテロが広がっていること、特に人々の祈りの場がテロに遭っていることに強い悲しみを示し、思想、良心、宗教の自由を守る義務を果たすべきことを、各国政府当局に思い起こさせた。

*人と人とのつながりの危機

 コロナがもたらしたすべての危機のうちで、最も深刻なのは、「人間とその卓越した尊厳の概念そのものを扱う総合人類学的な危機」としての「人と人のつながりの危機」とされ、コロナ禍による人々の隔離は、一人ひとりにとっての人間的なつながりの必要をもたらしている、と指摘。

 そうした中で、大学や小中高などがオンライン教育を導入するにつれて、教育と技術の間に著しいずれが生じており、学校教育の自然なプロセㇲに、多くの学生が後れを取っており、これを一種の「教育の大惨事」」と警告。「あらゆるレベルで社会を巻き込んだ教育への新たな取り組みが必要です。教育は個人主義的な文化と無関心に対する自然の解毒剤になるからです」と強調した。

 最後に教皇は、コロナ禍の影響は、人々の結婚・家庭生活も及んでおり、多くの人が家庭内暴力を経験していること、信教の自由を含む基本的な人権に影響を与え、公開の礼拝や信仰教育、慈善活動も制限を受けていること、などを指摘。 私たちがウイルスの蔓延から人間の生命を守る方法を模索している今でも、「人間の精神的および道徳的な側面よりも、肉体的健康が重要だ、と見なすことはできません」と語った。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2021年2月9日

♰「病める人を癒すのは、教会の本質的使命だ」年間第五主日の正午の祈り

 このイエスの行為は、「病める人を癒やすことが、教会にとっての『任意の活動』ではなく、その使命に欠かせないことだ、ということを示しています」とされ、11日の「世界病者の日」を視野に、「教会は、神の優しさを苦しんでいる人類にもたらすように、求められているのです」と強調。

 「病める人を癒やす」という「教会にとっての本質的な使命」は、現在の新型コロナウイルスの世界的大感染の中で、特に意識されねばならないこと、とされ、さらに、今日のミサの第一朗読で読まれたヨブ記で、苦しみのどん底にあるヨブが語っているように、「人間は高い尊厳のある存在だが、同時にとても脆い存在でもある」と付け加えられた。

*愛を込めて苦しみに対応する

 また教皇は、「イエスは、苦しみへの答えを説明なさいません。その代わりに、マルコ福音書に書かれているように、イエスはシモン・ペトロのしゅうとめになさったように、愛をもって、苦しんでいる人の側に行き,腰をかがめ、手を取って起こされることで、答えを出しておられる」とし、「神の子は、上から、あるいは遠くから、ご自分が主であることを示そうとはされません。親密さ、優しさ、思いやりの中でそうなさるのです」と語られた。

 最後に、教皇は、「この日の福音書の箇所は、イエスの苦しむ人たちへの深い思いやりが、父との親密な関係に根ざしていることを、私たちに思い起こさせます」。朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、祈られる(マルコ福音書1章35節)。この「祈り」から、「イエスがご自分の使命、説教、そして癒しを果たすための力を得られたのです」と改めて「祈ること」の重要性を強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2021年2月8日

♰「共通善に奉仕するように」教皇、ミャンマーの指導者たちに訴え

(2021.2.7 Vatican News  Linda Bordoni)

 教皇フランシスコは7日、年間第五主日の正午の祈りを終えた後、ミャンマーで発生した軍事クーデターとその後の多くの市民による抗議行動と軍の強権発動などに強い懸念を示された。そして同国の国民との連帯を表明し、政治指導者たちに「共通善に奉仕する意欲を見せる」よう強く求めた。

 教皇は「私は2017年にミャンマーを訪問して以来、この国に心からの愛情を抱いています。その国の状況に強い懸念をもって見ています」とし、この危機の中で、「ミャンマーの人たちに心から寄り添い、祈り、連帯します」と強調。さらに、「この国の政治に責任を持つ人々が、共通善に奉仕する真摯な意欲を見せ、調和のとれた民主的な共生の見地から、社会正義と国家の安定を推進するように、祈ります」とされ、信徒たちに、この国のために共に祈るように求めた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2021年2月7日

♰「同行者のいない未成年の難民に注意を向けよう」-8日「”人身売買撲滅”を祈る日」

Many unaccompanied migrants are minors and form a particularly vulnerable group of persons in need of care and attention Many unaccompanied migrants are minors and form a particularly vulnerable group of persons in need of care and attention   (ANSA)い

(2021.2.7 Vatican News LindaBordoni)

  教皇フランシスコは7日、年間第五主日の正午の祈りの後で、8日に”インターネットを通じで行われる”人身売買撲滅”を祈る国際的な”祈りのマラソン”を取り上げ、世界の信徒たちに参加を呼び掛けるとともに、特に危険に晒されている数多くの親兄弟などの保護を受けていない未成年者に目を向けるように求められた。

 教皇はこの中で、まず「悲しいことですが、自分の故郷を捨てることを余儀なくされている人たちの中には、同行する家族がおらず、一人ぼっちで多くの危険に晒されている子供や青年たちが何人もいます」とし、とくに、いわゆる”バルカン・ルート”を始め、難民のなかには多くの未成年者がおり、「脆弱で無防備なこれらのいたいけな子供や青年たちが、必要なケアと優先的な人道的保護を十分に得られていないこと」に改めて目を向けるように強調された。

 ”バルカン・ルート”は、欧州に向かう難民の主要経路の一つで、このルートに当たる国々が国境を相次いで閉鎖したにもかかわらず、ここ数週間で見ても、数千人の難民がボスニアヘルツェゴビナ北西部のビハチとヴェリカクラドゥーサに入ったと伝えられている。彼らは、寒さに晒され、新型コロナ感染に怯え、受け入れに難色を示す当局のもとで、事態は悪化している。

 また教皇は8日が、スーダンの守護の聖人である聖ジュゼッピーナ・バキタの祝日に当たることに言及。19世紀なかばにスーダンのダルフールの有力者の家に生まれながら7歳の時に奴隷狩りに遭い、10数年にわたって奴隷として転売、虐待を受けた末に、イタリアのカノッサ修道会に保護され、受洗、同修道会の会員として、アフリカで働く若い修道女たちの支援などに尽くし、1947年に帰天。2000年に列聖された。

 教皇は「8日は長年の奴隷としての苦しみに耐えたこの聖人を記念する日です。現代の卑劣極まりない人身売買、男女を”商品”とする経済」は無くさねばならず、聖バキータにそのための助けを祈りましょう」と呼びかけられた。

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 ”人身売買撲滅”を祈る国際デーは、国際修道会連盟(UISG)傘下の女子修道会のネットワーク「Talitha Kum」が主宰して毎年行われており、今回は7回目。新型コロナウイルスの大感染が続く中で、各地で祈りの集会を開くのではなく、インターネットを通じて世界中で”祈りのマラソン”をすることになった。中央ヨーロッパ標準時で8日午前10時(日本時間8日午後6時)から午後5時(同9日午前1時)までを予定し、同標準時午後1時(同午後9時)に全世界同時の祈りを予定している。

 (www.youtube.com/c/preghieracontrotratta)で動画中継され、公式ハッシュタグは「#PrayAgainstTrafficking」。行事の詳細は: https://international.la-croix.com/news/religion/pray-for-an-economy-without-trafficking-in-persons/13757で。

2021年2月7日