☩「飢えた人たちの叫びに、効果的かつ緊急に応えねばならない」ー29日「食料ロスと廃棄に関する啓発の国際デー」に

深刻な食糧危機に直面するイエメン深刻な食糧危機に直面するイエメン  (AFP or licensors)

(2022.9.29 バチカン放送)

 教皇フランシスコは29日、同日の国連の「食料ロスと廃棄に関する啓発の国際デー」にあたって、国連食糧農業機関(FAO)の屈冬玉(チュー・ドンユィ)事務局長にメッセージを送られ、「社会における正義の欠如が、世界の多くの人々に十分な食生活をおくることを妨げている現状」に注意を向け、「再分配のために食料を集め、生産されたものを無駄にしてはなりません」と強調された。

 メッセージで、教皇は「食料ロスと廃棄」を無視できない重大な問題とし、「食料を無駄にすることは、人を無駄にすること」であり、「豊富な食料に囲まれて生活する人々と、飢えに苦しみ、栄養失調で亡くなる人々との間にある大きな不平等が顕著くなっている」と指摘。「飢えた人たちの正義を求める苦しみの叫びに、私たちは言葉だけでなく、効果的で誠実な方法をもって、緊急に応えねばなりません」と訴えられた。

(編集「カトリック・あい」)

2022年9月30日

♰「改めて、残酷な試練に遭い続けているウクライナの人たちのために祈ろう」一般謁見で呼びかけ

ウクライナのイジウムにある破壊された建物の近くで花が咲くFlowers grow near a destroyed building in Izium, Ukraine 

    教皇フランシスコは28日の水曜恒例一般謁見で、9か月に及ぶロシアによる軍事侵攻に苦しむウクライナの人々のために祈るよう、世界の信徒たちに改めて呼びかけられた。

 教皇は、大きな犠牲を強いられ続けているウクライナに思いを寄せられ、「この国はとても大きな苦しみの中にあり、人々はひどく残酷な試練に遭っています」と語られた。

 そして、教皇の命によりロシアの侵攻開始から4度目の現地訪問をして、このほどローマにもどったバチカン支援援助省長官のクライェウスキ枢機卿からの悲惨極まる現地の状況についての報告を踏まえ、「改めてウクライナのことを思い、命を落とした人たちのために祈りましょう」と呼びかけた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年9月28日

◎教皇連続講話「識別について」③「祈りは、識別のために欠かすことのできない助け」

(2022.9.28 Vatican News   Christopher Wells)

   教皇フランシスコは28日の水曜恒例の一般謁見で、カザフスタン訪問などで中断していた「識別について」と題する連続講話を再開され、「私たちを神と親しい関係に入ることができるようにする、識別における祈りの重要さ」について語られた。

 「祈りは、霊的な識別、とくに愛を伴う識別の際に、欠かすことのできない助けとなます」とされた教皇は、「祈りは、私たちが、さまざまな思いを超え、自発的な愛のこもった主との親しい関係に入ることを可能にします… 聖人たちの人生の秘訣は、神との親密さと信頼。それらは彼らの中で育まれ、神にとって喜ばしいことを認識するのをさらに容易にします」と指摘された。

(以下、バチカン放送より講話の要旨=編集「カトリック・あい」)

 今回は、「識別」の構成要素の中で最も大切な「祈り」について考えてみたいと思います。識別には、ある環境、すなわち「祈りの状態」にあることが必要です。

 祈りは、霊的識別に欠くことのできない助けです。それは特に神に対して愛情のもとに素直に親しく友のように話すことを助けてくれます。単なる考えを超越し、自然な愛情をもって主との親しい関係に入ることができるのです。

 聖人たちの生き方の秘密は、神との親しさと信頼にあります。彼らは神との親しさを育むことで、神が喜ばれることが何であるかを容易に理解できるようになっていきました。

 真の祈りは、神との親しさそのものであり、ただ「祈りを繰り返し唱えていればよい」というものではありません。この親しさが、「神のみ旨が自分たちのためにならないのではないか」という疑念や「私たちの心を騒がせ不安にする考えから生まれる誘惑」に打ち勝たせてくれます。

 識別は「絶対の確信」を強要しません。なぜなら、人生は常に論理で片付くものではなく、ただ一種類の考え方に閉じ込められない、多面的な様相を帯びているからです。

 「私は自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」(ローマ人への手紙7章19節)と使徒パウロが言った経験を、私たちも何度体験したことでしょう。私たちは理性のみでできておらず、機械のような存在でもありません。すべきことの説明を得るだけでは足りません。主のための決意の障害となっているのは、特に愛情的な障害です。

 マルコ福音書で、イエスが最初に行った奇跡が、汚れた霊に取りつかれた男を癒したことであったのは、意味深いことです(マルコ福音書1章21-28節参照)。カファルナウムの会堂で、イエスは一人の人を悪霊から解放されると同時に、悪魔がふき込んでいた「神は私たちの幸福を望まない」という誤った神のイメージからも解放されました。悪霊に取りつかれた男は「イエスが神だ」と知りながらも、イエスを信じることができずに「我々を滅ぼしに来たのか」(同1章24節)と言いました。

 たとえイエスが神の子だったとしても、「私たちの幸福を望んでおられるのだろうか」と、キリスト者をも含む多くの人が皆、同じように疑っています。それどころか、ある人々は、イエスの教えを真面目に受け取ることは「人生を台無しにし、自分たちの願いや熱望を押さえつけることを意味するのではないか」と恐れています。

 こうした考えは、私たちにも頭をもたげることがあります。「神が私たちに求めるものが大きすぎる」、あるいは、「神は自分にとって大事なものを取り上げてしまう」、「神は私たちを本当に大切に思っていないのではないか」と考えてしまうのです。

 私たちが主との最初の出会いで体験したように、「喜び」は主との出会いのしるしです。これに対して「悲しみや恐れ」は主から離れているしるしです。

 「もし命を得たいのなら、掟を守りなさい」(マタイ福音書19章17節)とイエスは金持ちの青年に言われました。残念ながらこの青年には、「善い先生」のすぐ近くに従いたい、という望みの実現をはばむものがありました。青年はイエスに会いに行く熱心さと行動力を持ちながらも、愛情において彼の心は二つに引き裂かれていた。彼にとって富は重要すぎたのです。

 イエスは金持ちの青年に決断を強要しません。福音書は青年が「悲しみながら立ち去った」(同19章22節)ことを伝えています。いくら多くの財産や才能を持っていたとしても、主から遠ざかる者は、決して喜びを感じません。

 外見に惑わされやすいために、私たちの心の中に起きることを識別するのは容易でありませんが、神との親しさが、疑いや恐れを優しく解いてくれるでしょう。

 聖人たちは、神の光を反映させ、不可能をも可能にする「神の愛情深い存在」を、日常生活の単純な行いの中に表しています。

 互いに愛情を持ち続け、長い人生を共に過ごした夫婦は、次第に「似た者になる」と言われます。愛のこもった祈りにおいても、同じようなことが言えます。そこでは、命の奥深くから湧き上がってくるもののように、少しずつ、自ずと重要なことを見分けられるようになります。

 友が友に語りかけるように、主との友情の絆を生きる恵みを願いましょう。

 

2022年9月28日

☩「”パン”は世界の食卓で分かち合われねばならない」教皇、イタリア聖体大会のミサで

教皇フランシスコ、マテーラの聖ミサを主宰Pope Francis presides at Holy Mass in Matera  (Vatican Media)

(2022.9.25 Vatican News  Linda Bordoni)

 教皇フランシスコは25日、イタリアのマテーラで開かれた第27回イタリア聖体会議の終わりにミサを捧げられ、説教で、「貧しい人々への思いやりなしには聖体崇拝はない」と説かれた。

 教皇はミサ中の説教でミサで読まれた「ぜいたくな暮らしをしている金持ちと、その食卓から落ちてくるパンのくずを拾って食べた貧しいラザロ」について語るルカの福音書(16章 19-31節)を取り上げられた。

 そして、「私たちが今聞いた福音書は、『パンが、この世の食卓で必ずしも分かち合われるとは限らない』と告げています。パンはいつも、霊的交わりの香りを発しているわけではないし、いつも正義において割かれてわけでもない」と語られた。

 そのうえで、「私たちの地上での存在が消費されている中で、聖体は復活の約束を待ち望み、死に打ち勝つ新しい命に向かって、私たちを導いてくれることを思い起こすために、”パンの味”に戻るように」と勧められた。

 

*このたとえ話で、金持ちに”名”が無いのは…

 

 そして、まず第一に、「聖体は私たちに、神の優位性を思い起させます」とされ、「たとえ話の金持ちは、神に心を開いていません。自分の幸福、自分の必要を満たすこと、人生を楽しむことだけを考えています。自分自身を喜ばせ、世俗的な富を崇拝し、自分自身の小さな世界に閉じこもっています。自己満足し、お金に酔いしれ、虚栄心に恍惚となっている、この金持ちは、自分自身のみを崇拝しているため、その人生に神の居場所はないのです」と語られた。

 さらに、「聖書がこの金持ちの名前を出さないのはたまたま、ではありません。この男性の個性は彼の持ち物に由来するので、彼を名前でなく、『金持ち』と呼ぶのです… これは悲しい現実です。今日も私たちが目の当たりにしています。相手を判断するとき、持ち物ー富、肩書き、役割、あるいは来ている服ーで判断してしまう」と教皇は指摘され、「そのような物や外見がしばしばこの世を支配しますが、結局は、私たちは何も持たずにこの世を去るのです」と説かれた。

 翻って、このたとえ話に、金持ちの『名無し』と対極の存在として登場する人物について、教皇は「この貧しい人は『神が助ける』を意味するラザロという名前で登場するを持っています… 彼は、貧困と疎外という状態に置かれているにもかかわらず、神との関係の中で生きているので、尊厳は損なわれていない。彼の御名そのものに神の何かがある。神は、彼の人生にとって、揺るぎない希望なのです」と彼は言いました。

*聖体の招きに応じないならば…

 そして、「聖体が私たちの生活に提示する挑戦は、ここにありますー自分自身ではなく神を崇拝するように、イエスを生活の中心に置くように招きます」とされた。

 その招きに応えず、これまでに「私たちが自分自身を崇拝するなら、私たちは小さな自己の中で窒息します。この世の富を崇拝するなら、私たちは捕らえられ、奴隷されてしまう。見掛け倒しの”神”を崇拝し、浪費に走るなら、遅かれ早かれ、私たちにそうした人生の結論が示されます」とされた。

 反対に、「聖体に現われる主イエスを崇拝するなら、私たちの人生に新しい『表情』を受けます。自分が持っている物で、手に入れる成功で、私の価値が決まるわけではない。人生の価値は、誇れるかどうかで決まらないし、失敗し、倒れることがあっても、減ることはない… 私は神から祝福されています。神は私に美をまとわせ、すべての束縛から解放されることを望んでおられます。神を崇拝する者は、誰の奴隷にもなりません」と説かれた。

*聖体は、兄弟姉妹を愛するように私たちに求める

 続けて教皇は「聖体は私たちに、兄弟姉妹を愛するように呼びかけています… パンの形の中にある聖体は、”愛の奇跡”です。キリストは、私たちのためにご自身を捧げられ、ご自身を砕かれ、私たちにそれに倣うように求めておられます」と語られた。

 たとえ話の金持ちは、そのようにすることをせず、死後、陰府でさいなまれながら目を上げると、ラザロがアブラハムの懐にいるのに気づいた。そしてアブラハムに助けを求めたが、「私たちとお前たちの間には大きな淵が設けられている…お前たちの方へ渡ることも、そこから私たちの方に越えてくることもできない」と拒絶される(ルカ16章26節)。

 教皇は、「私たちの永遠の未来は、現世でどのような人生を送るかにかかっています。私たちが自分自身と兄弟たちの間に”淵”を設けるなら、私たちは後で『自分の墓を掘る』ことになる… 今、兄弟たちに壁を作るなら、私たちは孤独と死の中に囚われたままになります」と警告された。

*このたとえ話は、現在の時代の物語でもある

 そして教皇は、このたとえ話が、今、私たちの時代の物語でもあることー不正義、不平等、地球資源の不平等な分配、弱者に対する権力者の虐待、貧しい人々の叫びに対する無関心… 私たちが日々、掘っている深い淵が、人と人の間に疎外を生み出していることーを指摘され、世界の信徒たちに、次のように強く求められた。

 「聖体は新しい世界の預言です。『無関心』から『思いやり』へ、『浪費』から『分かち合い』へ、『利己心』から『愛』へ、『個人主義』から『兄弟姉妹愛へ』の回心が起こることを誓い、実行するように、私たちに求めるのは、聖体の中におられるイエスであることを認識しましょう」。

*「聖体の秘跡の教会」は自らをパンとして割く男女で構成される

 

 続いて教皇は、聖体の秘跡の教会は「孤独と貧困にさいなまれるすべての人、優しさと思いやりに飢えている人、希望のパン種が欠けているために人生が崩れている人のために、自らをパンとして割く女性と男性で構成されねばなりません」と強調。

 さらに、「聖体の前にひざまずき、パンの中におられる主を礼拝する教会は、苦しむ人々の傷の前に哀れみをもってかがみこみ、貧しい人々を立ち上がらせ、苦しむ人々の涙をぬぐい取り、すべての人に希望と喜びを与えるパンとする方法も知っている… 真の聖体崇拝は、今日も私たちの近くを歩く多くの『ラザロ』への思いやりなしにはあり得ません」と語られた。

 そして、このたとえ話をもとに、教皇は信徒たちに「”パンの味”に戻る」ように勧められた。それは、「私たちが愛と希望に飢えるとき、私たちが人生の試練と苦しみで壊れそうになるとき、イエスは私たちを養い、私たちを癒す食物になってくださるから… この世で貧しい人々に対する不正義と差別が起こり続けているとき、イエスが私たちに分かち合いのパンを与え、友愛、正義、平和の使徒として毎日私たちを遣わしてくださるからです」とと説かれた。

 最後に教皇は、「イエスを中心に置いた、すべての人への優しさと憐れみのパンとなる聖体の秘跡の教会となるために”パンの味”に戻りましょう」と改めて信徒たちに呼びかけ、「”パンの味”に戻って、私たちのこの地上の存在が続いている間、聖体が、復活の約束に従って、私たちを死に打ち勝つ新たな命に導いてくれます。イエスのみもとに戻り、イエスを崇拝し、イエスを心から受け入れましょう。主は死に打ち勝ち、常に私たちの命を新たにしてくださいます」と励まされた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2022年9月25日

☩「ミャンマー、ウクライナ、カメルーンの平和のために祈ろう」教皇、改めて訴え

Pope Francis invokes the Queen of Peace during Angelus in MateraPope Francis invokes the Queen of Peace during Angelus in Matera  (Vatican Media)

(2022.9.25 Vatican News  Linda Bordoni)

 25日のマテーラでのイタリア聖体大会に参加された教皇フランシスコは、正午の祈りで、梁瀬に苦しむミャンマー、ウクライナ、カメルーンの人々のために速やかな平和の実現に努めるよう、世界の人々に訴えられた。

*ミャンマーでは学校が空爆され、子供たちが亡くなっている

 教皇この中で、まず「暴力が死者と難民をもたらし続けているミャンマーの人々のことを思い起こされ、「彼らの苦しみを忘れたり無視したりしないように」と求められた。

 そして、ミャンマーでは「2年以上にわたり、この気高い国が深刻な武力衝突と暴力によって多くの犠牲者を出し、多くの人が故郷から離れざるを得ない、という悲劇を引き起こしてきました」とされ、「今週も、学校が空爆され、子供たちが亡くなったことに対する悲しみの叫び声が聞こえます。このような悲劇が繰り返されてはなりません」と訴えられた。

Image of the school in Sagaing, Myanmar after the air strike by Myanmar Armed Forces
(写真は、国軍の空爆で破壊されたミャンマー北部ザガインの学校)

 ミャンマーでは、2021年2月にミャンマー軍がクーデターで民主的な選挙で選ばれたアウンサン・スーチー政権を倒して、政権を奪取。以来、これまでに数千人が殺害されている。

*ウクライナへの軍事侵略を直ちに止める努力を

 教皇はまた、ロシアの軍事侵略が続いているウクライナの人々への思いを改めて表明され、すでに7か月も続いている侵略戦争の停止を関係国に呼びかけられた。

Image of the war in Ukraine

 教皇は、聖母マリアに「殉教したウクライナの人々」への慰めを願い、世界の政治指導者たちに対して、「この戦争を終わらせるための効果的な方法を速やかに見つけ、実施する意志の強さ」を発揮するよう求められた。

(ロシア軍によって破壊された町、家屋)

*カメルーン

 教皇フランシスコはまた、カメルーンのマンフェ教区で誘拐された司祭5人と修道女1人を含む8人の速やかな解放を求める現地司教の訴えに加わることを表明され、8人の解放実現とともに、この国に速やかな平和が戻るように祈られた。

 現地からの情報によると、8人は23日、教区の教会を襲撃、放火した暴徒によって誘拐された。この犯行の首謀者は明らかになっていない。カメルーンの南西部に位置するマンフェ教区は、同国からの分離、独立を主張するグループが、政府に対して武力行使を続けており、マンフェ教区の地域はその紛争地域の一つだ。

Refugees fleeing unrest in Cameroon
(戦火を逃れて非難するカメルーンの人たち)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年9月25日

☩「あなたがたは”崩れかけた共通の家”を建て直すよう呼ばれている」教皇、アッシジでの若者の集まりで

 教皇フランシスコが24日、イタリア・アッシジを訪問、若者たちの集会「Economy of Francesco」の最終日の行事に参加された。

 教皇は、会場の「テアトロ・リリック」に集まった世界約100か国の若者たちを前にあいさつされ、「今日、環境危機、新型コロナの大感染、ウクライナや各地における戦争など、若い皆さんが生きている今の時代は決して容易ではありません。私たちの世代は皆さんに豊かな遺産を残しはしましたが、地球を守り、平和を保ち続けることはできませんでした」とされたうえで、「皆さんは『共通の家』、その『崩れかけた家』を建て直す人となるよう呼ばれています」と訴えられた。

 さらに、「アッシジの聖フランシスコからインスピレーションを得た『新しい経済』は、今日、自然に優しい、平和の経済、『殺す経済』ではなく、『命の経済』となるべきです」と語られ、その「新しい経済」に必要とされることとして、「環境との調和」、搾取などによって破壊されたものを元どおりにする「普遍的倫理」、そして「多面的な持続性」を挙げられた。

 また教皇は、「貧しい人の叫びと大地の叫びは、同じ叫びです… 環境問題の解決は、人々の貧しさや不平等を減らし、苦しむ人々に配慮するものでもなければなりません」と指摘された。

 今日の世界に特徴的な「人間関係の貧しさ」についても言及。特に家庭の危機によって、「人々は、命を迎え入れ、守ることに困難をきたし、消費主義が、人々の孤独や心の空虚を満たそうとしていますが、それは『幸福の飢餓』を招くだけです」と警告された。

 さらに、社会や経済における精神性の重要さを強調された教皇は、「すべての人間は生きるための意味を求めていますが、それは経済生活においても同様です… これまで宗教や伝統によって育まれてきた社会の『精神的な資本』を、現代世界は猛烈なスピードで消耗させ、若い人たちは今、『意味の欠如』に苦しんでいます」とされ、アッシジの聖フランシスコの清貧、貧しい人々への愛に触れつつ、「貧しい人々を中心に据え、貧しく弱い立場の人たちへの、尊重と愛といたわりのある経済を目指すように」と若者たちを促された。

 このような考察を踏まえながら、新しい経済を構想する若者たちが努力すべきこととして、「貧しい人々の視点で世界を見ること」「働くことと、働く人の大切さを忘れないこと」「考えや希望を具体的な形にすること」の3点を強調され、最後に、「『善』と『命』を望む若者たちの歩みを支えてください」と神に祈られた。

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 経済をテーマにしたこの集まりは、教皇フランシスコが2019年、世界各国の若いエコノミストや起業家、経済を専攻する学生、社会や共同体のために独自の経済活動を試みる若者たちを、環境、持続性、貧困問題、正義、平和などの広い観点を持った包括的な経済の考察へと招かれたことがもとになっている。最初の集まりは2020年3月にアッシジで予定されていたが、新型コロナの大感染の影響で同年11月に延期され、オンライン形式で行われた。

 2回目となる今回の集まりは、イザヤ書の「見張りの者よ、今は夜の何どきか」「夜明けは近づいている、しかし、まだ夜なのだ」(参照 イザヤの預言12章11-12節)を表現する、「夜から夜明けへ」をテーマにしたパフォーマンスで始まり、アフリカ、南米、アジア、ヨーロッパ出身の若者たちが、それぞれを取り巻く環境、得た経験、これからの目標や夢を語った。集まりの最後に、参加者たちはこれからの目標リストを教皇に示し、教皇が若者たちの約束が記された紙にサインされた。

(編集「カトリック・あい」=表記の修正のうち、とくに”いのち”は当用漢字表記の「命」にしましたが、この漢字は「神に願い、いただいたもの」を表す会意文字であり、それ自体に深い意味を含んでいます。ひらがなでは、その意味が伝わりません。教会関係者には、「聖書・新共同訳」に影響されてか、ひらがなを多用する傾向がありますが、漢字も立派な日本語、日本文化の一部であることを認識する必要があります。)

2022年9月25日

☩9月25日「世界難民移住移動者の日」に向けてー「より良い未来は”異国の子ら”と築かれねばならない」

A migrants holds Pope Francis' hand during his visit to Lesbos in 2016A migrants holds Pope Francis’ hand during his visit to Lesbos in 2016 

 教皇フランシスコが 9月25日の「世界難民移住移動者の日」に向けたメッセージを発表され、「より良い生活を求めて家を出た人々の助けを受けて、私たちの未来を築くこと」の必要を説かれ、「難民、移民の人たちと共に未来を築くということは、彼ら一人ひとりが未来構築の過程にどれほど多く貢献できるかを認め、評価することを意味します」と述べられた。

 「世界難民移住移動者の日」は1970年に当時の教皇パウロ6世が、バチカンに移住・移動者司牧評議会を設置したのを受け、毎年9月第四日曜日を「世界の各小教区とカトリック施設が、国籍を超えた神の国を求めて、真の信仰共同体を築き、全世界の人々と『共に生きる』決意を新たにする日」としたもの。

 教皇はメッセージで、真の天の故郷に向けた人類の「旅」について考察され、「神の王国は、イエス・キリストによる救いを受け入れた人々の中にすでに存在しています」とされたうえで、「私たちが神の王国の実現へ旅するとき、一人ひとりが回心に努め、私たちの世界を変革し、これまで以上に神の計画と調和したものとなるようにせねばなりません」と説かれた。

*『人類と共に神が住まう場所』への道は遠い

 そして、人類の歴史において悲劇が続いていることを嘆かれ、「それは、私たちが『人類と共に神が住まわれる場所』への道をまだ歩んでいないことを、思い起こさせます」と述べられたうえで、「近年の数々の苦難で学んだことを踏まえ、『誰もが平和と尊厳の中で生きることができる世界」という神の計画に一致する未来を築く約束を新たにすることが求められています」と強調。「『王国の義』を求め、キリストの救いの『愛の福音』を受け入れることで、その旅を進めることができるのです」と語られた。

*すべての不平等と差別は排除せねばならない

 さらに教皇は、「すべての不平等と差別は、社会から排除されねばならず、いかなる人も排除されてはならない」とされ、「神の計画は、本質的にすべての人を包むものであり、中でも社会の周辺に置かれた人々を優先します。そして優先すべき人の中に、移民や難民、避難民、人身売買の犠牲者がいます」と指摘。キリスト教徒は「自分たちの住む家を追い出された人々」と共に神の王国を築ねばならず、「最も弱い立場にある人々を仲間に入れることは、神の王国で完全な市民権を得るための必要条件です」とされた。

*移民・難民の受け入れ国での価値と可能性

 教皇はまた、「移民・難民と共に未来を築くために、彼らの新しい住まいとなる国において、彼らの価値と可能性を認めることも必要」と語られ、預言者イザヤが「シオンの栄光」(イザヤ書60章)で語っているように、「異国の子ら」は「『侵略者』や『破壊者』ではなく、より良い社会への『意欲的な働き手』と見なされるべきです」と強調。

 そして、移民・難民が、受け入れられた国で、社会的、経済的成長にための貴重な資源を提供してきたことを歴史が示しており、「彼らの働きぶり、若さ、熱意、そして犠牲を厭わない高い意欲は、彼らを受け入れる共同体社会を豊かにします。しかも、念入りに作られたプログラムとその実行でそれが最適な形で支援されれば、彼らの貢献はさらに大きいものとなる可能性があります。チャンスが与えられれば、大きな可能性があり、すぐに活用できるようになるのです」と説かれた。

 

*霊的刷新にも貢献する

 さらに教皇は、数多くの問題を示される一方で、移民・難民は「いくつもの共同体社会が世界をよりよく理解し、精神的な成長に貢献するのを助けることができます」とし、カトリックの移民・難民は「彼らを受け入れる共同体社会で教会活動を活気づけることができる… 信仰と献身のさまざまな表現を共有することは、神の民の普遍性をより完全に体験するための特別の機会を私たちに与えてくれます」とされ、海外から入国してくる兄弟姉妹を暖かく迎えるように勧めることで、メッセージを締めくくられた。

【世界難民移住移動者の日のための祈り】

 最後に教皇は、「世界難民移住移動者の日」のための特別な祈りに、信徒たちを招かれた。

主よ、私たちを希望の担い手にしてください
闇があるところに あなたの光が輝くように
落胆があるところに 将来への自信が生まれるように

主よ、私たちをあなたの正義の道具にしてください、
排除があるところに 友愛が栄えるように                                                           貪欲があるところに 分かち合いの精神が育つように

主よ、私たちをあなたの王国の建設者にしてください
移民や難民と共に
そして、周辺に住むすべての人と共に

主よ、兄弟姉妹として一緒に暮らすことが どれほど美しいかを                                              私たちが学ぶようにしてください  アーメン。

 

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年9月23日

☩「喜びと情熱に満ちた出会いだった」教皇、一般謁見でカザフスタン訪問を回顧

教皇フランシスコ 2022年9月21日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場

(2022.9.21 バチカン放送)

 教皇フランシスコは21日の水曜恒例の一般謁見で、先週の3日間にわたるカザフスタン司牧訪問について報告された。

 講話の要旨次の通り。

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 先週、私は中央アジアの広大な国、カザフスタンを訪れました。「世界伝統宗教指導者会議」への参加を主な目的としていました。

 カザフスタン当局が20年前から開いているこの会議は、宗教界における出会いと対話の場所として、また平和と人類の兄弟愛の積極的な推進者としての役割を世界に示してきました。3年ごとに開催され、カザフスタン独立から30年の間に7回を重ねている。

 この会議は、参加者が互い耳を傾け、多様性を尊重した世界構築のための取り組みの中心に宗教を据えることを意味しています。体制のくびきから解放された後、カザフスタン政府は、原理主義、過激主義を断固として退けながら、文明の道を示してきました。

 会議は討議を経て最終宣言を採択した。これは2019年アブダビで署名された人類の兄弟愛をめぐる共同文書の精神の継続を表すものでした。このような実りに至るまでには、聖ヨハネ・パウロ2世が1986年に行った歴史的な平和のための諸宗教の集いや、聖ヨハネ23世や聖パウロ6世、また他宗教ではマハトマ・ガンディーなどに代表される偉大な人々の先見的眼差しを経た、遠い道のりがあったといえます。

 同時に、神と平和と兄弟愛への忠実のために自らの命を犠牲にした、あらゆる国々の多くの殉教者たちのことを忘れることができません。荘厳な機会をもつことも大切ですが、日々の生活における努力や具体的な証しこそが、すべての人のためのより良い世界を築くのです。

 カザフスタン訪問では、世界伝統宗教指導者会議への参加のほかに、大統領や、同国の要人、現地の教会共同体との出会いを持つことができました。国内の各界代表との会見で、私は、カザフスタンの「出会いの国」としての召命を強調しました。同国ではおよそ150の民族が共存し、80以上の言語が話されており、このような召命は励まされ、支えられるに値します。

 さらに、この会見では、カザフスタンが社会全体の要求に効果的に応えられる成熟した民主主義の構築にこれからも、積極的に進んで行けるように願いました。

 カザフスタンの教会共同体との出会いは、喜びと情熱に満ちたものでした。広大なこの国で、カトリックはごく少数派です。しかし、信仰をもって生きるなら、福音の実りをもたらすことができるでしょう。そこには、主のみを信頼する小さき者、パン種、塩、光であることの幸いがあります。少数であることで、他のキリスト教会をはじめ、皆との兄弟的関係を育てることも求められています。小さな群れであるからといって、自らを閉ざすのではなく、聖霊の働きに信頼し、開かれた教会にする必要があります。

 この出会いでは、長い迫害の時代、信仰のために大きな苦しみを受けた神の聖なる民の殉教者たちも、思い起こしました。

 首都ヌルスルタンで捧げたミサでは「十字架称賛」を祝いました。進歩と退化が交差する世界で、神の愛に基づくキリストの十字架は、救いの錨(いかり)、失望させることのない希望であり続けます。神にこの訪問を感謝し、それがカザフスタンの未来と同国の教会生活に実りをもたらすことを、改めて祈ります。

(編集「かとりっく・あい」)

2022年9月22日

☩「思いと祈りで『気高い殉教者たち』に寄り添うように」―教皇、”イジューム”での集団虐殺発見に深い悲しみ

Pope Francis during Wednesday's General AudiencePope Francis during Wednesday’s General Audience  (Vatican Media)

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イジューム郊外の森の中で見つかった集団墓地の調査現場。発掘された遺体が袋に収容されている (AP Photo/Evgeniy Maloletka)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年9月21日

☩「対話に努め、貧しい人たちの近くにいるように」教皇、セミナー参加の新司教たちに

Pope Francis meeting with new Bishops participating in the formation course organized by the Dicasteries for Bishops and for Eastern Churches
  (Vatican Media)

 アフリカ、アジア、アメリカ、オセアニアの新司教たちなど約200人が参加するバチカン福音宣教省主催の教育セミナー「新型コロナウイルスの世界的大感染後の変化の時代における福音宣教‐司教の奉仕」が1日から教皇庁立使徒聖パウロ大学で開かれ、教皇フランシスコがセミナー最終日の19日朝、バチカン宮殿で参加者たちと会見された。会見は、自由で率直な意見交換ができるように非公開で行われた。

 出席者によると、教皇この会見は1時間半にわたって行われ、新司教たちを歓迎するとともに、「貧しい人たちの近くにいることを忘れないように。この地球上で、すべてのものは互いに結びついており、すべてのものはケアを必要としていることを認識するように」と求められた。

 また、教皇は彼らに、「先輩の司教たちから直接、話を聞くようにー彼らのこれまでの経験、置かれている状況、そして願いを聞くように」と勧められた。

 セミナーに参加した新司教の一人、ブラジルのマウリシオ・ダ・シルバ・ヤルディム司教によると、この会見も、それに先立つセミナーの一連の会議も、教皇が以前から強調されておられるsynodal(共働的)雰囲気にあふれた形で行われ、議長役がテーマを絞って話した後、参加者に、今世界中で起きている具体的な課題や問題ー飢餓、暴力、社会的不平等、移民・難民、政治的危機や健康上の危機、倫理的、社会的問題ーについて自由に語るように会議が進められた。この中で、アマゾン地域で深刻になっている鉱業開発や違法森林伐採など環境破壊の問題なども、参加者や教皇に関心を深めてもらえた、という。

 また、セミナーの他の会議では、教皇フランシスコが出された使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」、回勅「兄弟の皆さん」、環境回勅「ラウダ―ト・シ」などを改めて深く読み直す機会が与えられ、様々に異なる現場に置かれている新司教たちが共に歩み、「民の牧者」であるように励まされ、教皇が提唱される福音宣教の原則ー霊的交わりと参加の synodal(共働的)な教会の実現ーに沿って、自分の教区でどのように取り組むかについてのアイデアをもらう機会ともなった、という。

 また教皇は、この一連の新司教セミナーの機会に、17日、宣教地域から参加した司教たちとも会見し、新司教たちに対して、「常に信徒のそばにいること、主との交わり、自分の教区の司祭との交わりを深めること」と求められた。そして、「常に祈るように。祈りがなければ、主から離れ、”枯れてしまう”」と司牧における祈りの重要性を強調された。参加したある司教によれば、教皇は、司教たちが兄弟として団結すること、同僚の司教、司祭、信徒たちの教区の共同体の傍にいるように、と強く呼びかけられた、という。

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年9月20日