In his weekly Angelus address, Pope Leo tells the crowds of pilgrims gathered in St Peter’s Square that “the presence of Jesus changes everything”.
(2026.8.9 Vatican News Françoise Niamien)
教皇レオ14世は9日、年間第19主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「嵐の真っ只中にいる弟子たちのところへ、イエスが水の上を歩いて来られた」(14章22–33節)箇所を取り上げ、「イエスの臨在はすべてを変える」と語られた。
水の上を歩いて来られたイエスの姿は、弟子たちを落ち着かせるはずが、さらに恐怖に陥れたが、イエスは、「勇気を出しなさい。私はいる(Here I am)。恐れるな!」と彼らを励まされた。
教皇は、この箇所について、「主の臨在はすべてを変えます。ペトロは主の言葉に勇気づけられ、波の上を数歩歩き、主のもとへ向かおうとした。だが、また怖くなり、沈みかけたところを、イエスが救ってくださいました」とされ、「この箇所は、恐れてはならない。決してイエスから目を離してはならない、ということを示しているのです」と説かれた。
*信仰の力に信頼する
そして、教皇は、「この体験が、弟子たちから、心からの『まことに、あなたは神の子である!』という信仰告白を引き出しました」とされ、 この信仰の告白を、マタイ福音書の別の物語と結びつけられた。そこでは、イエスは「まことに、あなたがたに言う。もし信仰を持ち、疑わなければ… この山に向かって『海に飛び込め』と言えば、そのとおりになる」(21章21節)と述べておられる。
「これこそが、弟子たちが湖上で体験したこと。荒れ狂う波の中にあっても、キリストの平安が彼らに届いたのです」と教皇は語られた。
*おごり高ぶらず、暗い瞬間も絶望しないこと
教皇はこの物語から、「成功に直面しても驕らないこと」、「問題に直面して無力感を抱き、努力しているのに前進ではなく後退しているように感じるような暗い瞬間であっても、絶望しないこと」の二つの教訓を引き出され、「いかなる状況においても、イエスは私たちをお見捨てにならない。祈りや秘跡、御言葉に耳を傾けることを通じて、謙虚にイエスを私たちの人生の舟に迎え入れれば、私たちの旅路のための平安と光、そして力を、イエスの中に見出すことができるでしょう」と強調された。
そして教皇は、「信仰ゆえに祝福された聖母マリアが、私たちがこのように、神への信頼に身を委ねて生きられるよう助けてくださるように」と祈られ、説教を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2026.8.6 バチカン放送)
教皇レオ14世が6日、イタリア中部ウンブリア州のアッシジを司牧訪問された。同地で開かれた若者たちの集い、「Go! Franciscan Youth Meeting」への参加が目的。
3日から6日まで4日間にわたって開かれたこの集いのは、イタリアと欧州諸国からおよそ2500人以上の若者が参加。アッシジの聖フランシスコの帰天から800年を記念するこの年、聖フランシスコが祈りと活動の拠点とし、息を引き取った場所である「ポルツィゥンコラ小聖堂」を内部に包容するサンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂を主会場に、祈りやワークショップなどが行われた。
一連のプログラムの頂点として、ミーティングの最終日の6日、教皇を迎え、対話とミサが行われた。聖堂前の広場で行われた質疑応答形式の対話では、参加者を代表して、3人の若者が教皇に質問し、助言を求めた。
クロアチア・ザグレブのフランシスコ会が司牧する小教区で成長したという女性は、「今日の世界でアッシジの聖フランシスコの霊性をいかに受け継ぎ、どのように福音の信頼しうる証し人となっていくことができるか」と質問。
教皇は「アイデンティティの対立の中で、宗教をその道具として利用しかねない社会で、キリスト者は平和の担い手としての役割をますます求められるようになるでしょう」とされ、さらに、「キリストの証人となることは、誤った情報が引き起こす恐れや偏見の壁を超えて、心を広げることであり、それは魅力的であると同時に困難なことでもあります。また、権力の文化から脱け出し、愛の文明を築くことは、すぐには、理解されず、受け入れられません」と指摘。
そのうえで教皇は、「聖フランシスコから福音に徹した生き方を学ぶように。彼の福音的なラディカルさ、それは原理主義とは正反対のものであり、私たちを盲目的・暴力的にすることなく、感受性や注意を深めさせ、イエスに従う者として常に謙遜で、すべての人を受け入れるように導いてくれます。それは、決して容易なことではないが、大きな喜びをもたらすでしょう」と励まされた。
教皇はまた、若者たちが今まさにいるこの場所が8世紀前には田園地帯であったこと、そこに「欧州各地からやって来た数千人の若い修道者たちがフランシスコと共に集っていたことを想像してみて欲しい」と求められた。
そして、1221年にポルツィゥンコラで開かれた「小さき兄弟会の総会」を取り上げ、 「そこでは、40人、そこに100人、ある場所には80人がそろって、という具合に人々が次々に集まり、皆が神について語り合い、祈ったり、涙を流したり、愛徳の業を行ったりしていた。彼らは、静かに、謙遜のうちに留まっていたので、音一つ聞こえなかった」(参照Fonti Francescane, 1848年)という描写を引用。
「そこにあった静けさは、戦争や、その暴力、叫び、残忍さとは正反対であり、修道士たちが敷いていたムシロは、今日の若者たちの寝袋と同様に、平和を物語るものでした」とされた教皇は、「誰もが招かる、兄弟姉妹たちの集まり、それが教会です」と強調。「共にいて、神について語り合い、神の光のもとに、人生そのもの、その美しさ、神秘、大切さについて互いに話すことは、なんと素晴らしいことでしょう」と語られた。
そして、特にテクノロジーのために、生身の人間同士の出会いが妨げられがちな現代において、「こうした生き方を、あらゆる場所で証しして欲しい」と若者たちに求められた。
若者たちとの対話に続いて、教皇は、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂に隣接した修道院やその中庭で、「アッシジの聖フランシスコ帰天800年委員会」の関係者や、司教たち、フランシスコ会系の諸修道会の会員らとお会いになった。そして、同聖堂内で若者たちのためにミサを捧げられ、アッシジで開催された青年たちの集いを閉じられた。
(編集「カトリック・あい」)
(2026.8.2 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇レオ14世は2日の正午の祈りの後、北アフリカのスペイン領セウタで起きている深刻な移民危機について懸念を表明。また、改めて世界中の戦争の終結を祈り、今週末に予定される「アッシジの赦し」の霊的な恵みについて語られた。
ロイター通信が2日午後報じたところによると、7月31日以降、隣接するモロッコから陸路と海路で約5万人がセウタに流入。国境へのフェンスの設置で、4万8000人以上が48時間以内にモロッコへ戻り、事態はほぼ収束したが、防波堤やフェンスを越えようとして溺死や圧死で少なくとも67人が亡くなった。
突然の大量の人々のセウタへの流入は、経済的困窮を背景に、交流サイト(SNS)上に広まったスペインの移民送還方針に関する誤ったうわさが後押ししたとみられ、スペイン政府は、人身売買組織が脆弱な立場の移民を利用してうわさを流した、と非難している。
教皇は、この事態に対して、「セウタにおける憂慮すべき状況を懸念をもって注視しています。『アフリカの聖母』の取り次ぎを通じて、平和、安定、そして正義をもたらす解決策が見出されるよう神に祈っています」と語られた。
続けて教皇は、ウクライナや中東など、戦争によって苦しむ地域のすべての人々への思いを馳せられ、「平和のために祈り続けましょう。世界中の戦争が終わり、紛争に対する外交的な解決策が見出されるように」と信者たちに促された。
特に、敵対行為の犠牲者、とりわけ「最も弱く、無防備な人々」を心に留め、子どもや高齢者、病人のために祈りを捧げられ、「主が、苦しむ人々を慰め、助けと慰めをもたらすすべての人々の働きを祝福してくださるように」と祈られた。
*「アッシジの赦し」今週末に
最後に、教皇はこの週末に行われる「アッシジの赦し」の行事を取り上げ、信者たちに「この偉大な霊的賜物に感謝し、それを大切にするように」と呼びかけられた。
「アッシジの赦し」は、伝統的にアッシジの聖フランシスコに由来する全免償の儀式であり、和解の秘跡と聖体の秘跡を受け、教区教会またはフランシスコ会の教会を訪れ、使徒信条と主の祈りを唱え、教皇とその意向のために祈ることで得られる。
起源は1216年に遡り、当時、アッシジにある聖フランシスコが建てた小さな礼拝堂「ポルツィウンコラ」で、イエス・キリスト、聖母マリア、そして天使たちが聖フランシスコの前に現れ、イエスが「魂の救いのために何を望むか」と尋ねると、フランシスコは、この礼拝堂に入るすべての人々に完全免罪を授けてくだささい、と願った。その後、この免罪は、8月1日または2日に教区教会やフランシスコ会教会を訪れるすべての人に広げられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
An American flag waves as Pope Leo XIV greets crowds in St. Peter’s Square (@Vatican Media)
(2026.7.30 Vatican News Devin Watkins)
29日にカストル・ガンドルフォでの夏季休暇を終えた教皇レオ14世が同日夜、米国のテレビ局NBCのインタビューに応え、米国の歴史における移民の重要性を強調するとともに、今後数年のうちにご自身の生まれ故郷を訪問する可能性を示唆された。
インタビューで教皇は、ご自身が愛する米国の側面や、移民を受け入れてきた同国の歴史について語った。
まず、「ご自身が初の米国人教皇であることについてどう思われますか」との問いに、教皇は、「たまたまアメリカ人である私が教皇になった、と受け止めている。だが、米国人であることの意義を軽視するつもりはありません」とされた。
さらに「私は米国に生まれ、家族は今も米国におり、私は米国を深く愛しているが、私の(教皇としての)使命には非常に重要な側面があると考えています。それは、普遍的な教会の牧者であり、世界中の人々に語りかける声と機会を持っている、ということです」と答えられ、同時に「私自身にとっても、そして米国民にとっても、初の米国人教皇であることには明らかに大きな意義があること』を認められた。
また「米国の何が好きか」と尋ねられると、「米国が体現する理念、自由の感覚、機会の感覚、そして何世代にもわたり世界中の人々を米国の一員として迎え入れてきたという感覚」を挙げ、「私自身の祖父母も米国に移民してきましたし、さらに遡ると、母方の家系には、奴隷だった人もいれば、奴隷の所有者だった人もいました」とされ、「いわば、私の成長の歴史や経験こそが、私が自分自身を米国の最大の財産の一つとして認識する助けとなっている。私は、長年にわたって米国人であることの根幹を成してきた原則を今も持ち続けており、それは今後も続いていきます」と語られた。
インタビューの締めくくりに、米国を訪問する予定について聞かれた教皇は、「皆さんは、そこ(米国)で私を見ることになるでしょう。偶然にも、今日、私は今後数年間の予定表についてチェックしたところです。まだ確定してはいませんが、近い将来、必ず行きたいと願っています」
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2026.7.19 Vatican News Alessandro Di Bussolo)
教皇レオ14世は19日、教皇別邸カステル・ガンドルフォでの正午の祈りに続けて、ウクライナや中東地域などで続く戦争に触れられた。
そして、「戦争や暴力に引き裂かれた各国で起きている出来事を、懸念しつつ注視し続けています」とされ、世界のすべての人々に、「『絶え間ない祈り』と『平和のための寛大な努力』を共に続けるように」呼びかけられた。
夏季休暇を過ごされているカステル・ガンドルフォの教皇別邸の入り口で、広場の群衆に向けて正午の祈りをされた教皇は、続けて、依然として和平の展望なく世界に影響を及ぼしている多くの紛争に、改めて懸念の念を寄せられ、次のように、人々に求められた。
「私たちは、戦争や暴力によって引き裂かれている様々な国々で繰り広げられる事態を、引き続き懸念を持って注視しています。これらの紛争によって苦しみ、命を落としている人々を、私たちは忘れることなく、平和に向けた努力とともに、絶え間ない祈りを続けましょう」。
ロシア軍の軍事侵略が続くウクライナでは、首都キエフなどで18日夜から19日午前にかけて170発近いミサイルとドローンによる過去最大規模の爆撃を受け、学生寮などが破壊、これまでに判明しただけで1人が死亡、数十人が負傷したと報じられている。
また、イラン南部でも、新たな米軍による空爆が行われたとの報告があり、イラク・クルディスタンも影響を受けている。ワシントンは、この新たな攻撃を先週金曜日にヨルダンのムワッファク・アル・サルティ空軍基地で発生、兵士2名が殺害された襲撃事件に対する報復とされている。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Oil tankers blocked in the Strait of Hormuz (AFP or licensors)
(2026.7.12 Vatican News Daniele Piccini)
米国とイランの間で武力紛争が再燃しているが、教皇レオ14世は12日、夏季休暇で滞在中のカステル・ガンドルフォの自由広場で正午の祈りを捧げた後、この武力紛争と、ロシアによる軍事侵略がウクライナの人々を苦しませ続けている現状に思いを馳せ、外交的解決への回帰を改めて訴えられた。
また、この日が「海の主日」にあたることから、中東はじめ世界の軍事的緊張によって労働条件がさらに厳しくなっているすべての船員や港湾労働者への連帯を表され、最後に、ポーランドの信者たちがヤスナ・グラ(注・ポーランド南部、チェンストホヴァにあるクロチナ・マドンナ(黒い聖母)」として知られる聖母マリアのイコンが置かれた修道院)への伝統的なマリア巡礼についても言及された。
教皇は、武力紛争の影響を受ける世界の多くの地域、そこで民間人が依然として最大の苦しみを強いられている状況について思いを巡らし、特に、米国とイランの合意への期待が打ち砕かれ、緊張が再燃している中東や、レバノンで続く危機、また、ここ数日、ハルキウ、ドニプロ、キエフ、オデッサにロシア軍の激しい攻撃が行われていることにも懸念を表明された。
「残念ながら、中東やウクライナ、そして世界の他の多くの地域で再び戦争の風が吹き荒れ、暴力、恐怖、死をまき散らし、再び多くの罪のない人々に影響を及ぼしています」と語られた教皇は、人々に希望を失わないよう励まされるとともに、国家間の永続的な和解を達成できる唯一の道として「対話と交渉への回帰」を次のように強く求められた。
「たとえ希望と平和の炎が、もろく、かすかに揺らめいているように見えても、この風によってその炎が消え去ることを許してはならない。我々が対話、出会い、そして外交の道を歩み続けることを、改めて願う。これこそが、人々が和解と相互の安全、そしてすべての人の尊厳を尊重して生きることができる、公正で永続的な平和へと導く唯一の道なのです」
*{海の主日」に船員のために祈る
また教皇は、この日が、カトリック教会の信徒が海で生活し働く人々のために祈る「海の主日」にあたることに注意を向けられた。そして、船員たちが直面してきた厳しい労働条件にさらに戦争が及ぼす影響について懸念を示され、「今日は『海の主日』です。愛する者たちとの離別、そして時には海上で起こる紛争への恐怖に苛まれながらも、忍耐強く静かな労働を通じて貿易と多くの人々の生活を支えている、世界中のすべての船員、漁師、港湾労働者たちに思いを馳せます」と語られた。
教皇は最後に、ポーランドと欧州全土における信仰の最も重要な表現の形の一つである、チェンストホヴァへの何世紀にもわたるマリア巡礼について言及され、「ヤスナ・ゴラの聖像を巡る年次巡礼に集まった多くのポーランドの信者たちのために祈りを捧げます。彼らが『宣教の弟子』として、福音の喜びに満ちた証人となれますように」と願われた。
毎年、数十万人の巡礼者がヤスナ・ゴラ修道院の聖堂を訪れ、チェストホヴァの聖母、いわゆる「黒いマドンナ」として知られる有名な聖像を崇敬している。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Leo delivers Sunday Angelus from Castel Gandolfo (@Vatican Media)
(2026.7.12 Vatican News Linda Bordoni)
夏季休暇中の教皇レオ14世は年間第15主日の12日、カステル・ガンドルフォの別邸の前に集まった人々と共に、正午の祈りをなさった。
祈りに先立つ説教で教皇は、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「種まく人のたとえ」を取り上げ、「神の言葉には、あらゆる心を変える力があること」を強調され、信者たちに「この夏に、沈黙と祈り、そして聖書の黙想のための時間を確保するように」と勧められた。
説教で、教皇は、福音書の「種まく人」の箇所は、「神が、私たちの心に御言葉を蒔く際の寛大さと信頼、そして私たちの中に働く神の力を明らかにしている」とされ、「神は、人間の心に御言葉の種を蒔くことに決して倦むことはありません。なぜなら神は、ご自身の愛の力が、私たちの弱さよりも強いことを知っておられるからです」と説かれた。
そして、「この神秘の中心には、キリストご自身が存在します。私たちの救いのために命を捧げられた、御言葉が肉となったイエスご自身が、父が世界中に蒔き続けている種なのです。そして、イエスは死によって多くの実を結ばれます」と述べられた。
教皇はまた、「神の御言葉が常に歓迎される心に出会うわけではありません。時には、『硬く、反応のない土』や、『踏み固められた道』『岩だらけの地面』『いばらの茂み』のような心に出会うこともあります」とする一方、「しかし、御言葉が『受け入れやすく肥沃な土壌』に落ちる時もあり、その瞬間に、すべてを変容させる力を持つ愛の奇跡が動き出すのです」と指摘。「そうであるからこそ、父は種を蒔くことを決しておやめにならない。それは、父がご自身の愛の力が私たちの弱さよりも強いことを知っておられるからです」と語られた。
*神は私たちの中にある善を見ておられる
続けて教皇は、聖ヨハネス・クリソストモスの言葉を引用され、「成長しそうにない場所に種を蒔く」という一見矛盾した行為について言及され、「農業の観点からは、そのような行為はほとんど意味がありませんが、神の働き方は違います。それは、『岩だらけの土地』さえも、『肥沃な土壌』に変えられるからです」と指摘。
「これは神の、人類に対する信頼が、一人ひとりを深く知り尽くしておられることに根ざしているからです… 神の私たちに対する寛大さは、無邪気なものではなく、賢明なもの。神は、時に私たち自身さえも気づかないような、善の潜在的可能性を私たちの中に見出しておられます」と述べられた。
そして、「私たちの心の土壌を、私たち以上に熟知しておられる主は、私たちを信じ続けられる。私たちが何者であるか、そして信仰をもって主に身を委ねれば、日々どのような存在になれるかを、主は、信じ続けられるのです」と強調された。
*御言葉を開かれた心で受け入れるとき、『愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制』の実を結ぶ
さらに教皇は、「神の御言葉が、謙虚で開かれた心で受け入れられるとき、それは聖霊の実を結びます。聖パウロの『ガラテヤの信徒への手紙』にあるように、その実は『愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制』です」とされ、「私たちの世界は、これらの実をいかに切実に必要としていることでしょう。それらに満たされ、それらによって変容されることを!」と語られた。
最後に教皇は、この夏の季節に「霊的生活を育むことで休息の時間を有意義に活用するように」と信者たちに勧められ、「特にこの夏の休暇期間中、神の御言葉に耳を傾け、それを読み、黙想する時間を確保することを決意ましょう… 有意義な沈黙と祈りのひとときを過ごすように」と呼びかけられた。
「そのようなひとときは、肉体と精神の両方を新たにし、キリスト教徒が福音の良き知らせを宣べ伝える準備が整い、神の国の成長にますます貢献できるようになる状態で、日常生活に戻れるようにするのです」と述べられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)