☩「環境問題への取り組みには『poésie(詩情)』と『勇気』が必要」教皇、若者たちに

教皇フランシスコと環境問題を考える教育イベントに参加した若者たち 2022年5月19日 教皇庁立ウルバノ大学環境問題を考える教育イベント「ラウダート・シ」教室に参加した若者たちと教皇 (Vatican Media)

(2022.5.20 バチカン放送)

 教皇フランシスコが19日、ローマの教皇庁立ウルバノ大学で開かれた環境問題を考える教育イベント「ラウダート・シ教室」に参加された。

 統合的エコロジーをテーマとする教皇の回勅のタイトル、「ラウダート・シ」からとられたこの催しには、中南米の国々やイタリア、スペインなど欧州の国々から約50人の若者たちが参加。

 教皇はあいさつで、「環境問題への取り組みには『poésie(詩情)』と『勇気』が必要… 生活の中の詩は、本からではなく、働きながら、自然を観想しながら学ぶものです」と語られ、地球の環境を守るため、然りとして取り組みを進めるよう、若者たちを励まされた。

 「ラウダート・シ教室」は、教皇が進める教育活動「スコラス・オクレンテス(出会いの学校、の意)の一環として行われた。教皇は先日、「スコラス・オクレンテス」を「国際的な性格を持つ信徒の組織」と定義するための文書と規則を発表されている。参加した若者たちは、今後一年間にわたり、世界各地で社会=環境計画に基づいた自然保護に取り組むことになっており、この教室では、そのための様々な目標が示された。

(編集「カトリック・あい」)

 

2022年5月21日

◎教皇連続講話「老年の意味と価値について」⑩「年配者は私たちに神への信頼を貫くことを教えてくれる」

Pope Francis' in St Peter's Square during Wednesday's general audiencePope Francis’ in St Peter’s Square during Wednesday’s general audience  (ANSA)

(2022.5.18  Vatican News staff reporter)

 教皇フランシスコは18日、水曜恒例の一般謁見で、「老年の意味と価値について」の講話を続けられ、今回は旧約聖書のヨブ記を取り上げられ、ヨブは、大きな苦しみの中にあっても信仰を貫くことで、「神は、自分が悪に直面する際、しばしば沈黙されるが、神は贖罪の恵みと愛をもって、そこにおいでになる」ことが分かった、と指摘された。

 説教で教皇は、「私たちは、信仰を証しする人としてのヨブと出会います。彼は、神の”戯画”を受け入れず、悪魔に直面して、神がお応えになり、顔をお見せになるまで大声で訴える… そして、神は、ヨブを抑えつけず、あるいはじっとしておらず、最高の優しさをもって、彼に栄光を表されるのです」と説かれた。

 悪魔によって酷い苦しみを受ける中で、ヨブは、悪魔についての友人たちのあまりにも短絡的な説明を否定し、ひどい痛みを訴え、神に抗議する。

 「父なる神は、ご自分のことも、苦しみのことも、全て知っていると思い込んでいるヨブの友人たちを叱責され、ヨブを慰めに来られた、それでヨブは、友人たちの思い込みをもって神のことを判断するのを止めました。そしてヨブは、後に明らかにされる神の正義を信頼します」と語られた。

 そして、「ヨブ記の寓話は、人生で本当に起きることー身分の低さや脆弱さと釣り合わない、実に厳しい試練が、ある人に、ある家族に、ある人々に、降りかかりることを、典型的な形で劇的に語っています」とされ、「不公平で忍び難い苦しみに耐え、それでもヨブのように神の約束を信頼し続ける状況にある人々を、私たち皆が知っています。とくに、重い障害を抱えた子供たちをもつ親たち、慢性の病いに侵された親たち、あるいは家族のうちの1人を介護している親たちの中に、そのような例をいくつも知っています」と述べられた。

 さらに、「歴史上のいつくかの重要な時点で、人々への重荷が何倍にもなると、一時期に集中して負わされている印象を与えます。この何年か、それが、新型コロナウイルスの世界的大感染、として今続いているウクライナにおける戦争、という形で起きています」と指摘。

 「しかし、神は、そうした敵対から距離を置くことをなさいません。初めの時から、ヨブに抗議の火を付けることをお許しになります。祈りは、自然に湧き出るように、子が父にするように、言いたいことを全て話さねばなりません。子は、父が自分を理解してくれることを知っています」と教皇は語られた。

 教皇は、「ヨブの信仰告白は、神への、卓越した正義への倦むことのない嘆願から出て来るもの」とされ、ヨブの神への言葉を引用されたー「私は耳であなたのことを聞いていました。しかし今、私の目はあなたを見ました」(ヨブ記42章5節)。

 そして、「この証しの言葉は、老境において、弱さが進み、色々な機能が失われていく中で、語られるときに、格別に信用できるものとなります。年配者たちは、このような経験を数多く目にして来たのです」とされ、最後に、「証しの道を見出だし、失うことの悲しみを、神の約束が果たされるのを待つ根気のよさに変える年配の人たちは、邪悪の氾濫に対しする、共同体社会にとってのかえがえのない”守備隊”なのです」と強調。

 「年配者たち、祖母たち、祖父たちは、神への祈りと信頼という模範によって、十字架につけられたイエスに向けて自分たちを一致させるように、私たちに教えくれる力があるのです」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年5月18日

☩「新聖人たちが、世界の指導者たちに”平和の主役”となるよう促してくれますように」ー復活節第5主日の正午の祈りで

A pilgrim with the colours of Ukraine on her headscarf during the Canonization Mass in St Peter's SquareA pilgrim with the colours of Ukraine on her headscarf during the Canonization Mass in St Peter’s Square  (Vatican Media)

(2022.5.15 Vatican News   Salvatore Cernuzio & Linda Bordoni)

 教皇フランシスコは15日、直前に行われた列聖式に世界中から参加した5万人の信徒、各国政府代表などで埋められた聖ペトロ広場で、復活節第5主日の正午の祈りを捧げられ、説教の中で、世界の指導者たちに対して、”対話の文化”を堅持し、戦争ではなく、平和の”主役”になる努力をするよう、改めて強く訴えられた。

 説教の初めに教皇は、「新聖人たちが、その福音の証しを通して、それぞれの出身国と人類家族全体の霊的、社会的な成長を促したのは、素晴らしいことです」とされたうえで、今も世界で数多くの戦争が行われ、人々を苦しめていることを強く非難するとともに、指導者たちに自らの責任を果たすよう求められた。

 そして、「悲しいことに、世界では(注:国々を隔てる)距離が伸び、緊張と戦いが増大しています」とされ、新しい聖人たちが「連帯と対話」による問題解決を促してくれることに、特に大きな責任を負う立場にあり、戦争ではなく平和の主役になることが求められている人たちの心に訴えかけてくれることに、希望を表明された。

教皇は、聖母マリアへの祈りを捧げられた後、列聖式のミサに参加した高位聖職者たちに感謝を述べ、無蓋の白い教皇専用車に乗車。車上から信徒たちに挨拶され、幼児たちを祝福され、ご自身の頭に載せたカロッタを突風が吹き飛ばす前に、広場を去られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2022年5月15日

☩「新聖人たちのように、喜びをもって神の夢を生きよう」10人の列聖式で

(2022.5.15 Vatican News Deborah Castellano Lubov)

  教皇フランシスコが15日、バチカンの聖ペトロ広場で列聖式ミサを奉げられ、新たに10人を聖人とされた。ミサ中の説教で教皇は、参列した信徒たちに向けて、神が私たちをいかに無条件に愛しておられるのか、そして、聖性への道がいかに「単純明快」であり、他者の中にイエスを見るよう求められているか、を強調された。(以下省略)

(2022.5.15 バチカン放送)

Canonization Mass

 説教の中で教皇は、「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ福音書13章34節)というイエスが受難の前に弟子たちに遺した「愛の掟」を取り上げ、「これを実践することこそ、キリストの弟子であるための本質です」と言明。

 そして、「福音と兄弟たちのために奉仕し、自分の利益やこの世の栄光を求めず、自らの人生を捧げるように、私たちキリスト者は呼ばれているのです」と語られた。

  今日宣言された新聖人たちは、「司祭、修道者、信徒としてのそれぞれの召命を情熱をもって生き、福音のために生涯を捧げることで、無比の喜びを見出し、歴史の中でイエスの輝きを反映した人々です」と指摘。

  さらに、「私たちもまた聖性に召されています」とされ、「一人ひとりがその唯一無二の聖性を生きることができるように」と祈られた。

 教皇フランシスコは15日、バチカンでミサを捧げられ、この中で列聖式をとり行われた。

 この儀式で10名の福者が聖人の列に加えられた。

 青空が広がったこの日曜日、バチカンには10人の新聖人にゆかりある国や地方から訪れた巡礼団、またこれらの聖人が創立した修道会の関係者らが多数詰めかけ、ミサ会場の聖ペトロ広場は喜びと熱気であふれた。この列聖式を通して、新たに聖人として宣言された人々は次の10名。

 - ラザロ・デヴァサハヤム・ピライ(信徒、殉教者 インド1712-1752)

 - セザール・ドゥ・ビュス(司祭、キリスト教教理司祭会創立者 フランス1544-1607)

 - ルイジ・マリア・パラッツォーロ(司祭、貧しき者の修道女会創立者 イタリア1827-1886)

 - ジュスティーノ・マリア・ルッソリッロ(司祭、神の召命会・神の召命修道女会創立者 イタリア1891-1955)

 - シャルル・ド・フーコー (司祭 フランス1858-アルジェリア1916)

 - イエスのマリア・フランチェスカ(アンナ・マリア・ルバット 修道女、ロアーノのカプチン律修第三会創立者 イタリア1844-1904)

 - マリア・ドメニカ・マントヴァーニ (修道女、聖家族の小さき姉妹会共同創立者 イタリア1862-1934)

 - ティトゥス・ブランズマ(司祭、カルメル会士 オランダ1881-ダッハウ強制収容所1942)

    – マリー・リヴィエ(修道女、聖母奉献修道女会創立者 フランス1768-1838)

    – イエスのマリア・サントカナーレ(カロリーナ・サントカナーレ 修道女、ルルドの聖母カプチン修道女会創立者 イタリア1852-1923)

2022年5月15日

☩9月25日「世界難民移住移動者の日」に向けてー「より良い未来は”異国の子ら”と築かれねばならない」

A migrants holds Pope Francis' hand during his visit to Lesbos in 2016A migrants holds Pope Francis’ hand during his visit to Lesbos in 2016 

 教皇フランシスコが12日、 9月25日の「世界難民移住移動者の日」に向けたメッセージを発表。  「より良い生活を求めて家を出た人々の助けを受けて、私たちの未来を築くこと」の必要を説かれ、「難民、移民の人たちと共に未来を築くということは、彼ら一人ひとりが未来構築の過程にどれほど多く貢献できるかを認め、評価することを意味します」と述べられた。

 「世界難民移住移動者の日」は1970年に当時の教皇パウロ6世が、バチカンに移住・移動者司牧評議会を設置したのを受け、毎年9月第四日曜日を「世界の各小教区とカトリック施設が、国籍を超えた神の国を求めて、真の信仰共同体を築き、全世界の人々と『共に生きる』決意を新たにする日」としたもの。

 教皇はメッセージで、真の天の故郷に向けた人類の「旅」について考察され、「神の王国は、イエス・キリストによる救いを受け入れた人々の中にすでに存在しています」とされたうえで、「私たちが神の王国の実現へ旅するとき、一人ひとりが回心に努め、私たちの世界を変革し、これまで以上に神の計画と調和したものとなるようにせねばなりません」と説かれた。

*『人類と共に神が住まう場所』への道は遠い

 そして、人類の歴史において悲劇が続いていることを嘆かれ、「それは、私たちが『人類と共に神が住まわれる場所』への道をまだ歩んでいないことを、思い起こさせます」と述べられたうえで、「近年の数々の苦難で学んだことを踏まえ、『誰もが平和と尊厳の中で生きることができる世界」という神の計画に一致する未来を築く約束を新たにすることが求められています」と強調。「『王国の義』を求め、キリストの救いの『愛の福音』を受け入れることで、その旅を進めることができるのです」と語られた。

*すべての不平等と差別は排除せねばならない

 さらに教皇は、「すべての不平等と差別は、社会から排除されねばならず、いかなる人も排除されてはならない」とされ、「神の計画は、本質的にすべての人を包むものであり、中でも社会の周辺に置かれた人々を優先します。そして優先すべき人の中に、移民や難民、避難民、人身売買の犠牲者がいます」と指摘。キリスト教徒は「自分たちの住む家を追い出された人々」と共に神の王国を築ねばならず、「最も弱い立場にある人々を仲間に入れることは、神の王国で完全な市民権を得るための必要条件です」とされた。

*移民・難民の受け入れ国での価値と可能性

 教皇はまた、「移民・難民と共に未来を築くために、彼らの新しい住まいとなる国において、彼らの価値と可能性を認めることも必要」と語られ、預言者イザヤが「シオンの栄光」(イザヤ書60章)で語っているように、「異国の子ら」は「『侵略者』や『破壊者』ではなく、より良い社会への『意欲的な働き手』と見なされるべきです」と強調。

 そして、移民・難民が、受け入れられた国で、社会的、経済的成長にための貴重な資源を提供してきたことを歴史が示しており、「彼らの働きぶり、若さ、熱意、そして犠牲を厭わない高い意欲は、彼らを受け入れる共同体社会を豊かにします。しかも、念入りに作られたプログラムとその実行でそれが最適な形で支援されれば、彼らの貢献はさらに大きいものとなる可能性があります。チャンスが与えられれば、大きな可能性があり、すぐに活用できるようになるのです」と説かれた。

 

*霊的刷新にも貢献する

 さらに教皇は、数多くの問題を示される一方で、移民・難民は「いくつもの共同体社会が世界をよりよく理解し、精神的な成長に貢献するのを助けることができます」とし、カトリックの移民・難民は「彼らを受け入れる共同体社会で教会活動を活気づけることができる… 信仰と献身のさまざまな表現を共有することは、神の民の普遍性をより完全に体験するための特別の機会を私たちに与えてくれます」とされ、海外から入国してくる兄弟姉妹を暖かく迎えるように勧めることで、メッセージを締めくくられた。

【世界難民移住移動者の日のための祈り】

 最後に教皇は、「世界難民移住移動者の日」のための特別な祈りに、信徒たちを招かれた。

主よ、私たちを希望の担い手にしてください
闇があるところに あなたの光が輝くように
落胆があるところに 将来への自信が生まれるように

主よ、私たちをあなたの正義の道具にしてください、
排除があるところに 友愛が栄えるように                                                           貪欲があるところに 分かち合いの精神が育つように

主よ、私たちをあなたの王国の建設者にしてください
移民や難民と共に
そして、周辺に住むすべての人と共に

主よ、兄弟姉妹として一緒に暮らすことが どれほど美しいかを                                              私たちが学ぶようにしてください  アーメン。

 

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2022年5月13日

◎教皇連続講話「老年の意味と価値について」⑨神にいただいた時を恵みで満たす”情熱的な高齢者”になろう

教皇フランシスコ 2022年5月11日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場教皇フランシスコの一般謁見(2022.5.11 バチカン・聖ペトロ広場 =Vatican Media)

 教皇フランシスコは11日の水曜恒例一般謁見で、「老年の意味と価値について」の講話をお続けになり、今回は旧約聖書続編の「ユディト記」をもとに、「ユディト、感嘆すべき若き日、寛大な晩年」をテーマにお話しになった。

 講話の要旨は次のとおり。

**********

 今日は旧約聖書のヒロインの一人、ユディトについて話したいと思います。若く徳の高いイスラエル人の寡婦、ユディトは、自分が住んでいたベトリアの町がアッシリア軍に包囲され、崩壊の危機に遭った時、その信仰と美しさ、賢さによって、アッシリア軍を打ち破るのに大きく貢献し、町を救いました。

 ユディトは勝利を神に感謝する為、エルサレムに上った後、ベトリアに戻り、そこで百五歳まで立派な人生を送りました。それは彼女にとって、いわゆる”引退生活”でした。100歳以上まで生きる、という長寿の恵みを得ました。

 今も、たくさんの人々が引退後も長い年月を過ごしていますが、この自由に使える時間をどのように解釈し、どのように活かすべきでしょうか。ユディトは若くして夫を失い、子はありませんでしたが、主から託された使命を最後まで果たした、という自覚のもとに、晩年を、充実した平安な時として生きることができました。それは彼女にとって、物質的な財産だけでなく、賢明さ、優しさといった財産を、一族や共同体に遺すべき時でもあったのです。

 ユディトは晩年に「侍女を自由の身に」(16章23節)しました。これは自分に仕えてくれた人に対する、配慮ある人間的な眼差しのしるし、です。私たちは歳をとると視力は衰えますが、心の眼差しは、若い時よりも深くなります。以前は見過ごしていた物事が、見えるようになります。

 主は、若い人や強い人にだけ才能を託されるのではありません。それぞれに応じて、皆に与えられているのです。私たちの共同体は、多くの年配者の才能とカリスマを享受すべきです。年配者は、引退生活を送っても、活かすべき豊かさそのものなのです。

 また、豊かさを生かすために、年配者自身に求められるのは、創造的な新しい視点と寛大な奉仕の心です。現役時代の能力は、「教え、助言し、築き、世話し、耳を傾けること」を通して、他者に与えるための財産となります。そして、その能力は可能であれば、習得の機会を持たない人々や、孤独に陥っている人々のために用いられるべきでしょう。

 ユディトは侍女を自由の身にし、皆に配慮を尽くし ました。ユディトは、若い時、その勇気のために共同体の尊敬を得ました。晩年には、その優しさによって共同体を自由と愛情で満たしました。ユディトは、憂鬱にむなしく時を過ごす”引退生活者”ではありませんでした。神が与えてくださった時を恵みで満たす、”情熱的な高齢者”だったのです。

(編集「カトリック・あい」)

2022年5月13日

☩「人は年老いても、なお実を結ぶ」7月24日「高齢者のための祈願日」を前に

教皇フランシスコとお年寄りたち教皇フランシスコとお年寄りたち  (Vatican Media)

(2022.5.10 バチカン放送)

 7月24日はカトリック教会の「祖父母と高齢者のための世界祈願日」だが、教皇フランシスコがその日を前にしたメッセージを発表された。を

 メッセージで教皇はまず、「年老いてもなお実を結ぶ」(詩編92章15節)という今年の祈願日のテーマについて、「高齢になった人生を諦め、未来の希望を感じない一部のお年寄りたち」への、「年齢にしばられた見方する傾向のある世界」への、福音と告げるもの、とされた。

 そして、現代の「切り捨ての文化」により高齢者など弱い人々を遠ざける傾向が強まっているが、「聖書が教えるように、長生きは一つの祝福であり、命を豊かに与える神の愛の生きたしるしです」と言明。「高齢者を守る家、祖父母を敬う家庭を、神が祝してくださるように」と願われた。

 ただ、「高齢は、理解の難しい人生の季節であり、生涯の長い歩みの後で、あたかも突然、現れるもののようでもあります」とされ、「高度に発達した社会は、高齢期のために多くを投資し、支援の計画を提供するが、老齢の意義を理解することは助けてくれません。老いを隠し、若さを装う努力はしても、老齢そのものの実りについては諦めているのです」と指摘しつつ、「高齢者たちは、自分を『無用な存在』と考えがちですが、人生のすべての季節においでになる神は、多くの問題を抱える高齢者にも命を与え続け、お見捨てになることはありません」と勇気づけられた。

 また、教皇は、高齢者たちに「自分を注意深く見つめ、内的生活を育み、霊的な観点からも活発な高齢期を送ることを学びましょう… 神との関係、そして家族をはじめ、人々との関係を築き、そこに愛情と配慮をもたらすように」と勧められた。

 さらに、「今日、世界は新型コロナウイルス感染の嵐に続いて、平和と発展を脅かす戦争を体験しています… この時代にあって、高齢者たちは世界を守るように召されているのです」とされ、「具体的な支援や祈りを通して、ウクライナや、アフガニスタン、南スーダンなどの子どもたち、まだ見たことのない、たくさんの”孫”たちを心に留めましょう…。そして、このような働きを通して、今日の世界で『優しさの革命』の担い手となるように」と促された。

(編集「カトリック・あい」)

2022年5月12日

☩深刻な社会経済危機のスリランカへ「政治指導者は国民の声に耳を傾けよ」

(2022.5.11 バチカン放送)

 教皇フランシスコは11日の水曜恒例の一般謁見で、経済危機による抗議デモが激化するスリランカ国民に対して、アピールを出された。

 スリランカでは深刻な経済危機から、政府に対する抗議デモが続いている。非常事態宣言が出される中で、デモ参加者と政府支持者の間の衝突が激化し、多くの死傷者が出。9日には、マヒンダ・ラジャパクサ首相が辞任した。

 教皇はこのような事態に対して、スリランカ国民、特に「社会・経済上の課題や困難を前に自分たちの叫びを上げた若者たち」に特別な思いを向けられるとともに、スリランカの宗教指導者たちと心を合わせ、あらゆる立場の人々に、暴力に陥ることなく、平和的態度を保つよう呼びかけられた。

 また、同国の指導者たちに対し、人権と社会的自由を尊重しながら、国民の切望に耳を傾けるように、と願われた。

(編集「カトリック・あい」)

2022年5月12日

☩「聞き、付き従おう。主、私たちの良き牧者に」復活節第4主日正午の祈りで

(2022.5.8 Vatican News  Thaddeus Jones)

  教皇フランシスコは8日、復活節第4主日の正午の祈り(”レジナチェリの祈り”)に先立つ説教で、この日のミサで読まれた福音書の箇所(ヨハネ10章27-30節)を取り上げ、イエスが、主と私たち1人ひとりの間にある愛の絆について教えておられるように、「イエスが私たち以上に私たちをよく知っておられることを認識し、私たちの良き牧者としてイエスに付き従うよう呼びかけておられる時、その主の声を聞く必要があります」と説かれた。

*この日の福音のキーワードは「聞く」「知る」「従う」

 教皇はまず、この日のミサでの朗読箇所で「羊と共にいる羊飼いの優しく素敵なイメージ」としての主についてどのように語っているのか注意を向けられ、「主の羊は、彼の声を『聞き』、彼を『知り』、そして彼に『従い』ます。この3つの動詞(聞く、知る、従う)は、この朗読箇所が伝えようとする重要なメッセージ。主の導きが、私たちを主と交わるよう呼びかけてくださる恵みが、どのようにもたらされるかを示すのが、羊は羊飼いの声を『聞き分ける』です」と指摘。

 そして、「主の招きを受け、主と交わりを持つためには、「その呼びかけを聞く用意をし、心を開く必要があります。今日の世界では、仕事や、家族のこと、個人的な問題で余裕をなくしていることがよくありますが、好奇心を持ち、主と兄弟姉妹との交わりを持てるように開かれた心をもって、私たちは聴くー親の言葉を聞く子供のように、主なる父の言葉を聞く―ことが求められます」とされ、「そうすれば、素晴らしい体験が待っています。主ご自身が私たちに耳を傾けてくださるのです。私たちが、主に祈るとき、主の悩みを打ち明けるとき、主に呼び掛けるとき、主は耳を傾けてくださいます」と強調された。

 

*主はご自分の羊を知っておられる

 イエスの言葉に耳を傾けることで、私たちは「イエスが私たちを知っておられる」ことに気が付く。教皇は、「この箇所で使われている『知る』は、『愛する』を意味します。主は私たちと私たちの内なる存在のすべてをご存じです。イエスは、私たちに友情、信頼、愛、親密さを求めておられ、『私たちは、いつも主に愛されている。決して一人ぼっちにはならない』という素晴らしい現実を理解し、受け入れるのを助けてくださいます」と説かれた。

 さらに、「善き羊飼いを共にいることは、詩編が次のように語る体験を生きるようにしますー『たとえ死の陰の谷を歩むとも、私は災いを恐れない。あなたは私と共におられる』(23章4節)と」と語られた。

 そして教皇は「主は、私たちが苦しみ、困難、危機に遭うとき、私たちを支えてくださいます。特に、そのようなときに、『私たちは主に知られ、愛されている』と気付くことがあります」とされたうえで、「私たちが日々の暮らしの中に主を受け入れているか」「私たちが、すべての試練と苦難を主と共にしているか」を自分に問うように勧められた。

*良き羊飼いに従おう

説教の最後に、教皇は動詞「従う」を取り上げ、「主に付き従う人々は、主が進まれるのと同じ道、同じ方向を進みます。そして、良き羊飼いがされるように、迷える人々、思いやりと愛を求めている人々を探し求めます」と語られ、さらに「主に付き従う人々は、見失った人々を探しに出かけ(ルカ福音書15章4節参照)、遠く離れた人々に関心を持ち、苦しむ人々に心を留め、涙を流す人々と共に泣くことを知っています。隣人に手を差し伸べ、彼を、彼女を自分の肩に載せます」とされた。

 そして、私たちは「イエスだけに、私たちを愛してもらおうとするのか」「主に倣うために次のステップを踏み、主が私たちになさったように、私たちの兄弟姉妹に手を差し伸べるのか」を自問する必要があります」と言われ、聖母マリアが、私たちがキリストの声を聞き、常によく知り、奉仕の道を歩むその方に付き従うのを助けてくださるように、と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の引用は、「聖書協会・共同訳」を使用)

2022年5月8日

☩5月8日・世界召命祈願の日「私たちは皆、人類家族の実現に召されている」

(2022.5.7 カトリック・あい)

 教皇フランシスコは8日の世界召命祈願の日にあたって、メッセージを発表された。バチカン広報発表の公式英語訳全文を以下に試訳する。

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MESSAGE OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS FOR THE 2022 WORLD DAY OF PRAYER FOR VOCATIONS Called to Build the Human Family

 2022年世界召命祈願の日へ教皇フランシスコのメッセージ「人類家族の実現に召されている」

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、

 戦争と抑圧の冷たい風が吹いている今、そして私たちが二極化の兆候に頻繁に出会う今、私たちはシノドスの道の歩みを始めました。私たちは共に旅をし、耳を傾け、参加し、分かち合う心を育てることを急がねばならない、と痛感しています。善意のすべての男女と共に、私たちは人類家族を育て上げ、その傷を癒し、より良い未来へと導く手助けをすることを希望しています。この第59回世界召命祈願の日にあたって、私はあなたがたと共に、共働する教会ー神とこの世界の声に耳を傾ける教会ーの文脈で、「召命」のもつ幅広い意味について深く考えたいと思います。

*教会の使命の共に主役になるよう召されている

 Synodality(共働すること)ー共に旅することーは、教会における召命の基本です。この見方を背景に置くことによってのみ、さまざまな召命、神からの賜物である資質、聖職を識別し、重んじることができるのです。

 私たちは知っていますー福音を宣教し、外に出て行き、時代の変遷の中で福音の種を蒔くために、教会がある、ということを。そしてこの使命は、司牧的活動のすべての分野が協力すること、そしてさらに重要なのは、主のすべての弟子が関わりをもつときだけ、果たすことができるということです。

 「洗礼を受けたことで、神の民のすべての成員が宣教する弟子となりました(マタイ福音書28章19節参照)。教会の中の役割がどんなものであっても、また信仰の素養に差があっても、洗礼を受けた1人ひとりが福音宣教者なのです」使徒的勧告(Evangelii Gaudium=福音の喜び=120項)。

 私たちは、司祭と一般信徒を区別し、前者を主役、後者を実行者と見なす(誤った)考えに陥らないように注意し、一つの神の民である一般信徒、司牧者としてキリスト教徒の使命を共に担わねばなりません。教会は全体として、宣教する共同体なのです。

 

*互いと創造物の守り手となるよう召されている

 「召命」という言葉は、単に、特別な奉献の人生を通して主に従う人々を指すものとして、限定的に理解されるべきではありません。私たち皆が、「ばらばらになった人類をもう一度ひとつにし、神と和解させる」というキリストの使命を共に担うよう召されています。男女それぞれが、キリストに出会い、キリスト教の信仰を受け入れる前においてさえも、私たち1人ひとりが神に望まれ、愛されている存在である、という根本的な召し出しを、命という賜物と共に受けているのです。

 私たち一人一人が、神の心の中で、独特で特別な場所を占めています。私たちは、人生のあらゆる時に、男女すべての心に存在するこの神聖な輝きを育て、愛と相互受容に触発された人類の成長に貢献することを、求められています。お互いの守り手であり、調和と共有の絆を強め、創造物の傷を癒し、その美しさが損なわれないようにすることを、求められています。

 ひと言で言えば、私たちは、多様性の中で様々な要素を調和させ、創造物の”素晴らしい共通の家”でひとつの家族になるように、求められている、ということです。そして、広い意味で、個々人だけでなく、人々の集まり、共同体社会、そしてさまざまな種類のグループにも「召命」があるのです。

 

*神のまなざしを喜びをもって受け入れるよう召されている

 この偉大な共通の召命の中で、神は、私たち一人一人に特定の召し出しをなさいます。愛をもって私たちの生きざまに触れ、私たちの究極の目標、死の限界を超えたその達成へと導かれます。それが、私たちの生きざまを見ることを望まれ、そして今もなお見ておられる神のなさり方なのです。

 ミケランジェロは、「すべての石の塊には彫像が内包されている、それを見いだすのが彫刻家の仕事だ」と言っています。そのように芸術家について言えるのだとすれば、神にはもっと、当てはまるのではないでしょうか!

 神は、ナザレに住む若い女性に、「神の母」を見いだされました。漁師のシモンに、ご自分の教会を建てる基盤となるペトロを見いだされました。徴税人のレビに、使徒であり宣教者であるマタイを見いだされ、キリスト教徒を迫害していたサウルに、異邦人の使徒となるパウロを見いだされました。神の愛情深いまなざしは、いつも常に私たちに出会い、私たちに触れ、私たちを解放し、私たちを変容させ、私たちを新しい人に変えるのです。

 それが、すべての「召命」で起こることです。私たちは、私たちを召される神のまなざしに出会うのです。召命は、神聖視された、少数の人のためにあらかじめ定められた特別な経験ではありません。 「隣にいる聖人の聖さ」(Gaudete et Exsultate 6-9項参照)があるように、神のまなざしと召命は、すべての人に向けられており、すべての人に召命があります。

 極東の諺にはこうありますー「賢人は、卵を見てワシを知り、種を見て大木を垣間見、罪人を見て聖人を垣間見る」。これが、神が私たちを見るなさり方です。私たち一人一人に、時には自分自身が気付いていない特定の可能性を見いだされ、その人生を通して、私たちがこの可能性を他の人や社会に役立てられるように、絶えず努力されます。私たちを殻から出し、私たちが求められている「傑作」となるように「手」を使われる、神という彫刻家によって、『召命』は生まれるのです。

 私たちを自己陶酔から解放する神の言葉は、私たちを浄化し、啓発し、再創造することと可能にします。ですから、神が私たちに委ねられた召命に対して、これまで以上に心を開くために、その言葉に耳を傾けましょう!そして、信仰において、兄弟姉妹にも耳を傾けることを学びましょう。彼らの示唆と模範は、これまでにない新しい道を示される神の計画を、私たちに明らかにする役に立つでしょう。

 

*神のまなざしに応えるよう召されている

 神の愛情深く、創造的なまなざしは、イエスにおいて極めて独特ななさり方で私たちに注がれます。宣教者マルコは、イエスが金持ちの青年と話した時に「彼を見つめ、慈しんで言われた」(マルコ福音書10章21節)と書いています。愛に満ちたイエスのまなざしは、私たち1人ひとりに注がれます。

 兄弟姉妹の皆さん、このようなやり方で互いを見ることを学びましょう。そのやり方とは、私たちが生き、出会うすべての人ーそれが誰であろうとーが、喜んで迎えられていると感じ、愛を込めて見つめ、潜在的な力を発揮するように招かれる方がおられることを知るようにすることです。

 このようなまなざしを進んで受け入れるなら、私たちの人生は変わります。すべてが、私たちと主の間だけでなく、私たちと他の人たちとの対話になります。対話を深く、経験することによって、私たちはこれまで以上に自分らしくなります。キリストの恵みと憐れみの道具となる「司祭職へ召命」において、神の賛美者、新しい人の預言者となる「修道者への召命」において、互いに贈り物となり、人生の与え手、教え役となる「結婚への召命」において、神の目を通して他者と世界を見るように、善なるものに仕えるように、そして働きと言葉によって愛をひろげるようにと、私たちに呼びかける、すべての教会の召命と奉仕において。

 ここで、ホセ・グレゴリオ・エルナンデス・シスネロス博士( 1864 – 1919) の人生について触れておきたいと思います。ベネズエラ人の彼は、カラカスで医師として働いているときに、フランシスコ会の信徒会員になることを希望しました。さらに、司祭修道士になることを考えましたが、健康上の理由で希望がかなえられませんでした。そのようなことから、彼は自分の召命が医療の専門家として生きることであり、何よりも貧しい人々に奉仕することにある、と理解するようになりました。「スペイン風邪」の世界的な大流行が起きた時、自分に与えられた召命をいかんなく発揮しましたが、ある日、年配の患者のために薬局で薬を購入し、そこから出た時に自動車事故に遭い、命を落としました。主の呼びかけに応えることの模範的な証人である彼は、1年前に列福されています。

 

*友愛に溢れた世界を築くため召されている

 キリスト教徒として、私たちは一人ひとり別々に召命を受けるだけではありません。一緒に召されることもあります。私たちはモザイクのタイルのようなものです。それぞれが、それ自体、素晴らしいのですが、皆が組み合わされたとき、一服の絵が出来上がります。私たち一人一人は、神の心と宇宙の大空の中で星のように輝いていますが、同時に、私たちが住んでいる周りから始めて、人の歩みを導き、照らすことができる星座を作るように召されています。

 これが教会の神秘ですー相違を賛美すること、人類がそうなるように召されているすべてのしるしと道具。だからこそ、教会は、よりいっそう、 synodal(共働する)存在にならねばならないのです。共に歩み、調和のとれた多様性で一致し、誰もが積極的に参加でき、誰もが貢献できる場所となるように。

 私たちが「召命」について話すとき、それは生き方を選ぶことー特定の聖職に人生を捧げること、あるいは信仰あつい家庭、運動、あるいは教会共同体の神から与えられた賜物に心惹かれることことーだけではありません。それは、神の夢ーイエスが「すべての人を一つにしてください」(ヨハネ福音書17章21節)と御父に祈られ、育まれた友愛の偉大な夢ーを実現することです。

 教会における、そしてより広い意味で社会における召命は、共通の目的に貢献します。その目的とは、聖霊によってもたらされる多様な賜物の調和を、男女皆で賛美することです。司祭、男女修道者、一般信徒の皆さん、「愛において一致した一つの偉大な人類家族は、空想の産物ではない」という真理を証しするために、共に旅と続け、働きましょう。

 兄弟姉妹の皆さん、歴史の劇的な出来事の中で、神の民が、この呼びかけにいっそう力強く応えることがきるように、祈りましょう。私たち皆が自分に相応しい場所を見つけ、この偉大な神の計画の次元のために最善を尽くすことができるように、聖霊の光を願いましょう!

 ローマ、ラテラノの聖ヨハネ教会にて。 2022年5月8日、復活節第4主日に  フランシスコ

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年5月7日