☩「最も暗い闇の中にあっても、イエスは私たちを見捨てない」-教皇、年間第19主日の正午の祈りで

Pope Leo greets the crowds at today's Angelus
In his weekly Angelus address, Pope Leo tells the crowds of pilgrims gathered in St Peter’s Square that “the presence of Jesus changes everything”.

(2026.8.9  Vatican News  Françoise Niamien) 

 教皇レオ14世は9日、年間第19主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「嵐の真っ只中にいる弟子たちのところへ、イエスが水の上を歩いて来られた」(14章22–33節)箇所を取り上げ、「イエスの臨在はすべてを変える」と語られた。

 水の上を歩いて来られたイエスの姿は、弟子たちを落ち着かせるはずが、さらに恐怖に陥れたが、イエスは、「勇気を出しなさい。私はいる(Here I am)。恐れるな!」と彼らを励まされた。

 教皇は、この箇所について、「主の臨在はすべてを変えます。ペトロは主の言葉に勇気づけられ、波の上を数歩歩き、主のもとへ向かおうとした。だが、また怖くなり、沈みかけたところを、イエスが救ってくださいました」とされ、「この箇所は、恐れてはならない。決してイエスから目を離してはならない、ということを示しているのです」と説かれた。

 

*信仰の力に信頼する

 そして、教皇は、「この体験が、弟子たちから、心からの『まことに、あなたは神の子である!』という信仰告白を引き出しました」とされ、 この信仰の告白を、マタイ福音書の別の物語と結びつけられた。そこでは、イエスは「まことに、あなたがたに言う。もし信仰を持ち、疑わなければ… この山に向かって『海に飛び込め』と言えば、そのとおりになる」(21章21節)と述べておられる。

 「これこそが、弟子たちが湖上で体験したこと。荒れ狂う波の中にあっても、キリストの平安が彼らに届いたのです」と教皇は語られた。

 

*おごり高ぶらず、暗い瞬間も絶望しないこと

 教皇はこの物語から、「成功に直面しても驕らないこと」、「問題に直面して無力感を抱き、努力しているのに前進ではなく後退しているように感じるような暗い瞬間であっても、絶望しないこと」の二つの教訓を引き出され、「いかなる状況においても、イエスは私たちをお見捨てにならない。祈りや秘跡、御言葉に耳を傾けることを通じて、謙虚にイエスを私たちの人生の舟に迎え入れれば、私たちの旅路のための平安と光、そして力を、イエスの中に見出すことができるでしょう」と強調された。

 そして教皇は、「信仰ゆえに祝福された聖母マリアが、私たちがこのように、神への信頼に身を委ねて生きられるよう助けてくださるように」と祈られ、説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年8月9日

☩「スーダン、ウクライナ… 暴力の連鎖を止め、外交に道を開けよ」-教皇、年間第19主日の正午の祈りに続けて

(2026.8.9 Vatican News  Kielce Gussie)

 教皇レオ14世は9日の正午の祈りに続けて、スーダン、ウクライナで続く暴力の応酬について懸念を表明され、「暴力をまき散らす者たちの改心」と、「増え続ける民間人の犠牲の終結」を訴えられた。A damaged interior view of the Agricultural Bank of Sudan after it was reportedly targeted by the Rapid Support Forces in el-Obeid on July 27, 2026

 この中で教皇はまず、政府軍と反政府組織の戦闘が激化するスーダン中部、エル・オベイドにおける民間人の犠牲について言及。すべての人々への精神的な連帯を表明するとともに、権力者に対し、「民間人のための人道回廊を確保」を強く求められた。また、世界の国々や国際機関に対し、「即時停戦を実現するための取り組み」を支援するよう呼びかけられた。(写真右は、天井に穴をあけられたスーダン銀行の建物)

 そして、世界の人々に、主が苦しむすべての人々を支え、守り、「暴力をまき散らす者たちの心を改めさせ、待ち望まれた平和を授けてくださるように」と祈るよう促された。

 国連は、エル・オベイドがスーダンにおける人道上の大惨事となる危険性がある、と警告している。数か月にわたる包囲の中で、ドローンによる攻撃が続き、性的暴力も増加し、食料、水、医療物資が底をついた、との報告が相次いでいる。(写真左」エル・オベイド近郊で、食料援助に群がる子供たち)

Sudanese children trying to get leftover food from an empty pot in a camp for displaced people near the city of el-Obeid

 エル・オベイドは、スーダン中部の戦略的回廊沿い、同国西部のダルフール地域へと続く道路上に位置する要衝で、政府軍と反政府組織が確保を目指し、戦闘を激化させているのだ。

 3年にわたる紛争が続くスーダンでは、全土で1400万人以上が避難を余儀なくされ、数百万人が飢餓に苦しんでいる。

 教皇はまた、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が今も続く中で、「多くの罪のない命が失われ、人々が負傷している」ことに改めて注意を向けられ、「悲劇的な出

Ukrainian rescuers work at the site of a Russian strike on a residential area in downtown Odesa, Ukraine, August 9, 2026

来事が単に続いているだけでなく、増え続けている。その結果、民間人の犠牲者が増加している」ことを強く嘆かれ、「私は、犠牲者の家族、負傷者、そして現在進行中の紛争によって苦しんでいるすべての人たちと共にいます」と強調。(写真右:ウクライナのオデッサ市街でロシアに攻撃された建物の消火に当たる人々)

 そのうえで、教皇は、「国際人道法が尊重され、双方の当事者が民間人を標的とする攻撃を停止するように… 戦争はさらなる戦争を生み出し、計り知れない苦しみをもたらすだけです。今こそ、暴力の連鎖を止め、外交と対話のための道を開き、平和への道を切り開く時です」と訴えられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年8月9日

・「聖フランシスコから福音に徹した生き方を学ぶように」教皇、アッシジでの聖人帰天800周年記念の若者たちの集いで

(2026.8.6 バチカン放送)

  教皇レオ14世が6日、イタリア中部ウンブリア州のアッシジを司牧訪問された。同地で開かれた若者たちの集い、「Go! Franciscan Youth Meeting」への参加が目的。

  3日から6日まで4日間にわたって開かれたこの集いのは、イタリアと欧州諸国からおよそ2500人以上の若者が参加。アッシジの聖フランシスコの帰天から800年を記念するこの年、聖フランシスコが祈りと活動の拠点とし、息を引き取った場所である「ポルツィゥンコラ小聖堂」を内部に包容するサンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂を主会場に、祈りやワークショップなどが行われた。

 一連のプログラムの頂点として、ミーティングの最終日の6日、教皇を迎え、対話とミサが行われた。聖堂前の広場で行われた質疑応答形式の対話では、参加者を代表して、3人の若者が教皇に質問し、助言を求めた。

 クロアチア・ザグレブのフランシスコ会が司牧する小教区で成長したという女性は、「今日の世界でアッシジの聖フランシスコの霊性をいかに受け継ぎ、どのように福音の信頼しうる証し人となっていくことができるか」と質問。

 教皇は「アイデンティティの対立の中で、宗教をその道具として利用しかねない社会で、キリスト者は平和の担い手としての役割をますます求められるようになるでしょう」とされ、さらに、「キリストの証人となることは、誤った情報が引き起こす恐れや偏見の壁を超えて、心を広げることであり、それは魅力的であると同時に困難なことでもあります。また、権力の文化から脱け出し、愛の文明を築くことは、すぐには、理解されず、受け入れられません」と指摘。

 そのうえで教皇は、「聖フランシスコから福音に徹した生き方を学ぶように。彼の福音的なラディカルさ、それは原理主義とは正反対のものであり、私たちを盲目的・暴力的にすることなく、感受性や注意を深めさせ、イエスに従う者として常に謙遜で、すべての人を受け入れるように導いてくれます。それは、決して容易なことではないが、大きな喜びをもたらすでしょう」と励まされた。

 教皇はまた、若者たちが今まさにいるこの場所が8世紀前には田園地帯であったこと、そこに「欧州各地からやって来た数千人の若い修道者たちがフランシスコと共に集っていたことを想像してみて欲しい」と求められた。

 そして、1221年にポルツィゥンコラで開かれた「小さき兄弟会の総会」を取り上げ、 「そこでは、40人、そこに100人、ある場所には80人がそろって、という具合に人々が次々に集まり、皆が神について語り合い、祈ったり、涙を流したり、愛徳の業を行ったりしていた。彼らは、静かに、謙遜のうちに留まっていたので、音一つ聞こえなかった」(参照Fonti Francescane, 1848年)という描写を引用。

 「そこにあった静けさは、戦争や、その暴力、叫び、残忍さとは正反対であり、修道士たちが敷いていたムシロは、今日の若者たちの寝袋と同様に、平和を物語るものでした」とされた教皇は、「誰もが招かる、兄弟姉妹たちの集まり、それが教会です」と強調。「共にいて、神について語り合い、神の光のもとに、人生そのもの、その美しさ、神秘、大切さについて互いに話すことは、なんと素晴らしいことでしょう」と語られた。

 そして、特にテクノロジーのために、生身の人間同士の出会いが妨げられがちな現代において、「こうした生き方を、あらゆる場所で証しして欲しい」と若者たちに求められた。

 若者たちとの対話に続いて、教皇は、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂に隣接した修道院やその中庭で、「アッシジの聖フランシスコ帰天800年委員会」の関係者や、司教たち、フランシスコ会系の諸修道会の会員らとお会いになった。そして、同聖堂内で若者たちのためにミサを捧げられ、アッシジで開催された青年たちの集いを閉じられた。

(編集「カトリック・あい」)

2026年8月7日

◎教皇連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」⑳『典礼憲章』5「祈りは『現実逃避』ではない、主との『出会いの場』『希望の行為』だ」

(2026.8.5  Vatican News )

  教皇レオ14世は5日、約一か月ぶりの水曜恒例一般謁見で、第2バチカン公会議を学び直す講話を再開。5回目となる典礼憲章の考察で、典礼の祈りの重要性に焦点を当て、典礼が「出会いの場、御子を通して人類に近づこうとする神の御業の場」であることを強調された。

 講話で教皇は、「使徒パウロが示しているように、私たちに祈りを教えてくださるのは聖霊です… 聖霊降臨の日から、聖霊は教会に宿り、教会のあらゆる活動、とりわけ祈りに霊感を与えています。それ以来、教会は復活の神秘を祝うために集まることを決して怠ったことはありません」と指摘。

*祈りは、その真の姿において再発見する価値がある

 続けて、「現代のような、効率重視や消費主義的な考え方が支配的な状況の下では、祈りは無意味で、取るに足らないものに見えるかもしれません… 科学と技術が『すべての答えを提供する』とされる世界において、祈りは『現実逃避』の一形態、あるいは単に『個人の幸福を目的とした心理的手法』の一つに過ぎないように見えるかもしれません」とされたうえで、「祈りは、その真の姿において再発見する価値があるのです」と説かれた。

*典礼は、祈りを通した「神との出会いの場」

 そして、「典礼憲章は、その再発見の必要性を真剣に受け止め、『祈り』という言葉が典礼全体を指すものであることを明言しました。この視点は決定的です。なぜなら、それが典礼改革を導き、信徒の積極的な参加をその中心的な柱としたからです」とされ、「典礼は、何よりもまず、『出会いの場』、すなわち『御子を通して人類に近づこうとする神の御業の場』として提示されているのです」と強調された。

*日常生活を聖化すること

 教皇はさらに、毎週、そして毎日、聖体祭儀と祈りは「教会の命の息吹であり、聖霊を教会の体全体に巡らせるもの」であり、「この祈りにおいて、キリストは、全人類の共同体を御自身に結びつけ、神への賛美の歌を歌う御自身の歌に、その共同体を加えるのです… 聖体の光を引き延ばす聖体礼儀と結びついた聖務日課は、私たちの日常生活の時間を聖化します」 と述べられた。

 そして、さまざまな時の祈りについて、「朝は、信仰と感謝をもって一日を始める祈り。正午に、労働のさなかでも忠実であり続ける力を求める祈り。そして夕方、仕事を終えると、夕の祈り日没の瞬間に寄り添う。夜には、祈りをもって、神の平安に身を委ね、眠りにつきます」と語られた。

 最後に教皇は、「時と共に行う祈りは、希望の行為。この地上の巡礼の旅において、私たちは全教会と共に、主の栄光に満ちた再臨を待ち望みながら、目を見開き続けているのです」と講話を締めくくられた。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年8月6日

☩「『セウタ』の憂慮すべき状況を懸念しつつ注視している」教皇、正午の祈りで

Pope Leo during the Sunday Angelus at the Vatican

(2026.8.2 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 教皇レオ14世は2日の正午の祈りの後、北アフリカのスペイン領セウタで起きている深刻な移民危機について懸念を表明。また、改めて世界中の戦争の終結を祈り、今週末に予定される「アッシジの赦し」の霊的な恵みについて語られた。

 ロイター通信が2日午後報じたところによると、7月31日以降、隣接するモロッコから陸路と海路で約5万人がセウタに流入。国境へのフェンスの設置で、4万8000人以上が48時​間以内にモロッコへ戻り、事態はほぼ収束したが、防波堤やフェンスを越えようとして溺死や圧死で少なくとも67人が亡くなった。

 突然の大量の人々のセウタへの流入は、経済的困窮を背景に、交流サイト(SNS)​上に広まった​スペインの移⁠民送還方針に関する誤ったうわさが後押ししたとみられ、スペイン政府は、人身売買組織が脆弱な立場の移​民を利用⁠してうわさを流した、と非難している。

 教皇は、この事態に対して、「セウタにおける憂慮すべき状況を懸念をもって注視しています。『アフリカの聖母』の取り次ぎを通じて、平和、安定、そして正義をもたらす解決策が見出されるよう神に祈っています」と語られた。

 続けて教皇は、ウクライナや中東など、戦争によって苦しむ地域のすべての人々への思いを馳せられ、「平和のために祈り続けましょう。世界中の戦争が終わり、紛争に対する外交的な解決策が見出されるように」と信者たちに促された。

 特に、敵対行為の犠牲者、とりわけ「最も弱く、無防備な人々」を心に留め、子どもや高齢者、病人のために祈りを捧げられ、「主が、苦しむ人々を慰め、助けと慰めをもたらすすべての人々の働きを祝福してくださるように」と祈られた。

*「アッシジの赦し」今週末に

 最後に、教皇はこの週末に行われる「アッシジの赦し」の行事を取り上げ、信者たちに「この偉大な霊的賜物に感謝し、それを大切にするように」と呼びかけられた。

 「アッシジの赦し」は、伝統的にアッシジの聖フランシスコに由来する全免償の儀式であり、和解の秘跡と聖体の秘跡を受け、教区教会またはフランシスコ会の教会を訪れ、使徒信条と主の祈りを唱え、教皇とその意向のために祈ることで得られる。

 起源は1216年に遡り、当時、アッシジにある聖フランシスコが建てた小さな礼拝堂「ポルツィウンコラ」で、イエス・キリスト、聖母マリア、そして天使たちが聖フランシスコの前に現れ、イエスが「魂の救いのために何を望むか」と尋ねると、フランシスコは、この礼拝堂に入るすべての人々に完全免罪を授けてくだささい、と願った。その後、この免罪は、8月1日または2日に教区教会やフランシスコ会教会を訪れるすべての人に広げられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年8月3日

☩「キリストは人類に、失った感覚を取り戻させ、”飢え”を満たされる」-教皇、年間第18主日の正午の祈りで

(2026.8.2 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 教皇レオ14世は年間第18主日の2日、正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「パンと魚の奇跡」の箇所について考察され、イエスは人類が失った感覚を取り戻させるだけでなく、その出会いによる豊かな賜物によって養ってくださることを強調された。

 この福音書の箇所は、群衆に深い憐れみを覚えられたイエスが、五つのパンと二匹の魚で五千人以上の人々を奇跡的に養った様子を伝えている。

 教皇は、イエスがなさった、このしるしについて、「目の見えない人を見えるように、耳の聞こえない者を聞こえるようにされたことと同じように、イエスの私たちに対する特別な愛と、イエスが世界にもたらす救いを明らかにする行為。そうされることで、キリストは単に奇跡的な行いをなさるだけでなく、神の国が近づいていることをすべての人に宣言しているのです」と指摘。

 そして、「このパンと魚の奇跡の物語は、イエスが飢えた人々を養われたことを示すだけでなく、主との出会いそのものが滋養となる体験であることを明らかにしています」とされ、皆の飢えが満たされたうえに、パン切れが十二籠も残ったように、「キリストと共にいれば、私たちの必要は溢れるほどに満たされます」と説かれた。

 さらに教皇は、「主の私たちに対する摂理的ななさり方は、決して尽きることがありません。キリストこそが、人類の飢え、すなわち真理と命への私たちの渇きを真に満たしてくださるのです」と繰り返された。

 教皇はまた、「しばしば買いだめや浪費という形で、私たちに現れる貪欲という悪に陥らないように… この霊的な病は、私たちの感覚を麻痺させ、富に酔いしれさせ、『飢えに泣き、渇きに叫ぶ人々』を忘れさせてしまう」と信者たちに警告。

 「『戦争』と『傲慢』という荒れ野に直面する私たちは、主がどれほど慈愛に満ちた眼差しで天を仰ぎ、祝福し、パンを裂き、弟子たちに与え、彼らがそれを群衆に配れるようにされたかを思い起こす必要があります」と訴えられた。

 そして、教皇は、この「バンと魚」の業でイエスが示された「愛の奇跡」に、「私たちはイエスの特徴的な行いを見出します。それは、主が、兄弟として、私たちに御自身の命そのものを与えられた最後の晩餐において、頂点に達するのです」と強調。

 信者たちに、「聖体の恵みを味わう際、家族や友人と分かち合う食事の祝福から始め、日々の行動を通じてその美しさを証しするように」と呼びかけられ、さらに、「イエスと共にいるなら、困窮する隣人に手を差し伸べれば、休暇の時でさえも、兄弟愛に満ちた安らぎのひとときとなり得ます」と語られた。

 説教の最後に、教皇は、「私たちの愛する母である聖母マリア」に対し、「誰もが『日々の糧』を欠かすことがないように、私たちが愛を深めることができるよう」に助けを願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年8月2日

☩「米国の自由の精神とあらゆる人々を受け入れる姿勢が好き。米国には必ず行く」米NBCのインタビューに

An American flag waves as Pope Leo XIV greets crowds in St. Peter's SquareAn American flag waves as Pope Leo XIV greets crowds in St. Peter’s Square  (@Vatican Media)
(2026.7.30  Vatican News   Devin Watkins)

 29日にカストル・ガンドルフォでの夏季休暇を終えた教皇レオ14世が同日夜、米国のテレビ局NBCのインタビューに応え、米国の歴史における移民の重要性を強調するとともに、今後数年のうちにご自身の生まれ故郷を訪問する可能性を示唆された。

 インタビューで教皇は、ご自身が愛する米国の側面や、移民を受け入れてきた同国の歴史について語った。

 まず、「ご自身が初の米国人教皇であることについてどう思われますか」との問いに、教皇は、「たまたまアメリカ人である私が教皇になった、と受け止めている。だが、米国人であることの意義を軽視するつもりはありません」とされた。

 さらに「私は米国に生まれ、家族は今も米国におり、私は米国を深く愛しているが、私の(教皇としての)使命には非常に重要な側面があると考えています。それは、普遍的な教会の牧者であり、世界中の人々に語りかける声と機会を持っている、ということです」と答えられ、同時に「私自身にとっても、そして米国民にとっても、初の米国人教皇であることには明らかに大きな意義があること』を認められた。

 また「米国の何が好きか」と尋ねられると、「米国が体現する理念、自由の感覚、機会の感覚、そして何世代にもわたり世界中の人々を米国の一員として迎え入れてきたという感覚」を挙げ、「私自身の祖父母も米国に移民してきましたし、さらに遡ると、母方の家系には、奴隷だった人もいれば、奴隷の所有者だった人もいました」とされ、「いわば、私の成長の歴史や経験こそが、私が自分自身を米国の最大の財産の一つとして認識する助けとなっている。私は、長年にわたって米国人であることの根幹を成してきた原則を今も持ち続けており、それは今後も続いていきます」と語られた。

 インタビューの締めくくりに、米国を訪問する予定について聞かれた教皇は、「皆さんは、そこ(米国)で私を見ることになるでしょう。偶然にも、今日、私は今後数年間の予定表についてチェックしたところです。まだ確定してはいませんが、近い将来、必ず行きたいと願っています」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年7月30日

☩「聖地と中東全域の戦闘終結へ、当事国の対話を即時再開せよ」ー教皇、正午の祈りで緊急の呼びかけ

A Palestinian man looks for his belongings amid the debris after an Israeli strike in Gaza City on 24 JulyA Palestinian man looks for his belongings amid the debris after an Israeli strike in Gaza City on 24 July  (AFP or licensors)

(2026.7.26 Vatican News   Linda Bordoni)

 教皇レオ14世は26日、教皇別邸カステル・ガンドルフォでの正午の祈りで、関係国当事者たちに対し、聖地と中東全域における戦闘の終結の緊急の呼びかけ、そのための対話の即時再開を訴え、世界の人々に、対話、外交、そして平和のために祈るよう強く求められた。

 教皇はまず、止まることなく続く聖地での戦闘について「深い懸念を持って注視しつづけています」とされ、ヨルダン川西岸地区とガザ地区の両方で新に多くの民間人が犠牲になっていることを深く悲しまれた。

 そして、「すべての人間の平等な尊厳と平等な権利に基づく、公正な政治的解決を達成するための交渉への復帰」を関係国の当事者たちに求めるとともに、「さらなる軍事行動や一方的な決定、とりわけあらゆる宗教の聖地に対する敬意や現状を侵害するものを拒絶するように」と呼びかけられた。

 米国とイランの対立が止まらず、中東全域に戦闘が広がっている状況に関しても、「軍事作戦の激化が再び暴力と破壊をもたらし、無数の民間人の命を深刻な危険にさらし、飲料水や電力の不足を悪化させている」と述べ、「私は、関係するすべての当事者に対し、ただちに攻撃を停止し、対話と外交の道を早急に再開するよう強く要請します。そうしてこそ、この地域全体が切に願う平和が実現されるのです」と強調された。

 また、教皇は世界の人々、信者たちに対して、戦争で苦しむ人々のために、祈り続けるよう呼びかけ、「主が責任ある立場にある人々の心に触れ、その心を照らしてくださいますように。そうして、和解と平和が一日も早く実現しますように」と願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年7月27日

☩「真の『充実』をもたらすのは神であり、消費者主義ではない」教皇、年間第17主日の正午の祈りで

Pope Leo XIV during AngelusPope Leo XIV during Angelus

(2026.7.26   Vatican News) 

 教皇レオ14世は年間第17主日、26日の教皇別邸カステル・ガンドルフォでの正午の祈りに先立つ説教で、「人生を変容させる宝」としての神の国について考察され、世界のキリスト教徒に対し、「真に重要なものを認識するように」と呼びかけられた。

 説教で教皇は、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「隠された宝」と「高価な真珠」(13章44-52節)に関するたとえ話を取り上げ、「神の国がもたらす喜びは極めて深遠なものであり、(それを得るために)すべてを捨て去ることさえ『損失』ではなく、『恵み』として感じられるようになるのです」と語られた。

 そして、「神の国との出会いは、人生を制限するのではなく、広くする転機となる。もし私たちの側で何かを変える必要があるとすれば、それは、私たちの人生がより多くの可能性へと開かれるためであり、可能性を減らすためではありません」と説かれた。

 さらに教皇は、イエスは、この一連のたとえ話で、農民、商人、漁師、律法学者、パンを焼く女性、建築業者、管理者、羊飼い、農夫など一般の人々の生活から引き出されたイメージを通じて、神の国の美しさを明らかにしておられます」とされた。

 「こうした例を通じて、イエスは、御国がさまざまな状況の中で出会えるものであることを示し、男女、老若、貧富を問わず、すべての人を、深い刷新へと招いておられるのです… そして、今日の教会もまた、異なる出自、文化、役割を持つ多様な人々を一つに集め、すべての人々を、イエス・キリストにおける一致を認識するように求めれおられるのです」と強調された。

 また、この日の福音書に出て来る三つ目の網を巡るたとえ話を取り上げ、「イエスは『隠された宝』、『高価な真珠』であるとともに、散らばった人々を集める『網』。何もなさらなければ決して出会うことのなかっただろう人々を、ご自分の周りに集め、その愛を偏りなく、特に弱く見過ごされがちな人々に向けられておられます」と語られた。

 続けて教皇は、信者たちに、若き王ソロモンが求めた賜物、すなわち、「真に価値あるものを認識する知恵」を願うよう促されるとともに、「消費文化が絶えず新たな欲望を生み出し、永続的な充足感をもたらさず、人間の心を傷つけるような解決策を提示しかねない社会」の現状に引きずられないよう、警告され、「キリスト教徒は、真の宝―人々を喜びへと導き、互いにより良い関係を築く助けとなる神との交わり―を認識することを学ばねばなりません」と強く説かれた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年7月26日

☩「神は、不在のように思える時でさえ、常におられ、私たちを助ける準備ができている」・教皇レオ14世、年間第16主日の正午の祈りで

(2026.7.19   Vatican News)

    教皇レオ14世は19日、教皇別邸カステル・ガンドルフォでの年間第16主日の正午の祈りに先立つ説教で、「神の国は力ではなく、謙虚さ、忍耐、そして愛を通じて静かに成長する」とされ、キリスト教徒に対し、「神の目に見えない働きを信頼し、この世で『福音の小さな種』となるように」と呼びかけられた。

 説教で、教皇はこの日のミサでその一部が読まれたマタイ福音書に書かれた三つのたとえ話-麦と雑草、からし種、そして酵母-について考察。「これらは、歴史や人々の生活の中で神がどのように働かれるかを明らかにしています」と述べたうえで、「神の力に、”派手な見せびらかし”を求める誘惑を拒むように。神の国は、目に見えないところで働く小さな種や少量の酵母のように、静かに、忍耐強く成長していくのです」と説かれた。

 そして、「神は、力ずくでご自分を押し付けたり、勝利を収めて誇られたりすることよりも、「小ささ」を『控えめで忍耐強い愛のしるし』としてお選びになる… 神は、『神を受け入れるか、拒むかを選ぶ自由』を私たちに与えてくださいます」とされ、「神の愛は、”雑草”が生い茂る中でさえ、その存在を感じさせ、最も”小さな種”のように、目に見えない形で働かれ、”生地の中の酵母”のように、静かに世界を変容なさいます」と語られた。

  教皇はまた、「神が劇的に介入し、即座に世界から悪を排除する」ことを、多くの人が期待している現実を認めたうえで、「そのような期待は、キリスト教徒の生活や教会に対する不健全な見方を形成しかねません」と警告。「キリスト教徒に求められているのは、『悪が存在する中でも、神の国が成長していることを認識する』こと。そのために、闇の中でもなお、現れ続ける善を見極めることを学び、性急な判断を下そうとする誘惑に抵抗し、神の恵みの漸進的な働きに忍耐強く寄り添う必要があります」と強調。

 「神の国は、しばしば日常生活のありふれた瞬間に現れ、気づかれないままに、しかし絶えず働きながら成長しています。たとえ神が不在のように思える時でさえ、神は常に存在しており、その愛はいつでも私たちを助ける準備ができているのです」と信者たちを励まされた。

 さらに教皇は、「神の働かれ方は、個人としても、また教会の構成員としても、キリスト教徒の生き方そのものにならねばなりません… 傲慢や、他者を支配しようとする欲求、あるいは信仰を強要する権力の行使を避け、『Gospel-centered approach(福音を中心に置いたアプローチ)』を用いるように」と促され、「キリスト教徒は、神の静かな働きに信頼を置くべきです」と念を押された。

 そして、かつてヨゼフ・ラツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)が語った言葉を引用し、「キリスト教徒は、『種子の論理』を受け入れるよう、召されています。成功や偉大さではなく、自らを小さくし、他者に仕えるようにです」とされ、「そのようにして、キリスト教徒は『福音の小さな種』となり、内側から世界を変容させることのできる『愛の酵母』となることができるのです」と結論付けられた。

 考察の締めくくりとして、教皇は信者たちを聖母マリアの取り成しに委ね、謙虚に神の言葉の種を受け入れた聖母に、「信仰の旅路にあるキリスト教徒を支えてくださいますように」と願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年7月20日

☩「戦争で命を落とし、苦しむ人々を、決して忘れてはならない」・教皇レオ14世、年間第16主日の正午の祈りに続けて、ウクライナや中東を念頭に

(2026.7.19  Vatican News   Alessandro Di Bussolo)

  教皇レオ14世は19日、教皇別邸カステル・ガンドルフォでの正午の祈りに続けて、ウクライナや中東地域などで続く戦争に触れられた。

 そして、「戦争や暴力に引き裂かれた各国で起きている出来事を、懸念しつつ注視し続けています」とされ、世界のすべての人々に、「『絶え間ない祈り』と『平和のための寛大な努力』を共に続けるように」呼びかけられた。

 夏季休暇を過ごされているカステル・ガンドルフォの教皇別邸の入り口で、広場の群衆に向けて正午の祈りをされた教皇は、続けて、依然として和平の展望なく世界に影響を及ぼしている多くの紛争に、改めて懸念の念を寄せられ、次のように、人々に求められた。

 「私たちは、戦争や暴力によって引き裂かれている様々な国々で繰り広げられる事態を、引き続き懸念を持って注視しています。これらの紛争によって苦しみ、命を落としている人々を、私たちは忘れることなく、平和に向けた努力とともに、絶え間ない祈りを続けましょう」。

 ロシア軍の軍事侵略が続くウクライナでは、首都キエフなどで18日夜から19日午前にかけて170発近いミサイルとドローンによる過去最大規模の爆撃を受け、学生寮などが破壊、これまでに判明しただけで1人が死亡、数十人が負傷したと報じられている。

 また、イラン南部でも、新たな米軍による空爆が行われたとの報告があり、イラク・クルディスタンも影響を受けている。ワシントンは、この新たな攻撃を先週金曜日にヨルダンのムワッファク・アル・サルティ空軍基地で発生、兵士2名が殺害された襲撃事件に対する報復とされている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年7月19日

・米・イラン武力紛争再燃、ロシアの軍事侵略続くウクライナ…「戦争の風が希望を消し去ることなく、対話へと立ち返るように」-教皇が訴え

Oil tankers blocked in the Strait of HormuzOil tankers blocked in the Strait of Hormuz  (AFP or licensors)
(2026.7.12          Vatican News   Daniele Piccini)

   米国とイランの間で武力紛争が再燃しているが、教皇レオ14世は12日、夏季休暇で滞在中のカステル・ガンドルフォの自由広場で正午の祈りを捧げた後、この武力紛争と、ロシアによる軍事侵略がウクライナの人々を苦しませ続けている現状に思いを馳せ、外交的解決への回帰を改めて訴えられた。

 また、この日が「海の主日」にあたることから、中東はじめ世界の軍事的緊張によって労働条件がさらに厳しくなっているすべての船員や港湾労働者への連帯を表され、最後に、ポーランドの信者たちがヤスナ・グラ(注・ポーランド南部、チェンストホヴァにあるクロチナ・マドンナ(黒い聖母)」として知られる聖母マリアのイコンが置かれた修道院)への伝統的なマリア巡礼についても言及された。

 教皇は、武力紛争の影響を受ける世界の多くの地域、そこで民間人が依然として最大の苦しみを強いられている状況について思いを巡らし、特に、米国とイランの合意への期待が打ち砕かれ、緊張が再燃している中東や、レバノンで続く危機、また、ここ数日、ハルキウ、ドニプロ、キエフ、オデッサにロシア軍の激しい攻撃が行われていることにも懸念を表明された。

 「残念ながら、中東やウクライナ、そして世界の他の多くの地域で再び戦争の風が吹き荒れ、暴力、恐怖、死をまき散らし、再び多くの罪のない人々に影響を及ぼしています」と語られた教皇は、人々に希望を失わないよう励まされるとともに、国家間の永続的な和解を達成できる唯一の道として「対話と交渉への回帰」を次のように強く求められた。

 「たとえ希望と平和の炎が、もろく、かすかに揺らめいているように見えても、この風によってその炎が消え去ることを許してはならない。我々が対話、出会い、そして外交の道を歩み続けることを、改めて願う。これこそが、人々が和解と相互の安全、そしてすべての人の尊厳を尊重して生きることができる、公正で永続的な平和へと導く唯一の道なのです」

*{海の主日」に船員のために祈る

 

 また教皇は、この日が、カトリック教会の信徒が海で生活し働く人々のために祈る「海の主日」にあたることに注意を向けられた。そして、船員たちが直面してきた厳しい労働条件にさらに戦争が及ぼす影響について懸念を示され、「今日は『海の主日』です。愛する者たちとの離別、そして時には海上で起こる紛争への恐怖に苛まれながらも、忍耐強く静かな労働を通じて貿易と多くの人々の生活を支えている、世界中のすべての船員、漁師、港湾労働者たちに思いを馳せます」と語られた。

 教皇は最後に、ポーランドと欧州全土における信仰の最も重要な表現の形の一つである、チェンストホヴァへの何世紀にもわたるマリア巡礼について言及され、「ヤスナ・ゴラの聖像を巡る年次巡礼に集まった多くのポーランドの信者たちのために祈りを捧げます。彼らが『宣教の弟子』として、福音の喜びに満ちた証人となれますように」と願われた。

 毎年、数十万人の巡礼者がヤスナ・ゴラ修道院の聖堂を訪れ、チェストホヴァの聖母、いわゆる「黒いマドンナ」として知られる有名な聖像を崇敬している。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年7月13日

☩「神は、私たちを信じ続けることを決してお止めにならない、夏休みに沈黙と祈りのひとときを」・教皇、年間第15主日の正午の祈りで

Pope Leo delivers Sunday Angelus from Castel GandolfoPope Leo delivers Sunday Angelus from Castel Gandolfo  (@Vatican Media)
(2026.7.12  Vatican News   Linda Bordoni) 

 夏季休暇中の教皇レオ14世は年間第15主日の12日、カステル・ガンドルフォの別邸の前に集まった人々と共に、正午の祈りをなさった。

 祈りに先立つ説教で教皇は、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「種まく人のたとえ」を取り上げ、「神の言葉には、あらゆる心を変える力があること」を強調され、信者たちに「この夏に、沈黙と祈り、そして聖書の黙想のための時間を確保するように」と勧められた。

 説教で、教皇は、福音書の「種まく人」の箇所は、「神が、私たちの心に御言葉を蒔く際の寛大さと信頼、そして私たちの中に働く神の力を明らかにしている」とされ、「神は、人間の心に御言葉の種を蒔くことに決して倦むことはありません。なぜなら神は、ご自身の愛の力が、私たちの弱さよりも強いことを知っておられるからです」と説かれた。

  そして、「この神秘の中心には、キリストご自身が存在します。私たちの救いのために命を捧げられた、御言葉が肉となったイエスご自身が、父が世界中に蒔き続けている種なのです。そして、イエスは死によって多くの実を結ばれます」と述べられた。

 教皇はまた、「神の御言葉が常に歓迎される心に出会うわけではありません。時には、『硬く、反応のない土』や、『踏み固められた道』『岩だらけの地面』『いばらの茂み』のような心に出会うこともあります」とする一方、「しかし、御言葉が『受け入れやすく肥沃な土壌』に落ちる時もあり、その瞬間に、すべてを変容させる力を持つ愛の奇跡が動き出すのです」と指摘。「そうであるからこそ、父は種を蒔くことを決しておやめにならない。それは、父がご自身の愛の力が私たちの弱さよりも強いことを知っておられるからです」と語られた。

*神は私たちの中にある善を見ておられる

 続けて教皇は、聖ヨハネス・クリソストモスの言葉を引用され、「成長しそうにない場所に種を蒔く」という一見矛盾した行為について言及され、「農業の観点からは、そのような行為はほとんど意味がありませんが、神の働き方は違います。それは、『岩だらけの土地』さえも、『肥沃な土壌』に変えられるからです」と指摘。

 「これは神の、人類に対する信頼が、一人ひとりを深く知り尽くしておられることに根ざしているからです… 神の私たちに対する寛大さは、無邪気なものではなく、賢明なもの。神は、時に私たち自身さえも気づかないような、善の潜在的可能性を私たちの中に見出しておられます」と述べられた。

 そして、「私たちの心の土壌を、私たち以上に熟知しておられる主は、私たちを信じ続けられる。私たちが何者であるか、そして信仰をもって主に身を委ねれば、日々どのような存在になれるかを、主は、信じ続けられるのです」と強調された。

*御言葉を開かれた心で受け入れるとき、『愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制』の実を結ぶ

  さらに教皇は、「神の御言葉が、謙虚で開かれた心で受け入れられるとき、それは聖霊の実を結びます。聖パウロの『ガラテヤの信徒への手紙』にあるように、その実は『愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制』です」とされ、「私たちの世界は、これらの実をいかに切実に必要としていることでしょう。それらに満たされ、それらによって変容されることを!」と語られた。

 最後に教皇は、この夏の季節に「霊的生活を育むことで休息の時間を有意義に活用するように」と信者たちに勧められ、「特にこの夏の休暇期間中、神の御言葉に耳を傾け、それを読み、黙想する時間を確保することを決意ましょう… 有意義な沈黙と祈りのひとときを過ごすように」と呼びかけられた。

 「そのようなひとときは、肉体と精神の両方を新たにし、キリスト教徒が福音の良き知らせを宣べ伝える準備が整い、神の国の成長にますます貢献できるようになる状態で、日常生活に戻れるようにするのです」と述べられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年7月12日

☩「(ロシア武力侵略の)残虐さに苦しめられている人々のために祈るように」・教皇、ウクライナのラテン典礼教会再建35周年記念に

Thge Marian Shrine of Berdychiv in UkraineThge Marian Shrine of Berdychiv in Ukraine 

 19日に行われるウクライナにおけるラテン典礼教会の組織再建35周年記念式典を前に、教皇レオ14世は11日、式典に参加する教皇特使のギャラガー国務省外務局長に書簡を託された。

 教皇はその中で、20世紀における教会の迫害を振り返り、平和と家族、そして戦争によって苦しむすべての人々のために祈るよう促すとともに、現在も続くロシアによるウクライナ武力侵略の「残虐さ」によって苦められ、今も苦しめられている死者を含む全ての信者のために祈るよう呼びかけ、信者たちに対しても、世界と家庭の平和を神に懇願するよう促された。

 記念式典は19日、ウクライナ北部のベルディチフにある「カルメル山の聖母」国立聖堂で行われる。カトリック教会の代表団は、ギャラガー特使のほか、リヴィウ大司教のレゴヴィチ司教補佐と、ルツク教区の教区書記、パヴロ・ホミアク神父で構成される。

 書簡で教皇は、1234年にグレゴリウス9世教皇が、現在のウクライナ領内に住むラテン典礼の聖職者および信徒たちに送った書簡の言葉を取り上げた。その書簡では、グレゴリウス9世が、教会が「献身的で謙虚な子供たち」に対して特別な慈愛を示し、「邪悪な者たちの攻撃によって彼らが苦しめられることのないよう、母なる慈愛の盾をもって彼らを守っている」と記している。

 さらに教皇は「信仰への熱意と献身に満ちた彼らは、神の御名の礼拝が広まることを守るための防壁を築き、そのために、絶えず罠を仕掛けるキリスト教信仰の迫害者たちの手によって、しばしば嫌がらせや傷害、略奪に耐え忍んだ」と回想。

 その後の数世紀にわたって、「ウクライナの地に住むカトリックの聖職者や信徒たちは、歴史上の多くの出来事の中で、力強い信仰を証ししました。とりわけ20世紀、第二次世界大戦の後、「ウクライナ国民が”ソビエト・イデオロギー”に感化された体制の下に置かれた時期、カトリック教会が完全に根絶することを目的とした、行政当局による残酷な迫害にさらされた時期において、その証しは顕著ででした」と述べられた。

 そして、「その後、ウクライナの教会共同体は、新たな命を見出し、再び成長を遂げました」と強調された。

 書簡の最後に教皇は、「戦争の残虐さゆえに深く苦しんでいる、あるいは苦しんできた、すべてのウクライナの信徒―生者も死者も―のために祈るよう求められ、ギャラガー特使に対しては、「式典に参加する人々に、世界と家族のために平和を懇願し、神の戒めへの忠実さを揺るぎなく保つ」よう励ますことを願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年7月12日

☩「”建設現場”で手を汚すことを恐れるな、神を行動の地平線へ、人間を決断の中心に置け」・教皇、20日からのアジア司教協議会連盟総会へ書簡

(2026.7.11  Vatican News)

    アジア司教協議会連盟(FABC)第12回総会が、20日から26日にかけてジャカルタで開かれる。教皇レオ14世は11日、教皇特使のオズワルド・グラシアス・ボンベイ名誉大司教・枢機卿に託した書簡で総会の参加者たちに対し、「『現代』という”建設現場”で手を汚すことを恐れることなく、神を行動の地平線に、そして人間を決断の中心に据えるように」と促された。

(写真右:The Cathedral of Saint Mary of the Assumption and the nearby Mosque in JakartaThe Cathedral of Saint Mary of the Assumption and the nearby Mosque in Jakarta )

 書簡で教皇は、アジアの信徒や兄弟司教たちに対し、「愛するアジアの教会が、信仰と人間性において決して繁栄を絶やさない」という希望に支えられ、「現代という建設現場で手を汚すこと」を恐れないよう励まされた。

 そして、総会参加者たちに「”バベルの建築家”ではなく、『交わりの建設者』となれ。”崩壊する運命にある塔の支配者”ではなく、『到来する王国の僕』となるように」という言葉をもって、回勅Magnifica Humanitas の第16項で示した「神を『私たちの行動の地平線に』、人間を『私たちの決断の中心に』据える」という呼びかけを改めて強調された。

 

*「礎石」としての貧しい人々、移民、そして病者

 そして、教皇は、詩編85項を引用する形で、教会の共同体全体によるこの共通の取り組みによって、「拒絶された石―貧しい人々、病者、移民、そして小さな者たち―が礎石となり、地上に強固で受け入れに満ちた共通の家が築かれるでしょう。そこでは、愛と真理が出会い、正義と平和が抱き合うことになります」と指摘。

 そのためにも、「羊飼いであり、父である心をもって、さらなる”バベル”の建設を止め、善を築くために力を合わせ、人類がその美しさを決して失うことなく、世界が再び、すべての人間の心の中に、神が住まうことを望まれる場所を認識できるように」と呼びかけられた。

 なお、教皇は、今回の総会へのオズワルド・グラシアス枢機卿の教皇特使の任命について、ゴア大司教のフェラン枢機卿から出されたことを指摘。書簡の最後に、自身の代表者(教皇特使)を、聖母マリアとその夫である聖ヨセフの慈愛に満ちた保護に委ねられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年7月12日