☩「年配者と若者の出会いと対話を実現して」-世界祈願日の正午の祈りで

教皇フランシスコによるお告げの祈り 2021年7月25日 バチカン・聖ペトロ広場バチカン・聖ペトロ広場  (Vatican Media)

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  私たちは、『第1回祖父母と高齢者のための世界祈願日』におけるミサを今祝ったばかりです。すべての祖父母の皆さんに拍手をおくりましょう!

 祖父母と孫たち、若者と年配者たちは一緒に、教会の最も美しい顔の一つを表すと同時に、世代間の絆を示してくれました。

 この祈願日をそれぞれの共同体で記念すると共に、祖父母やお年寄り、特に最も孤独な人たちに会いに行き、「私はいつもあなたがたと共にいる(参照:マタイ福音書28章20節)」というイエスの約束から示唆を受けた私のメッセージを伝えてください。

 この祈願日が、「私たち年配者が人生のこの季節を生きる」という召し出しに応え、特に「切り捨ての文化」の中で、祖父母や高齢者の存在の価値を社会に示すことを助けるよう、主に願いたいと思います。

 祖父母は若者を必要とし、若者は祖父母を必要としています。祖父母と若者は対話し、出会う必要があります。祖母たちは、進む歴史に樹液をもたらし、成長する木に力を与えます。わたしは、いつか紹介したように、いにしえの詩人の言葉を思い出します。「木に咲くすべての花は、土の中から来る」。

 若者と祖父母の間に対話無くして、歴史は前に進みません。人生は前進しません。この対話を取り戻すこと、それが今日の文化の課題です。

 祖父母は、若者たちを見つめながら夢を見る権利があります。若者たちは祖父母から力を得ながら、預言する勇気を持つ権利があります。どうか、祖父母と若者の出会いと対話を実現してください。それは皆を幸福にするでしょう。

(編集「カトリック・あい」)

2021年7月26日

☩「東京オリンピックが希望と友愛のしるしとなるように」ー年間第17主日正午の祈りで

教皇フランシスコ 2021年7月25日(日)のお告げのお祈りで教皇フランシスコ 2021年7月25日(日)の正午の祈りで  (Vatican Media)

(2021.7.25 バチカン放送)

 教皇フランシスコは25日、年間第17主日の正午の祈りの集いで、開催中の東京オリンピックに触れ、「希望と普遍的な友愛のしるしとなるように」と次のように祈られた。

 「23日に東京で第32回オリンピック競技大会が始まりました。新型コロナウイルスの世界的大感染が続くこの時に、数多く行われる競技が、健全な競争心のもとに、希望のしるし、普遍的な友愛のしるしとなりますように。主催者、競技者、そして、この偉大なスポーツの祭典に協力するすべての人々に、神の祝福がありますように」

2021年7月25日

☩「祖父母と高齢者は私たちの命を養うパン」教皇、年間17主日「世界祈願日」ミサで

(2021.7.25 Vatican News  Christopher Wells)

  カトリック教会第一回の「祖父母と高齢者のための祈願日」の25日、教皇フランシスコが、フィジケラ大司教に代行を求めた聖ペトロ大聖堂でのミサで、代読の形で説教をされ、「若者と年配者が暮らしを共有する中で力を合わせる重要性」を強調された。

 その中で、教皇は、この日、年間第17主日のミサで読まれたヨハネ福音書の「パンと魚の奇跡」(6章1‐15節)の箇所を取り上げ、そこで描かれた「三つの瞬間」について考察された。

 三つの瞬間とは、「イエスは、彼の下に集まった人々がお腹を空かしているのに気付かれた」「パンを分け与えられた」、そして、「残ったパン切れを集めるように弟子たちに命られた」だが、教皇は「この三つは、『気付く』『分かち合う』『保つ』という3つの短い動詞にまとめることができます」と語られた。

*イエスは、一人ひとりが求めているものに気付かれる

 そして、まず「気付き」について、「『パンと魚の奇跡』の物語は、疲れた人間が感じる飢えに無関心であることも、忙しすぎて気付かないこともない、イエスの眼差しから始まります」とされ、その眼差しは、「私たち一人ひとりを気遣い、それぞれが求めているものに気付かれる」と教皇は語られ、「私たちの祖父母も同じように、私たちを見ています、彼らの愛は私たちの成長を助け、私たちは愛と気付きを分かち合うように求められています。 ですから、私たちは目を上げて彼らを見ましょう。イエスが私たちを見ておられるように」と説かれた。

 

*若者と年配者が人生を分かち合う契約

 そして次の「瞬間」ー「分かち合う」について、「イエスは、少年が提供したわずかなパンと魚をもって、その場にいた全員の飢えを満たされました。この奇跡の核心に、私たちは『自分が持っているものを皆のために喜んで差し出した少年』の存在があることを知ります」と指摘。

 「今日、若者と高齢者の間に新たな契約を結ぶことが求められています。私たちに必要なのは、人生の宝を共有し、共に夢を見、世代間の対立を克服し、共に未来を準備すること」とされ、「人生における分かち合い契約がなければ、私たちは飢えて死ぬ危険を冒すことになります」と語られた。

 さらに、「私はこれまでしばしば、若者と年配者が力を合わせることについての預言者ヨエルの言葉を引用してきましたー『若者は未来の預言者として、自分たちの歴史を大切にする。年配者は、夢を追い続け、自分に固執せず、若者と自分の経験を分かち合う。若者と年配者は、伝統の宝、精神の新鮮さだ』と」。

*何一つ、捨てられてはならない

 三つ目の「瞬間」ー「保つ」について、教皇は、奇跡の後に「パン切れを集めるように」とイエスが弟子たちにされた指示を改めて想起され、「これは、何一つ、切れ端でさえも、捨てられてはならない、特に、どのような人も見捨てられてはならない、という神のご意思を表しているのです」と説かれ、「私たちはこの『集めよ、注意深く保存し、守れ』という預言的な指示を、皆に、この世界に、聞き渡らせるようにする必要があります」と勧められた。

 さらに、教皇は、祖父母が私たちの若い時に守ってくれたように、私たちも、彼らを守ることの重要性、を強調され、「おじいさん、おばあさんを守りましょう。彼らと契約を結びましょう。そうすれば、『若者も年配者も共に』、命と夢が失われることはないでしょう」と呼びかけられた。

 

*若者も年配者も共に神に祝福され、満ち足りるように

 最後に、教皇は、祖父母と高齢者は「私たちの命に栄養を与えるパンです」と語られ、 「彼らのことを忘れないようにしましょう。彼らと契約を結びましょう。それによって、『若者も年配者も共に』、神に祝福され、分かち合いのテーブルで十分に満ち足りるように」と呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2021年7月25日

☩教皇、世界のお年寄りたちと神に感謝の祈り

(2021.7.23 バチカン放送)

 25日のカトリック教会の第一回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」を前に、教皇フランシスコが23日、ビデオを通して、世界のお年寄りたちと共に神に感謝の祈りを唱えられた。

 ビデオは教皇庁信徒・家庭・いのち省が作成したもので、世界最も齢の司教、ローラン・ノエル司教(101歳)も参加している。

(教皇の祈り)

 「主よ、孤独の時も、あなたがおいでになることの慰めを感謝します。あなたは私の希望、私の信頼です。若い時から、あなたは私の岩、私の砦です」

(以下、各国のお年寄りたちの祈り)

 「私に家族を与えてくださったことを、長い人生という祝福を与えてくださったことを、感謝します。喜びの時も、困難の時も、あなたに感謝します。
実現した夢に、そしてまだ目の前にある夢に、感謝します。この新たな実り多い時間にわたしを召してくださったことに感謝します」

 「主よ、私の信仰を増してください。私をあなたの平和の道具としてください」

 「私よりも苦しんでいる人を受け入れることを、夢をあきらめないことを、あなたの素晴らしさを新しい世代に語ることを教えてください」

 「教皇フランシスコと教会を守ってください。地の果てまで福音の光が届きますように」

 「主よ、あなたの霊を送り、世界を新たにしてください。パンデミックの嵐を静めてください。貧しい人をなぐさめ、すべての戦争を終わらせてください」

 「無力な時、私を支えてください。あなたがくださるすべての時を満たされて生きる力をお与えください。世の終わりまで、あなたがいつも一緒にいてくださる確信のうちに。アーメン」

 バチカンでは、25日イタリア時間午前10時(日本時間・同日午後5時)から、聖ペトロ大聖堂で、教皇庁新福音化推進評議会の議長サルバトーレ・フィジケッラ大司教によるミサが捧げられる。ミサには、教区や様々な組織で高齢者司牧に携わる人々と共に、孫に付き添われたお年寄りたちも参列する。

(編集「カトリック・あい」)

2021年7月24日

☩「祖父母と高齢者のための世界祈願日」への教皇メッセージ全文

親愛なる祖父母、高齢者の皆さんへ!

 「私はいつもあなたがたと共にいる」(マタイ福音書28 章20節参照)は、主が天に昇る前に弟子たちになさった約束であり、今日、親愛なる祖父と祖母であるあなたがたに向けたものです。

 ローマ司教として、またあなたがたと同じ高齢者として、この第一回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」の機会に皆さんに申しあげたい言葉は、「全教会があなたがたのそばにいます。さらに言えば、教会が私たちの近くにいます。あなたがたを気にかけ、あなたがたを愛し、あなたがたを一人にしたくありません!」です。

 今の困難な時期に、このメッセージがあなたがたに届くことを知っています。新型コロナウイルスの世界的大感染は予期せぬ猛烈な嵐であり、すべての人の人生に降りかかる厳しい試練であり、私たち高齢者とって、特別に厳しい仕打ちとなっています。多くの人が感染し、多くの人が家を去り、配偶者や愛する人の命が奪われるのを目の当たりにするなど、あまりにも多くの人が、非常に長い間、孤立した孤独を強いられてきました。

 主は、この時代の私たちの苦しみ一つひとつを知っておられます。捨てられる、という辛い経験をしている人に寄り添われます。コロナでさらに困難な状態に置かれた私たちの孤独に、主は無関心でおられません。

 伝承によれば、イエスの祖父である聖ヨアキムも、子供に恵まれなかったために、妻のアンナとともに、「無駄な人生」を送っている者とみなされ、共同体から追放されたといわれています。しかし、主は天使を送って彼を慰め、彼が城門の外で悲しんでいると、主の使者が現れて「ヨアキム、ヨアキム!」と呼びかけ、主が、彼の切実な祈りを聞いてくださいました[1] 。

 ジョット(注:ジョット・ディ・ボンドーネ=中世後期のイタリア人画家)は、有名なフレスコ画 [2] の中で、私たちの多くが慣れ親しんでいる、記憶や心配事、欲望に満ちた眠れない夜のシーンを描いています。

しかし、このコロナ大感染の今のように、すべてが暗く見えるときでも、主は私たちの孤独を慰めるために天使を送り続け、「私は毎日、あなたがたと一緒にいる」と繰り返してくださいます。あなたにも、私にも、皆に呼びかけてくださいます。

 多くの人が長い間、孤立した生活を続け、通常の社会生活を再開するにはまだ時間かかると思われる今、私が祝いたいと考えた(カトリック教会として初めての)「祖父母と高齢者のための世界祈願日」の意味はここにあります。

 すべての祖父と祖母たち、特に私たち高齢者の中で最も孤独な人たちが、天使の訪問を受けられるように、主は望まれます。(その時の天使は)孫の顔をしていることもあれば、家族や生涯の友人、この困難な時期に出会った人の顔をしていることもあるでしょう。コロナ禍で、私たちは、実際に顔を合わせたり、抱き合ったりすることがどれほど大切か、改めて感じていますが、そうしたことが出来ないケースも少なくないことを、とても悲しく思います。

 そうであっても、主は、私たちの人生に、決して欠けることのない御言葉を通して、私たちにも使者を送ってくださいます。毎日、福音書を1ページずつ読み、詩編を通して祈り、預言の書を読もうではありませんか。

 聖書を読むことは、主の誠実さに感動し、主が今日、私たちの人生に何を求めておられるか、を理解する助けになります。主は、一日のどの時間帯でも(マタイ福音書20章1-16節参照)、人生のどの時期でも、私たちを、ご自分のぶどう園に働き手として送り出されます。私自身、ローマ司教への召命を受けたのは、
いわば定年を迎え、「もう新しいことはできない」と思っていた時でした。

 主は、新しい招き、新しい言葉、慰めをもって、いつも、私たちの近くにいてくださいます。主は、私たちが永遠であり、決して引退しないことを知っておられます。マタイの福音書の中で、イエスは使徒たちに「あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じたことを、すべて守るように教えなさい」(28章19-20節)と言われます。

 この言葉は、現代の私たちに向けられた言葉でもあります。私たちの召命が、(私たちの信仰の)基礎をしっかりとし、若い人たちに信仰を伝え、幼い人たちの世話をすることであることを、よりよく理解させてくれます。

 よく聞いてください。私たちの年齢の者に与えられる使命とは何でしょうか? それは、信仰の基礎をしっかりとし、若い人たちに信仰を伝え、幼い人たちの世話をすることです。これを忘れないように。何歳になっても、仕事をしていてもしていなくても、一人でも家族がいても、祖母や祖父になったのが歳の若い時でも歳とってからでも、他の人の助けが要ってもいらなくても、「福音を伝える仕事や、信仰の伝統を孫たちに伝える仕事から引退する歳」というのは、ありません。新しいことに挑戦するためには、何よりも自分を捨て、動き始める必要があります。

 歴史上の重要な瞬間に、あなたにも新たな召命があります。あなたは自分自身に問いかけるでしょうー「しかし、これはなぜ、可能なのでしょう?私のエネルギーは尽きており、あまり多くのことが出来ないと思います。習慣が、私の存在のルールになっている場合、どのようにして別の行動を取り始めることができるのでしょう? すでに家族のために多くの課題を抱えているのに、貧しい人々のために自分を捧げることができるでしょうか。家から出ることもままならないのに、どうやって視野を広げることができでしょう? 私の抱える孤独は重すぎるのではなでしょうか?

 そのように自問する方は、どれくらいおられるでしょうか。イエスご自身も、ニコデモから「年を取った者が、どうして生まれることができましょう」と尋ねられました(ヨハネ福音書3章4節参照)。そしてイエスは、ご自分が「あなたがたは新たに生れなければならない」と言ったことに驚いてはならない、とされ、主の御心のままに風を送られる聖霊の働きに心を開くことだ、と答えられました。

 これまでも繰り返し申し上げていますが、世界が直面している現在の危機が終息した後、私たちは危機以前と同じような生き方はできません。良くも悪くも”脱出”するのです。そして、「神よ、今回の危機が、私が学習できなかった何十回目かの重大な歴史的出来事に終わりませんように –  人工呼吸器が不足しているために命を落とされたお年寄りの悲劇を忘れないためにも。このような大きな痛みを無駄にすることなく、新たな生き方に飛躍が必要であること、お互いを必要とし、助け合うのが義務であることを、はっきりと認識し、人類が生まれ変われますように」(回勅Fratelli tutti(兄弟のみなさん)35項参照。

   誰も一人では自分を救うことはできません。私たちはお互いに借りがあります。このような観点から、私は皆さんに、友愛と社会的な友情の中で、明日の新しい世界、ーつまり嵐が去った後に私たちと私たちの子や孫たちが住む世界ーを構築する必要があることを、強調したいと思います。私たちは「問題を抱えた社会の再生と支援に積極的に参加して」行かねばなりません(同回勅77項参照)。

 そして、この”新しい建物”を支える様々な柱の中で、他の誰よりもあなたがたが役に立てる柱が三つありますー夢、記憶、祈りです。私たちの中で最も弱い人にも、夢、記憶、祈りの道に沿うことで、新しい旅をする力が与えられるのです。

 預言者ヨエルは、かつてこのような約束をしましたー「老人は夢を見、若者は幻を見る」(ヨエル記3章1節参照)。世界の未来は、若い人と年配の人の同盟関係にあります。若い人以外に、誰が年配者の夢を受け継いで前に進めることができるでしょうか。そして受け継ぐために、夢を見続けることが必要です。正義、平和、連帯の夢の中には、「若い人たちが新しいビジョンを持つ可能性」があり、それによって私たちは共に未来を築くことができるのです。

 また、試練を乗り越え、新たに生まれ変わることが可能なことを、目の当たりにする必要があります。それだけではありません。あなたがたの人生にはたくさんの経験があります。その経験から学んだものを提供してください。夢は記憶と絡み合っています。痛みを伴う戦争の貴重な記憶。そこから、新しい世代が平和の価値をどれだけ学ぶことが出来るでしょう。経験から学んだことを発信するのは、戦争の苦しみを生きてこられたあなたがたなのです。

 記憶することは、すべての高齢者の真の使命です。記憶すること、そしてその記憶を他の人に分かち合うことです。ショアー(ナチスがユダヤ人を虐殺したホロコースト)の悲劇を生き延びたエディス・ブルックは、「たった一つの意識を照らすだけでも、過去の記憶を生かすための努力と苦痛に値する」と言い、彼女はこう続けています。「私にとって記憶は生きることです」[3] と。

 また、私の祖父母や、移住を余儀なくされた皆さんのことを思い起こします。未来を求めて今もなお故郷を離れる人が増え続けているように、故郷を離れることは、どれほど大変なことでしょう。その中には、私たちのそばにいて世話をしてくれる人もいるかもしれません。このような記憶は、もっと人間的で、もっと他者が歓迎される世界を築くのに役立ちます。しかし、記憶がなければ建築はできません。基礎がなければ家は建ちません。絶対にありません。そして、人生の基本は記憶です。

 私の前任者である教皇ベネディクト16世は、高齢にあって教会のために祈り、働き続けておられますが、かつて「高齢者の祈りは世界を守ることができ、おそらく多くの人の労苦よりも切実に世界を助けることができる」とおっしゃいました[4] 。この言葉は、教皇職を退かれる直前の2012年に発表されました。美しい言葉です。あなたの祈りは最も貴重な資源であり、教会と世界が奪うことのできない肺(使徒的勧告『エヴァンゲリイ・ガウディウム』262参照)。特に、人類にとって非常に困難な時期ー私たちが同じ船で、コロナ大感染の嵐の海を渡っている時ーに、世界と教会のための、あなたの執り成しは無駄ではなく、穏やかな着地への自信をすべての人に提供してくれます。

 親愛なる祖母たちよ、親愛なる祖父たちよ、このメッセージを終えるにあたり、まもなく聖人となられるシャルル・ド・フーコーの例を挙げたいと思います。彼はアルジェリアで隠遁生活を送り、その周辺環境の中で「すべての人間が兄弟であると感じたい、という願望」(『回勅 Fratelli tutti(兄弟のみなさん)』287項)を証ししました。彼の行いは、砂漠の孤独の中でも、全世界の貧しい人々のために執り成し、真に普遍的な兄弟姉妹となることが可能だ、ということを示しています。

 主よ、あなたの模範に感謝しながら、私たち一人ひとりが心を開き、最も小さい者の苦しみに敏感になり、彼らのために執り成すことができるよう、お願いします。私たち一人ひとりが、すべての人に、特に若い人たちに、今日、私たちに向けられた慰めの言葉、「私は毎日、あなたがたと一緒にいます」を繰り返すことができますように。前進して、また勇気を出してください! 主の祝福がありますように。

       ローマ、聖ヨハネ・インラテラノ 2021年5月31日, 聖母の訪問祝日 フランシスコ
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[1]このエピソードは、”ヤコブの福音書”で語られています。
[2] これは、「世界祖父母・高齢者デー」のロゴに選ばれたイメージです。
[3] 記憶は命、書くことは息。L’Osservatore Romano 2021年1月26日。
[4] 2012年11月2日、「Viva gli anziani高齢者万歳」ファミリーホームを訪問。

(翻訳・「カトリック・あい」読者、編集・南條俊二)

2021年7月20日

☩「”心のエコロジー”を育てよう」教皇の2週間ぶりに宮殿窓から年間16主日の正午の祈り

 

2021年7月18日

☩「誰もが”塗油”をしてもらえるように」教皇の年間第15主日の正午の祈り

(2021.7.11 Vatican News staff writer)

   教皇フランシスコは11日、入院されているローマ市内のジェメリ病院10階バルコニーから、病院前に集まった信徒たちを前に、年間第15主日の正午の祈りを捧げられた。

 教皇はおなじみの「Buongiorno!」のあいさつとともに、やはり入院中の子供たちを伴って、バルコニーに出られ、日曜恒例の正午の祈りを信徒たちと共に捧げられることに喜びを表明された。そして、ご自身を支えてくれる人々に感謝され、今苦しんでいる人々、助けを必要としている人々の為に祈られた。

*マルコ福音書の”塗油”には二つの意味

 そして正午の祈りに続く短い説教の中で、今日の主日のマルコ福音書の箇所(6章7-13節)を取り上げられた。

 この箇所では、イエスの弟子たちが出かけてい行って、油を塗って多くの病人を癒やした(6章13節)ことが描かれているが、教皇は、この油は、病床にある人に「魂と身体に安らぎを与える」ものだが、「病床にある人に耳を傾け、近くにいて、世話をし、優しくする」、そして痛みを和らげ、気分を回復する「香油」でもある、と指摘された。

 そして、「私たちは皆、人生の中で、いつかこの”油”を塗ってもらうことを必要とする時が来るし、また(油を塗ってもらうだけでなく)家を訪ねたり、電話をしたり、助けの手を差し伸べたりすることを通して、他の人に”油”を渡すことができるのです」とされた。

 

*経済的理由で医療サービスが削減されないように

 また教皇は、4日の手術以降のジェメリ病院での個人的体験として、すべての人が利用できる優れた医療の重要性を改めて認識したことを語られ、「このような優れた医療が、多くの人々にもたらす医療・保健上の利益は失われてはなりません」と強調。そうした医療サービスを確保・拡大していくために、すべての人の理解と協力が求められており、経済的理由によって、医療サービスを人々に提供する力が損なわれるようなことは、あってはならない、と訴えられた。

*誰も独りぼっちにされないように

 教皇は最後に、医師や看護師・薬剤師・ 検査技師などの医療従事者、それを支える事務職員そしてスタッフたちに、深く感謝されるとともに、激励の言葉を送られた。そして、病める人たち、とくに極めて厳しい状況にある人たちのために、「誰も独りぼっちにされないように、誰もが、話を聴き、傍にいて、世話をしてもらえる”油”を塗ってもらえるように」と祈るように、それがいつも実現するように、私たちの母、Health of the Sickのマリアの執り成しを通して祈るように、すべての信徒に求められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

2021年7月11日

☩「神の控えめな存在をしっかりと見据えよう」教皇、年間第14主日正午の祈りで

Pope Francis at the Sunday AngelusPope Francis at the Sunday Angelus  (Vatican Media)

(2021.7.4 Vatican News staff writer)

 教皇フランシスコは年間第14主日の7日正午の祈りに先立つ説教で、「習慣からくる偏見や狭量な見方に囚われない目と心を持ち続けるように。そして、神の思いがけないなさり方に驚くことを忘れずにいるように」と信徒たちを促された。

 説教で教皇はまず、この日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所に注目された。

 イエスは故郷ナザレにお帰りになり、会堂で教え始められたが、地元の彼の知り合いたちは「彼は、質素な家族に一員で、大工の息子なのに。どうやって知恵を手にしたのか」と首を傾げ、不信と憤りを抱いた。そのような彼らに、イエスは「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親族、家族の間だけである」(6章4節)と語られた。

*知ることと認識すること

 故郷の人々のイエスに対するこのような振る舞いは、彼らはイエスを「知っている」と思っていたが、(彼の本質を)「認識していなかった」ことを示している、と教皇は指摘され、「『知ること』と『認識すること』の違いは、私たち皆が理解すべきことであり、そうしないと、人物について『何でも知っている』と考える危険を冒すことになります。私たちの知識は表面的なものとなり、その人物の独自性を認識するために、さらに多くのことを学ぶ必要が出てくるのです」と強調。

 さらに「最悪の場合、私たちは他者に”ラベル”を貼り始め、自己に閉じ籠るか、偏見を持つようになります。イエスと30年もの長い知り合いでありながら、本当のイエスの姿が分からず、イエスの真価を認めようとしなかったナザレの村人たちのように、です」と説かれた。

*心を閉じるか、開くか

 そして、教皇は信徒たちに、「もしも私たちが習慣の安易さに身を任せるなら、それは、新しいもの、感嘆する可能性にに目を閉じてしまう”偏見の独裁”を引き起こす可能性があります… 私たちの日々の暮らしの中で、経験や自分の考えや世界の見方だけを頼りにする人たちに引きずられるのは、その表れです」と指摘。

 こうしたことは、「私たちの信仰生活にも影響を与える可能性があります。自分はイエスについてすべてを知っている、すべてを理解している、と思い込むことです。神についての新たな発見、驚きができなくなれば、信仰は徐々に死滅して”おっくうな繰り返し”になってしまいます」と警告されるとともに、感嘆することの重要性を強調され、「それは主に本当に出会う、自然な反応なのです」と説かれた。

 

*受肉のとてつもなさ

 教皇は、この日のミサで読まれたマルコの福音書の箇所に戻られ、故郷のナザレの村人たちがイエスを「認識しなかった」のは、「受肉(神がイエス・キリストとなってこの世に来られた)という驚くべき真実を受け入れなかった」ためであり、「村人たちは、計り知れないほど大きな存在である神が私たちのような小さな人間に現れるーごく普通の男の言葉と振る舞い、そして質素な暮らしをする人間の中に神が隠れておられるーと考えるのは、とてつもなくひどいこと、と思ったのです.」とされた。

 そして、彼らと同じように、「私たちも、神を『遠くにおられる存在ー神はご自分の世界におられ、私たちは私たちの世界にいる』、あるいは、『特別なことをする、強い感情を引き起こす”特殊効果”を持った存在』ーというような考えに、容易に惹かれがちです」と注意され、「そのような考えに陥らないように。神は人となられ、謙虚で、優しく、目立たず、私たちの近くにいて、私たちと同じごく普通の暮らしをされたことを、知るようにならねばなりません」と信徒たちに説かれた。

 最後に教皇は、「イエスは、私たちの親密な友。私たちの仲間の一人になり、私たちを理解し、共に歩み、赦し、そして、とても愛しておられるのです」と強調され、聖母マリアに倣って、私たちが日々の暮らしの中で、神の奥義を進んで受け入れ、偏見のない目と心を持ち、神の謙遜で隠れた存在に感嘆する気持ちを失わないように、と祈ることを勧められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2021年7月4日

☩「『家庭の愛:召命と聖性への道』へ世界中の信徒の参加を」ー来年6月に「世界家庭大会」

(2021.7.2 バチカン放送)

 教皇フランシスコが2日、来年6月にローマで開催される「第10回世界家庭大会」に向けたビデオメッセージを発出され、概要を説明するとともに、ローマでの本大会とともに世界中の教区で企画される催しに、多くの信徒たちが参加するよう呼びかけられた。大会は、今年6月に開催を予定していたが、新型コロナウイルスの世界的大感染のために1年延期されている。

 教皇のメッセージは以下のとおり。

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 親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 次回の世界家庭大会は、2022年6月にローマで開催されます。大会のテーマは、「家庭の愛:召命と聖性への道」です。新型コロナウイルスの世界的大感染による一年の延期の後、皆が再び出会うことへの思いは大きなものです。

 これまでの大会では、多くの家族は家にいて、大会は遠く離れたものとして認識されていました。テレビで中継を見るか、あるいは多くの家庭では、まったく知られていないものでした。

 次回の大会は、今までにない形で行われます。それは、すべての家族がこの大会に関わり、教会共同体の一部であると感じることのできるイベントを実現するための、摂理的な機会となるでしょう。

 大会は、多角的で広範な形をとり、世界中の教区の参加を助けるものとなるでしょう。メイン会場のローマでは、家庭司牧における代表者らが参加し、「家庭の祭典」、「司牧会議」、そしてミサが行われ、それは全世界に中継されます。

 この期間、各教区は地域の家庭や共同体のための集いの中心となることができます。こうして、ローマに来ることができない、すべての人々も大会に参加できることになります。

 こうしたことから、諸教区の中で可能なところは、教区の共同体でこの大会への取り組みを計画するようお招きします。その際、大会のテーマを基礎に、ローマ教区が現在準備している大会ロゴを用いてください。ローマでのイベントと歩調を合わせ、皆さんの教区の催しを家族たちと計画するにあたり、皆さんが活気にあふれ、行動的かつ創造的であることを願います。

 これは、夫婦や家族、司牧者らが一体となって、家庭司牧に情熱をもって貢献する貴重な機会です。

 世界中の教区や小教区でこの集いを計画するために、互いに助け合うよう、親愛なる司牧者の皆さん、家族の皆さんに励ましを送ります。

 次回の「世界家庭大会」に向けて良き歩みを!そして、私のために祈ることを忘れないでください。ありがとう!

(編集「カトリック・あい」)

 

2021年7月3日

◎教皇連続講話「ガラテヤの信徒への手紙」②神は、罪深い私たちを宣教者に変えられる

Pope Francis arrives for the weekly General AudiencePope Francis arrives for the weekly General Audience 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2021年6月30日