・「人道援助を全面的に認め、敵対行為を即時停止せよ」教皇レオ14世、危機的状況のガザ地区について訴え

Pope Leo XIV at General Audience of 21 May 2025Pope Leo XIV at General Audience of 21 May 2025  (@Vatican Media)

 

2025年5月21日

◎「神の愛は、決して計算ずくではない」-教皇レオ14世、初の水曜恒例の一般謁見で、故教皇の連続講話「キリスト、私たちの希望」を引き継ぐ

Pope Leo XIV holds his first General Audience in St. Peter's SquarePope Leo XIV holds his first General Audience in St. Peter’s Square  (@Vatican Media)

Pope Leo XIV holds his first Wednesday General Audience and reflects on Jesus’ parable of the sower, stressing that God “does not wait for us to become the best soil.”

 

In his first General Audience as Pontiff, Pope Leo XIV continued with Pope Francis’ Jubilee series on the theme of “Jesus Christ, Our Hope.”

The new Pope carried on with his predecessor’s reflection on the parables of Jesus, which Pope Leo said “help us to rediscover hope, because they show us how God acts in history.”

A unique parable

Pope Leo focused on the parable of the sower—“a rather unique parable, as it serves as a kind of introduction to all the others.” He pointed out how this story reveals how Jesus communicates, and it can give us guidance on how to proclaim the Gospel today.

While parables are taken from everyday life, their goal is to convey something more profound. They encourage us all to “raise questions within us; they invite us not to stop at appearances.”

Reflecting on the story, the Pope urged everyone to ask themselves two questions: Where am I in this story? What does this image say to my life?

A sower goes out to sow

In this parable of the sower, Pope Leo XIV explained that we can see God’s power and the impact it has on us.

“Every word of the Gospel is like a seed sown in the soil of our lives,” he shared, highlighting that the soil is not only our heart, “but also the world, the community, the Church.” There is no aspect of life that remains untouched by the Gospel.

People from all walks of life and backgrounds came out to listen to Jesus tell this parable. This shows us that “Jesus’ word is for everyone, but it works in each person differently,” which Pope Leo explained helps us understand the parable better. Each of us can draw something from the parable no matter our situation in life.

Jesus is the Seed

In the story, where the seeds fall seems to be of little concern to the sower, which the Pope pointed out symbolizes how God loves each and every one of us. “We are used to calculating and planning things, but love doesn’t work that way,” he said.

Pope Leo emphasized that God “scatters the seed of His word on every kind of soil—meaning, in every one of our situations.” Whether we receive it with enthusiasm, superficiality, or fear, God trusts that at one point or another the seed will bear fruit.

God “does not wait for us to become the best soil.” Rather, He gives us His word over and over again, and His word is Jesus.

Van Gogh and his sunset

Closing his reflection, Pope Leo XIV pondered Vincent van Gogh’s painting, The Sower at Sunset.

“What strikes me,” he shared, “is that, behind the sower, van Gogh painted the grain already ripe.” The Pope called this an image of hope that somehow the seed has borne fruit.

In the center of the painting is the sun—not the sower, which reminds us that “God drives history, even if He sometimes seems distant or hidden.”

Remembering Pope Francis

Before praying the Our Father in Latin, Pope Leo XIV remembered his predecessor, Pope Francis, on the one month anniversary of his passing.

“And we cannot conclude our encounter without remembering with such gratitude our beloved Pope Francis, who exactly one month ago returned to the house of Our Father.”

2025年5月21日

☩「聖ヨハネ23世に始まり、故教皇フランシスコが広げたエキュメニカルな対話、交流の歩みを大切にしたい」教皇レオ14世、キリスト教諸教会、諸宗教代表との初会見で

教皇レオ14世とキリスト教諸教会・諸宗教の使節との集い 2025年5月20日 バチカン宮殿教皇レオ14世とキリスト教諸教会・諸宗教の使節との集い 2025年5月20日 バチカン宮殿  (@Vatican Media)

(2025.5.20  バチカン放送)

 教皇レオ14世は19日、バチカン宮殿のクレメンスホールで、キリスト教の諸教会、および諸宗教の関係者とお会いになった。

 会見には、前日18日に、レオ14世の教皇職開始を祝うミサに参加した正教会やプロテスタントなど、他のキリスト教教会の指導者、またユダヤ教やイスラム教をはじめ、世界の様々な宗教の代表や使節が参加した。

 レオ14世は冒頭、大きな喜びを込めてすべての関係者に挨拶をおくられた。そして、「聖ヨハネ23世に始まり、歴代教皇に受け継がれ、故教皇フランシスコによっていっそう普遍的な友愛へと広がったエキュメニカルな対話と諸宗教間の交流の歩みを大切にしていきたいと思います」と述べられた。

 続けて、自身の教皇への選出がニケア公会議の開催から1700年を迎える年と重なったこと、この公会議で起草された信条はすべての教会で分かち合われていることに言及され、「すべてのキリスト者の一致の追求は、ローマ教皇の義務の一つであるとともに、「In Illo uno unum(唯一のキリストの中に私たちは一つ)」という聖アウグスティヌスの言葉を司教モットーに選んだ私自身の絶えることのない関心でもあります」と指摘。

 「キリスト者の共通の歩みは、人類の友愛というさらに大きな精神のもとに、すべての人たちと関わっていくもの」であり、今は、「対話と橋を築く時代です」と強調された。

 また、キリスト教とユダヤ教の特別な関係について、教皇は、第二バチカン公会議の公文書『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』で記されている「両宗教が共有する霊的遺産の偉大さ」に触れるとともに、キリスト教とユダヤ教の間の神学的対話の重要性を指摘。「対立と誤解によって傷ついた、この困難な時代、キリスト教とユダヤ教間の貴重な対話を継続する必要があります」と述べられた。

 カトリック教会とイスラム教間の対話についても、兄弟愛を育む近年の努力に目を向け、「互いの尊重と良心の自由に基づく態度が、両宗教間に橋をかける上での堅固な基礎となるでしょう」と話された。

 最後に教皇は、すべての宗教関係者に、この日の出会いと平和への貢献に、心からの感謝を表明され、「暴力と紛争に傷ついた世界にあって、ここに代表される各宗教共同体の方々は、全人類の利益と地球の保護のために、知恵と思いやりと努力をなさっています」とされたうえで、「私たちがイデオロギーや政治的な条件から解放されて一致するなら、戦争に『ノー』、平和に『イエス』、軍拡競争に 『ノー』、軍縮に 『イエス』と言い、人々と地球を貧しくする経済に 『ノー』、すべての人と地球全体に益をもたらす経済発展に『イエス』」と言う言葉が、強い説得力を持つことができるのです」と訴えられた。

(編集「カトリック・あい)

2025年5月21日

☩「ウクライナ、ガザ、ミャンマー… 世界中の戦乱で苦しむ人たちを忘れない』-教皇レオ14世、18日の正午の祈りで

Pope Leo XIV blesses the image of Our Lady of Good Counsel at the end of Mass on Sunday, May 18Pope Leo XIV blesses the image of Our Lady of Good Counsel at the end of Mass on Sunday, May 18  (@Vatican Media)

(2025.5.18 Vatican News  Devin Watkins)

    18日に行われた教皇就任ミサの終わりに、教皇レオ14世は聖母に捧げるレジナ・チェリの祈りをされ、世界の戦乱で引き裂かれた地域の平和実現を訴え、特にガザ、ミャンマー、ウクライナで戦争のために苦しんでいる人々のために祈られた。

   教皇は、聖体に参列した20万人の人々と多数の代表団に感謝し、国家、教会、諸宗教の代表者に感謝の意を表した。

   そのうえで、「信仰と交わりの喜びの中で、戦争のために苦しんでいる兄弟姉妹を忘れることはできません」とされ、イスラエルとハマスの戦争が続く中、ガザでは「生き残った子どもたち、家族、高齢者」が飢餓に瀕していることを思い起こされた。

   ミャンマーでは、「新たな敵対行為が罪のない若者の命を奪っている 」と指摘。

  「殉教するウクライナは、公正で永続的な平和のための交渉を待っています 」と訴えられた。関連して、このミサの直後、教皇は、ウクライナのゼレンスキー大統領と個人的に会談された。

   また教皇は、「天から私たちに同行しておられる教皇フランシスコの霊的存在を強く感じています 」と述べられ、教皇職の正式な始まりにあたり、「海の星 」と 「善き助言の聖母 」の称号を持つ聖母マリアに教皇職を委ねる祈りをカトリック信者に呼びかけた。

  そして、「平和の賜物、苦しむ人々への支えと慰め、そして私たち皆が復活した主の証人となる恵みを願い、聖母マリアの執り成しを懇願します」と結ばれた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年5月18日

☩「『神の愛に根ざし、一致のしるしとなる教会、人類の調和の酵母となる宣教する教会』を築こう!」-レオ14世、教皇職開始記念ミサで

(2025.5.18  カトリック・あい)

 レオ14世の教皇職開始を記念するミサ(着座を祝うミサ)が18日午前10時(日本時間同日午後5時)から、バチカンの聖ペトロ広場で行われた。ミサには、世界約150カ国の代表らが参列。ウクライナのゼレンスキー大統領、ドイツのメルツ首相、イタリアのメローニ首相、カナダのカーニー首相、スペイン国王フェリペ6世、新教皇の出身国米国からはバンス副大統領、ルビオ国務長官、日本からは麻生太郎・自民党最高顧問が出席した。一般のカトリック信徒や聖職者も十数万人が広場と沿道を埋めた。

 バチカン発表のこのミサでのレオ14世の説教は以下の通り。

・・・・・・・・・・・

 親愛なる枢機卿の皆様、司教および司祭の兄弟たち、高名な当局者および外交団の皆様!そして、聖年を記念して来られた巡礼者の皆さんにも、ご挨拶申し上げます。

 兄弟姉妹の皆さん、私に委ねられた務めの始まりに、感謝の気持ちでいっぱいになって、皆さん全員に挨拶します。聖アウグスティヌスはこう書いています―「あなたは私たちを、あなたのために造られた、(主よ、)そして私たちの心は、あなたの中に安らぎを得るまで休むことはない」(『告白』1章1.1)。

 この数日間、私たちは特に激しい日々を過ごしました。教皇フランシスコの死は、私たちの心を悲しみで満たし、その困難な時間の中で、私たちは福音書で「羊飼いのいない羊のような」と表現されている群衆のように感じました(マタイ福音書 9章36節)。まさに主の復活の日に、私たちは彼の最後の祝福を受け、復活の光の中で、主は決して民を見捨てず、散らばった民を集め、「羊飼いが羊の群れを守るように」守る(エレミヤ書31章10節)という確信を持って、この瞬間を迎えました。

 この信仰の精神で、枢機卿たちは教皇選挙に集まりました。さまざまな歴史と道程を経て、私たちは、キリスト教の豊かな信仰の遺産を守り、同時に、今日の問題、不安、課題に立ち向かうことができる、新しいペトロの継承者、ローマ司教、牧者を選出する、という願いを、神の手に委ねました。皆さんの祈りに支えられ、私たちは聖霊の働きを感じました。聖霊は、さまざまな楽器を調和させ、私たちの心の弦をひとつのメロディーで響かせました。

 私は、何の功績もなしに教皇に選ばれ、恐れと震えをもって、兄弟として皆さんの前に立ち、皆さんの信仰と喜びの僕となり、私たちをすべて一つの家族として結ぶ神の愛の道を進んでいきます。

 「愛」と「一致」は、イエスがペトロに託した使命の二つの側面です。

 福音書のこの一節は、私たちをティベリア湖へと導きます。そこでは、イエスが父から受けた使命、すなわち、悪と死の海から人類を救うために「人間をとる」という使命を始めらえた場所です。その湖の岸辺を通りかかった時、イエスはペトロと他の最初の弟子たちを呼び寄せ、自分と同じように「人をとる漁師」になるよう命じられました。そして今、復活の後、この使命を継承し、常に網を投げ、福音の希望を世界の海に沈め、人生の海を航海し、すべての人々が神の抱擁に再び出会えるようにするのは、まさに彼らなのです。

 ペトロはどのようにしてこの任務を遂行できるのか?福音書は、彼が自分の人生で、失敗と否認の瞬間にも、神の無限で無条件の愛を体験したからこそ、それが可能になった、と教えています。そのため、イエスがペトロに語りかけるとき、福音書はギリシャ語の「agapao」という動詞を使っている。これは、「神が、私たちに抱く愛、無条件で打算のない自己の捧げもの」を指し、ペトロの答えに使われた動詞とは異なっています。その動詞は、「私たちがお互いに交わす友情の愛」を表している。

 イエスがペトロに「シモン、ヨハネの子、あなたは私を愛しているか」(ヨハネ 福音書21章16節)とお尋ねになった時、それは「父の愛」を指しています。それは、イエスが彼に「この、決して失われることのない神の愛を知り、体験した者だけが、私の羊を養うことができる。父なる神の愛の中でだけ、あなたは兄弟たちを『さらに』愛することができる、つまり、兄弟たちのために命を捧げることができる」と語っているのです。

 ですから、ペトロには「より多く愛し」、羊たちのために自分の命を捧げる、という任務が課せられています。ペトロの務めは、まさにこの自己犠牲的な愛によって特徴づけられているのです。なぜなら、ローマ教会は愛によって統治しており、その真の権威は「キリストの愛」にあるからです。それは決して、他者を抑圧や宗教的宣伝、あるいは権力の手段で捕らえることではなく、イエスがしたように愛することだけです。

 使徒ペトロ自身が言うように、「あなたがた家を建てる者に捨てられ、隅の親石となった石」 (使徒言行録 4章11節) 。そして、その石がキリストであるなら、ペトロは、孤独な指導者や他の人々の上に立つ指導者になる誘惑に決して屈することなく、「割り当てられた人々を支配しようとせず」(ペトロの手紙1・5章3節参照)、兄弟たちの信仰に仕え、彼らと共に歩むことが、求められています。なぜなら、私たちは皆、「生ける石」 (ペトロ の手紙1・2章5節)であり、洗礼によって、兄弟愛、聖霊の調和、多様性の共生の中で、神の建物を築くよう召されているのです。聖アウグスティヌスは、「教会は、兄弟たちと調和し、隣人を愛する者たちすべてから成っている」と述べている(「説教」 359、9)。

 兄弟姉妹の皆さん、これが、私たちの最初の大きな願いであってほしいと思います―「一致した教会、一致と交わりのしるしであり、和解する世界のための酵母となる教会」です

 今の私たちの時代には、憎しみ、暴力、偏見、他者への恐怖、地球の資源を搾取し、最も貧しい人々を疎外する経済パラダイムによって引き起こされた、あまりにも多くの不和、あまりにも多くの傷が見られます。そして、私たちはこの”パン生地”の中で、一致、交わり、兄弟愛の”小さな酵母”になりたい。

 私たちは、謙虚さと喜びをもって、世界に向かってこう言いたい—「キリストを見よ!キリストに近づきなさい!照らし、慰めるキリストの御言葉を受け入れなさい!彼の愛を受け入れ、彼の唯一の家族となるよう、彼の提案に耳を傾けよう。唯一のキリストにおいて、私たちは一つです」。

 そして、これこそ、私たち同士の間だけでなく、姉妹であるキリスト教の教会、他の宗教の道を歩む人々、神を求める不安を抱く人々、善意のあるすべての男女と共に、平和が支配する新しい世界を構築するために、共に歩むべき道なのです。

 これが、私たちを鼓舞すべき宣教の精神です。小さな集団に閉じこもったり、「世界よりも自分たちが優れている」と感じたりしてはなりません。私たちは、すべての人に神の愛を捧げるよう召されている。そうすることで、違いを否定するのではなく、それぞれの個人的な歴史と、あらゆる民族の社会的・宗教的文化を尊重する一致が実現するからです。

 兄弟たち、姉妹たち、今こそ愛の時です! 私たちを兄弟とする神の愛は、福音の核心であり、私の先任者であるレオ13世とともに、今日、私たちは自問することができます―「この基準が世界中に広まったら、あらゆる争いはすぐに止み、平和が戻ってくるのではないか?」(回勅「Rerum novarum」21項)。

 聖霊の光と力によって、神の愛に根ざし、一致のしるしとなる教会を築き上げましょう。世界に向かって腕を広げ、御言葉を宣べ伝え、歴史に揺さぶられ、人類の調和の酵母となる宣教する教会を。

 共に、一つの民として、皆兄弟姉妹として、神に向かって歩み、互いに愛し合いましょう。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の翻訳は「聖書協会・共同訳」による)

2025年5月18日

☩「『平和』の構築に『正義』と『真理』が求められている」-教皇、世界各国の駐バチカン大使たちとの初会見で

教皇レオ14世と駐バチカン外交団との出会い 2025年5月16日 バチカン宮殿(教皇レオ14世、駐バチカン外交団と会見 2025年5月16日 バチカン宮殿) 

(2-25.5.16  バチカン放送)

 教皇レオ14世は16日、バチカン宮殿で、世界各国の駐バチカン大使たちと初の会見の場を持たれた。

 あいさつで教皇は、「皆さんの存在は、私にとっての賜物。真理、正義、平和を望み、必要としている地上のすべての人民とすべての個人を抱擁したいと願う教会の、私自身の熱望を新たにするものです」とされ、北米、南米、欧州の間で築かれた教皇ご自身の人生経験は、「国境を越えた、異なる人々や文化との出会いへのあこがれを象徴するものでもあります」と語られた。

 教皇は続けて、カトリック教会の宣教活動と、教皇庁の外交の基礎となるキーワードとして「平和」「正義」「真理」の三つを挙げられた。

 

*「平和」は、”戦争が無い状態”ではない

 

 まず、「平和」について、「私たちはしばしば平和という言葉を否定的に捉え、単に戦争や紛争が無い状態と考えがちですが、そのような平和とは、”休戦状態”に過ぎず、緊張は常に”おき火”のようにくすぶり続け、いつでも再び燃え上がりかねないようなものでしかありません」と指摘。

 「キリスト教的な観点からは、平和は何よりも賜物、キリストの最高の賜物であり、文化や宗教を超え、私たち一人ひとりの努力を求める能動的な恵みなのです」と述べ、「平和は、心に築かれ、心から始まります。武器だけでなく、言葉も、人を傷つけ、殺すことから、プライドや復讐心を捨て、表現に気をつけることが必要なのです」と強調された。

 さらに、教皇は「あらゆる対立や破壊的な征服欲を根絶するために、『対立』ではなく『出会い』を希求する誠実な対話をする意志が求められます。その観点から、紛争解決のために、多国間外交と国際機関に新たな息吹を与えねばなりません」と大使たちに努力を促された。

 

*「正義」の実践が、平和につながる

 

 「正義」については、教皇は「平和の追求には、正義の実践が必要です」とされ、自身の教皇名を選ぶ際に社会的回勅「レールム・ノヴァールム」を発出されたレオ13世を特に念頭に置いたことを明らかにしつつ、「恥ずべき労働条件や、分裂的、対立的な社会をもたらす多くの不均衡や不正義を前に、バチカンは声を上げざるを得ません」と述べ、世界的な規模で存在する不平等に対策を講じる必要を強調。「調和ある平和な市民社会の構築に努力するのは、統治責任を負う者の務めです」とされた教皇は、特に「男女の安定した一致の上に築かれ、社会の核・基礎である家庭」のために力が注がれることを望まれた。

 また教皇は自身が移民の家系に生まれ、移住を経験したことに触れつつ、「私たち一人ひとりが、その生涯の中で健康であったり、病気になったり、仕事があったり、なかったり、母国にいたり、異国にいたりすることがあっても、その人は、常に同じ尊厳、神から望まれ愛された尊厳を持ち続けます」と語られた。

*「真理」無くして平和的関係は築けない

 

 「真理」について教皇は、「国際共同体においても、真理無くして、真の平和的関係は築けません」と述べ、「曖昧で両義的なニュアンスの言葉があふれ、現実の認識を変容させた仮想現実的な世界がチェックされることもなく支配するところでは、客観的な現実の意思疎通が存在せず、真の人間関係を築くことは難しい」と指摘。

 そのうえで、「キリスト教的真理は、決して慈愛から切り離されたものではなく、その根源には、常にすべての人の命と善に対する配慮があります。そして、その真理とは抽象的な原理ではなく、キリストご自身との出会いです」とされ、「そのようにして真理は、移民問題や、人工知能の倫理的利用、地球環境の保全などの今日の課題に、私たちを力強く立ち向かわせることを可能にするのです」と説かれた。

 あいさつの最後に教皇は、自身の教皇職が「希望」をテーマとした2025聖年の最中に始まったことに触れ、「真理と正義と平和のうちに、それぞれが人間性を発揮できる世界を共に構築する、という希望に励まされ、この回心と刷新の時に、争いを捨て、新しく歩み出すことができるように」と願われ、それがウクライナと聖地をはじめとする、あらゆる紛争地域で環境で実現するように、と祈られた。

(編集「カトリック・あい」)

2025年5月17日

☩「 教会はあなた方を必要としている」-教皇レオ14世が東方典礼カトリック信者たちと会見

Pope Leo XIV meets with participants in the Jubilee of Eastern ChurchesPope Leo XIV meets with participants in the Jubilee of Eastern Churches

(翻訳・編集「カトリックあい」南條俊二)

 

2025年5月14日

☩「平和が皆さんと共にあるように! 」教皇レオ14世がバチカンのソーシャルメディアに初投稿

(2025.5.13  Vatican News   Devin Watkins)

A screenshot of Pope Leo XIV's first post on Instagram

 バチカン広報が13日発表したところによると、教皇レオ14世は、X(旧Twitter)とインスタグラムの教皇公式アカウントを通じて、ソーシャルメディアの積極活用を始められた。

 新教皇のインスタグラムへの最初の投稿は、8日の教皇選出直後のUrbi et Orbi最初の公の場でのあいさつから取られたもので、教皇就任当初の象徴的な写真がいくつか含まれている。

 「平和が皆さんと共にあるように!これは、よき羊飼いである復活のキリストによって語られた最初のあいさつです。私は、この平和のあいさつが、皆さんの心の中に、皆さんの家族の中に、そして、どこにいても、どの国でも、世界中でも、すべての人々の間に響くことを望みます」。

  インスタグラムでの新教皇のXの公式アカウントは「@Pontifex – Pope Leo XIV」で、メタが所有する同プラットフォーム上の唯一の教皇公式アカウントとなる。バチカン広報によると、9つの言語でなされ、フォロワーはすでに5200万人に達している、という。

 なお、当時にツイッターの活用を始めたのは教皇ベネディクト16世で、2012年12月12日、最初のツイートを送られたが、故教皇フランシスコも積極的に活用され、教皇在職中に、約5万件の投稿をされた。主な投稿などはバチカンの公式ウェブサイト(vatican.va )の特別セクションに保存され、フランシスコの@Franciscusアカウントは、記念アーカイブとして引き続きアクセス可能となる。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年5月14日

☩「真実に奉仕し、平和を促進するように、偏見や恨み、狂信主義、憎しみから”武装解除”して」ー教皇、メディア関係者との初会見で要請

Pope Leo XIV holds an audience with representatives of the media in Paul VI HallPope Leo XIV holds an audience with representatives of the media in Paul VI Hall  (@Vatican Media)

 

*言葉とイメージの戦争に 『ノー 』と言おう

 

 

 

*時代の課題に立ち向かう

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年5月12日

☩「神の愛の最も素晴らしい表現の一つは、母親が子や孫に注ぐ愛」「裁かず、神と人に耳を傾けよう」教皇レオ14世、聖ペトロの墓の祭壇でミサ

 

 教皇レオ14世は11日朝、聖ペトロ大聖堂地下の教皇たちの墓所を訪れ、聖ペトロの墓の近くの祭壇でミサをお捧げになった。

 ミサ中の説教で新教皇は、まず英語で、次にイタリア語で、福音朗読で読まれた「善き羊飼い」のたとえ話の中でイエスが語られた言葉を振り返られ、 「私たちが頼みとするイエス」の”羊飼い”としての模範に目を向けるとともに、11日が「母の日」に当たることから、「(イエスが、羊飼いのたとえ話を通して示された)神の愛の最も素晴らしい表現の一つは、母親が、特にその子供や孫に注ぐ愛です」と語られた。

 また11日が「召命のための世界祈祷日」であり、その中心テーマである召命について、教皇選挙の前に開かれた枢機卿団の全体会議で、大きく取り上げられたことを思い起され、「私たち全員が一緒になって、(いなくなった羊を)探さねばならない。そして何よりもまず、私たちの日々の活動の中で良い模範を示すことによって、喜びをもって、福音の喜びを生きることによって、他の人々を落胆させるのではなく、特に若い人たちが主の声を聞き、従い、教会で奉仕するように励ます方法を探し求める必要があります」と説かれた。

 新教皇は、福音を宣べ伝える普遍的な呼びかけについて語り、「心してください!恐れることはありません」と信者たちを励まされた。そして、福音宣教が時に犠牲を伴うことを認めたうえで、「神の言葉と互いの言葉に耳を傾けること」の重要性を強調。

 「耳を傾けることは、真の対話に入ることを可能にします… 私たちは、裁くのではなく、耳を傾ける方法を知らねばなりません。私たちがすべての真実を握っていて、他の誰も何も提供するものがないかのように扉を閉ざしてはならない」と語られ、「(まず、相手に耳を傾けるという)謙虚な姿勢によって、主が私たちを、どこに呼んでおられるのかが、より明確になるのです」と言明された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

2025年5月12日

☩「召命のために祈り、互いに奉仕しあおう!」「ウクライナ、ガザ…戦争は絶対に繰り返してはならない!」-教皇レオ14世、世界召命祈願日の正午の祈りで

(2025.5.11 Vatican News   Thaddeus Jones)

 教皇レオ14世は、世界正面祈願の日の11日の正午の祈りに先立つ説教で、聖ペトロ広場を埋めた10万人を超える信者たちを前に、「司祭職と奉献生活への召命のために、そして、人生の旅路において、愛と真理のうちに歩むことができるよう、互いに奉仕して生きるために、祈るように」と呼びかけられた。

 

*良い羊飼いの主日に

 

 新教皇は、11日が「良い羊飼いの主日」であることを思い起こされつつ、ローマ司教としての最初の日曜日に、このミサで読まれた福音書にある 「自分の羊を知り、愛し、羊のために命を捧げる、真の羊飼い」としてご自身を示されたイエス」を祝うことができるのは、「神からの賜物です」と語られた。

 

*世界召命祈願の日に

 

 11日はまた、世界召命祈願の日であり、ローマを訪れているバンドや大衆芸能のメンバーによる2025年聖年の巡礼の最終日でもあることも想起され、「良い羊飼いであるキリストの祭日を盛り上げ、聖霊によって教会を導いてくださる皆さん 」の音楽と演奏に感謝し、親愛の情をもってすべての人に挨拶を送られた。

 

*互いに助け合おう!

 

 続けて新教皇は、召命、特に司祭職と奉献生活への召命のために、すべての神の民とともに祈ることができる喜びを表されるとともに、「教会が、彼らを大いに必要としている 」のと同様に、「彼らが 、共同体の中で受け入れられ、耳を傾けられ、励まされ、神と兄弟姉妹への惜しみない献身の信頼できる模範を見い出す 」ことができるよう、私たち皆が、彼らの召命の旅路を支援するように、と促された。

 そして故教皇フランシスコの「世界召命祈願の日」のメッセージを思い起こしつつ、「皆が互いに奉仕し合い…互いに助け合って、愛と真理のうちに歩み、生きることができること」を神に願いながら、「若者を歓迎し、共に歩む」ように、信者たちを促された。

 

*恐れてはならない!

 特に召命に関して、新教皇は、若者たちを「教会の招きと主キリストの招きを喜んで受けなさい!」と励まされた。

 そして最後に、「主の呼びかけに応えた生涯であった聖母マリアが、イエスに従う私たちにいつも寄り添ってくださいますように」と願われ、説教を締めくくられた。

・・・・・・・

(Vatican News   Francesca Merlo)

 また教皇レオ14世は、正午の祈りに続けて、故教皇フランシスコの言葉を引き継ぐ形で、ウクライナ、ガザ、インドとパキスタンの国境における紛争終結を訴えられた。

 「『断片的に戦われる第三次世界大戦』という今日の劇的な状況において…。戦争は絶対に繰り返してはなりません」。

 新教皇は、80年前の5月8日に6000万人の死者を出して終結した第二次世界大戦の甚大な悲劇を思い起こされ、今日の世界を苦しめている現代の戦争に目を向け、 「私は、愛するウクライナの人々の苦しみを胸に抱いています… 真の、公正で、永続的な平和に一刻も早く到達するためにあらゆる努力がなされるように」と訴えられた。

 さらに、「すべての捕らわれている人々が解放され、子どもたちが家族のもとに戻されますように」と願われ、ガザ地区で今も進む人道的大惨事について「何が起きているのか、私は深く心を痛めている。戦闘を直ちに停止させ、疲弊した市民に人道支援を提供し、すべての人質が解放されますように」と当事者たちに求められた。

 そして、強い希望の中で、インドとパキスタンの停戦合意が発表されたことを歓迎され、「今後の交渉を通じて、永続的な戦闘の停止が合意が速やかに達成されることを望みます」と語られた。

 続けて、新教皇は「世界には、このほかにもどれほどの紛争があるのでしょうか 」と問いかけられ、最後に、自らの「心からの願い」を平和の女王マリアに託されて、「聖母マリアが、その願いを主イエスに託され、私たちに平和の奇跡をもたらしてくださるように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年5月11日

・教皇レオ14世、聖マリア・マジョーレ大聖堂の故教皇フランシスコの墓所で祈り

Pope Leo XIV praying before the tomb of his predecessor, the late Pope Francis, at St. Mary MajorPope Leo XIV praying before the tomb of his predecessor, the late Pope Francis, at St. Mary Major  (@Vatican Media)

 教皇レオ14世は10日、バチカンの外への最初の訪問の際、聖マリア・マジョーレ大聖堂においでになり、サルス・ポプリ・ロマーニの聖母マリアのイコンと故教皇フランシスコの墓に祈りを捧げられた。

 4月27日、復活節第2主日(神の慈しみの主日)の午後遅く、新教皇、当時のロベール・プレヴォスト枢機卿は枢機卿団のメンバーとともにサン・マリア・マジョーレ大聖堂に行かれ、一般公開されたばかりの教皇の墓で祈られていた。そして、教皇に選出されてから48時間も経たない10日、教皇レオとして初めてバチカンの外に出、同大聖堂のフランシスコの墓を訪れた。

 新教皇は、「教会から私に託された新しい聖職の最初の日に、ここに来ることを強く望んでいました 」と述べられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年5月11日

☩「産業革命が起こした社会的問題に対応されたレオ13世に倣い、AIが引き起こす革命に対応しよう」レオ14世が初の枢機卿会議で

Pope Leo XIV meets with cardinals Pope Leo XIV meets with cardinals   (@Vatican Media)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年5月11日

☩「私たちはキリストへの喜びに満ちた信仰を証しするよう求められている」-新教皇レオ14世、枢機卿たちとの初ミサで

(2025.5.9 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

     第267代教皇に選出された翌朝、教皇レオ14世はシスティーナ礼拝堂で枢機卿たちと共に教皇として初のミサを捧げられた。説教の中で新教皇は、枢機卿たちに、「私たちは、キリストへの喜びに満ちた信仰を証しするよう求められています 」とされ、キリストとの個人的な関係を常に深めるよう求めるとともに、「信仰がなければ、人生に意味はありません」と強調された。

 説教で教皇レオ14世は、まず英語でいくつかの言葉を述べ、その中で教皇選挙に参加した枢機卿たちの信頼に感謝した。そして、「答唱詩編の言葉を繰り返したいと思います― 主は驚くべきことをなさった… 私は主に向かって新しい歌を歌おう」とされ、「兄弟である枢機卿たち、今朝、私たちがミサを捧げるにあたり、主が成し遂げてくださった奇跡、主がペトロの聖職を通して私たち全員に注ぎ続けてくださっている祝福について考えていただきたい」と呼びかけられた。

First Mass of Pope Leo XIV with Cardinals in Rome

 そして、「教会として、イエスの友人の共同体として、信者として、福音を告げ知らせるために、私たちと共に歩むために、皆さん一人一人が頼りになることを知っています」と語られた。

*キリストは人間の聖性を示してくださった

 新教皇は説教をイタリア語で行われ、初代教皇である聖ペトロを中心に、聖マタイによる福音書にある彼の言葉-「あなたは生ける神の子キリストです 」-を思い起こしながら、主への絶え間ない信仰によって可能となった「使徒的継承を通して教会が二千年の間守り、深め、伝えてきた 遺産」を指摘。

 そして、ペトロとキリストとの関係を振り返りながら、「救い主であるイエスだけが、御父の御顔を現しておられること」を思い起こされ、「イエスのうちに、神は、ご自分を男女の身近な存在とするために、子どもの信頼に満ちた眼差しで、若者の生き生きとした心で、そして人間の成熟した顔立ちで、私たちにご自分を現されました… このようにして、イエスは、私たちのあらゆる限界と能力を超越する永遠の運命の約束とともに、私たち皆が倣うことのできる人間の聖性の模範を示してくださったのです 」と語られた。

 

*賜物と道

 

 さらに、ペトロがキリストとの応答の中で、「それが 『神の賜物』」であると同時に、『その賜物によって自分が変えられるためにたどるべき道 』であることを理解していました… それらは、人類の善のために宣べ伝えられるよう教会に託された、救いの不可分の側面です 」と言明。「福音がすべての被造物に宣べ伝えられるために、私たちの限界を超え、私たち自身の功績もないのに、ここに連れて来られ、ここから送り出されるのです」と述べられた。

 

 

*教会のために忠実であるようにと召された

 また新教皇は、8日の午後、第267代教皇に選出されたことで、神がペトロの後継者として自分を召されたことを思い起こされ、「神の助けによって、教会の神秘体全体のために、その忠実な管理者となるように、この宝を私に託されたのです」と述べたうえで、「ペトロが信仰告白をするのは、『人は人の子を誰だと言うのか』という具体的な質問に答えるためでした。この質問は取るに足らないものではなく、私たちの宣教の本質的な側面、すなわち、私たちが生きている世界、その限界と可能性、その疑問と確信 に関わるものなのです」と強調。

*キリストに対して人々が示す二つの異なる態度、だからこそ宣教活動が必要

 

 さらに、「人は、人の子(イエス)を誰だと言うのでしょうか?」と問いかけ、「私たちが考えている場面を振り返れば、2つの異なる態度を特徴づけるものが見つかります」と指摘。まず、「イエスの存在が煩わしい 」となれば、「イエスの厳格な道徳的要求」のために、イエスを拒絶し、排除することを躊躇しない 反応がある」と語った。そして、イエスの問いかけに対するもう一つの可能な反応は、イエスを 「勇気のあるまっすぐな人 」と見る普通の人々の反応であり、「彼らにとっては、イエスはただの人であり、それゆえ、危険な時、受難の時、彼らもイエスを見捨て、失望して去っていくのです」とされた。

 そして、「この2つの態度は、今日にも通じるもの」とされ、「たとえ本質的には同じであっても、異なる言葉で表現されているとしても、現代に生きる多くの男女の口から出てくる観念を体現しているのです」、さらに「今日でも、キリスト教信仰が『不条理で、弱者や無知な者のためのもの』とされる状況が数多くあります。 テクノロジー、お金、成功、権力、快楽などが好まれるような状況です」と指摘。

 「これらの状況では、福音を宣べ伝え、その真理を証しすることは容易ではなく、信者は嘲笑され、反対され、軽蔑されるか、せいぜい大目に見られ、同情されるにとどまるでしょう。しかし、それゆえにこそ、そのような場所は、私たちの宣教活動が切実に必要とされている場所なのです」と語られた。

*信仰の欠如は、実質的な無神論の状態で生きることに繋がる

 続けて、現在社会の信仰の欠如は、「人生の意味の喪失、慈しみの軽視、人間の尊厳に対するひどい侵害、家庭の危機、その他私たちの社会を苦しめている多くの傷を、しばしば悲劇的に伴っています…そして、イエスは一人の人間として評価されてはいるが、一種のカリスマ的指導者やスーパーマンに成り下がっている。洗礼を受けていない人たち間だけでなく、多くの洗礼を受けたキリスト者の間でも このようなことが起こっています 。そのような人々は、実質的な無神論の状態で生きることになるのです 」と警告された。

 そして、「これが私たちに託された世界であり、教皇フランシスコが何度も説かれたように、私たちは救世主キリストへの喜びの信仰を証しするよう求められている世界なのです… それゆえ、私たちも、ペトロと共に、『あなたはキリスト、生ける神の子です』と繰り返さねばなりません」と訴えられた。

*日々の回心の旅に身を捧げる

 そのために私たちは、まず第一に、「主との個人的な関係において、『日々の回心の旅』に自らを捧げること。そして教会としても、同じことをする必要があります。主への忠誠を共に体験し、すべての人に福音を伝えるのです 」と強調された。

 そして、「ローマの司教としての使命を始めるにあたり、ペトロの後継者である私自身に対して、まずこのように言明します」とされ、「それは、アンティオキアの聖イグナチオのよく知られた言葉-『普遍的な教会を、慈愛のうちに司る』です。聖イグナチオは鎖につながれたまま、生け贄を捧げる場所であるこの町に導かれ、そこでキリスト教徒たちにこう書き送っています―『 その時、私は真にイエス・キリストの弟子となる』とも」と語られた。

 さらに、「聖イグナチオは、闘技場で野獣に食い荒らされることについて語りました。具体的には、『キリストが残るために身を引くこと、キリストが知られ、栄光を受けるために自分を小さくすること、すべての人がキリストを知り、キリストを愛する機会を持つために自分を最大限に使うこと』だと 」と付け加えられた。

 そして説教の最後を次のような祈りで、締めくくられた—「教会の母であるマリアの愛に満ちた執り成しによって、今日も、そしてこれからも、神がこの恵みを与えてくださいますように」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年5月10日

☩「私たちは、復活された主と共に、希望の巡礼者、愛の勝利の証人、武装解除された力の証人となる!」教皇、Urbi et Orbi(ローマと世界へ)で宣言

(2025.4.20 カトリック・あい)

 教皇フランシスコは20日、アンジェロ・コマストリ枢機卿が司式を代行した復活祭の主日ミサに続いて、聖ペトロ大聖堂の広場に面したバルコニーにお出になり、復活祭のメッセージと祝福”Urbi et Orbi(ローマと世界へ)”を世界の人々に向けて発表された。

 以下、バチカン広報発表のUrbi et Orbiの全文以下の通り。

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 キリストは復活された、アレルヤ。 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、復活祭おめでとう!

 今日、教会で再び「アレルヤ」の歌声が響き渡り、口から口へ、心から心へと伝わり、世界中の神の民が喜びの涙を流す。エルサレムの空の墓から、私たちは思いがけない良い知らせを聞く― 十字架につけられたイエスは、「ここにはおられず、よみがえられた」(ルカ福音書24章5節)。イエスは墓の中ではなく、生きておられます!

 愛は憎しみに、光は闇に、真実は偽りに打ち勝った。赦しは復讐に勝利した。悪は歴史から消えたわけではない。最後まで残るでしょうが、悪はもはや優勢ではありません。

 姉妹、兄弟たち、特に痛みや悲しみを経験している人たち、あなた方の静かな叫びは聞かれ、あなた方の涙は数え上げられました!イエスの受難と死において、神はこの世のすべての悪を自らの身に負われ、その無限の憐れみのうちに悪を打ち破られました。人間の心を毒し、あらゆる面で暴力と腐敗をもたらす極悪非道な高慢を、根こそぎにされたのです。神の小羊は勝利したのです! だからこそ今日、私たちは喜びをもって叫ぶことができます― 「私の希望であるキリストはよみがえられた!」と。

 イエスの復活は、まさに私たちの希望の基盤です。この出来事に照らせば、希望は、もはや幻想ではないからです。十字架につけられ、死者の中からよみがえられたキリストのおかげで、希望は期待を裏切りません!Spes non confundit!(ローの信徒への手紙5章5節参照)。希望は、逃避ではなく、挑戦であり、私たちを惑わすのではなく、力づけるのです。

 神に望みを託す者は皆、その弱い手を、神の強く力強い御手の中に置きます。復活されたイエスと共に、希望の巡礼者となり、愛の勝利の証人となり、生命の武装解除された力の証人となるのです。

 キリストはよみがえられました!私たちは、死のために造られたのではなく、生のために造られたのです。復活祭は、命の祝祭です! 神は私たちを命のために創造し、人間の家族が再びよみがえることを望んでおられます!神の目には、すべての命が尊く映ります!

 母親の胎内にいる子どもの命も、高齢者や病人の命も、多くの国で捨てられるべき存在と見なされています。私たちは毎日、世界のさまざまな地域で起きている多くの紛争の中で、死と殺戮へのなんと大きな渇望を目の当たりにしていることでしょう!しばしば家族の中でさえ、女性や子どもに向けられる暴力を、私たちはどれほど目にしていることでしょう!社会的弱者、社会から疎外された人々、移住者に対して、どれほどの侮蔑がかき立てられることでしょうか!

 この日、私は私たち全員が新たな希望を抱き、自分たちとは異なる人々や、遠い国からやって来て、馴染みのない習慣や生活様式、考え方をもたらす人々を含め、他者への信頼をよみがえらせたいと望みます!私たちは皆、神の子なのですから!

 「平和は可能だ」という希望を新たにしたい!今年、カトリックと正教会が同じ日に復活祭を祝っている聖墳墓・復活教会から、平和の光が聖地と全世界に輝きますように。

 私は、パレスチナとイスラエルのキリスト教徒、そしてイスラエルのすべての人々とパレスチナの人々の苦しみに寄り添うことを表明します。世界中で反ユダヤ主義の風潮が高まっていることは憂慮すべきことです。しかし同時に、私は、恐ろしい紛争が死と破壊を引き起こし、劇的で嘆かわしい人道的状況を作り出し続けるガザにおられる方々、特にそのキリスト教共同体のことを思います。私は戦争当事者に訴えます。停戦を呼びかけ、人質を解放し、平和な未来を熱望する飢餓に苦しむ人々を救いに来てください!

 現在、歴史の微妙な転換期を経験しているレバノンとシリアのキリスト教共同体のために祈りましょう。彼らは安定とそれぞれの国の生活への参加を熱望しています。私は全教会が、愛する中東のキリスト者たちを思い、祈り続けるよう強く求めます。

 また、戦争のために世界で最も深刻かつ長期にわたる人道危機を経験しているイエメンの人々のことを特に思い、建設的な対話を通じて解決策を見出すようすべての人に呼びかけます。

 復活されたキリストが、戦争で荒廃したウクライナに復活祭の贈り物である平和を与え、すべての関係者が公正で永続的な平和を達成するための努力を追求するよう励ましてくださるように。

 この祝祭の日に、南コーカサスを思い起こし、アルメニアとアゼルバイジャンの間の最終的な和平協定がまもなく調印され、実施され、この地域で待望されていた和解につながるよう祈りましょう。

 復活祭の光が、バルカン半島西部の融和を促進する努力を鼓舞し、政治指導者たちが緊張と危機を和らげ、この地域のパートナー諸国とともに、危険で不安定な行動を拒否する努力を支えることができるように。

 私たちの希望である復活したキリストが、暴力と紛争の犠牲となっているアフリカの人々、特にコンゴ民主共和国、スーダン、南スーダンの人々に平和と慰めを与えてくださるように。サヘル地域、アフリカの角、五大湖地域の緊張に苦しむ人々と、多くの場所で信仰を自由に表明することができないキリスト者たちを支えてくださるように。

 宗教の自由、思想の自由、表現の自由、他者の意見の尊重なくして平和はありえません。

 また、真の軍縮なくして平和はありえません!すべての国民が自国の防衛のために備える、という要求が、再軍備競争になってはなりません。主の復活の光が、「分裂を生み、政治的・経済的に重大な結果をもたらす障壁」を取り払うよう、私たちに促しています。互いを思いやり、相互の連帯を強め、一人ひとりの人間の統合的な発展のために働くよう、私たちを促しています。

 長い年月にわたって武力紛争に悩まされてきたミャンマーの人々が、勇気と忍耐をもって、数千人の死者と、孤児や高齢者を含む多くの被災者に大きな苦しみをもたらしたサガインの大地震の余波に対処しているのを支援することを怠ってはなりません。私たちは、犠牲者とその愛する人々のために祈るとともに、救援活動を行っているすべての寛大なボランティアに心から感謝します。ミャンマー国内のさまざまな関係者による停戦の表明は、ミャンマー全体にとっての希望の兆しです。

 私は、この世界で政治的責任を負う立場にあるすべての人々に、他者からの孤立を招くだけの恐怖の論理に屈することなく、困窮者を助け、飢餓と闘い、開発を促進する取り組みを奨励するために、利用可能な資源を活用することを訴えます。これらは、平和の「武器」、死の種をまくのではなく、「未来を築く武器」なのです!

 人間性の原則が、私たちの日々の行動の特徴であり続けるように。無防備な市民を巻き込み、学校、病院、人道支援者を攻撃する紛争の残酷さを前にして、「攻撃されるのは標的ではなく、それぞれが魂と人間の尊厳を持っている人間であること」を、私たちが忘れることは許されません。

 この聖年において、復活祭が戦争捕虜や政治犯の解放にふさわしい機会となるように!

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、

 主の慈しみの秘義において、「死と生は壮絶な闘いの中で争ったが、主は今、永遠に生きておられる」(イースター・シークエンス参照)。腕のぶつかり合いや死のざわめきが聞こえなくなるとき、私たちもまた、終わりを知らない命を分かち合うよう召されている、という確信で、主は、私たちを満たしてくださいます。「主だけが、すべてを新しくすることができる」(ヨハネの黙示録21章5節参照)のです!

 皆さん、主のご復活、おめでとう!

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年4月20日