☩「主の昇天は、私たちを父のもとへと導き、交わりと平和を築く」-教皇、「主の昇天」の祝日の正午の祈りで

(2026.5.17  Vatican News)

   教皇レオ14世は「主の昇天」の主日、17日の正午の祈りに先立つ説教で、聖ペトロ広場に集まった約2万人の信者たちに向けて、「キリストの全生涯が昇天への動きであり、その人間性は全世界を抱擁し包み込み、私たちを高め、贖ってくださる」と説かれた。。

*主の昇天は、遠い昔に起きたことではない、現実だ

 説教の始めに教皇は、「今日、世界中の多くの国で、主の昇天の祝日が祝われています… イエスが地上から引き上げられ天へと昇られたことは、この神秘が遠い昔に起こったこと、と考えるかもしれませんが、私たちは頭であるイエスと結びついた一つの体の肢体としてイエスと結ばれているので、このことは、極めて現実的なもの。なぜなら、主は私たちを御自身と共に引き寄せ、父との完全な交わりへと導いてくださるからです」と指摘。

 そして、キリストの全生涯が「昇天の営み」であり、主がその人間性を通じて「全世界を抱擁し、巻き込み、人間を罪深い状態から高め、あがなわれます」とされ、復活徹夜祭で語られたように、主は「かつて闇と不正と絶望があった場所に、光と赦しと希望をもたらし、それによって男女が、神の御子が死によって『私たちの死を滅ぼし、復活によって私たちの命を回復された』という、決定的な復活の勝利に到達できるようにされるのです」と強調された。

 

*主の昇天は、私たちを天の栄光へと引き寄せる

 教皇はさらに、主の昇天は私たちに「生きた絆」を語りかけ、私たちを「天の栄光へと引き寄せ、すでにこの人生において私たちの地平を高め広げ、私たちの思考、感情、行動のあり方を、神の御心の尺度により近づけるもの」とされ、「この昇天の道において、私たちは、自らの命と模範、教えを私たちに与えてくださったイエスを通じた道を認識するのです」と語られた。

 また教皇は、「天へと向かうこの昇天の道が、聖母マリアの生涯や、教会が普遍的な模範として示す聖人たちの生涯にも反映されています… 教皇フランシスコがしばしば語っておられたように、この模範は私たちの兄弟姉妹、すなわち身近な聖人たち―父、母、祖父母、あらゆる年齢や境遇の人々―の中に見出すことができる。彼らは喜びと献身をもって、福音に従って誠実に生きようと努力しているのです」と説かれた。

*そして、世界に交わりと平和の果実を広めていく

 説教の結びに教皇は、「互いの支えと祈りによって、私たちもまた、日々天へと昇っていくことを学ぶことができます… 聖パウロが語っているように、真実で、正義で、愛すべきものに目を向けることで、です。そして、洗礼によって授かった神の命は、絶えず私たちを高みへと、父のもとへと引き寄せ、私たちの内と周囲で成長し、世界に交わりと平和という貴重な果実を広めていくのです」と述べられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年5月17日

☩「誰にも、他者の尊厳を侵害する権利はない」ー欧州安全保障協力機構主催の「薬物・組織犯罪と闘う会議」参加者たちに

Pope Leo greets participants in the OSCE-organized conferencePope Leo greets participants in the OSCE-organized conference  (@Vatican Media)
(2026.5.15  Vatican NewsBy Devin Watkins

 教皇レオ14世は15日、欧州安全保障協力機構(OSCE)主催の「薬物および組織犯罪との闘いに関する第2回議員間会議」会議の参加者たちと会見され、「法の支配、犯罪防止、そして違法薬物の惨禍に苦しむ人々への社会的支援の重要性」を強調された。 OSCEは、欧州、北米、中央アジアの57か国が加盟する世界最大の地域安全保障機関。

 教皇は挨拶で、「この会議への参加は、違法薬物の惨禍と私たちの社会の未来そのものを脅かす犯罪ネットワークとの闘いの重要性を浮き彫りにしています」と前置きして、「法の支配、犯罪予防、刑事司法が一体となって機能しなければならない、とバチカンは確信しています。これらの要素は、人間の全人的な発展に欠かすことができません」と言明。

 そして、「個人の恣意的な意志ではなく、法が主権を保たなければ、真に公正な社会は存続することができない。いかなる個人や集団も、権力や地位にかかわらず、他者やその共同体の尊厳や権利を侵害する権利を主張してはならない」とされたうえで、「法執行機関と社会全体は、普遍的な人権を尊重しつつ、犯罪行為の防止に努めねばなりません」と訴えられた。

 教皇はさらに、「真の正義は、単なる処罰だけでは満たされない。なぜなら、犯罪者を社会に再統合するためには、正義には忍耐と慈悲が必要だからです」とされ、「犯罪を犯した者を含むすべての人間に固有の尊厳に対する同等の尊重は、死刑、拷問、およびあらゆる形態の残虐または品位を傷つける刑罰の使用を排除します」と語られた。

 また教皇は、「依存症に陥った人々を支援するための包括的なプログラムが必要です。それには、医療的治療、心理的支援、そして社会復帰支援が含まれます。純粋に抑圧的な措置も、無制限な解決策も避け、多角的なアプローチを採用することで、元依存症者は神から与えられた尊厳を再発見することを学べるでしょう」と指摘。

 そして、「教育こそが、薬物依存症を予防する鍵。教育は、子供たちに薬物の壊滅的な影響を認識させる助けになります」とされ、「ソーシャルメディアがこうしたリスクを軽視するような危険な誤情報を頻繁に拡散している今、教育は家庭内で始まり、学校で強化されなければなりません。そして、麻薬が脳、身体、個人の行動、そして共同体の公益に及ぼす破滅的な影響について、正確な科学的知識を伝える必要があります」と強調。関連して、「組織犯罪の防止と撲滅は、安全で公正かつ安定した社会を築く上で欠かせません」とも述べられた。

 挨拶の最後に教皇は、法執行官や裁判官の働きを称え、職務のために命を捧げたり、負傷したりした人々を偲ばれたうえで、「市民社会と協力し、依存症に苦しむ人々を支援するために、カトリック教会および世界中に広がるその多くの機関は尽力します。そして、互いの尊重と責任を分かち合う精神のもと、私たちは、真に公益とすべての人間の不可侵の尊厳に奉仕する政策を共に推進することができます」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年5月15日

☩「世界中に福音を伝えるために出て行こう!」14日からのキリスト教一致運動「Thy Kingdom Come」へ教皇がビデオメッセージ

(2026.5.14  Vatican News   Kielce Gussie)

 世界中のキリスト教徒が宗派を超えて一致を願う世界的な祈りの運動「Thy Kingdom Come」の初日14日、教皇レオ14世は参加者に向けてビデオメッセージを送られ、福音を分かち合うという彼らの使命に努めるよう励まされた。

 「Thy Kingdom Come」(TKC)は2016年に始まり、現在では世界中のほぼ90%の国々で、85の異なる教派や伝統に属する100万人以上のキリスト教徒が参加するまでに成長している。

*聖霊を通して神は私たちと共におられる

 ビデオメッセージの中で、教皇は、待降節の伝統的な言葉「来たれ、エマヌエル」について考察された。この言葉を通して、キリスト教徒はイザヤの預言の成就―「神は私たちと共におられる」を意味するインマヌエルの誕生―を待ち望んでいる。

 教皇は、「その待ち望む季節を通じて、私たちの賛美歌や聖歌は、神が私たちの間においでになり、罪や私たちを傷つけるあらゆるものから救ってくださるよう、いかに切実さを増していくかを強調します。私たちが、個人として、また世界として、壊れたものを、神が癒してくださるよう、呼びかけている」と指摘。

 「神が全能であり、超越的な存在であることを知りつつも、私たちはなお、神に『私たちと共にいてください。遠くではなく、近くに』と大胆に願い求めています… しかし、時には、私たちが神を必要としていること、そして、私たちの最も深い渇望と内なる不安を満たすことができるのは神だけだ、ということを忘れてしまいます」と述べられ、「イエス・キリストという御姿において、神は肉となって私たちに近づいてくださった。今、聖霊を通して、神は私たちと共におられるのです」と強調された。

*私たちは”孤児”にされたわけではない

 この復活節の50日間、「アレルヤ」はこの季節の歌となり、イエスの復活に対する賛美と感謝を捧げる手段となる。教皇は、「神は今もなお、『私たちと共にいる神』です… しかし、復活後のイエスを、最も親しい友人たちでさえ常に認識できたわけではありませんでした」と指摘。

 だが、イエスは天の父のもとへ帰られたが、「私たちを孤児として置き去りにはされません。聖霊の賜物を通して、主は教会において私たちすべてと共に留まっておられる。キリストは私たちにとってすべてで。主の中に、私たちは人生の充満とその意味を見出します。そしてこの賜物は、自分たちだけで留めておくようなものではない。大胆に宣べ伝えるべきものなのです」と強調され、「Thy Kingdom Come(み国よ来たりたまえ)」の九日間の祈りは、福音を分かち合い、他の人々もまた、イエスに現された神の救いと解放の愛に出会うようになるように祈る、絶好の機会を提供します」と語られた。

信仰を言葉と愛の行いを通して証しする

 教皇は、今年の復活徹夜祭の説教を振り返り、以下のようにビデオメッセージを締めくくられた。

 「私たちが信仰を言葉と愛の行いを通して証ししたいと願う、それは、口で宣言する『アレルヤ』を、私たちの生涯をもって『歌い上げる』ことによってなされるのです」(聖アウグスティヌス『説教』256, 1参照)。

 「主のご復活の日曜日の福音に登場する女性たちのように、私たちが世界中の人々に福音を伝えるために『出かけていく』意思を持つべきです。私たちもまた、『多くの人々でありながら……一人の人』として、平和と一致の新しい世界に命を吹き込むことができます。なぜなら、キリスト者は多くいるが、キリストはただお一人だからです」(聖アウグスティヌス、『詩編注解』127:3)。

 結びに、教皇はすべての人々に神の豊かな祝福が注がれるよう祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年5月14日

◎教皇連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」⑮ 聖母マリアは、教会が召されている姿の完璧な模範

Pope Leo XIV during the General Audience on May 13Pope Leo XIV during the General Audience on May 13  (@VATICAN MEDIA)

(2026.5.13 Vatican News   Isabella H. de Carvalho)

 教皇レオ14世は13日の水曜恒例一般謁見で、連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」に先立って、この日が「ファティマの聖母の祝日」にあたることを取り上げ、「聖母マリアが教会共同体の模範であり、一員であり、母である」ことを強調。「聖母は、すべての信徒に教会を愛し、仕えることを教えています」と語られた。

 講話の冒頭で教皇は、「教会の神秘は、聖母マリアにも反映されています。神の民は、彼女の中に、自らの起源、模範、そして故郷を見出します… そして何よりも、何よりも、聖母の中に自らの原型、すなわち教会が召されるべき姿の理想像を認めるのです」と指摘。信者たちに対して、「聖母の取り次ぎを通して、その模範によって私たちに求められていることに応えることができるよう、聖母に助けを求めるように」と促された。

*マリアは教会共同体の優れた一員、全教会の母

 

 そして、これまで連続講話で取り上げて来た教会憲章に移られ、最終章の第8章(キリストと教会の神秘の中の神の母、聖なる処女マリアについて)が聖母マリアに焦点を当てていることに注目され、次のように自問するよう勧められた。

 「自分は、謙虚で積極的な信仰をもって、教会の一員としての生き方を実践しているだろうか?」「教会の中に、神の無限の愛に応えるために神が私に与えてくださった契約の共同体を見出しているだろうか?」「神から与えられた牧者たちに従順であり、教会の生きた一部であると実感しているだろうか?」「自分は、マリアを模範として、また教会の傑出した一員であり母として仰ぎ、彼女の御子への忠実な弟子となるよう、彼女に助けを求めているだろうか?」。

 そのうえで、教皇は、『教会憲章』の第8章が、私たちに、マリアを「全教会共同体の模範であり、卓越した構成員であり、母である」と認めるよう促している、とされ、「神の恵みによって形作られ、信仰と『処女の愛』によってイエスを受け入れたマリアは、教会が召されている姿の完全な模範、すなわち、主の御言葉による被造物であり、聖霊の働きに従順に導かれて生まれた神の子らの母なのです」と説かれた。

 さらに、マリアが「信者たる者の中でもとりわけ傑出した存在」であり、神の神秘に対して無条件に心を開いていたことから、彼女が「教会共同体の優れた一員」であること、また、キリストにおいて「子供たちを産み出す」存在であり、すべての信徒が「聞き入れられ、守られ、愛されているという確信を持って、子としての信頼をもって彼女にすがることができる」ことから、「全教会の母」であることを強調された。

*神秘の象徴であるマリア

 続いて教皇は、聖母マリアを「a woman who is the icon of the Mystery(神秘の象徴である女性)」と定義することで、これら三つの特徴を要約できる、とされ、「女性」という言葉が、イエスの母となることを許された「このイスラエルの若い娘の歴史的現実」をいかに際立たせているか、を強調。

 そして「icon(象徴)」という言葉は、「彼女において、神の無償の選びと、彼女自身の神への信仰に基づく自由な同意とが、ともに輝き出ていることを、示している。マリアは『神秘』、すなわち、これまで隠されていたが、今やイエス・キリストにおいてその全貌が明らかにされた『神の救いの計画』の象徴である女性なのです」と語られた。

 

 

*私たちすべての中に教会への愛が深まりますように

 教皇はまた、「公会議は、贖いの業において聖母マリアに与えられた唯一無二の地位について、私たちに明確な教えを残してくれました」とされ、「救いの唯一の仲介者はイエス・キリストであり、その母は、信者たちがキリストと直接結ばれるよう助けるのです」と教会憲章の箇所を引用して説明された。

 講話の最後に教皇は、「教会において、完全に生きる恵みを、すべての人に与えてくださるように」と聖霊に祈りを捧げられ、「教会憲章について深く考察した今、聖母にこの賜物を私たちのために取り成してくださるよう願いましょう。すなわち、聖母教会への愛が私たちすべての中で深まるように」と信者たちに促された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年5月13日

☩「私たちの中に愛を生み出すのは、イエスの私たちへの愛」-教皇、復活節第6主日の正午の祈りで

Pope Leo XIV during the Regina CoeliPope Leo XIV during the Regina Coeli  (@Vatican Media)
(2026 .5.10 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 教皇レオ14世は10日の正午の祈りに先立つ説教で「イエスが私たちを永遠に、そして無条件に愛しておられること、そしてイエスのその愛が私たちを他者を愛するように導くこと」を強調された。

 説教で教皇はまず、「主は、私たちを人生の試練の中で一人になさいません」と信者たちを励まされたうえで、こののミサで読まれたヨハネ福音書(14章15~21節)について考察された。

 この箇所では、最後の晩餐の席でイエスが弟子たちに「あなたがたが私を愛しているならば、私の戒めを守るはずである」と語っておられる。

 教皇は「この言葉は、あたかも私たちの義が、神の愛の前提条件であるかのように、『戒めを守るから愛されている』という誤解から私たちを解き放つものです。そしてイエスはこう断言されました―『神の愛こそが、私たちの義の条件なのだ』」と語られた。

 そして、「私たちが、キリストが世界に示されたように、神との私たちへの愛を認める時、初めて私たちは、神の御心に従って真に戒めを守るのです。ですから、イエスの言葉は、関係を築くための招きであり、脅迫や疑わしい最後通告ではありません」と言明。

*イエスの愛こそが、私たちの中に愛を生み出す

 そのうえで教皇は「主は、私たちを愛してくださったように、互いに愛し合うよう命じておられます… イエスの愛こそが、私たちの中に愛を生み出す。キリストご自身が、真の愛の基準であり尺度。それは、永遠に忠実で、純粋かつ無条件の愛です… 神がまず私たちを愛してくださるからこそ、私たちも愛することができる。そして、私たちが真に神を愛するとき、私たちは真に互いを愛するのです」と説かれた。

 さらに、「人生そのものについても同じことが言えます… 命を受けた者だけが生きることができるように、愛された者だけが愛することができるのです」と指摘。「主の戒めは、偽りの愛から私たちを癒やす生き方であり、救いへと至る道である霊的な生活様式」とされた。

 

 

*主は「私たちと共にいる」と約束される

 

 教皇は続けて、「キリストが私たちを愛しておられるからこそ、人生の試練の中で私たちを独りにされることはない。『パラクレートス』、すなわち弁護者、『真理の御霊』を私たちに約束してくださるのです…  ですから、世の悪の中にあっても、私たちは、愛である神を、いつでもどこでも証しするように、求められています」とされ、「愛」という使命を果たす中で、「私たちの最善の努力さえも妨げようとするもの―聖霊が真理の力である一方で、神に敵対し、人々を互いに争わせようとする『告発者』、すなわち『偽りの父』」の誘いに乗らないよう、信者たちに警告された。

 最後に、教皇は、「主の無条件で変わらぬ愛」に感謝し、その母である聖母マリアの取り次ぎに身を委ねるよう、信者たちに促された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=引用された聖書の翻訳は「聖書協会・共同訳」による)

 

2026年5月10日

☩「北アフリカ・サヘル地域の平和と開発を促進する持続的取り組みを」-教皇が訴え

Soldiers from Burkina Faso patrol on the road of Gorgadji in the Sahel region, Burkina FasoSoldiers from Burkina Faso patrol on the road of Gorgadji in the Sahel region, Burkina Faso
(2026.5.10  Vatican News   Linda Bordoni)

  教皇レオ14世は10日の正午の祈りに先立つ説教で、大西洋と紅海の間、北アフリカの最南端の緯度に広がるサヘル地域の不安定な情勢について懸念を表明され、平和と開発を促進するための持続的な取り組みを呼びかけられた。

 教皇は前日、バチカンでヨハネ・パウロ2世・サヘル財団の代表者たちと会見されていた。

 説教で教皇は「サヘル地域、特に最近テロ攻撃に見舞われたチャドやマリにおける暴力の激化に関するニュースを、懸念を持って受け止めています」と語られ、犠牲者への祈りを約束し、苦しむすべての人々への連帯を表明するとともに、平和を促進するための持続的な取り組みを関係者たちに求められた。

 そして、「あらゆる形態の暴力が収まることを願っており、その愛すべき土地における平和と開発に向けたあらゆる努力を奨励します」と述べられた。

 サヘル地域は、「南の比較的湿潤なスーダン型サバンナと、北の乾燥したサハラ砂漠との移行地帯」という生態学的・気候学的な重要性に加え、長年にわたり内部の不安定さと外部の戦略的競争によって形作られてきた地政学的空間でもある。

 不安定な気候は依然として頻繁な食料・水不足を引き起こしており、政府の腐敗はクーデター、反乱、テロリズムを招いている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年5月10日

☩「AIに振り回されない、制御し、味方にする力を持とう」教皇、5月10日「世界広報の日」メッセージ

第60回「世界広報の日」教皇メッセージ 「人間の声と顔を守る」

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 顔と声はすべての人の独自で際立った特徴です。それらは固有で二つとないアイデンティティを表し、あらゆる出会いを構成する要素となります。古代の人々はこのことをよく知っていました。古代ギリシア人は、人間の人格を定義するために「顔」(プロソーポン)という言葉を使いました。

 「プロソーポン」は語源的に、目の前にあるもの、存在と関係の場を意味します。これに対して、ラテン語の「ペルソナ」(per-sonareに由来)は音を含みます。それは何らかの音ではなく、誰かの取り違えようのない声のことです。

 顔と声は神聖なものです。それは私たちに神から与えられたものです。神は、神ご自身が私たちに語りかけた御言葉によって、私たちを命へと招くことによって、私たちをご自身の像と似姿に従って造られたからです。御言葉は、何世紀にもわたり、預言者の声を通して響き渡りました。その後、時が満ちた時、肉となりました。私たちはこの御言葉―神ご自身によってなされるコミュニケーション―を直接聞き、見ることもできるようになりました(ヨハネの手紙1・1章1~3節参照)。なぜなら、それは神の子イエスの声とみ顔のうちに、私たちに知らされたからです。

 神は創造の瞬間から、人間がご自身の対話の相手となることを望まれました。ニュッサの聖グレゴリオスが述べるとおり、神は神の愛の映しを人間の顔に記しました。それは、人間が愛を通して自らの人間性を完全に生きることができるようになるためです。それゆえ、人間の顔と声を守るとは、この刻印を、すなわち、神の愛の消し去ることのできない写しを守ることを意味します。

 私たちは予め定められた生化学的なアルゴリズム(特定の目的や問題を解決するための「手順」や「計算方法」)によって造られた種ではありません。私たち一人ひとりは、かけがえのない、また比類のない召命をもっています。この召命は命から生まれ、他者とのコミュニケーションによって示されます。

 しかし、人間の声と顔を守ることができなければ、デジタル技術は、私たちが時として当たり前のものとみなしている、人類の文明の支柱となるいくつかの根本的な要素を根底的に変容させる恐れがあります。人工知能(AI)として知られるシステムは、人間の声と顔、知恵と知識、意識と責任、共感と友愛を模倣することによって、情報エコシステムに介入するだけでなく、コミュニケーションのもっとも深いレベル、すなわち人間の人格同士の関係にまで侵入することになります。

 課題は技術的なものではなく、人類学的なものです。顔と声を守ることは、究極的には、私たち自身を守ることを意味します。デジタル技術と人工知能がもたらす機会を勇気と決意と識別をもって受け入れることは、重大な問題と不透明性と危険を見ずにいることではありません。

*自ら考えることを諦めてはならない

 ソーシャルメディアの関与を最大化するために、すなわちプラットフォームのために利益となるように設計されたアルゴリズムが、瞬間的な情動を肯定する一方で、理解し考察する努力といった時間を要する人間的表現は否定することに関して、多くの証拠が以前から存在します。こうしたアルゴリズムは、人間集団を安易な合意と怒りのバブルに閉じ込めることで、傾聴能力や批判的思考能力を弱め、社会の分極化を加速させます。

 これに加えて、全知の「友人」、あらゆる情報の分配者、あらゆる記憶のアーカイブ、あらゆる助言の「託宣者」として、人工知能に無批判に頼る傾向が見られます。こうしたことの全てに、私たちの分析的・創造的に思考する能力、意味を理解する能力、統語論と意味論を区別する能力を、さらに損なう可能性があります。

 AIはコミュニケーションに関わる作業の管理に支援を提供しますが、私たちが自ら考える努力をせず、人工的な統計の集計に満足することで、自己の認知能力・感情能力・コミュニケーション能力が蝕まれる恐れがあります。

 近年、人工知能システムは、文書、音楽、映像の製作をますます支配するようになっています。人間の創造的産業の大部分が解体され、「AI使用」というラベルに置き換えられる危険に瀕しています。こうして人々は、自ら思考せず、匿名的で作者も愛も持たない製品の受動的な消費者に過ぎない者に変えられてしまいます。一方で、音楽、美術、文学の分野における人間の天才による傑作は、単なる機械学習の場となっています。

 だが、真に問われるべきは、機械に何ができるか、あるいは何ができるようになるかではありません。そうではなく、私たちが、自分に奉仕するこの強力な道具を賢明に用いることによって、人間性と認識を成長させながら、何をすることができ、また何をすることができるようになるか、ということです。

 人間は常に、「個人的な関与と探究と責任が求められる努力なしに、認識の成果を独占したい」という誘惑に駆られてきました。しかし、創造的なプロセスを放棄し、自らの精神的機能と想像力を機械にゆだねることは、神また他者との関係の中で人格として成長するために与えられた才能を埋もれさせることを意味します。それは私たちの顔を隠し、声を封じることを意味するのです。

*存在するか、存在すると見せかけるか―人間関係と現実のシミュレーション

 情報フィード(Webサイトやアプリが新しい更新情報やおすすめのコンテンツを継続的に配信、または画面上に表示される内容)をスクロールしていると、自分が他の人間と対話しているのか、あるいは「ボット」や「バーチャルインフルエンサー」と対話しているのかが、ますます見分けにくくなります。

 こうした自動エージェント(与えられた目標を達成するために、AI自身がタスクを分解し、計画を立て、必要なツールを自律的に使い分けて実行するソフトウェアプログラム)の不透明な介入は、公共的議論や個人の選択に影響を与えます。とくに大規模言語モデル(LLM)に基づく〈チャットボット〉は、それぞれの個人に合うように提供する内容をを最適化し続けることによって、”ひそかな説得”に驚くほど効果的であることが明らかになっています。

 大規模言語モデルの対話的・適応的・模倣的な構造は、人間の感情を模倣し、そこから人間関係をも模倣することが可能です。このような擬人化は、好ましいものではありますが、特に、最も脆弱な人々を惑わします。過度に「愛情をもつ」ようになった〈チャットボット〉は、常にそこにいて対応してくれるだけでなく、私たちの感情の状態の”ひそかな設計者”となり、こうして個人の内面領域に侵入し、それを支配する可能性があるからです。

 私たちの人間関係への欲求を搾取するテクノロジーは、個人の運命に悲惨な結果をもたらすだけでなく、社会の組織的・文化的・政治的構造にも損害を与える可能性があります。このことは、他者との関係が、私たちの思考を分類し、それによって私たちの周りに鏡の世界を構築する―そこでは全てのものが「私たちの像と似姿に従って」作られる―ように訓練されたAIに置き換えられる時に起こります。

 こうして私たちは他者と出会う可能性を奪われます。他者は常に自分とは異なり、私たちはこの他者と共に関り合うことを学ぶことができ、また学ばなければならないのです。他者性を受け入れなければ、いかなる人間関係も友愛ももつことはできません。

 新たなAIシステムがもたらすもう一つの大きな問題は、バイアス(思考や判断における「偏り」「偏見」「先入観」)です。バイアスは、現実に関するゆがんだ認識の獲得と伝達をもたらします。AIモデルは、それを構築する人々の世界観によって形成されます。そして、それが用いるデータにおける固定観念や偏見を複製することによって、思考様式を押しつける可能性があります。

 アルゴリズム設計(特定の問題を解決するための手順=アルゴリズム=を考案し、最も効率的な処理方法を導き出すプロセス)における透明性の欠如と、データが不適切なしかたで社会を代表していることは、私たちの思考を操作するとともに、既存の社会的不平等と不正を永続させ悪化させるネットワークの罠に私たちを嵌め続ける傾向をもちます。

 こうした危険は甚大です。シミュレーション(現実の事象やシステムをコンピュータ上で模倣し、その挙動を分析・予測する技術)の力は強大であるため、AIは、私たちの顔と声を自分のものとすることにより、並行的な「現実」を作り出すことで私たちを欺くことさえありえます。私たちは多次元世界の中に沈められ、現実と虚構を区別することが、ますます難しくなっています。

 これに加えて、正確さの欠如の問題があります。統計的蓋然性を知識として提示するシステムは、実際には真理の近似値をせいぜい示しているにすぎず、それは時として真の意味での「幻影」であることもあります。情報源の検証不足とフィールドレポート(現場での体験や調査に基づく、活動報告、釣果、または業務状況の報告)―それは出来事が起きる場における情報の収集と検証の継続的な努力を必要とする―の危機は、いっそう誤情報の温床を作り出し、不信と混乱と不安の感覚を増大させる恐れがあります。

*AIを味方にする可能性

 私たち皆を巻き込むこうした目に見えない巨大な力の背後に、ごく少数の企業が存在します。その創業者は、最近、Time誌が「2025年の人」(Person of the Year 2025)として示したクリエイターたち、すなわち人工知能の設計者たちです。

 このことは、人間の行動を巧妙に方向づけ、しばしば私たちが気づかないうちに人間の歴史を―教会の歴史も含めて―書き換えることすらできる、アルゴリズムシステム(特定の課題解決や処理を行うための明確な手順=アルゴリズム=を、コンピュータなどの情報処理システムに実装し、自動化・最適化した仕組み)や人工知能の寡占的支配に関する、重大な懸念を生じさせます。

 私たちを待ち受ける課題は、デジタルの分野の革新の動きを止めることではなく、それを導き、その両義的な性格を自覚することです。私たち一人ひとりは、これらの道具を真の味方とすることができるよう、人間の人格を守るために声を上げなければなりません。

 AIを味方にすることは可能です。しかし、それには3つの柱を基盤としなければなりません。すなわち、〈責任〉、〈協力〉、そして〈教育〉です。

 第一のものは〈責任〉です。〈責任〉は、役割に応じて、誠実さ、透明性、勇気、先見性、知識を共有する責務、情報を示される権利として定義することができます。しかし、一般的に、誰も自分たちが築き上げる未来に対して自らの責任を逃れることはできません。

 オンラインプラットフォームの頂点にいる人々にとって、この〈責任〉は、自らのビジネス戦略が、利益の最大化を唯一の基準とするのではなく。彼らの一人ひとりが自分の子どもたちの善を気遣うのと同じように、共通善を考慮する先見性のあるビジョンによっても導かれることを意味します。

 AIモデルの作成者と開発者には、ユーザー側のインフォームドコンセントを推進するために、彼らのアルゴリズムと開発モデルの基盤となる設計原理とコンテンツモデレーションシステムに関する透明性と社会的責任が求められます。

 人間の尊厳の尊重に関する監督責任を負う国の立法者や国際的規制機関にも同様の責任が求められます。適切な規制は、〈チャットボット〉への感情的な執着から人々を守り、人々を操作し、惑わす、虚偽のコンテンツの拡散を防ぎ、人々を欺くシミュレーションに対して情報の完全性を保護することができます。

 〈メディア〉企業や通信企業は、ほんの数秒の注目を是が非でも勝ち取ることを目指すアルゴリズムが「真実の追求を目指す職業上の価値観への忠実より優先される」のを許してはなりません。公衆の信頼は、何らかのスキャンダルを追い求めることではなく、正確さと透明性によって得られます。

 AIによって生成ないし操作されたコンテンツは、人間が作成したコンテンツと明確に区別して示されなければなりません。ジャーナリストや他のコンテンツ製作者の著作権と所有権は保護されなければなりません。情報は公共財です。建設的で意味のある公共サービスは、不透明性に基づくのではなく、情報源の透明性、関係者の参加、高い質に基づきます。

 私たちは皆、〈協力〉することへと招かれています。いかなる部門もデジタル革新とAI統治の課題に単独で対処することはできません。それゆえ予防策を講じることが必要です。すべての利害関係者―テクノロジー業界から立法関係者、クリエイティブ企業から学術界、芸術家からジャーナリストと教育者に至るまで―が、情報に基づく責任あるデジタル市民権の構築と実施に取り組む責務を負っています。

 〈教育〉の目的はこれです。個人の批判的思考力を高めること。情報源の信頼性と私たちに届く情報の選択の背後にある可能な利害を評価すること。心理的メカニズムの活動を理解すること。そして、家庭、共同体、団体がより健全で責任のあるコミュニケーション文化のための実践的な基準を作ることができるようにすることです。

 そのために、あらゆるレベルの教育システムに、〈メディア〉リテラシー(特定の分野に関する知識や情報を正しく理解・解釈し、適切に活用する能力)、情報リテラシー、AIリテラシーを導入することがますます緊急に必要とされます。

 このことは一部の国家機関ですでに推進されています。私たちはカトリック信者として、人々、特に若者が批判的思考力を身に着け、精神的な自由を育めるように貢献することができるし、貢献しなければなりません。さらにこうしたリテラシーは、より広範な生涯教育のプログラムに組み入れることによって、急速な技術の変化に対してしばしば疎外感と無力感を抱く高齢者や社会の周縁に置かれた人々にも届くようにしなければなりません。

 〈メディア〉リテラシー、情報リテラシー、そしてAIリテラシーは、だれもがAIシステムを擬人化する傾向に応じてしまうのではなく、AIを道具として扱い、AIシステムが提供する情報源―それは不正確であることも誤ったものであることもあり得る―を外部から検証し、セキュリティ・パラメータ(暗号化アルゴリズムやシステムなどの安全性の基準や強度を決定する設定値)と紛争解決オプションを知ることによってプライバシーと自分のデータを保護するのに役立ちます。

 AIを自覚をもって使用すること、そしてこの文脈において自分の肖像(写真と音声)、すなわち自分の顔と声の保護について人々を教育すること、また教育を受けることは重要です。それは、デジタル詐欺、ネットいじめ、〈ディープフェイク〉のような、人々のプライバシーや親密性を同意なしに侵害する有害なコンテンツの作成や行動に自分の肖像が利用されるのを避けるためです。

 産業革命が、人々が新しいものに反応できるよう基礎的なリテラシーを要求したのと同じように、デジタル革命も、デジタル・リテラシー、および人文教育と文化教育を要求します。それは、アルゴリズムが私たちの現実認識をいかに形成するか、AIのバイアスがどのように働くのか、情報フィードにおける特定のコンテンツの出現はどのようなメカニズムによって決まるのか、AI経済の前提と経済モデルはいかなるもので、どのように変化する可能性があるかを理解するためです。

 私たちはあらためて人格について語るために顔と声を必要とします。コミュニケーションという賜物を人間のもっとも深遠な真理として守ることを必要とします。すべての技術革新もこの人間の真理へと方向づけられなければなりません。

 この考察を示すにあたり、ここに述べた目的のために労苦する人々に感謝するとともに、メディアを通じて共通善のために働くすべての人々を心から祝福します。

 バチカンにて、2026年1月24日 聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士の記念日

(以上はカトリック中央協議会がHPに掲載している和訳文をもとに「カトリック・あい」が編集しました。数多く登場するデジタル世界の”用語”をそのままカタカナで直訳しても、”デジタル世代”以外の人の中にどれほど理解できる方がいるのでしょうか。少しでも理解ができるように、せめて注釈をつけることに心がけました)

教皇レオ十四世
2026年5月9日

☩「神の慈悲が世界の指導者たちを照らし、怨恨や兄弟殺しの憎しみを鎮めるように」教皇、在位1周年にポンペイのロザリオの聖母聖堂前でのミサで

イタリア南部ポンペイの聖母巡礼聖堂を訪れた教皇レオ14世 2026年5月8日イタリア南部ポンペイの聖母巡礼聖堂を訪れた教皇レオ14世 2026年5月8日  (@Vatican Media)

(2026.5.8  バチカン放送)

 ポンペイの聖母への嘆願日であると共に自身の教皇選出から1周年を記念する5月8日、教皇レオ14世は、イタリア南部ポンペイの聖母巡礼聖堂を訪問された。同日、教皇はナポリにも赴かれる。

 ポンペイはナポリ南東約28kmにある、人口約2万4千人の町。紀元79年のベスヴィオ山噴火により火砕流に埋もれた古代都市ポンペイの遺跡で知られるまた、ポンペイの聖母巡礼聖堂によって、カトリック信者たちにとって、重要な巡礼地となっている。同聖堂は、聖バルトロ・ロンゴ(1841-1926)の熱い意志のもとに建設が進められ、1891年に献堂された。ロザリオの聖母に捧げられた同聖堂では、5月8日と10月の最初の日曜日、聖母への特別な嘆願が行われる。

 ロバート・プレヴォスト枢機卿がコンクラーベで267代目のローマ教皇に選出され、レオ14世を名乗られたその日は、2025年5月8日、ポンペイの聖母の嘆願日だった。レオ14世は教皇選出直後、バチカンの聖ペトロ大聖堂の中央ロッジアに立ち、広場の会衆におくった最初の挨拶の中で、ポンペイの聖母に触れながら、次のように世界の平和を祈られている。

 「今日はポンペイの聖母への嘆願の日です。私たちの母マリアは、いつも私たちと歩まれ、そばにおられ、その取り成しと愛をもって私たちを助けたいとお望みです。ここで皆さんと一緒に祈りたいと思います。この新しい使命のために、全教会のために、世界の平和のために祈りましょう。そして、この特別な恵みを私たちの母マリアに願いましょう」

 また、教皇は、2025年の聖年中の儀式として、10月19日、ポンペイの聖母巡礼聖堂の創立者バルトロ・ロンゴを、他の6人の福者と共に列聖されている。

 教皇選出から1年経過した2026年5月8日、レオ14世はポンペイに赴かれ、聖母巡礼聖堂に付随する施設で、貧しい人々や、支援を必要とする母子や青少年、ボランティアや教育者らとお会いになった。

 この後、教皇は巡礼聖堂内で病者や障害者たちとの出会いを持たれ、聖バルトロ・ロンゴの墓前で祈られ、 続いて、多くの熱心な信者たちと共に巡礼聖堂前の広場でミサを捧げられた。

2026年5月9日

◎教皇連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」⑭「教会は、生命を萎縮させるものを拒絶し、あらゆる形態の悪を糾弾する使命を委ねられている」

(2026.5.6 Vatican News   Deborah Castellano Lubov

 教皇レオ14世は6日の水曜恒例一般謁見で、アフリカ歴訪などで約1か月中断されていた連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」を再開。教会憲章『Lumen gentium』の第7章に示された教会の終末論的側面について考察され、「イエスが、教会に信徒を救いへと導く使命を与えられたこと」「教会は、生命を萎縮させ、その発展を妨げるあらゆるものを明確に拒絶し、あらゆる形態の悪を糾弾する使命を委ねられていること」を強調された。

 講話で教皇は「教会は、まさにその最終的な約束に依拠して、福音を通して歴史の動向を読み解き、あらゆる形態の悪を糾弾し、言葉と行いをもって、キリストが全人類のために実現しようとしている救いと御国を宣べ伝える、地上の巡礼する神の民です…」と語られた。

 そして、「教会が地上の歴史を歩むとき、常にその最終的な目的地である天の故郷を見据えねばならないが、私たちは、この本質的な側面を見落としたり軽視したりしがちです… それは、私たちが、目に見えるものや、キリスト教共同体の生活におけるよりも具体的な動きに過度に注目しすぎているからです」と指摘。

 「神の国こそが、教会のあらゆる活動の目的。教会は、自分自身を宣べ伝えるのではありません。教会のあらゆる活動が、『キリストにおける救い』へと向かわねばならないのです」と述べられた。

*生命を萎縮させるあらゆるものを明確に拒絶して語る

 教皇はまた、「道を照らす希望の守護者として、教会には、生命を萎縮させ、その発展を妨げるあらゆるものを明確に拒絶して語り、貧しい人々、搾取される人々、暴力や戦争の犠牲者、そして肉体的・精神的に苦しむすべての人々のために立ち上がる、という使命も与えられています」とされ、「この観点から、教会は、神の御国の奉仕に立っているにもかかわらず、この世の儚い姿を帯びている自らの制度の、人間の脆さと儚さを謙虚に認めるように求められている」と説かれた。

 そして、「いかなる教会組織も、絶対的なものとして扱われるべきではありません。それらは歴史と時間の中に存在するため、絶え間ない回心、形態の刷新と構造の改革、関係の絶え間ない再生が求められている。そうしてこそ、真に、その使命を果たすことができるのです」と強調された。

*イエスは御国を宣べ伝えられた

 続けて教皇は、「イエスは、まさにこの愛と正義と平和の御国を宣べ伝えることによって、教会を創設されました。ですから、私たちは、キリストにおける救いの『共同体的な次元』と『宇宙的な次元』を考慮し、この最終的な地平に目を向け、あらゆるものをこの視点から測り、評価するよう求められています」、さらに「教会は、この世における神の国の到来に仕えるために歴史の中に生きている。それゆえ、教会は、この約束の言葉をすべての人々に、そして常に宣べ伝え、秘跡、とりわけ聖体の祝典においてその証しを受け取り、その論理を実践に移すのです」と言明。

 そして、「教会が、自らを『キリストとの一致が、より密接に実現される場であり、手段だ』ということ、『救いは、教会の目に見える境界を越えても、聖霊によって神から授けられる』ことを認識している」と語られた。

 

 

*神がもたらす命と平和の充満

 この点に関して、教皇は「教会憲章が重要なこと、すなわち、教会は『普遍的な救いの秘跡』、すなわち、神がもたらす命と平和の充満のしるしであり、その手段た、ことを明確にしている」とされ、「これは、教会が、神の国と完全に同一視されるわけではないが、その種であり始まりであることを意味します。なぜなら、その完成は、終わりの時にのみ、人類と宇宙に与えられるからです」と強調。

 「それゆえ、キリストを信じる者たちは、善の成熟だけでなく、不正や苦しみにも彩られたこの地上の歴史を、錯覚に陥ることなく、また絶望することなく、歩み続けます。『すべてのものを新しくする』お方から受けた約束に導かれて生きるのですから」と述べられた。

 この文脈において、「教会が果たすべき使命は、『イエスにおける神の国の始まり』という『すでに』と、『約束され待ち望まれる成就』という『まだではない』の間にあるのです」と指摘された。

*すべてのキリスト者は一つの教会を成す

 

 教皇はまた、「今日その使命を果たしているキリスト者と、すでに地上の生涯を終え、清めの状態、あるいは至福の状態にある者たちとの関係を理解するように」と信者たちに促され、「教会憲章は、すべてのキリスト者が一つの教会を成し、すべての信者のキリストとの結合に基づいた交わりと霊的恵みの分かち合いがあり、地上の教会と天の教会との間にfraterna sollicitudo(兄弟愛による配慮)があることを確言している。それは、とりわけ典礼において体験される聖徒の交わりです」と説かれた。

 そして、「亡き人々のために祈り、すでにイエスの弟子として生きた人々の足跡をたどることで、私たちもまた、旅路において支えられ、神への礼拝を深めるのです。唯一の御霊に導かれ、唯一の典礼において結ばれ、信仰をもって私たちに先立って逝った人々と共に、私たちは至聖なる三位一体を賛美し、栄光を捧げるのです」と励まされた。

 講話の最後に教皇は「キリスト者であることの、この最も重要かつ素晴らしい側面を、私たちに思い出させてくれた公会議の教父たちに感謝し、私たちが自らの生活の中でこれを育むよう努めましょう」と信者たちに呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年5月6日

☩「私が福音を宣べ伝えることを批判するなら、真実に基づいてそうすべきだ」ー教皇、米大統領の批判に応えて

File photo of Pope Leo XIV speaking to journalists at Castel GandolfoFile photo of Pope Leo XIV speaking to journalists at Castel Gandolfo 
(2026.5.5   Vatican News)

    週末を教皇別邸、カステル・ガンドルフォで過ごされた教皇レオ14世は5日夕、バチカンに戻られる前に記者団に、トランプ米大統領のご自身への最新の批判的な発言に答える形で、「教会の使命は、福音を宣べ伝え、平和を説くこと。もし誰かが、私が福音を宣べ伝えていることを批判したいのなら、真実に基づいてそうすべきです」と語られた。

 また教皇は、教会が一貫して核兵器に反対の立場を表明してきたことを指摘され、「長年にわたって、教会はあらゆる核兵器に反対の声を上げてきました。その点について、疑いの余地はありません」と言明された。

 これは「イランの核兵器保有を容認し、それによってすべてのカトリック信徒を危険にさらしている」と教皇を批判するトランプ大統領に対する反論だ。

 そして、「私はただ、神の言葉の価値ゆえに、私の言葉に耳を傾けてもらいたいと願っています。教皇に選出された最初の瞬間から―そして今、その記念日が近づいていますが―私は『平和あれ』と述べてきました」と強調。

 7日に予定されているルビオ米国務長官との会談について、教皇は「互いをよく理解できるように、信頼と率直さをもって臨み、『良い対話』となることを期待しています」とされ、「彼が話しに来る問題は、今日の問題ではないと思う。様子を見ましょう」と語られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

Before he returned to Rome from Castel Gandolfo on Tuesday evening, Pope Leo XIV spoke briefly to reporters and responded to the latest critical remarks made about him by US President Donald Trump.

“The mission of the Church is to proclaim the Gospel, to preach peace,” he said. “If someone wants to criticize me for proclaiming the Gospel, let him do so truthfully.”

Speaking outside Villa Barberini, his residence in Castel Gandolfo, Pope Leo recalled that the Church has consistently spoken against nuclear weapons.

“For years, the Church has spoken out against all nuclear weapons, so there is no doubt on that point,” the Pope said, responding to President Trump’s claim that the Pope considers it acceptable for Iran to possess nuclear weapons, thereby placing all Catholics at risk.

“I simply hope to be listened to because of the value of the word of God,” Pope Leo XIV stressed, reiterating that he has spoken clearly “from the first moment I was elected, and now we are close to the anniversary. I said: ‘Peace be with you’.”

Regarding his meeting with US Secretary of State Marco Rubio, scheduled for Thursday, May 7, the Pope expressed his hope that it would be “a good dialogue,” approached “with trust and openness,” so as “to understand one another well.”

“I think the issues he is coming for are not today’s issues. We shall see,” Pope Leo added, again referring to the comments made by the US President.

2026年5月6日

☩「友愛と平和こそが、私たちの使命であることをすべての人に示すように」教皇、復活節第五主日の正午の祈りで

Pope Leo at this Sunday's Regina CoeliPope Leo at this Sunday’s Regina Coeli  (@Vatican Media)

(2026.5.3  Vatican News   Moriba Camara, S.J.)   

 教皇レオ14世は3日、復活節第五主日の正午の祈りに先立つ説教で、「信仰は、所有や達成への不安から私たちの心を解放する」とされ、「友愛と平和こそが私たちの使命であることをすべての人に示すように」と信者たちに呼びかけられた。

 説教の冒頭で教皇は、「復活の光に照らされて、イエスが私たちに語られた言葉が新たな意味を帯びる… かつて弟子たちを困惑させたり悩ませたりしていたことが、今や彼らの記憶に蘇り、心を温め、希望を与えてくれるのです」と語られた。

 そして、復活の光に照らして最後の晩餐について記したヨハネ福音書の箇所、「私は、あなたがたのために場所を用意しに行く。そして、戻ってきて、あなたがたを私のところへ迎える。そうすれば、私がいるところに、あなたがたもいるようになる」(14章3節)を取り上げ、「『死に対する勝利』という偉大な神秘へと私たちを招き入れるキリストの約束」を強調された。。

*兄弟愛の新たな論理

 続けて教皇は、排除と競争に特徴づけられた旧世界の論理と、神の国の論理とを対比され、「私たちが今も歩んでいる旧世界では、排他的な場所が注目を集めます… しかし、復活された方が私たちを導く新しい世界においては、最も価値あるものは、誰の手の届くところにある。これは、『すべての人がその独自性において認められる』というビジョンです。誰も他人と混同されることはなく、誰も見失われることはありません」と言明。

 「死は人の名と記憶を消し去ろうとするが、神のもとでは誰もが完全に自分自身である。まさにこれこそが、私たちが生涯をかけて探し求めているものであり、時にはほんの少しの注目や承認を得るためなら、何でもしようとするほどである。」

 

*信仰と自由

 また教皇は、聖ペトロ広場に集まった人々に対し、キリストを信頼するよう促された―「あなたがたの心は騒がせないで…神を信じなさい。また、私も信じなさい(ヨハネ福音書14章1節)。このような信仰は、所有や達成への不安から、価値を得るために名声ある地位を追い求めるという幻想から、私たちの心を解き放ちます。人間の尊厳は社会的承認に依存するものではない。一人ひとりは、唯一の真の現実である神の神秘において、すでに無限の価値を持っているのです」と説かれた。

*天国と兄弟愛

 教皇はさらに、「キリスト者は、地上で天国を先取りし、兄弟愛と平和こそが私たちの召命であることをすべての人に示すよう、招かれています」とされ、「この愛の形において、それぞれの人は自らの真のアイデンティティを見出す。多くの兄弟姉妹の中にあって、各人は自分だけが唯一無二の存在であることを知るのです」と強調。 説教の結びに、教皇は、このメッセージを聖母マリアの取り次ぎに委ね、「すべてのキリスト教共同体が、すべての人に開かれ、一人ひとりに心を配る家となるよう祈ってくださるように」と願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年5月3日

☩「平和と一致の人となり、司牧活動において預言者となれ」ー教皇、ローマ教区で4人の司教を叙階

(2026.5.2  Vatican News   Stefanie Stahlhofen)

    ローマ教区司教の教皇レオ14世が2日、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂で、同教区の4人の司祭を補佐司教として叙階され、「すべての人々に寄り添い、神の近さを宣べ伝え、希望を再び灯すように」と求められた。

 叙階のミサの説教で教皇は冒頭、 「これは民のための祝典です」とされ、叙階された新補佐司教たちに「親愛なる兄弟たち」と呼びかけられ、彼らが枢機卿代理と共にローマ司教である教皇を助け、「ローマの人々にとって善き羊飼いの姿となり、世界中に広がる神の聖なる民全体の愛を見守る」よう促された。

 そして、「あなたがたが平和と一致の人となり、恵みと憐れみの糸で、この教区の広大で人口の多い地域を織りなすなら、違いを調和させ、受け入れ、耳を傾け、赦すことで、その司牧活動において預言者となるでしょう」と希望を述べられた。

 

*社会の”周縁”にいる人々の元へ出向くことが必要

 また、昨年5月8日に教皇に選ばれて以来、「非武装かつ武装解除を促す平和」を提唱してこられた教皇は、イエスが「非武装かつ武装解除を促す預言者として、私たちの間を歩まれた」ことを指摘された。

 教皇は続けて、前任者のフランシスコ教皇の言葉を引用しつつ、「物質的・実存的な周縁を心に抱くこと、社会の周縁にいる人々の元へ出向くこと」の必要性を強調され、「教会という聖なる建物や人間同士の兄弟愛において、誰もその主体となることから排除されない」ということを宣べ伝えるよう求められた。

 そして、「司祭として、あなたがたは、共に歩んできた教区共同体と共に、この召命を受け入れました。今、新たな召命、さらなる使命が訪れます。その核心は常に同じ。すなわち、誰も、絶対に誰も、神に見捨てられた、と考えてはなりません。そして、あなたがたは、福音の核心にある、この良き知らせの伝道者となるのです」と励まされた。

*すべての人に開かれた姿勢を持ち、彼らが孤独を感じないように

 教皇また、信徒、修道者、聖職者を問わず、「すべての人に対して、開かれた姿勢を持つこと」の重要性を強調され、「自分が探されるのを待つのではなく、自分から見つかるようにしなさい。司祭、助祭、修道女、修道士、そして使徒的活動に従事する信徒たちが、決して孤独を感じることのないようにしなさい。 彼らがそれぞれの奉仕活動において希望を再燃させ、一つの同じ使命の一員であると感じられるよう助けてください」と諭された。

 「ローマの貧しい人々、巡礼者、そして世界中からここを訪れる人々が、この都市の住民、その制度、そして司牧者たちの中に、教会の真の顔である母性的な慈しみを見出せますように。私たちの信頼の母である『ローマの人々の救い(Salus Populi Romani)』が、常に私たちの道を導き、守ってくださいますように」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年5月3日

☩「アフリカ4か国歴訪は”戦争の時代”の平和のメッセージとなった」教皇、水曜恒例の一般謁見で

Pope Leo XIV during the General AudiencePope Leo XIV during the General Audience
(2026.4.29 Vatican News  Isabella H. de Carvalho)

   教皇レオ14世は29日、聖ペトロ広場での水曜恒例の一般謁見で、23日まで11日間のアフリカ4か国訪問を振り返られ、「今回のアフリカ諸国をめぐる使徒的巡礼の機会が与えられたこと、そして『戦争や深刻かつ頻繁な国際法違反に侵されたこの歴史的時期に、それを『平和のメッセージ』として体験できたこと』に対し、主への感謝を捧げます」と語られた。

 教皇は4月13日から23日にかけてアルジェリア、カメルーン、アンゴラ、赤道ギニアを訪問され、聖アウグスティヌスの足跡をたどり、緊張が高まる地域での平和を訴え、歌い、踊り、歓声を上げる人々によって歓迎された。

 一般謁見での説教で教皇は、「赤道ギニアのバタにある刑務所で起きた出来事は、決して忘れることができない」と回想された。

 そして、今回の訪問を、「羊飼いとして、神の民と出会い、励ますため」に行ったことを強調され、アフリカの人々にとっては「自らの声を届ける機会となり、神の民であることの喜びと、より良い未来への希望、そして一人ひとりの尊厳を表現する機会となりました」と述べられた。

 教皇はさらに、「彼らにこの機会が与えられたことをうれしく思うと同時に、彼らが私に与えてくれたもの、すなわち『私の心と司牧活動にとって計り知れない宝物』を主に感謝します」とされ、自身を迎えてくれた行政当局や宗教・教会の代表者たちへの感謝を表されたうえで、各国訪問の成果を語られた。

 

*アルジェリア:『架け橋』を築き、強めること、異なる宗教でも共生が可能

 まず、最初の訪問地、アルジェリアでは、霊的な父である聖アウグスティヌスの足跡をたどられ、また、少数派であるカトリック共同体や他宗教の代表者たちとも面会された。

 教皇は、「私は一方で、自らの霊的アイデンティティの根源に立ち返り、他方で、今日の世界と教会にとって極めて重要な『橋』を渡り、強固なものにする機会を得ました。すなわち、教父たちの極めて実り多い時代との『橋』、イスラム世界との『橋』、そしてアフリカ大陸との『橋』です」と指摘。

 同国での滞在が「私たちが同じ『慈悲深い父の子』であると自覚すれば、たとえ異なる宗教であっても、兄弟姉妹として共に生きることが可能であることを世界に示した」ことを強調された。

 また、聖アウグスティヌスは「神と真理を求める道の達人」であり、「今日も、キリスト教徒だけでなく、多くの人々にとって重要な模範です」と述べられた。

*キリスト教徒が多数を占める3カ国では、正義を渇望する人々が随所に

 アルジェリアに続いて教皇は、キリスト教徒が多数を占めるカメルーン、アンゴラ、赤道ギニアを訪問された。そして教皇は、「祝祭的な雰囲気の中で温かく迎えられました」とされる一方、これらの国々で「正義を渇望し、飢えている人々を目の当たりにしました‥. 彼らの信仰を認め、『貧しい者は幸いだ、柔和な者は幸いだ、平和をつくる者は幸いだ』と宣言するために彼らのもとを訪れたのです」と語られた。

*カメルーン:未来の選択を導くために、団結の精神を生き続けさせるように

 まず、カメルーンで、教皇は「和解と平和のために共に働くよう、呼びかけることができました。特に、分離主義グループによる敵対行為が相次ぐ英語圏地域にあるバメンダで、人々に平和のために尽力するよう促すことができた」と語られた。

 そして、「カメルーンは、その自然環境や資源の多様性と豊かさを指して『ミニチュア版アフリカ』として知られています。しかし、この表現は、大陸全体が抱える大きな課題が、カメルーンにもある、という意味にも解釈できます。すなわち、富の公正な分配の必要、若者に活躍の場を提供し、根深い問題を克服する必要性、そして先見性のある国際協力を通じて様々な形態の新植民地主義に対抗し、包括的かつ持続可能な開発を推進する必要がある、ということです」と指摘。

 「今回の訪問中に明らかに見て取ることができた団結の精神が、今後も生き続け、将来の選択と行動を導くものであることを願っています」と強調された。

*アンゴラ:権力者たちの空虚な約束に屈しない希望に、具体的取り組みが必要

 アンゴラでは、教皇は、「1975年の独立後にこの国血なまぐさい内戦が起きたにもかかわらず、こうした歴史の試練の中で、神は教会を導き、清め、福音、人間の尊厳の促進、和解、そして平和への奉仕へと、ますます教会を変容させてこられた… それは、自由な民のための自由な教会!です」と強調。

 また、ママ・ムキシマ聖母巡礼地で「アンゴラの人々の鼓動する心を感じた。様々な行事にあらゆる年齢層の人々が参加し、喜びを分かち合っている姿に深く感銘を受けました」とされ、彼らの中に、「『イデオロギーや権力者たちの空虚な約束によって引き起こされる失望』に耐えることのできる希望の礎を見ることができました」と語られた。

 さらに、「この希望には具体的な取り組みが求められます… 教会には、すべての人の権利を認め、促進する責任があります」と指摘。カトリック教会は、この点において、特に「医療や教育の分野」で引き続き支援を行う用意があることを言明された。

*赤道ギニア:刑務所に見る神の国の真のしるし

 続いて教皇は、今回の最後の訪問地となった赤道ギニアについて、特に北西部の都市バタにある刑務所を訪問した際の、特に印象深い瞬間について語られた。

 「受刑者たちは、神と教皇への感謝の歌を声を限りに歌い、『自分たちの罪と自由のために祈ってほしい』と私に求めました。そのような光景を、私はこれまで見たことがありませんでした… そして彼らは、土砂降りの雨の中で、私と共に『主の祈り』を唱えました。まさに神の国の真のしるしです!」

 この後、依然として雨が降り続く中で、教皇は市内のスタジアムで若者たちと面会され、「福音の中に自由で責任ある成長への道を見出した若者たちによる感動的な証言を伴う、キリスト教の喜びの祝典」を行われたが、「この祝典は翌日の聖体祭で最高潮に達し、赤道ギニア訪問だけでなく、使徒的旅路全体をふさわしい締めくくとなりました」と教皇は語られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年4月29日

☩「英国国教会とカトリック教会は、相違を乗り越えるために協力し続けねばならない」-教皇、新カンタベリー大主教と初会見

Pope Leo and Archbishop Mullally pray in the Urban VIII Chapel
Pope Leo and Archbishop Mullally pray in the Urban VIII Chapel   (@Vatican Media)

Media)

(2026.4.27 Vatican News   Devin Watkins)

  教皇レオ14世は27日、新任の英国国教会指導者、サラ・マラリー・カンタベリー大主教と初の会談をもたれ、カトリック教徒と英国国教会の信者たちに、「あらゆる相違や課題を乗り越えるよう努め、共に世界にキリストを宣べ伝えよう」と呼びかけられた。

 二人がバチカン宮殿のウルバヌス8世礼拝堂で共に祈りを捧げたあと、教皇はあいさつで、復活節に大主教を迎えることができた喜びを述べられ、60年前にあった教皇聖パウロ6世とマイケル・ラムゼイ大主教との歴史的な出会いを振り返られた。

 また、ローマにある英国国教会センターの活動に感謝され、バチカンでカンタベリー大主教代理を務める同センターの所長、アンソニー・ボール主教にもあいさつされた。

 続いて教皇はキリストの平和を伝える復活節のあいさつを述べられ、「私はしばしば、復活された主の平和は『非武装』である、と語ってきました。それは、主が暴力や攻撃に対して常に非武装のなさり方で応じられ、私たちにも同様に振る舞うよう招いておられるからです」と強調。

 さらに、「キリスト教徒の間での分裂は、キリストの平和を世界に、効果的に伝える能力を弱めてしまいます」と付け加えられ、「世界が私たちの説教を心に留めるためには、私たちは祈りを絶やさず、福音の宣教を妨げるあらゆる障害を取り除くよう努めなければなりません」と述べられた。

 そのうえで教皇は、「『信仰と秘跡の生活における完全な交わり』を回復する道筋について、カトリック教会と英国国教会との間で数十年にわたって続けられてきた神学的対話の努力」を振り返られ、「このエキュメニカルな歩みは、歴史的に分裂の原因となってきた様々な問題に関して実を結んできました。今、(カトリック教会と同様)英国国教会も、まさにこれらの同じ問題の多くに直面しています」と指摘。

 「しかし、私たちは、こうした継続的な課題によって、共に世界にキリストを宣べ伝えるあらゆる機会を活用することを妨げられてはなりません」と語られた。

 教皇はまた、2024年5月にフランシスコ教皇が英国国教会の首座主教に語った言葉を引用する形で、「もし私たちが分裂(の状態)を続けることで、『キリストを告げ知らせる』という共通の召命を果たさなければ、それはスキャンダルとなるでしょう」とされ、 「私はこの言葉に、『いかに解決困難に見えようとも、私たちが相違を乗り越えるために努力し続けなければ、それもまたスキャンダルとなるでしょう』と付け加えたいと思います」と述べられた。

 あいさつの結びに、教皇は、マラリー大主教の訪問に感謝され、「聖霊に導かれて、英国国教会とカトリック教会が、友情と対話の中で共に歩み続けるように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年4月27日

☩「資源を略奪し、戦争を繰り広げ、悪を助長する『盗人』に、平和と安らぎに満ちた未来を奪われてはならない」復活節第四主日の正午の祈りで

(2026.4.26 Vatican News   Deborah Castellano Lubov) 

 教皇レオ14世は復活節第四主日の26日の正午の祈りに先立つ説教で、信者たちに「主を信頼するように。私たちを迷わせ、喜びを破壊しようとする『泥棒』に欺かれてはなりません」と警告。「主は、私たちから何かを奪うために来られたのではありません。主は、命を増やし、それを豊かに私たちに与えてくださる『善き羊飼い』なのです」と強調された。

 

*イエスは「羊飼い」と「盗人」を明確に分けられる

 説教で教皇は、まず、この日のミサで読まれたヨハネ福音書の「羊飼いと盗人」の箇所を取り上げ、「イエスがご自身を『羊飼い』と『羊小屋の門』の両方にたとえ、『羊飼い』と『盗人』の対比を浮き彫りにされている」と指摘。

 「イエスは、この両者を明確に区別しています。『羊飼い』は羊との絆ゆえに門から入りますが、別の方法で柵をよじ登る者は、害をなそうとする『盗人』であることを自ら露呈するのです。盗人とは対照的に、キリストは、すべての人々が豊かな命を得られるように来られたです」と説かれた。

*羊飼いが羊を探すように、イエスは私たちを探し求めてくださる

 続けて教皇は、イエスが「友情」という絆によって、私たちと結ばれていることを強調され、「イエスは、私たちを知り、名前を呼んでくださり、導いてくださり、私たちが迷った時には探し出し、優しさをもって私たちを慈しんでくださいます… イエスは、私たちの命や自由を奪うために来られたのではなく、正しい道へと導くために来られたのです」と語られた。

 そして、「キリストは、私たちの良心を欺かれず、それを照らし出されます。イエスは。私たちの喜びを損なわず、より深く永続的な幸福へと開いてくださいます… ですから、御自身に身を委ねる者たちは何も恐れる必要がありません。イエスは、私たちから何かを奪うために来られたのではなく、満ち溢れる命を与えるために来られたからです」と繰り返された。

*「自分の心と生活に入り込むもの」に警戒を怠らないように

 

 教皇はまた、信者たちに対して、「自分の心と生活に入り込むもの」に対して注意を促され、「それらは、外見とは裏腹に、私たちの自由を抑圧したり、尊厳を尊重しなかったりする人々かもしれません。あるいは、他者や人生を穏やかに見つめることを妨げる信念や偏見かもしれません。あるいは、私たちを否定的な選択へと導く誤った考えかもしれません。あるいは、内面を空虚にし、常に自分を超えた生き方を強いる、表面的で消費主義的なライフスタイルかもしれません」と注意を呼びかけられた。

 さらに、「次のような『盗人』たちを忘れてはなりません。それは、地球の資源を略奪し、血なまぐさい戦争を繰り広げ、あるいはいかなる形であれ悪を助長することで、平和と安らぎに満ちた未来の可能性を、私たち一人ひとりから奪い去るだけの者たちです。ですから、『自分は、人生において誰に導かれることを許しているのか』を振り返り、道を誤らせるような影響から身を守るようにしよう」と促された。

 

 

*主に信頼を置くように

 説教の最後に教皇は、「福音が、私たちに、主に信頼を置くように、と呼びかけていること」を改めて強調。「キリストは、私たちから何も奪うことはなく、むしろ、豊かな命を与える善き羊飼いなのです」と改めて強調。聖母マリアの取り次ぎにすべてを委ね、「聖母が、私たちの旅路に寄り添ってくださるように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年4月27日