◎教皇講話「世界を癒やす」⑥「際限ない愛で新型コロナに立ち向かおう」

2020.09.09 Udienza GeneralePope Francis greets the faithful at the beginning of Wednesday’s General Audience. Beginning last week, the General Audiences have been held in the San Damaso courtyard at the Vatican.  (Vatican Media)

 教皇フランシスコは9日、水曜日恒例の一般謁見の「世界を癒やす」をテーマにしたカテキーシスで、「共通善」に関心を向けられた。

*「共通善」を共に追求する

  教皇はまず、「皆が共通善を共に追求すれば、新型コロナウイルス感染による危機から、もっとよく立ち直ることが可能になります」とされたうえで、今、利己的な目的のために危機を利用しようとする人々による「歪んだ関心が生まれてきている」ことを嘆かれた。

 そして「新型コロナ危機とその結果生じている社会・経済的な危機へのキリスト教徒の対応は、愛-特に私たちへの神の愛ーに基づくものです」と語られ、「(注:神が私たちを愛してくださったから)今度は、私たちがすべての人をー友人や家族だけでなく、敵でさえもー愛するように、求められています… それが難しいことは分かっていますですが、学べる、改善できる業なのです」と強調された。

   ・共通善とは、この場合、「世界の人々皆が、主が望まれるように、平和で安全に自由に生きることのできる、皆にとって善いもの」と解釈できる(「カトリック・あい」)

*「愛の文明」を築く

 続けて教皇は、愛は、私たちが個人的関係を作るのを助けてくれるだけでなく、(注:聖人となったパウロ六世とヨハネ・パウロ2世の両教皇が愛された表現を使って)「社会的、文化的、経済的、そして様々な関係を活発にし、『愛の文明』を構築できるようにします」と語られた。

 


また教皇は、「現在の起きている危機は、人それぞれの善が全体として社会の共通善と結びついており、その逆も真であることを、私たちに教えている」と述べ、「障壁、境界、あるいは文化的・政治的な区別を認識しないウイルスは、障壁、境界あるいは区別のない愛に、必ず、直面する」とし、危機の解決策が身勝手さや自己中心主義に汚染されるなら、「新型コロナ危機から脱出できたとしても、新型コロナが明確にした人間的、社会危機から脱出できないのは確実… (そうならないように)すべての人、特にキリスト教徒は、共通善を促進するために働く義務があります」と説かれた。

 

 

*倫理に根ざし、愛で育てられる政治

 教皇はさらに、政治にはしばしば芳しくない評判が立つが、それには理由がない訳ではない、とされ、それでも、「政治が、人間と共通善を果たすべき主たる義務とするなら、良い政治は実現可能… すべての人、特に社会的および政治的な約束と義務を持つ人々が、「倫理的原則に基づく」振る舞いをするようにし、「社会的、政治的な愛」をもって、それを伸長するように求められている、と強調。「キリスト教徒、一般の信徒は、ある特定のやり方で、その模範を示すように求められており、慈しみの徳のおかげで、固有の社会的な側面を育て、それを行うことができるのです」と語られた。

 

*私たちは社会的な愛を高めるように求められている

 最後に教皇は、「私たち社会的な愛を、一人ひとりの参加で高めるべき時は、今です」と言明。「各々が自分の役割を、例外なしに果たす必要があります… そうして、私たちの振る舞いを通して、最も慎み深い者でさえも、自分が抱いている神の姿がいくらか見えるようになるでしょう。神は三位一体、神は愛だからです」と言われ、「共通善のために」皆が力を合わせれば、神の助けをもって「私たちは、世界を癒やすことができるのです」と訴えられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2020年9月9日