◎教皇連続講話「世界を癒やす」⑦「観想」と「いたわり」が人と自然の関係を正す道

教皇フランシスコによる一般謁見 2020年9月16日教皇フランシスコによる一般謁見(2020年9月16日 、バチカン宮殿の聖ダマソの中庭で=Vatican Media)

 教皇フランシスコは16日、バチカンで水曜恒例の一般謁見を行われ、その中で「世界を癒やす」をテーマにした講話を続けられ、この日は、私たちの「共通の家」である地球を保護し、自然を観想することの大切さに、ついて話された。(観想=特定の対象に向けて心を集中し、その姿や性質を観察すること)

 教皇はまず、新型コロナウイルスの大感染から脱するには、「自分たちだけではなく、互いのケアが必要であり、特に最も弱い立場に置かれた人、病者、高齢者などを支えることが大切」とされ、「世話をし、いたわることは人間の黄金律であるが、私たちはそのいたわりを、大地やすべての生物にも向けなければなりません」と説かれた。

 そして、「すべての命は相互のつながりを持ち、私たちの健康は、神が創造され、私たちに神が世話を託された生態系の健康に依存しています… そこから搾取し、自然を破壊することは、重い罪です」と強調。私たちの「共通の家」を搾取しないための最良の対抗策は「観想すること」とされ、「美しいものを前に立ち止まり、それを尊重することを学ぶことができないなら、すべてのものが無分別な利用や搾取の対象物となってもおかしくありません」と話された。

 さらに、私たちの共通の家ー被造物は、単なる「資源」ではなく、「その一つひとつが独自の価値を持ち、それぞれのあり方を通して、神の無限の叡智と愛を反映しているのです… その価値と神の光を見出すには、沈黙し、耳を傾け、観想することが必要なのです」と説かれた。

 このような観想なしには、私たちは「人間を他のすべての被造物の支配者とみなす、均衡を欠いた高慢な人間中心主義」に陥り、「自ら神の座を占めようとし、調和を破壊してしまいます」と警告された。

 教皇は、「『命を守る』という召命を忘れる時、私たちは略奪者になってしまいます… 私たちは生き、発展するために大地を耕しますが、それは搾取を意味しません。常に私たちの使命である『世話』を伴うものでなければなりません」と強調された。

 また、「私たちが熟慮する時、他者や自然の中に、その有用性よりも、もっと大きな何かを見出し、神がそれぞれに与えたかけがえのない価値を発見することができます」と改めて観想することの重要さを指摘され、「私たちを思いやりの行為に導く観想は、『自然を外から眺める』のではなく、『自然の中から、自分を自然の一部と認識する』ことで得られるもの。その視点は私たちを単なる自然の傍観者ではなく、それを守る者とします」と話された。

 そして、「観想することを知る人は、環境破壊や健康の害になる原因を変えようと働き、生産と消費の新しい習慣を育て、『共通の家と人間を尊重した新しい経済成長モデルに貢献するよう努力する人」とされ、人と自然との関係を正し、再びバランスを取り戻すための道として「観想」と「いたわり」の二つの態度を示された。

(編集「カトリック・あい」)

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2020年9月17日