♰「赦しと慈しみが、苦難、戦争…を避ける助けとなる」第24主日の正午の祈りで

Pope Francis at Angelus on SundayPope Francis at Angelus on Sunday  (Vatican Media)

(2020.9.13 Vatican News)

 教皇フランシスコは13日、年間第24主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書18章21節に始まる「仲間を赦さない家来」のたとえ話を取り上げ、「私たち自身が赦しと愛を実践しなければ、自分が赦されることも、愛されることもない」と語られた。

 教皇は、このたとえ話で、イエスが、慈しみに溢れた神の振る舞いに倣うように、と私たちキリスト教徒に促しておられ、「赦しと慈しみ」が「私たちの生き方」になれば、「世界は多くの苦しみ、多くの傷、そして戦争から免れることが可能になります」と説かれた。 

 マタイ福音書の「仲間を赦さない家来」のたとえ話では、多額の借金をしている家来が、主君に返済の時間をくれるように懇願すると、主君は憐れに思って、借金を帳消しにする。だが、この家来は、わずかな金額を貸している仲間を見つけると、返済を強要し、時間をくれるように懇願するのも聞かず、牢に入れてしまう。それを知った主君は、家来を拷問係に引き渡してしまう。

 教皇は、この主君が家来に最初に示したように「赦しと憐れみが、私たちのライフスタイルだったなら、どれだけの苦しみ、どれだけの傷、どれだけの戦争を避けることができるでしょうか」とされたうえで、 「神の振る舞いは慈しみと正義に満ちていますが、人間の態度は正義に限られています… しかし、人生で起きる問題のすべてが、正義によって解決できるわけではありません。ですから、イエスは私たちに、勇気を持って『赦しの力』を受け入れるように、強く勧めておられるのです」と強調された。

 また教皇は、慈しみ深い愛の必要性は、「罪を犯した人を何回赦すべきか」と尋ねたペテロにイエスが示された答えでもある、とされ、 「聖書の象徴的な言葉の中で、これは私たちが、常に赦すように、と求められていることを意味するのです」と語られた。そして、この慈悲深い愛を「あらゆる人間関係ー夫婦の間、親子の間、私たちが属する共同体、さらに社会、政治の場面での人間関係ーに適用していく必要がある」と説かれた。

 さらに、教皇は事前に用意した原稿から離れて、この日のミサの第一朗読、旧約聖書のシラ書27章6節「自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ」の箇所を取り上げ、「過去に被った侮辱に対する恨み、憎しみは、ハエのように私たちを悩ませ続けることがありえます… シラ書で語られているように、自分の最期の日について考えることは、恨み、憎しみの無限のサイクルを終わらせるのに役立つのです」と言われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=引用した聖書の日本語訳は「聖書協会・共同訳」による)

 

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2020年9月13日