◎教皇連続講話・新「使徒的熱意について」①「キリスト教徒の生活に”不可欠な酸素”だ」

Pope at General AudiencePope at General Audience  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2023.1.11 Vatican News  Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは11日の水曜恒例の一般謁見で、「使徒的熱意について」をテーマとした新たな連続講話を開始された。

 その中で教皇は「世界中の国と人々にキリストの光を当てるために、聖霊によって派遣された宣教の熱意を持ってキリストの教会がどのように誕生したか」を思い起され、「”使徒的熱意”は、キリスト教徒の生活のまさに”不可欠な酸素”、教会の霊的健全性」と強調された。

 教皇は、”使徒的熱意”に関して、使徒マタイが、イエスの弟子として活動を始めて間もなく、どのようにして友人たちにイエスについて説いたかについて語られ、 故ベネディクト16世教皇の言葉を引用して、「”使徒的熱意”は、『イエスの愛情深いまなざしと、弟子としてご自分に従うように、との呼びかけ』を他の人々と分かち合いたい、という喜びに満ちた願望をもとに、他者を改宗させることによってではなく、他者を引き付ける魅力によって、イエスを宣言すること」と語られた。

*福音宣教の情熱を保ち続ける

 そして、”使徒的熱意”とは、「福音宣教への情熱、教会にとって欠かすことができないものです。それは、イエスの弟子たちの共同体は、使徒的、宣教するものとして誕生したからです」と指摘され、「聖霊は、神の光が地の果てまで届くように、私たちをイエスの”次から次へ伝える証人”となるよう奮い立たせ、外へと向かうプロセスを形成します」と述べられた。

 また教皇は、「私たちには、福音の”良いたより”を分かち合おうとする”使徒的熱意”が弱まることがある。そして”信仰宣言の地平線”を見失うと、私たちのキリスト教徒としての生活は苦痛となり、あるいはその生活に閉じこもり、萎縮する可能性がある」が、「福音宣教の熱意を保つことが、キリスト教徒としての生活に”酸素”を供給し、活力を与え、浄化してくれます」と説明。さらに、聖書と教会の生きた伝統、教会の中に福音への情熱を再燃させた証人に目を向け、「福音宣教への情熱を再発見する旅」を始めるよう、勧められた。

*徴税人マタイがイエスに呼ばれた意味は

 続けて教皇は、マタイ福音書のイエスがマタイを弟子になさった箇所(9章9節)を取り上げ、この場面を、”憐れみの目”で「私に従いなさい」と言われたイエスの振る舞いをよく物語る例、とされ、「当時、パレスチナを支配していたローマ帝国の徴税人であったマタイは、住民たちにとって裏切り者と見なされていたでしょう。そのようなマタイを弟子にされることで、イエスは、男性も女性もすべての人が神に愛されていることを示されました」と説かれた。

 さらに、「マタイ福音書はこの箇所で、人々から軽蔑されていたこの徴税人を、イエスが『見て』ーマタイを慈悲の目で見てー弟子になるように言われました。それを受けて、マタイは『立ち上がり、イエスに従った』。彼は変えられ、不法に得ていたものを捨て、イエスを受け入れ、弟子としての人生、他者への奉仕に自分の人生を捧げることを受け入れたのです」と述べられた。

 そして教皇は、謁見に参加した信徒たちに「私たちが人をどのように見ているか」「過ちだけを見て人にレッテルを貼っていないか」を自問するように言われ、「マタイを呼ばれるイエスの眼差しは、マタイが立ち上がって、収税所を離れ、イエスに従うことに繋がります。 『立ち上がる』という動作は、『私に従い、他の人に仕えるように』というイエスの呼びかけに、マタイが、どのように進んで、情熱をもって応えたかを、象徴的に示しています」とされた。

*イエスの証しは、今、私たちの居るこの場所で始まる

 さらに「注目していただきたいのは、マタイが最初にしたことが、イエスを、徴税人や罪人が大勢集まっている食事に席にお連れし、皆にイエスを紹介することだった、ということです」とされ、「このことは、私たちがイエスを証しするのに、自分が”完全”になるまで、あるいは”長い道のり”を歩み終わるまで、待つ必要はない、ということ示しています。私たちのイエスの宣言は、今、私たちが住んでいる、この場所で始まるのです」と説かれた。

 最後に教皇は、「教皇ベネディクト16世が(2007年のラテンアメリカ・カリブ司教協議会第5回総会の開会ミサ説教で)語られたように、教会は他者をひたすら改宗することをしない、『他者を引き付ける魅力』によって成長するもの。この魅力的で喜びに満ちた証しこそ、ご自分の愛に満ちた眼差し、聖霊の私たちの心を立ち上がらせる外向きの働きをもって、イエスが私たちを導かれる目的地なのです」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)。

 

 

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2023年1月11日