◎教皇連続講話「聖ヨセフに学ぶ」最終回「『教会の守護者』であることの意味は」

Pope Francis at the General Audience

(2022.2.16 Vatican News  Francesca Merlo )

   教皇フランシスコは16日、水曜恒例の一般謁見の中で「聖ヨセフに学ぶ」をテーマとする講話をお続けになり、ヨセフを「他者を思いやる人」として語られた。

 教皇はこの日の講話でまず、「私が続けているこの講話は、福者ピオ9世が聖ヨセフをカトリック教会の守護者としてから150年を記念する2020年に、私が出した使徒的書簡『Patris corde (With a Father’s Heart=父の心をもって)』を補完するもの」と前置き。

 そのうえで、「では、聖ヨセフが『教会の守護者』とは何を意味するのでしょうか」と、会衆に問いかけられ、「それについては、福音書が私たちに最も正しい解釈を提供してくれます」説かれ、次のように語られた。

 「ヨセフが中心的役割を果たすどの物語も… 福音書は、ヨセフは御子イエスとその母を連れ、神が命じられたことをしている、と書いている。二人を守るためにせねばならないことを、常にしているのです」。

 

 *バチカン放送による講話の要旨以下の通り(編集「カトリック・あい」)

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 この回で、聖ヨセフをめぐる一連の講話を終了したいと思います。これまでの一連の講話は、福者ピオ9世による聖ヨセフの「カトリック教会の保護者」宣言から150年を機会に記した使徒的書簡「Patris corde」を補うものでしたが、この「カトリック教会の守護者」というタイトルはどのような意味を持つのでしょうか。

 この問いにおいても、私たちにより正しい理解の鍵を与えてくれるのは福音書です。福音書は、ヨセフが中心的役割を果たしたすべての出来事の終わりに、彼が「幼子とその母」を預かり、神が命ずるとおりにしたことを記している(参照 マタイ1,24; 2,14.21)。これは、ヨセフがイエスとマリアを守る使命を負っていたことを強調するものです。実際、イエスとマリアは私たちの信仰の最も大切な宝である(使徒的書簡「Patris corde」5項5)。

 神の救いのご計画において、御子と御母を引き離すことはできません。マリアは信仰の巡礼を歩み、御子との一致を十字架に至るまで忠実に守り続けました。

 イエスと、マリア、ヨセフは、ある意味で、教会の始原の核です。か弱い姿でこの世においでになった神の御子は、保護と世話を必要としていた。神はヨセフを信頼された。ヨセフはマリアの夫としてマリアを愛し尊重し、常にマリアと幼子のために配慮しました。

 この意味で、聖ヨセフこそ教会の保護者と言わざるを得ません。なぜなら教会は歴史におけるキリストの神秘体の延長であり、同時に教会の母性においてマリアの母性が暗示されているからです。ヨセフが教会を守り続けることで、御子とその母を守り続けるように、私たちも教会を愛し続けながら、御子と御母を愛し続けます。

 この幼子は、「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」(マタイ25,40)とやがて言うお方です。それゆえに、すべての飢え、渇いた人、寄留者、衣服のない人、病者、牢にいる人は、ヨセフが世話をする「幼子」にほかなりません。

 こうしたことから、聖ヨセフは、すべての貧しい人、亡命者、苦しむ人、また臨終の床にある人の保護者と呼ばれるのです。私たちも「幼子とその母」という大切なものを「守る」ことを通し、秘跡と神の民を愛し、貧しい人や私たちの小教区を愛することをヨセフから学ばましょう。

 今、教会は批判される時代にあります。その批判の中で、「言動の不一致」や「罪」が強調されています。教会の言動不一致や罪とは、実は私たちの「言動不一致」であり、「罪」なのです。

 教会とは「神の慈しみと出会う罪人たちの群れ」です。私たちは心から教会を愛しているでしょうか。自問しましょう。「愛だけが完全に真理を語る」こと、「悪いことは、悪い」と言うこと、「善を認める」ことを可能にしてくれる、教会の中にある聖性は、まさにイエスとマリアから来るものです。

 人生や共同体の試練の時、聖ヨセフの取次ぎを祈りましょう。私たちの過ちがつまずきとなる場所で、真理を行い、赦しを乞い、謙虚に再出発する勇気を聖ヨセフに祈りましょう。迫害が福音の告知を妨げる場所で、福音の愛のために横暴と苦しみに耐える力を聖ヨセフに願いましょう。物資や人材が不足し、貧困が広がる場所で、特に私たちが、貧しく疎外された人々に奉仕するよう召されている時、御摂理があるように、と聖ヨセフに祈りましょう。

 一体、どれほどの聖人たちが聖ヨセフに祈ってきたことでしょう。教会の歴史の中で、いかに多くの人たちが、聖ヨセフの中に保護者であり父である姿を見出したことでしょう。

 これらの人々に倣い、私たちも聖ヨセフに祈り、特に苦しみと試練の中にある教会を託しましょう。以下は、使徒的書簡「Patris corde」の末尾に記した祈りです。

 贖い主の保護者、
おとめマリアの浄配よ。
神はあなたに御子を託され、
マリアはあなたを信頼し、
キリストはあなたと共に大きくなりました。
幸いなるヨセフよ、
私たちにも父としての姿を示し、
人生の歩みを導いてください。
私たちに恵みと慈しみと勇気を得させ、
あらゆる悪からお守りください。
アーメン。

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2022年2月16日