「『主の祈り』の表現を見直す必要」と教皇が言明(Tablet)

(2017.12.8 Tablete  Christopher Lamb)

 教皇フランシスコが、カトリック教会の祈りの中で最も重要な「主の祈り」にある「non ci indurre in tentazione」 (英語公式訳はこの直訳の『lead us not into temptation』 、日本語公式訳は『わたしたちを誘惑におちいらせず」)は「もっとよい表現」にすべきだ、との考えを明らかにした。

 これは、イタリアのテレビ放送TV2000のインタビューに答えたもので、「この翻訳の言葉はよくありません」と指摘し、その理由を「人々を誘惑に❝lead”(導く、おちいらせる)のは神ではなく、サタンであるからです」とし、「この表現は変えるべきです」と語った。そして「(誘惑に)陥るのは私。私を誘惑に陥らせるのは彼(神)ではありません。父親は自分の子供にそのようなことをしない。すぐさま立ち直るように助けてくれます」と述べ、さらに「私たちを誘惑に導くのはサタン。それがサタンの役回りなのです」と改めて強調した。

 そして、この箇所をどのように改めるべきかについては、より正確にこうした神学的な見方に従って、「don’t let me fall into temptation」とするのが適当、とし、フランスの司教団がこのほど主の祈りを見直し、英訳にするとこれまで「“Do not submit us to temptation」としていたのを「Do not let us into temptation」と改めたのを妥当との判断を示した。

 現在の主の祈りの言葉は、ギリシャ語訳をラテン語に翻訳したものをもとにしており、ギリシャ訳のもとは、イエスが実際に語られていたアラム語(ヘブライ語の古語)から来ている。教皇庁立グレゴリアン大学のマッシモ・グリリ教授は「ギリシャ語のこの箇所は『eisenenkês』で、文字通り訳すと『don’t take us inside』となると言い、そのように訳し直すべきだ、としている。

 教皇フランシスコはこのほど、教会法の部分改正を実施、各国語の典礼文の表現について、バチカンから現地の司教団に権限の比重を移す決定をしたが、従来のようなラテン語訳からの文字通りの翻訳を続けるか、それともギリシャ語やアラム語の原本を重視すべきかの議論は続いている。

 (翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 →教皇フランシスコの先輩のイエズス会員、ミラノ大司教で高名な聖書学者でもあったカルロ・マリア・マルティーニ枢機卿(2012年没)は著書「イエスの教えてくれた祈り―『主の祈り』を現代的視点から」(教友社刊・篠崎栄訳)の中で、この部分を「私たちが誘惑に負けることのないようにしてください」としている。まさに教皇の指摘された線に沿っている、というよりは先取りしていた、と言えるだろう。現在の日本語訳は表現があいまいで、しかも、神に「誘惑しないで」と求めているように読めてしまう。日本の司教団は現在、典礼文などの見直しを進めているというが、主の祈りもこのマルティーニ枢機卿の表現を参考に見直す必要がある。(「カトリック・あい」南條俊二)

(Tabletはイギリスのイエズス会が発行する世界的権威のカトリック誌です。「カトリック・あい」は許可を得て翻訳、掲載しています。 “The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher”   The Tablet ‘s website address http://www.thetablet.co.uk)

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2017年12月12日