Pope Francis signing a letter (File photo)
(2022.5.18 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは18日に布告された詔書で、バチカンの奉献・使徒的生活会省に対し、聖職者でない者が修道会、修道院など宗教共同体の会長、院長など長を務めることを認める権限を与えられた。即日、発効する。
教皇は就任以来、カトリック教会の刷新・活性化の一環として、バチカンの諸機関の統治に関する様々なポストに一般信徒が就かせる方策を次々を打ち出しておられるが、それからさらに一歩踏み込んだものとして注目される。
詔書によれば、今回の変更は、教会法(CIC)の宗教コミュニティの聖職者による統治を定めた588条2項の規定を、一定の条件のもとに免除する、というもの。その条件とは以下の三点だ。
①奉献生活の会または使徒的生活の会の評議会議長は、評議会の同意のもとに、非聖職者を地域の共同体の統治者として指名できる。
②評議会会長は、評議会の同意を得て判断し、奉献・使徒的生活会省から書面による認可を受けた後、非聖職者を長として指名できる。
⓷非聖職者は、そのようなケースを規定する法に従って、評議会会長ないし長として選出されることができるが、選出にあたっては、奉献・使徒的生活会省からの書面による確認を必要とする。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2022.4.21 バチカン放送)
国連のグテーレス事務総長が19日、ウクライナのギリシャ典礼カトリック教会の最高責任者、シェウチューク大司教との合意のもとに、ロシア、ウクライナ両国指導者に対して、正教会暦で24日の復活祭を機とする停戦の呼びかけを行ったが、教皇フランシスコもこの呼びかけに賛同された。バチカン広報局が21日発表した。
教皇は10日の「受難の主日」に、復活祭停戦を呼びかけておられたが、カトリック教会歴の17日の停戦は実現せず、ロシア軍のウクライナのマウリポリなど東部地域を中心とした軍事攻撃は止まる気配がない。
教皇と教皇庁は、ロシア軍の攻撃で避難できずにいるマウリポリなどの人々に人道回廊を確保し、平和を切望する人々の叫びに耳を傾け、一刻も早く平和を回復させるよう、関係国指導者に願い、「神にできないことは何一つない」(ルカ福音書1,章37節)の確信のうちに、主に祈り続けている。
(編集「カトリック・あい」)
(2022.4.15 バチカン放送)
聖金曜日の15日夕方(日本時間16日未明)、教皇フランシスコはバチカンの聖ペトロ大聖堂で、イエス・キリストの十字架上の死を記念する「主の受難の儀式」を行われた。
イエスの受難と死を深く観想するこの儀式は、祭壇前で頭を垂れた教皇の沈黙の祈りと共に始まり、みことばの祭儀では、ヨハネ福音書の「イエスが、ユダの裏切りで逮捕される場面から、十字架上の死、墓に葬られるまでの箇所」(18章1節-19章42節)が3人の助祭により朗唱され、イエスが息を引き取られる場面では、朗読者と会衆が沈黙のうちに跪き、頭を下げた。
これに続き、教皇付説教師ラニエーレ・カンタラメッサ枢機卿による説教が行われた。
枢機卿はまず、「今年の復活祭は、『喜びの鐘の音』ではなく、『死と破壊をもたらす砲弾の爆発の音』のもとで迎えることになった」と述べ、ピラトが流させた血や、シロアムの塔の倒壊で亡くなった人々に触れたイエスが「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」(ルカ福音書13章5節)と警告されたことを思い起こしながら、「『その剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す』(イザヤ書2章4節)ことがされなければ、また同じことが繰り返されます」と訴えた。
そして、「世界は目まぐるしく動き、そしてすべては過ぎさり、過去のものとなっていきますが、そうした時の動きに引きずられることなく、足を地につけているためには、『過ぎ去るもの』から、『過ぎ去らないもの』へと移る必要があります」と強調。「今年の復活祭を真の『過ぎ越し』とし、決して変わることのない方ー神ーへと移りましょう」と全ての司祭、信徒に寄りかけた。
説教に次いで、聖金曜日の盛式共同祈願が行なわれ、後半の儀式では、十字架を手にした助祭が、大聖堂の入り口から祭壇に向かって進みつつ、三度にわたり歩を止め十字架を高く掲げ、その度に参列者を十字架の崇敬へと招いた。
十字架は助祭によって教皇のもとに運ばれた。十字架を前にたたずんだ教皇は、長い沈黙の祈りを捧げ、十字架につけられたイエスに接吻された。最後に十字架は祭壇前にもたらされ、参列者は十字架を見つめ祈った。聖体拝領の後、会衆は静かに解散し、「主の受難の儀式」は終了した。
(編集「カトリック・あい」=引用された聖書の箇所の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)
(2022.4.2 バチカン放送)
マルタ訪問中の教皇フランシスコは2日、首都バレッタの大統領官邸でヴェッラ大統領、アベラ首相と会談後、同国の各界代表と会見された。
教皇は、各界代表への挨拶の中で、マルタが「地中海の中心」と定義されるのは、「その位置だけでなく、この地で交差してきた歴史や文化が作り出す活気と文化によるもの」とされたうえで、マルタの社会や政治を特徴づけてきた「様々な世界からの風(影響)」を、古地図に描かれる羅針図(コンパスローズ)をイメージしながら語られた。
そして、「北から吹く風、それは欧州から来るものです」として、特に、平和を守ることにおいて「一致した大きな家族の家としての欧州連合の存在」を示され、「この地は、正義や社会平等の価値、環境保護を推進する最前線にあります」。
さらに、「この北の風は、時に西方の風と共に吹く。そこからは自由と民主主義の大きな価値を得る一方で、進歩への熱望によって、『自らのルーツを切り離す危険』に注意しなくてはなりません」とされ、「健全な発展のためには、記憶を守り、世代間の調和を醸し、画一化やイデオロギー的植民地主義に飲み込まれないように努め、すべての人の尊厳と命を尊重する必要があります」と説かれた。
次に南方に目を向けた教皇は、「希望を求めて欧州にやって来る多くの兄弟姉妹の存在」に言及され、「福音の精神の下にこれらの人々を受け入れるマルタ政府と国民」に感謝を表されるとともに、「地中海が再び、『連帯の舞台』となるために、欧州の共同責任を必要としています。地中海を『文明の墓場』にしてはなりません」と訴えられた。
そして、ロシアの軍事侵略で危機に陥っているウクライナに思いをはせ、戦火を逃れ、国際社会に助けを求めているウクライナの人々を温かく受け入れるようアピール。さらに、「陽がのぼる東からは、暗い戦争の風が吹いて来ている。他国を侵略、残酷な市街戦を展開し、核兵器の使用をほのめかして威嚇するようなことは、遠い過去のこと、と私たちは考えていました。戦争の冷たい風は、ただ死と破壊と憎しみをもたらすだけ」と強調。
「時代遅れの国粋主義的な関心に閉じこもった権力者が紛争を起こす中で、普通の人々は未来を築く必要を感じています」とされ、「今、戦争の闇が人類の上に降りて来ています。そうした中にあっても、平和の夢を消してはなりません」と呼びかけられた。
また、レバノン、シリア、イエメンなど、様々な問題や暴力に引き裂かれた中東の国々にも思いをはせた教皇は、「マルタの共存と調和の力を、これらの国々も必要としています。マルタが神の助けの下に、地中海の心臓として、希望と、命へのいたわり、他者の受け入れ、平和への熱望を、鼓動として響かせていただきたい」と願われた。
(編集「カトリック・あい」)
(2022.4.2 バチカン放送)
教皇フランシスコがマルタ訪問初日の2日午後、ゴゾ島の巡礼地、タ・ピヌを訪問され、祈りの集いを持たれた。
およそ3千人の信者たちに迎えられてタ・ピヌの聖堂に到着された教皇は、聖堂内の礼拝堂に掲げられた聖母画に金の薔薇を捧げられ、信者たちと共に、聖母が願ったように「アヴェ・マリア」の祈りを3回唱えられた。
次いで、教皇は聖堂前の広場での集いで、マルタの信者の代表者たちが語る信仰の体験に耳を傾けられ、説教で、「イエスの十字架上の受難の時、それは終わりではなく、新しい命の始まりをしるすものでした」とされ、「十字架上で私たちに両腕を開き、ご自身の死を通して、私たちを永遠の命の喜びへと導く、キリストの慈しみの愛を観想するように」と促された。
そして、タ・ピヌのかつての小さな教会が、今や多くの巡礼者が訪れるマルタ共和国の国立巡礼聖堂となった歴史を思い起こされ、「ここでは人々は聖母に悲しみや喜びを託し、皆が受け入れてもらうことの喜びを感じることができます」と話された。そして、「失われたかのように思われたが、今、信仰と希望の再生の地となったこの場所で、私たちもイエスの時、救いの時への招きを受け入れ、信仰と教会の宣教を新たにしましょう」と呼びかけられた。
さらに、霊的・司牧的豊かさに恵まれたマルタの教会の貴重な歴史に触れる一方で、「教会生活を”単なる過去の遺産”として生きるのではなく、”大きな未来の構築”に向かうものとするように」と願われた。
また教皇は、十字架の下でイエスが、弟子ヨハネを御母に、御母をヨハネに託されたことに注目され、「教会の皆が唯一の家族として、互いに受け入れ合い、愛し合うことの大切さ」を指摘され、「互いを受け入れることは、キリストの名において、永遠の挑戦です」とされたうえで、「地中海の十字路に位置し、使徒言行録に記された素晴らしい人間性を持つマルタの人々が、これからも貧しさや暴力に苦しむ人々、困難にある人々を受け入れ続けることができるように」と祈られた。
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タ・ピヌ巡礼聖堂の起源は少なくとも16世紀にさかのぼる。この時代、すでに聖母に捧げた小さな礼拝堂が建っていたが、完全に荒廃していたために、1575年、マルタを視察に訪れた教皇特使に取り壊しを命じられた。しかし、その作業が始まったとたんに作業員が腕を負傷した。これにしるしを見た人々は取り壊しを中止。後に、礼拝堂は小さな教会として修復・再建された。1883年に一人の農婦が「アヴェ・マリアを3回唱えてください」との聖母の声を聞いて以来、病者の快癒など特別な出来事が続き、さらに、1887年、ゴゾ島は奇跡的にコレラ感染を逃れたことから、タ・ピヌには次第にマルタ全土から信者が訪れるようになった。1931年、同地に新しい巡礼聖堂が献堂された。
1990年、教皇聖ヨハネ・パウロ2世はタ・ピヌの巡礼聖堂を訪問している。教皇フランシスコが訪問したこの日、4月2日は、聖ヨハネ・パウロ2世の命日でもある。
(編集「カトリック・あい」)
教皇フランシスコとカナダの先住民の使節団との出会い 2022年4月1日 (Vatican Media)
(2022.4.1 バチカン放送)
教皇フランシスコが1日、バチカンを訪問中のカナダ先住民の代表団との出会いで、先住民たちを傷つけたカトリック関係者に代わって悲しみと恥の念を表された。
カナダでは、以前の政府による「先住民同化政策」の下で、カトリック教会が運営する寄宿学校で多くの子供たちが亡くなり、無名のまま密かに埋葬され、最近になって大量の遺体が発見され、教会に対して真相を明らかにし、謝罪するよう求める運動が高まっている。
代表団は教皇を始めとするバチカンの関係の高位聖職者に対して、真相究明や適切な対応を求めるために、バチカンを訪れているもので、イヌイット、メティス、ファーストネーションの3つのグループで構成され、ここ数日、バチカンに滞在、バチカン側と会合を重ねてきた。
教皇はこの間、それぞれのグループと会見し、人々の苦しみの体験に耳を傾けてこられたが、1日は、教皇は代表団の全員と会見、”植民地主義的イデオロギー”によって、「カナダの先住民の多くの人が、独自の文化や伝統、土地や環境との結びつきを断たれ、家族と引き離されるという悲劇を体験させられたこと」に、ご自身の深い悲しみと恥の念を表明、「カナダの司教たちと謝罪のうちに一致したい」と話された。
そして、「今回、皆さんの声を通し、先住民が受けた苦しみ、差別、搾取に、大きな悲しみをもって触れることができました」と述べ、特に「劣等感を植え付け、文化的アイデンティティーや伝統を根絶しようとする考え方」があったことを知ってショックを受けた、と語られ、「こうした体験が先住民の方々に与えた世代にわたるトラウマ」に強い痛みを覚えられた。
さらに、「搾取や尊厳の欠如によって先住民たちを傷つけたカトリック関係者、特に教育責任者たちのために、悲しみと恥を感じます」とされ、「これらの行為のすべてはイエスの福音に反するもの」と強調された。
最後に、教皇は、今回の代表団との出会いが、共に進むべきさらなる道を開くことを願いつつ、「兄弟愛の精神のもと透明性ある真相追求と癒しと和解の推進に取り組む」ように、司教はじめカトリック関係者に求められるとともに、「カナダの先住民の土地を訪れ、直接、寄り添いを伝えることができれることを願っています」と、カナダ訪問への意志を示された。
(編集「カトリック・あい」)