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☩「限りなく交響的で共働的な教会の実現に働くように」教皇、新枢機卿たちに叙任式で注文
・バチカン「ロンドン巨額不動産不正取り引き裁判」で、国務省が被告に1億7700万ユーロ(約270億円)の損害賠償を請求

(2023.9.29 Vatican News Salvatore Cernuzio – Vatican City)
バチカン裁判所で続いている元枢機卿らによるロンドン高級住宅地の巨額不動産不正取り引き事件の裁判で、バチカン国務省が、この不正行為によってバチカンが精神的、風評的な重大な損額を被った、として総額1億7700万ユーロ(約270億円)の賠償をアンジェロ・ベッチウ枢機卿を含む10人に求めていることが明らかになった。
国務省の法定代理人パオラ・セベリーノ氏が26日、Vatican Newsに語ったもので、この賠償請求額は、「教皇庁の主要機関の一つ」を襲ったスキャンダルで引き起こされた被害を定量化したもの、と説明。そして、バチカン国務省は、(イエスが聖なる場所を商売の場にしてはならない、と糾弾された)”神殿商人”の悪行と欺瞞の被害者であり、彼らによって深く傷つけられた名誉を回復する取り組みを余儀なくされている、と指摘。
「この事件は、ローマの個人銀行の頭取、ロベルト・カルビの死につながったバチカン銀行をめぐる史上最悪の金融汚職事件に匹敵するもの、とも言われている。ここまで私が申し上げるのは、国務省が受けた被害がいかに大きいかを理解してもらうためだ」と述べた。
今回の事件は、2014年、当時国務省副長官だったベッチウ枢機卿が旧知の起業家に、アンゴラの油田開発への投資を誘われたことから始まった。この投資自体は実現に至らなかったものの、これを機に、リスクの大きい投資に手を染めるようになった。
セベリーノ氏は「シェイクスピアの言葉を借りれば『過去はプロローグ』であり、(犯罪の)物語の再構成から始めることは、”アンゴラ勧誘”が、その後に作戦で、どのようにミンチョーネとトルジという二人の被告の犯罪を赦した『トロイの木馬』になったのか、を解明するのに役立つ。それは、国務省のバチカンが保有する資産についての長期、かつ無条件の管理運用権を事実上手に入れること。本来なら資産を安全に守り、運用すべき国務省関係者の『積極的貢献』によって、それは行われた。管理局の職員、ティラバッシらは、恐らくロンドンでの巨額資産不正取り引きで主導的役割を果たす機会をえたのだ」と実名を挙げた。そして、「真実を明らかにすることが、この裁判の目的。復讐したり、個人的な利益を得るのが目的ではない。教会が裁判を望んでいることは、人間の誤謬に直面した際の教会の強さを象徴している」と強調した。
この裁判の主題となっているロンドンの巨額不動産不正取り引きは、市内の高級住宅街にある不動産を実勢よりも大幅に高額で売却し、金融機関に多額の損害を与えたのをはじめ、被告らが所有する投資ファンドを通じた不動産株式の購入など、自分たちの利益を目的とした投資を行うなど、「利益相反が絶え間なく続く中でなされた」という。「被告らは、バチカン国務省が管理する資産を、繰り返しもてあそんだ。2013年、2014年、そして2018年も…」とセベリーノ氏は指摘している。
氏は、被告らが行った「様々な汚職、詐欺、資産の横領、その他の重大な犯罪」についてVatican Newsに語ったが、そうした一連の金融犯罪の中で、最大のものは”ロンドン事件”で、世界130か国のメディアで取り上げられ、バチカン国務省に名誉棄損を含む重大な損害を与えた、とし、信頼回復への取り組み必要な賠償額として、1億7781万8000ユーロを算出した、と説明した。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=法定代理人などが説明した犯罪行為などの詳細は省きました)
・バチカン、カナダのニ教区の合併へ、まず教区長の兼務から始めることに-「互いの理解を深め、協力体制を作るため」と担当司教
(2023.9.26 Crux National Correspondent John Lavenburg)
ニューヨーク – カナダのアモス教区とルーイン・ノランダ教区を一人の司教に担当させるというバチカンの決定が16日にあったが、これが2つの教区の統合を前提としたものであることが明らかになった。
教皇フランシスコは16日付けでアモス教区の定年を迎えたジル・ルメイ司教の辞表を受理し、後任教区長ににルーアン・ノランダ教区のギー・ブーランジェ司教を兼務させる辞令を発令した。
ブーランジェ司教は25日、Cruxのインタビューに応じ、この人事は、今年初めにルメイ司教が教皇に辞表を提出した前後から、両教区がカトリック人口の減少や教区閉鎖、その他の課題に直面する中で将来的な対応について協議を始めたことに端を発している、と指摘。
協議にあたっては、教区民が合併の可能性について意見を表明する機会を設けたり、物理的な問題の検討などもなされ、その結果、早期に両教区を合併することを適当とする意見書を、3月にバチカンに送った。だが、バチカンは、すぐに合併はせず、教区長を兼務させる決定を下した、という。
ブーランジェ司教、今回の教区長の兼務は「二つの教区の統合に向けた準備のステップです」とし、 「二つの教区が互いをよりよく理解し、一つの教区となる準備を進めるために、両教区の関係者が協力するようにするのが、私の仕事です。ただし、教区合併がいつ行われるかについては、まだ具体的に決まっていません」と説明した。
アモス教区とルーイン・ノランダ教区はいずれもカナダのケベック州にある。 アモス教区は 州の西部と北部の推定 13万 平方マイルをカバーしているが、人口は少なく、信者数は約 8万9000 人。 58 の小教区と伝道所があり、教区司祭14人、奉献生活者の女性 9 人、常任助祭 4 人、信徒司牧代理人 2 人が奉仕している。対して、ルーイン・ノランダ教区は約9000平方マイルに約5万5000人の信者がいる。 34 の小教区と伝道所があり、教区司祭14 人、奉献生活者の女性44人、常任助祭3人、信徒司牧代理人7人だ。
ブーランジェ司教によると、自身にとっての最大の課題は、完全な教区合併が行われた場合、広い地域に分散して信者たちを、どのようにまとめていくかにある、とし、「うまくいくことを確信していますが、(教区民に)会おうとすると、これまで以上に、移動距離が長くなり、合併によって、司教の存在感が薄れることを心配する人々がいます」と指摘しつつ、「二つの教区の運営の特定の部分は現行を維持することで、人々の連絡調整に役立つようにしたい」と述べた。
また、二つの教区で、それぞれ今後の在り方を検討するチームのメンバーは数人しかいなかったので、チームが連携することで対応能力が増すことを期待。「それが簡単にできるとは申しませんし、いくつかの難しい選択を迫られることもあるでしょうが、(教区は)同じ州にあるので、協力することに慣れている」と続けた。
60歳のブーランジェ氏は、2020年1月31日にルーアン・ノランダ教区に就任して3年半になる。現在、カナダ司教協議会の年次総会が開かれているため、アモス教区の信者を訪問する機会がないが、 「私がアモス教区の信者の皆さんに申し上げたいのは、まず彼らを知り、教区について知り、協力したい、ということです」とし、 「合併のために、誰もがいくつかの変化を受け入れなければなりませんが、最終的にはこれが私たちの地域の教会のより良い働きという使命に役立つと思います」と期待を述べた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
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【教皇、マルセイユ訪問】「移民・難民問題は人間性と連帯をもって対応されねばならない」海の犠牲者追悼碑前の集いで

(2023.9.22 Vatican News Lisa Zengarini)
教皇フランシスコは、 仏マルセイユで開催中の地中海地域をテーマにした「ランコントル・メディテラネンヌ」などに参加のため、22,23日両日、同地を訪問された。ローマ教皇がマルセイユを訪れるのは、1533年の教皇クレメンス7世(在位1523‐1534)の訪問以来。
同行事は、地中海に接する5つの地域(北アフリカ、バルカン半島、ラテン・ヨーロッパ、黒海、中東)の諸都市を結び、教会関係者、行政責任者、若者らが集い、地中海地域の多様で豊かな価値を見出しながら、共通の課題への一致した取り組みを促すのが目的。
教皇は22日午後、マルセイユに到着され、空港での歓迎式の後、ノートルダム・ド・ラ・ガルド大聖堂で地元教区関係者らと聖母への祈りを捧げられた。
続いて、海で亡くなった船員や移民・難民の追悼碑の前で、船員、移民や難民のケアに携わる宗教者や現地の教会、信徒団体の代表たちと祈りの集いを持たれた。
この集いでの挨拶で教皇は、「地中海が『墓地』となっている移民・難民の悲劇に対し、言葉ではなく具体的な行動で対応すること、人道的に対応することが緊急に求められています」と強調。
そして、「より良い未来を求めながら、海で命を落とす移民・難民は、単なる”数”ではありません。紛争や貧困、環境災害から逃れてきた顔も名前もある人々です」とされ、 「海で亡くなる人たちのことを”数字”で考えることに慣れないようにしましょう。その人たちには、名前があり、姓があり、顔があり、人生の物語があり、壊された人生り、打ち砕かれた夢があったのです」と語られた。
教皇はさらに、「小説『リトル・ブラザー』の主人公ヘルマニトが、ギニアから欧州までの危険な旅の終わりに思い出したように、移民・難民たちは『生と死の岐路』に立たされている。そして欧州諸国は文明の岐路に立っています…一方に、人類社会を善意で繁栄させる『友愛』があり、他方に地中海を血で染める『無関心』がある。海で危険にさらされた人々を救けることは、人類と文明の両方の義務です」と訴えられた。
続けて、「私たちが、陸でも海でも、最も弱い人々をケアする方法を体得し、ベルベットの手袋で他人に死刑を宣告する怖さと無関心の麻痺を克服できれば、神は、私たちを祝福してくださるでしょう」とされたうえで、「私たちは、人間が交渉の材料として扱われ、投獄され、残虐な方法で拷問されているのを見て、あきらめることはできません。 残酷な人身売買と無関心による狂信によって引き起こされる難破の悲劇を見過ごすことはできません。 波の中に取り残され、溺れようとしている人々を救わねばなりません。 それは人類の義務、文明の義務です!」と再度、訴えられた。
そして、教皇は、この危機に対処するために、「さまざまな宗教、特に神の名の下に見知らぬ人に対するもてなしと愛を教えている地中海地域の3つのアブラハムの一神教(注:聖書 の 預言者 アブラハム の神を受け継ぐ ユダヤ教 、 キリスト教 、 イスラム教 )は、模範を示すよう求められています」とされ、 「私たち信者は互いに、兄弟姉妹として相手を読ころんで受け入れることで、模範的でなければなりません」と強調。 「過激主義という“木食い虫”や、地域社会の真の生活を蝕む原理主義というイデオロギー的疫病」に身を任せてはならない、と忠告された。
また教皇は挨拶の中で、「社会的緊張の増大に直面しているマルセイユの複雑な多文化、多宗教の現実」に言及され、マルセイユは「出会いか対立かの岐路に立っている」と述べられ、そうした中で、移民・難民支援やコミュニティ間の平和共存促進に携わるいくつかの団体、特に宗教間NGO「マルセイユ・エスペランス」の活動を賞賛、 「あなたがたは未来のマルセイユです。この街がフランス、欧州、そして世界にとって希望のモザイクとなるよう、めげずに前進してください」と激励された。関連して、第二次世界大戦後、ユダヤ人とキリスト教の融和を促進するために精力的に活動したフランス在住のユダヤ人歴史家ジュール・アイザック氏を「対話の先駆者および証人」と挙げられた。
挨拶の最後に、教皇は、欧州議会の議長を務め、昨年亡くなったデビッド・サッソリ氏の言葉を引用して、「欧州が壁を打ち破り、橋を架ける一致の精神」で、地中海における大規模移民・難民によってもたらされている現在の課題に対処できるよう希望された。また、2020年にイタリア南部、バーリで開かれたイタリア司教協議会主催の「地中海、平和のフロンティア」の呼びかけを繰り返された-「兄弟姉妹の皆さん、これらの問題に一緒に向き合いましょう。 希望を難破させないようにしましょう。 一緒に平和のモザイクを作りましょう!」。
訪問2日目の23日は、教皇は大司教館で人々との私的な出会いを持たれた後、パレ・ドゥ・ファロで「ランコントル・メディテラネンヌ」の最終セッションに参加。同所で仏大統領と会見される。午後、スタッド・ヴェロドロームでのミサ終了後、空港での送別式を経て、ローマに戻られる予定。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
・「”通常兵器”の使用はあくまで防衛目的、民間人に向けてはならない」教皇、リヴィウのカリタス支援物資倉庫の破壊を強く非難
(2023.9.20 Crux Senior Corresponden Elise Ann Allen)
ローマ-ウクライナ西部リヴィウのカトリック国際支援団体・カリタスの支援物資備蓄倉庫がロシアのミサイル攻撃で破壊されたことに対して、教皇フランシスコは20日、バチカンで開催中の平和の関するシンポジウムに向けた書簡で、強く批判された。シンポジウムは、聖ヨハネ23世教皇の回勅「地上の平和」が発出60周年を迎えたのを記念して開かれたもの。
教皇は「現代の戦争で、いわゆる『通常兵器』によって引き起こされる倫理的問題は緊急性に対処すべきもの。これらの兵器は防衛目的のみに使われるべきもので、民間人に向けられるべきではありません」と言明。「この問題についてさらに検討が重ねられ、計り知れない破壊力を持つ兵器が、余計な障害や不必要な苦しみをもたらさないように、使用を禁止することで合意されることを願っています」と語られた。
また、国連総会に出席するためニューヨークを訪れていた国際カリタスのアリスター・ダットン事務局長は20日、 「昨夜、ロシアが、リヴィウのカリタス・スペス・ウクライナ倉庫を攻撃し、ウクライナの人々への支援物資300トンを破壊しました。これは、非道な行為であり、国際人道法への重大な違反である」と述べた。
*国際人道法=第二次世界大戦後に生まれた概念。1971年の「武力紛争に適用される国際人道法の再確認と発展のための政府派遣専門家会議」で初めて使われた国際的な諸法規の集合を指す。
現地ウクライナのカリタス・スペシュ支部長のヴャチェスラフ・グリネヴィッチ神父によると、このミサイル攻撃で、カリタスの職員などに人的被害はなかったが、「倉庫とその中にあった食料、医療キット、発電機、衣服などすべてが破壊され、焼失しました。倉庫に置かれた援助物資の中には、攻撃を受けたその夜に、カリタス・ポーランドから着いたばかりのものもあり、ロシアの度重なる攻撃で困窮した約600世帯に配布しようとしていたところでした」という。
カトリック・リヴィウ教区ののエドゥアルド・カヴァ補助司教は、「この大型倉庫は、ロシアの攻撃が始まって以来、1年半にわたって、ウクライナ東部の被災者たちへの人道支援物資の配布のために使われてきました。そのすべてが破壊されたのです」と嘆いた。
ロシア軍の軍事侵略が長期化する中で、ウクライナ各地の人道支援物資備蓄倉庫への攻撃も増えており、 5月にはオデッサとテルノーピリの2か所で、人道支援団体の倉庫が襲撃されている。これらも含めて、民間の施設、地域への無差別攻撃でロシアは、戦争犯罪容疑で国際刑事裁判所によって捜査を受けている。 国連は既に2022年4月に、ロシアを国連人権理事会から追放し、昨年10月までにウクライナで民間人の殺害、誘拐、無差別爆撃、性的暴行の容疑で捜査を続けている。
教皇は、このシンポジウムにあてた書簡で、「私たちの世界が断片的に展開されている第三次世界大戦の下にあり続け、特に今、(ロシアの一方的軍事侵攻で引き起こされた)ウクライナ紛争の最中において、このシンポジウムが開かれるのは時宜に適ったもの」とし、通常兵器による残虐な破壊行為に注意が集まる中にあっても「 核兵器の脅威がなくなったわけではない。(それどころか)現在の瞬間は、世界が核戦争に巻き込まれる寸前までいった『1962年10月のキューバ危機』、回勅「地上の平和」が出される直前と、不気味に類似しています」と指摘。
そして、「キューバ危機から70年余りたった今、核兵器の数と威力は、当時とは比較にならないほど大きなものとなり、新兵器の開発投資も増え、化学兵器や生物兵器の開発・使用禁止という長年の合意さえも、危機にさらされている」と警告。ヨハネ23世教皇の言葉を使って、次のように、訴えられた。
「国家間の関係は、個人間の関係と同様、武力によってではなく、正しい理性の原則、つまり、真実、正義、精力的かつ誠実な協力の原則に従って規制されねばならない」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
・ウクライナで国際カリタスの大型支援物資備蓄倉庫がロシアのミサイル攻撃で破壊、炎上-バチカン支援援助省長官が深い悲しみ表明
・ユダヤ人大量虐殺関連で新たな手紙とナチスの短剣が見つかるー教皇ピオ12世の役割巡る議論再燃(Crux)
(Pope Pius XII. (Credit: Vatican News.)
(2023.9.18 Crux staff)
ローマ – 教皇ピオ12世に関する2つの新たな発見により、第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)における教皇の役割を巡る議論が再燃している。
バチカン当局の了解を得てイタリアの新聞、Corriere della Seraが17日発行の日曜版で報じたところによると、バチカン文書館の職員でもある研究者が、教皇がホロコーストについてこれまで考えられていたよりも早くから知っていたことを示唆する手紙や、回心したナチス親衛隊将校が教皇に贈った短剣などを、文書館の未整理資料の中から発見した。
この手紙は、バチカン文書館が公開する予定のピオ12世関係の一連の資料の一部。 この問題は、ローマのイエズス会運営のグレゴリアン大学で10月9日から11日に開く「The new documents from the pontificate of Pius XII and their significance for Jewish-Christian relations(ピオ12世の教皇職時代の新たに得られた文書と、ユダヤ人とキリスト教の関係における重要性」題された国際会議でも取り上げられる可能性が高い。
掲載された写真の手紙は、反ナチのドイツ人イエズス会士、ローター・ケーニッヒ神父が、教皇ピオ12世の個人秘書で、ドイツ人のロバート・ライバー神父に宛てられたもので、日付けは1942年12月14日となっている。
手紙は、教皇フランシスコが2000年3月に、「1939年から1958年まで続いたピオ12世の教皇在任中の資料の全面公開」を決定した後、研究者が利用できるようになった数多くの未整理資料の一部。「大戦中、教皇ピオ12世は、ナチスの大量虐殺の範囲について散在的で矛盾した報告しか受けていなかったため、ホロコーストを明確かつ公けに非難しなかった」という、教皇を擁護する人々のこれまでの主張を支持するのをより難しくするものだ。
この資料を発見したバチカン文書館の研究者、ジョバンニ・ココ氏は、Corriere della Sera紙とのインタビューで、その重要性を強調し、「私たちは、半世紀にわたって、間接的な情報の形で文書や情報源について議論してきましたが、今、直接の情報源を持つことになった。今後、恐らくほかの情報源も出てくるでしょう。 私たちは、ピオ12世が教皇として教会を導いた悲惨な時期を理解できるように、できるだけ誰でもが情報にアクセスできるように努めています。恐れや偏見なしに、すべてを明らかにせねばなりません」と語った。
またココ氏は、このインタビューで、問題の手紙の他に、後任のヨハネ23世教皇が、ピオ12世の死後にその私宅で発見した「ナチのシンボルである鉤十字のついた短剣」が見つかったことも明らかにした。
ココ氏によると、ヨハネ23世は、国務省の代理で事実上の教皇首席補佐官だったアンジェロ・デラクア大司教に、この短剣についての説明を求め、大司教は、1917年から1958年に亡くなるまでピオ12世の家政婦兼相談役を務めた聖十字架姉妹会のドイツ人シスター、パスカリナ・レーナート氏に話を聞いた。
シスター・レーナは大戦中、ピオ12世に代わって、ユダヤ人を教会施設に保護する取り組みの調整役を務めていたが、彼女の話によると、「その短剣は、ナチの親衛隊将校が教皇に謁見した際、謁見の場に持ち込み、それを使って教皇を襲う計画を立てていたが、将校はその場で心変わりし、悔い改めのしるしとして、短剣を教皇に差し出した」ということだった。 短剣の写真は、Corriere della Sera紙の日曜版に載せられた。
ピオ12世を批判する人々、長年にわたって、ホロコーストに対する彼の「沈黙」を批判してきたが、ピオ12世擁護派は、教皇がユダヤ人や他のナチスの犠牲者を救うために舞台裏で動かれた、と主張している。
ココ氏は、ピオ12世が当時、公式声明を出すにあたっては、「いくつかの懸念が影響を与えた」とし、「ポーランド領内でのナチスの絶滅収容所運営を、教皇が直接非難した場合、ポーランドのカトリック教徒に危害が及ぶ可能性があった。非難声明を出せば、当時、ナチスの支配下にあった国や地域の司教たちとの関係を断つことを意味したでしょう」と説明した。
その一方で、「反ユダヤ主義が関係している可能性があった」とも指摘。 「当時の世界のカトリック教会の大部分に、ユダヤ人に対する偏見が存在しており、ユダヤ教という宗教のレベルだけでなく、時にはユダヤ人そのものを憎む心理があったのは否定できない」と語った。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。Crux is dedicated to smart, wired and independent reporting on the Vatican and worldwide Catholic Church. That kind of reporting doesn’t come cheap, and we need your support. You can help Crux by giving a small amount monthly, or with a onetime gift. Please remember, Crux is a for-profit organization, so contributions are not tax-deductible.
・教皇、東京大司教区の補佐司教にアンドレア・レンボ師を任命
教皇フランシスコが16日、東京大司教区の補佐司教に、ミラノ外国宣教会・東アジア管区長のアンドレア・レンボ師を任命、これとともにムリア名義司教のタイトルを与えられた。司教叙階式は12月16日(土)を予定している。
東京大司教区の補佐司教は、幸田和生師が、菊地大司教は、2017年12月に大司教に就任した半年後の2018年6月に、補佐司教を辞任して以来、5年余り空席が続いていた。
レンボ被選司教は、1974年5月12日、イタリア・ロンバルディア州ベルガモ県トレヴィリオの生まれの49歳。イタリア・モンツァのミラノ外国宣教会(P.I.M.E)・国際神学院で勉学の後、米国デトロイトの同会共同体で1年間研修し、 フィリピンのDivine Word School of Theology で神学学士タイトル取得、北イタリア神学院(Facoltà Teologica dell’Italia Settentrionale)でさらなる学究を続けた。2004年6月12日、司祭叙階。2004年から2008年、P.I.M.Eヴィッラ・グルガーナ(イタリア)の共同体で宣教・召命に関する指導担当。2009年から2011年、日本で語学研修。板橋教会・叙任司祭(2011年〜2012年)。習志野教会・叙任司祭(2012年〜2017年)。2017年からミラノ外国宣教会・日本管区長。2023年から同東アジア管区長を兼務。府中教会・主任司祭(2017年〜2023年)。真生会館・理事長(2021年〜)。
(編集「カトリック・あい」)
・バチカンのズッピ・ウクライナ和平代表、中国外務省のユーラシア事務特別代表と会談-”対話促進”で合意?

(2023.9.15 カトリック・あい)
教皇フランシスコからウクライナ和平に向けた関係国との交渉を委ねられているマテオ・ズッピ枢機卿が13日から中国入りし、中国外務省でウクライナ問題を担当する李輝ユーラシア事務特別代表と協議、和平実現のための対話促進に両者が協力する必要を訴えた。
現地時間14日午後、バチカン報道局が発表した声明によると、両者の会談は「オープンで心のこもった雰囲気の中で進められた」とし、「ウクライナ戦争とその悲劇的な状況について意見を交換し、対話を促進し、和平につながる道を見つけるための努力を重ねる必要性が強調された」と説明。
また、世界の食糧生産国であるウクライナへのロシアの軍事侵攻によって、世界の食糧安全保障が危機にされていることについても、「特に最も危険にさらされている国々への穀物の輸出が速やかに保証されることを期待する」という形で両者が言及した、としている。
ズッピ枢機卿は、ウクライナ和平への教皇の強い思いを受けて、6月上旬のウクライナを皮切りに、同月下旬にロシア、さらに7月中旬に米国を訪問し、各国政府や教会の担当責任者と会談、和平への協力を要請してきた。
バチカン報道局は、今回の枢機卿の中国訪問に当たって、「人道的取り組みを継続し、公正な和平ににつながる道を追求するという教皇が果たそうとする使命の新たな一歩」としていた。
李輝ユーラシア事務特別代表は、前職が駐露大使で、それ以前も旧ソ連時代の中国大使館勤務を長く続けて来た”ロシア通”。 5月にもモスクワを訪問し、ラブロフ外相や、独立国家共同体(CIS)を担当するガルージン外務次官と会談している。ただし、外相や次官よりも格下で、外交政策の実権を握る共産党におけるランクは高くないと見られる。しかも、中国では7月に秦剛外相が就任から半年余りで解任され、後任に前外相で外交を統括する王毅・中国共産党政治局委員が復帰したばかり、という状態で、今回の会談の結果が、中国のウクライナ和平への取り組みにどれほどの影響を与えるのか判然としない。