・教皇のカメルーン訪問初日を振り返る

(2026.4.16  VaticanNews   Claudia Torres – Yaoundé, Cameroon)

 アフリカ4か国歴訪の教皇レオ14世は15日午後、2つ目の訪問国、カメルーンの首都ヤウンデの空港に到着。多くの人たちの熱烈な歓迎を受けながら大統領官邸に向かわれた。官邸では、ポール・ビア大統領と非公開の会談の後、政府高官、市民社会の代表者、そして外交団と会見され、あいさつで女性の権利を守り、「恐怖や脅迫、武器に基づかない」「非武装の」平和を呼びかけられ、会場からは幾度も拍手が起こった。

 この後、「マリアの娘たちの会」が運営するンガル・ザンバ孤児院を訪問され、ここでも子供たちと修道女たちや職員の大歓迎を受けた。子供たちはカメルーン訪問のロゴが入った青い服を着て、歌と歓声で教皇を迎えた。教皇が小さな部屋を出る時間になると、修道女たちと子供たちは教皇の周りに集まり、絶え間ない歌と拍手で教皇を見送った。

 この日の日程の最後に教皇は、カメルーン司教協議会本部へ向かわれ、司教団との非公開会談をなさった。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年4月16日

・アルジェリア訪問2・3日目:教皇、15日昼、アルジェの空港からカメルーンへ向かわれる

(2026.4.15  Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

  アルジェリア訪問中の教皇レオ14世は3日目の15日朝、アルジェにある教会運営の保育園を訪問されたのを最後に、「ウアリ・ブメディエン」国際空港を向かわれ、専用機

で、アフリカ4か国訪問の2か国目、カメルーンへ向かわれた。

Pope Leo enjoys a song performed by the children

 

 15日朝、アルジェの教皇大使館を発たれた後、「慈善宣教修道会」が運営する「アフリカの聖母保育園」を短時間訪問された。子供たちは、教皇のために短いショーを披露し、教皇は子供たちと修道女たちに挨拶さらた。

 ・・・・・・・

 教皇のアルジェリア訪問を振り返ると、13日午後、アルジェに到着された教皇は、空港での歓迎式典の後、同国大統領を表敬訪問。続いて、殉教者記念碑「マカム・エシャヒド」に献花された後、当局者、市民社会、外交団と会談され、大モスクを訪問された。また、バブ・エル・ウエドにあるアウグスチノ会宣教修道女会の「歓迎と友情センター」を私的訪問され、「アフリカの聖母大聖堂」でアルジェリア・コミュニティと面会された。

 同国訪問2日目となる14日、教皇は聖アウグスティヌスが司教を務めた古代都市ヒッポの跡地、アナバへと向かわれ、遺跡を視察した後、教皇は「貧しい人々の小さな姉妹会」が運営する老人ホーム『マ・メゾン』の高齢者数名とひと時を過ごされた。午後、聖アウグスティヌス大聖堂でミサを捧げられた。

Pope Leo XIV shakes hands with President Abdelmadjid Tebboune

 3日目の15日朝、教皇がアルジェリアを発たれる前に、空港でアルジェリアのアブデルマジド・テブーン大統領や、政府および教会の代表団が出席して送別式が開かれた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年4月15日

・教皇のアルジェリア訪問初日:平和の使徒であるレオ14世、多忙な日程をこなされる

Pope Leo XIV and the Rector of the Great Mosque of Algiers

(2026.4.13  Vatican News   Claudia Torres – Algiers, Algeria)

    教皇レオ14世は13日、アルジェでの充実した一日をもってアフリカへの使徒的訪問を開始された。訪問初日は、政府高官との面会、モスクの訪問、アウグスチノ会宣教修道女会との面会、そしてアルジェリアの信徒共同体との祈りを捧げられた。

教皇は13日夕、アルジェリア、カメルーン、アンゴラ、赤道ギニア4か国訪問の初日を終えれれた。

 教皇は月曜日の朝にアルジェリアに到着し、聖アウグスティヌスの地を再訪できることを喜ばれ、ローマからの機中、聖人について、「宗教間対話において極めて重要な架け橋となっている」と述べられた。

*殉教者記念碑「マカム・エシャヒド」訪問About 2,000 people sat in front of the monument to listen to Pope Leo's message

 アルジェ到着後、教皇は1954年から1962年にかけてのアルジェリア独立戦争で命を落とした人々を記念する殉教者記念碑「マカム・エシャヒド」を訪問された。今回の訪問における最初のスピーチで、教皇は出席者に対し、「未来は平和を愛する人々のもの」とされ、「真の自由は単に受け継がれるものではなく、日々新たに選択されるものです」と強調された。

*政府当局との会談

 その後、教皇はアルジェリア共和国大統領への表敬訪問のため大統領官邸へ向かい、続いてジャマー・エル・ジャザイール・カンファレンス・センターで、同国の政府当局者、市民社会、外交団に向けてスピーチをされた。教皇は政府関係者に、「誤解や対立を増大させるのではなく、すべての人の尊厳を尊重し、他者の痛みに心を動かされるように」と促された。

*アルジェの大モスク訪問

 

Pope Leo at the Grand Mosque of Algiers

午後、教皇はアルジェのアフリカ最大とされる大モスクを短時間訪問され、責任者のモハメド・マムーン・アルカシミ師に付き添われて、静寂の中で黙想のひとときを過ごした。教皇はアルカシミ師との会話の中で予定外の言葉を述べられ、「相互尊重と、あらゆる人の尊厳を尊重することの重要性」を強調された。アルジェリアはイスラム教徒が多数を占める国であり、キリスト教徒

コミュニティは少数ながら活気に満ちているため、このモスクへの訪問は特に意義深いものだった。

 

 

*アウグスチノ会宣教修道女会との面会

 

 その後、教皇はバブ・エル・ウエドのアウグスチノ会宣教修道女会の「歓迎と友情センター」を非公開で訪問され、1994年から1996年にかけてのアルジェリア内戦(「黒い10年」とも呼ばれる)の間に殺害された修道女たちの追悼の意を表された

Pope Leo visits Centre for Welcome and Friendship in Algiers run by Augustinian Missionary Sisters

。教皇は、彼女たちの生涯が、アウグスチノ会の霊性に深く刻まれた「殉教に至るまでの証し」という側面を体現している、と述べられ、また、修道会コミュニティに対し、その積極的な活動と慈善事業への貢献に感謝の意を表された。

 

*アフリカの聖母大聖堂での祈り

 続いて教皇は、「アフリカの聖母大聖堂」でアルジェリアの信徒たちと面会し、彼らは喜びの歓声と音楽で教皇を迎えた。風や激しい雨にもかかわらず、満員の大聖堂の外からも、多くの群衆がイベントの様子を見守っていた。教皇は、イスラム教徒の女性やペンテコステ派の学生を含む、異なる宗教を信仰する人々からの証言に熱心に耳を傾けられ、キリスト教徒とイスラム教徒として兄弟のように共存してきた経験を分かち合われた。Pope Leo meets with the community in Algeria

 教皇は挨拶の中で、「分裂や戦争が国家間、地域社会、さらには家族の中でさえも苦痛と死をもたらしているこの世界において、あなたがたの一致と平和の経験は、力強いしるしです」と励まされた。

 この後、教皇はバチカン大使館に戻られ、司教たちとの非公開の会談をされ、訪問初日を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年4月14日

・教皇が13日から11日間のアフリカ4か国訪問-平和、移民、環境、若者、家族など主要テーマに

FILE PHOTO: One of the faithful holds up a crucifix to Pope Benedict XVI during a youth rally at the Dos Coqueiros stadium in LuandaFILE PHOTO: One of the faithful holds up a crucifix to Pope Benedict XVI during a youth rally at the Dos Coqueiros stadium in Luanda 

(2026.4.9  Vatican News)

    教皇レオ14世は、13日から11日間にわたってアフリカを訪問される。訪問地はアルジェリア、カメルーン、アンゴラ、赤道ギニアの4か国。

 バチカンのマッテオ・ブルーニ報道局長が9日の記者会見で説明したところによると、教皇の現地での講話は英語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語で行われる予定で、主なテーマには、平和、移民、環境、若者、家族などが含まれる。また、特別な警備措置は予定されていない。

 今回の外国訪問は、教皇にとってこれまでで最も長期にわたり、アルジェリア訪問は歴代教皇として初めて。他の3か国も数十年ぶりの教皇訪問となる。また、文化的・言語的多様性に加え、紛争、移民、宗教間の共存といった社会的・政治的課題に彩られた場所や状況の中で行われる。

 アルジェリアでの講話では、聖アウグスティヌスの遺産や北アフリカにおけるキリスト教の存在に触れられ、イスラム世界との対話や移民問題についても言及する予定だ。

 土地、伝統、言語の多様性と豊かさから「ミニチュア版アフリカ」と称されるカメルーンでは、教皇は平和、共存、若者、そして人間としての総合的な発展に関連するテーマについて語られると見られる。

 アンゴラでは、若者の役割、自然資源と人的資源、そして汚職や植民地時代の歴史がもたらす影響に焦点が当てられる。

 赤道ギニアでは、文化や教育に加え、資源が豊富なこの地域における平和促進における教会の役割にも注目が集まる。

 なお、教皇使節団のメンバーには、バチカンの各省の代表者に加え、アフリカ出身の枢機卿数名が含まれる。また教皇は、慣例通り、訪問の終わりにローマへ戻る機内で記者会見を行う予定だ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年4月10日

・使徒的勧告「愛の喜び」10周年ー教皇が10月に「家庭」をテーマにした世界司教協議会会長会議を招集⁺書簡全文

Pope Leo XIV meets a newly wed couple at the General AudiencePope Leo XIV meets a newly wed couple at the General Audience  (@VATICAN MEDIA)
(2026.3.19  Vatican News  Joseph Tulloch & Devin Watkins

   前任の教皇フランシスコが公布されて10年を経て、教皇レオ14世は『Amoris Laetitia(愛の喜び)』の「貴重な教え」を称え、現代の家庭に福音を宣べ伝える方法を議論するため、今年10月に全世界の司教協議会会長をローマに招いて会議を平かられることになった。

 10年前、教皇フランシスコは、2014年と2015年の世界代表司教会議に触発された「家庭における愛」に関する使徒的勧告Amoris Laetitia』を発表された。教皇レオ14世は19日に公表された書簡の中で、この使徒的勧告を「夫婦の愛と家庭生活に関する希望に満ちた輝かしいメッセージ。教会における省察と司牧的回心を促した」と称賛され、「今日においても引き続き検討すべき貴重な教えを提供しています」と述べられた。

 教皇レオ14世は書簡の中で、私たちが家族に関する面を含め「急速な変化」の時代に生きていることを指摘。こうした変化を踏まえ、今年10月にローマで司教協議会会長会議を招集することを決定したことを明らかにされた。

 教皇は、この会議が「Amoris Laetitia』に照らし、世界の教会で現在行われている取り組みを考慮しつつ、今日の家族に福音を宣べ伝えるために取るべき措置について、互いに耳を傾け合いながら、シノダルの見極めを進める機会」となることを希望された。

 教皇は書簡の中で、Amoris Laetitia』を、第二バチカン公会議以降、家族への奉仕に向けた「教会の教義的・司牧的な取り組みを強化した二つの使徒的勧告」の一つとされた。もう一つは、教皇ヨハネ・パウロ二世が1981年に出された『ファミリアリス・コンソルティオ』だ。

 教皇は、教皇フランシスコが気づいたのは、家族における「人間学的・文化的な変化」が、神の民の内部における「相互の傾聴」を必要としている、という点であり、この洞察が彼を家族に関する世界代表司教会議の招集へと導き、最終的にAmoris Laetitia』の執筆に至らせた、と指摘。

 「教皇フランシスコが理解されたのは、家族自身と関わり、彼らの喜びや希望、悲しみや苦悩に耳を傾けることなしに、家族について語ることはできない、ということでした」と述べ、「教会における省察と司牧的回心を促した刺激」に対して神に感謝された。

 また教皇は、「家庭は、社会の基盤を成し、人間を豊かにする学校を提供しています」と、第二バチカン公会議の文書『ガウディウム・エト・スペス』を引用して述べられ、「結婚の秘跡を通じて、キリスト教徒の夫婦は一種の『家庭教会』を形成し、その役割は信仰を教え、伝える上で不可欠です」とされる一方、「過去数十年の間に、社会は大きく変化し、それがきっかけとなって、教皇フランシスコは2015年の世界代表司教会議で、聖霊の声と、家族の希望、喜び、悲しみ、苦悩に耳を傾けるよう促さらました」と語られた。

*若い世代への『家族の福音』の宣教

 さらに、教皇は、『Amoris Laetitia』は「家庭の危機の中にあっても神の愛と憐れみに満ちた臨在という聖書的な希望について、また、結婚が常に家族の中で命を生み出すものであるという呼びかけについて、そして、親が子供を教育し、家族生活の中で霊性の深みを見出すのを助ける現代的な司牧手法の必要性について、貴重な教えを提供しています」とされ、「若い世代に家庭の福音を宣べ伝える」という使命を果たすため、教会に対し、「その脆さを認めることの中にこそ、結婚という召命の美しさを呼び起こす新たな道を見出すように」と求められた。

 そして、「また、私たちは家庭、とりわけ現代社会に存在する様々な形の貧困や暴力に苦しむ家庭を支援しなければなりません」とも述べられた。

 教皇は書簡の結びで、世界の教会に対し、「家族への献身を新たにし、深めるように。それは、夫婦が、夫婦の愛を十分に生きることができ、若者たちが教会の中で、結婚という召命の美しさに惹かれるようにするためです」と強調されている。

 

:::::::::::::::::::

*教皇レオ14世の書簡全文は以下の通り 

【使徒的勧告Amoris Laetitia(愛の喜び)』公布10周年を記念して_】

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、

 2016年3月19日、教皇フランシスコは、慈悲の聖年に彩られた3年間にわたるシノドスの見極めの成果として、夫婦の愛と家庭生活に関する希望に満ちた輝かしいメッセージを全世界の教会に贈られました。それが、使徒的勧告Amoris Laetitiaです。この10周年にあたり、私たちは教会における省察と牧会的回心を促すきっかけを与えてくださった主への感謝を捧げるとともに、すべての人々に福音を宣べ伝える喜びの中で、常に福音を新たに迎え入れつつ、この道を歩み続ける勇気を神に願います。

 第二バチカン公会議は、家族が「社会の基礎」であり、[1]神からの賜物であり、「人間を豊かにする学校」であると教えました。[2] キリスト教徒の夫婦は、結婚の秘跡を通じて、一種の「家庭教会」を形成し、[3]その役割は信仰を教え、伝える上で不可欠なものです。公会議以来出された二つの使徒的勧告、1981年の聖ヨハネ・パウロ二世による『Familiaris Consortio( 家庭 愛と命の絆)』と教皇フランシスコのAmoris Laetitia』(AL)は、いずれも若者、夫婦、そして家族への奉仕における教会の教義的かつ司牧的取り組みを強化してきました。

 過去35年間にわたり「人間学的・文化的な変化」(AL 32項)がますます顕著になっていることを認識し、教皇フランシスコは、教会をさらに「シノダルの識別」の道へと導きたいと願われました。2015年10月17日、家族に関する第14回司教シノドス通常総会において行われた教皇の演説は、神の民の中での「互いの傾聴」を呼びかけました。「『真理の御霊』(ヨハネ福音書14章17節)である聖霊に皆が耳を傾け、聖霊が『教会に語られること』(ヨハネの黙示録2章7節)を知るためです。」教皇は、「家族自身を巻き込み、彼らの喜びや希望、悲しみや苦悩に耳を傾けずに、家族について語ることはできない」と説明されました。[4]

 教会会議による識別から得られた実りを集約したAmoris Laetitiaは、私たちが今日も引き続き考察すべき貴重な教えを提供しています。それは、たとえ「家族の危機」に直面しているときであっても、私たちが「愛の物語」を生きることができるようにしてくれる、神の愛と憐れみに満ちた臨在という聖書的な希望です(AL 8); 「イエスのまなざし」(AL 60)を身につけ、「夫婦愛と家族愛の成長、強め、深まり」(AL 89)をたゆまず励ますよう招くこと; 結婚における愛は「常に命を与える」(AL 165)ものであり、受肉の神秘が教えてくれるように、まさにその「限定的で地上的」なあり方においてこそ『現実的』である(AL 113)ということを認識するよう求める呼びかけ。教皇フランシスコは、「新たな牧会的方法」(AL 199)と、子供たちへのより良い教育(AL 第7章参照)の必要性を確認されると同時に、教会に対し、規範に対する単純化された概念を乗り越え、脆弱性を伴走し、識別し、統合すること(AL 第8章参照)を求め、また「家庭生活の中で展開される霊性」(AL 313)を促進するよう呼びかけられました。

 私が希望の聖年の際、トル・ヴェルガータに集まった若者たちに語ったように、脆さとは「創造の驚異の一部」なのです……私たちは、すべてが当然のこととして静止した人生のために造られたのではなく、愛による自己の献身を通じて絶えず刷新される存在のために造られたのです[5]。若い世代に家族の福音を宣べ伝えるという使命を果たすためには、まさにその脆さを認めることの中にあって、結婚という召命の美しさを呼び起こすことを学ばなければなりません。そうすることで、「神の恵みへの信頼」(AL 36)と、聖性を求めるキリスト教的な願いを再び呼び覚ますことができるのです。また、私たちは家族、とりわけ現代社会に存在する様々な形の貧困や暴力に苦しむ家族を支えなければなりません。

 困難や課題にもかかわらず、「数千もの小さくとも真実な仕草から成る家族愛の霊性」(AL 315)を生きる家族たちに、主への感謝を捧げます。また、家族牧会に従事されている司牧者、司牧従事者、信徒団体、および教会運動の皆様にも、感謝の意を表します。

 私たちの時代は急速な変化に特徴づけられており、10年前よりも一層、家族に対して特別な牧会的配慮を払う必要が生じています。主は、福音を宣べ伝え、証しするという教会の使命に参加する任務を、家族に委ねておられるからです[6]。 実際、教会が「地の塩」となることができる[7]のは、信徒、とりわけ家族を通してのみである場所や状況が存在します。このため、この分野における教会の取り組みを新たにし、深めなければなりません。そうすることで、主が結婚と家庭生活へと招かれる人々が、キリストにおいて夫婦の愛を十分に生きることができるようになり、また若者たちが、教会の中で結婚という召命の美しさに惹かれるようになるためです。

 家族に影響を与え続けている変化を踏まえ、私は2026年10月に世界各国の司教協議会会長を招集することを決定いたしました。これは、『Amoris Laetitia』に照らし、また各地方教会で現在行われている取り組みを考慮しつつ、今日の家族に福音を宣べ伝えるために取るべき歩みについて、互いに耳を傾け合いながら、公会議的な見極めを進めるためです。

 この歩みを、ナザレの聖家族の守護者である聖ヨセフの取り次ぎに委ねます。

バチカンにて、2026年3月19日、聖ヨセフの祝日 レオ14世教皇

_______________________________________

[1] 第二バチカン公会議、現代世界における教会に関する牧的憲章 『ガウディウム・エト・スペス』、52。

[2] 同上

[3] 第二バチカン公会議、教会に関する教義憲章 『ルメン・ゲンティウム』 11。

[4] 司教シノド設立50周年記念演説(2015年10月17日)。

[5] 「若者の聖年」ミサにおける説教(2025年8月3日)。

[6] 参照:使徒的勧告 『ファミリアリス・コンソルティオ』(1981年11月22日)、17。

[7] 第二バチカン公会議、教会に関する教義憲章 『ルメン・ゲンティウム』 , 33。

 2016年3月19日、教皇フランシスコは、慈悲の聖年に彩られた3年間のシノドス的識別を経て結実した、夫婦の愛と家庭生活に関する希望に満ちた輝かしいメッセージを全世界の教会に示した。それが使徒的勧告Amoris Laetitiaである。この10周年にあたり、私たちは教会における省察と牧会的回心を促したこの刺激に対し、主に感謝を捧げるとともに、すべての人に福音を宣べ伝える喜びの中で、常に福音を新たに迎え入れつつ、この道を歩み続ける勇気を神に求める。

 第二バチカン公会議は、家族が「社会の基礎」であり、[1]神からの賜物であり、「人間を豊かにする学校」であると教えた。[2] 結婚の秘跡を通じて、キリスト教徒の夫婦は一種の「家庭教会」を形成し、[3]その役割は信仰を教え、伝える上で不可欠である。公会議以来、1981年に聖ヨハネ・パウロ二世が発表した二つの使徒的勧告、『ファミリアリス・コンソルティオ』『アモリス・ラエティティア』AL)は、いずれも若者、夫婦、そして家族への奉仕における教会の教義的かつ牧会的取り組みを強化してきた。

 過去35年間に「人間学的・文化的な変化」(AL 32)がますます顕著になっていることを認識し、教皇フランシスコは教会をさらに「シノドス的識別」の道へと導こうとした。2015年10月17日、家族に関する第14回司教シノドス通常総会で行われた彼の演説は、神の民の内部における「相互の傾聴」を求めた。「『真理の御霊』(ヨハネ14:17)である聖霊に皆が耳を傾け、聖霊が『教会に告げていること』(黙示録2:7)を知るためである。」教皇は、「家族自身を巻き込み、その喜びや希望、悲しみや苦悩に耳を傾けずに、家族について語ることはできない」と説明した。[4]

シノドスの識別から得られた実りを集約した『愛の喜び』は、今日においても引き続き検討すべき貴重な教えを提供している。それは、たとえ「家族の危機」を乗り越える中であっても、私たちが「愛の物語」を生きることができるようにする、神の愛と憐れみに満ちた臨在という聖書的な希望である(『愛の喜び』 8); 「イエスのまなざし」を採り入れるよう招くこと(AL60)と、「夫婦愛および家族愛の成長、強化、深化」をたゆまず励ますこと(AL 89); 結婚における愛は「常に命を与える」(AL 165)ものであり、受肉の神秘が教えてくれるように、その「限定的で地上的」なあり方においてこそ『現実的』である(AL113)ことを認識するよう求める呼びかけ。教皇フランシスコは、「新たな牧会的方法」(AL 199)と、子供たちへのより良い教育(参照:AL 第7章)の必要性を確認しつつ、教会に対し、規範に対する単純化された概念を乗り越え、脆弱性を伴走し、識別し、統合するよう(参照:AL第8章)招き、「家庭生活の中で展開される霊性」(AL 313)を促進するよう求めた。

 私が希望の聖年の際、トル・ヴェルガータに集まった若者たちに語ったように、脆さとは「創造の驚異の一部である……私たちは、すべてが当然のこととして静止した人生のために造られたのではなく、愛による自己の奉献を通じて絶えず刷新される存在のために造られたのだ。」 [5]若い世代に家族の福音を宣べ伝えるという使命を果たすためには、まさにその脆さを認めることの中にあって、結婚という召命の美しさを呼び起こすことを学ばなければならない。そうすることで、「神の恵みへの信頼」(AL36)と、聖性を求めるキリスト教的な願いを再び呼び覚ますのだ。また、現代社会に存在する様々な形の貧困や暴力に苦しむ家族をはじめ、すべての家族を支えなければならない。

 困難や課題にもかかわらず、「数千もの小さくとも真実な仕草から成る家族愛の霊性」(AL 315)を生きる家族たちに、主への感謝を捧げる。また、家族牧会に従事する司牧者、司牧従事者、信徒団体、教会運動に対しても感謝の意を表する。

 私たちの時代は急速な変化に特徴づけられており、10年前よりも一層、家族に特別な牧会的配慮を注ぐことが必要となっている。主は、福音の宣教と証しという教会の使命に参加する任務を、家族に委ねておられるからだ。[6] 実際、教会が「地の塩」となることができる[7]のは、信徒、とりわけ家族を通してのみである場所や状況が存在する。このため、この分野における教会の取り組みを新たにし、深めなければならない。そうしてこそ、主が結婚と家庭生活へと招かれる人々が、キリストにおいて夫婦の愛を十分に生きることができ、また若者たちが教会の中で、結婚という召命の美しさに惹かれるようになるのである。

 家族に影響を与え続けている変化を踏まえ、私は2026年10月に世界各国の司教協議会会長を招集することを決定した。これは、『愛の喜び(Amoris Laetitia)』に照らし、また各地方教会で現在行われている取り組みを考慮しつつ、今日の家族に福音を宣べ伝えるために取るべき措置について、互いに耳を傾け合いながら、シノダルの精神に基づく見極めを進めるためである。

 この歩みを、ナザレの聖家族の守護者である聖ヨセフの取り次ぎに委ねる。

  バチカンにて、2026年3月19日、聖ヨセフの祝日  教皇レオ14世

_______________________________________

[1] 第二バチカン公会議『現代世界における教会に関する牧的憲章』『ガウディウム・エト・スペス』、52。

[2] 同上

[3] 第二バチカン公会議『教会に関する教義憲章』『ルメン・ゲンティウム』、11。

[4] 司教シノド設立50周年記念演説(2015年10月17日)。

[5] 青年ジュビリーのミサにおける説教(2025年8月3日)。

[6] 参照:使徒的勧告 『ファミリアリス・コンソルティオ』(1981年11月22日)、17。

[7] 第二バチカン公会議、教会に関する教義憲章 『ルメン・ゲンティウム』 33。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年3月19日

・ウクライナを2週間視察したラドクリフ枢機卿、人々の「偉大な勇気」を称賛

(2026.3.15   Crux  Now  Staff)Card. Radcliffe visits war-torn Ukraine, praises ‘great courage’ of people

 (写真右:ウクライナのハルキウ大聖堂でパヴロ・ホンチャルク司教と共に、ラドクリフ枢機卿=Vatican Media)

 戦火にさらされ続けるウクライナでの2週間の視察を終えたティモシー・ラドクリフ枢機卿は、「ウクライナの人々の計り知れない勇気と素晴らしい証し」を強調。

 具体的に、首都キエフの南西約40マイルのファスティフにある聖マルティン宣教所訪問の印象を、「これほど多くの喜びに満ちたボランティアたち、そして彼らが子供たちを慈しみ、神の民に仕える活動に地元の人々を巻き込んでいる様子を見るのは、心を打たれるものでした」とVatican Newsに語った。

 また、ロシアの侵攻開始当初から攻撃を受け続けている東部の都市ヘルソンも訪問したが、その印象を「私にとって、多くの点で最も心を動かされる場所でした。戦争がいかに共同体の生活を破壊しているかが見て取れることができた」と述べた。

 視察の目的の一つは、自身が所属するドミニコ会の修道院や現地の教会を訪問することだったが、「私たちは大きな勇気に出会った。現地に留まり続け、未来を築くために最善を尽くそうと決意している人々に出会ったのです」と語った。

 ウクライナで3番目に人口の多い黒海沿岸の港湾都市、オデッサでは、「オデッサ・シンフェロポリ教区のスタニスラフ・シロコラディウク司教に温かく迎えられた」。

さらに枢機卿は、ロシアの侵略によって甚大な被害を受けたウクライナ東部の都市、ハリコフについて特に言及した。

ロシアとの国境に近いウクライナ東部のハリコフでは、オリオニネ修道会のシスターたちが、シングルマザーとその子供たちの世話をしている。

「最も心を動かされた出会いのひとつは、ハリコフのシングルマザーの子供たちとのものであった」とラドクリフは語った。

「これらの子供たちは、あまりにも多くの苦しみを耐え抜いてきた。彼らの多くは、自分の未来や、自分がどこに属しているのかについて不安を抱いている。」

ハリコフで母親と子供たちの世話をしているシスターたちはポーランド出身で、ロシアの侵攻初期には母国へ戻る機会が与えられていた。

しかし彼女たちは留まることを選んだ。

「ウクライナの苦しみは、ただ一つの国の苦しみではない」とラドクリフは語った。「それは全世界の苦しみなのだ」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年3月16日

・教皇がバチカン宮殿の公邸に居を移された—ベネディクト16世以来、13年ぶり

Apostolic PalaceApostolic Palace  (@Vatican Media)
(2026.3.16 カトリック・あい)

 バチカン報道局長が14日、教皇が司教省長官時代からお住まいになっていたサン・ウフィツィオ宮殿からバチカン宮殿の教皇公邸に移られたことを確認した。教皇がこの公邸を住まいとされるのは前々任のベネディクト16世以来、13年ぶりとなる。

 前任の教皇フランシスコは2013年3月の就任当初から、他の聖職者たちとの共同生活を望まれ、バチカンで働く司教や司祭、公的業務のためにローマを訪れた枢機卿や司教などが利用するサンタ・マルタ館にお住まいになり、この公邸は封印されていた。

 改修が完了した教皇の新居は、バチカン宮殿の最上階にあり、聖ペトロ広場に集まった信者たちとの正午の祈りの際に教皇が窓に姿を現される私室をはじめ、書斎、図書館、小さな礼拝堂など、いくつかの部屋で構成されている。

 ここに居住された最初の教皇は、聖ピオ10世(1903年~1914年)だった。

2026年3月16日

・教皇、カルデア東方典礼カトリック教会のバクダッド総大司教、サコ枢機卿の辞表を受理

File photo of Cardinal Louis Raphaël SakoFile photo of Cardinal Louis Raphaël Sako  (AFP or licensors)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

(2026.3.11 カトリック・あい)

 サコ枢機卿は2013年、イラクの同教会トップ、バビロン総大司教に選出され、22年に名称をバクダッド総大司教に変更。イラクのラシード大統領の前任者タラバニ氏は13年に、サコ枢機卿を総大司教として認める法令を出したが、ラシード大統領は23年7月になって、この法令を取り消す決定をした。

 サコ枢機卿はカトリック支援団体「エイド・トゥー・ザ・チャーチ・イン・ニード」(ACN)に対し、自身は、人権についての発言をやめさせ、教会の権力を弱め、教会の財産を支配しようとしてきた政治的キャンペーンの犠牲者だ。教会の長として、また教会の財産を管理する者として総大司教を認める法令が、これまで長きにわたり存在していた。法令の撤回は、教会にとって屈辱。この動きの背後にいる人々は、教会の財産に手をつけ、教会の権威を離れてこれらの財産を管理しようとしており、それを受け入れることはできない」と言明。

 枢機卿は、法令の取り消しを受け、総大司教座のある首都バグダッドを去り、現在は同国北部のクルド人自治区の主都アルビルにいて、大統領の決定の無効を求める訴えを最高裁に起こしていた。

 

2026年3月11日

・教皇、ベテラン外交官を駐米バチカン大使に任命、危機の対米外交の最前線に

(2026.3.9 Crux   Nicole Winfield |Associated Press)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年3月10日

・「平和は”小さくなる勇気”から生まれる」-「 福音への回心」をテーマに教皇付き説教師による四旬節説教始まる

教皇レオ14世出席のもと行われた、教皇付説教師パソリーニ神父による四旬節の説教 2026年3月6日 バチカン・パウロ6世ホール教皇レオ14世出席のもと行われた、教皇付説教師パソリーニ神父による四旬節の説教 2026年3月6日 バチカン・パウロ6世ホール  (@Vatican Media)

(2026.3.6  Vatican News   Benedetta Capelli

 教皇レオ14世出席のもと、教皇庁関係者を対象にした教皇付き説教師ロベルト・パソリーニ神父による四旬節の説教が6日、バチカンのパウロ6世ホールで始まった。

誰でもキリストにあるなら、新しく造られた者(コリントの信徒への手紙二 5章17節)。聖フランシスコによる福音への回心」福音への回心」をテーマにした今年の説教は27日まで、毎週金曜日、4回にわたって行われる。

 

 

*「平和は不可能と思える時でさえ、対話を選ぶ時に生まれる」 

The preacher of the Papal Household offers his first Lenten meditation in the Paul VI Audience Hall

 

 6日の第一回の黙想の主題は「回心:謙遜の道を歩む主イエスに従うこと」で、パソリーニ神父はまず、「痛みと暴力に彩られたこの時代に、小ささについて語るのは抽象的な議論、ほとんど”霊的贅沢”のようにさえも思えるかもしれません。しかし実際には、それは世界の運命と結びついた実践的な責任なのです」と強調。

 そして、「平和は、政治的合意や外交・軍事戦略から生まれるだけでなく、自らを小さくする勇気を見い出す男女から生まれます… それは人々が一歩退き、あらゆる形態の暴力を放棄し、復讐や支配への誘惑に屈せず、状況が不可能と思える時でさえ対話を選ぶ時に生まれます」と続けた。

*「福音的回心とは、第一に神の働きかけ、恵への応答」

 

 パゾリーニ神父はこれを「厳しい日々の課題」と呼び、「それは自らを神の子と自覚し、この心の回心が自らの責務だと知る者すべてに関わる課題なのです」と述べた。

 そして、聖フランシスコの生涯に関連した考察に移り、「福音の炎に貫かれた人物であり、私たち一人ひとりの内に聖霊による新たな命への渇望を再び燃え上がらせる力を持つ者」と評したうえで、「フランシスコの『回心』とは具体的に何を意味するのでしょう?この問いは、出発点を誤れば、脆い土台の上に築く危険があるがゆえに、私たち自身が問わねばならない」と指摘。

 「福音的回心とは、まず第一に神の働きかけであり、人間は完全な自由の中でそれに参与するよう招かれています。それは、私たちの人間性の最も深い所で起きる。そこには神の姿が刻印されており、再び目覚めるのを待っているのです」と強調した。

 続けて、「聖フランシスコは回心の道に入る際、『悔い改めを行う』と語っています。それは『感性の転換』を指し、『福音の光を通して他者を憐れみをもって見る方法』であり、『多くの物に満たされながらも本質的な価値を欠いた人生の苦味を一掃するもの』です」とし、「『悔い改めを行う』ことは、『物事の新たな味わい』を守る戦いの始まりを意味し、同時に神が各人の心に置かれた種を忠実に育むこと。回心とはもはや、『自らの力で人生を正そうとする試み』ではなく、『私たちの知覚・判断・欲望の在り方の枠組みを再定義した恵みへの応答』なのです」と説いた。

 

*「あらゆる罪が”単なる症状”に過ぎなくなれば、人間の自由の偉大さと責任を失う危険」

 神父は、「回心は、罪が私たちに刻んだ溝の深さと結びついています。だが、『罪』という言葉は今日、消え去ったかのように思われます」とし、「集団意識において、時には教会の生活においても、あらゆることは脆弱性、傷、限界、条件付けとして説明され、罪に言及される場合でも、しばしば小さな過ちや弱さに矮小化されるようになっている。あらゆる罪が”単なる症状”に過ぎなくなれば、私たちは本質的なもの―人間の自由の偉大さとその責任-を失う危険があります」と警告。

 さらに、「真の悪の可能性が失われれば、真の善の可能性も信じられなくなる。罪が消え去れば、聖性もまた抽象的で理解不能な運命となるのです… 罪において、人間は『自らの自由が現実のものであり、それによって他者を、世界を築き上げたり破壊したりできる』と認識してしまう」と述べ、「神との関係を取り戻すには、『深い癒し』、『愛と自由の中で生きること』を繰り返し選び、たとえ困難に直面しても、それは無益ではなく『すでに自らの生きる意味と価値を垣間見た者たちの忠実さの表れ』として耐え忍ぶことが必要です」と説いた。

*「『謙遜』は、人間を自分自身へ引き戻し、真の偉大さを回復させる」

 また、「聖フランシスコは『貧しさの聖人』として知られますが、彼を『謙遜』から切り離すことも不可能です。両者は受肉の神秘に根ざしているからです。これらは人間が神に似るために生きるよう招かれている、神そのものの特性なのですから」とし、「『謙遜』とは、キリストにおける命の恵みを完全に受け入れるために、洗礼を受けた者すべてが歩むべき道。それは、世界と人間関係を生きる方法であり、膨れ上がった自己像を縮小し、真実へと回帰させます。フランシスコは、これを『修練の行い以前に、聖霊の賜物だ』と語りました」と述べた。

 しかし「『謙遜』は人間を貧しくしません。人間を自分自身へと引き戻します。人間を小さくするのではなく、真の偉大さを回復させるのです。『謙遜』は『回心』と深く結びついている。原罪はまさに『謙遜の拒絶』から生まれる。有限で神に依存する人間としての自己を受け入れようとしないことから、生まれるのです。ですから、回心もまた、謙遜への回帰として理解されねばなりません」と指摘した。

  また神父は、「人間の偉大さは、その小ささを通して現れます… アッシジの聖人は、最も小さな者たちを抱擁することで、主が選ばれた『特権的な場所』であることを理解しました。福音書に語られる『力』が彼らに現れる。それは神の子となる力である、と」と語り、「父に物事を求めることを恥じない子供は、特別な力、すなわち他者に善を促す能力を経験する。小さな者たちは、その脆さによって慈悲を呼び覚ます。それはおそらく、世界で最も貴重なエネルギー、他者への寛容を必要とする徹底的な開放性です。小さくなることは、キリスト者であるための本質的な側面です」と説明。

 さらに「神の小ささを認識し、『神に受け入れられ、愛されている』と感じたからこそ、小さくなることを選ぶ(小ささのままでいるのではない)とき、この選択は、退行や放棄の形ではなく、洗礼が私たちに回復する新しい人間の姿なのです」と強調した。

*「回心は決して終わらない、私たちは罪人であり続ける」

 

 最後に必要なこととして神父は、『回心は決して終わらないこと』を認識することです。私たちは罪人であり続け、常に聖霊による聖化を求めます。回心とは、心の動きを絶えず新たに始めること。それによって私たちの貧しさが神の恵みに開かれるのです。自己像を縮小することに抵抗を感じつつも、継続的な内面的作業を通じて、自由かつ具体的に奉仕する姿勢を保つことによって」と語った。

 そして、聖パウロに注目し、「彼は、弱さは克服すべきものではなく、『キリストにおける自らの命の形そのもの』であり、『洗礼の命の形』であることを理解していました。しかし私たちは往々にして、福音的な小ささは、全てが順調な時にのみ可能だと考えてしまいます。実際は逆です。紛争や困難の中にこそ、この小ささは一層必要とされる。自己防衛や自己主張が本能として働く時こそ、十字架の福音を真に学んだかどうかが試される。光は、全てが明瞭な時ではなく、闇が支配する時にこそ、その力を示すのです」と強調した。

 この日の黙想は聖フランシスコの祈りと「御子イエス・キリストの足跡に従う」という招きをもって締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年3月7日

*バチカンの四旬節黙想会:ヴァーデン司教が「神の天使たち」について考察

(2026.2.26 Vatican News )

  エリク・ヴァーデン司教は、ローマ在住の枢機卿および各省庁の長官、ならびに教皇レオ14世のためにバチカンで行われた黙想の八回目で、「神の天使たち」をテーマに以下のような講話をした。

・・・・・・

エリク・ヴァーデン司教(OCSO*)

 キリストが荒野で四十日間過ごされた間、サタンは詩編90章の特に天使に関する二つの節を引用してキリストに近づきました。聖マタイによる福音書にはこう記されています。「悪魔はキリストを聖なる都に連れて行き、神殿の頂上に立たせた」。悪魔はキリストに、自らを神の子と証明するよう挑みました。「『神は御使いたちに命じて、あなたを守らせる』と書いてある。彼らはあなたをその手で支え、石に足をぶつけないようにする」と。

 神のみが、私たちを頂上から飛び降りるよう招かれることがあります。しかし、その招きは「飛び降りよ」ではなく、「私の腕の中へ飛び込め」というものでしょう。

 天使の介入は必ずしも安心をもたらすものではありません。天使は私たちの気まぐれに付き合うために存在するのではありません。ベルナールの同時代人カンタベリーのアングロ・サクソン人聖人レギナルドに由来する祈りにおいて、私たちは守護天使に「啓発し、守り、導き、導いてください」と求めます。これらは重い意味を持つ動詞です。天使とは聖性の守護者なのです。

 修道生活は、その究極的な賛美の性質ゆえに、また修道士が神の愛に燃え、その愛を他者に伝える使者となるよう召されている点において、早くから天使的なものと理解され、称賛されてきました。

『 Sacrosanctum Concilium(ラテン語で「この聖なる公会議」を意味し、第二バチカン公会議(1962-1965)において1963年12月4日に教皇パウロ6世によって公布された『典礼憲章』の冒頭の言葉)が美しい一節で語るキリストの唯一の「賛美の歌」は、脈打つ仲介の連鎖を通じて、地の果てから天の高みへと響き渡ります。典礼憲章の序文の最終節で私たちが確認するように、天使たちはその連鎖に不可欠な存在です。

 ベルナルドは、天使たちが神の摂理の仲介者としての役割を担うことを強調しています。仲介が常に必要とされるわけではありません。神は直接私たちに触れられますが、被造物同士が互いに恵みの通路となることを喜ばれます。

 神は私たちに、天使の行いを観察し、それに倣うよう促されます。「降りて、隣人に慈悲を示しなさい。次に、第二の動作として、同じ天使にあなたの欲望を高めさせ、魂のあらゆるcupiditas(情熱)を用いて、最も高き永遠の真理へと昇りなさい」。現代において、キューピッドが「最も高き永遠の真理」と同列に語られることは稀です。ベルナールの語彙選択は示唆に富んでいます。それは、肉体的なものを含むあらゆる自然な人間の渇望が、神において成就へと導かれるべきものであることを教えています。

 天使たちの最後の、最も決定的な慈愛の行為は、私たちの死の刻に、彼らがこの世のベールを越えて永遠へと私たちを運んでくれる時に起こります。その時、天使たちはその特質を明らかにします。「彼らは打ち負かされることも、誘惑されることもなく、ましてや自ら誘惑することなどありえません」。その時にはあらゆる偽りが崩れ去り、修辞は失効します。ただ真実のみが、慈悲に調和して立ち、響き渡るのです。

 ベルナルドは1139年、これらの事柄について慎重に説教しました。それから726年後、気質は全く異なるものの、同等の知性を持つ一人の人物が、死について詠んだ精緻な詩の中で、自らの直観を明示することになるのです。

 ジョン・ヘンリー・ニューマンは天使について深く思索しました。司祭の務めを天使的と捉えたのです。司祭はこの世に根ざしつつ、迷える者を求めて暗い森へも臆せず入ります。同時に心の眼を父なる神の御顔に向け続け、その輝きが現在の現実全体を照らすようにするのです。啓示は常に二重の過程です:知的かつ本質的、秘跡的かつ教育的。

 教会の博士とされたニューマンは、私たちに「教師」という存在をも天使的な啓発者として再発見するよう招きます。これは預言的な挑戦です。なぜなら、いわゆる「教育」の多くがデジタルや人工的なメディアに委ねられている一方で、若者たちは信頼に値する教師、技術だけでなく知恵をも授けることのできる教師との出会いを切望しているからです。

 天使との出会いは常に個人的なものです。それはダウンロードやチャットボットで代用できるものではありません。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年2月26日

・5年目に入ったロシアの侵略戦争ー教皇、極寒のウクライナの現地へ医薬品と暖房器具

(2026.2.24  Vatican News  Benedetta Capelli )

  ロシアがウクライナ侵略戦争を始めて5年目に入り、教皇レオ14世は24日までに、極寒の中で資産な状態にある現地の司教団の切実な要請に応え、トラック1台分の医療物資と暖房器具を送られた。

 この戦争で、ウクライナの人々は夫と妻や子供たち家族が引き裂かれ、住まいは瓦礫と化し、日々、爆撃の不安にさいなまれている。バチカンの支援援助省の声明によれば、教皇が送ったトラック1台分の物資は100万ユーロ以上の価値があり、主にバンコ・ファルマチェウティコETS財団の支援によって実現した。

 医薬品だけでは足りない。ハルキウ=ザポリージャ教区のパヴロ・ホンチャルク司教は、軍事攻撃でエネルギーインフラが破壊され暖房を失った800世帯以上、つまり一つの地区全体を代表して切実な訴えをした。短期間での修復は不可能であるため、司教は教皇の支援援助担当、コンラッド・クラジェフスキ枢機卿に、暖房設備の確保に向けた具体的な支援を求めた。

 24日朝、イタリアで購入された数百台のオイルヒーターがザポリージャに到着した。1000台以上のヒーターが、暖房設備のある避難所や仮設住宅に避難を余儀なくされているなど、窮地に立たされた家族たちに暖を届ける。担当者は「あらゆる物流・運用上の困難にもかかわらず、物資は爆撃を受けた地域に迅速に配布される」と述べた。

 この支援は、教皇が22日の主日の正午の祈りでウクライナの人々に心を寄せた訴えの、具体的な行動だ。教皇は、この戦争の犠牲者、「崩壊した家族」、そして「言葉に尽くせない苦しみ」を想起し、平和の緊急性を改めて訴えられ、人々に祈りを求めることで発言を締めくくられた。「待ち望まれた平和の贈り物が、私たちの日々を照らすように」と。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年2月25日

・バチカンの四旬節黙想会:ヴァーデン司教の黙想指導第6回のテーマは「数千の堕落」

(2026.2.25   Vatican News)

   教皇やバチカンの高位聖職者が参加する四旬節黙想会で、黙想指導のエリック・ヴァーデン司教は6回目のテーマとして、「数千の堕落」を取り上げた。以下はその要約。

・・・・・・・・

 高ぶっている時に陥る堕落は、私たちを謙虚にさせ、神の救いの力を示します。それは個人の救いの旅路における感謝をもって振り返るべき道標となり得ます。

 だからと言って、このことを軽く見てはなりません。全ての転落が歓喜で終わるわけではありません。地獄の臭いを放ち、罪ある者に破滅をもたらし、その後に破滅を引きずる転落もあるのです。その破滅の跡は往々にして広く長く、多くの無辜の人々を巻き込みます。私たちは、ベルナールと共に詩篇90篇の冒頭「千人があなたのそばで倒れ、一万人があなたの右で倒れる」という御言葉に近づくために、不屈の精神を必要とします。

 教会にこれほど悲劇的な害を与え、私たちの証しをこれほど損なったものは、私たちの家の中で生じた腐敗以外にありません。教会の最悪の危機は、世俗的な反対によってもたらされたのではなく、教会内部の腐敗によって引き起こされたのです。負わされた傷は癒えるまでに時を要します。それらは正義と涙を求めています。

 腐敗、特に虐待と直面した時、病んだ根源を探したくなる誘惑があります。私たちは無視した初期の警告サイン、選別の失敗、逸脱の初期パターンを見つけ出そうとします。時にこうした痕跡は存在し、私たちがそれを時宜に発見できなかったことで自ら責めるのは、正しいことです。しかし、常にそれらが見つかるわけではありません。

 スキャンダルと結びつけられる共同体の始まりには、しばしば偉大で喜びに満ちた善が顕現していたことを認められます。創設者たちが最初から偽善に満ちた存在であったとか、白く塗られた墓のような存在であったとか、そのような前提を置くことはできません。時に私たちは、霊感の兆し、聖性の痕跡さえ見出すことがあります。こうしたものと歪んだ発展の両方を、どう説明すればよいのでしょうか。

 世俗的な思考は単純化します。災難に直面すると、怪物と犠牲者を指定するのです。

 幸いなことに、教会は、それらを用いることを忘れない限り、より繊細で効果的な道具を所有しています。

 聖ベルナールは、人々が崇高な目的を追求する場所では、敵の攻撃がより激しいものになると私たちに思い出させます。彼は「教会の霊的な人々は、肉的な人々よりもはるかに恐ろしい攻撃を受ける」と指摘しています。彼は、詩篇『主の御座』が「左」と「右」という表現で意図しているのはこれだと考えます。左は私たちの肉的な性質を、右は霊的な性質を表しています。霊的な戦場において最も致命的な武器が用いられる場所である右側では、犠牲者がより多くなるのです。

 彼は悪魔的な領域を真剣に受け止めていましたが、それは全ての霊的病を角と熊手を持った悪役に帰するということではありません。彼は、人間が自らの主権的な自由をどう用いるかについて、男女双方に責任があると主張しています。彼の主張は、人間の本性は一つであるということです。もし私たちが霊的な本性の深みへと踏み込み始めれば、他の深みも必然的に露わになります。私たちは実存的な飢え、脆弱性、安らぎへの渇望に直面することになるでしょう。こうした経験は、攻撃的な形で現れることもあります。

 霊的生活における進歩には、瞑想的な成熟に調和した肉体と感情の自己を構築することが必要です。さもなければ、霊的な暴露が肉体や感情の解放を求める危険性があり、そうした解放の事例が、あたかもそれ自体が「霊的」であり、凡人の過ちよりも高尚であるかのように合理化される恐れがあるのです。霊的指導者の誠実さは、その会話によって証明されるだけでなく、オンライン上の習慣、食卓や酒場での振る舞い、他者の称賛に対する自由さによっても同様に示されます。

 霊的生活は、存在の残りの部分に付随するものではありません。それはその魂そのものです。あらゆる二元論に警戒しなければなりません。御言葉が肉となったのは、私たちの肉がロゴスに満たされるためであることを常に心に留めつつ。ベルナールがこの点で強く主張するように、左も右も見据えつつ、左を右と、右を左と誤認しないよう注意を払わねばなりません。肉的な性質と霊的な性質の両方に等しく安らぎを見出すことを学び、主キリストが両者において平和に統治されるようにすべきです。

 

ノルウェーのトロンハイム教区長、エリック・ヴァルデン司教は、2026年2月22日(日)から27日(金)にかけて行われる教皇レオ14世、ローマ在住の枢機卿、ローマ教皇庁各省庁の長官を対象とした霊操の説教を依頼された。司教様のウェブサイトはこちら。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年2月25日

・バチカンで教皇レオ14世はじめ高位聖職者による6日間の四旬節黙想会始まる

(2026.2.23 バチカン放送)

 教皇レオ14世が参加されて、バチカンでの四旬節の黙想会が22日午後から始まった。黙想を指導するエリク・ヴァーデン司教

バチカン宮殿のパオリーナ礼拝堂で、教皇と共に行われるこの黙想会は、ローマ在住の枢機卿や、教皇庁で働く高位聖職者たちが対象。厳律シトー修道会(トラピスト会)会員でノルウェーのトロンハイム司教、エリク・ヴァーデン師によって指導される。 初日は、「四旬節に入る」をテーマに最初の黙想を行った。

黙想は連日、午前と午後に一回ずつ。午前の黙想の後には昼の祈りが、午後の黙想の後には聖体礼拝と晩の祈りが行われ、27日午後まで続く。その間、教皇は黙想と祈りに専念されるため、水曜恒例の一般謁見をはじめ、各種謁見は基本的に行われない。

(写真は、黙想を指導するエリク・ヴァーデン司教 =@Vatican Media)

(2026.2.23  Vatican News)

   エリク・ヴァーデン司教の黙想での言葉の概要は以下の通り。

・・・・・・・

 メアリー・ウォード、17世紀の偉大なキリスト教教育者は、姉妹たちにこう語っていました― 「最善を尽くせば、神が助けてくださいます」と。

神が私たちの苦境において助けてくださる、という考えは、聖書的信仰において自明の真理です。それはアブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわちキリスト・イエスにおいて憐れみ深い御子となられた神を、哲学における不動の動者とは一線を画すものです。

詩編90項は「わが主よ、あなたは代々に我らの住まい」という句で始まります。聖ベルナールは、神は確かに「住まい」と呼ぶにふさわしい、と述べています。それは私たちが生き、動き、存在できる支えとなる現実を形成するからです。神の助けは私たちにとって一時的なものではありません。家が燃えている時や誰かが車に轢かれた時、私たちが999番に電話するように、時折呼び出す緊急サービスのようなものではありません。

では、神を畏れる人々が天に向かって叫んでも、何の応答も得られず、ただ自らの声の寂しい反響だけが聞こえるような状況はどうでしょうか。

聖書におけるそのような苦境の典型がヨブです。その荘厳な書は三つの楽章からなる交響曲として捉えることができます。内臓から湧き上がる嘆きから始まり、脅威の展開を経て、全く予想外の恵みの体験へと至るのです。

ヨブは友人の合理的な説明を受け入れません。神が彼の人生を貸借対照表のように計算しているだけだと仮定することも拒みます。助けを得られない中で、彼は苦難のただ中に神の存在を見出そうと決意し、英雄的に叫びます。「もし神でないなら、いったい誰がそうなのか?」

信者として、私たちはあるレベルで自らの信仰を”保険契約”のように考えるかもしれません。神の助けの中で生き延びると確信し、危険から逃れられた、と思い込むかもしれません。しかし災いが襲う時―いや、必ず訪れる時―世界は崩れ去るように感じられるのです。

私が丹念に築いた”特注の防護柵”が崩れるような試練に、どう向き合えばよいのでしょう?神との関係は物々交換のようなもので、苦難の時こそ、ヨブの頑固な妻の助言に従い「神を呪って死ね」と考えるようになるのでしょうか?それとも、より深い次元で生きるのでしょうか?

神は、私たちが世界そのものだと思い込んでいた壁、実際には窒息しかねない壁を打ち壊した後、新たな世界を生み出すお力をお持ちです。

聖ベルナールが私たちに求めたように、神の助けの中で生きることは、安易な安心を”売り歩く”ことではありません。それは嘆きと脅威を通り抜け、より深い次元で恵み深く生きるための道なのです。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年2月24日

・聖ピオ十世会、バチカン教理省の”対話提案”を拒否、教皇の承認なしの司教叙階へ

(2026.2.20  Vatican News  Salvatore Cernuzio)

   教皇の承認なしに司教を叙階しようとして物議をかもしている聖ピオ十世会は20日までに、バチカン教理省が先に提案した「特段の神学的な」対話を拒否した。「第二バチカン公会議の文書と典礼改革の正当性は決して問われるべきではない」とし、7月1日に予定されている司教叙階式を実行する意向を再確認した。教理省は提案の中で、一方的な司祭叙階は「カトリック教会共同体における決定的な断絶(分裂)を意味し、修道会全体に深刻な結果をもたらす」と警告していたが、それを無視した形だ。

 この返答は、2月12日にバチカンで行われた会談を受けて、同会総長ダヴィデ・パリアラーニ神父がバチカン教理省のビクトル・マヌエル・フェルナンデス長官に書簡を送る形で表明された。

 12日の会談についてフェルナンデス長官が声明で、「誠実で友好的なもの」と評し、十分な解明がなされていない問題について「明確な方法論に基づく、特に神学的な対話」を始めることを提案するとともに、同会が2月2日に発表された司教叙階の延期を求めたことを明らかにしていた。バチカンの提案は同会の総評議会に諮られ、18日に総評議会の5名のメンバーが署名した回答が書簡の形で長官に示された。

 これまで、フェルナンデス長官は、レフェブリアン派(1970年代に第二バチカン公会議の改革に反対して同会を設立したマルセル・レフェブール司教に因む名称)の最高責任者は、「新たな対話への開放性」に満足を表明しているが、これは2019年1月に提案した教義的議論への「前向きな応答」であり、「穏やかで平和な時期に、破門の圧力や脅威なしに」行われるべきだ。としていた。

 だが、パリアラーニ神父は、対話では「カトリック教会との完全な交わりに必要な最低条件」を共に決定することは決してできない」とし、「公会議は自由に解釈できる文書集ではない。公会議は、特定の教義的・牧会的指針に従い、歴代教皇によって60年以上にわたり受容され、発展させられ、適用されてきたもの。その公式解釈は、重要な諸文書に示されており、聖座があらゆる議論を置くことを意図する教義的・司牧的枠組みが既に決定済みであることを示している」と主張。

 以上に理由から、神父は、「教義に関する合意には至れない、という共通認識のもと、我々が一致できる唯一の点は、魂と教会に対する愛だ」とし、典礼改革から生じた典礼儀式の正当性を認めていない聖ピオ十世会は「対話再開を提案する教理省の視点と目標、同時に7月1日の延期も受け入れられず、新たな司教の叙階は、伝統の存続のための具体的かつ短期的な必要性として確定した」と述べた。

 2月12日の声明でフェルナンデス長官は次のように宣言している。「聖座は改めて、至高の、完全な、普遍的、即時的、直接的な通常権能を有する教皇の委任なしに司教を叙階することは、教会共同体(教会)との決定的な断絶(分裂)を意味し、修道会全体に深刻な結果をもたらすことを表明した(ヨハネ・パウロ二世、使徒的書簡『エクレジア・デイ』1988年7月2日、3項及び5c項;法典評議会、説明的注釈、1966年8月24日、1項)」

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年2月21日