◎教皇連続講話「主の祈り」⑭今が、私たちがいただいた最高の賜物-赦し-を他の人たちに贈るチャンスだ

(2019.4.24 VaticanNews Devin Watkins)

   教皇フランシスコは24日の一般謁見のカテキーシスで「主の祈り」の解説を続けられ、今回は「as we forgive those who trespass against us(私たちに対して罪を犯した人を私たちが赦すように=日本語の典礼文では「…私たちも人を赦します」)の箇所を取り上げられた。

 教皇はまず、「私たちが持っている何もかも、私たちの存在さえも、神から与えられた賜物だ」ということを思い起こされ、「私たちの命は、神によって定められただけでなく、神のよって愛されたのです」とされたうえで、教会には”独力で成功をおさめた人”のための場はない、それは、私たちは皆、神に恩を受けているからだが、「私たちは祈る時に、『ありがとうございます』という言葉を、しばしば抜いてしまいます。まるで、私たちが道に迷った時に赦してくださる神に対する恩を、忘れているかのようです」と注意を喚起された。

 また教皇は、上記の言葉に、イエスは「私たちの罪をお赦しください」という言葉を意図的に付け加えられたが、それは「私たちが、他の人を赦すことで、神によって赦されている」ことと関係がある、と指摘。「神の側から、垂直的な慈愛の関係は砕かれます… そして私たちが兄弟姉妹と共に生きる新たな関係-水平的な関係ーに変えられるように、求められるのです」とし、神はいつも、「よく処理され、再び懐に抱かれるのを願う人々の罪」を喜んでお赦しになります」と語られた。

 しかしそれには条件があり、「神のあふれるような恩恵は、いつも要求される水準も高い」「(注:神から恩恵を)たくさんいただく人たちは、それと同じくらい他の人にあたえることを知らねばなりません。出し惜しみしてはならないのです」と注意された。

 教皇はさらに、知人の司祭が臨終の床に就いている婦人の告解を聴いた時の話をされた-この司祭が、あなたが犯した全ての罪を悔い改めますか、と聞くと、彼女は「はい」と答えた。次に彼が婦人に「『あなたは、他の人たちを赦しますか?』と聞くと、「いいえ」という返事。司祭は困ってしまいました。あなたが他の人たちを赦さなければ、神もあなたをお赦しにならないでしょうから」。そして、「もしも、他の人たちを赦すのに問題があるなら、私たちは主に、『赦すことができるように、お助けください』と願う必要があります」と勧められた。

 また教皇は、イエスが人間の関係に赦しの力を挟み込まれた、それがこの世で正義では埋め尽くせない裂け目を埋める、と指摘され、「人生において、全てが正義によって解決されるわけではない。特に、悪をやめさせる必要のある所に、恩寵の物語を再出発させるために、誰かが必要とされるものを越える愛を施さねばなりません。悪は報復の仕方を知っており、もし私たちがそれを妨げないなら、(悪の)危険は拡大し、全世界を窒息させてしまいます」と警告した。

 そして、「復活祭に始まった今の一週間は、私たちがいただいた最も価値のある賜物-赦しーを他の人たちに贈るチャンスです」と強く勧められ、講話を締めくくられた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2019年4月25日