◎教皇連続講話「使徒的熱意について」㉔”スラブ人の使徒”聖チリロと聖メトジオに「愛における自由」の道具となることを学ぼう

(2023.10.25 バチカン放送)

  教皇フランシスコは25日の水曜恒例の一般謁見で「使徒的熱意について」の連続講話を続けられ、今回はその証し人として、「スラブ人の使徒」である聖チリロ隠世修道者と聖メトジオ司教を取り上げられた。

 講話の要旨は次のとおり。

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 今日は東方で「スラブの使徒」としてよく知られる二人の兄弟聖人、聖チリロと聖メトジオについて語りましょう。

 2人は、9世紀のギリシャに生まれ、政治的な出世の道を捨て、修道生活をおくりました。しかし、彼らの隠遁生活は長くは続きません。モラヴィアに宣教師として派遣されたからです。モラヴィアは、当時様々な民族から成り、一部はすでに福音化されていましたが、多くの異教的な習慣や伝統が多く残っていました。聖人たちは「土地の言葉でキリスト教信仰について説明して欲しい」と君主から依頼されたのです。

 チリロとメトジオが最初に取り組んだのは、人々の文化を深く学ぶことでした。信仰は文化に根付くべきであり、文化は福音化されるべきです。チリロは、彼らに「アルファベットを使えるか」と聞くと、「ノー」でした。そこで、聖書や典礼書を訳すためにグラゴル文字が考案され、そのおかげで、人々にとってキリスト教信仰はもう「外国のもの」ではなく、自分たちの言葉で話される、自分たちの信仰となったのでした。

 しかし、そのうち、あるラテン語派の人々が「スラブ人への説教を独占するものだ」と批判し、「神を賛美するには、十字架に書かれた3つの言語、ヘブライ語とギリシャ語とラテン語でなくてはならない」と主張しました。

 「神はすべての民族に、それぞれの言葉でご自身を称えて欲しいと思っておられる」とチリロは力強く答え、メトジオと共に教皇に願い出て、スラブ語の典礼書の許可をもらった。教皇はその典礼書を聖マリア大聖堂の祭壇に置き、彼らと共にこの本に従い、主を賛美して歌いました。

 チリロはその数日後に亡くなり、彼の聖遺物は今もローマの聖クレメンテ教会で崇敬されています。メトジオは、司教に叙階され、スラブの地に派遣されました。そこで大きな苦しみを受け、投獄されましたが、神の御言葉は鎖で縛られることなく、人々の間に広がって行ったのです。

 この二人の福音宣教者の証しを見つめましょう。聖ヨハネ・パウロ2世は、聖チリロと聖メトジオを「ヨーロッパの保護者」とすることを望み、回勅「スラブ人の使徒」の中で、彼らの証しの3つの重要な点を指摘しました。その一つは、「一致」です。ギリシャ人、教皇、スラブ人が協力し合ったように、その時代、ヨーロッパには分裂することなく、福音宣教のために協力し合うキリスト教がありました。二つ目の重要な点は、「インカルチュレーション」。先にも述べたように、福音宣教と文化は堅固に結びつくものです。三つ目は「自由」。福音宣教には自由な精神が求められ、それはまた勇気も必要とます。自由で勇気のある人は、それを妨げる多くの物事にしばられることがありません。ない。

 私たちも、他者のために「愛における自由」の道具となることができるよう、スラブ人の使徒、聖チリロと聖メトジオに助けを祈りましょう。

(編集「カトリック・あい」)

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2023年10月26日