◎教皇連続講話「祈りについて」最終回・「十字架の上で、イエスは私たち1人ひとりのために祈られた」

Pope Francis blesses a priest at the weekly General AudiencePope Francis blesses a priest at the weekly General Audience  (Vatican Media)

(2021.6.16 Vatican News Christopher Wells)

 教皇フランシスコは16日の水曜一般謁見で、昨年5月から途中の7回を除いて続けて来られた「祈り」をテーマにした連続講話を締めくくられた。

 「祈り」の最終講話で、教皇は「覚えておくべき最も素晴らしいことは、『私たちが祈るだけでなく、私たちのために祈っていただいているーイエスと御父との対話において、聖霊との霊的交わりにおいて、私たちがすでに受け入れられている』という恩寵です」と強調された。

 そして、「祈りは、イエスの生涯における最も明白な特徴の一つ… なぜなら、御父との対話が、イエスの全存在の光り輝く核心だったからです」と語られた。

 

*信仰宣言の核心は

 そして、「イエスは地上での生涯を通して祈られましたが、その祈りは、生涯全体に光を当てる、信仰宣言の”核心”である受難と死に至るまでの日々の間に一層、激しいものとなりました… イエスは人間の苦しみや病気のケアをする博愛主義者ではなかった… 当時も今もこれからも、ずっとそうです」とされ、「死に対する生の決定的な勝利への希望を与える、完全な救い、救世主としての救いを、イエスは私たちにくださいます」と説かれた。

 さらに、「イエスは生涯最後の過ぎ越しの日々に、ひたすら祈られます。ゲッセマネでの苦悶の中で、主に対して親しさと信頼をこめて”アッバ―父よ”と神に語り掛けられ、十字架の上で、神が沈黙される中で、再び、父である神をお呼びになります」と付け加えられた。

*十字架は御父の贈り物を全うする

 また教皇は、「十字架は、私たちを救う代償として御子の無償の愛を提供される御父の賜物の完成です。世の罪をすべて負われたイエスは、神から離れた深淵に降りて行きますが、それでもなお、息を引き取られる前に、神を呼び求めますー『父よ、私の霊を御手に委ねます」と語られ、「イエスの祈りの神秘に浸るために、最後の晩餐でのイエスの祈りに注目しましょう… この祈りは、イエスの死と復活と同様に、創造と救済の摂理の全てを包含しているのです」と説かれた。

私たちは決して一人ではない

 そして、その時、イエスの祈りは「さらに熱を込めたものとなります。最後の晩餐にいた弟子たちのためだけでなく、私たち一人一人のために取り成してくださいます。私たち1人ひとりに『私は、最後の晩餐の席で、そして十字架の上で、あなたのために祈る』と話すことをお望みであったかのように、です」とされたうえで、最後に「私たちがもっとも辛い目に遭っているときでも、私たちは決して一人ではありません… 私たちはキリスト・イエスに賜物をいただきました。そしてイエスの受難、死と復活、すべてが私たちのために奉げられたのです」 と講話を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2021年6月16日