◎教皇連続講話「使徒的熱意について」⑪「現代の殉教者に倣い、私たちも福音を証し続けられるように」

教皇フランシスコ 2023年4月19日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場教皇フランシスコ 2023年4月19日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2023.4.19   バチカン放送)

 教皇フランシスコは19日の水曜恒例の一般謁見で「使徒的熱意」をテーマとした連続講話を続けられ、使徒的情熱の証し人である「殉教者」たちについて考察された。

 講話の要旨は次の通り。

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 使徒的情熱をまさに偉大な形で証しした聖パウロについての考察に続いて、今日は、眼差しを「殉教者」たちの群れに向けましょう。殉教者たちは、キリストに命を捧げた、あらゆる年齢、言語、国の人々です。使徒たちの世代の後に、福音を特別な形で証ししたのは彼らでした。

 最初の殉教者は、エルサレムの城壁の外で石打ちにされた助祭ステファノです。「殉教者(伊martirio、英martyr)」という言葉は、ギリシャ語で「証人」を意味する「martyria」を語源としていますが、教会において「殉教者」という言葉は、「血を流すに至るまでの証しをした者」を指すために使われるようになりました。

 しかし、殉教者は個人の力で行動した「英雄」のように、また砂漠に突然開いた花のように見られるべきではありません。殉教者たちは、教会という、主のぶどう畑で熟した類いまれな果実なのです。

 特にキリスト者は、聖体祭儀に熱心に参加することで、聖霊に導かれつつ、愛の神秘-主イエスがご自身の命を彼らのために与えられ愛の神秘-に基づき、自らの命をも、イエスと人々のために差し出すことができたのです。

 聖アウグスティヌスは、この感謝と、その賜物を無償で返すこととの関係を、しばしば強調しています。たとえば、聖ラウレンチオ助祭殉教者の祝日の説教で「御子は、私たちのために、命を捨ててくださいました… だから、私たちも兄弟のために命を捨てるべきです」(ヨハネの手紙1・3章16節参照)ということを聖ラウレンチオは理解し実践し、「生においてキリストを愛し、死においてキリストに倣った」と語っています。

 今日、教会の歴史を見守って来たすべての殉教者たちを思い起こしましょう。現代の殉教者たちの数は、初代教会の時代よりもずっと多くなっています。第2バチカン公会議は「世の救いのためにすすんで死を受けた師に弟子が似たものとなり、流血において弟子が師の姿ににあやかるものとなる殉教を、教会はすぐれた賜物、愛の最大の証明と考える」(教会憲章42項)と述べています。殉教者は、イエスに倣い、そしてイエスの恵みをもって、福音を拒む人の暴力を、自らを迫害する者への赦しに至るまでの、至上の愛を示す機会に変えるのです。

 殉教者として召される人はごくわずかですが、「すべての人はキリストを人々の前で宣言し、教会に決して欠けることのない迫害の中にあって、十字架の道をたどりつつ、キリストに従う覚悟がなければならない」(同 42項)。このように、殉教者たちの存在は、すべてのキリスト者はイエスに倣い、自分自身を神と兄弟たちへの贈り物とすることで、血を流すことに至らなくとも、生き方をもって証しするよう招かれていることを教えてくれます。

 世界のあらゆる場所で行われているキリスト教的証しを思い起こしましょう。

 たとえば、長い戦争に傷つきながらも、忘れられているイエメンでは、「神の愛の宣教者会」が、病気の高齢者や障害者への宗教を問わない支援を通して、この地に輝ける証しをもたらしてきましたが、1998年に3人の修道女が、2016年には4人の修道女が数人の信徒と共に殺害されています。貧しい人々への慈愛の事業を手伝っていたこれらの信徒の中にはイスラム教徒もいました。

 「血による証し」を、異なる宗教の信者が共にしていることに心を動かされますが、神の名において人を殺すことは、決してあってはなりません。神にとって、私たちは皆、兄弟姉妹です。私たちが一緒に他者のために人生を捧げることは可能なのです。

 苦難の時代にあっても、私たちが福音を証し続けることができるように、すべての聖なる殉教者たちが、より人間的で兄弟愛に満ちた世界を築くための、平和と和解の種となるように、祈りましょう。

(編集「カトリック・あい」)

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2023年4月20日