◎教皇連続講話「聖ヨセフについて」⑩「使徒信条の『聖徒の交わり…を信じます』を考える」

Pope Francis at the weekly General AudiencePope Francis at the weekly General Audience  (Vatican Media)

 

  教皇フランシスコは2日、水曜恒例の一般謁見の講話で、「聖徒の交わり」について考察され、「教会のすべてのメンバーは、キリストにおいて互いに密接につながっている」と語られた。

そして、最初に、「私たちは、使徒信条で、『聖徒の交わり… を信じます』と言います。『聖徒の交わり』とは何でしょう。私は子供のころ、『ああ、聖人たちは聖体拝領をする、と言うことです』とよく答えていました。私たちは、自分が言っていることが分からない…。では、『聖徒の交わり』とは何でしょう?」と問いかけられた。

「それは、『聖体を拝領している聖人たち』の意味ではありません。意味は他にあります… その意味は、『神の愛の表現』です。聖徒への信心の形の中には、キリスト教よりも『異教』の考え方に由来しているように見えるものがあります」と指摘。

そして、「キリスト教の信仰が、『異教』と違うのは、人物や偶像ではなく、神のみに信頼を置くところです」とされたうえで、「聖徒の執り成し、あるいはそれ以上に聖母マリアの執り成しに全てを委ねる時でさえも、私たちの信頼は、キリストに対してのみ、価値があるのです」と強調され、さらに、「聖人たちが奇跡を起こすのではない。彼らは、神の恵みが働く器に過ぎません… 聖人たちは私たちのために祈る仲介者であり、主は聖人たちを通して、私たちに恵みを与えてくださるのです」と付け加えられた。

*教会は「救済された罪人たちの共同体」 また教皇*は、「カトリック教会のカテキズムによれば、『教会とは、すべての聖徒たちの集まりに他ならない』(946項)のであり、教会が『救われた罪人の共同体』であることを意味します」と語られた。

 さらに、「私たちの神聖さは、『悲惨さの中で私たちを愛し、助け出すことで、私たちを聖別するキリスト』に現れた、『神の愛』の結晶。聖パウロが指摘しているように、私たちは『キリストの体であり、一人ひとりはその部分です。1つの部分が苦しめば、すべての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ』(コリントの信徒への手紙1・12章26‐27節)のです」と説かれ、「聖徒の交わりは、地上と天国の信徒の共同体をまとめています」と付け加えられた。

*聖人たちへの信心とは、神とと共にある兄弟姉妹に語りかけること

 続いて教皇は、聖人たちへの信心を取り上げ、「人生を通して私たちを助けることのできる信仰の中で、私たちの先祖との友情を築くことができます」とされ、「私たちが信心と呼んでいるものは、私たちを結びつける絆で愛を表現する方法です…そして、特に私たちが困難に遭い、助けが必要な時、いつでも友達に頼ることができるのを、私たちは皆、知っています」と語られた。

 「教会は、共同体を導いてもらうために聖徒、とくに神がご自分の一人息子を託された聖母マリアと聖ヨセフに、目を向けてきました。守護の聖人である男女の聖人が、私たちがいただいているその名ゆえに、私たちが所属する教会ゆえに、私たちが生きている場ゆえに… 私たちにそばにいてくれるのを感じるのは、『聖徒の交わり』のおかげです」とされ、これが、「私たちの人生の決定的な瞬間に彼らに目を向けるよう、私たちを強く促す信頼なのです」。

 さらに「聖人たちへの信心は、魔術や迷信ではなく、神と共にあり、正しく聖なる生活を送っている兄弟姉妹にひたすら語りかけること」と述べられた。

*聖ヨセフへの祈り

 講話の最後に、教皇は、これまで40年以上にわたって毎日唱えてこられた聖ヨセフへの祈りを、信徒たちとともに唱えられた。

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栄光輝く総大司教聖ヨセフ 不可能を可能とする力を持つ方

私が苦悩と困難に出会う時、助けに来てください

深刻で厄介な状況にある私を あなたの保護のもとにおいてください

あなたに託し 幸せな結果がもたらせるように

私の愛する父、私の信頼はすべて あなたにあります

あなたに求める助けが 無駄にならないようにしてください

あなたは イエスとマリアと共に すべてをおできになります

あなたの徳が その力と同じように 偉大であることをお示しください  アーメン

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年2月2日