◎教皇連続講話[ガラテヤの信徒への手紙]⑩「真の自由はキリストの十字架からもたらされる」 

(2021.10.6 Vatican News By Robin Gomes)

 教皇フランシスコは6日の水曜恒例の一般謁見で、聖パウロの「ガラテヤの信徒への手紙」をテーマにした講話を続けられ、キリスト者の自由についての概念と、キリストが十字架上で示された愛の至高の業において、その自由が達成されことについて、考察された。

(以下、バチカン放送)

 「時が満ちると、神は、その御子を女から生まれた者、律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の下にある者を贖い出し、私たちに子としての身分を授けるためでした」(ガラテヤの信徒への手紙4章4~5節)。「 この自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださいました」( 5章1節)。

 教皇は、「聖パウロはこのように語ることで、キリスト者は洗礼によって受け取った自由に固くとどまり、『奴隷の軛(くびき)』に二度とつながれることがないように呼びかけているのです」と話された。

 この自由の大切さを認識するパウロは、「偽兄弟たち」(2章4節)が「私たちがキリスト・イエスにあって持っている自由を狙い、私たちを奴隷にしようとして忍び込んでくる」(同)のを警戒していた、と述べられた。

 教皇は「キリストにおける自由を妨げるような説教は、決して福音とは言えない。私たちを自由にするキリストの名において、誰に対しても奴隷の状態を強いることはできません」と強調。

 「『私の言葉にとどまるならば、あなたがたは本当に私の弟子である。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする』(ヨハネ福音書8章31~32節)とイエスが言われるように、私たちを自由にする真理の源イエスにとどまるよう、パウロは促しているのです」と語られた。

 さらに、「キリスト者の自由は、『主イエスの恵み』と『キリストが啓示し、キリストご自身である真理』の二つの柱を基礎に成り立っている」とされた。

 そして、「主の恵み」について、「ガラテヤの信徒たちや私たちが洗礼を通して受け取った自由は、イエスの死と復活の、いわば実りであり、イエスからのみ、聖霊による新しい命の実がもたらされるのです」と説かれた。

 また、「罪への隷属からの真の自由は、キリストの十字架から湧き出る。十字架というキリストがすべての自由をはぎ取られた場所、すなわちキリストの死が、人間の真の自由の源となったことは、神の愛の驚くべき神秘です」。「私はキリストと共に十字架につけられた」(ガラテヤの信徒への手紙2章19節)と大胆に宣べたパウロは、この神の愛の神秘を身をもって体験した人であり、「十字架におけるキリストとのこの究極の一致を通してこそ、『自由』という最も大きな恵みを得ることができると知っていたのです」と語られた。

 キリスト者の自由のもう一つの柱である「真理」について、教皇は、「キリスト教信仰の真理は抽象的な論理ではなく、生活の中でじかに触れる生けるキリストの現実そのものであることを忘れてはなりません」と注意されたうえで、「真理は人を自由にし、その生き方を変容し、善へと向かわせる。真に自由であるためには、自分を知るだけでなく、自分の中でその真理を具体化する必要があり、そうしてこそ、キリストの恵みに自分を開くことができるのです」と訴えられた。

 最後に、「真理は私たちを揺さぶり、私たちは自己の内面を深く問いただし続ける必要があります」と強調。「真理と自由の歩みは一生続き、その道は決して容易ではありませんが、十字架から来る愛に導かれ、支えられつつ、喜びと幸いにつながるこの道を歩んでいきましょう」と信徒たちに呼びかけられた。

(編集「カトリック・あい」=聖書の引用の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用しています)

 

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2021年10月6日