♰「私のエネルギーの源は…」、東方教会、女性の助祭叙階などにも言及-機中会見で

(2019.5.7 VaticanNews By Linda Bordoni from Andrea Tornielli’s inflight transcript)

  教皇フランシスコは7日午後、ブルガリア、北マケドニア訪問からの帰途の機中で同行記者たちと歓談され、東方教会との関係、女性の助祭職問題、そして、ご自身の強さとエネルギーなどについて語られた。

*二つの国の印象

  今回訪問した二つの国から受けた最も強い印象を聞かれて、「全く異なった国だ、ということです」と答えられた教皇は、ブルガリアが一世紀の伝統を持つ一方で、マケドニアは一世紀の伝統をもちつつ、若い国であり、”若い人々”の国、と説明された。そして、北マケドニアは国家として最近作られたが、この国は、アジアに行こうとした使徒パウロを通して、キリスト教が西欧にもたらされた象徴であり、「マケドニアの人々は『キリスト教が”自分たちの扉”を通って入った』ということを私たちに思い起こさせる機会を逃しません」と語られた。

 ブルガリアは多くの戦争と暴力に遭い、また、1877年にこの地で、オスマン帝国から独立を取り戻す戦いがあり、20万人のロシア兵が命を落としたことを想起された。「独立のためにいかに多くの戦い、いかに多くの血が流され、アイデンティティーを強固にするために神秘主義が盛んになったことでしょう」とされたうえで、現在、二つの国で正教徒、カトリック教徒、そしてイスラム教徒が共生し、各宗教の間で良好な関係が続いていることを讃えるとともに、多様性と人権を”容認”するのでなく、”敬意”を払うことが公にされていることに感嘆された。

*教皇はエネルギーをどこから得ている?

 内外の司牧訪問と精力的に仕事をするために必要なエネルギーと力をどこから得ているのか、という質問に対しては、「まず申し上げたいのは、私は魔法を使っていない、ということです」とされたうえで、それは「神からの賜物」であり、出向く先々で「自分自身を忘れ、まさに、そこにいる、のです」と答えられた。また、訪問後に疲労を感じるが、「訪問が嫌なのではありません。訪問した後につかれるのです。主は私に力をくださっているのだと思います。私は主に、忠実で、あなたに仕えられるように、旅が”観光”にならないように、と願います。それと… 私はそれほど懸命に働くことはしません!」と述べられた。

*東方教会との関係

 東方教会の内部での対立が伝えられていることに関しては、一般的に言って、関係は良好であり、善意が存在する、と強調され、東方教会の総主教たちは神の人たちである、として、東方教会のほころびに関する北マケドニアの大統領の言葉を引用された-「教皇がほころびを縫い合わすために来られたのでしょうか?そうだとは思いません。私たちは兄弟、兄弟として手を取り合わずに聖なる三位一体の神を崇拝することはできません」と。

*ステピナツ枢機卿の列聖問題

 福者アロイジエ・ヴィクトル・ステピナツ枢機卿*の列聖問題について、教皇は、彼は徳の高い人、とし「それが教会が彼を列福した理由でした」とする一方、列福の過程で明確になっていなかった点があり、列聖の手続き開始を認める前に、祈り、観想し、セルビアの教父イレナエウスに助言と助けを願った、とされた。そして、真相を明確にするためにいくつかの点について精査中であるとし、「私は真実を知ることを恐れていません。恐れているのは神の御判断だけです」と語られた。

  *福者アロイジエ・ヴィクトル・ステピナツ は、1937年から1960年まで現在のクロアチア(当時はユーゴスラビア)の首都ザグレブ大司教を務めた。この間、1946年にユーゴスラビア内外で世論を二分した評決で、ベオグラードの最高法廷はステピナツをウスタシャ政権へ協力した罪、そして正教会信徒のセルビア人をカトリックに強制改宗させるのを許可したことへの共謀罪で有罪とした。彼は16年の懲役を宣告されたが、5年後に釈放され、故郷クラシッチへ軟禁された。1952年、ローマ教皇ピオ12世は彼を枢機卿に任命した。1960年、血栓症で死亡。1998年、教皇ヨハネ・パウロ2世はステピナツを殉教者と宣言して列福し、再び世論を二分することとなった。

*女性の助祭叙階問題

 教皇はブルガリアで,福音を伝える女性助祭の叙階の伝統を持つ東方教会を訪問され、またバチカンに帰国後すぐに修道会総長の国際連盟代表との会見を予定されているが、これに関連して、記者から、最近出された女性助祭に関する研究委員会報告から教皇は何を学ばれたか、また、女性助祭叙階の問題について教皇ご本人はどう考えておられるのか、という質問があった。教皇は2016年に、女性助祭叙階についての研究委員会を設置されていた。

 この質問に対して、教皇は、この委員会が、見解の相違のために休止するまで、2年間にわたって作業を続けた、とされたうえで、女性の助祭叙階については「男性の助祭叙階とは異なった見解」があり、女性の助祭職に関する歴史的な記録文書は存在するものの、「叙階が男性の叙階と同じ形で行われたかどうか確証がありません」と説明。研究委員会は立派な仕事をし、その結論は、神学者たちがこの点について様々な論文を研究し、可否について最終的な判断をするのに貢献できる、と語られた。

*訪問中に感動されたことは

 以上のような質問の後で、教皇は、北マケドニア訪問中にスコピエので、恵まれない人たちのケアをする修道女たちのやさしさと柔和さに、とても感動した、とされ、「彼女たちは、貧しい人たちに接する時に、家父長的な態度でなく、まるで相手が子供たちであるかのように、やさしく接し、愛情をもって対応していました」と語られた。

 このような修道女たちの振る舞いとは対照的に、今日の世界では、互いに侮辱し合うことに慣れっこになってしまっている、「政治家たちは互いを侮辱し、隣同士が侮辱し合い、家庭の中でさえも互いを侮辱」し、”侮辱の文化”がある、とは言わないまでも、侮辱することが(注:相手を傷つける)凶器となり、相手を罵倒し、悪口を言い、中傷することが凶器となっている、と批判。そのうえで、マザーテレサ記念の家の「修道女たちのやさしさは、私に”母なる教会”を感じさせてくれました。この宝物をもつマケドニアの人々に感謝します」と述べられた。

 機中懇談の最後に、教皇は、ブルガリア訪問中、南部の町、ラコヴスキの教会で子どもたちに海外訪問で初めての初聖体を授けられたことの感動的な体験に触れられ、「とても感動しました。それは、1944年に私自身が初聖体を受けた時のことを思い出したからです。教会は子供たちの面倒を見ます。彼らはまだ小さいので、端の方に置かれますが、希望があります、間違いなく成長する存在です。その時、私は『ここにいる245人の子供たちが、カトリック教会とブルガリアの未来だ』と感じました」と強調された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2019年5月8日