◎教皇連続講話「使徒的熱意について」⑬「キリストの愛が、聖フランシスコ・ザビエルを遠く離れた日本の宣教に駆り立てた」

(2023.5.17 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 教皇フランシスコは17日の水曜恒例の一般謁見で、「使徒的熱意について」と題する講話を再開され、使徒的熱意を体現した人物の中で聖フランシスコ・ザビエルを「最も偉大な宣教師」と称賛。「キリストの愛が、福音を広めるために世界の遠く離れた地まで、彼を駆り立てたのです」と語られた。

 講話で教皇はまず、「キリストの愛は、挫折、失望、落胆を克服させる力。聖フランシスコ・ザビエルを、絶え間ない労苦と危険を伴う世界の遠く離れた地へ駆り立て、最後まで、その愛に従い仕えることにおいて慰めと喜びを与えました」とされ、聖人がどこにいても病人、貧しい人、子供たちに多大な配慮を注いだことを賞賛しつつ、「彼の熱心な活動は常に祈り、神との結合と結びついていました」と指摘。

(以下、バチカン放送による講話の日本語要旨)

  使徒的熱意の証しの模範として、今日は聖フランシスコ・ザビエルについて考えましょう。聖フランシスコ・ザビエルは、近世の最も偉大な宣教者とされています。ただし、誰がもっと偉大であるとか、偉大でないとか、言うことはできません。今日も無数の隠れた宣教者たちが、宣教に行ったたくさんの司祭や、修道者、信徒たちが、聖フランシスコ・ザビエルと同じように、多くの業を行っているからです。

 宣教者が偉大なのは、「宣教に出ること」にあります。福音を宣べ伝えるために祖国を出る、これは「使徒的熱意」です。そして、私たちはこの熱意を育む必要があります。宣教者たちの生き方を見つめながら、それを学ばねばなりません。

 聖フランシスコ・ザビエルは、1506年、スペイン北部ナバラの没落した貴族の家に生まれました。パリに留学したフランシスコは、現世的で知的な青年でした。そこで彼は聖イグナチオ・デ・ロヨラと出会い、霊的指導を受け、人生が変わります。フランシスコは、宣教師となるために、世俗的な出世を捨て、誓願を立て、イエズス会士となり、司祭に叙階されると、東洋へと派遣されました。当時の東洋への宣教の旅は、「まだ見たことのない世界」への招きでした。彼が旅立ったのは、使徒的熱意に満ちていたからです。

 近世の情熱的な宣教者たちの群れの最初の一人として、フランシスコ・ザビエルは旅立ちます。苦労や危険をしのび、見知らぬ地で文化や言葉のまったく異なる人々と出会うことをいとわない宣教者たちは、ただ「イエス・キリストとその福音を知らせたい」という強い熱意に突き動かされていました。

 フランシスコ・ザビエルは11年余りの宣教生活で類いまれな事業を成し遂げました。当時の船旅は困難と危険を極め、多くの宣教師が旅の途中で遭難や病気で亡くなっています。ザビエルも3年半、宣教生活の三分の一を船上で過ごしたのです。

 フランシスコはまず、ポルトガルのアジアにおける拠点だったインドのゴアに到着。そこから、インド南部沿岸の貧しい漁師たちの村に宣教に出かけます。そこで要理と祈りを子どもたちに教え、人々に洗礼を授け、病者たちの世話をしました。ある晩、聖バルトロマイの墓で祈っていると、「インドよりさらに先へと行くように」との声を聴き、ゴアでの仕事を信頼できる人々に託して、モルッカ諸島に向かいました。

 彼はインド宣教中に一人の日本人と出会います。彼は日本について語りましたが、日本は欧州の宣教師がまだ足を踏み入れたことのない国でした。使徒的熱意に動かされたザビエルは、すぐに日本行きを決意し、ジャンクに乗っての冒険的な航海を経て、日本に着きました。日本での3年間は、異なった自然環境、キリスト教に対する抵抗、不十分な日本語力など、非常につらく厳しいものだったにもかかわらず、蒔いた種は多くの実りをもたらしました。

 日本で宣教しているうちに、ザビエルは、「アジア宣教での鍵は、中国だ」と思うようになります。当時の中国は、進んだ文化、古い歴史、領土の広大さから、アジア地域に大きな影響を及ぼしていました。彼はいったんゴアに戻り、中国での宣教を目指して再び舟に乗りますが、夢はかないませんでした。中国の上川島で、本土上陸を虚しく待ちながら、1552年12月3日、病のために亡くなります。そばには一人の中国人が付き添っていただけでした。こうして、フランシスコ・ザビエルのこの世での旅は終わりました。まだ46歳でした。

 フランシスコ・ザビエルの非常に熱心な活動は、常に「祈りと、神との一致」のうちにありました。いかなる場所でも、病者、貧しい人、子どもたちへの大きな配慮を示しました。彼を絶えまない労苦と危険を伴う世界の果てへの旅に送り出し、失敗や失望を超えさせ、イエスに最後の最後まで従う慰めと喜びを与えたのは、キリストの愛の力だったのです。

 この偉業を大いなる清貧と勇気のうちに行った聖フランシスコ・ザビエルが、私たちに「福音を生き、福音を宣べ伝えるための熱意」を与えてくれますように。落ち着きのない心を抱え、自分が何をすべきか分からない多くの若者たちに言いましょう-「フランシスコ・ザビエルを見つめ、世界の果て、多くの貧しい人々、苦しむ人々、イエスを必要とするたくさんの人々を見つめなさい。そして、勇気をもって行きなさい」と。主が私たち皆に、福音宣教の喜びを与えてくださいますように。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2023年5月17日