◎教皇連続講話「聖ヨセフについて」⑪「復活の信仰は、恐れず死と向き合うのを助けてくれる」

Pope Francis at the General Audience Pope Francis at the General Audience   (Vatican Media)

(2022.2.9 Vatican News By Benedict Mayaki, SJ)

   教皇フランシスコは9日の水曜恒例の一般謁見で、「聖ヨセフについて」の講話をお続けになり、今回は、「良き死の守護聖人」である聖ヨセフをテーマに取り上げ、「キリスト教の信仰は、死への恐れを煽りません… キリスト教徒に、復活への信仰をもって、私たちが死と向き合い、それに立ち向かうのを助けてくれます」と語られた。

 講話で教皇は、「良き死の守護聖人」としての聖ヨセフに常に備わっていた特別の献身ー彼が聖母とイエスの助けを得て亡くなった、との考えから生まれた献身ーを考察。

*聖ヨセフを通して、マリア、イエスへ

 教皇は、1世紀前の教皇ベネディクト15世が「ヨセフを通して私たちは直接マリアに行き、マリアを通してすべての神聖さの起源であるイエスに行く」と書かれたことに言及され、「ベネディクト15世は、聖ヨセフにならって深い信仰を実践するように、信徒たちに強く勧められ、聖ヨセフが『死にゆく人たちの最も力のある守護者』と考えられたがゆえに、死にゆく者のために聖ヨセフに嘆願する目的で設立された多くの信心会ー『 Good Death』『Transit of Saint Joseph』そして『for the Dying”』というような名を冠した会ーを奨励することに関心を持たれたのです」と指摘。

 

*私たちの死との関係は『現在』にある

 続けて、「私たちの死との関係は、『過去』ではなく、常に『現在』にあるものですが、人々の中には、多分、この言葉とテーマは『過去の遺産』であると考える人もいます」とされた教皇は、さらに「いわゆる”心地よい文化”は死の現実を視界から外そうとしますが、新型コロナウイルスの世界的大感染は、『愛する人々がそばにいてくれることもなく多くの人が命を落としていく』という、死を受け入れがたいものとする、衝撃的な仕方で死の現実を人々に見つめさせています」と語られた。

 そして、「私たちはあらゆる方法で、『自分が有限の存在だ』という考えを追い払おうと試み、『自分たちは死の力を取り除き、恐怖を払拭することができる』と信じるように自分自身を欺こうとしますが、 キリスト教の信仰は、死への恐れを取り除くのではなく、私たちが死に立ち向かうのを助けるものなのです」と説かれた。

 

*復活への信仰を通して死に向き合う

 また、「死の神秘を照らす真の光は、キリストの復活から来るのですから、私たちが恐れに圧倒されずに死の深淵に立ち向かえるのは、復活への信仰を通してのみです… キリストの奥義によって悟りを開き、死について考えることは、新鮮な目をもって人生のすべてを見るのに役立ちます」とされ、「霊柩車の後ろに引っ越しトラックが付いてくることは決してありません。いつの時か死ぬのであれば、ものをため込むのは無意味です。ため込む必要があるのは、愛徳の業、分かち合う能力です。助けが必要な人々に無関心であり続けることではありません」と強調。

 さらに、「死は泥棒のようにやって来る、と福音は告げています。それは、私たちが考えねばならない出来事であり、それがやって来る前に、私たちは選択をせねばなりません… 兄弟姉妹や友人と喧嘩することに意味があるでしょうか。他人に腹を立てる意味があるでしょうか。死を前に、多くの問題は大したものではなくなります。和解し、恨みや後悔なしに死を迎えるのは、よいことです」と付け加えられた。

 

*キリスト教徒が考えるべき「死の質」

 教皇はキリスト教徒が「死の質」に関連して考えるべきこととして二つの示された。一つは、私たちの死は避けられない、それゆえ、病人を治すために人間的に可能な措置を尽くしたうえで死が避けられないなら、過度な延命措置は倫理的なものではなくなる、ということ(「カトリック教会のカテキズム」2278項参照)。

 もう一つは、いわゆる「緩和ケア」を通じて医学が提供するすべての支援に感謝する必要があるが、これを「容認しがたい安楽死につながる措置」と混同しないように注意せねばなりません」と指摘。さらに、「私たちは、死に向かう人々に寄り添わねばなりませんが、意図的に死に至らせたり、自殺幇助を助長したりしてはならない」と強調され、「すべての人、特に弱者、高齢者、病人の世話と治療を受ける権利を優先すべきです」と述べられた。

 とくに、高齢者について、「経済的な理由などで、”計画的”に死を早めることは、人道的でも、キリスト教的でもありません」と言明。「人類の宝のようにいたわれねばならない。私たちより先に道を切り開き、多くの素晴らしいもの、記憶、知恵を残してくれる方々です。高齢者に愛情をもって接することは、子どもたちに優しく接することと同じ希望を抱かされるもの。人の命の始まりと終わりは、常に神秘であり、尊重され、寄り添われ、ケアされ、愛されるべきものです」と訴えられた。

 そして、「生きることー死ぬことではないーは権利であり、歓迎されねばならない。管理されてはなりません… この倫理原則はキリスト教徒や信者だけでなく、すべての人に適用されます」と強調された。

*死の神秘を生きる助けを聖ヨセフに祈ろう

 講話の最後に教皇は、「私たちが死の神秘を可能な限り好ましい形で生きることが出来るよう、聖ヨセフが助けてくださるように」と懇願され、「それは、キリスト教徒にとって、良い死は、私たちの人生の最後の瞬間にさえも、そばに来てくださる神の憐れみを経験することだからです」と説かれた。そして、臨終の床にある人たち、喪に服している家族たちのために、「アヴェ・マリア」の祈りを唱えるように、一般謁見の参加者たちに勧められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2022年2月9日