◎教皇連続講話「聖パウロの『ガラテヤの信徒への手紙』」①「パウロの危機と今の状況に通じるものは」

*聖パウロの福音宣教

 この聖パウロの手紙でまず指摘すべき特徴について、教皇は、「宣教の旅の間に少なくとも2回、ガラテヤの教会共同体を訪れた聖パウロによる『福音宣教の偉大な働き』」とされた。また、「この手紙を読む限り、聖パウロが、彼が訪れた正確な場所、日時は定かでないが、ガラテヤ人は、現在のトルコの首都・アンカラを含むアナトリア地方に入植した古代ケルト族でした」と説明した。

 さらに、聖パウロは、病の為に、この地方に留まることを余儀なくされたが、聖ルカは使徒言行録の中で「彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊によって禁じられていたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った」(16 章6節)としており、人体的だけでなく、精神的な動機がガラテア地方滞在の理由であったことを示唆している、と教皇は指摘。

 ここで見られるように、「福音宣教の道は、私たちの意志と計画に必ずしもよりません。それでも、あえて、自分が決めた道を改め、予見されない他の道を選ぶことのできる積極性が必要です… 私たちが知っているのは、聖パウロが不屈の宣教活動によって、ガラテヤ地方全域に分散する小さな信仰共同体を設けることに成功したということです」と続けられた。

 

*危機の最中の司牧的関心

 教皇は、パウロの司牧的な関心に焦点を移し、「パウロは、いくつもの教会を設立した後、ユダヤ教から改宗したキリスト教徒の中に、自身の教えに反する諸説の種を蒔き始めている者がいることを知りました… 彼らは、『異邦人もモーセの律法に従って割礼を受ける必要があり、ガラテヤの人々はユダヤ人の規範や慣習に従うために自らの文化的アイデンティティを放棄しなければならない』とし、『パウロは真の使徒ではなく、福音を宣べ伝える権限がない』と主張しました」。

 そして、教皇は、この危機の最中にガラテヤの信徒たちの心を占めた確信の無さに注目された。特に、『ローマ皇帝に服従されたことも含めた奴隷制で織り混ぜられた自分たちの歴史にもかかわらず、イエスによってもたらされた救いが、新しい人生の始まりだ』ということを知り、信じるようになったからだ。

*パウロが置かれた危機と今の状況との類似性

 教皇は、今私たちが置かれている状況に視野を転じ、宣教者たちの存在ー特に新しいコミュニケーション手段を通して、キリストの福音を説く代わりに、自分たち自身が、キリスト教徒となる最良の道についての”真理の管理者”であることを示す存在-に言及された。

 「こうした宣教者たちは、『真のキリスト教は、自分たちが固守しているものーしばしば過去と変わらぬキリスト教ーそして今の危機に対する解決策として提示されるもの、”信仰の正当性を失わない”ための過去への回帰ーだ』と考えている」と指摘。「過去の伝統の中で獲得された確信に身を寄せたい、という誘惑が存在するのです」と警告された。

 最後に教皇は、「パウロのガラテヤの信徒への手紙の教えは、『私たちが、どの道をたどるか』を知るのに役立ちます… それは、十字架につけられ、復活したイエスの、縛られない、常に新しい道、謙遜と友愛を通して達成される信仰宣言の道、聖霊があらゆる時代に教会で働かれる、という確信を持った柔和で従順、信頼の道です」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年6月23日