◎教皇連続講話「老年の意味と価値について」⑨神にいただいた時を恵みで満たす”情熱的な高齢者”になろう

教皇フランシスコ 2022年5月11日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場教皇フランシスコの一般謁見(2022.5.11 バチカン・聖ペトロ広場 =Vatican Media)

 教皇フランシスコは11日の水曜恒例一般謁見で、「老年の意味と価値について」の講話をお続けになり、今回は旧約聖書続編の「ユディト記」をもとに、「ユディト、感嘆すべき若き日、寛大な晩年」をテーマにお話しになった。

 講話の要旨は次のとおり。

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 今日は旧約聖書のヒロインの一人、ユディトについて話したいと思います。若く徳の高いイスラエル人の寡婦、ユディトは、自分が住んでいたベトリアの町がアッシリア軍に包囲され、崩壊の危機に遭った時、その信仰と美しさ、賢さによって、アッシリア軍を打ち破るのに大きく貢献し、町を救いました。

 ユディトは勝利を神に感謝する為、エルサレムに上った後、ベトリアに戻り、そこで百五歳まで立派な人生を送りました。それは彼女にとって、いわゆる”引退生活”でした。100歳以上まで生きる、という長寿の恵みを得ました。

 今も、たくさんの人々が引退後も長い年月を過ごしていますが、この自由に使える時間をどのように解釈し、どのように活かすべきでしょうか。ユディトは若くして夫を失い、子はありませんでしたが、主から託された使命を最後まで果たした、という自覚のもとに、晩年を、充実した平安な時として生きることができました。それは彼女にとって、物質的な財産だけでなく、賢明さ、優しさといった財産を、一族や共同体に遺すべき時でもあったのです。

 ユディトは晩年に「侍女を自由の身に」(16章23節)しました。これは自分に仕えてくれた人に対する、配慮ある人間的な眼差しのしるし、です。私たちは歳をとると視力は衰えますが、心の眼差しは、若い時よりも深くなります。以前は見過ごしていた物事が、見えるようになります。

 主は、若い人や強い人にだけ才能を託されるのではありません。それぞれに応じて、皆に与えられているのです。私たちの共同体は、多くの年配者の才能とカリスマを享受すべきです。年配者は、引退生活を送っても、活かすべき豊かさそのものなのです。

 また、豊かさを生かすために、年配者自身に求められるのは、創造的な新しい視点と寛大な奉仕の心です。現役時代の能力は、「教え、助言し、築き、世話し、耳を傾けること」を通して、他者に与えるための財産となります。そして、その能力は可能であれば、習得の機会を持たない人々や、孤独に陥っている人々のために用いられるべきでしょう。

 ユディトは侍女を自由の身にし、皆に配慮を尽くし ました。ユディトは、若い時、その勇気のために共同体の尊敬を得ました。晩年には、その優しさによって共同体を自由と愛情で満たしました。ユディトは、憂鬱にむなしく時を過ごす”引退生活者”ではありませんでした。神が与えてくださった時を恵みで満たす、”情熱的な高齢者”だったのです。

(編集「カトリック・あい」)

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2022年5月13日