◎教皇連続講話「ガラテヤの信徒への手紙」⑨「義化」は恵み、慈しみの業に生かす義務が私たちに

 (2021.9.29 Vatican News By Christopher Wells)

 教皇フランシスコは29日の水曜恒例の一般謁見で、聖パウロの「ガラテヤの信徒への手紙」をもとにした連続講話を再開され、パウロが取り上げている「難解だが重要」な「義化」について考察された。

 「聖パウロは、『義認』はキリストへの信仰によってもたらされる、という事実を主張しています」とされた教皇は、「『義化』を完全に定義するのは容易ではありませんが、『カトリック教会のカテキズム』の助けを借りて、『義化は、ご自分の方から進んで赦しをお与えになる神の憐みの結果』と言うことができるでしょう」と語られた。

*神と私たち人間の関係を回復する「義化」

 そして、「私たち罪人は、イエスの死を通して神から赦しと救いを与えられ、神に歓迎され、神と和解するのです。神が私たちに自由に与えられた『義化』は、罪と不従順によって傷つけられた創造主と、その被造物である私たち人間の関係を、回復します」と言明。

 さらに教皇は、「私たちがどのようにして『義化』されるかという問題に対しては、聖パウロの教えに別の目新しさを発見することによってのみ答えることができます。『義化』は恵みによってもたらされる」とされ、「聖パウロは、自身の罪深さとダマスカスへの道での回心を常に意識し、『神の恵みだけが自分を救った』ことを発見したのです」と指摘された。

 

*その恵みの力を、実際の慈しみの業に結び付ける

 また、「この恵みには、キリストへの信仰が含まれる。それは、聖パウロにとって、キリスト教徒としての人生の側面に影響を与える包括的な価値を持っています。 『信仰による義化』は、神の恵みの優先順位を強調するもの」とされたうえで、聖パウロが書いているように「私たちは恵みによって救われていますが、それでもなお、掟を守る義務があります(聖パウロのローマの信徒への手紙7章12節参照)。 しかし、ここでも私たちは自分の努力を当てにすることはできません」と語られた。

 教皇は、「聖パウロの教えは、『行いのない信仰は死んだものです』(ヤコブの手紙2章26節)と書いた聖ヤコブの教えによって補完されている。この2人の使徒は、私たちに、信仰への応えとして、神への愛と救いにために活発に働くことを求めているのです」と強調。

 最後に、「信仰の光は、神の慈悲がどれほど無限であるかを認識することを可能にしますが、同時に、神の慈悲の働きにおいてご自身と協力することを、私たちに委ねられた責任を、私たちに認識させます。私たちは、神の愛がどれほど大きなものであるかを証しするために生きるように召されています。ですから、神から受けた恵みの力は、私たちの慈しみの業と結びつく必要があるのです」と講話を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年9月29日