◎教皇連続講話「悪徳と美徳」⑥「日が沈む前に、相手と和解し、怒りを解消しよう」

(2024.1.31 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)
     教皇フランシスコは31日の水曜恒例一般謁見で、「美徳と悪徳」についての連続講話をお続けになり、今回は「怒りの罪」に焦点を当て、「暗い悪徳」と呼ばれ、「怒りはおそらく物理的な観点から最も簡単に検出できます。怒りに支配された人は、この衝動を隠すことはほとんどできません。体の動き、攻撃性、苦しそうな呼吸、険しく眉をひそめた視線によって、それが分かります」と語られた。
 そして、「怒りが最も深刻に現れるのは、休む暇を与えない悪徳」と指摘。 「怒りは、自身が受けた不当行為、あるいはそのように見なされる行為から生じた場合、不当行為者ではなく、そのもとになっている人に対して発せられることが多い… 職場では怒りを抑え、冷静で思いやりのある態度をとっている男性もいますが、ひとたび家に帰ると妻や子供たちのことを考えて、怒りを抑えられなくなくなる人もいます」とされた。
 さらに教皇は、「怒りが、という私たちの心の中に浸透し、睡眠を奪い、怒りを再燃させることがあります。それは人間関係を破壊しかねません。 恨みや嫌悪感が長引くと、ゆっくりと確実に、人間関係を悪化させます」と注意された。
  また 使徒パウロを例にとり、「彼は、怒りを放っておくと、どんどん広がってしまうことを認識しており、信者たちに『今すぐ(怒りの原因になっている)問題に対処し、和解を目指すように』と勧めました。日が沈む前に、すべてを解消することが重要です」と説かれた。
 
 そして、 「日中に相手との間に何らかの誤解が生じ、互いを理解できなくなり、互いに遠く離れていることに気づいたとしても、夜になって、悪魔に引き渡されないように。速やかに対処し、相手と和解しなさい」と述べ、「 そうしないと、怒りによって、暗闇の中で目覚め、自分の怒りの理由や、怒りが自分のものでなく、いつも他人のものだ、という説明のつかない間違いに思い悩むことになってしまいます」と語られた。
 教皇は、「主の祈り」に赦しへの呼びかけがあることを思い起こし、「赦しが実践されなければ、人々は互いに離れ離れになります」と述べ、「怒りは、とてつもない悪徳であり、しばしば戦争や暴力の根源となりますが、怒りから生まれるものすべてが間違っているわけではありません」とされ、古代の人たちは「私たちの中に否定することのできない、否定してはならない『短気な部分』があるのを、よく知っていました」と振り返られた。
  教皇は、「私たちには、怒りの発生においては責任がないとしても、怒りの発展には常に責任がある」と指摘。 「怒りをきちんと発散する 時には、正しい方法をとるのがいい」とされ、「もしあなたが絶対に怒らないなら、不正に対して憤慨しないなら、弱い人に対する抑圧に対して腹の中で何かが震えるのを感じないなら…  人間ではなく、ましてキリスト教徒ではありません」と強調。
 そして、「聖なる憤り」の必要を説き、「イエスは生涯で何度かそのことを経験しました。決して『悪には悪』で応じることはなかったが、心の中で憤りを感じ、神殿の商人たちに対してあのような行動をとられました。 それは怒りによってではなく、主の家に対する熱意によって定められた、力強く預言的な行動だったのです」と語られた。
 最後に 教皇は、「情熱を善のための道具に変えるために、情熱を適切に管理するために、聖霊の助けを求めるように」と信者たちに促され、講話を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2024年1月31日