東京教区ニュース第357号(2018.11.8)より
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10月24日から26日にかけて、富士箱根ランドで、司祭集会が開催された。菊地大司教が教区長に就任して、初めての司祭集会であり、5月に発表され
た大司教の宣教司牧指針「多様性における一致を掲げて」の理解と展開のために、司祭たちが時間を共有した。
今回の司祭集会は、司祭たちの分かち合いのプログラムを中心に進められた。外国人信徒の司牧の課題、養成の課題(9月より始まった入門講座担当者の養成だけでなく、教区全体の養成も含めた)、宣教協力体の課題、典礼の課題、災害時の対応の課題などを中心にグループに分かれ、意見を出し合った。
どの課題も大きな問題なので、すぐに取り組めるというものではないが、教区全体の意見を吸い上げての具体化が期待される。
菊地大司教の誕生日は11月1日、それに加え、今年は60歳の還暦を迎えることもあり、25日の夕食時にはサプライズプレゼントが贈られた。
最終日の締めくくりのミサの中で、大司教は司祭たちに向けて「自分の司教職は『司祭、修道者、信徒たちと共に歩む資質』と理解しています。急激な変化というよりは、時間の経過を振り返って変化を感じるものが理想。そのためには当然のことながら、司祭団の協力が必要です。その一つの機会として、今回の司祭集会に感謝しています。特に叙階の秘跡を受けた者に求められる『神と人と信仰に対する誠実さに結ばれている意識』を色々な機会に確認しましょう」と呼びかけた。
*中国との「暫定」合意 最近のバチカン動向について(菊地大司教から)
このところ、教皇様やバチカンの動向に関連して、いくつかの事柄が日本の一般のニュースでも取り上げられています。一つは、教皇様の来日の可能性について、そしてもう一つが中国政府との司教任命に関する合意についてです。
教皇様の来日の可能性については、最終的にはバチカンと日本の政府間の交渉ごとになるため、教皇様の意向は示されましたが、政府間での最終的な決定は、まだ行われていません。いまは期待を込めて、その行方を見守っているところです。
中国政府との合意は「暫定」合意と言われており、その内容が公開されていませんので、報道されていること以上のことは、まだわかりません。ただバチカンと中国政府との間では、長年にわたって外交交渉が続けられているのは事実であり、そこには複雑な歴史的背景もありますから、バチカンと中国の交渉の歴史について詳しい、前カトリック中央協議会職員の松隈康史さんに解説をお願いしました。
『バチカンと中国政府は北京で9月22日、司教の任命方法をめぐる暫定合意に署名しました。同日バチカンは、教皇の指示なく「叙階」されていた8人(うち1人は昨年死去)の中国人司教を認めたとも発表しました。
中国のカトリック教会は長い間、政府公認と非公認の2つの教会共同体に分かれていました。政府公認の教会は独立自主を掲げ、教皇による司教任命に反対し、独自に候補者を選び、「叙階」するのが建前でした(実際にはバチカンが承認している人がほとんどでしたが)。しかし8人は、本当にこの方法で「叙階」され、うち3人は破門の状態にあったのです。倫理的に資質を疑問視されている人すらいます。
ある報道によると、暫定合意では司教候補者を教区の聖職者、修道者、信徒の代表からなる選挙で選び、結果は中国当局に知らされることになっています。これは長い間続いてきた政府公認の方法ですから、特に驚く内容ではありません。しかし今回目新しいのは、その結果が外交ルートを通してバチカンに伝えられ、調査を経て、教皇が最終的に決定するという点です。
中国や香港の教会内部では「宗教への締め付けを強める政府にバチカンが屈した」と失望の声が広がっていますが、中国政府にとっても極めて敏感な合意と言えます。なぜなら中国の法律では、宗教団体は外国勢力の支配を受けないと規定されているからです。にもかかわらず今回、中国政府は教皇の最終決定権を認めたというのです。
教皇がフランシスコになって以来、両国は実務的な対話を重ねてきました。他にも台湾問題など難題がありますが、司教任命こそ最難関でした。非難も多い合意ですが、これで中国の全司教が教皇と結ばれることになりました。(以上、松隈記)』
果たして今回の合意が、中国本土に1200万人はいると言われるカトリック信徒の信仰の自由と教会の福音宣教の自由を保障することにつながるのかどうかは、まだ定かではありません。また、中国における現政治体制や、教会のこれまでの長年にわたる苦難の歴史を考えるのであれば、簡単にすべてが解決するとも思われません。
教皇様ご自身は、「この暫定合意は、長く慎重な対話の歩みの実りであり、中国のカトリック教会の善と、社会全体の調和のために、教皇庁と中国当局のより前向きな協力を容易にすることを目的としたものです」と述べられました。
教皇様の意向にあわせ、中国にいる兄弟姉妹に信仰における平和がもたらされるように、ともに祈り続けたいと思います。