
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
*カリタスジャパン「ミャンマー地震救援」募金は⇒郵便振替:00170‐5‐95979 加入者名:宗教法人カトリック中央協議会 カリタスジャパン(記入欄に「ミャンマー地震」と明記)☎03-5632-4439
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
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(2025.3.30 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
ミャンマーのカトリック司教協議会会長でヤンゴン大司教のチャールズ・マウン・ボ枢機卿が30日、バチカン放送のインタビューに応じ、ミャンマーとタイで多数の死者を出したマグニチュード7.7の大地震について語り、被災者への支援を表明された教皇フランシスコへの感謝を述べるとともに、軍事政権や反政府武装勢力など国内紛争のすべての関係者に対して、緊急の人道的支援と被災者救済が自由にできるよう求め、国内で敵対するすべてのグループに戦闘の中止を強く訴えた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2025.3.24 La Croix Sophie Vincelot)
カンボジアの極左過激派、クメール・ルージュが首都プノンペンの大聖堂を破壊して50年、同国のカトリック教徒の希望の光として、同聖堂の象徴的かつ歴史的な復活が形になりつつある。
1975年にクメール・ルージュによって破壊された旧ノートルダム大聖堂に代わる聖ヨセフ大聖堂の建設は2021年に始まり、11月の献堂式に向けて工事が大詰めを迎えている。
約300万ドルとされる建設費は、フランスに本部があり、この国で17世紀から宣教活動をしてきたバリ外国宣教会が中心となり、カンボジアのほか、タイやベトナムの信者たちによって賄われた。完成すれば、新たな聖堂としては、この国で1967年以来のもの。およそ2万人とされる同国のカトリック信者の大きな光となる。
「私たちは、再び教会が建ち上がるのを見ることができることを誇りに思います」と、教区司祭のポール・チャツィレイ神父が、UCAニュースに語り、「今なお圧倒的に上座部仏教が信仰されているこの国で、カトリック教徒の存在を、再確認し、教会の継続性と回復力を示すもの」と、カンボジア史の専門家であるアラン・フォレスト・ディドロ大学名誉教授で氏は語っている。
カンボジアでのカトリックの歴史は17世紀まで遡る。宣教師たちは概ね歓迎されたが、信者の数は増えず、カトリックのコミュニティが現れ始めたのは18世紀になってからで、信者の大半は母国での迫害から逃れてきたベトナム人だった。
カンボジアの信者数は、1970年までに6万5000人になったが、大多数はベトナム系の人々で占められていたが、1970年3月、ベトナム戦争が激化する中、親米右派のロン‣ノル将軍が反米のシハヌーク政権を倒し、翌月には米軍が、北ベトナムへの支援ルートを断つためカンボジアに侵攻し、戦火が同国に拡大。国内ではロン‣ノル軍、シハヌーク旧政権軍、そして左派のクメール=ルージュの三つ巴の内戦となり、信者も4万人以上が国外に出た。
1975年には、クメール=ルージュが内戦に勝利し手、政権を握り、中国における文化大革命に触発された急進的改革キャンペーンが開始され、「フランス植民地支配の残党」としてベトナム系住民を含むカトリック信者が迫害の標的となった。1975年から1979年にかけて信者の半分が姿を消したり、殺害され、1927年に建てられたノートルダム大聖堂も完全に破壊された。このトラウマは今も同国の信者の心に深く残っている。
カンボジアのカトリック教会の再建開始には、10年以上の歳月を要した。1990年から、政府はプノンペンにある元神学校の一部を含むいくつかの資産の返還し、残りの資産は、国連平和維持軍の到着と多くの信者の国外からの帰還と時を同じくして、1992年に返還された。そして、「2019年に私たちは新しい大聖堂の建設について考え始めました。建設は2021年に始まりました」と、チャツィレイ神父はUCAニュースに語った。大聖堂が今年11月に献堂されるまで、教区民は仮設の礼拝所に集まり続けるだろう。彼らの新しい大聖堂と信仰の共同体が再び堂々とそびえ立つ時を静かに待ちながら・・・。
(2025.3.25 La Croix staff)
四旬節の間、中国のカトリック信者はキリスト教の希望というレンズを通して老いと病気について黙想し、健康上の苦悩の中にある教皇フランシスコの証しからインスピレーションを得ている。
「深い信仰は、私たちが老い、苦しみ、そして病気さえも受け入れ、キリスト教的な態度でこの十字架を背負い、その価値を考える助けとなります」と、イエスの聖心に捧げられた上海の虹口教会の牛蘇清神父は語った。
蘇清神父は、聖ヨハネ・パウロ2世の苦難の経験と、教皇フランシスコの現在の健康上の課題に言及した。 教区はまた、高齢の教区民を信仰と希望の重要な証人として認識し、彼らの旅路を支援し、慰める取り組みを約束した。
蘇州教区では、司祭たちが教皇病状について考察を行い、「教皇の健康のために祈ることは病人や高齢者を支え、元気づけることでもある」ことを確認した。
教区司祭たちは、xinde.orgの創始者であるジョン・バプティスト・ジャン神父が指導する “主に会うために砂漠に避難する “をテーマにした四旬節黙想会に参加した。ヨセフ・シュホンゲン司教とともに、司祭たちは4日間の聖体礼拝を通じ、聖体の犠牲というレンズを通して苦しみを振り返った、とFidesは報じている。
【待降節第二主日C 東京カテドラル聖マリア大聖堂献堂60周年 2024年12月8日】
今年は12月8日の無原罪の聖母の祭日が日曜日にあたり、待降節第二主日と重なりました。通常、典礼上の祝日が主日と重なる場合、主日が優先されますが、無原罪の聖母は重要度の高い祭日であることから、今年の典礼の暦では、明日の12月9日が無原罪の聖母の祭日とされています。
東京教区にとっては、12月8日の無原罪の聖母の祭日は司教座聖堂(カテドラル)の献堂記念日であり、聖マリア大聖堂の名前をいただいた「聖マリア」こそは無原罪の聖母です。加えて今年は献堂からちょうど60年の節目の年でもありますので、本日の主日ミサの中で、共にカテドラルの献堂を記念したいと思います。
そもそも「カテドラル」というのは、司教座が置かれている聖堂のことであり、教区における神の民の一致の目に見える象徴として、教区の母教会という意味を持っている聖堂です。その意味で、献堂記念日は関口教会だけのお祝いではなく、教区全体にとってのお祝いであり、あらためてカテドラルが象徴する司教との交わりのうちに一致する教会共同体のあり方を見つめ直すときでもあります。
1891年に大司教区として設置された東京教区は、当初のカテドラルを築地教会に定めました。その後、1900年に関口小教区が設けられ、1911年にはその構内に現在も残るルルドの洞窟が宣教師によって建設され、1920年には、大司教座が築地から関口に移され、関口教会がカテドラルとなりました。104年前のことです。
関口教会の聖堂は戦争中に東京大空襲で焼失しましたが、戦後、ドイツのケルン教区の支援によって再建が決められ、故丹下健三氏の設計により、1963年に工事が始まり、1964年12月8日に完成して献堂式が行われました。
この東京カテドラル聖マリア大聖堂が建設された経緯を振り返るとき、わたしたちはケルン教区が具体的に示した「ケルン精神」を思い起こさせられます。
先日のミャンマーデーの際にも触れましたが、「ケルン精神」というのは、戦後のドイツの復興期にあって、ケルン教区が掲げた自己犠牲と他者への愛を意味しています。ドイツも敗戦国であり、1954年当時は復興のさなかにあって、決して教会に余裕があったわけではありません。にもかかわらず海外の教会を援助する必要性を問われた当時のケルンのフリングス枢機卿は、「あるからとか、余力があるから差し上げるのでは、福音の精神ではありません」と応えたと記録されています。この自らの身を削ってでも必要としている他者を助けようとする精神は、当時のケルン教区の多くの人の心を動かし、ケルン教区の建て直しにも大きく貢献したと伝えられています。
その「ケルン精神」の最大のシンボルが、この東京カテドラル聖マリア大聖堂です。この大聖堂の中に祈りのうちにたたずむとき、わたしたちはまず第一に、この「ケルン精神」を思い起こし、心に刻みたいと思います。
さらに言えば、その「ケルン精神」その後、ケルン教区と東京教区が一緒になっていまでも続けているミャンマーへの支援に繋がりました。その歴史を顧みるときに、ケルンと東京とミャンマーの教会は、長年にわたってシノドス的な教会であろうとしてきたことが分かります。
私たちは、共に歩み、互いに耳を傾けあい、互いの必要に応えて助け合い、共に祈りを続けながら、聖霊の導きを見い出そうとしてきました。その意味で、東京カテドラル聖マリア大聖堂は、いま教会が歩もうとしているシノドスの道のシンボルの一つです。教会のシノドス性を豊かに表すこの聖堂を、司教座聖堂として与えられていることに、感謝したいと思います。
昨日12月7日、私はバチカンの聖ペトロ大聖堂において、教皇様より枢機卿の称号をいただきました。枢機卿は単なる名誉職ではなく、教皇様の顧問団の一人として、教会全体において何らかの役割を果たしていくことが求められる立場です。その求められている役割を果たすには、自分が十分ではないことをよく自覚し、恐れの中で震えております。私が忠実に務めを果たすことができるように、これからも皆様のお祈りによる支えをお願い申し上げます。
今日の主日は、バチカンにおいて教皇様と共に感謝のミサを捧げておりますので、その中で、日本の教会のために、特に東京の教会のためにお祈りさせていただきます。
洗礼者ヨハネの出現を伝えるルカ福音は、イザヤ書を引用しながら、ヨハネが救い主の先駆者であることを教えています。洗礼者ヨハネは「荒れ野」で、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫ぶ声だと記されていますが、その響き渡る声によって、「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」と福音は記します。
わたしたち教会も、現代社会という「荒れ野」に生きています。いのちを奪う暴力がはびこり、戦争が続き、利己的な価値観が支配する、「いのちの荒れ野」に生きています。その現代の「いのちの荒れ野」のただ中にあって、教会は「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と呼びかける声であり続けたいと思います。
枢機卿がいただく正装の色は深紅です。それは福音のために殉教すらいとわないという決意を象徴しています。ですからわたし自身が教会の先頭に立って、現代社会に向かい、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫ぶ覚悟を持たなくてはなりません。同時にそれは教会全体の務め、すなわちキリストに従う皆さんとともにある教会の務めです。
教皇フランシスコは、使徒的勧告「福音の喜び」の終わりに、「聖霊と共にマリアは民の中に常におられます。マリアは、福音を宣べ伝える教会の母です」と記しています。
その上で教皇は、聖母マリアは、福音宣教の業において「私たちとともに歩み、ともに闘い、神の愛で絶え間なく私たちを包んでくださる方です」と指摘されています。
聖母マリアは。この「命の荒れ野」のただ中に立つ教会と歩みを共にしてくださいます。共に闘ってくださいます。傷ついた私たちを神の愛で包み込んでくださいます。私たちと共に、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫ぶ声になってくださいます。
共に歩んでくださる聖母の取り次ぎに信頼しながら、これからも共に、荒れ野に響きわたる先駆者の声であり続けましょう。
(編集「カトリック・あい」)
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
また統合の日をもって、カトリック千葉寺教会の土地建物は、カトリック東京大司教区本部事務局が管轄するものとし、教会活動のすべてを、カトリック西千葉教会に移管します。
2017年11月28日、ネピドー(ミャンマー)でのフランシスコ法王とアウンサン・スー・チー氏。(EIDON/MAXPPP)
英国営BBCによると、8月5日、マウンドーの町ナフ川岸付近で、非武装のロヒンギャの人々が爆弾攻撃を受けた。被災者たちはBBCの取材に、「爆弾のほとんどは無人機から落とされ、迫撃砲や銃も使われた」と語った。
攻撃は、ミャンマーのラカイン州の大部分を支配しているミャンマー最強の反政府武装組織、アラカン軍によって行われ、まず集落が襲われ、住民たちが川に逃げようとして、また襲われた、という。
BBCのビデオには、川岸が血まみれの死体で覆われている様子が映っており、その多くは女性と子供だった。目撃者によると、この攻撃で最大200人が殺されたとみられるが、アラカン軍のスポークスマンはBBCに対し、「事件は我々が支配する地域では発生していない」と自軍の関与を否定した。
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ロヒンギャ族は仏教徒が多数派を占めるラカイン州に住むイスラム教徒の少数派で、長い間抑圧と差別を受け、1982年以降は、ミャンマーの市民権さえ与えられなくなっている。バングラデシュのキャンプにいるロヒンギャ族のほとんどは、ミャンマーのラカイン州で反政府勢力による一連の攻撃があった後、国軍が掃討作戦を開始した2017年8月以降にミャンマーから避難してきた人々。2021年2月にミャンマーで起きた軍事クーデターで、彼らに対する国軍、さらに反政府勢力による抑圧はさらに増した。