・相次ぐキリスト教徒襲撃はヒンズー・ナショナリストの脅威増大を反映(Crux)

Bharatiya Janata Party (BJP) supporters dance to celebrate after their leader B. S. Yeddyurappa was sworn in as Chief Minister of Karnataka state in Bangalore, India, Thursday, May 17, 2018. (Credit: Aijaz Rahi/AP.)

(2023.1.21 Cux  Contributor Nirmala Carvalho)

 ムンバイ発 – 1 月中旬にわずか 2日間に2件続けて起きたキリスト教徒に対する脅迫事件は、この国で少数派ながら活気に満ちたキリスト教徒が直面している脅威を鮮明に印象づけた。ヒンズー教徒が多数を占めるインドで、キリスト教徒がますます強まる”ヒンズー・ナショナリズム”の波に脅かされている。

 ”ヒンズー・ナショナリスト”たちは、この国のトップであるナレンドラ・モディ首相の選挙基盤の一部とされており、首相が指導する政党、 BJP と同盟関係にある。そして最近の二つの事件で、カトリックの聖職者と一般信徒は、国内で物議を醸している「反改宗法」に違反したとして告発された。

 専門家は、同法が少数派グループを脅迫し、インド社会から追い出す使われることが多い、と指摘しており、同国のカトリック教会の指導者、ムンバイ大司教のオズワルド・グラシアス枢機卿は、二つの事件が「改宗法の危険性を反映している」と批判している。

 1月の事件の一つは18日、インド北東部のタンドラで起きた。小教区の共同司牧者であるジョセフ・アムスカニ神父が、ミサを捧げるために近くの小さな集落に出かけた際、現地の警察に拘束された。

 現地の教会関係者によると、ヒンズー教原理主義者の集団から、アムニスカニ神父が反改宗法に違反する宣教活動を行っていると告発を受けた警察が、神父と、同行していた修道女、カテキスタ、運転手を署に連行した。神父以外は間もなく釈放されたが、神父はその後、数時間も拘留され、警察署の周辺では、即時釈放を求めるキリスト教徒と神父を起訴するよう要求するヒンズー教原理主義者が集まり、険悪な雰囲気になった。

 アムスカニ神父は釈放後、Cruxのインタビューに答え、「私は約 7 時間拘束されました。何千人ものキリスト教徒が警察署の周りで私の釈放を求める一方、起訴を求める”右翼分子”も25人ほどいた。彼らが互いに争うことのないよう、私はずっと祈っていましたが、互いに非常に緊張し、人々は動揺していました」と語った。

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 グラシアス枢機卿は、 18 日にアムトカニ神父が一時拘束された際、カトリックでないキリスト教徒たちが、早期釈放に協力してくれたことに感謝し、「あらゆる宗派のキリスト教徒が団結し、互いに助け合い、団結し、神父を支持してくださったことをとてもうれしく思います。これはキリスト教一致の表明、キリスト教一致の目に見える証しです。 イエスのすべての弟子たちが共に立つことが重要であることを示してくれました」と述べた。

 また、16日の事件については、被害に遭ったVMSの活動を称賛し、「過去 53 年間、地域の 部族の教育と社会生活の向上のために、たゆまぬ努力を続けてきました。貧しく、社会から疎外された部族社会に奉仕してくれています」としたうえで、「鉄道駅で、誤った批判を浴び、身体的暴力を振るわれたことは非常に残念」と遺憾の意を表明。

 カトリック教会がインドで不当な改宗に関与しているとの見方を強く否定し、「カトリック教会は強制改宗に完全に反対している。強制的な”改宗”は合法ではなく、改宗とは言えない。 私たちの考えと哲学は明確です。私たちはキリストを証ししようとしているが、いかなる形であれ、他者を強制したり、圧力をかけたりすることは決してしない」と言明した。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。Crux is dedicated to smart, wired and independent reporting on the Vatican and worldwide Catholic Church. That kind of reporting doesn’t come cheap, and we need your support. You can help Crux by giving a small amount monthly, or with a onetime gift. Please remember, Crux is a for-profit organization, so contributions are not tax-deductible.

 

2023年1月23日

・ミャンマー、国軍クーデターから間もなく2年、死者は3000人近く、教会も破壊ーボー枢機卿”平和の巡礼”開始を訴え

The ruins of the Church of the Assumption in Chan Tar, which was burnt to the ground by Burmese soldiers.ミャンマー北西部、チャンターの聖母被昇天教会が国軍の攻撃で町と共に破壊された 

(2023.1.21 Vatican News  Christopher Wells)

 ロシアによる理不尽極まる攻撃が一年近く続くウクライナに世界の注目が集まっているが、東南アジアでは軍事クーデターから間もなく2年となるミャンマーでも国軍による武力弾圧が止まない。

 ミャンマーの人権団体AAPPの発表によると1月20日現在で市民の死者は累計で2796人、逮捕者は1万7404人内拘留中が1万3619人にのぼり、なお増え続けている。14日には、北西部チャンターの129年の歴史を持つ聖母被昇天教会の聖堂と司祭館、修道院など関連施設が、周辺の少なくとも120軒の商店、住宅とともに、国軍によって放火、破壊された。

 このような事態を受けて、アジア司教協議会連盟会長でミャンマー司教協議会会長でもあるヤンゴンのチャールズ・ボ―枢機卿が20日、マンダレーのマルコ・ティン・ワン大司教、タウンジーのバシリオ・アタイ大司教と連名で声明を発表。「私たち全員で平和の巡礼に着手する必要がある」と訴えた。

 声明は「多くの資源に恵まれた偉大なこの国で、人々の命が奪われ続けている。胸が張り裂けるような悲劇です」とし、「ハーグ条約など国際的な取り決めでは、礼拝の場、学習の場、癒しの場の保護が定められています」と指摘。「痛みと苦悩をもって皆さんにお尋ねしたい。なぜこれらの神聖な場所が攻撃され、破壊されたのでしょうか」と問い掛けた。

 そして、礼拝の場は、「国が癒されるために必要な相互依存と相互関係の感覚を促進する場」であるとし、「このような場が容赦なく焼かれることで、社会を正常に戻すことが極めて困難になる」と警告した。

 さらに声明は、「私たちは人間として、これまで十分に苦しんできました」としたうえで、「さまざまな信仰の伝統の指導者として、ミャンマーのすべての利害関係者に次のように嘆願しますー国として、国民として団結して平和への神聖な巡礼を始めましょう。平和は可能です。平和こそ唯一の道です」とすべてのミャンマー国民に訴えた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年1月22日

・「暗闇の中で、輝く光を自らの言葉と行いをもって証しよう」菊地大司教の一致祈祷週間東京集会説教

(2023.1.21 カトリック・あい)

 2023年キリスト教一致祈祷週間が1月18日から25日にかけて世界で行われている。東京では、日本キリスト教協議会(NCC)とカトリック東京大司教区の共催で「キリスト教一致祈祷週間 東京集会」が18日、昨年に引き続きオンライン配信で行われたが、菊地・東京大司教の説教原稿は以下の通り。

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 カトリック東京教区 大司教 菊地 功

 私たちは、暴力の支配に屈してしまったのでしょうか。この世界は、まるで暴力の支配に屈服しようとしているかのような様相を呈しています。

 この3年間、私たちは未知であった新型コロナウィルスという存在に直面し、感染症の拡大の中で命の危機に直面し続けてきました。社会の中には様々な意見が飛び交っています。教会の中にも様々な意見が飛び交っています。

 3年間の経験が、専門家の間に様々な知見を積み重ねさせたとは言え、実際にはどうなるのか、予測をつけることができない未知の世界に私たちは生きています。間もなく終結するという声もあるかと思えば、まだまだこれからも危機は続くという声もあり、心から安心できる日は、なお先にあることだけは確実です。

 この状況から抜け出すために、世界は知恵と絞り互いに協力しながら、ありとあらゆる努力を重ねる必要があることは、誰の目にも明らかです。にもかかわらず、あろうことか、神からの賜物である人間の命に暴力的に襲いかかる理不尽な出来事が、世界各地で続発しています。

 カトリック教会のリーダーである教皇フランシスコは、この感染症の危機が始まった当初より、命を守り、その危機に立ち向かうには連帯が不可欠だと強調してこられました。この危機的状況から、以前よりももっと良い状態で抜け出すためには、「調和のうちに結ばれた多様性と連帯、これこそがたどるべき道です」と呼びかけこられました。互いの違いを受け入れ、支え合い、連帯することが、命を守るのだ、と強調されてきました。

 2019年11月に日本を訪れた時には、東京で東北の大震災の被災者と出会い、「一人で復興できる人はどこにもいません。誰も一人では再出発できません。町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です」と述べられ、連帯こそが希望と展望を生み出すのだ、と強調されました。

 しかしながら、この3年間、私たちの眼前では、調和も多様性も連帯も実現していません。目の前に展開しているのは、分裂であり、排除であり、暴虐です。この3年の間だけでも、例えばミャンマーではクーデターが起こり、ウクライナではロシアの侵攻によって戦争が始まりました。日本でも元首相の暗殺という、自らの思いを遂げるために、暴力によって他者の命を奪い取るような事件も起こりました。

 暴力による支配が続く中で、先行きの見えない不安は暗闇をさらに深く増し、私たちは疑心暗鬼にとらわれます。「一体、これからどうなるのだろう」という先行きの不透明性は、心の不安を増し、具体的な命の危機の状況が続くとき、疑心暗鬼はさらに深まり、他者への思いやりの心は薄れ、利己的な保身に走ってしまいます。

 そのような状況が続く中で心の一部を占めてしまった不安は、暴力を止めるためには暴力を持って対抗することを良しとする思いを生み出しています。いのちを守るためには、多少の犠牲はやむを得ないという気持ちになってきます。

 はたして暴力が良いのでしょうか。多少の犠牲は仕方がないのでしょうか。暴力の結末は死であり神の否定です。それは歴史が証明しています。神が命を賜物として与えてくださったと信じ、神がすべての命を愛おしく思われていると信じている私たちキリスト者は、命を守り生かす事の重要性を強調しつづけ、愚直に暴力を否定したいと思います。

 ミャンマーやウクライナでの独裁による圧政や戦争という暴力の現実に加え、世界には以前から、思想信条の自由を求める人たちへの圧迫が横行し、宗教者を含め正義のために声を上げる者への暴力も頻発しています。

 例えば、戦いに巻き込まれる。兵士として戦場に駆り出される。独裁的な権力のもとで、心の自由を奪われる。様々な理由から安住の地を追われ、いのちを守るために、家族を守るために、世界を彷徨い続ける。乱高下する経済に翻弄され、日毎の糧を得ることすら難しい状況に置かれ、困窮する。異質な存在だからと排除される。人種が異なるから、と攻撃される。出自が問題だから、と排除される。性的な現実から、差別を受ける。

 主ご自身が、今、福音を語られるのであれば、これらの人たちの現実を一つ一つ並べ上げ、私たちがどのような行動を取ってきたのか問いかけるのではないでしょうか。主が言われる「私の兄弟であるこの最も小さな者」は、いままさしく命の危機に直面するこの多くの人たちを意味しているのではないでしょうか。そうであるならば、私たちは出向いて行かなくてはなりません。命を守るために、命の危機に直面する人たちと共に歩まなくてはなりません。

 連帯すること、共に歩みながら支え合うこと、そういう生きる姿勢が世界を支配し、暴力による支配を打ち破らない限り、神の望まれる正義は確立せず、平和は実現しません。神の望まれている平和の実現は、すなわち神の定めた秩序の具体化に他なりません。教皇ヨハネ二十三世は、1960年代に東西冷戦が具体化し、核戦争の危機が視野に入る現実の中で、回勅「地上の平和」を著し、その冒頭にこう記しておられます。

 「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることもありません」(「地上の平和」1項)。

 私たちが語る平和は、単に戦争や紛争がない状態なのではなく、神が望まれる世界が実現すること、すなわち神の秩序が支配する世界の実現です。そのでも、神が賜物として私たちに与えられた命を守ることは、最も重要な課題です。しかしすでに、今回の感染症の状況が始まる以前から、特に私たちの国は武器を手にすることなく進行する戦いのまっただ中にあります。人間の命に対する暴力的な攻撃は、感染症の状況に突入する以前から顕著になっていました。

 例えば2016年7月26日に、相模原市の障害者施設での殺傷事件です。障がいと共に生きている方々19名が殺害され、20名を超える方々が負傷された凄まじい事件でありました。その衝撃は、犯行に及んだ元職員の青年の行動以上に、その言葉によってもたらされています。

 自らの行為を正当化するだけにとどまらず、「重度の障がい者は生きていても仕方がない。安楽死させるべきだ」などと真剣に主張していた、と報じられました。加えて、この犯人の、いのちに対する考え方に対して賛同する意見も、インターネットの中に少なからず見られました。すなわち、私たちの社会には、「役に立たない命は生かしておく必要はない」と判断する価値観が存在していることを、この事件は証明して見せました。

 その後も、多くの人の命が身勝手な理由による暴力的犯罪行為によって一瞬にして奪われる理不尽な事件は発生し続けています。

 いったい、私たちのこの日本の社会は、どのような価値観を持って人間の命を量っているのでしょうか。神が望まれる秩序が確立された世界からは遙かに遠いところを、現実の世界は歩んでいるのではないでしょうか。

 ご存じのように、今、私たちの国では宗教の意味やその存在が問われています。元首相の暗殺事件以来、宗教団体がその背景にあると指摘され、それが宗教全体の社会における存在の意味を問いかけるきっかけとなりました。言うまでもなく、どのような宗教であれ、それを信じるかどうかは個人の自由ですし、特定の宗教団体に所属するかしないかという個人の内心の自由は尊重されなくてはなりません。入信するもしないも、強制されることはあってはなりません。

 宗教は、命を生きる希望を生み出す存在であるはずです。その宗教が、命を奪ったり、生きる希望を収奪するような原因を生み出してはなりません。家庭を崩壊させたり、犯罪行為を助長したり、命を生きる希望を奪ったり、人間の尊厳を傷つけるようなことは、私たち宗教者の務めではありません。

 キリスト者はすべての人の善に資するために、この社会の現実のただ中で、命を生かす希望の光を掲げる存在であり続けなければなりません。キリスト者は、この現実の中に神の秩序を打ち立てるために、対立や排除や暴力ではなく、一致と連帯と支え合いをあかしし、推し進める存在でありたいと思います。

 保守的傾向を強める社会全体の風潮に流されるように、異質な存在を排除することを良しとする傾きは、私たちの教会の中にも入り込んでいます。言い返すことのできないような正論を並べ立て、教会の教えを忠実に守るかのように見せかけながら、その実、自らとは異質な存在への攻撃的な言動をする人たちが、神の愛を証ししているとは思えません。

 教会は一部の選ばれた人たちだけものではなく、神が創造されたすべての命を抱合する共同体です。選別し排除するのではなく、皆とともに歩もうとする共同体です。他者を攻撃し、排除する価値観を、それも多様性の一つだからと主張して、承認させようとする考え方には同調することはできません。

 光は闇が深ければ深いほど、小さな光であったとしても、希望の光として輝きを放ちます。2000年前に、深い暗闇の中に輝いた神の命の希望の光は、誕生したばかりの幼子という、小さな光でありました。いかに小さくとも、暗闇が深いほど、その小さな命は希望の光となります。誕生した幼子は、闇に生きる民の希望の光です。

 神の言葉である御子イエスが誕生したとき、暗闇に光が輝きました。イエスご自身が暗闇に輝く希望の光であります。私たち、イエスをキリストと信じる者は、その希望の光を受け継いで、暗闇に輝かし続けるものでありたいと思います。不安に恐れおののく心を絶望の闇の淵に引きずり込むものではなく、命を生きる希望を生み出し、未来に向けての展望を切り開くものでありたい、と思います。輝く光であることを自らの言葉と行いをもって証しするものでありたい、と思います。連帯のうちに、互いに支え合いながら歩むものであり続けたい、と思います。

(編集「カトリック・あい」)

2023年1月21日

・18日から世界でキリスト教一致祈祷週間ー東京では18日午後1時からオンライン配信の祈祷集会

(2023.1.16 カトリック・あい)

 キリスト教一致祈祷週間が「善を行い、正義を追い求めなさい」(イザヤ書1章17 節)をテーマに、18日から25日にかけて全世界で行われる。

 日本では、東京大会が18日午後1時から、日本キリスト教協議会(NCC)とカトリック東京大司教区の共催でオンライン配信によるエキュメニカル礼拝が開かれ、吉高叶NCC議長の司式、菊地功・東京大司教の説教が予定されている。集会の模様はNCCのYouTubeチャンネル、https://www.youtube.com/channel/UCkhVW0n4exKmivhkvdXN_wQで配信される(式文はhttps://ncc-j.org/category/resources/で)。

 また、大阪、神戸、和歌山では、カトリック大阪大司教区、日本福音ルーテル教会、日本聖公会、日本基督教団の共催で、共同礼拝が予定されている。20日に神戸のカトリック住吉教会で午後6時から、21日に和歌山のカトリック紀北教会屋形町聖堂で午後2時から、25日に大阪のカテドラル聖マリア大聖堂で午後6時から。

 なお、日本では、世界に広がる教会と心を合わせてキリスト者の一致を祈るため、カトリック中央協議会と日本キリスト教協議会が共同で翻訳した資料を小冊子『キリスト教一致祈祷週間』として発行し、キリスト教一致祈祷週間の期間だけでなく、一致を求める個人の祈りや共同の祈りのために年間を通して用いることができるよう配慮されている。2023icchi_booklet.pdf (catholic.jp)からダウンロードできる。

2023年1月16日

・インドケララ州の大聖堂が、ミサ典礼をめぐる対立抗争で閉鎖に(Crux)

(2022.12.6 Crux  |Contributor  Nirmala Carvalho)

 ムンバイ(インド )発– インドでカトリック教徒が多く住むのコチ市エルナクラムの聖マリア大聖堂が、ミサ典礼をめぐる対立激化で当局により閉鎖されて一週間、東方典礼のカトリック教徒たちが聖堂の外で4日、待降節第二主日のミサを捧げた。

 教皇フランシスコが昨年7月にSyro-Malabarカトリック教会に、世界のカトリック教会で行われているミサ典礼に統一するよう求め、大部分の司祭、信徒は受け入れたが、ケララ州のエルナクラム・アンガマリ大司教区の多数の信徒がこれに反対、賛否両派の間で対立が起きている。( Syro-Malabar 教会には インドを中心に425 万人の信徒がおり、その半数以上がケララ州に住んでいる。)

 そして11月27日には、賛否両派の間でエルナクラムの聖マリア大聖堂で衝突があり、 タザート大司教が聖堂に入れなくなる事態となった。 警察が介入し、状況が正常に戻るまで教会を閉鎖するよう地区行政当局に求め、当局もこれに同意。また両派に、これ以上騒動が起こらないことを誓う契約に署名が求められた。

 聖マリア大聖堂の閉鎖は現在も続いており、12 月 4 日の待降節第二主日には、聖堂前の通りには信者が集まり、司祭が聖堂内で一人でミサを捧げた後、聖堂から出て、信徒たちが聖体を拝領できるようにした。

 Syro-Malabarの元スポークスマン、ポール・テラカット神父はCruxに対して、「エルナクラム・アンガマリ大司教区のSyro-Malabar司教会議によって引き起こされた典礼上の問題に基づく2つの派閥間の対立のために、聖マリア大聖堂が閉鎖されることは苦痛極まりないこと」とし、「エルナクラム・アンガマリ大司教区の司祭と信徒たちは、何年にもわたって行ってきた典礼儀式に従うことを許可されることだけを求めています。教会の信仰や道徳の問題に反対しているわけではない。教会会議が、統一典礼の採用を、協議を経ずに決定したことに異議を唱えているだけ。教会の一致のために行っているのです」と語った。

 

This article incorporated material from the Catholic News Service.

2022年12月7日

・11月20日「王であるキリスト」の祭日は東京教区「ミャンマーデー」‐献金は教育支援に

2022年11月11日

(2022.11.11 カトリック東京教区)

 東京教区では11月の第3日曜日を「ミャンマーデー」と定めています。今年は11月20日「王であるキリスト」の祭日がミャンマーデーに当たります。

 今年はミャンマーデーのための特別な行事は行われませんが、各小教区にておいて、姉妹教会であるミャンマーの人々のために、特に内戦下で苦しんでいる国内避難民の子どもたちのためにお祈りください。ポスターを一部同封いたしますのでご活用ください。

 なお、今年のミャンマーデーの献金は、ミャンマーの神学校の支援に加えて、国内避難民の子どもたちの教育支援のために用いられます。献金に対するお問合せは教区事務局までお願いいたします。

2022年11月19日

・「あなたの隣人とは誰か」11月20日~27日は聖書週間

 聖書週間は、1976年11月の臨時司教協議会総会で、1977年11月の第3日曜日からの1週間を「聖書週間」とすることが決定され、聖書委員会が中心になって、定着に努めることとした。その後、司教協議会による諸委員会の機構改革にともない、聖書委員会は1998年2月に廃止されたが、聖書週間は常任司教委員会が引き継ぎ、リーフレット「聖書に親しむ」とポスターの制作、小教区などへの配布が続けられている。

 聖書週間の機会に、聖書を深く味わいたいとお考えの方に、「カトリック・あい」でご参考までにお勧めするのは二冊、「イエスのたとえ話の再発見」(ヨアヒム・エレミアス著、新教出版社)、「旧約聖書がわかる本」(並木浩一、奥泉光、河出親書)。

 エレミアス教授は独ゲッチンゲン大学で30年余にわたり新約聖書学を講じた、20世紀有数の聖書学者。卓越した語学力と分析力、パレスチナの文化風土に関する博識をもって、イエスがたとえ話を使って語られた本来の意図を解明する。また、並木氏は国際基督教大学名誉教授で元日本旧約学会長、奥泉氏は作家、近畿大学文芸学部教授。2人の対話を通じて、旧約聖書を深く、分かりやすく解きほぐしていく。

 

2022年11月15日

・菊地大司教のFABC総会から(その4)無事閉幕、お祈りに感謝

2022年11月 2日 (水) FABC総会から(その4)Fabc_photo

 アジア司教協議会連盟FABCの創立50年を記念した総会は、10月30日の日曜日、バンコクのカテドラルでの閉会ミサで無事に閉幕しました。この間、特に10月25日には日本の皆様にもFABCのためにお祈りいただいたこと、心から感謝いたします。

 皆様のお祈りに支えられて、聖霊がどのようにアジアの司教たちを導いたのかは、今後発表される文書などに示されていくことになると思います。

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 最終週は、日本からは成井司教様に代わって長崎の中村大司教様が加わり、前田枢機卿、勝谷司教、アベイヤ司教、中村大司教、そして私の5名で参加。

 これまでに2週間でそれぞれの国の状況を振り返り、教皇様の諸文書の振り返りに基づいて様々なテーマへの取り組みへの学びを深め、それらに基づいて、これからどうしていくかの検討が三週目です。

 最初の二日間は司教たちを4名ずつのグループに分けて、傾聴のワークショップ。これがなかなか大変です。それに基づいて「FABCの優先すべき課題は何か」を絞り込みました。

 そして最終週の水曜日は、総会の最終声明の討議、後日発表される最終文書の内容の検討、そして私が担当しているFABCの再構築についての検討が始まりました。

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 10月25日の朝の祈りは、日本の当番でした。各国が順番に20分程度のビデオを事前に作成するように依頼され、日本のビデオは秋田の聖体奉仕会にお願いしました。以前から海外とのビデオ中継などの経験があるからです。聖体奉仕会の皆さんと、協力してくださった皆さんに感謝です。

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 木曜日はバンコクの西隣にあるラチャブリ教区へ全員でバス巡礼。歴史ある最初の神学校の跡を訪ねたりしながら、ラチャブリ教区のカテドラルで感謝ミサ。司式はバンコクのフランシスコ・ザビエル枢機卿様です。

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 ミサの終わりにラチャブリ教区のジョン・ボスコ司教様からFABCに聖母子像を寄贈いただき、会長のボ枢機卿様が不在だったこともあり、事務局長として代理で受け取らせていただきました。バンコクの事務局に安置される予定です。

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 そして最後の二日間、金曜と土曜は、すべての時間を使って、最終メッセージと最終文書についての討議です。金曜の午後には教皇代理でタグレ枢機卿様が到着され、そのお話もあり、また土曜日の午後には司教たちとの話し合いも行われました。

 最終日の10月30日は、バンコク市内、チャオプラヤー河沿いにあるカテドラルで、タグレ枢機卿司式の閉会ミサでした。カテドラルの立派なこと。教皇様が来られた時にも、ここでミサが捧げられました。この辺りはFABC2020のYoutubeチャンネルがありますから、一度ご覧ください。また最終メッセージは原文の英語がこちらに掲載されています。今後翻訳して、中央協議会のホームページにも掲載されることになろうかと思います。

 私は、事務局長としてFABCの「再構築の委員会」の責任者でしたので、連日夜は会議でした。メンバーはインドの枢機卿、フィリピンの大司教、神学者の司祭、信徒の女性神学者二名。結局、最終日の昼間に最終的に集まって、提言を作成し、あとは3月に開催される中央委員会に判断を任せるところまでこぎつけました。

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 50年前にFABCが始まったころは、第二バチカン公会議直後で、まだ発足したばかりの各国の司教協議会は、連盟からの支援を必要としていました。そのために連帯して歩もうと様々な事務局が設けられました。

 しかし50年を経て、しっかりと組織を確立した司教協議会も多くある中で、FABCの果たすべき役割も変化していって当然だと考えました。次の50年のために、今後も組織のありようを見直し続けることになります。

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 それにしてもこの総会は、2014年ころから、当時の会長であったボンベイのグラシアス枢機卿が中心となり、その補佐司教であるアルヴィン司教と一緒に計画を練ってきたものです。企画運営委員会は、この2年ほどは毎週月曜にオンラインで会議を開いてきました。

 私も事務局長になって以降、ほとんど毎週月曜の夜7時半から、オンライン会議に参加してきましたが、話が二転三転、あちらこちらに飛びながら、それでも最後には何とかまとまるという、”奇跡的な運営‴を目の当たりにしてきました。

 今回の総会中も、その日にならないとプログラムの詳細が分からない日も多く、はらはらさせられましたし、手元に詳細なプログラムが残ってません。なかなかの不思議な体験でもありました。(右の写真は、FABC会長でヤンゴン大司教のボ枢機卿様と)

(菊地功=きくち・いさお・東京教区大司教、日本司教協議会会長、FABC事務局長)

2022年11月3日

・「教会は、虐待や暴力に苦しむ人の側に立つ」FABC50周年記念総会・ボー会長が閉幕あいさつ

(2022.10.30 カトリック・あい)

 バンコクで10月12日から開かれていたアジア司教協議会連盟(FABC)の50周年記念総会の30日の閉幕にあたって、ボーFABC会長が以下のようにあいさつした。FABC Mediaが伝えた全文以下の通り。

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 私たちの慈悲深い神に感謝の言葉を共に捧げることは、私の幸せな務めです。

 教皇が言及されたように、聖パウロ六世教皇は、アジアで、運命論から人間にふさわしい生活へと、目覚めようとしている貧しい人々の大陸に出会われました。当時のアジアはまた、社会における自分たちの正当な役割に目覚めつつある若者の大陸でもありました。そして、アジアは常に、国々の兄弟的コミュニティ共同体の構築に献身する、古くからの信仰と多様な文化の生まれ故郷でありました。

 ですから、アジアの教会は、自分たちが貧しい人々の教会、若者の教会、対話する教会となるよう召されていることに気づかすにはいられませんでした。私たちは、貧しい人々、様々な文化との対話に携わる一方で、”沈黙の教会”の兄弟姉妹たちのことを悲しみをもって知り、連帯して祈っていました。彼らは、キリストがなさったように十字架を担うことで、抑圧されることが少ない地域に住む渡した死の誰よりも、雄弁に語りました。

 それから50年たち、私たちは貧しい人々の叫びを地球の叫びから切り離すことはできないことに気づいています。したがって、貧しい人々の教会は、被造物と調和した教会にもならねばなりません。先住民コミュニティの兄弟姉妹の知恵に耳を傾け、抑圧された人々の声が私たちの姉妹である母なる大地の声になるようにせねばなりません。

 「へりくだった人々は、幸いである。その人たちは受け継ぐ」(マタイ福音書5章5節)ー 私たちの祖先が荒々しい海に勇敢に立ち向かい、山を征服して新たな居住地を捜し、見つけたのと同じように、50年たった今、若者たちがワールドワイドウェブに住んでいることに気づきました。彼らのおかげで、イエスはすでにウェブ上におられます。”住まい”を変容させ、コミュニティを構築しています。若者たちの教会は、ウェブの新しいフロンティアを泳ぎ、ナビゲートする教会になりました。私たちは、デジタル大陸で直面する多くの危険を認識したうえで、喜々として次のように確認しますー「心の清い人は幸いである。その人たちは神を見る」(同5章8節)。

 50 年たった今、対話が、ますます分断され暴力的な紛争が起こりやすい世界に関わるだけでなく、欠くことのできないものになっていることに、私たちは気付きました。対話する教会は、一層、「橋を架ける教会」にならねばなりません。私たちはイエスと共に、「平和を作る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(同5章9節)と宣言します。

 50年たった今、信教の自由のための空間が当然のもの、とは見なされ得ないことに、私たちは気付きました。自由は、時には額の汗、殉教者の血によってなされた贖罪によって買い取らねばならないのです。”沈黙の教会”と共に、私たちは神の祝福を願います。私たちは、虐待や暴力に苦しむ人々の側に立ちます。私たちは、子供、女性、移民、難民にとって安全な世界を目指して活動するとともに、次のように祈りますー「義に飢え渇く人々は、幸いである。その人たちは満たされる 」(同5章6節)。”沈黙の教会”は贖いと希望の教会でもあるのです。

 親愛なる友人の皆様、この総会のために時間を割いていただき、ありがとうございます。タイの素晴らしい人々へ、私たちを快く受け入れてくれてありがとう。タイの教会へ,あなたの明るい証しとおもてなしに感謝します。この総会が実り多いものになるように働き、祈ってくれたすべての人に感謝します。神があなたのすべての祈りを聴いてくださいますように。神があなたに健康、繁栄、平和を与えてくださいますように。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の引用の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

2022年10月30日

・FABC50周年記念総会閉幕、総会メッセージ発表ー様々な課題、そして決意

(2022.10.30 カトリック・あい)

 10月12日からバンコクで開かれていたアジア司教協議会連盟(FABC)創立50周年記念総会が30日、以下の総会メッセージと最終文書を発表して閉幕した。FABC Mediaによる総会メッセージの全文は以下の通り。

【FABC総会からアジアの人々へのメッセージ】Baan Phu Waan, Bangkok, 12-30 October 2022

 

 私たち、アジアのカトリック教会の司牧者たちは、喜び、希望、連帯のこのメッセージをアジアの人々と分かち合います。私たちは、17 の司教協議会と 2 つの東方教会協議会からなるアジア司教会議連合 (FABC) を通じて、神がアジアに降り注がれた祝福に感謝しています。 「アジアの人々として共に歩む」は、私たちの総会のテーマであり、私たちはこの総会で過去50年間の旅を振り返り、教会を活性化し、奉仕の新しい道筋を考察しました。

 タイ王国政府の温かい歓迎と、開会式への文化大臣のご出席に深く感謝いたします。私たちは、FABC 50 総会を主催してくださったタイのカトリック司教協議会、特にバンコク大司教区に深い感謝の意を表します。私たちは、聖座や他の大陸会議の代表者と共に過ごしたことに喜びを表明します。私たちはこの総会で、共に祈り、耳を傾け、識別し、励まし合う、実りある時を過ごしました。それはまた、新型コロナウイルスの世界的大感染によって引き起こされた痛みから癒される瞬間でもありました。

 会議での議論と審議を通じて、私たちはアジアの魂に触れました。同時に、私たちはアジアの諸教会が示した、よりよいアジアのためにさらに献身的に働く希望、勇気、そして決意に励まされました。

 私たちは、助けと正義を求めて叫ぶ、私たちの多面的な大陸から、以下のようなさまざまな声の挑戦を受けました。

・尊厳ある生活を切望する貧しく、奪われ、周縁化された人々の苦しみ、

・真の人間の尊厳と安全な場所を求める難民、移民、避難民、先住民の苦悩、

・搾取、気候変動、地球温暖化の傷を負った自然のうめき声。

・教会と社会でより重要な役割を求める若者の夢

・女性の尊厳を重んじ、正当な地位を認める、より包括的な教会を求める女性の声、

・より良い安定とすべての人からのより多くの支援を求める家族の願い。また、次の点についても深く懸念しています。

・私たちの共感と連帯を通じて救済を受ける必要があるいくつかの教会の痛みと苦しみ。

・賢明に対応する必要がある過激主義の声の高まり。

・命をもっと尊重することを社会に説き聞かせる緊急の必要性。

・対話と和解を必要とする、私たちの大陸で激化する暴力と紛争。

・プラスにもマイナスにもすべてに影響を与えるデジタル革命の挑戦を受けている社会。

 祈りと協力の心で、私たちは愛、思いやり、正義、赦しの力に依拠し、これらの課題に対応したいと考えています。私たちは、平和と和解が、前に進む唯一の道だ、と信じています。私たちは、互いにの耳を傾け、真の識別力に基づいて、福音宣教の新しい道筋を考察してきました。

 福音と教皇フランシスコの最近の教えに触発されて:

・私たちは、社会の周辺部にある人たちに手を差し伸べることを約束します。私たちは、最も困窮している人々に喜んで仕えるよう召されています。

・私たちは、「地球の叫びと貧しい人々の叫びの両方」に積極的に対応するために、司牧的および生態学的な回心を求められています。

・私たちは、他者の真の対話に耳を傾けることで、補完性と調和の精神を実現したいと考えます。

・私たちは、私たちの近隣の宗教や伝統を持つ兄弟姉妹と協力して、平和と調和の文化を促進することを目指します。

・私たちは、宗教や伝統の間だけでなく、人権、貧困の根絶、人身売買、地球の世話、およびその他の共通の関心事項について、政府、NGO、および市民団体との規範ある関係によって、架け橋を築くことを約束します。

・私たちは互いに耳を傾け、私たち全員が神の声に耳を傾ける「互いに耳を傾ける文化」を育むことによって、自分自身を変革する必要があります。

・私たちは信仰を持って自分自身を形成し、家族や地域社会、特に困難に直面している人々に寄り添う方法を改善する考えです。

 これらの道を共に旅することで、私たちはより大きな責任をもって世界に奉仕します。私たちは、アジアのカトリック教会が常により良いアジアとすべての人々の利益のために働くことを、この大陸の人々に確信をもって申し上げます。私たちはあなたがたに、祈ることを約束します。あなたがたも、祈りの中で私たちを思い起こしてくださいますように。私たちは、人類家族とすべての被造物のために、共に旅をします。

    2022 年 10 月 30 日にタイのバンコクにて

✠ FABC会長 チャールズ・ボ―枢機卿  ✠ FABC50周年記念総会議長 オズワルド・グラシアス枢機卿

✠ バンコク大司教 キリエンサック・コビタバニ枢機卿

✠ FABC事務総長 菊地功 大司教

2022年10月30日