◎教皇連続講話「祈りについて」-「祈りが直面する三つの困難に打ち勝つ」

(2021.5.19 Vatican News Christopher Wells)

 

    教皇フランシスコは19日、水曜恒例の一般謁見で「祈りについて」の連続講話を続けられた。

 まず、「私たちは祈りの中で直面する困難に打ち勝つために、私たちは精励せねばなりません」とされ、しばしば経験する困難には、注意散漫、乾燥・不毛の感覚、そして無感動・無気力の三つがある、と語られた。

*注意散漫

 「注意散漫」について、「祈りの中だけでなく、すべての場面で私たちがよく経験すること」と述べられた教皇は、「人の心は、一つのことに集中し続けることが難しい。私たちは皆、心象と幻影が常に渦巻くのを経験していますー眠っている時にさえも、です」とされた。

 そして、「注意散漫そのものは罪深いものではないが、それでも、私たちはそれと戦わねばなりません。そのために、忍耐力という福音の徳を受け入れる必要がある。私たちはイエスがおいでになる日や時を知らないので、注意を怠らず、神経を集中し、目の前の課題に気を配る必要があります」と語られた。

 

*乾燥・不毛

 祈りにおける「不毛、あるいは乾燥」について、教皇は「祈りが役に立たないように見え、喜びや熱意が刺激されない状態ーは、『注意散漫』と異なり、いつも私たちの内から生じるとは限りません。神ご自身が、私たちにこの霊的な乾きを体験させてくださることがあります」とされ、「そのようなとき、私たちは『純粋な信仰』に頼らねばなりません」と指摘された。

*無感動・無気力

 「怠惰」とも言える「無感動・無気力」は、「祈りに対する真の誘惑であり、より広くは、キリスト教徒の生活における誘惑」と言われた教皇は、「カトリック教会のカテキズム」を引用して、これは「気の緩み、警戒心の減少、そして心の無頓着さなどからくる、一種の精神的落ち込みの状態」(2733項)と説明。七つの大罪の一つとして、それは「うぬぼれによって煽られ、魂の死につながる可能性があります」と警告された。

*祈りの不屈の努力

 以上を踏まえて、教皇は、 祈りのおける「熱烈と意気消沈の連続」に対して、「不屈の努力をもって、歩き続けるように」と信徒たちに呼びかけた。 また、「聖徒は皆、この『闇の谷』を通り抜けました。私たちは、彼らの祈りー無気力な、味気ない生活での祈りーとの苦闘を聞いて、嫌悪感を抱いてはなりません」と語られ、「私たちはそのようなときにも、変わることなく祈り続けることを学ばねばならない。神を信じる者は、祈ることを決して止めないのです!」と強調された。

 そして最後に教皇は「(旧約聖書に登場する)ヨブのように、たとえ私たちが神に不平を言い、抗議したとしても、この荒廃した時の終わりに、神は答えてくださることを、私たちは知っています。 神は、私たちの酷く不快な、苦々しい言葉さえも、父の愛をもって抱き集められ、それを信仰から出た行為、祈りとして受け止めてくださるのです」と講話を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2021年5月19日