◎教皇連続講話「老年の意味と価値について」④年配者は、信仰を伝える、かけがえのない存在

(2022.3.23 Vatican News staff reporter)

 教皇フランシスコは23日の水曜恒例一般謁見で、「老年の意味と価値について」の講話を続けられ、教会の信仰の個人的な経験を新しい世代に引き継ぐためのに年配者に与えられた特別の召命を中心に語られた。

 この日の講話で教皇は、老いたモーセの死に関する旧約聖書の記述をもとに観想された。

 イスラエルの民をエジプトから約束の地に導く旅の終わりに、年老いたモーセは、壮大な歌(申命記31章30節-33章29節)を通して、自身が忠実であり続けた主に対する信仰の経験を民に伝えたが、教皇は、「このモーセの歌は、神と共に生きた歴史、アブラハム、イサク、ヤコブの神への信仰から形成された人々の冒険の記憶でもあるのです」と説かれた。

*年配者は信仰の財産をもっている

 そして、「モーセは、神ご自身の苦しみと失望も記憶しています。彼の主への忠実さは、彼の民の不信仰によって絶えず試された」が、「120歳になってもなお、モーセは、その長い人生と信仰の経験の財産を次世代に引き継ぐことを可能にする明晰さを持っていました」と語られた。

 そのうえで、教皇は、「現在では、教会が福音の宣教し、信仰を伝える努力は、本や映画、その他の資料の助けを借りてなされています。それでも、信仰において神と共にある生涯の経験の物語を人から人へ伝えていくことに代わるものは他にありません」と言明。「長生きをし、自身の歴史についての明晰で情熱的な証言の賜物を受け取った年配者は、かけがえのない祝福を受けています」と指摘。

 また教皇は、個人的な経験として、1914年にピアーヴェ川で戦った祖父から戦争に対する憎悪と怒りについて学んだことを思い起こされ、「祖父は私に、戦争の酷さについて話すことで、戦争への憤りを伝えたのです。そのようなことは、本を読むことや他の方法で学べません。祖父母から孫へと伝えていべきものです」とされたうえで、「残念ながら、今ではそうではなく、”祖父母は廃棄物”だとさえ言われます。そうではないのです。年配者は、人々が生きた記憶であり、若者や子供たちは、彼らの話を聞く必要があるのです」と説かれた。

*年配者には知恵と経験がある

 だが、現代の”政治的に正しい文化”の下で、このような伝え方は多くの点で妨げられている。そうした中で、「若い世代が、教会を内面から知り、神の言葉に忠実な生活を送り、試練の中で希望を持ち続け、すべての人に思いやりのある愛を示すようになる」ために、年配者の知恵と経験が大いに必要とされている、と強調された。

*実際に見聞きすることの重要さ

 教皇はまた、「今日の教会にしばしば欠けているのは、現在に至る信仰の真の歴史と教会共同体の活動を、実際に聞き、目撃することから得られる知識です」とされ、「私たちが子供の時は、カテキズムのクラスで神の言葉を学びました。しかし、今の若者は、教室で、そして世界的な情報媒体で、教会を”学び”ます」と指摘。福音書に目を向けられて、言われたー「福音書の筆者たちは、使徒たちの過ち、誤解、さらには裏切りさえも隠すことなく、イエスの物語を正直に語っています。これは、教会の”長老たち”が初めの時から、”手から手”へ、次の世代へと伝えていく記憶の賜物です」。

 

*年配者の貴重な役割を尊重する

 そして講話の最後に、「信仰の歴史の物語は、『モーセの歌』、福音書や使徒言行録の証言で語られているもの。言い換えれば、強い感情を持って神の祝福を、誠実さを持って私たちの過ちを思い起こすことのできる物語なのです」とされ、信徒たちに、「過去の賜物を大事にし、神の王国の到来で神の約束が成就されることを待ち望んでいるのと同じように、年配者の貴重な役割を尊重するように」求められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年3月24日