◎連続講話・十戒⑭「人生は、”所有するため”ではなく、”愛するため”の時間」

(2018.11.7 バチカン放送)

 教皇フランシスコは7日、水曜恒例の一般謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、モーセ「十戒」の第7戒「盗んではならない」を考察された。

財貨の普遍的使用目的

 教皇は、「『盗んではならない』という言葉を聞く時、他人の所有物に対する窃盗などをテーマに思い浮かべるように、他人の財貨を不当に奪ったり、所有したりすることを合法とする文化は存在しません」としたうえで、「この言葉の意味をもっと広げ、キリスト教的な叡智に照らした、財貨の所有というテーマに焦点を当てたい」と前置きされた。

 そして、「財貨の普遍的使用目的」について述べている「カトリック教会のカテキズム」の教えを、次のように引用された。

 「初めに、神は地とその他の産物とを人類の共同の管理にゆだね、人類がそれに手を加え、労働によって支配し、その実りを得るように、はからわれました。創造されたものは全人類のためのものです。」(n. 2402)「たとえ共通善の促進という目的のために私有財産やその権利、ならびにその行使の尊重が求められているとしても、つねに第一に優先されなければならないのは、財貨の普遍的使用目的です」(参照:n. 2403)

貧富の格差の拡大

 教皇は 「世界はすべての人に必要不可欠な財を保証するための豊かな資源を備えているが、それにも関わらず、多くの人が驚くべき貧窮状態にあり、分別なく使用されたその資源の質は次第に低下しつつあります」と指摘、「世界はただ一つ、人類もただ一つ」であるにもかかわらず、「世界の富がごく一部の人々に集中し、多くの人々が貧困の苦しみの中にある現実」を見つめられた。

 そして「地上に飢餓があるのは、食料が不足しているからではなく、市場の要求により、しばしば食べ物が破棄されているからです。欠如しているのは、平等な分配を保証するための正しい生産方法と連帯ある計画を可能とする、自由で先見性ある企業精神です」と強調された。

所有とは一つの責任

 また教皇は、カテキズムの「人間は財の使用に際して、自分が正当に所有している物件を、自分のものとしてばかりでなく、共同のものとしても考えなければなりません。すなわち、物件は自分のためばかりでなく、他人のためにも役立つようにという意味においてです」(n. 2404)という教えを示しつつ、「あらゆる富が良いものであるためには、社会的側面を持たなければなりません」と語られた。

 こうした見方の中で、「盗んではならない」という戒めは、ポジティブな意味を帯びてくる、とし、「ある財貨を所有するということは、その所有者が神の摂理の管理者にされるということ」(「カトリック教会のカテキズム」n. 2404)と教えられた。「所有とは一つの責任」「神の摂理に反して盗んだ財は、欺かれた財です」と述べられ、「自分が真に所有するものは、自分が与えることができるもの」、「財の所有は、それを創造性をもって増やし、寛大さをもって利用することで、人は愛と自由の中に成長することができるのです」と訴えられた。

人を豊かにするのは財産ではなく、愛

 さらに、人間が「より多く所有すること」に奔走しているのに対し、十字架につけられたイエスは、すべての人の贖いのために、いつくしみ深い御父からの計り知れないほどの「身代金」を払ったと述べ、「私たちを豊かにするのは、財産ではなく、愛なのです」と 強調された。

 また、「盗んではならない」とは、「あなたの財、あなたの持っている手段を、愛するために用いなさい」という意味であり、「そうすることで、あなたの人生は良いものとなり、所有することは、真の恵みとなります。なぜなら、人生は所有するための時間ではなく、愛するための時間だからです」と説かれた。

(編集「カトリック・あい」)

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2018年11月8日