◎教皇連続講話「使徒的熱意について」⑱「福音は、”母語”を通して人々に伝えられる」

(2023.8.23 Vatican News  By Christopher Wells)

​   教皇フランシスコが23日の水曜恒例一般謁見で、6月下旬以来中断していた「使徒的熱意について」をテーマにした連続講話を再開された。今回はメキシコのグアダルーペの聖母*を取り上げ、「”母語(現地の言葉)”で信仰を伝えることの重要性」を強調された。

 

グアダルーペの聖母=カトリック教会が公認している聖母の出現の一つ。1531年12月9日、メキシコのグアダルーペに住むインディオ、フアン・ディエゴに聖母が現れ、聖母の大聖堂を建設する願いを司教に伝えるよう求めた。ディエゴは病気の親類の助けを求めに行く途中だったが、聖母は彼に、その親類の病が癒えたことを告げ、彼が家に戻った時、その親類は元気になっていた。彼は、聖母に大聖堂建設の意向を伝えるよう言われたことを、司教に伝えたが、信じてもらえなかった。聖母は、フアン・ディエゴに、それを証しするしるしとして、司教のところに花を持っていくよう言われる。彼は言われるままに、花をマントに包み、司教のところに行って、マントを広げると、花の代わりに聖母の姿が浮かび上がった。司教はそれを見て、信じ、聖母の願い通りに聖堂が建設された。フアン・ディエゴは、2002年、教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。

 

 聖母が、グアダルーペのフアン・ディエゴに現れた時、キリスト教はすでにアメリカ大陸に伝わっていたが、教皇は、「新大陸での福音宣教に、当初から問題がなかったわけではありませんでした。現地の文化に適応する形でキリスト教を定着させようとせず、先住民族への敬意を欠き、事前に計画したモデルを移植するという性急なアプローチがあまりにも頻繁に取られたのです」と指摘。

 だが、マリアがフアン・ディエゴに現れた時には、「先住民の服を着て、先住民の言語を話し、地元の文化を受け入れ、愛していました。彼女は母親であり、彼女のマントの下で、すべての子供たちは居場所を見つけます。マリアにおいて神は人となり、マリアを通して、イエスは人々の生活の中に受肉し続けておられます」と語れた教皇は、マリアが現地の人々の言葉で、神を告げ知らせたことを強調された。

 さらに教皇は「そうです。福音は母語(現地の言葉)を通して伝えられるのです」とされ、特に子供たちや孫たちに福音を伝えた母親たち、祖母たちを讃え、「信仰は命とともに受け継がれるもの… それが、母親が『最初の福音宣教者』である理由です」と説かれ、一般謁見に参加した人々に、母親たちに拍手を送るよう呼びかけられた。

 また、 福音を文化に取り入れ、文化を伝道するファン・ディエゴに目を向けられた教皇は、「彼は教会指導者の抵抗などの困難にもかかわらず、聖母が彼に与えられた使命を貫き通しました」とされ、「今も、非常に多くの場所で福音を現地の文化に取り入れる形で宣教するためには、対立を恐れず、気を落とさず、不断の努力と忍耐が求められています」と強調。「落胆してはなりません。マリアが私たちを慰め、成長を助けるためにそこにいてくださることを、私たちは知っています… 自分の子が、世界の課題に取り組むよう、駆り立てる母親のようにです」と説かれた。

 そして「 聖母は、ファン・ディエゴのマントに自身の並外れた生き生きとした姿を現す奇跡によって、彼が司教に伝えようとしたメッセージを確かなものとされました。 これは神の、予期せぬ驚きの業です。私たちに、意欲と従順があれば、神は時には、私たちが予見できないなさり方で、予期せぬことを成し遂げられるのです」と指摘。

 最後に教皇は、「今も、各地の聖母の巡礼聖堂で、巡礼先で、信仰を宣言する場所で、聖ファン・ディエゴの生涯を特徴づけた、聖母の言葉を進んで受け入れ、福音を伝えようとする姿を見ることができます。これらの場所では、信仰は素朴で誠実な、一般民衆に合った仕方で、受け入れられています」とされ、「私たちは慰めと慈悲のオアシスに行く必要があります。そこでは信仰が、その土地の言葉で表現され、私たちは聖母の腕の中で人生の労苦を捨て、心に平和を抱く生活に戻るのです」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2023年8月23日