◎連続講話「十戒」⑧安息日-「最悪の奴隷状態は、自我(エゴ)に縛られていること」

(2018.9.12 バチカン放送)

 教皇フランシスコは12日のバチカンでの一般謁見で、「十戒」中の安息日をめぐる掟の考察を続けられた。

 その中で教皇は、旧約聖書の「出エジプト記」に記された「十戒」は「『申命記』の中でもほとんど同じ形で繰り返されていますが、安息日を扱う3つ目の十戒の説明で、異なる部分があります」とされ、「出エジプト記」では、安息日とした理由を「天地創造を完成された主が七日目に休まれたこと」としているのに対し、「申命記」では、「イスラエルの人々がエジプトでの奴隷の状態から主の御腕によって導き出されたことを記念する日」とし、それゆえ、「この日には、奴隷も、主人と同じように休むことができるのです」と指摘された。

 奴隷は休むことができない状態にあるが、今の社会にも「外的、内的に、様々な形の奴隷の状態が存在します」と述べ、「迫害や拉致など、様々な形の外的な強制がある一方で、心理的な障碍や、コンプレックス、性格上の限界など、内的な自由がない状態があります」と話された。

 そして、「このように外的、内的な奴隷の状態に置かれた人間は、自由でいることができるでしょうか」と問いつつ、聖マキシミリアノ・コルベ神父(1894-1941)や、グェン・ヴァン・トゥアン枢機卿(1928-2002)のように、迫害の闇を光の場所へと変えた人々や、内的な弱さに苦しみながらも、神のいつくしみの中に安らぐことのできる人々の存在を思い起こされた。

 そして、「牢に入れられるよりも、心理的な脅迫観念よりも、人を大きく束縛するのは、自我(エゴ)の束縛です」とし、「愛することができない人は、安らぎを知ることもありません」と強調された。

「十戒」の安息日に関する3つ目の掟は「私たちが休日を守る中で、罪からの解放を祝うように、と招いています」と述べた教皇は、「主イエスは、私たちを罪の内的な隷属から解き放ち、愛することができる人間へと変えてくださいます。真の愛こそ、真の自由なのです」と説かれた。

 (「カトリック・あい」が編集しました)

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2018年9月13日