(2,019.1.9 バチカン放送)
教皇フランシスコは9日、バチカンで水曜恒例の一般謁見を行われ、「主の祈り」をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)で、キリストのが教える祈りの態度を考察された。
ルカ福音書の中で、イエスは「私たちにも祈りを教えてください」(11章2節)と願う弟子たちに、ご自分の祈り、すなわち「主の祈り」を教えられた。教皇は「イエスが教えられたように、キリスト者の祈りは、神に向かい『父よ』と呼びかけるもの」と語られた。
イエスは、弟子たちに「主の祈り」を教えた後、父である神に信頼して祈ることの大切さを、二つの例をもって説明されている。一つ目の「皆が寝ている真夜中に家を訪れ、パンを貸してくれと頼む友達のたとえ話」で、イエスは「その人は、友達だからということでは起きて何かを与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう」(11章8節)と言われた。また次の例として、イエスは「あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか」(11章11節)とも言われている。
教皇は「イエスのこれらの言葉は、神はどのような祈りもなおざりにされず、いつも祈りに答えてくださることを教えています。父である神は苦しむご自分の子らを忘れることはないからです」とされ、「私たちの祈りが聞き入れられないと思うことが多くあっても、イエスは私たちに、決してあきらめることなく、粘り強く祈るようにと勧めておられます… たとえ、私たちの周りの状況が変わらなくても、せめて私たちの心を変えることができる。イエスは、祈るすべての人に、聖霊の賜物を約束してくださったのです」と強調された。
また、「神は必ず答えてくださる」という確信を持つよう促し、「たとえ、一生、忍耐強く願うことになっても、神は答えてくださいます。皆が心に持つ幸福への願いはかなえられるに違いありません」と話され、「神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか」(18章7節)というイエスの言葉を示された。
さらに教皇は「祈ることは、今から孤独と絶望に打ち勝つことです」とし、「すべての道の終点には、両腕を広げ皆を待つ、御父がおられるのです」と皆を勇気づけられた。
(編集「カトリック・あい」)