・「自分が洗礼を受けた日のことを思い出して」-主の洗礼の祝日に

(2019.1.13 VaticanNews Devin Watkins)

 教皇フランシスコは13日の「主の洗礼」の祝日、正午の祈りに先立つ講話で、私たち一人ひとりに自分たちが洗礼を受けた日のことを思い出すよう強く促すとともに、イエスご自身のヨルダン川での洗礼における”二重の浸礼”を観想された。.

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 聖ペトロ広場に集まった一人ひとりに、教皇はまず、一見して簡単にみえる質問をされた。「あなた方のうちで、どなたが、自分が聖霊を受けた日を知っていますか?」。そして、知らない人たちに、両親、祖父母、あるいは代父母から教えてもらい、毎年、その日を祝うように促された。

 これは、教会がこの日に「主の洗礼」を祝うのに合わせられたものだ。そして、教皇は、この日のミサの朗読箇所を取り上げて、「イエスはご自分の洗礼で、”二重の浸礼”をなさったのです」と述べた。

 まず教皇は、第一に、「イエスは群衆の中に浸された」として「イエスは、ご自身を彼らと結び付けられ、人間としての属性を完全に引き受けられ、罪以外のすべてを、彼らと分かち合ったのです」とされた。

 さらに「イエスのヨルダン川での洗礼は”公現”でもあります。なぜなら、洗礼は『罪を悔いている人々のただ中』で行われ、そこで、イエスはご自分の使命の論理と意図をお示しになったからです」とし、「イエスは、人々と『内的な刷新へ深遠な熱望』を分かち合ったのです」と説かれた。

 ヨルダン川の水に浸された後、「イエスは、祈りに浸され、御父と霊的交わりをされました」と教皇は説明。イエスは、この洗礼をもって人に対する神を愛を証しする使命を果たし始められたが、「そのような使命は、御父と聖霊と常に完全に一致することを通して、達成されます」。そして、「祈りと福音宣教、そしてキリスト教徒として明確に証しする使徒的な業の中で、いつも新たにされるのです」と強調された。

 最後に教皇は、「主の洗礼は、私たち自身の洗礼の約束を更新し、その約束を守って日々を生きることを再確認する機会となります」と語られ、このように祈られた。「私たち自身のいかなる功績を通してではなく、御父の偉大な徳をお示しになるために、私たちをお救いになるイエス。私たちが、すべての人に慈しみ深さをもって接するようにしてください」。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

【関連】「夫婦の愛情に平和を感じ取りながら成長するように」ー教皇、乳児の洗礼式で

(2019.1.13 バチカン放送)

 教皇フランシスコは13日の、バチカンのシスティーナ礼拝堂で毎年、「主の洗礼」の日に行われる伝統の儀式、乳児の洗礼式をとり行われた。

 今年受洗したのは、12人の男児と15人の女児の合わせて27人。式は、ミケランジェロをはじめルネッサンスの巨匠たちの作品に覆われたシスティーナ礼拝堂の中で、眠ったり泣いたりと自然な仕草の赤ちゃんたちと、それを見守る教皇、両親、代父・代母たちによって、温かい雰囲気の中で行われた。

 式中の説教で、教皇は「家庭内で信仰を子どもたちに伝えることの重要性」を強調され、「やがて子どもたちはカテキズムを勉強し、信仰についてより良く学ぶことになりますが、それ以前に、子どもたちが家や生活の中で信仰を伝えられることが必要です。その役割は皆さんにあります」と両親たちに諭された。

 また、「子どもたちが両親の中に夫婦間の愛情を見、そこに平和を感じ取りながら成長することが大切です」とされ、「夫と妻が時に喧嘩をするのは普通のことですが、それを子どもたちに見せたり聞かせたりして、不安や苦痛を与えることは、決してあってはなりません」と忠告された。

 この後、教皇は一人ひとりの赤ちゃんの名を呼びながら、洗礼盤の上でその頭に水を注ぎ、洗礼の秘跡を授けられた。

(編集「カトリック・あい」)

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2019年1月14日