◎教皇連続講話「聖ヨセフについて」⑦「労働は私たちの霊的成長に欠かせない」

General Audience in the Paul VI HallGeneral Audience in the Paul VI Hall  (Vatican Media)

(2022.1.12  Vatican News staff writer)

  教皇フランシスコは12日の水曜恒例の一般謁見で、「聖ヨセフについて」の講話を続けられ、「私たちの人間としての成長と霊的な成長に欠かすことのできない労働について、聖ヨセフの生き方を通して考察された。

 講話の中で、教皇はまず、マタイとマルコはそれぞれの福音書で、ヨセフを「大工」あるいは「指物師」と呼んでいることに注目された。

 二つの福音書では、ナザレの人々は、イエスが話しておられるのを聞いて、「この人は大工の息子ではないか」(マタイ福音書13章55節、マルコ福音書6章3節参照)などと言い合った、と書かれている。

 教皇は「ヨセフの仕事を表現するために、(日本語などで『大工』と訳されている箇所は)福音書の原文ではギリシャ語の『 tekton』と言う言葉が使われていますが、これはいろいろな言葉に翻訳されています」と指摘。

 ラテン語では教父たちが『大工』と訳したが、「イエスの時代のパレスチナでは、木材は鋤やさまざまな家具を作るためだけでなく、木製の枠と屋根を持つ家を建てるためにも使われていた」とされ、ヨセフとイエスは、単なる今でいう「木工職人」ではなく、家を建てるのに関連した仕事全般を担当していたと考えられる、とされた。

 「木材だけでなく、製材、鉄などの重い資材を扱うは大変な作業でしたが、収入は決して多くなかった。そのことは、マリアとヨセフが神殿でイエスを主に捧げた時、「山鳩一つがいか若い家鳩2羽しか、いけにえとして捧げることができなかった(ルカ福音書2章24節参照)ことからも推測できます」と語られた。

 そして、「このような聖ヨセフの仕事から思い起こされるのは、現代の労働者たち、特に鉱山や特定の工場で過酷な労働をしている人たち、搾取されている人たちや強制的に働かされている子供たち、そしてごみの中から何か利用で来るものを探している人たち。さらには、仕事を続けられなくなり、苦しみの中にある人たち、悲惨な状態に置かれている家族、です」と強調。

 「新型コロナの世界的大感染で、多くの人たちが職を失いました。そして、耐え難い重荷に押しつぶされて、自分の命を投げ出す人もいます。今日、そうした人たちとその家族一人一人を思い起こしましょう」と、一般謁見の参加者たちに呼びかけられた。

 教皇はまた、労働は人間生活と「神聖に至る道」の不可欠な構成要素である、指摘され、「労働は、生計を立てる手段であるだけでなく、私たちが自分自身を表現し、有用であると感じ、具体性のある素晴らしい教訓を学ぶ場所でもある。霊的生活が”心霊主義”に陥るのを防ぐ助けとなります」と説かれた。

 さらに教皇は、「悲しく思うのは、労働が、人間の尊厳に敬意を払い、生活を保証するために守られるのではなく、社会的不正義に関連する問題に捕らわれることが多いという事実です」とされ、「どのような心を持って日々の労働に携わっているか、私たちの労働が他の人や自分の運命とどのように関わっているのか、について自問しましょう。それは、イエスがどのように働かれ、聖ヨセフから仕事を学ばれたかを知るためにも、良いことです」と語られ、1969年5月1日に聖パウロ6世が聖ヨセフに捧げた次の祈りを、すべての信徒に勧められた。

 聖ヨセフよ、
教会の守護の聖人!
あなたは肉となられた言(ことば)と共に 自分たちのパンを得るために 日々働かれた
生き、働くための力を主からいただいて あなたは、明日への不安、貧しさの苦しみ、仕事を得る確証が得られない悩みを経験された あなたは、人々の目には、立派な模範、謙虚に見えるが
神の目には最高に喜ばしいものに映るー
苛酷な日々の暮らしの中にある労働者たちを守り 落胆と反抗、そして誘惑の耽溺に落ち込むのを防き この世で平和を保つことが 平和だけが人々の発展を確実にすることができるのです

アーメン。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年1月12日