教皇フランシスコ、5月16日、バチカンでの一般謁見
(2018.5.16 バチカン放送)
教皇フランシスコが16日、バチカンで水曜恒例の一般謁見を行われ、謁見中のカテケーシスで、教皇は「洗礼の秘跡」をめぐる考察の最終回として、洗礼の儀式の後半に受洗者に渡される白衣とろうそくの火について解説された。
この儀式では、「滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、神にかたどって造られた新しい人(エフェソの信徒への手紙4章24節参照)に生まれ」させる水による「洗礼」を受けた、受洗者は白衣を身にまとう。
この白衣の意味について、教皇は、「衣の純白は、キリストにおいて、聖霊を通して得た命の輝きに似ている」としたうえで、「白衣は洗礼の秘跡の中で起こったことを象徴するとともに、神の栄光において変容された者たちの状態をも告げているのです」と説明された。
そして「キリストを身にまとう」ことについて、洗礼を受けた者たちに「憐みの心や、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」(コロサイの信徒への手紙3章12-14節)と説く使徒パウロの言葉を引用された。
洗礼を受けた後、受洗者は復活のろうそくからともされた、ろうそくの火を受け取るが、この意味について教皇は「『キリストの光を受けなさい』という司祭の言葉は、光とは私たち自身ではなく、イエス・キリストであることを思い出させるもの」と語られ、さらに「私たちは、『死から復活し、闇と死に勝利したキリストの輝きを受け取るように』と招かれています。それゆえ、初代教会の頃から、洗礼は『照らし』とも呼ばれているのです」と述べられた。
教皇はまた、「信仰を固く保ち、常に『光の子』として歩む(ヨハネ福音書12章36節)ことは、キリスト者の召命」とされ、「キリストの生きた現存は、私たちの歩みを照らす明かり、私たちの選択を導く光。ともに旅する人々を助けながら、主との完全な交わりを目指して、主との出会いへと向かう私たちの心を暖める炎です」と語られた。
洗礼式は、神の子らの共同体の祈りである「主の祈り」によって締めくくられる。教皇は洗礼の秘跡をテーマにした考察を終えるにあたって、「洗礼の恵みがそれぞれの聖性の歩みにおいて多くの実をもたらすように」と願われた。
(バチカン放送日本語版をもとに「カトリック・あい」が編集)