◎教皇連続講話「悪徳と美徳」⑭ 「正義は私たちを神に導き、社会の平和共存の基礎」

Pope Francis at Wednesday General Audience (3 April 2024)Pope Francis at Wednesday General Audience (3 April 2024)  (AFP or licensors)

(2024.4.3 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 教皇フランシスコは3日、水曜日の一般謁見で「悪徳と美徳」をテーマとする連続講話を続けられ、今回は四つの基本的徳目のうち二つ目の「正義」を取り上げ、「正義は私たちを神に導くもの、社会の平和的共存の基礎をなすもの」と語られた。

  教皇は「悪徳と美徳」の連続講話を、まず「悪徳」から始められ、最近は「美徳」にテーマを移されているが、今回は「正義」についてまず、「カトリック教会のカテキズム」では「神と隣人とに帰すべきものを帰す、という一貫した堅固な意志によって成り立つ倫理徳」(1807項)と述べられている、と指摘。

 「この美徳は個人が実践すべきものであるだけでなく、何よりも社会的な美徳… なぜなら、この美徳は、各人がその生来の尊厳に従って扱われる共同体の創造に向けられているからです」と述べられた。

   そして、「正義は社会の平和的共存の基礎」であることを再確認され、「人の権利を尊重する法律のない世界は、人が生きていけない世界、”ジャングル”に似たものになる… 正義がなければ平和はなく、正義が尊重されないところには紛争が生じます。正義がなければ、強者が弱者に優る、という法則が根強く残ることになります」と現代の世界的な風潮を警告された。

 また教皇は、正義は「大規模でも小規模でも適用できる美徳」とされ、「法廷だけでなく、私たちの日常生活を特徴づける倫理。他者との誠実な関係を築くもの… 正義の人は、真っすぐ、純朴で、率直で、”マスク”を着けません。ありのままの自分を表に出し、真実を語ります」、さらに「感謝の態度を持ち、自分たちは、最初に神に愛されただけで価値のない人間であることを認識し、『負い目を感じる』ことで、隣人に愛を示す人です」と説かれた。

 さらに、正義の人のその他の特徴について、「法律が権力者の圧制から無防備な人々を守る防護壁であることを理解しつつ、法律を尊重する人」「自分の幸福だけを考えるのではなく、社会全体としての人々の利益を望む人」、そして、「いかに正当なものであっても、『まるでそれが世界に存在する唯一のものであるかのように自分のことだけを考える誘惑』に負けない人」を挙げられた。 

   そして、「正義の美徳」を持つ人は、「全ての人の利益がなければ、自分自身にとって真の利益はあり得ない」ということを明確にし、その必要性を心に留める、と指摘。「皆、自分が他人に害を及ぼさないように行動を見守っている」ことを認識しており、「間違いを犯した場合、謝罪し、場合によっては、個人的な利益を犠牲にすることさえする」とし、「責任を重んじ、合法性を促進する模範的な人」と語られた。

 教皇は正義を「汚職に対する解毒剤」と呼び、汚職や違法行為を防ぐために「人々、特に若者に、合法性の文化を教育することが、極めて重要」と強調され、さらに、「正義の人は、中傷、偽証、詐欺、高利貸、嘲笑、不正などの有害な行為を避け、約束を守る」と指摘された。

 最後に教皇は、自分自身と自分たちの住む世界の両方に恵みと祝福をもたらす人々を称賛し、「『狡猾で洞察力のある』人々に負けてはいない」とされ、聖書にあるように、「義に飢え渇く人々は、幸い」(マタイ福音書5章6節)。「『正義』を追い求める男性と女性がこれまで以上に必要とされています… 『正義』であることが、私たちを幸せにするのです」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2024年4月3日