◎教皇連続講話「祈りについて」㉚「私たちの祈り、生活、信仰が、キリストの命の炎を燃やし続ける」

(2021.6.9 Vatican News Christopher Wells)

 教皇フランシスコは9日の一般謁見で、「祈りについて」の講話をお続けになり、絶えることのない祈り、信仰、そして日々の生活の関係について語られた。

 昨年5月に始められた「祈りについて」の連続講話は来週が最終回となるが、そのひとつ前のこの日の講話で、教皇はまず、「祈りにおける根気強さ」、聖パウロがテサロニケの信徒への手紙(1・5章17‐19節)に書いた「絶えず祈りなさい」の意味について考察された。

 教皇は、聖パウロのこの勧めは、19 世紀の作者不明の著作「The Way of the Pilgrim」に登場するロシアの巡礼者の旅からインスピレーションを得たもので、その巡礼者がイエスの祈りを「少しづつ、呼吸のリズムに合わせて、一日を通してすること」を学んだことを想起された。

*祈りは、私たちの心の中に燃える聖なる火

 続いて教皇は、「カトリック教会のカテキズム」に書かれた霊性の歴史のいくつかの箇所に目を向けられ、「祈りは、古代の寺院で燃やし続けられていた聖なる火のように、消してはならないキリスト教徒の生活における熱意を保ちます。私たちの中にも聖なる火があるに違いなく、それは絶え間なく燃え続け、何事も消すことはできない」と指摘。

 そして、聖ヨハネ・クリソストム(コンスタンティノープルの偉大な伝道者で、司教である教父)の生涯を振り返り、「祈りは、私たちのすべての行動の一部になり得ることを示し、私たちの日々の生活の義務を行なうことを妨げたり、それと矛盾したりすることはなく、日々の生活に意味と平和を与えます」とされた。

*仕事と祈りの内なるバランス

 教皇はまた、「絶え間なく祈ることは、決して容易ではありません」としたうえで、「日々の生活の義務を果たすことに追われ、神のことを考えるのが難しいと感じたとき、私たちは、神が創造のあらゆる面を気にかけておられる中で、私たち一人一人についても覚えていてくださる、思い起こす必要があります。 ですから、私たちもいつも神をを覚えていなければなりません」と説かれた。

 さらに、修道僧の例を挙げ、仕事と祈りの間の「内面のバランス」が重要であることを強調され、「抽象的すぎる祈りは現実とのつながりを失ってしまいますが、仕事は私たちを地に足のついたままにしてしまいます。だが、修道僧の手は、肉体労働から抜け出ています」と語られた。

 一方で、祈りは仕事を補完するものであり、私たちが行うすべての「呼吸」であり、「仕事への生きた背景」。「仕事に没頭し、もはや祈りの時間が取れない、というのは、非人道的です」と述べられた。

*炎を生かし続ける

 最後に、教皇は、イエスの変容の出来事を想起され、「イエスは、恍惚、熟考の時を長くお続けになることをせず、弟子たちと共に日々の旅を再開されました。しかし、タボール山での経験は、『信仰の光と力』として弟子たちの心に残ったのです」と語られ、「信仰、生活、祈りのつながりの中で、人は、神が私たち一人一人に期待されるキリスト教徒の命の炎を灯し続けるのです」と説かれた。

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年6月9日