☩「コロナ禍でも光を求める努力を」ー聖家族の祝日に教皇が「夫婦たちへの手紙」

新郎新婦を励ます教皇フランシスコ新郎新婦を励まされる教皇フランシスコ  (Vatican Media)

 「聖家族」の祝日を記念した12月26日、教皇フランシスコは「夫婦たちへの手紙」を発表された。

 書簡は、現在行われている「愛の喜びの家族年」を機会に記されたもの。「愛のよろこびの家族年」は、教皇フランシスコの使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」発表5周年にあたり、勧告についての考察を深めることを目的に、今年3月19日の聖ヨセフの祝日から始まり、2022年6月26日開催予定の「第10回世界家庭大会」まで行われている。

 教皇は手紙を通し、世界中の夫婦たちにご自身の寄り添いと愛情を伝えると同時に、特にパンデミックの困難な状況を生きるすべての家族に励ましをおくられた。

 創世記で、アブラムが主から受けた召命に応え、「生まれ故郷、父の家を離れて」主ご自身が示される地に旅立った(12章1節参照)ように、「すべての夫婦は、結婚の愛への召し出しに応え、相手のために尽くすことを決意した時から、自分の環境を離れて旅立つことになります」と教皇は記された。

 さらに、教皇は「結婚の道を共に歩むことはすでに婚約時代から始まり、結婚後は、子の誕生、仕事、病気など様々な出来事に共に立ち向かうことになりますが、神が約束されるその地とは、キリストにおいて夫婦であること、二人で一つであること、イエスと共にある、愛の一致において、一つの『私たち』となること、です」と強調。

 子どもたちについて、「子たちはあなた方を注意深く見つめ、あなた方の中に堅固で信頼できる愛の証を探しています…若者たちにとって、夫婦愛の中に生きたキリストの愛を自分の目で見ること、夫婦の日常生活の中に『永遠の愛は可能だ』という証しを見ることはいかに大切なことでしょう」と述べられた。

 そして、「確かに子育ては決して容易なことではありませんが、『子もまた、親を教育するのだ』ということを忘れてはなりません」と指摘。「最初の教育の場は常に家庭であり、そこでは言葉よりも小さな態度が、より多くを伝えるのです」とされた。

 教育とは、「何よりも子の成長の過程に寄り添うこと。子らは親への信頼の中に安心を求めています。家庭生活の素晴らしさ、『何が起きても自分は決して一人ではない』という確信が、子どもたちを助けます」と説かれた。

 また教皇は、教会における信徒のミッションの重要性に触れつつ、「夫婦たちが小教区や教区の中で司教・司祭らと協力して家庭司牧に積極的に参加し、『家庭教会』を守ることに貢献すること」を願われた。

 結婚への召命については、「時には『荒れた海に揺れる舟への招き』のように思われるが、婚姻の秘跡を介して、イエスは常にこの舟に一緒に乗っておられ、あらゆる時に、船が波に翻弄されている時にも、あなた方と共に船に残り、皆さんのためを思っておられます」と励まされた。

 また教皇は、新型コロナ大感染の影響を強く受けている家族たちの困難に思いを向け、特に、「共ににいる時間が増えたことは、家族の対話を育む一方で、多くの忍耐を養う機会ともなるでしょう。家族が共にいることが、苦行ではなく、嵐の中の避難所のようであって欲しい」と希望され、「…してもいいですか」「ありがとう」「ごめんなさい」の三つの言葉を忘れず、喧嘩があってもその日のうちに和解するように、夫婦たちに助言された。

 さらに、夫婦の関係が破綻し、どうしてもその危機を克服できなかった人々にも心を寄せられ、「夫婦関係の破綻は多くの傷をもたらし、子どもたちもその苦痛を免れられない。こうした場合、対立を何らかの形で克服し、自分たちと子らがこれ以上の苦しまないために、助けを求め続けることが大切です」と語られた。

 「主イエスは、その限りない慈しみをもって、夫婦たちに困難を超えて前進するための心の励ましを与えてくださいます」とされた教皇は、「イエスの中に身を寄せる場所、歩み続けるための光を祈り求めることをやめないよう励ますとともに、すべての傷を癒やすのは『赦し』であることを忘れないように」と忠告された。

 また教皇は、結婚を準備している若者たちが、以前から、仕事を見つけることが難しく、未来を計画できない状態に置かれていたことに加え、今日、新型コロナの影響で、さらに困難な状況に立たされていることに理解を示され、婚約者たちに対し、「諦めることなく、聖ヨセフの『創造的な勇気』に学ぶよう、また、結婚や家庭生活の経験豊かな人々や、教会共同体に、助けを求めることをためらわないように」と励まされた。

 最後に教皇は、新型コロナの影響で孤立した生活を強いられている祖父母たち、特に孤独な高齢者たちに、特別な挨拶をおくられ、「家庭は祖父母なしで存在することはできません。人類の生きた記憶であるお年寄りたちこそ、より人間的で受容的な世界の構築を助ける存在なのです」と強調された。

 そして、「聖ヨセフがすべての家族に創造的な勇気を与え、聖母が夫婦生活を通して今日の対立する世界に出会いの文化を生み出すことを助けるように」と願われ、「いかなる困難も主と共に歩む者たちの喜びを奪うことはできません… 司牧者や他の家族たちは、皆さんの存在、皆さんの主から来る喜びを必要としています」と訴えられた。

(編集「カトリック・あい」)

2021年12月28日

☩「家族を養い、守ることを日々、学ぼう」教皇、聖家族の日の正午の祈り

(2021.12.26  Vatican News staff writer)

 教皇フランシスコは26日、「聖家族の祝日」正午の祈りの前に説教をされ、「私たちの家族のルーツを思い起こし、日々、私たちが家族になる方法を学ぶことを理解するように」と信徒たちに勧められ、「ナザレの聖家族が、私たちのそれぞれの家族を養い、保護する模範を、どのようにして示しているか」に注目された。

 説教で教皇はまず、神が、私たちの真ん中に来るために、どのようにして謙遜で素朴な家族を選んだのか、について注意を向け、私たち自身の家族に関わる現実がもつ二つの側面を提示された。

*私たちの家族のルーツ

 一つの側面は、「私たち自身の命の始まりであり、ルーツのもとになっている家族の物語がどのようなものなのか、に関するもの」とされたうえで、今日のミサで読まれた福音が、どのようにしてが家族の物語の息子でもあることを、私たちに思い起こさせるのか、を説明されたーイエス、マリア、ヨセフは、過越の祭のためにエルサレムに出掛け、祭りが終わってナザレに戻る際に、イエスを見失い、3日間、懸命に探した末に、ようやく見つけることができたエピソードが語られている。

 教皇はこのエピソードを、「イエスが、両親の愛のある世話を受けて生まれ、成長するという「家族の愛情」に囲まれて暮らした、具体的な現実の感動的な見本」とされた。そして、私たちが今、いかなる人物になっているかは、どれだけ多く持っているか、あるいは家族が問題を抱えていたかどうか、ではなく、主として、「私たちが受けた愛」による、と指摘。

 「いずれにしても、私たちは、自分たちの物語を認識する必要があります。それを拒めば、人生は干上がってしまうでしょう。神は、私たちについて考え、私たちと共にいることを望まれます。そして、私たちは、自分たちの家族のために祈るべきであり、そうすることで、私たちは、感謝し、一致し、自分たちのルーツを保持することができるのです」と説かれた。

 

2021年12月26日

☩「 主はイエス生誕を通して、私たちを対話、一致、平和に招いている」教皇、「ウルビ・エト・オルビ」とメッセージ

(2021.12.25 Vatican News staff writer)

  教皇フランシスコは、2020年12月25日、クリスマス恒例の「クリスマス・メッセ―ジ」と教皇祝福「ウルビ・エト・オルビ」とメッセージを各種メディアを通して、ローマと全世界に向けておくられた。

 バチカンのサンピエトロ広場で25日正午に行われた「ウルビ・エト・オルビ」に先立つクリスマス・メッセージの中で、教皇はこの日を迎えた喜びを表され、「様々な困難を抱えた世界の中で何よりも必要とされているものを、私たちが信頼と希望の中で知り、追い続けられるように、神がイエスのご生誕を通して、私たちに出会いと対話の道を示しておられます」と語られた。

 

(2021.12.25 バチカン放送)

 教皇フランシスコの2021年度降誕祭メッセージは以下のとおり。

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 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、主のご降誕のお慶びを申し上げます。

  世界を創造し、歴史と人類の歩みに意味を与える神の御言葉は、肉となり、私たちの間に住むためにこの世に来られました。小さなささやき、軽い息吹のように現れたその訪れは、神秘に開くすべての人の心を驚きで満たすのです。

 神の御言葉は、私たちと対話するために人となられました。神は一方的に話すことなく、対話を望まれます。なぜなら、父と子と聖霊である、神ご自身が対話であり、愛と生命の永遠で尽きることのない交わりだからです。

 生きた御言葉となって世に来られた神は、私たちに出会いと対話の道を示されました。いや、むしろ、私たちがこの道を知り、信頼と希望のうちに歩むことができるようにと、神ご自身がこの「道」となられました。

 姉妹の皆さん、兄弟の皆さん、「家庭や共同体をまとめている多くの寛大な人々の忍耐強い対話がなければ、この世界はどうなるでしょうか」(回勅Fratelli tutti(兄弟の皆さん)198項)。この新型コロナの世界的大感染この時、私たちはその大切さをいっそう理解します。

 私たちの社会的関係は大きな試練に直面しています。自我に閉じこもり、自分だけで行動し、外に出かけて人と出会い、共に何かをすることも諦めています。国際的なレベルでも、対話を望まず、複雑な危機において、長い対話の道よりも、場当たり的な対応を選ぶリスクがあります。しかし、実際には、このような忍耐ある対話を通してのみ、紛争を解決し、有益な成果を長く分かち合うことができるのです。

 実際、私たちのまわりに、そして全世界に、真の平和の源である救い主の誕生が告げられる中、いまだ多くの紛争や、危機、矛盾が見られます。それらはもはや、終わりがないように思われ、私たちはもうほとんど気にも止めないかも知れません。

 私たちは沈黙のうちに過ぎていく多くの悲劇の中に埋もれ、これほどにもそれに慣れてしまったのです。多くの兄弟姉妹たちの苦しみと絶望の叫びでさえも、もはや、私たちの心の耳には届かないかもしれないのです。

 シリアの人々に思いを向けましょう。十年以上にわたって内戦が続くシリアでは、多くの犠牲者と数えきれない難民を出してきました。イラクにも目を向けましょう。そこでは長い紛争を経て、いまだ復興に苦労しています。イエメンから上がる子どもたちの叫びを聴きましょう。イエメンでは、皆から忘れられた悲劇が何年も沈黙のうちに進行し、毎日多くの死者を出しています。

 イスラエルとパレスチナ間の長引く緊張を思い出しましょう。解決のないままに続くこの状況は、社会・政治にますます多くの影響を及ぼしています。ベツレヘムを忘れてはなりません。イエスがお生まれになったその地では、コロナ大感染から来る経済危機に苦しんでいます。コロナ大感染が中東への巡礼を妨げ、地元住民の生活にマイナスの影響を与えています。レバノンを思いましょう。同国では、これまでにない危機に覆われ、その経済・社会の状況は大変懸念されるものです。

 しかし、この真夜中に、希望のしるしが与えられました。今日、ダンテが言う「太陽と他の星たちを動かす愛」(「神曲・天国篇」145)が、人となられました。人となって世に来られ、私たちと生活の出来事を分かち合い、私たちの無関心の壁を打ち破ります。寒い夜に、その小さな腕を私たちの方へと伸ばし、すべてを必要としながら、私たちにすべてを与えられます。神の御子に、対話に自らを開く力を願いましょう。この降誕祭の日々、すべての人の心に和解と兄弟愛への熱い思いがわき上がるよう、幼子イエスに祈りましょう。

 幼子イエスよ、中東と全世界に平和と調和をお与えください。祖国から逃げざるを得なかった人たちへの人道支援に取り組む人たちを支えてください。アフガニスタンの人々を慰めてください。アフガニスタンでは、40年以上も続いた紛争のために、多くの人々が祖国を後にしなければなりませんでした。

 人々の王よ、緊張と対立に疲弊した社会に平和をもたらすために、政治家たちを助けてください。ミャンマーの人々を支えてください。そこでは不寛容と暴力がしばしばキリスト教共同体や信仰の場をも攻撃し、国民の平和な顔を曇らせています。

 幼子イエスよ、逆境に負けず、出会いと対話を信じそのために働く人たちの光と支えとなってください。そして、ウクライナに紛争が広がらないようとどめてください。

 平和の君よ、エチオピアが、国民の必要を第一にし、誠実な対応を通して、和解と平和の道を見つけることができるよう、見守ってください。国際的なテロリズムの暴力を受けているサヘル地域の人々の叫びを聞いてください。社会の分裂や、失業、経済的不平等に苦しむ北アフリカ諸国の人々に眼差しを向けてください。スーダンや南スーダンの内戦に傷つく多くの兄弟姉妹の苦しみをいやしてください。

 アメリカ大陸の人々の心に、対話と相互尊重、すべての人の権利と文化価値を認めることを通して、連帯と和解と平和的共存の精神が勝るように、助けてください。

 神の御子よ、コロナ大感染の中で横行する、女性への暴力の犠牲者たちを慰めてください。いじめや搾取の対象とされた子どもたちや青少年に希望を与えてください。お年寄りたち、中でも孤独な高齢者に、慰めと愛情をお与えください。教育にとって最も重要な場であると同時に社会の基礎である家庭に、平安と一致をもたらしてください。

 私たちと共におられる神よ、病者に健康を与え、すべての善意の人々に、この医療危機とその影響を克服するためにふさわしい解決法を見出させてください。最も貧しい人々に必要な治療と、特にワクチンが行き渡るよう皆の心を寛大なものにしてください。家族や、病者、最も弱い立場の人々の世話に献身する人々に報いてください。

 ベツレヘムの幼子よ、最近の紛争による多くの戦争捕虜、市民や兵士たち、政治的理由で拘束されている人々が早く帰宅できるようお助けください。私たちが移民や難民の悲劇に無関心でいないようにしてください。彼らの眼差しは、私たちが見て見ないふりをしないよう、同じ人間である者たちを拒まないよう、彼らの身の上に関心を持ち、その悲劇を忘れないようにと懇願しています。

 人となられた永遠の御言葉よ、私たちが共通の家である地球を大切にできるよう助けてください。地球もまた、しばしば私たちの無関心な扱いによって苦しんでいます。次世代が生命を尊重した環境で生きることができるよう、効果的な合意への到達のために政治家たちを励ましてください。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 私たちの時代には多くの問題がありますが、希望はそれよりも強いものです。なぜなら「一人のみどりごが私たちのために生まれた」(イザヤ書9章5節)からです。この方は神の御言葉です。神なる幼子は、泣き声をあげることしかできない、すべてを必要とする存在です。

 幼子イエスは、すべての子どもたちと同じように、話すことを学ぼうとされました。それは、私たちが、御父である神に耳を傾け、兄弟姉妹と対話することを学ぶよう望まれたからです。私たちのためにお生まれになったキリストよ、私たちに、あなたと共に平和の道を歩むことを教えてください。

 すべての皆さまに、主のご降誕のお喜びを申し上げます。

 (編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)

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 バチカン広報発表の公式英語訳全文は以下の通り。

 

“URBI ET ORBI” MESSAGE OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS CHRISTMAS 2021  Saturday, 25 December 2021

Dear brothers and sisters, Happy Christmas!

The Word of God, who created the world and who gives meaning to history and to humanity’s journey, became flesh and came to dwell among us. He came like a whisper, like the murmur of a gentle breeze, to fill with wonder the heart of every man and woman who is open to this mystery.

The Word became flesh in order to dialogue with us. God does not desire to carry on a monologue, but a dialogue. For God himself, Father, Son and Holy Spirit, is dialogue, an eternal and infinite communion of love and life.

By the coming of Jesus, the Person of the Word made flesh, into our world, God showed us the way of encounter and dialogue. Indeed, he made that way incarnate in himself, so that we might know it and follow it, in trust and hope.

Sisters and brothers, “what would our world be like without the patient dialogue of the many generous persons who keep families and communities together?” (Fratelli Tutti, 198). In this time of pandemic, we have come to realize this more and more. Our capacity for social relationships is sorely tried; there is a growing tendency to withdraw, to do it all by ourselves, to stop making an effort to encounter others and do things together. On the international level too, there is the risk of avoiding dialogue, the risk that this complex crisis will lead to taking shortcuts rather than setting out on the longer paths of dialogue. Yet only those paths can lead to the resolution of conflicts and to lasting benefits for all.

Indeed, even as the message of the birth of the Saviour, the source of true peace, resounds in our hearts and in the whole world, we continue to witness a great number of conflicts, crises and disagreements. These never seem to end; by now we hardly even notice them. We have become so used to them that immense tragedies are now being passed over in silence; we risk not hearing the cry of pain and distress of so many of our brothers and sisters.

Let us think of the people of Syria, who for more than a decade have experienced a war that has resulted in many victims and an untold number of displaced persons. Let us look to Iraq, which still struggles to recover from a lengthy conflict. Let us listen to the cry of children arising from Yemen, where an enormous tragedy, overlooked by everyone, has silently gone on for years, causing deaths every day.

Let us recall, too, the continuing tensions between Israelis and Palestinians that drag on without a resolution, with ever more serious social and political consequences. Nor should we forget Bethlehem, the place of Jesus’ birth, which is experiencing hardship also from the economic repercussions of the pandemic, preventing pilgrims from visiting the Holy Land and adversely affecting the life of the people. Let us think of Lebanon, which is undergoing an unprecedented crisis, accompanied by very troubling economic and social conditions.

Yet, in the heart of the night, look! The sign of hope! Today, “the Love that moves the sun and the other stars” (Paradiso, XXXIII, 145), as Dante says, became flesh. He came in human form, he shared in our plight and he broke down the wall of our indifference. In the cold of the night, he stretches out his tiny arms towards us: he is in need of everything, yet he comes to give us everything. Let us ask him for the strength to be open to dialogue. On this festive day, let us implore him to stir up in the hearts of everyone a yearning for reconciliation and fraternity. Let us now turn to him in prayer.

Baby Jesus, grant peace and concord to the Middle East and the whole world. Sustain all those who provide humanitarian aid to peoples forced to flee from their homelands; comfort the Afghan people, who for more than forty years have been sorely tested by conflicts that have driven many to leave the country.

King of all peoples, help political authorities bring peace to societies roiled by tension and conflict. Sustain the people of Myanmar, where intolerance and violence not infrequently target the Christian community and its places of worship, clouding the peaceful countenance of that people.

Be a source of light and support for all those who believe in and strive, despite all obstacles, to advance encounter and dialogue. In Ukraine, prevent fresh outbreaks of a long-festering conflict.

Prince of Peace, help Ethiopia to find once again the path of reconciliation and peace through a forthright encounter that places the needs of the people above all else. Listen to the plea of those living in the Sahel region, who experience the violence of international terrorism. Turn your gaze to the peoples of the countries of North Africa, tormented by divisions, unemployment and economic inequality. Alleviate the pain of our many brothers and sisters who suffer from internal conflicts in Sudan and South Sudan.

Grant that, through dialogue, mutual respect and recognition of the rights and cultural values of every human being, the values of solidarity, reconciliation and peaceful coexistence may prevail in the hearts of the peoples of the Americas.

Son of God, comfort the victims of violence against women, which has increased in this time of pandemic. Offer hope to young children and adolescents suffering from bullying and abuse. Show consolation and warmth to the elderly, especially those who feel most alone. Give serenity and unity to families, the first educators of their children and the basis of the fabric of society.

God-with-us, grant health to the infirm and inspire all men and women of good will to seek the best ways possible to overcome the current health crisis and its effects. Open hearts to ensure that necessary medical care – and vaccines in particular – are provided to those peoples who need them most. Repay those who generously devote themselves to caring for family members, the sick and the most vulnerable in our midst.

Child of Bethlehem, grant that the many military and civilian prisoners of war and recent conflicts, and all those imprisoned for political reasons, may soon return home. Do not leave us indifferent before the tragic situation of migrants, displaced persons and refugees. Their eyes beg us not to look the other way, ignoring our common humanity, but instead to make their stories our own and to be mindful of their plight. [1]

Eternal Word become flesh, make us attentive to our common home, which is suffering from the carelessness with which we so often treat it. Inspire political leaders to reach effective agreements, so that future generations can live in an environment respectful of life.

Dear brothers and sisters, amid all the many problems of our time, hope prevails, “for to us a child is born” (Is 9:6). He is the word of God, who became an infant, capable only of crying, and in need of help for everything. He wished to learn how to speak, like every other child, so that we might learn to listen to God, our Father, to listen to one another and to dialogue as brothers and sisters.

O Christ, born for our sake, teach us to walk beside you on the paths of peace.

Happy Christmas to all!


[1] Cf. Address at the “Reception and Identification Centre”, Mytilene, 5 December 2021.

2021年12月25日

☩教皇の降誕祭深夜ミサ「イエスは、小ささが偉大さとなる道を教えておられる」

(2021.12.24  Vatican News staff writer)

 教皇フランシスコは現地時間24日夜(日本時間25日未明)から、バチカンの聖パウロ大聖堂で主のキリスト降誕を記念する深夜ミサを奉げられた。

 新型コロナウイルスの感染が欧州で再び拡大している中で、参加者を限定するなど安全対策が講じられたミサとなったが、教皇はミサ中の説教で、「神が、私たちの心に触れるために、私たちの側に来られるために、幼子として、小さな姿で、世界においでになった」ことを振り返られた。

(2021.12.24 バチカン放送)

 教皇フランシスコの2021年度降誕祭深夜ミサでの説教は次のとおり。

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 親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 夜に一つの光が輝き出ます。天使が現れ、主の栄光が羊飼いたちを包み、世紀にわたり期待されていた知らせがついに届きます。「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」 (ルカ福音書2章11節)。

*産着にくるまった乳飲み子

  しかし、そこで天使は驚くべき言葉を続けます。天使は羊飼いたちに、地上に降り立った神をどのように見分けるかを教えました。「あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである」(同12)節)。

 一人の幼子ーこれがしるしです。これがすべてです。何もない貧しい飼い葉桶に横たわる幼子。そこにはもう輝かしい光も天使の合唱もありません。ただ幼子がいるだけです。イザヤが預言した「私たちのために生まれた一人のみどりご」(イザヤ書9章5節参照)以外には、何もありません。

 福音書はこの対比を強調します。福音書は、イエスの降誕を、ローマ皇帝アウグストゥスが命じた住民登録の話から始めています。そこでは最初に皇帝の偉大さが示されます。そして、そのすぐ後に、偉大さからはほど遠い、ベトレヘムの地へと、私たちを導くのです。そこには産着にくるまって横たわる一人の幼子と、まわりに羊飼いたちがいるだけです。その小ささの中に神がおられます。

*神の偉大さは、小ささの中に現れる

 神は偉大さの中ではなく、小ささの中に降りて来られましたーそれがメッセージです。小ささーこれこそ、神が私たちのもとにおいでになるため、私たちの心に触れ、私たちを救うために、価値あることをもたらすために、選ばれた道でした。

 兄弟姉妹の皆さん、馬小屋の飼い葉桶の前に留まり、その中心にある方に目を向けましょう。きれいな装飾や電飾の先にある、幼子を見つめましょう。その幼子の小ささの中に、神のすべてがあります。そこに神を認めましょう。「幼子よ、あなたは神です。幼子となられた神です」。

 これは驚嘆すべき出来事です。全世界を支配する方が、抱擁を必要としています。太陽を創造された方が、今、温められることを必要としています。優しさそのものである方が、今、優しさを必要としています。無限の愛である方が、小さな心臓でかすかな鼓動を伝えています。永遠の御言葉そのものである方が、物言えぬ赤子となっています。生命のパンである方が、養われなければなりません。世界の創造主には、住まいがありません。

 今日、すべては逆になります。神はこの世に小さき者としておいでになり、その偉大さを小ささの中に表されます。

*神は優しさに満ちた愛と内面の小ささを求められる

 ここで自分に問いかけましょう。

 私たちは、神が選ばれたこの道を受け入れているでしょうか?これはクリスマスが提起する一つの問いかけです。

 神はご自分を現されますが、人はそれを認めません。神はこの世で、小さき者となられますが、私たちは常に、世俗的な偉大さを追求します。神は身をかがめてくださいますが、私たちはいつも高いところを目指します。いと高き方は、謙遜を教えてくださいますが、私たちはいつも人の前に出ることを求めます。神は羊飼いたちや目立たない人々を探しますが、私たちはいつも目立つものを探しています。イエスは、人に仕えるためにお生まれになりますが、私たちはいつも成功を夢見ています。

 神は権力や強さを求めません。ただ優しさと内的な小ささを願っておられるのです。

 クリスマスを迎えるにあたって、私たちは、イエスに、何を願ったらよいでしょうかーそれは、「小ささ」という恵みです。「主よ、小ささを愛することを教えてください。真の偉大さに達する道を理解させてください」。

 「小ささ」を受け入れるとは、具体的に何を意味するのでしょうか?

 まず、「神は、私たちの生活の小さなことの中においでになる」と信じることです。神は日頃の生活の中に住まわれ、私たちの家庭や学校、仕事の場での日々の出来事の中に、おいでになることを望まれます。神は、私たちの日々の暮らしの中で、偉大なことを実現することを望まれますーこれこそ、大きな希望のメッセージです。

 イエスは、私たちの日常生活の小さなことの中に価値を見つけ、大切にするよう、勧めます。イエスが毎日の小さなことの中に、共にいてくださるなら、これ以上、何が欠けている、と言うのでしょう。私たちの生活で得られようもない”偉大なこと”に対する羨望や不平不満を、捨てましょう。イエスは私たちの生活の小さなことの中にだけではなく、私たち自身の小ささや弱さ、欠点や失敗の中にも、おいでになることを望んでおられます。

*神を信頼し、心を開こう

 兄弟姉妹の皆さん、もし、あのベトレへムのような夜の闇の中にあなたがいるなら、冷たい無関心にとり囲まれているなら、心に傷を負い「自分には何の価値もない。誰も愛してくれない」と叫ぶなら、今晩、神はあなたに、このように答えてくださるでしょう。

 「私はあるがままのあなたを、愛している。あなたの小ささに、私は驚かない。あなたの弱さに、驚きはしない。私はあなたのために、小さくなった。あなたの神となるために、あなたの兄弟となった。愛する兄弟よ、愛する姉妹よ、恐れないように。私を通してあなたの偉大さを取り戻しなさい。私は、いつもあなたのすぐそばにいる。私があなたに願うのはこれだけだ-私に信頼し、心を開きなさい」。

 小ささを受け入れるとは、別のことをも意味します。今日の小さき人々の中にイエスを抱擁することです。「貧しい人々の中にイエスを愛する」とは、すなわちこれらの人々に奉仕することを意味します。まさに、彼らこそがイエスの誉れなのです。

 この愛に満ちた夜、私たちのただ一つの心配は、神の愛を傷つけることです。無関心によって貧しい人々を軽んじ、神を悲しませることです。貧しい人々はイエスが特に心にかける人たちです。私たちはそれを天国で知ることになるでしょう。

 ある詩人はこう書いています。「天国をこの世で見つけなかった人は、あの世でも見つけることはない」(エミリー・ディキンソンPoems, P96-17=米国の詩人。19世紀の世界文学史上の天才詩人と言われる)。天国を見失わないようにしましょう。貧しい人々の中で、イエスをお世話しましょう。なぜならイエスは彼らの中におられるからです。

*すべては、イエスを中心に結束する

 では、もう一度、馬小屋の飼い葉桶を見つめましょう。そこには、お生まれになったばかりのイエスが、小さき人々、貧しい人々に囲まれています。彼らは誰でしょうか。羊飼いたちです。最も素朴で、最も主の近くにいる人たちです。

 彼らが幼子を見つけたのは、「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」(ルカ福音書2章8節)からでした。羊飼いたちは、そこで仕事をしていました。彼らは貧しく、規則的ではない、羊に合わせた生活をしていました。望む場所で望むように生きるのではなく、世話をする羊の必要に従って暮らしていたのです。

 イエスは羊飼いたちの近く、社会の片隅の、忘れられた人たちのそばにお生まれになりました。イエスは人間の尊厳が試練に置かれた場所に生まれました。イエスは疎外された人々を尊厳ある者とするために、そして、特にこれらの人々に、ご自分を啓示されるために来られました。教養や地位のある人々ではなく、貧しく働く人々のところに来られたのです。

 この夜、神は、辛い労働を尊厳であふれさせるために来られます。そして、それは人間に尊厳を与えるために、仕事がいかに大切であるかを、また同時に、人間の仕事に尊厳を与えることの大切さをも、思い出させてくれます。人間は仕事の主であって、仕事の奴隷ではありません。この生命の日に言いましょう、「仕事上の死を繰り返してはならない」と。そのために私たちは努力しなければなりません。

 さあ、再び馬小屋の飼い葉桶に目を注ぎましょう。主を礼拝するために巡礼を続ける東方の三博士たちが見える、遠くにも視野を広げましょう。イエスのまわりにいる人々の群れに目を凝らしましょう。そこには、貧しい羊飼いたちだけでなく、学識のある、豊かな人々、博士たちもいます。

 ベツレヘムでは、貧しい人も、豊かな人も、一緒にいます。そこには、東方三博士のように礼拝する人もいれば、羊飼いのように働く人もいます。そして、皆がイエスを中心に一群をなしています。彼らの中心にあるのは、「イエスについての考え」ではなく、「生きたイエス」です。

*私たちの源、ベツレヘムに戻ろう

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、ベツレヘムへ戻りましょう。私たちの根源に戻りましょう。信仰の本質、最初の愛、礼拝、そして慈愛へと戻りましょう。東方三博士たちの巡礼する姿を見つめましょう。「共に歩む教会」として、ベツレヘムへ歩みましょう。

 そこには、人の中に神がおられ、神の中に人がいます。そこには、主が中心におられ、礼拝を受けられます。貧しい人が、主の最も近い場所を占めています。羊飼いたちと博士たちが、あらゆる差別を超えて兄弟愛のうちに共にいます。神は私たちに「礼拝する、貧しい、兄弟的な教会」であることを可能にしてくださいます。さあ、ベツレヘムへ戻りましょう。

 主の降誕の福音に忠実に、そこに行くことは、ためになることです。そこには聖家族、羊飼い、東方の博士たち、歩むすべての人たちがいます。兄弟姉妹の皆さん、さあ歩き出しましょう。なぜなら人生は巡礼だからです。起き上がり、目を覚ましましょう。この夜、一つの光が灯されたからです。

 その優しい光は、私たちの「小ささ」において、私たちが「愛された子」「光の子」であることを思い出させます(テサロニケの信徒への手紙1・5章5節参照)。共に喜びましょう。誰もこの光を決してかき消すことはできません。それはイエスの光、この夜から世界に輝く光です。

 (編集「カトリック・あい」南條俊二=引用された聖書の日本語訳は「聖書協会・共同訳」による)

 Christmas Mass during the Night in St. Peter's Basilica

Christmas Mass during the Night in St. Peter's Basilica

 

2021年12月25日

☩「神が示された謙遜さは、”シノドスの道”の歩みにこそ必要」バチカン高位聖職者たちへ降誕祭前の挨拶

教皇フランシスコ、バチカン諸機関の責任者に降誕祭前の挨拶 2021年12月23日  (Vatican Media)

 

2021年12月24日

◎教皇のクリスマス前一般謁見の講話「イエスの誕生は、神が私たちを愛されている喜びの根幹」

 

2021年12月22日

☩「恒久的な平和を築くための道を共に歩もう」教皇、新年の「世界平和の日」メッセージ

(2021.12.21 バチカン放送)教皇フランシスコ、2022年度「世界平和の日」に向けメッセージ

 教皇フランシスコは21日、2022年1月1日の「第55回世界平和の日」に先立ち、メッセージを発表された。カトリック教会は毎年1月1日を「世界平和の日」とし、戦争や分裂、憎しみや飢餓などのない平和な世界を祈り求める。第55回目を迎える今回のテーマは「世代間の対話・教育・労働:恒久的平和構築のための手段」(仮訳)だ。

 このメッセージで教皇はまず、「恒久的な平和を築くための道」として、「歴史の記憶を守る高齢者と未来を切り開く若者の対話」「教育への投資」「労働者の尊厳」の推進を挙げられた。

 そして、「聖パウロ6世が『統合的発展』と呼ばれた『平和への歩み』は、今もまだ、多くの人々の現実から遠く離れたところにあります。国家間の様々な対話に向けた努力にもかかわらず、戦争や紛争は止まらず、新型コロナウイルスは世界的な大感染となり、気候変動と環境破壊がもたらす影響は悪化し、飢餓や水不足が深刻化しています」と指摘。

 「いつの時代も、『平和』とは神からの賜物であり、皆で分かち合う努力の実りです。すべての人が、自分の心の平和から始まって、家族、社会、環境、民族、国家間の関係に至るまで、もっと平和な世界のために協力できるはずです」と教皇は訴えられ、「恒久的な平和を築くための道」として、共有の計画を実現するための基礎である「世代間の対話」、自由と責任と成長の条件となる「教育」、そして人間の尊厳の完全な実現に必要な「労働」の3つの道を提案された。

*「世代間の対話」

 「テクノロジーや経済の発展は、しばしば世代間の分裂を生んでおり、現在の危機に対処するために、世代間の連携が急務となっています」とされ、「若者が、高齢者の人生経験や知恵や精神性を必要とする一方で、高齢者には、若者の支えや愛情、創造性や躍動力が必要。大きな社会的挑戦や平和構築プロセスは、記憶を伝えるお年寄りと未来を担う若者の対話なしではありえません」と説かれ、「歴史から学び、傷をいやすために過去に触れ、情熱を育て、夢を芽生えさせ、預言を生み、希望を花開かせるために、未来に触れることが必要です」と語られた。

*「教育への投資」

 また教皇は、「ここ数年、世界的に教育予算が少しずつ減少し、教育に予算を割くことが『投資』ではなく、『出費』と捉える傾向が強まっている」としたうえで、「教育は、自由で責任感を持った人、平和を守り推進する人を育てる『人間の統合的成長』に最も大切なベクトルをなすものであると同時に、団結し、市民性ある希望と豊かさと発展を生む社会の基礎です」と指摘。

 世界各国で教育費が削減される一方で軍事費は増加している現状に触れ、「軍備増強に向ける予算を、教育に回す」よう、各国政府に強く呼びかけられた。同時に、教育への投資と共に「いたわりの文化」の推進を願われた。

*「労働者の尊厳」

 教皇は「平和を築き守るために不可欠な要素」の三つ目に「労働者の尊厳」を挙げられた。そして、「労働、仕事は、自身に与えられた才能の表現であると同時に、義務、努力、他者と協力することでもあります。その観点から、労働は、より生きやすく美しい世界を作るために寄与することを学ぶ場」であるにもかかわらず、「新型コロナウイルスの大感染が、雇用環境を一段と悪化させ、労働者の立場はさらに弱くなり、仕事を求める若者たち、仕事を失った大人たちの将来は容易ではありません」と指摘された。

 さらに、現在の移民・難民の増加の中で、多くの国で彼らの雇用は保証されず、様々な形の”奴隷制度”の下に置かれたり、厚生福祉制度から外されていることにも憂慮を示し、「労働は社会における正義と連帯構築の基礎、人間にとっての人生の意味の一部、人間的成長と自己実現の道です。人間の労働をテクノロジーの進歩と差し替え続けることは、人類自身を傷つけることになります」と警告。「世界のあらゆる場所で、労働条件が尊厳あるもの、共通善と環境保護に即したものとなること」を願われた。

 メッセージの最後に教皇は、各国の指導者や、政治・社会の分野で責任のある人々、司牧者、そしてすべての善意の人々に対して、安定した平和構築のために「世代間の対話」「教育」「労働」のこれら3つの道を勇気と創造性をもって共に歩むよう、強く呼びかけられた。

(編集「カトリック・あい」)

 

【教皇メッセージ(2022.1.1)日本語訳全文】

(2021.12.27 カトリック中央協議会)

第55回「世界平和の日」教皇メッセージ(2022年1月1日)世代間対話、教育、就労――恒久的平和を築く道具として」

1.「なんと美しいことか、山々の上で良い知らせを伝える者の足は」(イザヤ書52章7節)。

 預言者イザヤの言葉が描くのは、暴力と虐げに疲弊し、屈辱を受け、死にさらされた捕囚の民の慰め、安堵の吐息です。この境遇について、預言者バルクはこう問うています。「イスラエルよ、なぜか。なぜあなたは敵の地にいて、異郷の地で年老い、死者と共に汚れ、陰府(よみ)に者たちのうちに数えられたのか」(バルク書3章10−11節)。この民にとって平和の使者の到来は、歴史の瓦礫の中からの復活の希望であり、明るい未来の始まりでした。

 平和の道――聖パウロ六世は、これに全人的発展(integral development)という新しい名をつけました1――は、残念ながら今日でも、多くの人の実生活、ひいては、今や完全に相互が結びついた人類家族の現実からはほど遠いところにあります。国家間の建設的な対話を目指す幾多の努力にもかかわらず、戦争や紛争の耳をつんざく騒音は増幅し、その一方で、パンデミック級の病気の数々が発生し、気候変動と環境悪化の影響は深刻化し、飢餓と水不足の悲劇は激化し、連帯による分かち合いよりも個人主義に根ざす経済モデルの優勢が続いているのです。古代預言者の時代と変わらず今日もなお、正義と平和を請い求める貧しい人の叫びと大地の叫び2は、やむことがないのです。

 いつの時代でも、平和は天から授かるものであると同時に、共同で担った責務の実りでもあります。確かに、さまざまな社会制度が関与する平和の「構築」があり、一人ひとりが個人として携わる平和の「手仕事」があります3。より平和な世界を築くために、すべての人が力を合わせるべきです。それぞれの心において、そして家族の関係、社会での関係、環境との関係から、民族間や国家間の関係に至るまでです。

 ここで、恒久的平和を築くための三つの道を示したいと思います。まずは世代間対話で、これは共通の計画を実現するための基盤です。第二は教育で、これは自由と責任と発展のための条件です。最後は就労で、これは人間の尊厳を完全に実現するものです。これらは「社会契約を可能にする」4ための必須の三要素であり、これを欠いた平和事業は、いずれも実体のないものです。

2.平和を築くための世代間対話

 あまりに多くの問題を引き起こした新型コロナウイルスの世界的大感染に恐ろしいほどに苦しめられている世界で、「私的な世界に逃げ込み現実を避けようとする者がいれば、破壊的な暴力をもって現実に対峙する者もいます。ですが、利己的な無関心と暴力的な抗議の間には、いつも可能な選択肢があります。対話です。世代間の対話」5です。

 誠実な対話にはいずれも、適切で前向きな話法があればいいわけではなく、常に、対話者間の基本的な信頼関係は必要です。この相互信頼を取り戻さなければなりません。現在の健康危機は、すべての人の孤独感と内向性を強めています。高齢者の孤独と並んで、若者には無気力や、未来に対する共通のビジョンの欠如も見られます。この危機は確かにつらいものです。ですがその中でこそ、人間のよい部分が見えてくることもあります。事実、新型コロナ感染の渦中に私たちは世界中で、「思いやり」や「協力」や「連帯」という寛大さの模範を目にしました。

 対話とは、互いに耳を傾け、向き合い、納得し合い、ともに歩むことです。そのすべてを世代間で促進していくことが、永続的で共有できる平和の種を育てるために、紛争や排斥という硬く不毛な土壌を耕すこととなるのです。

 テクノロジーと経済の発展は、世代間に分断を生みがちですが、現代の危機は、世代間が緊急に手を結ばねばならないことを示しています。若者には老人の人生経験、知恵、霊的経験が必要であり、一方老人は、若者からの支援や愛情、彼らの創造性や活力を必要としています。

 重要な社会的課題の解決と平和の構築は、記憶の守り人ー高齢者ーと歴史の継承者ー若者ーとの対話なしには進みません。また、過去がなんだ、未来がなんだ、とでもいうかのように、自分の関心ばかりを追い、どんな場面でも仕切ろうとするのではなく、相手にも譲ろうという意志が互いに欠けていても進みません。私したちが経験している世界規模の危機が示すのは、世代間の出会いと対話が、健全な政治の原動力だ、ということです。健全な政治は、「継ぎ当てや応急処置」6で現状に対処することをよしとせず、共有と持続が可能な計画を追求することで、他者への優れた愛の姿勢7として現れるものです。

 たとえ困難の中にあっても、この世代間の対話が実践できれば、「私たちは今という時にしっかりと根を張るでしょうし、その場所から、過去や未来へ行き来するでしょう。歴史から学ぶため、なおもときどき枷(かせ)となる傷を癒やすために足しげく過去へ通い、熱い思いをたきつけるため、夢を膨らませるため、預言を招くため、希望を花開かせるために、未来へとまめに通います。そのように結ばれて、私たちは互いから学ぶ…とができるのです」8。根がなければ、木はどうして成長し、実をつけることができるでしょうか。

 私たちが共に暮らす家を大切にする、この問題を考えればよいのです。事実、環境はまさしく「あらゆる世代に貸しつけられているのであって、いずれ次世代へと手渡さねばなりません」9。ですから、より正義にかなう世界を目指して努力し、世話をするよう、私たちに委ねられている被造物の保護に高い意識をもつ多くの若者を、私たちは褒め、励まさねばなりません。彼らは、緊急の方向転換10に直面する中、懸念と熱意、そして何よりも責任感をもって、それを行っています。この方向転換は、現在の倫理的危機と、社会的でも環境的でもある危機11から生じた困難によって課せられたものなのです。

 一方、平和への道をともに築くためには、世代間対話にとって恵まれた場であり、環境となる、教育と就労を無視することはできません。世代間対話のための語法を提供するのが教育で、異なる世代の男女が協力し、共通善のために、知識と経験と技能を交換するのが労働の経験になるのです。

3.平和の原動力としての教育と養成

 近年、教育と養成のための予算は、投資ではなく費用とみなされ、世界的に大幅に削減されています。しかしそれらは、全人的発展の第一の場です。人間をより自由で責任あるものにし、平和の擁護と推進のために不可欠なものです。言い換えると、教育と養成は、希望、富、進歩を生み出すことが可能な、まとまりのある市民社会の礎なのです。

 一方で軍事費は増大し、「冷戦」終結時に記録された規模を超えており、今後も法外に膨張していくと思われます12

 したがって政治責任を有する者が、教育への公共投資と軍事費の比率を逆転させる経済政策を策定することは、時宜を得たことでありかつ緊急に必要なのです。他方、多国間軍縮のための実際的な工程の追求は、民族と国民の発展に多大な恩恵をもたらすだけでなく、保健医療、学校、インフラ、国土保全などにより適切に充当させる財源の確保につながるのです。
わたしは教育への投資には、ケアの文化を促進する確固たる取り組みが付随していることを期待します13。この文化は、社会の分断や制度の機能不全に直面した際、壁を取り払い橋を架けるための共通語となりうるのです。「国は、そこにある文化的に多様な豊かさが建設的に対話しているときに繁栄するのです。民衆文化、大学文化、若者文化、芸術文化、技術文化、経済文化、家庭の文化やメディアの文化などです」14。したがって、「成熟した人間形成に、家族、地域社会、学校や大学、機関、宗教団体、政府当局、全人類が関与する、若い世代のための、若い世代と結ぶ、グローバルな教育協定」15によって、新しい文化的パラダイムを構築する必要があります。友愛を中心とし、かつ人間とその環境との間の契約を中心に据え、平和的、発展的で、持続可能な文化モデルに従った、総合的な(インテグラル)エコロジー教育を促進する協定です16

 若い世代の教育と養成に投資することは、彼らが個別の準備を経て、就労の場で、稼ぎを得ることのできる適切な職に就けるようにする、主要な道です17

4.雇用の促進と保証が平和を築く

 就労とは、平和を構築し維持するために不可欠の要素です。また自己とその才能の表現ですが、同時に社会参画であり、努力であり、他者との協働です。常に、誰かと共に、あるいは誰かのために働くからです。この極めて社会的な視点から見ると、就労によって、より住みやすく、よりすばらしい世界のための貢献を習得するのです。

 かねてよりさまざまな課題が山積していた労働市場は、新型コロナウイルスの世界的大感染によって悪化しています。何百万もの経済・生産活動が破綻し、非正規雇用の労働者はますます弱い立場に置かれ、エッセンシャルワーカー(訳注:医療、介護、公共交通といった日常生活に欠かせない職種の労働者)の多くは世間や政治からの関心の埒外に追いやられ、オンライン授業は多くの場合、習熟と教育カリキュラムの遅れを招きました。同様に、就職活動中の若者や、失業した社会人も、現在、過酷な見通しを突きつけられています。

 とくにこの危機が、移住労働者とつながりが深い非公式経済(informal economy)(訳注:貧困国や発展途上国に多く見られる、国家の統計や記録に含まれていない経済活動を指す用語。インフォーマルセクター、ポピュラーエコノミーも同義)に与えた影響は甚大でした。移住労働者の多くは国内法で認知されておらず、あたかも存在しないかのような扱いを受けています。彼らとその家族は非常に不安定な状況で暮らし、さまざまな形態の隷属的扱いを受け、彼らを保護する社会福祉制度が欠けています。

 さらに、社会保障制度を受けているか、限定的にその恩恵を受けているのは、世界の生産年齢人口のわずか3分の1だという事実も加わります。暴力や組織犯罪が多くの国で増加しており、人々の自由や尊厳を奪い、経済を蝕み、共通善の促進を妨げています。このような状況の唯一の打開策は、decent work(訳注:働きがいのある人間らしい仕事)への雇用を多く創出することです。

 事実、就労は、それぞれの社会において、正義と連帯を築く基礎となるものです。そのため、「テクノロジーの進歩によって人間の働きがますます不必要になれば、それは人類にとって不利益となるでしょうから、そうしたことを目標にすべきではありません。働くことは一つの必然であり、地上における生の意味の一部であり、成長や人間的発達や人格的完成への小路です」18。生産年齢にあるすべての人が、それぞれの仕事を通じて家庭や社会生活に貢献できるように、私たちは知恵と努力を結集して、条件を整え、解決策を編み出さなければなりません。

 共通善と被造物保護を志向した、人間の尊厳にふさわしい労働条件を世界中で創出することが、これまで以上に急務となっています。経営側の取り組みに自由を約束しそれを支持すると同時に、利益至上主義に走らないよう、これまでとは違う社会的責任感を啓発することも必要です。

 この観点から、企業に対して労働者の基本的人権の尊重を強く促す取り組みを奨励し、歓迎し、支援して、諸制度のみならず、消費者、市民社会、実業界の側でも、こうした意識を高めていかなければなりません。後者の人たちが自分の社会的役割に対する自覚をもてばそれだけ、そこが人間の尊厳が実現される場となり、自分たちで平和の構築に貢献することになるのです。

 その点について政治には、経済的自由と社会正義との間に、正義にかなった均衡を生み出すことで、積極的に関与するよう求められています。またカトリック信者の労働者と雇用者はもちろんのこと、そこに関わるすべての人は、「教会の社会教説」の中に確かな指針を見い出すはずです。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。パンデミックから抜け出るために力を合わせようとする今、改めて感謝申し上げたい方々がおられます。教育、安全、そして権利擁護の分野で、医療の分野で、家族と患者の出会いを手助けする分野で、そして、困窮者や失業者を経済的に支援する分野で、寛大さと責任を持って働き続けておられる皆様に改めて感謝します。また、亡くなられた方々とご遺族の皆様を、祈りの中で思い起こすことを約束いたします。

 政治家、政治的・社会的責任を担う人、教会共同体の司牧者とリーダー、そして善意あるすべての人に向けて訴えたいと思います。勇気と創造性をもって、三つの道をともに進み続けましょう。世代間対話、教育、就労、この三つです。もっともっと多くの人が、騒いだりせず、謙虚さと忍耐を忘れずに、その日その日に平和の「職人」となれますように。平和の神の祝福が、いつも彼らを先導し、寄り添ってくださいますように。

バチカンにて 2021年12月8日 フランシスコ

(編集「カトリック・あい」=聖書の引用は、カトリック、プロテスタント両教会が協力し、現代日本語に配慮し、原典から翻訳し直した「聖書協会・共同訳」に改めました。また、意味が取りやすく、読みやすくするために、当用漢字に原則として統一した表記にしてあります。また一部については、公式英語版から訳し直しました)

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【教皇「世界平和の日メッセージ」バチカン公式訳英語版全文】

MESSAGE OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS FOR THE CELEBRATION OF THE 55th WORLD DAY OF PEACE 1 JANUARY 2022

”Dialogue Between Generations, Education and Work:Tools for Building Lasting Peace”

 

1.“How beautiful upon the mountains are the feet of the messenger who announces peace”(Is 52:7).

The words of the prophet Isaiah speak of consolation; they voice the sigh of relief of a people in exile, weary of violence and oppression, exposed to indignity and death.

The prophet Baruch had wondered: “Why is it, O Israel, why is it that you are in the land of your enemies, that you are growing old in a foreign country, that you are defiled with the dead, that you are counted among those in Hades?” (3:10-11). For the people of Israel, the coming of the messenger of peace meant the promise of a rebirth from the rubble of history, the beginning of a bright future.

Today the path of peace, which Saint Paul VI called by the new name of integral development[1] remains sadly distant from the real lives of many men and women and thus from our human family, which is now entirely interconnected. Despite numerous efforts aimed at constructive dialogue between nations, the deafening noise of war and conflict is intensifying. While diseases of pandemic proportions are spreading, the effects of climate change and environmental degradation are worsening, the tragedy of hunger and thirst is increasing, and an economic model based on individualism rather than on solidary sharing continues to prevail. As in the days of the prophets of old, so in our own day the cry of the poor and the cry of the earth [2] constantly make themselves heard, pleading for justice and peace.

In every age, peace is both a gift from on high and the fruit of a shared commitment. Indeed, we can speak of an “architecture” of peace, to which different institutions of society contribute, and an “art” of peace that directly involves each one of us. [3]

All can work together to build a more peaceful world, starting from the hearts of individuals and relationships in the family, then within society and with the environment, and all the way up to relationships between peoples and nations.

Here I wish to propose three paths for building a lasting peace. First, dialogue between generations as the basis for the realization of shared projects. Second, education as a factor of freedom, responsibility and development. Finally, labour as a means for the full realization of human dignity. These are three indispensable elements for “making possible the creation of a social covenant”, [4] without which every project of peace turns out to be insubstantial.

 

  1. Dialogue between generations to build peace

 

In a world still gripped by the pandemic that has created untold problems, “some people attempt to flee from reality, taking refuge in their own little world; others react to it with destructive violence. Yet between selfish indifference and violent protest there is always another possible option: that of dialogue. Dialogue between generations”. [5]

All honest dialogue, in addition to a correct and positive exchange of views, demands basic trust between the participants. We need to learn how to regain this mutual trust. The current health crisis has increased our sense of isolation and a tendency to self-absorption. The loneliness of the elderly is matched in the young by a sense of helplessness and a lack of a shared vision about the future. The crisis has indeed been painful, but it has also helped to bring out the best in people. Indeed, during the pandemic we encountered generous examples of compassion, sharing and solidarity in every part of the world.

Dialogue entails listening to one another, sharing different views, coming to agreement and walking together. Promoting such dialogue between generations involves breaking up the hard and barren soil of conflict and indifference in order to sow the seeds of a lasting and shared peace.

Although technological and economic development has tended to create a divide between generations, our current crises show the urgent need for an intergenerational partnership. Young people need the wisdom and experience of the elderly, while those who are older need the support, affection, creativity and dynamism of the young.

Great social challenges and peace processes necessarily call for dialogue between the keepers of memory – the elderly – and those who move history forward – the young. Each must be willing to make room for others and not to insist on monopolizing the entire scene by pursuing their own immediate interests, as if there were no past and future. The global crisis we are experiencing makes it clear that encounter and dialogue between generations should be the driving force behind a healthy politics, that is not content to manage the present “with piecemeal solutions or quick fixes”, [6] but views itself as an outstanding form of love for others, [7] in the search for shared and sustainable projects for the future.

If, amid difficulties, we can practise this kind of intergenerational dialogue, “we can be firmly rooted in the present, and from here, revisit the past and look to the future. To revisit the past in order to learn from history and heal old wounds that at times still trouble us. To look to the future in order to nourish our enthusiasm, cause dreams to emerge, awaken prophecies and enable hope to blossom. Together, we can learn from one another”. [8] For without roots, how can trees grow and bear fruit?

We need only think of care for our common home. The environment, in fact, “is on loan to each generation, which must then hand it on to the next”. [9] We ought to esteem and encourage all those young people who work for a more just world, one that is careful to safeguard the creation entrusted to our stewardship. They go about this with restlessness, enthusiasm and most of all a sense of responsibility before the urgent change of direction [10] required by the challenges emerging from the present ethical and socio-environmental crisis. [11]

On the other hand, the opportunity to build paths of peace together cannot ignore education and labour, which are privileged settings and contexts for intergenerational dialogue. Education provides the grammar for dialogue between generations, and in the experience of labour men and women of different generations find themselves able to cooperate and to share expertise, experiences and skills in view of the common good.

 

  1. Teaching and education as drivers of peace

 

In recent years, there has been a significant reduction worldwide in funding for education and training; these have been seen more as expenditures than investments. Yet they are the primary means of promoting integral human development; they make individuals more free and responsible, and they are essential for the defence and promotion of peace. In a word, teaching and education are the foundations of a cohesive civil society capable of generating hope, prosperity and progress.

Military expenditures, on the other hand, have increased beyond the levels at the end of the Cold War and they seem certain to grow exorbitantly. [12]

It is high time, then, that governments develop economic policies aimed at inverting the proportion of public funds spent on education and on weaponry. The pursuit of a genuine process of international disarmament can only prove beneficial for the development of peoples and nations, freeing up financial resources better used for health care, schools, infrastructure, care of the land and so forth.

It is my hope that investment in education will also be accompanied by greater efforts to promote the culture of care, [13] which, in the face of social divisions and unresponsive institutions, could become a common language working to break down barriers and build bridges. “A country flourishes when constructive dialogue occurs between its many rich cultural components: popular culture, university culture, youth culture, artistic culture, technological culture, economic culture, family culture and media culture”. [14] It is essential, then, to forge a new cultural paradigm through “a global pact on education for and with future generations, one that commits families, communities, schools, universities, institutions, religions, governments and the entire human family to the training of mature men and women”. [15] A compact that can promote education in integral ecology, according to a cultural model of peace, development and sustainability centred on fraternity and the covenant between human beings and the environment. [16]

By investing in the education and training of younger generations, we can help them – through a focused programme of formation – to take their rightful place in the labour market. [17]

 

  1. Creating and ensuring labour builds peace

 

Labour is an indispensable factor in building and keeping peace. It is an expression of ourselves and our gifts, but also of our commitment, self-investment and cooperation with others, since we always work with or for someone. Seen in this clearly social perspective, the workplace enables us to learn to make our contribution towards a more habitable and beautiful world.

The Covid-19 pandemic has negatively affected the labour market, which was already facing multiple challenges. Millions of economic and productive activities have failed; short-term workers are increasingly vulnerable; many of those who provide essential services have an even lower public and political profile; and in many cases, distance teaching has led to a deficit in learning and delays in completing programmes of study. Furthermore, young people entering the job market and recently unemployed adults presently face bleak prospects.

In a particular way, the impact of the crisis on the informal economy, which often involves migrant workers, has been devastating. Many of the latter are not even recognized by national legislation; it is as though they did not exist. They and their families live in highly precarious conditions, prey to various forms of slavery and with no system of welfare to protect them. Currently only one third of the world’s population of working age enjoys a system of social protection, or benefit from it only in limited ways. Violence and organized crime are on the increase in many countries, impinging on people’s freedom and dignity, poisoning the economy and hampering the development of the common good. The only answer to this is an expansion of dignified employment opportunities.

Labour, in fact, is the foundation on which to build justice and solidarity in every community. For this reason, our aim should not be “that technological progress increasingly replace human work, for this would be detrimental to humanity. Work is a necessity, part of the meaning of life on this earth, a path to growth, human development and personal fulfilment”. [18] We need to combine our ideas and efforts in order to create the solutions and conditions that can provide everyone of working age with the opportunity, through their work, to contribute to the lives of their families and of society as a whole.

It is more urgent than ever to promote, throughout our world, decent and dignified working conditions, oriented to the common good and to the safeguarding of creation. The freedom of entrepreneurial initiatives needs to be ensured and supported; at the same time, efforts must be made to encourage a renewed sense of social responsibility, so that profit will not be the sole guiding criterion.

In light of this, there is a need to promote, welcome and support initiatives that, on all levels, urge companies to respect the fundamental human rights of workers, raising awareness not only on the part of institutions, but also among consumers, civil society and entrepreneurial entities. As the latter become more and more conscious of their role in society, the more they will become places where human dignity is respected. In this way, they will contribute to building peace. Here, politics is called to play an active role by promoting a fair balance between economic freedom and social justice. All who work in this field, starting with Catholic workers and entrepreneurs, can find sure guidelines in the Church’s social doctrine.

 

Dear brothers and sisters, as we seek to combine our efforts in order to emerge from the pandemic, I renew my thanks to all those who continue to work with generosity and responsibility in the areas of education, safety and protection of rights, in supplying medical care, in facilitating meetings between family members and the sick, and in providing economic support to the needy and those who have lost their jobs. I continue to remember the victims and their families in my prayers.

To government leaders and to all those charged with political and social responsibilities, to priests and pastoral workers, and to all men and women of good will, I make this appeal: let us walk together with courage and creativity on the path of intergenerational dialogue, education, and work. May more and more men and women strive daily, with quiet humility and courage, to be artisans of peace. And may they be ever inspired and accompanied by the blessings of the God of peace!

From the Vatican, 8 December 2021 FRANCISCUS

 

 

2021年12月22日

☩教皇の待降節第4主日正午の祈り「マリアがしたように『イエスの喜び』を皆にもたらそう」

(2021.12.19 Vatican News staff writer)

 教皇フランシスコは19日、待降節第4主日正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたルカ福音書の箇所ーマリアが親類のエリザベトを尋ねた日の出来事ー「arise and to go in haste(勢いよく立って、急いで行って)」エリザベトに挨拶し、彼女を助けたーに注目され、「私たちも同じように、心を広くして他の人々に接し、イエスがお生まれになる喜びをもたらすことができるのです」と語られた。

*「勢いよく立って、急いで行く」

 教皇は「勢いよく立って、急いで行く」の持つ意味について、まず「勢いよく立って」は、マリアが、意欲を持って前に進み、誤解や罰にさらされる危険のある”予期しない妊娠”への悩みを振り切り、この信じられない経験を受け止め、完全に理解することの難しさを乗り越える決意を示している、と説明。

 「このような問題に、マリアは打ち負かされたり、動きが取れなくなったりあすることはありませんでした。神に信頼を置き、親類のエリザベㇳに思い切り手を差し伸べて、高齢で男の子を身ごもった彼女を助けました」と語られた。

*他の人たち手を差し伸べる

 そして、教皇は、「私たちも、課題、問題、否定的な考えから抜け出し、マリアがしたように、他の人たちに手を差し伸べ、助けるようにせねばなりません。孤独な年配の人と一緒に訪問したり、声をかけたり、慈善活動をしたりできるでしょう」とされ、さらに「神は偉大な方。私たちが手を延ばせば、いつもそこにおられます」と述べられた。

*まず、穏やかな微笑みを

 さらに教皇は、もう一つの「急いで行く」が意味するのは「他の事をしたり、動きを止めたりする誘惑を跳ね除け、自信を持って先を見据え、喜びをもって日々の生活を送ること」とされた。

 そして、「マリアは、心と命が神に満たされ、喜びに満ちた人の『歩み』をもって進みました。私たちは、自分の『歩み』がどのようなものか、希望と活力、忍耐を持って進むかどうか、自らに問わねばなりません。私たちが塞ぎ込めば、誰にも神をもたらしません」とされたうえで、「日々の困難があっても、前向きに、そして、ユーモアの健全な感覚を養いなさい。まず、私たちができる慈しみの行為は、穏やかに、微笑みかけること、『マリアがエリザベトにした、イエスの喜び』をもたらすことです」と強調された。

 最後に教皇は、聖母マリアに、「勢いよく立って、クリスマスに向かって急いで行けるように!」私たちを助けてくださるように祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2021年12月19日

☩「召命の減少は『屈辱を受けよ』との神のメッセージ」ギリシャのイエズス会士たちに

(2021.12.16 Vatican News Devin Watkins)

Pope Francis met with Jesuits in Athens on 4 DecemberPope Francis met with Jesuits in Athens on 4 December  (Vatican Medi

 教皇フランシスコは今月初めにギリシャを訪問された際、現地のイエズス会士たちと個人的な会見をされたが、その時のやり取りを、同会の有力雑誌Civiltà Cattolica が16日付けで掲載した。

 「The Logic of the Inexplicable」と題したこの記事によると、教皇は、召命が減り、使徒職が変化していることに込められた神のメッセージについて語られた。

 会見の中で、年配のイエズス会士がギリシャにおける会の衰退を取り上げ、「イエズス会士が減少しており、これまで会が行ってきた様々な使徒職をあきらめざるをえなくなっています」と危機感を表明した。

 これに対して教皇は、「私が、1958年にアルゼンチンのイエズス会の修練院にいた時、イエズス会には世界全体でに3万3000人を超える会員がいましたが、現在はそれが半減しています」と認めたうえで、こうした傾向が続いていることの意味を考える必要がある、とされ、「主が『修道生活への教え』をくださっているのだ、と私は信じています。私たちにとって、それは『屈辱』です」と語られた。

 そして、イエズス会の創立者である聖イグナチオ・ロヨラが「霊操」で常に「謙遜」と「屈辱」を指摘していた、とされ、「その中の“Third Degree of Humility”には、このように書かれています-『私は、富よりも、キリストの貧しさとともに貧困を、名誉よりも、キリストに満たされて汚名を望み、選ぶ』と。これが、イエズス会士の豊かさのすべて。私たちは屈辱に慣れねばなりません」と諭された。

 

*困難の中でも、微笑むこと

 別のイエズス会士が、「何年も前からギリシャのイエズス会は正教会との対話を希望してきましたが、今は、移民・難民支援に焦点が移っています」とし、ギリシャでのイエズス会の活動はこれからどうなるのか、教皇に聞いた。

 教皇は「イエズス会士は『キリストの十字架』に忠実でなければなりません。これからのことは、神だけがご存じです」とする一方、「カトリック教会と正教会の間のエキュメニカルな対話は今、よく育ってきています。あなたがたが祈り、希望、働きで種をまいたからです」と励ました。

 また、アテネに難民の子供たちのためのセンターを設立し、今は同センターでボランティアとして働いている韓国人イエズス会士に対しては、センターの創設者であるにもかかわらず、“長”のポストを降りたことを讃え、「すべてのイエズス会士は、同じようにすべきです。使徒職は、私たちのものではありません。主のものですから」と語られた。

 関連して、難民支援にあたっていたベルギー人のイエズス会士が”人身売買”をしていたと疑われ、逮捕されたことが最近あったが、教皇は、難民救済への必要に応える中でこのような事が起きたのは、「大きな屈辱だったに違いありません」と同情を示しつつ、そのようなことがあっても、「修道生活で重要なのは、“微笑み”をもって、歳を取り、疲れることです。誰かが、『疲れていても、辛いと思わない、微笑みを浮かべた老齢の修道士』に出会った時、あなたは、希望の歌になるのです」と激励された。

 

2021年12月17日

◎教皇連続講話「聖ヨセフについて」④「”御言葉を聴く沈黙”に学ぶ」

(2021.12.15 Vatican News Christopher Wells)

   教皇フランシスコは15日の水曜恒例の一般謁見での講話で、福音書の中で描かれる聖ヨセフの沈黙について振り返られ、「彼は沈黙をもって、御言葉のための、イエスのための空間をあけるように、私たちを促しています」と語られた。

*聴くことで満たされる沈黙

  教皇は続けて、「ただし、ヨセフの沈黙は、決して“聴こえない”から、ではありません。”聴くことで満たされている沈黙”、”勤勉の沈黙”、”自身の偉大な内面性を引き出す沈黙”なのです」と指摘。

 十字架の聖ヨハネ( 16世紀スペインでカトリック司祭、神秘思想家。アビラのテレサと共にカルメル会の改革に取り組み、『暗夜』などすぐれたキリスト教神秘主義の著作や書簡を残した)の著作を引用して、「父なる神は、永遠の沈黙の中で御言葉を、御子を語る。沈黙の中で、魂によって聴かねばなりません」と説かれた。

 さらに、「イエスもまた、この地上での生活の中で、マリアとヨセフの日々の模範とともに、この沈黙の経験をしました。イエスご自身が沈黙の空間を求め… 弟子たちにも、そのような経験をするようにお勧めになりました」とたかられた。

*生活の瞑想的な次元

 また教皇は「沈黙によって広く開かれたこの瞑想的な生活の次元を取り戻すうえで、聖ヨセフの模範に倣うことが重要ですが、それは容易ではない。沈黙は、ぞっとするようなものになる可能性があります。それは、沈黙が私たちに、自分の中に入り込み、その最も真理に近いものに反対するよう求める恐れがあるからです」と忠告。

 そのうえで、「沈黙のための空間を育てなさい。そこに、もう一つの『言葉』ー私たちの中に住まわれる聖霊の言葉ーが湧き出るように」と説かれ、「そのためには、私たちは話す時も注意して話す必要があります。好き放題にすれば、悪となり、私たちの言葉が”お世辞””自慢””嘘””悪口””中傷”になる恐れがあるのです」と付け加えられた。

*沈黙を養うことを学ぶ

そして教皇は「このように、沈黙ー私たちの日々の生活の中で、聖霊に、私たちを生まれ変わらせ、慰め、正してもらう空間ーを育むために、私たちはヨセフから学ぶ必要があります。私たちの心にもたらされる恵みは、私たちの言語、言葉、そして何よりも選択を修復してくれるでしょう」とされ、次の祈りで講話を締めくくられた。

 沈黙の方、聖ヨセフ、
福音書の中で一言も話されなかった方
無駄な言葉を話さないように教えてください
信仰心を養い、勇気づけ、慰め、支える言葉の持つ価値をもう一度見つけることができるように

 誹謗中傷や悪口など 他人を傷つる言葉に苦しむ人々の近くにいて
言葉と行いをいつも一致することができるように、私たちを助けてください  アーメン。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

2021年12月15日

☩「武器でなく、対話による解決を」教皇、ロシアのウクライナ軍事侵攻の恐れに対して

Ukrainian soldiers keep watch on the frontline between themselves and Russian-backed separatistsUkrainian soldiers keep watch on the frontline between themselves and Russian-backed separatists  (AFP or licensors)

(2021.12.12  カトリック・あい)

教皇フランシスコは待降節第三主日、12日の正午の祈りの最後に、ロシアが隣国ウクライナへの軍事侵攻の姿勢を強め、緊張を高めていることに触れ、「このクリスマスがウクライナに平和をもたらすように」と願うとともに、関係国に対して、対話を通じて危機を回避するよう呼びかけた。

 日米欧の先進7か国(G7)は同じ12日の外相会合最終日に、ロシアのウクライナに対する軍事圧力を非難、同国への軍事侵攻に強い懸念を表明する声明を発表しており、教皇の呼びかけはこれと軌を一にするものだ。

 教皇は12日の正午の祈りの終わりに、世界の教会、宗教団体、人々とともに、「愛するウクライナ」のために祈りを捧げ、「武器ではなく、真剣な対話を通じてウクライナの緊張を解消するように」と世界の関係国に求め、「このクリスマスが、ウクライナに平和をもたらすように」と強く希望された。

 また、この問題に関連して、昨年の武器販売業者による国際的な武器の取引額が前年を上回って増え続けていることを挙げ、 「武器は(問題解決のための)道ではありません」と言明された。

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 ウクライナは、ロシアが大規模な軍事攻勢に備えて、自国との国境沿いに数万人の軍隊を集結させたと非難。これに対して、ロシアは、攻撃計画を否定する一方で、自国の安全を保障する必要を強調している。

 これに対し西側は、12日のG7外相会議の声明で、ロシアのウクライナ侵攻の可能性が高まっていることに強い懸念を表明し、ロシア政府に交渉の席に戻るよう求め、前日11日には、バイデン米大統領が、ロシアがウクライナに進行すれば「ロシアは重大な代償を払い、経済が壊滅する事態に直面するだろう」とプーチン大統領に警告したことを明らかにしている。

2021年12月13日

☩「降臨を前に、イエスと人々のために私たちは具体的に何をすべきか」待降節第三主日の正午の祈りで

(2021.12.12 Vatican News staff writer

 教皇フランシスコは待降節第三主日の12日、正午の祈りの説教で、「待降節は、私たちがクリスマスをどのように準備し、イエスと他の人々のために自分の生活の中で具体的に何ができるか、を自問する時」とされた。One of the figurines of the Child Jesus the Pope blessed

 この日の説教の題材に、この日のミサで読まれたルカ福音書(3章⒑-13節)を取り上げられた。

 この箇所で、洗礼者ヨハネの悔い改めの勧めに応えて洗礼を受けに集まった人々が、彼に「私たちはどうすればよいのですか」と問いかけている。

 教皇は、「これは、主の降臨への熱望、その喜びと生き方を変えるような体験をするために具体的な備えをしたいという熱意を反映しています」とされたうえで、「私たちも、自分の生活の中で何をすべきか、を自問し、自分が何をすればいいのか、どのようになればいいのか、を真剣に考える必要があります」と信徒たちに促された。

 

*私たち1人ひとりに果たすべき使命がある

 そして、「私たちがどうすればいいのか、という問いは、『人生には自分にとってすべき仕事がある』ことを思い起こさせます。それは、成り行き任せの事ではありません。主が私たちに下さる贈り物なのです。主は、私たちが自分自身を発見するように求め、私たちの人生で夢が実現するように一所懸命に努力することを求めて、そうなさるのです」と説かれた。

 さらに、「私たち皆に、果たすべき使命があります。主に、このように繰り返し問いかけるのを恐れてはいけません-『私たちは、主のために何ができるでしょうか。自分自身のために、自分の兄弟姉妹のために、何ができるでしょうか』。皆さんは、この自分への問いかけを、教会と社会のために具体的にできることに、どのように当てはめることができるでしょう?」と問いかけられ、「待降節は、私たちにとって、クリスマスをどのように準備するか、イエスのために、他の人たちのために何をすべきかを、立ち止って、自問するのに必要とされる時なのです」と強調された。

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 この日は、半世紀前に聖パウロ6世教皇が始められたBambinelli Sunday(子供たちの日曜日)に当たり、聖ペトロ広場に親に連れられた子供たちが自宅の馬小屋に置く小さなキリスト像を持ち寄り、教皇から祝福を受けた。

 また、12日は、15世紀にメキシコ・シティ郊外のテペヤックに出現し、現在もメキシコを中心に中南米で崇敬を受けている「グアダルーペの聖母」の日でもある。教皇は、中南米からバチカンに巡礼に訪れた人々に挨拶するとともに、(中南米で)脆弱な人々、特に環境悪化の影響を受けている人々に手を差し伸べている人々の行為を称賛された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2021年12月12日

☩「神の目をとめさせるマリアのように謙虚になろう」無原罪の聖マリアの日に

Pope Francis at the window during his AngelusPope Francis at the window during his Angelus  (Vatican Media)

(2021.12.8 Vatican News  Francesca Merlo) 教皇フランシスコは無原罪の聖マリアの祝日の8日、聖ペトロ広場の会衆と共に正午の祈りを捧げられ、説教の中で、「謙虚さー神への近さーで聖母マリアに倣うように」と促された。

 説教で教皇は、この日のミサで読まれたルカ福音書(1章26‐38節)を取り上げ、「福音書は、私たちにマリアの心の素晴らしさを詳しく説明してくれます」と語られた。

 この箇所の初めに、神に遣わされた天使ガブリエルがマリアのところに来て、「おめでとう、恵まれた方」と呼びかける。

 教皇は「これが真実なら、彼女には、悪がない、罪がない、無原罪である、ということを意味しますが、天使のこのような挨拶に、マリアはひどく戸惑います」とされ、「大げさなあいさつや、名誉な誉めには、おごり高ぶりを引き起こすことがあります。イエスも、あいさつされたり、誉め言葉をかけられたり、注目されたりする人に、寛大ではありませんでした」と述べらえた。 そして、「マリアにとって、天使のあいさつが自分にはあまりにも過ぎた言葉であるように思えましたが、その謙虚さが、神の目を引きつけたのです」と指摘された。

 教皇は、この場面には「マリアの心の素晴らしい特徴が見られます。 彼女は何も主張しません。謙遜さの中で、神からすべてを受け取ることを知っているからです」。そして「このようにマリアの心は、自分自身から解放され、完全に神や他の人々に向けられています。これこそ、本当の謙遜でなのです」と説かれた。

 さらに教皇は、このような天使のあいさつを通した神の宣言が、村の広場ではなく、壁に囲まれた家の中で為されたことに注目され、「ナザレのその小さな家で、誰も経験したことのないような驚きを与えたのです。この質素な壁に囲まれた中で、神は歴史を変えられた。そして、今でも、神の恵みは、偉大な歴史的な出来事であるよりも、そのような場所で働くことを好まれるのです」と強調された。

 説教の最後に教皇は、会衆に対して、「生後マリアに恵みを求めなさい。マリアは、福音と自分の生活は別物だという誤った考えから、私たちを解放してくれます。そして、カードや絵とは関係のない、神聖さの理想への熱望に私たちをかき立てます。神聖さとは、自分自身から解放され、神と私たちが出会う隣人にしっかりと目を向けて、謙遜に、喜びを持って日々を生きることです」と促され、「心を失わないようにしましょう。マリアに助けを求める人は誰も見捨てられることはありません!」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2021年12月8日

☩「西欧の民主主義の弱体化を強く懸念」ー教皇、帰国途上の機内会見で

Pope Francis during inflight talk with journalistPope Francis during inflight talk with journalist  (Vatican Media)

(2021.12.6 CRUX  Senior Correspondent Elise Ann Allen)

   実質3日間のキプロス、ギリシャ訪問を終えた教皇フランシスコは6日午前、ローマへ帰還途上の機内で同行記者団と会見され、今回の二か国訪問の感想などを語られた。発言で注目されたのは、西欧でポピュリズムの台頭への強い批判、難民・移民問題への対処、正教会との兄弟的関係の継続的な推進に強い意志を示されたこと。先週のオペティ・パリ大司教の辞任については「ゴシップの犠牲者です」と評された。 

*女性との関係報道で辞任したオペティ・パリ大司教は「ゴシップの犠牲者」

 オペティ前大司教は先週2日、フランスの有力雑誌Le Pointに「ある女性と合意に基づく親密な関係をもっている」と書かれたのを受けて、教皇に辞意を申し出、受理されている。オペティはこの報道に対して、「その女性とは性的な関係は持っていない」と述べる一方、カトリック・ラジオ Notre Dame とのインタビューで、「何度も接触した人との状況をうまく処理できなかった」ことを認めている。

 記者会見でこの問題を聞かれた教皇は、Le Pointの報道について、「オペティがしたことは、大司教を辞任しなければならないほど酷いことだったのでしょうか。教えてください」と問い返し、返事が無かったので、さらに、「報道の内容が正しいかどうか、分からなければ、彼を断罪することはできない。被害者などから)訴えがあれば、調査せねばならないが、断罪するのが”公衆”であってはなりません」と言明された。

 また教皇は「『姦淫してはならない』という教会の掟に、恐らく違反したのでしょうが、オペティの場合、『完全な違反』ではない。少しなでたり、マッサージをしたり…というのが報道の中身ですね。これは罪ですが、一番深刻なものではありません」とされ、「オペティも、そして私自身も、皆が罪人です。ペトロさえも、イエスが十字架につけられる前に彼を否定するという罪を犯しています。私たちはいつも自分が罪人であることを自覚する必要があり、謙虚でなければならない」と語った。

 さらに、「ゴシップがどんどん膨らんで、誰かの名誉を奪うなら、それは不正な行為です。真実のゆえにではなく、偽善のゆえに、私は、オペティの辞任を受け入れました」と辞表の受理が不本意であったことを明らかにした。

*民主主義は文明の宝、ポピュリズムの脅威から守れ

 また、教皇は、ギリシャ訪問中、各界代表との会見で、「ナショナリズムの波の高まりの中で、欧州と西側諸国全域で、民主主義が弱体化している」と警告する発言をされていたが、これに関する質問には、「民主主義は、文明の宝。国々は、自身で、そしてどこにおいても守る必要のある宝です」と改めて強調。

 さらに、「現在の、民主主義に対する脅威には二つあります。一つはポピュリズムであり、今、その”爪”を見せ始めています」とされたうえで、「私は前の世紀のことを考えます。ナチズムーナチズムは、国の価値観を擁護するポピュリズムでした。民主的な暮らしを根こそぎにし、ドイツを独裁国家にしてしまいました。現代においても、どの国の政府も、ポピュリズムに傾斜しないように注意する必要がある」と述べた。

 そして、「Populismは、一国のアイデンティティ、民間伝承、価値観の表明であるpopularismではありません。国の価値を犠牲にし、損ない、国益を超える政府を指向するシステムです。国の利得のためにアイデンティティを損なうべきではありません」と語り、英国のロバート・ヒュー・ベンソン神父が著作「The Lord of the World」で予見した「国際的な政府が、他のすべての国を支配する世界」を挙げて、「このようなことは、超大国が経済的、文化的、社会的価値を支配するときに起こります」と警告した。

 

*難民・移民に”壁”を築く人々は”歴史”を忘れる

 教皇はまた会見で、今回のキプロス、ギリシャ訪問の主要なテーマだった難民・移民の問題に再び触れ、「壁を築く人たちは、”歴史”を忘れます」と、難民・移民の受け入れを拒む傾向の強まりを批判した。

*カトリック教会と正教会は祈りと行為を通し一致に向けて歩む

 カトリック教会と正教会との関係についても言及され、「神学的な論争が時とともに解決されていく中で、祈りと慈善行為を通し、一致に向けて共に歩むことができます」と述べ、モスクワのロシア正教会のキリル総主教との二回目の会談が計画中であることも明らかにしたが、日程など詳細については語らなかった。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

*欧州委員会の多様性に逆行する新ガイドラインは”時代錯誤”

(2021.12.6 バチカン放送)

 6日の機上会見で、教皇フランシスコは、ロシア正教会のキリル総主教との二回目の会見の可能性について、「それほど遠くないうちにキリル総主教と出会う意向がある」と述べ、会見の場所について、キリル総主教がフィンランドに行く可能性に触れると共に、「兄弟との対話のために、自分はいつでもモスクワに行く準備がある」と語られた。

 また、欧州委員会が先に発表した「インクルージョンなコミュニケーションのためのガイドライン」(後に取り下げられた)で、「クリスマス」など特定の宗教を示唆する言葉を用いないよう推奨していること、などへの考えを聞かれた教皇は、「欧州連合は創始者たちの理念を取り戻すべきです… 欧州連合の理念、偉大な理念は、”イデオロギーの植民地化の道”を歩まないよう忠告するものでした。欧州連合は構成国それぞれを尊重すべきであり、個々の国の多様性な在り方に対し、画一化を求めてはなりません」とされた。

 さらに、「それぞれの国が特徴を持ち、それぞれが他の国に対し互いにオープンなのが欧州連合であり、”イデオロギー的植民地主義”の媒介者であってはなりません。そういう意味で、お欧州委員会のガイドラインは時代錯誤です」と言明された。

(編集「カトリック・あい」)

2021年12月6日

☩教皇ギリシャ訪問:首都アテネでミサ「回心は私たちに”荒れ野”を越えさせる」

*主は私たちの”荒れ野”においでになる

 洗礼者ヨハネは、人々に回心の必要を説くことで、荒れ野でキリストの再臨を準備したが、教皇は、「神は今、私たちが試練や悲しみに直面しているところならどこにでも、眼差しを向け、私たちの内面的な空白を神で埋めようとするなら、私たちが実際にいる”荒れ野”に来てくださいます」とされ、「私たちは、日々の暮らし中で、”荒れ野”で迷子になっている、と感じることがよくあります。まさに、そのような時に、私たちの”誇り”が主を迎え入れるのを邪魔しないなら、主がおいでになる、と感じることができるようにしてくださるのです」と強調された。

 さらに、「主は、親しく、思いやりとやさしさに満ちた言葉で、私たちを訪ねてくださいます。そして、洗礼者ヨハネの荒れ野での説教は、『神は、私たちがいる所ならどこにでも訪ねて来られ、私たちの”小ささ”への愛を持って、私たちの乾いた魂を生き返らせてくださる』というメッセージを分かち合うものです」とされ、「(キリスト教徒が少ないギリシャ、アテネにいる)皆さんは、”小さいこと”や人数か少ないことを、辛く感じないように。それよりも大事なのは、神と他の人々に対して心を開いていることです」と、信徒たちに諭された。

 

*「回心」の元のギリシャ語の意味は「超えて考える」こと

 また教皇は、「洗礼者ヨハネが『回心』を説くことに重きを置いていることは、私たちを不安にさせるかもしれません。それは、私たちが生き方を変えることがどれほど難しいか痛感しているため、あるいは、回心を、『完徳』に達すること、自分自身では達成できないこと、と見ているからでしょう」と語られた。

 そのうえで、「私たちの問題は、『すべては自分次第』と考えていること。回心は、福音書が書かれた時に使われたギリシャ語では『metanoeίn』。文字通りの意味は『超えて考える』です。つまり、私たちの常識を超え、私たちが持ってきた世界観を超えること、そして、私たちの”自給自足”の信念、自分のことだけ、自分のやり方だけを考えるのを捨てることを意味します。回心を呼びかけることで、ヨハネは、現在いる場所を”超え”て行くように、私たちを促している。神は、私たちよりもはるかに大きな存在だからです」と説かれた。

 

*神はいつもおいでになる

 さらに教皇は、「『回心』とは、神がいつもおられること、神が私たちの未来、力であり、私たちは神を信じねばならないこと、を知ることです。私たちに必要なのは、キリストに扉を開き、迎え入れ、驚くべき業をしていただくこと。荒れ野とヨハネの説教が、キリストがこの世に来られるためにとった、すべてであったようにです」と述べられた。

 説教の最後に教皇は、「私たち皆が、『神と共に、すべてのことが本当に変わる』と信じることができますように、私たちの恐れを取り除き、私たちの傷を癒し、『私たちの乾いた荒れ野を泉に変えてくださいますように」と主の恵みを祈られたー「私たちは、希望の恵みをいただけるように願います。それが、私たちの信仰を、互いに助け合う心を、育むことができるからです。希望は、今の世界の”荒れ野が飢え乾いているからこそ、必要なのです」。

2021年12月6日