☩教皇の待降節第4主日正午の祈り「マリアがしたように『イエスの喜び』を皆にもたらそう」

(2021.12.19 Vatican News staff writer)

 教皇フランシスコは19日、待降節第4主日正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたルカ福音書の箇所ーマリアが親類のエリザベトを尋ねた日の出来事ー「arise and to go in haste(勢いよく立って、急いで行って)」エリザベトに挨拶し、彼女を助けたーに注目され、「私たちも同じように、心を広くして他の人々に接し、イエスがお生まれになる喜びをもたらすことができるのです」と語られた。

*「勢いよく立って、急いで行く」

 教皇は「勢いよく立って、急いで行く」の持つ意味について、まず「勢いよく立って」は、マリアが、意欲を持って前に進み、誤解や罰にさらされる危険のある”予期しない妊娠”への悩みを振り切り、この信じられない経験を受け止め、完全に理解することの難しさを乗り越える決意を示している、と説明。

 「このような問題に、マリアは打ち負かされたり、動きが取れなくなったりあすることはありませんでした。神に信頼を置き、親類のエリザベㇳに思い切り手を差し伸べて、高齢で男の子を身ごもった彼女を助けました」と語られた。

*他の人たち手を差し伸べる

 そして、教皇は、「私たちも、課題、問題、否定的な考えから抜け出し、マリアがしたように、他の人たちに手を差し伸べ、助けるようにせねばなりません。孤独な年配の人と一緒に訪問したり、声をかけたり、慈善活動をしたりできるでしょう」とされ、さらに「神は偉大な方。私たちが手を延ばせば、いつもそこにおられます」と述べられた。

*まず、穏やかな微笑みを

 さらに教皇は、もう一つの「急いで行く」が意味するのは「他の事をしたり、動きを止めたりする誘惑を跳ね除け、自信を持って先を見据え、喜びをもって日々の生活を送ること」とされた。

 そして、「マリアは、心と命が神に満たされ、喜びに満ちた人の『歩み』をもって進みました。私たちは、自分の『歩み』がどのようなものか、希望と活力、忍耐を持って進むかどうか、自らに問わねばなりません。私たちが塞ぎ込めば、誰にも神をもたらしません」とされたうえで、「日々の困難があっても、前向きに、そして、ユーモアの健全な感覚を養いなさい。まず、私たちができる慈しみの行為は、穏やかに、微笑みかけること、『マリアがエリザベトにした、イエスの喜び』をもたらすことです」と強調された。

 最後に教皇は、聖母マリアに、「勢いよく立って、クリスマスに向かって急いで行けるように!」私たちを助けてくださるように祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年12月19日