☩「降臨を前に、イエスと人々のために私たちは具体的に何をすべきか」待降節第三主日の正午の祈りで

(2021.12.12 Vatican News staff writer

 教皇フランシスコは待降節第三主日の12日、正午の祈りの説教で、「待降節は、私たちがクリスマスをどのように準備し、イエスと他の人々のために自分の生活の中で具体的に何ができるか、を自問する時」とされた。One of the figurines of the Child Jesus the Pope blessed

 この日の説教の題材に、この日のミサで読まれたルカ福音書(3章⒑-13節)を取り上げられた。

 この箇所で、洗礼者ヨハネの悔い改めの勧めに応えて洗礼を受けに集まった人々が、彼に「私たちはどうすればよいのですか」と問いかけている。

 教皇は、「これは、主の降臨への熱望、その喜びと生き方を変えるような体験をするために具体的な備えをしたいという熱意を反映しています」とされたうえで、「私たちも、自分の生活の中で何をすべきか、を自問し、自分が何をすればいいのか、どのようになればいいのか、を真剣に考える必要があります」と信徒たちに促された。

 

*私たち1人ひとりに果たすべき使命がある

 そして、「私たちがどうすればいいのか、という問いは、『人生には自分にとってすべき仕事がある』ことを思い起こさせます。それは、成り行き任せの事ではありません。主が私たちに下さる贈り物なのです。主は、私たちが自分自身を発見するように求め、私たちの人生で夢が実現するように一所懸命に努力することを求めて、そうなさるのです」と説かれた。

 さらに、「私たち皆に、果たすべき使命があります。主に、このように繰り返し問いかけるのを恐れてはいけません-『私たちは、主のために何ができるでしょうか。自分自身のために、自分の兄弟姉妹のために、何ができるでしょうか』。皆さんは、この自分への問いかけを、教会と社会のために具体的にできることに、どのように当てはめることができるでしょう?」と問いかけられ、「待降節は、私たちにとって、クリスマスをどのように準備するか、イエスのために、他の人たちのために何をすべきかを、立ち止って、自問するのに必要とされる時なのです」と強調された。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この日は、半世紀前に聖パウロ6世教皇が始められたBambinelli Sunday(子供たちの日曜日)に当たり、聖ペトロ広場に親に連れられた子供たちが自宅の馬小屋に置く小さなキリスト像を持ち寄り、教皇から祝福を受けた。

 また、12日は、15世紀にメキシコ・シティ郊外のテペヤックに出現し、現在もメキシコを中心に中南米で崇敬を受けている「グアダルーペの聖母」の日でもある。教皇は、中南米からバチカンに巡礼に訪れた人々に挨拶するとともに、(中南米で)脆弱な人々、特に環境悪化の影響を受けている人々に手を差し伸べている人々の行為を称賛された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2021年12月12日