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・9月1日「被造物を大切にする世界祈願日」に始まる「被造物の季節」と別に「”いのち”を守る月間」とする意味は?
9月は世界のカトリック教会はじめキリスト教諸教会が参加する「被造物の季節」。1日の「被造物を大切にする世界祈願日」に始まり、アッシジの聖フランシスコを記念する10月4日まで、人類はじめ神に作られた物を守り、育てる祈りと行動の月間だ。
*教皇フランシスコのメッセージ
教皇フランシスコは 2016年の9月1日「被造物を大切にする世界祈願日」に当たって、「私たちの共通の家に慈しみを」と題する次のようなメッセージを出されている。(以下、抜粋)
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正教会の兄弟姉妹との一致のうちに、カトリック教会は今日、他の教派やキリスト教共同体に支えられ、「被造物を大切にする世界祈願日」を祝います。
この日は、被造物の管理人となるという自らの召命を再確認し、すばらしい作品の管理を私たちに託してくださったことを神に感謝し、被造物を守るために助けてくださるよう神に願い、私たちが生きているこの世界に対して犯された罪への赦しを乞うのにふさわしい機会を、各々のキリスト者と共同体に与えてくれます。
人間の命そのものと、その命に含まれるすべてのものの中には、私たちの共通の家を大切にすることが含まれます。したがって、七つの業からなるこの二通りの伝統的な慈善の業に一つ補足することを提案させてください。慈善の業に「私たちの共通の家を大切にすること」が含まれますように。
精神的な慈善の業としての「私たちの共通の家を大切にすること」は、「神の世界を感謝のうちに観想すること」(回勅『ラウダート・シ』214)を必要とします。その観想は、「神がわたしたちに届けようとお望みになる教えを、一つ一つのものの中に発見させてくれます」(同85)。
身体的な慈善の業としての「私たちの共通の家を大切にすること」は、「暴力や搾取や利己主義の論理と決別する、日常の飾らない言動」(同230)を必要とします。この業は、「よりよい世界を造ろうとする一つ一つの行為において感じられます」(同231)。
私たちは自分の罪や非常に困難な課題に直面しても、決して希望を失いません。「創造主は決して私たちをお見捨てになりません。神は決してご自身の愛する計画を放棄したり、私たちをお造りになったことを後悔したりなさいません。……主がご自身を私たちの地球と決定的に結ばれ、またその愛が、前へと向かう新たな道を見いだすよう、絶えず私たちを駆り立ててくれるからです」(同13、245)。とりわけ9月1日に、そしてその後は、一年中、次のように祈りましょう。
「おお、貧しい人々の神よ、あなたの目にはかけがえのない この地球上で見捨てられ、忘れ去られた人々を救い出すため、私たちを助けてください。……
愛の神よ、地球上のすべての被造物へのあなたの愛の道具として、この世界での私たちの役割をお示しください。いつくしみ深い神よ、あなたの赦しを受けて、私たちの共通の家全体に あなたの慈しみを運ぶことができますように。あなたは讃えられますように。アーメン」
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*今年5月になって日本の司教団が、同じ期間を「すべてのいのちを守るための月間」にする、と発表
だが、日本の司教団は今年5月になって、高見・司教協議会長名で「すべてのいのちを守るための月間」設置について、「わたしたち司教団は、教皇フランシスコの訪日にこたえて、毎年9月1日~10月4日を「すべてのいのちを守るための月間」と定め、今年から実施することにいたしました」という発表をした。昨年まで、バチカンとキリスト教諸教会の呼びかけを受けて日本でも行っていた「被造物の季節」とどのように連携するのかも含めて、その後、カトリック中央協議会のホームページも5月の発表当時のまま、具体的な提案もなく8月31日に至っている。
*わざわざ、漢字の「命」でなく、ひらがなの「いのち」を使う意味はどこにあるのか?
この問題への立ち入った論評は控えるとして、この司教団の標語のキーワードである「いのち」という表記について考えたい。どうして、「命」という通常の当用漢字表記が一般にされているのに、わざわざ、ひらがなにするのか。特別の思いを込めているのなら、説明が必要だが、そのような説明は聞いたことがない。
語源的にみると、ひらがなの「いのち」の語源には諸説あり、「い」は「いく(生)」や「いき(息)」と共通の意味があり、「ち」は「いかづち(雷)」や「大蛇(おろち)」などの「ち」と同じく「霊力」を意味するとする説。「いきのうち(息内)」が略されて「いのち」になったとする説。「いののち(息の後)」が略されて「いのち」になったとする説。「「いきのうち(生内)」が略されて「いのち」になったとする説、など、要するに「霊」や「息」に関係する説が多いが、はっきりしない。
*「命」には語源的に「祈りを捧げる人に神から与えられるもの」を表わしている
これに対して、漢字の「命」は「人」「口」「卩」から作られ、「祈りを捧げる人に神から与えられるもの」との解釈で一致。高名な漢文学学者、白川静氏は『常用字解』(平凡社、2004)で、「命」は「令と口とを組み合わせた形。令は深い儀礼用の帽子を被り、跪いて神託を受ける人の形。口はᄇで、祝詞を入れる器の形。神に祝詞を唱えて祈り、神の啓示として与えられるもの」としている。この場合の「神」は中国の神だが、その「神」が何を指すのかは諸説あるだろうが、漢民族の伝統的な宗教とされる道教では、中心概念の道(タオ)は宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。
*福音書のイエスの言葉、日本語訳も「命」が使われている
8月30日、年間第22主日のミサで読まれたマタイ福音書のキリストの弟子たちへの言葉は、日本語訳では「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか」(16章25節=カトリック教会のミサ典礼で使用されている「新共同訳」)と、漢字の「命」を使っている。漢字の「命」の語源を知っていれば、ひらがなでなく、漢字の「命」ー祈りを捧げる人に神から与えられるものーが実にしっくりくる、キリストの言葉の意味がよく理解できるのではなかろうか。
「すべての…」の標語のキーワードに、ひらがなの「いのち」を使うことに、どれほどの理解と思いがあったのか、知らない。言えることは、聖書の日本語訳で漢字の「命」がきちんと使われているにもかかわらず、わざわざ、「いのち」と書くカトリック教会の聖職者、関係者が多く、おそらく、その意味について深く考えることもなく、使用しているのではないか、ということだ。言葉は、人にメッセージを伝えるための重要な手段であり、一言一言、とくに重要なメッセージを込めたキーワードについては、十分な理解と配慮が必要だ。それがおろそかになっては、福音のメッセージもうまく伝えることはできない。
*日本語の用語を大切にしないのはカトリックの”伝統”?
「なぜ『神』なのですかー聖書のキーワードのルーツを求めて」(2011年、燦葉出版社刊)で筆者が書いたことを詳細に繰り返すつもりはないが、日本語を大切にしない”伝統”は明治初期、キリスト教の布教が改めて始まった時から続いているようだ。
聖書の日本語訳に最初に手を付けたのはプロテスタントの宣教師だったが、「God」の中国語訳をめぐって議論が分かれる中で「神(shin)」と訳した米国人プロテスタント宣教師が、たまたま漢字が同じだったことで、聖書和訳の際に「神(カミ=一般的には八百万の神を意味していた)」を使った。
それをカトリックの翻訳者も(翻訳に関わった日本人が、プロテスタント宣教師を手伝ったのと同じ人物だったこともあり)そのまま使用して、現在に至っている(第二次大戦中は、神道の「神」との混同を避ける為か、軍部に命じられたのか、不明だが、中国のカトリック教会が使用していた「天主」「天主教」に変えられていたが)。
もともと、日本語の「神」には一神教の概念はなかったにもかかわらず、この漢字を採用したことが、日本人の間に、いやカトリック信者でさえも、「神」理解に齟齬が生じる原因となって続いているのだが、そのような経過を知っているカトリック関係者がどれだけいるのだろうか。ひらがなの「いのち」を多用することにも共通しているように思われる。「”いのち”を守る月間」の機会に改めて考えてみた。
(「カトリック・あい」南條俊二)
・Sr.阿部のバンコク通信 ㊼タイ東北部で57歳の新司教の叙階式に8000人!
タイのイサーン(東北)地方、タレー・ノンセン教区のタレーにある聖ミカエル大聖堂で、クリエンサック枢機卿司式による司教叙階式がありました。
当地出身の57歳、6代目教区長のヴィラデット司教の誕生です。雨天の中を13人の司教、270人の司祭、そして信徒たち合わせて総勢8000人が参列しての感謝のミサ、叙階式は、歓迎
の喜びに満ちていました。聖堂と回廊は満席。入りきれない信徒のために屋外のテントでも実況中継… 見事な準備、何ともいい雰囲気でした。
タレーは、全人口7500人がカトリック信徒の町。1884年 に若きパリ外国宣教会の2人の宣教師(プロドム神父32歳、 ゲゴ神父26歳)がカトリックの教えをもたらしたことに始まりま す。
2人は1881年、バンコクを出発し、宣教(馬車や馬で)の旅へ。ウボン、ナコンパノム、サコナコンを経て、沼を渡り、3年後の諸聖人 の祝日にタレーに到着。そこは正に信徒の新天地でした。
1885年には、ベトナムとラオ スの信徒を連れて、これまた若きパリミッションの宣教師コンボリ エ神父がタレーに到着。その後、 前任宣教師はウボンに戻り宣教に続投、コンボリエ神父は52年の間、タレーを中心に宣教司牧に奮闘。若き献身者を養成し、192 4年にはLover of Cross 修道会を創立。修道会は100余名の会員を得て教育司牧の奉仕を続け、現在に至 っています。イサーン地方の人々に親しまれ、苦楽を共にする修道会 、タイ宣教の私のお手本です。
1950年に東北4県をカバーするタレー・ノンセン教区ができ、この度、6代目の司教が誕生。「当然の務めを果す、取るに足らない僕」を標語に就任の挨拶、翌日は Lover of Cross修道院でミサを捧げ、年配のシスターに囲まれ喜びの会 食。この街に誕生した9人兄弟の7番目のデット君(神学校に入り 叙階そして司教)を囲む、街の誇り期待に満ちたお祝いでした。
実は、以前にタレーの修道院にお世話になった時、クリニックで働く 女医のシスターの運転で、当時神学校の院長だったヴィラデット司 教様とドライブ、会食、そして思いっきり卓球を楽しんだ思い出が あるのです。いつかまたお相手を… 無理なお願いでしょうか。司教様の司牧のお勤めに乾杯合掌。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
・Sr.石野の思い出あれこれ ㉖ローマでの修道誓願から2か月で帰国、志願者養成の担当!
修道誓願宣立は、私の生活にとってピリオッドではなく、一つのコ ンマにすぎない。これによってまた新しい扉が開かれ、ある意味で新しい生活を始めることになる… そんなことを思いなが ら、およそ二年間のローマ生活を振り返り、まだ興奮冷めやらぬ日々を過ごしていた。
柔らかい緊張感に包まれた喜びと 感謝、恵みに次ぐ恵みの二年間。これからまた心機一転、しばらくの間たくさんのことを学びながらローマでの生活を満喫し たい、と望みもし、そうなると思っていた。ところが、み旨は違った… 「できるだけ早く日本に帰ってきてほしい」という のが日本側の望みだった。
当時、修道生活は「この世から隔離され、規則と沈黙が支配する厳し い生活」と思われていた。実際、ほとんどの修道会の生活がそうであった。「現代的」と言われる聖パウロ女子修道会とて、大きな違いはなかった。しかし、聖パウロ女子修道会は20世紀の初めに創立された比較的新しい修道会で、100%とは言えないが 、ある程度、世間との接点があった。コミュニケーション手段を用いて福音を宣教したり、よい書物を普及普及するために世に出て 直接人々に出会って話したりで、多少は現代の社会と足並みそろえていた。
そんな修道会だから、現代的で、風通しの良い修道院での生活を希望 する若い女性が多く入会してきた。ところが、これらの志願者を養成するための日本人の立誓者が一人もいない。だから「ローマで養 成されて誓願を立てたシスターが一日でも早く欲しい」というのだ。
誓願を立ててからおよそ2か月後、私は後ろ髪をひかれるような思 いでローマを後にし、日本への帰路についた。
「日本に帰ったら、あなたは志願者の養成担当になります」。ローマ の空港まで見送ってくれた修道会の総長が、空港で私をそっと脇に呼んで、こう告げた。私は衝撃を受けた。誓願を立てたばかりの 私が養成担当者に?誓願を立てて正規の会員になったとはいえ、まだホヤホヤのシスターなのに。考えるだけで気が重く なった。
誰にも言えない大きな宿題を胸に、私は機上の人となった。東京に戻る途中で立ち寄るマニラ行きのフィリピン・エアー・ラインだった。
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)
・ある主任司祭の回想・迷想 ⑥「司祭とは何か」の問いに主は答える-「私に従いなさい」
「司祭って何なのだろう」ー最近、よく考える。コロナの影響で、いつもより過去を振り返る時間があるからだろうか。
「それが解らずに司祭になったのですか」と叱られそうだが、実はこの問いには、かなりの「深み」が伴い、「これだ」と一言では言い尽くせないものがある。教皇さまさえも、語ればきりの無いくらい語ってくださるであろうテーマだと思う。
振り返えれば、神学生の頃は、とにかく「司祭になること」だけを考えていたような気がする。その頃は漠然としながらも、ぼんやりと「司祭職」を思い描いていた。ところが、いざ司祭になって4、5年経つと、「本当にこれでいいのか」とよく思うようになった。
まあ、言ってみれば、そもそも自信がなかったわけで、これまで迷いながらの歩みを進めてきた。忙しい時はともかく、今の時期のように、振り返る時間があると、つい考えてしまうのだー「司祭ってなんだろう」と。
「ミサを司式する人」、すなわち「秘跡の執行者」、聖書や教会の教えの「解説者」。主任司祭であれば、「小教区の司牧責任者」、はたまた聖書的な表現で言えば「民の長老」。どれも間違いではないはずだが、いまひとつ、しっくりこない。
神学生の頃、先輩や同僚から、こんなことを言われた-「加藤君、駄目だね。『福音宣教』という一番大事な使命を忘れていないか」。だが、福音宣教は、司祭だけでなく、信徒を含めた教会全体が担っている使命であるはずだ… そんなふうに考えれば考えるほど、よく分からなくなる。実際、私以上にこのことを考え抜いていた先輩たちもいた。
そうこうしているうちに、私自身の叙階の日がやってきた。その時、あることが思い浮かんだー「目の前に司教と司祭団がいる。司祭は司教の駒であり、司祭団という集団の一人なのだから、一人の司祭の立場だけでこのことを理解しようとしても、あまり意味がないのではないか」。
あれからどれだけの年月が経ったのだろうか。物理的な年数は当然、分かっている。だが、その過ぎ去った年月の内容が、はっきり見えないように思われるのだ。実際、今でも分からないことが多い。しかし、司祭1人の立場だけで理解することはできなくても、「 互いに補い合う」ことはできる。これに主眼をおいて考え続けていけば、ひょっとしたら何か分かるかも知れない… 少なくとも今はそう思えるし、そうやって前に進んで行くしかないのだろう。
ペトロが、イエスの愛しておられた弟子を見て、イエスに「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と聞いた時、イエスはこう言われたー「私の来るときまで彼が生きていることを、私が望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、私に従いなさい」(ヨハネ福音書21章22節=聖書協会共同訳)。
司祭職の何たるかは、あまりに深淵すぎて、私には分からない。「つべこべいわず、ついて来なさい」と主は仰せなのだろう。
・菊地大司教の日記 (64) 「複雑な国際関係、あらゆる努力が必要だが、理想は語り続けねば」ー2020年平和旬間に
2020年8月 6日 (木)
毎年、8月6日の広島原爆忌から、9日の長崎原爆忌を経て、15日の終戦記念日まで、10日間を平和旬間として、日本の教会は平和について語り、学び、祈っております。今年は広島と長崎に原爆が投下されてから75年の節目の年ですが、残念ながら現在の感染症の状況から、各地の行事は縮小され、東京教区においても、例年行われてきた様々な行事が中止となりました。教区のホームページにおいては、それでも出来ることをと、祈りの短冊を15日まで募集しています。
あらためて、戦争で亡くなられた多くの方々の永遠の安息をお祈りいたします。戦争のために人生の道筋を大きく変えられた方々も多くおられるでしょうし、心身に重荷を負われた方も多くおられたことと思います。夏の暑さの中に佇むとき、多くの方の無念の思いが、天に昇る上昇気流のようにそこここに満ちあふれていることを感じます。その思いを祈りとして、いつくしみ深い御父にささげます。
歴史を振り返るまでもなく、わたしたちは常に平和を語りながら同時に戦いを続けています。いのちを守ることを語りながらいのちを奪い合っています。自分ひとりが同時にその二つの行為をしていなくとも、わたしたちは一匹狼として生きているわけではなく、世界中の人と繋がれて「共通の家」で生きている仲間です。なんともいえない矛盾の中で、わたしたちは歴史を刻んでいます。
「戦いを止めよ」と叫んだからと言って、それですべてが解決することはありませんし、複雑な国際関係がその一言で修復されるわけでもありません。そこには様々な側面からのありとあらゆる種類の努力の積み重ねが不可欠ですし、その積み重ねはあまりに膨大で、人間の手に余るものなのかも知れません。政治、経済、そして学問などの様々な分野での努力を積み重ね続けるためにも、そこには誰かが理想を語り続けなければなりません。たとえそれが夢のようであっても、目指すべき理想を語ることを続けたいと思います。「戦争は人間のしわざ」だからです。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教「司教の日記」から)
・Sr.阿部のバンコク通信 ㊻楽々、とは限らないタイの日本人社会
タイ国には永住者を含め、4万強の日本人社会があります。
1970年頃からタイ国は観光立国を打出し、高度経済成長を目指 し、日本企業も積極的に進出、飛躍的な活躍を見せます。 その後の1997年経済危機、タイバーツの暴落、 外資系企業が去って行く中で、日本企業は「赤字でもタイ社会で人々と共 に危機を乗り切ろう」と頑張りました。
一般にタイ人は日本製品を好み、日本人に好意を持っています。新 しい物に興味、関心を示し、パッと集中します。スマートフォンの普及の勢 いには、本当に驚きました。
タイの人々の中に生活していると、自分との温度差、感性の差に 気づきます。なるほどなぁ、と頷き、合点のいくことが結構あります。 私よりも自然態で、理屈抜きで、単純簡単、頭に比重がかかる私を 軽くしてくれます。
日本企業の幹部駐在員は、運転手、お手伝いさん付きで結構なマン ションに住んでいます。必需品はほとんど何でも揃う便利な環境で数年 の駐在期間を送りますが、そうした日本人社会にも、影りが顕著になっています。「親切へのしっぺ返し」に傷つき、孤立し、 人間関係のよじれ、辛辣な意地悪に苦しんでいる人々のことを耳にします。
初めてのタイ駐在は楽々、と言われているそうですが、人間関係の 柵から解放される天国ではないのですね。
人々の苦しみや悲しみ、喜びや感激に心を傾け、この胸いっぱいの 思いを「祈りのるつぼ」で熱し、昇華する。無力な私の祈りを受けとめてくださ る慈悲深い、全能の神様に委ねるのですーそれが、私が優先する日々の勤めです。
経済成長の象徴のような近代ビルの谷間、まだ暗い早朝に、裸足の托鉢僧が祈りな がら街を歩く姿が今日も見られるタイの日常。バンコクで、ただ1人の日本人修 道者の日常もまた、コロナ禍の中で、祈りと献身が騒音に消されることなく天に昇れよ かし…。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
・Dr.南杏子のサイレント・ブレス日記㊶ エリザベス・ブラックウェルと共 に
エリザベス・ブラックウェル(1821年~1901年)をご存知だろうか?
世界で初めて正規の医学教育を受けて医師となった女性である。1849年、ニューヨークの医学校を首席で卒業し、医学学位を取得。その後、パリ、ロンドン、ニューヨークなどで数多くの患者の治療に当たり、ニューヨーク病院附属女子医学校やロンドン女子医学校を設立し、現代に続く女性医師の未来を切り開いた人物だ。
ブラックウェルは、イギリス南西部の港町ブリストルに砂糖製造業を営む家庭に生まれた。しかし、生家の砂糖工場が火災にあったため一家でアメリカに移住する道を選ぶが、17歳の時に父を亡くし、その後は姉妹とともに小さな学校を開き、そこで教師をしながら生活していた。
人生の転機は、彼女が24歳の時に訪れる。子宮がんで余命いくばくもない知人から、「なぜ、あなたは医学を勉強しないの? 女のお医者さんがいてくれたら、私も少しは苦しみから救われたはずなのに……」と声をかけられ、医師になる道をすすめられたのだ。
19世紀半ばのアメリカでは、そもそも女性が医師になるという発想がなかった時代だ。ブラックウェルも医師を志したものの、多くの壁が目の前に立ちはだかる。面会した医学校の学長には困惑顔で就学を断られ、願書を全米の学校へ送っても受理してもらえない。
そんな中、ニューヨーク州の田舎町にあるジェニーバ医学校(現・シラキュース大学)は、全在学生(当然ながら男のみ)が認めれば入学を許可すると提案してきた。要は断るための方便だ。ところが学生たちは冗談半分で全員が賛成票を投じてしまった。

入学を認められた後も、いざ女子医学生の存在が現実のものとなると、男子学生が意地悪をしてくる。さらに、「レディーにふさわしくない」と外科の授業を締め出され、研修先からは「女の面倒は見られない」と受け入れを拒否されてしまう……。
それにしても、大昔の話である。しかし、現代の日本に生きる私たちは、ブラックウェルの苦労や彼女を取り巻く男たちの滑稽な姿を笑えるだろうか?
2018年8月に東京医科大学をはじめとする医学部の不正入試が発覚し、多くの大学で女子学生の点数を操作していた事実が露見した。入学試験だけにとどまらない。日本の医学教育や医療現場では、男女間の差別が、実態として意識として、さまざまなレベルで残っていると言わざるを得ない。
女子医学生や女性医師が直面する「いま」の問題に焦点を当て、専門も考え方も異なる5人の女性医師の人間模様を描いた『ブラックウェルに憧れて』を7月下旬、光文社から上梓した。エリザベス・ブラックウェルの人生や彼女が残した名言の力も借りながら、多くの女性医師が涙と希望を抱きながらがんばる姿を作品にした。女性であり、医師であるがゆえの苦しみを少しでもあぶり出せていたら嬉しい。
(みなみきょうこ・医師、作家: モンスター患者の登場で揺れる医療現場に焦点を当て、医師と患者の絆を考える『ディア・ペイシェント―絆のカルテ』=幻冬舎文庫=が、NHKテレビ「ドラマ10」で連続ドラマ化され、7月17日から放映中です。『いのちの停車場』=幻冬舎=、『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎文庫、『ステージ・ドクター菜々子が熱くなる瞬間』=講談社も、好評発売中です)
・ガブリエルの信仰見聞思 ⑨悲しみや苦しみからの「嘆きの祈り」
今でもはっきり覚えています――小学5年生の時、仲良しのクラスメートとそのご両親が、小児がんで亡くなった彼のお姉さんの葬儀で号泣していた時のことと、数か月後、小児がんで右脚を切断されて病院のベッド上で、震えながら、むせび泣いていたサッカー部の元チームメートを抱きしめていた時のことです。
それが、生まれてから初めて、心の中で「なぜ」と泣き叫びながら、内面的に感じていた悲しみによる涙を流した時だった、と思います。当時の教会学校の一人のシスターに、なぜ神様に愛されている子供たちにそんなことが起こるのか、と尋ねた覚えがあるのですが、多分シスターの答えがよく理解できなかったので、何と言われたか覚えていません。
私たち皆、無数の喜怒哀楽を通して生涯を送っています。恵まれていると感じたとき、良いことや成就を経験したとき、神様に賛美と感謝を捧げます。しかし、混沌や困惑、悲しみや苦しみ、死の存在、あるいは人間の脆弱性や無力さに対する感覚によって圧倒されたときには、私たちはどのように祈ればよいでしょうか。
聖書には、悲しみや苦しみの中に捧げる嘆きの祈りの場面が多くあり、そのような状況でも、私たちは神様に向かって、心のこもった嘆きの祈りを捧げることができる、と教えてくれています。
詩編の3分の1以上(50編以上)は嘆きの歌ですー「主よ、深い淵の底からあなたに叫びます。わが主よ、私の声を聞いてください。嘆き祈る声に耳を傾けてください」(130編1~2節)。
嘆きはヨブ記にも頻繁に出てきますー「なぜ、私は胎の中で死ななかったのか。腹から出て、息絶えなかったのか」(ヨブ記3章11節)。
また、神様に選ばれた預言者たちも、エレミヤのように神に向かって嘆き叫びますー「なぜ、私の痛みはいつまでも続き/私の傷は治らず、癒えることを拒むのでしょうか」(エレミヤ書15章18節)。
5つの章で構成される『哀歌』の書は全体で、バビロニア人によるエルサレムの破壊の後に感じられた痛みと苦しみを表現しています。
新約聖書にも同じようなことが書かれています。苦しんでいる人たちは、主イエスに助けを求めて叫びます。盲目の乞食バルティマイは、「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と叫びます(マルコ福音書10章47節)。
何よりも、主イエスご自身はゲツセマネの園で御父に向かって嘆いていますー「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取りのけてください」 (マルコ福音書14章36節)。
十字架の上での苦しみの中で、主イエスは、「わが神、わが神/なぜ私をお見捨てになったのか」と詩編22編の言葉をご自分のものにされています。
非常に悲しいことに、今日、私たちは多くの不幸が起きている痛々しいご時世を生きています。あまりにも多くの命が新型コロナウイルスの世界的大感染に取られています。家族の死別、生計は失われ、飢餓は数多くの人々を脅かしています。
私たちは世界が変わったと感じ、また、将来がどうなるかについて、予期的な悲嘆を感じています。社会全体としての一般的な安全意識が失われ、ミクロとマクロの両方のレベルで悲嘆しています。
しかし、神様は、ご自身の御言葉(聖書)の中で、私たちの悲しみのための空間をお作りになってくださり、私たちが「こんなはずじゃない」と嘆き、泣き叫ぶことができるようにしてくださっています。主は、苦しみの中の私たちに寄り添ってくださいますー「主は心の打ち砕かれた者に寄り添い/霊の砕かれた者を救い出す」(詩編34編19節)。
『哀歌』の書は、神様の民の悲嘆、孤立の苦しみ、飢えの現実、疑問、不安について書いています。これらが今日の私たちの現実ではないでしょうか。哀歌は、私たちの泣き、痛みや苦しみを表すために必要な空間を示してくれます。「立って、夜回りの始まる時に叫べ。主の前で、心を水のように注ぎ出せ・・・」(哀歌2章19節)。嘆きは祈りの一部であり、「主の御前」で泣くのは非霊的なことではなく、弱さの表れでもありません。
聖書の嘆きは、直接神様に向けられているのです。私たちは神様に直接泣き叫び、心のこもった質問をし、嘆きの祈りを捧げますー「いつまでですか、主よ。私をとこしえにお忘れになるのですか」(詩編13編2節)、「主よ、なぜあなたは遠く立ち、苦難の時に身を隠されるのですか」(10編1節)、「なぜ、いつまでも私たちを思い出さず、これほど長く捨てておかれるのですか」(哀歌5章20節)。
病のときー「私は病み衰えています。主よ、癒やしてください」(詩編6編3節)、孤独と疎外感の中ー「愛する者も友も病の私から離れて立ち、親戚の者も遠くに立ちました」(38編12節)、他者による危害と虐げを受けるときー「わが神、主よ、…迫り来るすべての者から私を救い、助け出してください」(7編2節)、年老いていくときでもー「年老いた時、私を見捨てず…」(71編9節)。
ほとんどすべての聖書の嘆きの祈りは、主への賛美に転じて終わります。祈りの立場から見れば、その意味は明白に思えます。私たちが嘆き悲しみ、痛みや否定的な感情に向き合い、それを表現し、すべてを吐き出した後にこそ、癒しが始まるのではないでしょうか。より神学的な表現を借れば、死と向き合い、それを経験することによってのみ、私たちは新たな生命、復活を得ることができる、のです。
嘆きの祈りは悲しみや苦しみの中から始まり、神様による回復を待ち望みながら、主の最善への切望の中に終わります。私たちは、神様の御前に入り、私たちの個人的、集団的な悲嘆を主へ表すよう教えられています。
しかし、それはそれで終わるのではなく、私たちは希望を持っていない者として悲嘆するのではありません。私たちの悲しみや苦しみには意味があり、主を待ち望んでいる間に得られる教訓と成長があるのです。
私たちは主の御前で泣きます。そして、王の王、主の主である主イエスが共におられることを私たちが知っていますー「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる」(マタイ福音書5章4節)
(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれて育ち、現在日本に住むカトリック信徒)
・三輪先生の時々の思い⑳老獪プーチンが憲法”改正”で加えた「禁領土割譲」条項
日本にとっての「北方領土」、つまり1945年夏の敗戦のどさくさに、ロシア-当時のソヴィエト-が軍事占領して以来、営々と実効支配の実績を積み上げてきたプーチンのロシアが、これら国後、択捉、それに歯舞群島と色丹島を日本に返還することなどありえないことだ。
帝政ロシア以来の領土拡張の歴史をたどれば明白である。私はアメリカに留学中の1955年から56年に、ジョージタウン大学の地政学教室で、その事をしっかりと学んだ。ロシアの拡張主義は「アメーバ方式」という。これはシャーボウィッツ・ベッツァー教授の造語だったらしい。
北海道大学のスラブ研究所の研究会で、「アメーバ方式」の概念を紹介したことがある。後になって木村洋教授が「『アメーバ方式』、あれいいですね、使わしてもらっています」と言われたことがあった。ロシア研究者の間では知れ渡っている用語だと思っていたが、そうではなかった。それはアメリカの一部の地政学教室で使われていただけだったらしいことを、後で知らされた。
本題に戻ろう。老獪なるプーチンの対日領土保全政策である。日本の敗戦以来今日まで、しっかりと実効支配してきた、われわれ日本にとっての「北方領土」である国後、択捉と歯舞群島と色丹島を、自国憲法の改正によって、「領土割譲は禁止、国境画定は妨げず」と定めることにした。
何かといえば憲法の平和条項を根拠にし、軍事力の行使が求められる国際協力に参加してこなかった日本国政府に真似たのであろうか。日本を含む国際社会における対ロシア領土交渉を拒否するのに、この憲法条項が役立つのである。差し当たり、日本にとって、「北方領土」の返還要求交渉は、このロシア憲法によって封じられてしまったはずである。(2020. 7. 25記)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際研究所長、プリンストン大博士)
・Sr.岡のマリアの風 (53)教皇の愛するテーマ-喜びの「伝染」
信じる者の「率直さ、喜び、単純さ」は伝染し、多くの人に「希望」をもたらす(『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』、2020年7月24日参照)。
7月25日は、使徒聖ヤコブの祝日でした。スペイン語で「聖ヤコブ」はサンティアゴ(Santiago)。ユネスコ世界遺産でもある「サンティエゴ・デ・コンポステーラ巡礼路」を思い起こします。
教皇フランシスコは、南スペイン、マラガに住む、障がいをもつ15歳の青年、Alvaro Calventeさんが、父親と、家族の友人に伴われて、「サンティエゴへの道」を歩み終えたことを聞き、彼に直接、手紙を書き、その「証しと祈り」に感謝しました。
手紙の中で、教皇自身の愛するテーマ、「喜びの伝染」、多くの人々に希望をもたらす「真の喜び」を、この15歳の青年が証ししたことへの感謝が表されています。
「わたしたちが経験している[コロナウイルス]パンデミックのただ中で、あなたは、率直(誠実)さ、喜び、単純さをもって、多くの人々の希望を動かすことができました」と。
教皇はまた、Alvaroさんが、どんなにたくさんの人々に「一歩を踏み出す」よう励ましたかを、強調しています。
「わたしたちを歩むよう励まし、また他のたくさんの人々をあなたと一緒に歩むよう招いてくれて、ありがとう」。
実際、パンデミックが、わたしたちを消極的な「閉鎖」、「孤立」へと向けている中で、Alvaroさんの「生きた信仰の証し」は人々を巻き込み、積極的に「共にいることの喜び」を伝えました。
『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』によると、Alvaroさんの巡礼は、父親によって、ソーシャルネットワークを通しても共有され、同時に、マラガのコットレンドを支援するための資金調達キャンペーンにも役立ったそうです。
まさに「祈りのネットワーク」です。教皇は、Alvaroさんがリュックの中に、「あなた自身の祈りの意向だけでなく、巡礼の中で『あなたと一致していた』、あなたに祈りを頼んだたくさんの人々の意向をもっていたこと」を思い起こしました。
共にいる、共に歩む、共に祈る喜びを生きることによって、わたしたちは、「恐れることはない。わたしはあなたたちといつも共にいる」という主イエスの言葉を証しします。
巡礼の、また人生の、歩みの道中、「わたしたちは決して一人で行くことはありません」、なぜなら「主はいつもわたしたちの傍らにおられるから」です。
ソーシャルメディアの発達で、わたしたちは世界中の人々と「今」を共有することが出来るようになりました。
一方で、自己利益のために他人を中傷するフェイクニュースが、驚くほどの速度で蔓延する中で、一人の信仰者が「率直さ、喜び、単純さ」をもって発信するメッセージの中に、今の「時のしるし」を見て、それを共有することが出来るよう、「小さな善いこと」への感性を磨きたい、と望みます。
たとえ本当のことであっても、誰かを一方的に中傷しそうになったら、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思います。わたしたちは、まったく無償で洗礼の恵みを受けました。わたしたちはキリストから、何を託されて世に派遣されているのだろうか、と。
教皇フランシスコは、7月20日の日曜正午の祈りで、「毒麦のたとえ話」(マタイ福音書13 章24‐ 43節)の中の、主人と僕(しもべ)たちの「目線」の違いについて語っています。今の目先のことしか見ていない僕と、遠い将来へ眼差しの中で、今を見ている主人。
僕たちは、目の前の「毒麦」を見て、「今すぐ抜きましょう」と言います。それに対して、主人は「善い麦」を見て、それがこれから成長していくことを気にかけ、「もう少し待ちましょう、今、間違って善い麦の芽を抜いてしまってはいけないから」と言います。
みんなが、それによって誰かが被害を受けることになっても、あらゆる手段を使って自分が正しいと思うことを主張するのでは、将来のため、次の世代のため共に働くエネルギーは生まれません。
ユダヤ教・キリスト教の伝統は、「神のみことば」の中から、今を生きる知恵をくみ取りましょう、と教えてきました。イスラエルの民は、生存の危機に陥る
たびに、「神がわたしたちにしてくださった偉大なこと」―出エジプト―を思い起こし、神はわたしたちに何を望んでいるのか、という原点に戻りました。
キリストの民も、時に驕りから堕落するとき、わたしたちの救いは、キリストの無償の自己無化、自己譲渡によることを思い起こし、自分たちは神ではないこと、まったくの恵みによって救われた罪人である、という原点に立ち返ります。
そのとき、神がどんなにいつくしみ深くわたしを、わたしたちを見守っているか、毒麦―わたしたち―をすぐに抜こうとはせず、回心して善い麦となり天の国に入ることを信じて待っているかに気づきます。
そこから、最も素朴で、最も美しい魂の祈りがあふれ出ます:「主イエスよ、罪人であるわたしたちをあわれんでください!」。
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)
・Sr.石野の思い出あれこれ ㉕遂に修道誓願!「キリストの花嫁」になった深い喜びと感激
初誓願を立てたシスターたちが活気と希望に溢れてそれぞれ新しい 任地に向けて出発しておよそ2か月半後、誓願を立てる日が 来た。ローマの聖パウロ女子修道院と地続きの聖パウロ会本部修道院にあるヤコ ボ・アルベリオーネ神父(聖パウロ家族の創立者)の小さな私的聖 堂で、私は誓願を立てた。
アルベリオーネ神父と私たちの修道会の総長マ エストラ(先生)・テクラ・メルロ、副総長のマエストラ・ イグナツィア・バッラ、修練長マエストラ・ナザレ―ナ・モランディ、それに誓願 を立てて間もない二人の日本人のシスター立ち合いのもと、 私の誓願式は行われた。
写真を撮る人もいなければ花もない。ただ、引き込まれ るような沈黙と緊張感が、あたりを支配するーそんな中での静か な式だった。震えるような思いで、誓願文を読み上げ、一年間の有期誓願を 立てた。言葉ではとても言い表すことのできない深い喜びと感謝、 感激が、私全体を包んだ。
洗礼を受けた時の霊的甘味さと全く同 じ内的経験をした。修道誓願は「第二の洗礼」と言われているが、 本当にそうだ、と実感した。私は神様のものになった。生涯、神様のもの。絶対にこ の決意を曲げまいと、心に誓った。3人のイタリア人のシスターた ちが「おめでとう」と言って、一人ずつ静かに私を抱擁してくれた。
簡単だが、内容豊かな式が終わり、聖堂を後にして私 たちの修道院に戻ると、一緒に修練をしていた仲間のシスターたち が、総出で私を待っていてくれた。「おめでとう」、「おめでとう」と祝福の雨で私を 迎え、キスとハグで私はもみくしゃにされた。普段なら「うるさい」と感じるところだが、その日は嬉しかった。とても嬉しかった。
夜、一人になると再び心の底から熱く、そして深い喜びと感激が込 み上げてきた。私はキリストの花嫁になった。 完全にキリストのものになった、決して、決してキリストから離れまい。暗いしじまの中で、私は一人 、生涯の忠実を誓った。興奮してなかなか眠れなかったが、 やがて静かな眠りについた。
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)
* 聖パウロ女子修道会では昔、役職にあるシスターをマエストラ(先
・ガブリエルの信仰見聞思 ⑧主を待ち望むことは、自身を主に織り込み、結びつけること
先日、10歳の頃からずっと応援してきたイングランドのプロサッカークラブ、リバプールFCが、ついに30年ぶり19度目のリーグ優勝を飾りました。前回優勝までの黄金期から応援し続けてきた自分のような「シニア」サポーターにとっては、長年待ち望んでいた味わい深い喜びでした。
私たちの誰もが、いつも待っていますーメールへの返信や配達物の到着、何かの達成や成果、状況の改善や問題の解決、病気からの回復や新型コロナウイルスの世界的大感染の終息等々、広範囲にわたる期間と重要性を持つ様々なことを待ちます。
また、私たちがそれをコントロールできるかどうか、それが私たちの選択であるかどうかにかかわらず、残念なことに、待つことは時に非常に困難で苦痛を伴う過程になることがあります。
待つことは聖書の中で広く行きわたっているテーマであり、とりわけ「主を待ち望む」ことの大切さを教えてくれます。
「主を待ち望め。勇ましくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め」(詩編27編14節)
「私は主を望みます。私の魂は望みます。主の言葉を待ち望みます」(詩編130編5節)
「慈しみと公正を重んじ、絶えずあなたの神を待ち望め」(ホセア書12章7節)
「『主こそ私の受ける分』と私の魂は言い、それゆえ、私は主を待ち望む。主は、ご自分に希望を置く者に ご自分を探し求める魂に 恵み深い」(哀歌3章24~25節)
聖書は多くの箇所で「主を待ち望む」ことについて語っており、私たちを教え、励ましてくれていますが、主を待ち望むことはただ,受動的に待つことではないのです。自分も「待ち望む」という言葉の本来の意味を知るようになって初めて、その教えをより深く理解し、よりよく実践に移す努力をすることができました。
「待ち望む」は原語のヘブライ語では “qavah” (カヴァ) です。これには「期待して、希望を持って待つ」の意味に加え、「ロープ(縄)を綯う(なう)、撚り合わせる」、または「ロープのように共に結びつけること」の意味も含まれています。それは子縄(ストランドとも言う)を撚り合わせたり織ったりしてロープを形成する過程に似ています。
ロープに撚り合わされたり織り合わされたりするストランドが多ければ多いほど、ロープの強度が強くなります。ひもは多くのストランドを持たないため、重いものをあまり持ち上げることができませんが、ロープは多数のストランドで構成されているため、それを簡単に持ち上げたり引っ張ったりすることができるのです。
このように、私たちを神様にしっかり結びつけることによって、力が生まれます。主イエス・キリストをとおして、私たち自身をロープのストランドのように、御父と御子と聖霊に撚り合わせたり、織り合わせたり、しっかり結びつけたりすることによって、強くなります。
さて、上記の聖句をもう一度読んでください。ほんの少し前に初めて読んだときと比べて、今度はどのように感じますか?
私たちは主を待ち望む者として、主に織り込む「ストランド」が増えれば増えるほど、強くなれますが、それは他の誰かにしてもらうのではなく、私たち自身で起こさなければならない行動です。
では、主に織り込んでしっかり結びつける私たちの「ストランド」とは何かと言いますと、絶えず主との会話(祈り)、ご聖体の拝領(ミサ)、み言葉の拝読(聖書)、赦しの秘跡、主の掟を守り、主イエスが愛してくださっているように互いに愛し合う(ヨハネ福音書13章34節)ことが基本ではないかと思います。
「あなたは知らないのか
聞いたことはないのか。
主は永遠の神
地の果てまで創造された方。
疲れることなく、弱ることなく
その英知は究め難い。
疲れた者に力を与え
勢いのない者に強さを加えられる。
若者も疲れ、弱り、若い男もつまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新たな力を得
鷲のように翼を広げて舞い上がる。
走っても弱ることがなく
歩いても疲れることはない。
(イザヤ書40章28~31節)
(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれて育ち、現在日本に住むカトリック信徒)
(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)
・ある主任司祭の回想・迷想 ⑤もう一度「終末論」を学び直す時
今回の新型コロナウイルスの世界的大感染で、沢山の人が亡くなっています。日本でも、死者数が少ないとはいえ、一人一人の人生を思えば、これは数の問題ではないし、加えて、九州や中部地方などの豪雨、また、それと前後して関東地方で地震もありました。
人によっては、これらをして「時のしるし」と受け取ることがあり、その度ごとに、私も「そうかな」と感じます。巨大な宇宙にさえも寿命があるのだから、私たちの地球も、やがては終わるでしょう。一つの惑星に誕生と死があることは、皆が知るところです。
では、なぜこの「終末」とか、「時のしるし」とか、その種の言葉が、独特の意味合いを醸し出すのでしょうか。それはきっと、「裁き」や「救い」に結びつく信仰上の用語だからでしょう。
人間のエゴイズムというのは、空恐ろしいほどのものです。でも、そういう利己心そのものが「直ちに悪である」とは、言えないと思います。過度な不安は、過度な恐れから生じ、その恐れの源は「滅ぼされたくない」という素朴な救済願望でしょうから。それ自体は、人間の原初的な要求です。
しかし、ここで「自分だけは(他人のことは知らないが)滅びたくない」という気持ちに至れば、その利己心はたちまち「他者への批判」となって表出します。しかも現実の中で苦しむ人は、現実こそが「悪」なのだと、社会批判にまで至り、そこに「終末思想」が加わるのです。「悔い改めなければ滅びる」というわけです。
ある教会に、毎日のように告解に来る青年がいました。「世の終わりが今来ても、自分だけは救われたい」という、彼にしてみれば切実な願望です。これはこれで、本当に気の毒なことなのです。
しかし、一歩間違えれば、それは「自己正当化」の願望になってしまう。「常に清くありたい」と思うことは尊いでしょう。しかし、動機が問題ですー迫り来る恐怖と自己正当化、そこに悪循環が巣食ってしまうのです。
私たちは、今ではあまり語られなくなった感がある「終末」という信仰上の問題に、もう一度正しい理解を持つべきではないでしょうか。
主のみ旨はいつも「一緒に喜んでください」という呼びかけです。
この「終末思想」は、とりわけ日本では仏教の「末法思想」と結びついてしまい、なにやらネガティブなイメージしかないようなものになっています。「終末」とエゴイズムとは容易にくっ付いてしまうのです。
沢山の人が困難な境遇に遭っている現在、そこに真に共感しようと思うなら、終末感漂うことに敏感になるよりは、その人たちのために祈ることを求めるでしょう。
もちろん、私たち自身、不安になりつつも、自分の殻に閉じこもって、孤独の中で、神の裁きを逃れることだけに意識を集中したりはしませんね。むしろ「終末」を感じる前に、「事態の改善」という希望のうちに、来るべき平安を希求するでしょう。
私たちは、「こんな時」だからこそ、いつもより落ち着いて、信仰生活を(「終末」への理解も含めて)振り返りたいものであります。
(日読みの下僕「教会の共通善について」より)
・三輪先生の時々の思い ⑲ボブ・ディランと日本兵
ボブ・ディラン(Bob Dylan、1941年5月24日~)の自伝的叙述とされるChoronicles(年代記=Simon & Schuster 2004年刊)を読んでいて、吃驚したことがある。
第二次大戦中の日本軍人の行為に触れたひとコマである。日本の軍人が敵の将兵を捕虜にすると、裁判もなしに処刑したことが知られているが、ボブ・ディランの著作では、斬首され切り落とされた生首を、並み居る日本兵が一人ひとり順番に剣付き鉄砲で突き刺す、と書かれている。
私は既に一度、米軍人が日本兵(あるいはベトコン兵?)の頭蓋骨を、従軍記念のトロフィーのように扱っていることを耳にしたことがある。だが、「そんなことは、日本の兵士に限って、ありえない」と勝手に考えていた。ところが、ボブ・ディランの著作には、「トロフィー」ではないが、そのようなエピソードが紛れ込んでいたのである。
処刑の「儀式」に参列し「観覧」させられた兵士全員が、斬首され切り落とされた生首を、順番に自分の剣付き鉄砲で突き刺すように命じられ、それに従った、というのである。
昨日まで市井の人だった一般兵士に「殺人」など、容易にできることではない。人間としての心理的抵抗がある。その抵抗を打ち砕き、実践で「殺人」が、サッと出来るようにする訓練であった。
ボブ・ディランは、「生首」が日本兵によって、次々に剣付き鉄砲で突き刺された、とだけ書いた。ただそれだけ。何のコメントもない。「ひどいな!」とか何とか…
一語一語が宝石が何かのように、キラキラと輝き散りばめられているボブ・ディラン独特の華麗な文章である。ノーベル文学賞を授与された立派な文体である。この、日本兵がさせられていた、というエピソードは、あたかも熟達した職人の、たゆまぬ努力で完成した、類いまれな綴れ織りのタペストリーに、ただ、どこからか投げつけられた血玉の汚点のようにだけ、書き留められているのである。
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際研究所長、プリンストン大博士)
注:ボブ・ディラン=ユダヤ系アメリカ人のミュージシャン。70年代末には保守派のビル・グレアムの影響を強く受け、福音派に改宗し、コンサートでブーイングを浴びたが、ソニー・ミュージックなどによれば、83年以降はユダヤ教に回帰。「風に吹かれて」「時代は変る」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「見張塔からずっと」「天国への扉」など多数の楽曲で、1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたって多大な影響を世界の人々に与えてきた。グラミー賞やアカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入り。2008年にはピューリッツァー賞特別賞を、2016年10月には「アメリカ音楽の伝統を継承しつつ、新たな詩的表現を生み出した功績」を評価され、歌手としては初めてノーベル文学賞を受けた。(フリー百科事典「ウィキペディア」より)
