・三輪先生の時々の思い ⑲ボブ・ディランと日本兵

 ボブ・ディラン(Bob Dylan、1941年5月24日~)の自伝的叙述とされるChoronicles(年代記=Simon & Schuster 2004年刊)を読んでいて、吃驚したことがある。

 第二次大戦中の日本軍人の行為に触れたひとコマである。日本の軍人が敵の将兵を捕虜にすると、裁判もなしに処刑したことが知られているが、ボブ・ディランの著作では、斬首され切り落とされた生首を、並み居る日本兵が一人ひとり順番に剣付き鉄砲で突き刺す、と書かれている。

 私は既に一度、米軍人が日本兵(あるいはベトコン兵?)の頭蓋骨を、従軍記念のトロフィーのように扱っていることを耳にしたことがある。だが、「そんなことは、日本の兵士に限って、ありえない」と勝手に考えていた。ところが、ボブ・ディランの著作には、「トロフィー」ではないが、そのようなエピソードが紛れ込んでいたのである。

 処刑の「儀式」に参列し「観覧」させられた兵士全員が、斬首され切り落とされた生首を、順番に自分の剣付き鉄砲で突き刺すように命じられ、それに従った、というのである。

 昨日まで市井の人だった一般兵士に「殺人」など、容易にできることではない。人間としての心理的抵抗がある。その抵抗を打ち砕き、実践で「殺人」が、サッと出来るようにする訓練であった。

 ボブ・ディランは、「生首」が日本兵によって、次々に剣付き鉄砲で突き刺された、とだけ書いた。ただそれだけ。何のコメントもない。「ひどいな!」とか何とか…

 一語一語が宝石が何かのように、キラキラと輝き散りばめられているボブ・ディラン独特の華麗な文章である。ノーベル文学賞を授与された立派な文体である。この、日本兵がさせられていた、というエピソードは、あたかも熟達した職人の、たゆまぬ努力で完成した、類いまれな綴れ織りのタペストリーに、ただ、どこからか投げつけられた血玉の汚点のようにだけ、書き留められているのである。

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際研究所長、プリンストン大博士)

注:ボブ・ディラン=ユダヤ系アメリカ人ミュージシャン。70年代末には保守派のビル・グレアムの影響を強く受け、福音派に改宗し、コンサートでブーイングを浴びたが、ソニー・ミュージックなどによれば、83年以降はユダヤ教に回帰。「風に吹かれて」「時代は変る」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「見張塔からずっと」「天国への扉」など多数の楽曲で、1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたって多大な影響を世界の人々に与えてきた。グラミー賞アカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入り。2008年にはピューリッツァー賞特別賞を、2016年10月には「アメリカ音楽の伝統を継承しつつ、新たな詩的表現を生み出した功績」を評価され、歌手としては初めてノーベル文学賞を受けた。(フリー百科事典「ウィキペディア」より)

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2020年7月5日