・菊地大司教の日記「13日はファティマの聖母記念日」

2021年5月13日 (木)ファティマの聖母記念日

Rozario3_20210513083201 5月は聖母の月で、毎年ロザリオの祈りが呼びかけられています。昨年に続き今年も、感染症による困難な状況の終息を願い、教皇様は特別に祈るようにと呼びかけられています。

 今年は、毎日、世界各地の聖母巡礼所を結んでのロザリオマラソンが行われ、また東京教区では、毎週月曜日の昼に、一連ずつをメッセ-ジとともに配信をしております。

 その5月の中で13日は、ファティマの聖母の記念日です。聖母マリアが、ポルトガルの三人の子どもたちに御出現なさったのが、1917年5月13日のことです。

 6回にわたり聖母の出現をうけ、またメッセージを受けた三人のうち、幼くして亡くなった二人、フランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの列聖式は、2017年に教皇フランシスコがファティマを巡礼し行われました。三人のうちもう一人のルシア・ドスサントスは、その後修道生活に入り、2005年に亡くなられましたので、現在列福調査が進められています。

 昨年は、翌5月14日が教皇様の特別な呼びかけによる祈願日であったことから、東京カテドラル聖マリア大聖堂でもロザリオの夕べを行いました。昨年の映像は、こちらのリンクからまだご覧いただけます。今年もロザリオの祈りにご活用ください。また以下にビデオをアップしておきます。

 またはこちらのリンクから、東京大司教区の、今年の毎週一連の配信もご利用ください。現在、一連と二連が配信されています。

 聖母の取り次ぎを求めながら、この5月の間、みなで共に祈りましょう。

 一日も早く、人類が直面しているこの困難な事態が終息するように、また病床にある人たちにいやしが与えられるように、医療関係者の健康が守られるように、経済の悪化でいのちの危機に直面する人たちに助けがあるように、さまざまな事情によりいのちを守るために助けを必要としている人たち、特に海外から来られた兄弟姉妹に必要な助けが与えられるように、さらに政治のリーダーたちがいのちを守るための正しい判断をすることができるように。

 そして、すべての人の上に復活の主イエスの守りと導きが豊かにあるように、わたしたち自身が御子イエスに倣って行動する勇気を持つことが出来るように、神の母である聖母の取り次ぎを祈りましょう。

 さて、教皇様は5月11日に、新しい奉仕職として、「信徒によるカテキスタ」を正式に制定されました。同日発表された自発教令「アンティクウム・ミニステリウム」において、これまでの教会の歴史を振り返り、「カテキスタ」の役割の重要性と、それも召命の一つであることを強調され、同時にこの制定が、新たな「聖職者主義」を生み出すのではなく、教会共同体を豊かにするための奉仕職であることを指摘されています。

 バチカン放送によれば、「信仰の証人・師・同伴者として、カテキスタは、洗礼の秘跡の準備から、生涯の育成にいたるまで、司牧に奉仕するよう招かれている、と教皇は説明」され、「信徒カテキスタは「深い信仰を持ち、人間的に成熟し」、キリスト教共同体の生活に積極的に参加している男女でなくてはならない」」とも指摘されています。

 今後、典礼秘跡省から、認定式などの儀式が定められることと、各地の司教協議会はそれぞれの地域の事情に応じて、信徒によるカテキスタの制度を整備することを、教皇様は求めておられます。

 ご存じのように、東京大司教区では「教区カテキスタ」の制度を定め、猪熊神父様を委員長としてカテキスタ養成コースを行ってきました(今年は感染症の状況に鑑み、中断中です)。今後、教皇様の今回の制定にあわせ、また示唆と励ましを頂き、東京における教区カテキスタの制度をさらに充実させていきたいと思います。

 

 

2021年5月14日

・菊地大司教の日記「地主・前札幌教区司教が帰天ー忘れられぬ颯爽とした姿」

2021年5月 6日 (木) 訃報:地主敏夫司教様

Jinushi2012a 前札幌教区司教(教区長)のペトロ地主敏夫司教様が、5月4日に入院先の札幌厚生病院にて肺炎のために帰天されました。90歳でした。(写真は、2012年9月に月寒教会献堂50年のお祝いで挨拶される、地主司教様)

 地主司教様の葬儀などは、現在の感染状況ですので、ご親族や司祭団だけで、5月8日(土)午前10時から札幌北一条教会で執り行われます。お祈りください。

 私も、札幌教区と縁がないわけではありません。2009年11月に地主司教様が引退されてから、後任として勝谷司教様が叙階された2013年10月まで、新潟教区の司教と兼任しながら、4年間ほど札幌教区の使徒座管理者を務めておりました。ですから、できれば札幌まで行って葬儀に参加したいところですが、緊急事態宣言下でもあり、当日は東京からお祈りさせて頂きます。

 教区司教は75歳になると、教皇様に引退願いを出すことになりますが、それに対して通常は、1:即座に引退が認められる、2:当面続けるように命じられる、3:後任が決まるまでその座に留まるように命じられる、の三つの選択肢があります。もちろんそれ以外にも、多くは自らの願いで協働司教を引退より数年前に任命して頂いて、協働司教は司教座の継承権を付与されるので、引退と共に即座に司教座を引き継ぐ場合などもあります。

 地主司教様の場合がどうであったかは、私は知る立場にありませんが(基本的には教皇様とご本人、そして宣教地の司教任命に関わる福音宣教省長官程度が知るのみでしょうか)、最終的に地主司教様は79歳まで札幌司教を続けられました。

 今でこそ、他の教区の司教が空位の司教座の管理者となることは普通となりましたが、当時の札幌のケースのように、他の教区司教が使徒座管理者となるのは日本では久しぶりのことで、当時は、私が新潟から北海道へ転勤となった、と勘違いをされたこともありました。

 いずれにしろ引退された当時、79歳の地主司教様はまだまだお元気で、その後も幼稚園の園長などを続けられ、冬にはご自分で車を運転して、スキーにも行かれていました。私も、4年間、毎月一週間ほどは札幌に通っていたので、札幌司教館で一緒に食卓を囲みながら、いろいろと昔話を聞かせて頂きました。話題は北海道の教会に留まらず、日本の教会や世界の教会の話題もしばしば飛び出し、文字通り「勉強」させていただきました。(下の写真、引退後も元気に司教館前の雪かきをする、地主司教様)

Jinushi2010a

 大げさなお祝いなどがお好きではなかったと感じましたが、一番印象に残っているのは、引退が発表された2009年11月17日の夜のことです。

 その週は、大阪方面で、日本と韓国の司教団の交流会が行われていましたが、夕食後の懇談中、ローマ時間のお昼になった瞬間に立ち上がり、「じゃあ、私は引退したから、これでさよなら」と、手を振って部屋を後にされました。

 残された者は、私以外、その事情を知らなかったので、唖然としていた、その雰囲気と皆の表情と、さわやかに別れを告げる地主司教様の、颯爽とした姿が忘れられません。このたびも、唖然とする周囲を尻目に、「じゃあ、さよなら」とばかりに、颯爽と御父の元へと旅立たれたことでしょう。

 司教様の様々なお働きに、そして生涯を通じた献身に、命の与え主である神が、豊かに報いてくださいますように。永遠の安息を祈ります。

*地主司教様の略歴(札幌教区の通知より)

1930年9月20日    北海道札幌市に生まれる
1934年9月16日    北一条教会で受洗
1960年3月20日    カトリック北一条教会で司祭叙階。北二六条教会助任。
1961年~1969年   司教館付司教秘書、教区事務局長
1969年~1978年   ローマ留学
1978年~1987年   円山教会主任、さゆり幼稚園園長
1987年10月3日    札幌教区長(司教)に任命される
1988年1月15日    司教に叙階される
2009年11月17日    司教の辞任が受理される
2021年3月19日    治療のため札幌厚生病院に入院
2021年5月4日      帰天

 生前、多くの役職を担われましたが、主だったものとして、司教協議会における教会行政法制委員長、典礼委員長、カトリック新聞や多くの各役職を歴任。その他にも社会福祉法人雪の聖母園、医療法人天使病院の他、多くの学校法人の幼稚園園長や理事、理事長も歴任されました。

2021年5月7日

・Dr.南杏⼦のサイレント・ブレス⽇記㊽ 患者の思いが分かるということ

 「こんにちは。ご体調はいかがですか?」「痛いところはありませんか?」

 ⽇々の医療においては、⾼齢の患者さんを診ることが多い。その際に⼼掛けているのは、いかに患者さんの思いをくみ取るか、という点だ。

 急性期病院から現在の病院に移った当初は、「患者さんの平均年齢が89歳」であるという現実に⼾惑ったものだ。それまで⾏ってきたような検査や⼿術をすすめて、かえって予後を悪くする、という苦い経験も重ねた。

 「リハビリは嫌」「⾷べたくない」「もう横になりたい」といった患者さんの声を聞いても、最初はピンと来なかった。

 ところが⾃分⾃⾝、肩や腰が痛くなったり、昔のように⾷事をたくさん⾷べられなくなったり、⻑い階段を⼀気に上ろうとして途中で息切れしたりするようになってきた。すると「座っているだけでも⾷欲がなくなるほど疲労する」という患者さんの思いが分かってくる。

 考えてみれば、「⾷べるだけで精⼀杯」と話す患者さんは、ギリギリのところでバランスを取って⽣きているのだ。そうして私は、「やさしい医療」の存在に目覚めた。

 ⾼齢の患者さんを対象にする医療は、関われば関わるほど、奥の深い分野だと感じる。⼈⽣の師である患者さん⾃⾝から学ぶことも少なくない。それは、在宅医療の場では、なおさらであろう。

 在宅医療を受けている患者さんは、たばこもお酒も夜ふかしも⾃由だ。それは、「残り少ない命を思い通りに使い、⽣ききっていただけるような医療」であると⾔える。多くの医師にとって、医学部の教科書では習わなかった医療へのチャレンジでもある。

 医師になりたてのころだったら、「とんでもない」と眉をひそめたであろう医療が、実は患者さんを笑顔にすることに役⽴っている。そこに思いを寄せられるようになるには、医師の側にも⼈⽣経験が必要だ。

 5⽉21⽇公開の映画『いのちの停⾞場』で、吉永⼩百合さん演じる主⼈公の医師・⽩⽯咲和⼦が⼤学病院を辞めて在宅医療の世界に⾜を踏み⼊れるのは、60歳を過ぎてからだ。この点は、映画の原作となった拙作も同じ設定。年齢を重ねた医師というのは、⾼齢の患者さんにとっては悪くない存在なのかもしれない。映画をご覧いただけるとすれば、主⼈公の姿からそんなことも感じていただければ幸せだ。

(みなみきょうこ・医師、作家: 映画『いのちの停⾞場』では、4⽉中旬に予定されていた⼤阪府での舞台あいさつ、4⽉下旬の福岡県久留⽶市での公開前キャンペーン、5⽉上旬の北海道札幌市での特別試写会が、いずれも中⽌になりました。暗く⻑いトンネルが続きますが、昨⽇よりも今⽇、今⽇よりも明⽇に希望の光がありますように……)

2021年5月5日

・画家・世羽おさむのフィレンツェ発「東西南北+天地」③ 美について

 今回は、私のイタリアでの生活について短く書き、その後、「美」について続けます。

 イタリアでは日中の気温差がとても大きいです。なので、春や秋に朝コートを着てアトリエに行き、昼には半袖で汗を流しながら絵を描いていることもあります。8月には40度まで気温が上がり、昼、外には猫の気配もない様子で太陽もギラギラと輝きまぶしいですが、こういった中クーラーなしで窓の開け閉めで室内の温度をできるだけ低く保ちながら、生活しています。

 つまり、朝、気温がまだ低いときは、家の全ての窓を全開にし室内温度を下げ、午後は反対に全ての窓、またカーテンの代わりに扉またはシャッターを閉め、夕方まで、朝の涼しさを少しでも長く確保しようとします。それでも、外は40度。なので、昼はともかく室内も暑くなる!でも、私はこういった自然のリズムと共に生きる、イタリアの生活が好きで、クーラー設置?などのアイデアは出てきません。

 また、四季に恵まれているのは、日本と同じですが、湿度の違いは、またとなく大きいです。イタリアでは、夏は乾いていて、冬はたくさん雨も降り、湿気があります。

 さて、美( la bellezza)について書きましょう。

 「美しい」という言葉から、読者の皆さんは、どのようなことを連想されるでしょうか? 調和、和やかさ、しなやかさ、純粋さ、これらの名詞、形容詞は、「美」の性質を表す一例でしょう。それでは、「美」を計ることはできるのでしょうか?

 大切なのは、「醜い」が、本質的には「美しい」の反対語ではない、ということです。ここで言う「美」は、何か普遍的なもので、個人の好き嫌いを超えたものです。つまり、美は愛の産物です。

 イタリア語の芸術 ”arte” は、絵画・彫刻などの ”belle arti”、 つまり美術より、幅広い意義を持って使われています。日々の生活も”arte”、つまり芸術となり、対人関係をどのようにするのか?そこにも、”arte”があります。どのように食卓を準備するか?どのように、全世界の兄弟に奉献するか、つまり、日々のたくさんの小さな、そして大きな選択を”arte”に還元することにより、生きること自体が芸術となるわけです。

 例えば、富士山を前夜、遅くから登り始め、早朝に日の出を山頂から眺め、言葉なく、ただ静かに、その「美」を享受するのは、つまり、普遍的な「愛」を感じているのでしょう。こういったように普段、私たちの中にある個人が宇宙と一体になり、参加する体験は、ある宗教の経典を理解している特別な人たちだけのものではなく、すべての人、あなたのものです。

 旧約聖書の創世記で、神は無から創造した代わりに、私たち芸術家、つまり、あなたを含めた、日々生活の芸術家は、この世にある創造されたものを変容、変形することで、美を実現します。レオナルド・ダ・ヴィンチが絵の具を使い、最期の晩餐の心象を具現化するように、ミケランジェロが大理石の中に聖母マリアとイエスを見つけるように。生活の芸術は、見せびらかすためでも、宣伝するためでもなく、最終目的は「愛」を美といった形で具現化することにあります。

 さて、聖書の良いサマリア人の一節を読んで見ましょう。

 「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追い剥ぎに襲われた。追い剥ぎたちはその人の服を剥ぎ取り、殴りつけ、瀕死の状態にして逃げ去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、反対側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、その場所に来ると、その人を見て気の毒に思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』この三人の中で、誰が追い剥ぎに襲われた人の隣人となったと思うか」(ルカによる福音書10章30〜36節)

 この善いサマリア人にどのような印象を持ったでしょうか?私は、彼がとても美しい人だと思います。なぜなら、愛したからです。内面的な美しさは対人関係の中で築かれるものです。例えば、イエスは鞭受けの刑を受け、とげの冠をささげられ、顔、身体が変容した際にも、彼はとても美しかったわけです。

 内面的な美しさと外見的な美しさは、一見、合致しないかと思われがちですが、私たちが心の目によって見れば、対応するものであり、その根源には常に神の愛があります。そして、心の目で見える美しさを他人に見たと時に、評価し、また、神に感謝することによって、愛がどこまでも浸透していくことでしょう。

 つまり、ここでの善いサマリア人は富士山の日の出と同じように、日本古語でいう「あはれ」の情緒を持つものとなるでしょう。

(世羽おさむ、写実画家。ウェブサイトwww.osamugiovannimicico.com/jp インスタグラムwww.instagram.com/osamugiovannimicico_art/ フェイスブックhttps://www.facebook.com/osamugiovannimicico/ )

(絵は世羽おさむ作「隣人」 油彩、カンヴァス、75x60cm、2020年)

2021年5月2日

・三輪先生の時々の思いⅡ ⑤愛国心という迷妄:新渡戸稲造の場合

「愛国心の迷妄」を考えるとき、その筆頭に来るのは新渡戸稲造である。

 そもそも彼の研究発表の第一発は、英文の日米交渉史The Intercourse Between the United States and Japan: A Historical Sketch である。1891年をもってジョンズホプキンス大学出版局から出版されている。

   冒頭に出てくる徳川斉昭(1800-1860)の文書の英訳が、まるで出鱈目で、一種の捏造文書になっている。斉昭に、愛国的拡張主義者の発言をさせている。「・・・わが日本国の国旗が他国に翻ったことはあっても、侵略国の国旗が吾が国土に翻った試しは皆無である」ーそういう意味の事を、新渡戸は記しているのである。

 斉昭の原文には「旗」という文字は出てくるが、上記如きことは何も言っていないのである。贔屓の引き倒しも良いところである。学者人生のそもそもの発端で、こんな捏造をしてしまった稲造の公的発言はよくいって「ひねくれたもの」に成らざるを得なかったであろう。悪くすれば「嘘の上塗り」に堕すことになったであろう。

 これが私が新渡戸の公的生涯に下す評価の通奏低音である。

(2021. 5 .1記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長、プリンストン大博士)

2021年5月1日

・Sr.阿部のバンコク通信(55) 長引くコロナ禍の中でも「常に喜べ、絶えず祈れ…」

  長引くコロナ禍で、 危篤の方のお見舞い、亡くなられた方々の見送りができない状況が続いています。駆けつけたい気持ちが祈りに込められ、ミサを捧げ、遥か彼方より葬儀に臨む、何とも心が痛みますが、存分にできなくて満足いかない気持ちの底に格別の繋がりを感じ、不思議に思います。

 寂しい気持ちで過ごす病人や孤独な人々を訪問できないもどかしさもありますが、そうした中で、この事態を生きる知恵や工夫が生み出されている事実に、人間のたくましさ、優しさを感じます。

 98歳の母親を自宅で大事に介護しながら「状況が治るまで頑張って欲しいの」と友達が言ってました。人生で出会ったたくさんの方々に囲まれて、お母さんを見送ってあげたいのですよね。

 葬儀や墓といえば、タイ国では上座部仏教のしきたりで、通夜(3日から7日、偉い方は1か月から100日ないし1年)、葬儀、火葬、海山に散骨、という流れで死者の見送りが行われ、カトリック教徒などのようなお墓がないのです。

 「体は滅びても、魂は生まれ変わる」という輪廻転生を信じ、それぞれの人生と死が、死後の在り様を決定し、生まれ変わって生き続けるのです。火葬した遺体は「抜け殻」で墓所に保存しません。

 葬儀は寺院で、通夜、葬儀、火葬の全てが僧侶の祈りに伴われて行われます。遺骨は、骨壷に収められ山に、あるいは船をチャーターして川を下り、沖合で僧侶の祈りに伴われて家族の手で海に撒かれ、次いで花びらを撒いて見送ります。大自然に戻す見送りに、「安らぎさえ感じ、腑に落ちた」とは、ある日本人の体験談。

 以前、「私が死んだら火葬して。灰は自然の中に撒いてね」と言ったら、「だめよ、公害になるから」と姉妹と大笑い、「せめて堆肥に」と願ったのですが。

 バンコクも感染者が増え、復活祭後も緊張、自粛状況で、祈りに拍車がかかる日々、夕刻は聖体顕示をして交代で世界の状況を思い、コロナ感染で苦しむ方々のため祈りを捧げています。

 「常に喜べ、絶えず祈れ。何事にも感謝し奉れ」ー聖パウロの勧めに従って励み、安心して見送られ、うれしい旅立ちをしたい、と願っています。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2021年4月30日

・愛ある船旅への幻想曲③ハンス・キュンク師の「勇気」に敬意を

 2021年4月6日にスイス人神学者ハンス・キュンク師が亡くなられた。93歳であった。

 キュンク師は、カトリックとプロテスタントの一致推進に貢献し、教会改革にも尽力された。カトリック教会内部の第二バチカン公会議の流れに逆行する動きに数々の批判をし、カトリック神学を教える資格を剥奪されている。彼については、様々な感想を信者は勿論、各宗教家、宗教を持たない人々にさえ論議されてきた。今、カトリック信者にとって、彼はどの様に評価されているのだろうか。年齢層によって大きな評価の違いがあるだろう。女性である私は、何よりも彼の勇気に敬意を表したい。

 キュンク師は、「私は冷静に確信する。私は根本的な変化を確実にみることはできないだろうが、私たちは決して希望を捨てることはない。望みえないのに望みを抱いて信じる(ローマの信徒への手紙4章18節参照)」(『キリスト教は女性をどう見てきたか 原始教会から現代まで』矢内義顕訳・教文館刊)と、未来のカトリック教会の為に希望を持つことを教えてくれた。

 コロナ禍の中、人として今までとは違う生活感を持って当然である。ある人は3つの職を掛け持ちしていると労働機関関係者から話を聞いた。土曜、日曜も働かねばならない。働く場所があればまだ救われる。報道されない女性や若者の自殺者が増えている。これは、個人の問題ではなく社会問題である。生活苦からメンタルを病み、行き着く先が自殺であってはならないだろう。しかし、これは誰にでも起こりうることかもしれない。

 私は知り合いを二人、自殺で亡くしている。二人はそれぞれに神の存在を信じていた。一人はギタリスト、カトリック教会でイエスとマリアに出会ったことをとても喜んでいた。一人はダンサー、晩年はアフリカの太鼓をたたき、舞うことで神と会話していた。二人とも純粋に神を求めていた。

 現代社会で生きている私たちは、真剣に信仰と宗教を考えねばならない。

 「教会とは?」「神とは?」「イエスとは?」と自分自身に問いかけ、黙想することが必要な時かもしれない。

 カール・ラーナー師やハンス・キュンク師のようにカトリック信仰を現代的な感覚で理解し、人間としてのイエスに倣い、友と共に船旅を続けたい。

 (西の憂うるパヴァーヌ)

2021年4月30日

(読者投稿)柔らかな春の陽の中で…

 命の育み

  今 木々は若葉を芽生えさせている

  柔らかく緑鮮やかな 小さな葉が みるみるうちに伸び開いていく

  庭の紅葉は 紅二本の間に緑が一本あり

  それが調和し何とも美しい 丸い小さな房の花がいくつもぶらさがり 可愛い

  ハナミズキも白い花がたくさん 葉と一緒に開き始めた

  この季節は どこを見ても植物が輝いて見える

  人の子も動物の子も 生まれてすぐは 特に愛らしい

  柔らかな肌 つぶらな瞳 あどけないしぐさ すべてが愛らしい

  母親の乳を探し懸命に飲む それが「生きる」ということだ と知っているかのように

  神様は 生きるすべてのものの誕生と育みを

  私たちに楽しませてくださっているかのようだ

  動物の成長は早く 愛らしいしぐさのときは  じきに過ぎてしまう

  それは  動物にとっては生きるための掟のように

  そして人も 動物も 大人を見ながら 教えられながら成長していく

  すべての生きものを創られた神様は 人の知恵を はるかに はるかに超え

  命の循環を綿密に創られた

  生きることの素晴らしさも苦しさもほんのひととき すべてを味わって全うして、「生きよ」と言われているようだ

 

 老女と息子

  眼医者に来ていた老女とその息子

  老女は呼ばれて両手を引かれ 腰を曲げて歩く

  検査の椅子に座り 椅子が上がる 足が床から離れる

  耳が遠いので 大きな声で看護師が説明する

  片方の目は ほとんど見えない様子

  診察を待つ間 隣に座った息子が 補聴器を老女に付けて話す

  「これから薬を注すから見えにくくなるよ」「今日はここだけだよ」

  この二人に 私の目は潤む

  何でだろう 母とわたしを思い出したのか

  母も少し腰が曲がっていた 耳も少し遠かった 一緒に医者にも行った

  何でだろう 優しい息子だなあ 私はどうだった?

  ふと 母の世話ができてよかった あのような時を過ごせてよかった

  幸せだった と思った

  こういうことって ずっと後になって感じるのだろうか?

  息子さん おばあちゃん 幸せですね 私も幸せでしたよ

 

(カトリック東京・小金井教会 Y.W.)

 

2021年4月30日

・Sr.岡のマリアの風 (63)聖母崇敬は私たちに「真の奇跡」-回心-をもたらす

「母」であるマリア

 聖母崇敬は、奇跡や不思議な現象を求めることではない。東方教会で、マリアは「神の母」(Theotokos)として呼び求められている。マリアは「母」。ゆえに常に「子」との関係の中にいる。マリアの子、イエス・キリストのうちに、私たちは神の子らとされた。「頭(かしら)」であるキリストに、切り離せない絆で結ばれている「体」である私たち。

 ゆえに、母であるマリアは、御子のうちに、私たちすべての子らと関係している。私たちすべてを、母としての気遣いと責任をもって見守る。東方教会イコン画の中で、一人で描かれているマリアはほとんどない。

 母はいつも子とともに描かれる。例外的にお告げのイコンがあるが、しかしそれこそまさに、最も緊密な方法で「子」と結ばれている「母」の画でもある。つまり、子が母の胎の中に宿った瞬間。

 祈りは奇跡や不思議な現象を求めることではない(教皇フランシスコ)。教皇フランシスコは、最近の祈りについてのカテキズムの中で…「マリアとの交わりの中で祈る」(2021年3月25日)「聖人たちとの交わりの中で祈る」(4月7日)「祈りの先生としての教会」(4月14日)。

 また、「イエスの聖テレジア教会博士宣言50周年、国際会議(アヴィラ)へのメッセージ」(2021年4月16日『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』イタリア語訳掲載)の中で、キリスト教信仰は、ゆえにキリスト教の祈りは、「奇跡や不思議な現象」を求めるものではなく、「キリストとの一致」のためにあること、さらに、キリストとの一致は、人々に、世界にキリストの愛を運ぶよう、私たちを「出て行かせる」、キリストの愛のわざを行うよう、私たちを「駆り立てる」ものだ、と強調する。

 つまり祈りは、私たちの思いをキリストの思いと一つにすること、いやむしろ、祈りの中で、私たち自身を聖霊に開くことによって、キリストの思いによって、私たちの思いが形造られるにまかせること、キリストの考え方、メンタリティーによって、私たちの考え方、メンタリティーが形造られるにまかせること、
キリストの行い、キリストの生き方によって、私たちの行い、私たちの生き方が形造られるに任せることーだろう。

 このようなダイナミズムの中で、私たちの祈りが本物かどうかは、その祈りの「実り」で分かる、と教皇は言う。

 祈りが私たちを、自分の中に閉じこもらせ、「私とイエス」の個人的関係にのみ留まらせるなら、それは、まだキリストとの一致に達していないことであり、未熟な祈りである。

 キリストとの一致は、「私とイエス」の関係に閉じこもることではあり得ない。キリストとの一致は、キリストの思いを私の思いとすることだから。

 それでは、キリストの思いとは何か。イエスご自身、明言している。イエスの思いは、「父」の思いと一つである。「父」はこの世を愛し、私たちを愛するあまり、ご自分の独り子を世に遣わした。時が満ちた時、「女」から生まれさせて。

 それは、世を、私たちを裁くためでなく、救うため、「子」によってすべての人をご自分の子とするため、ご自分の命―永遠の命―にあずからせるため、ご自分のところ-父の家-に迎え入れるため、である。

 キリストの思いは、だから、「すべての人の救い」、すべての人の真の幸い、それ以上でもそれ以下でもない。キリストの思いを私の思いとするとき、ゆえに、「私だけの救い」「私の家族、友人、グループだけの救い」に留まることはできない。キリストの思いは、私たちを「駆り立て」、人々のところに、この「善い知らせ」、救いの知らせを伝えるよう「出て行かせる」。

 「善い知らせ」:神はいつくしみ深いお父さんであり、私たちがどんなに弱く、みじめで、罪深い者であっても、恐れることなくご自分のところに戻って来るよう、忍耐強く呼びかけ、いつも、両手を広げて待っているお父さんであること。

 この、キリスト教の根源にある真理を、私たちは毎年、特に主の復活祭と、その準備(四旬節)と祝い(復活節)の中で原点に戻って、もう一度、何度も、見つめるのだろう。

 主の復活のとき、マリアはどこにいたのか。今年の復活節、私は特に、「マリアはどこにいたのか」を思い巡らした。復活節の典礼の中で、主の母マリアは存在しないかのように見える。マリアは「存在しない」のではなく、生まれつつあるキリストの民の中に「溶け込んでいく」とは言えないだろうか。

 第二バチカン公会議は、マリアを、教会の典型、模範、姿(イコン)、始まり…として、また、地上を旅する神の子らが天の国に入るまで、絶えず気遣う母として示した。

 教皇フランシスコは、上述の話の中で、マリアが、そして聖人たちが、「私たちの側」、教会の中にいることを強調している。主の母マリアでさえ、神と人との間の唯一の仲介者であるイエス・キリストの「横」には並ばない。あがないのわざは、唯一、絶対的に「神のわざ」である。三位一体の神のわざである。

 マリア自身、「私は主の仕え女です」、つまり「主に仕える者」であって同等の者ではないことを明言し、「お言葉通りこの身になりますように」、つまり「主の思いの通り」-それは常に人間の思いを超える-、私の存在全体になるように、と答えを差し出した時から、徹底的に、人間の知恵では「分からない」、理解できない、時に人間の知恵と逆行する神の知恵、神のやり方を受け入れていく。神のやり方が、自分の存在の中で実現するように、と。

 マリアは、神の民イスラエルの娘である。神の慈しみは永遠であること、神の約束は、時が来れば必ず実現することを、両親から、また民の共同体の中で教えられてきた。

 神に見捨てられたかのように見えた十字架の時にも、マリアは「しるし」を求めず、神の慈しみは永遠であることを信じ続けた。これが、マリアの真の偉大さである。

 マリアは天からの「しるし」を求めなかった。神はマリアに、何の奇跡も行わなかった。しかし、よくよく考えてみるなら、マリアだけでなく、イエスの「ために」さえ、何の奇跡も行われなかった。

 イエスの「奇跡」は、常に「しるし」であり、それはご自分のためではなく、人々のため、弟子たちの信仰が成長するためである。主の変容の「奇跡」は、使徒たちの信仰を固めるため、ラザロの復活の「奇跡」は、ご自分が神であること、永遠の命をもっていることを示し、人々、特に使徒たちに、ご自分の受難・死の中で信じ続けることを可能にするためである。

「教会の母」聖マリア

 イエスの受難・死の中で、真っ暗闇の、すべての希望が消えたように見える中で信じ続けることが出来た唯一の人間、それがイエスの母、マリアである。

 イエスが遺言で-遺言の中でも最後に―、ご自分の母を、ヨハネの姿の中に集中する、ご自分のすべての弟子の母、さらには、世の終わりまで存在するすべての人の母と制定したのは、母の信仰の中に、すべての弟子の信仰の最高の実現を見たこともあるだろう。

 それが、教皇フランシスコが、教会の伝統を継承しながら、典礼暦に「教会の母」マリアの記念日を加えた理由の一つである。「教会の母」の記念日の日付、聖霊降臨の祭日の翌日、復活節から年間に戻った最初の月曜日であることは意味深い。

 マリアはまさに「年間」の女性、「普通の日々」の女性である。神のわざである復活の実りが、教会の中で実現され、経験される時。聖霊降臨によって、人々に、世にキリストを運ぶよう派遣されていく教会は、マリアの中に、「あがないの卓越した実り」、キリストに形造られた「新しい人間」、旅する神の子ら(私たち)にキリストを示し、父の家に集うまで気遣う「母」を見つめる。

 マリアが教会の母である、というのは、肩書でも飾りでもない。それは彼女の信仰の実りであり、私たちに対する、さらにすべての人に対する、神の慈しみの「しるし」である。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)

(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用しました=「カトリック・あい」)

→Sr.岡の4月のトピック「PAMI(教皇庁立国際マリアン・アカデミー)オンライン会議」▷

2021年4月30日

・竹内神父の午後の散歩道 ⑥「二つの命の出会い」-聖母マリアの月に

 「命二つの中に生きたる桜かな」(『野ざらし紀行』)――松尾芭蕉が、同郷の弟子・服部土芳と二十年ぶりに再会した時の感懐を綴ったものです。場所は、桜の下。生きていればこそ、の再会です。二人の命が、こぼれ落ちるような桜の命に包まれている、そのような情景が浮かびます。人と人との出会いとは、本来、このような命と命の出会いなのではないか、とそう思います。出会いは、一見 当たり前のようでいて、実は、その背後には、本人同士にも分からない不思議な縁があるのではないでしょうか。

神の母

 マリアの中で 二つの命が出会います。一つは人間の命、そしてもう一つは神の命。この二つの命が一つとなって、私たちに与えられましたーイエス・キリスト。時は満ちました(ガラテヤの信徒への手紙4章4節参照)。永遠が時間の世界に入ります。慎ましい一人の「シオンの娘」(ゼカリヤ書2章14節)が、「神の母」(テオトコス)となります。生まれてくる子は「インマヌエル (イザヤ書7章14節)と呼ばれ、「いと高き方の子」(ルカ福音書1章32節 と言われます。彼は、ダビデの子孫として人間の子であり、神の霊によって神の子です。神の母となること、それが マリアに与えられた神からの使命です。それゆえ、彼女は 「恵まれた方」(ケカリトーメネー)と言われます (同書1章28節参照)。

恵まれた方

 「恵まれた方」ーこれが 天使ガブリエルのマリアに対するあいさつです。聖書において、この言葉が使われるのは、ここだけだそうです。「マリア」ではなく、「恵まれた方」と呼びかけられます。あたかもそれが、マリアの名前であるかのようです。マリアが そのように呼ばれる理由として、次の二つのことが考えられます。

 一つは、彼女が、聖霊によって神の子を胎内に宿したから。 すなわち、霊的祝福を受けたからです。 聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む (ルカ福音書1章35)。「包む」は、「影を落とす」という意味であり、旧約聖書において、それは、雲の中の幕屋における神の現存を表わします。つまり、「神の霊がマリアの中に降り、彼女を守る」ということでしょうか。

 もう一つは、戸惑いながらも 神の御旨を素直に受け入れ、それによって神の救いの業に参与したからです。「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身に成りますように 」(ルカ福音書1章38節 )。それによって、「秘められた計画」(ローマの信徒への手紙16章25節)が明らかにされます。

 私たちは、まったく同じ意味で、恵まれた者となることはできないでしょう 。しかし、「恵まれた方」という名に与ることなら、できるかもしれません。神の言葉に心を開き素直にそれを受け入れ、それを深く静かに味わいたい、とそう願います( ルカ福音書11章28節、 詩編95章7 8節参照)。

 神の子は、確かに 私たちに与えられました。彼は、神と人間の唯一の仲介者であり(テモテへの手紙1・2章5節)、たった一点を除いて、私たちとまったく同じ人間となりました。その一点とは、彼の中に「まったく罪がない」 ということです(ヘブライ人への手紙4章15節)。

 マリアの中で 二つの命が一つとなりました。そのように、私たちの中でも、神の命と自分の命が出会い 一つとなります。なぜなら、この神の子が、御父との交わりの中に私たちを招いているからです(ヨハネ福音書17章21節)。

2021年4月30日