・Sr.阿部の『乃木坂の修道院から』㉓「体だけでなく、魂にも、土壇場で湧き出す力が与えられている」

 人間、苦境で嘆き始めると落ち込んで行きますが、「さて、ここをどう乗り切るか」の心境に切り替えると、創意工夫が生まれ、生気が湧いて来るから不思議ですね。長い私の巡礼人生、岐路に立っては、内から新たに奮起させられ、創造主が込めて下さった不思議な力に導かれて今日まで歩んで来ました。

 窮地に立ち、万事休すの状況に追い詰められると湧いて来るエネルギーがあるのだそうです。

 以前 茶碗が持ち上げられなくなり左手首に支障を来した時、カイロプラクティックの鍼治療院に通ったことがありました。「ちょっと通ったら治る」と軽く考えていましたが、長い間の使い過ぎが祟ったようで 、1年近く治療が続きました。

 その間、治療院の奥で鍼のベテラン老先生が患者さんに話しているのを耳にしました。「ツボに命中させられる、まだ腕は大丈夫だ。人間の体の経穴(ツボ)に鍼を刺すとモルヒネを出し、治癒するんですよ」と。自然に備わった鎮痛物質が治癒する、体というのは凄いものだ、と感動してしまいました。

 同じように、魂にも土壇場で湧く力が備えられていて、追い込まれ極限の境地で発揮するエネルギーがある。逃げていては、宝の持ち腐れ、奥深くに秘められた才能は埋れたままになってしまう。もったいないことです。

 そんな確信がいつも胸のうちにあって、自分にも他人にも過干渉、過保護にならないように自戒して生きて来ました。

   思い返せば、自分でもびっくりするような閃きの発揮に驚く事が多い人生でした。50 歳までの宣教に走り回った人生、その後のタイ国に派遣されてからの30年は、本当にAmazing Grace 、「えぇっ」と驚く仕事をやって来ている、創造主に賛美と感謝あるのみです。

 タイに派遣され、生活習慣も文化も違う姉妹たちと共に生きる中で、姉妹が苦しんでいる時、声をかけ、寄り添う衝動に駆られる事がありました。そっと祈りで見守るのは、なかなか難しいのですが、苦しみのるつぼの中で呻吟する姉妹を、一線を越えず、じっとそばに居て、神の導きを信じて待つことがありました。それは神様と人間に秘められた力を信じ、姉妹への敬愛の体験でした。神様と私だけの秘密ですが、人間同士が密に生きる環境の中で役立つかもしれませんね。

 復活祭、人類の罪を負い、十字架の死をもって贖われたイエス、重い石が取り除けられて、命の勝利を祝う復活の秘義を新たな感動で味わいました。

 私たちの魂に宿された命の種が成長し、日々創造のみ業に与る人生を生きて行きましょう。「Amen Alleluia !」と口ずさみながら。

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

 

2026年4月7日

・「余白の想い」③ 「イエスの復活」を改めて考える

 カトリック、プロテスタントの「神父」、「牧師」等は「イエスの復活」について言を左右にして本当の所を語ろうとしない。まあ、現在の西欧世界に於いてさえ、この事柄はあたかも「禁句」の如くである。
余談はさておき、今現在、この復活なる話を我々はどの様に考えたら良いのであろうか。

 復活について、井上洋治神父は下記の如く述べている。

 「復活者顕現物語」とよばれている物語は、史実をそのまま語ったものではない。深層意識に強いインパクトを受けた物語作者の宗教体験が日常意識の座にのぼってくるときにとる形式である。復活とは物理学的な三次元の世界に死んだ人間が生き返ってくる蘇生とは違うから、それで、イエスの弟子達は、「イエスの復活」をその深層意識的原体験に於いて事実として捉え、それを「真実」という言葉で表現したのであろう。(井上洋治著作選集第4巻、「わが師イエスの生涯」日本キリスト教団、2015年、13頁、169頁参照)

 要するに「イエスの復活」物語は、「三次元の世界」、はたまた「生物学」等の話ではなく、ある種の「宗教体験」であろうし、もっと厳密に言えば「復活体験」である。この復活体験なる事柄は、深い深層意識に突き刺さった体験が、意識の世界に言葉として浮かび上がってきたときに、物語として展開されていく。従って、言葉乃至は言語によって対象化しえない復活のキリストは体験的にしかとらえられない”原事実”といえるだろう。

 パウロが記したと言われる「コリントの信徒への手紙一、15章」には、イエスの復活が詳細に書かれている。私の神学生時代、「この箇所は歴史的な事実であり、真実だ」と教えてくれた先生がいたが、残念ながら、その先生は、このパウロが書いたと言われる部分が、パウロ自身の「復活体験」であることが理解できなかったのであろう。

 確か、1941年頃、ドイツ聖書学者、R・ブルトマンが聖書の奇跡物語を「非神話化」する旨、明言した。まあ、この頃を境に、聖書の物語を「客観的」に論ずるようになった。

 ただ、イエスの復活物語については、種々様々な見解、解釈等があり、各個人が有する「復活体験」を大切にされることをお願いしたい。

 ここまで記してきたが、どうしてイエスの復活物語が問題になったのか、おおまかに述べておく。

 19世紀から20世紀にかけて、主にドイツを中心に、聖書の文献批判学なる学説が登場した。この学説によれば、四福音書が書かれた年代順は、最初がマルコ福音書(70年代後半)、マタイ福音書(80年代)、ルカ福音書(80年代)、ヨハネ福音書(90~110年代)となると。問題になったのは、最初に書かれたマルコ福音書によれば、イエスの墓は「空」であったと。この事柄は当時のキリスト教界に大きな波紋を投げかけた。イエスは復活しなかったのではないかと。

 この「空」の墓で喜んだのは、所謂「無神論者」と「共産主義者」と言われていた。

 マルコ福音書14章~16章8節は、四旬節から復活物語までが述べられている。「空」の墓については、皆さんが今一度「黙想」されることを望みたい。

(東京教区信徒 纐纈康兵)

2026年4月5日

・「神様がくれた贈り物」㉜ベールをかぶり、真っ白な気持ちで、復活祭を祝いたい!

 若い頃、春休みを利用して、アミューズメントパークを訪れたことがあった。可愛らしいウサギの耳をつけたキャラクターグッズが販売されていたのを見て、なんとも言い表せない気持ちになった。イエスさまの誕生日も、復活祭も、商業的なイベントに使われてしまっているのが、残念だった。

 復活祭は、日本人にとって、馴染みのないものだから、悪気があるわけではないが、そのことが、私の気持ちを一層複雑にさせた。

 私も昔、復活祭のことを知らなかったのだが…。

 ミサに与る時、ベールを被るのを一瞬ためらう自分がいる。理由は、周りにそうする人が少ない、というだけだ。周囲と違うことをするのに、人一倍の勇気が必要な自分をふるい立たせ、ベールを被る。真っ白な気持ちで、主と向き合いたいからだ。

 20年ほど前、復活徹夜祭で洗礼を受けた日のように、真っ白な気持ちで、復活祭を迎えたい。ハッピー・イースター!

(東京教区信徒・三品麻衣)

2026年3月30日

・「パトモスの風」 ⑩ 神様が創世記で語られた『敵意を置く』とは

先月のコラムについて、知人から次のような感想をいただきました。

 「私は、神様が創世記で語られた『敵意を置く』(3章15節)について、どうしても飲み込めないものがあります。約束を守らなかったアダムとイブに象徴される人間の罪に対して、神様は永遠に『敵意を置く』という言葉で罰せられました。『敵意を置く』という言葉は、とても厳しいものです。人間の本質的な部分は、神様から『敵意を置く』と厳しく諭されましたが、イエス様を通して赦されていくものと、信じたいです」。

 ここには、自分の考えを伝える私の努力が足りなかったために、少し誤解があったと思います。そこで、前回の内容をもう少し掘り下げて分かち合いたいと思いました。

 それは、世が「言」を認めず、民も受け入れなかった理由を創世記に探した時でした(ヨハネ福音書1章10~11節参照)。この時も、前々回のように、創世記の「蛇」は、初めの女と男の間に発現した「人間の情報」だと捉えてみました。前回考察したように、アダムは「女」と共有した「人間の情報」を、彼女と異なる捉え方をしたために、「善悪の知識の木」の実を食べた後、神と対峙した時、すでに「神への敵意」を持っていました。このアダムが持った「神への敵意」は、アダムからすべての子孫に伝わっていきました。しかし、アダムの子孫は、同時に「女」の子孫でもありますから、「私は敵意を置く」という御言葉も、すべての子孫に伝わっていったのです。

ここに「敵意」が二つ継承されました。人が抱いた「神への敵意」と、神が人と「人間の情報」との間に置いた「私は敵意を置く」という御言葉です。

 問題なのは、人が抱いた「神への敵意」が進化する事です。「私は敵意を置く」という御言葉は、人が「人間の情報」を神と区別して、神との関係を守ることができるように働くので、神ご自身が変更されない限り、変わらず働きかける永続性があります。しかし、人が持った「神への敵意」は、人間の知識の進化と共に変わっていく、ということです。それも他の生き物に比べて急速に進化するのです。この事情を考えてみたいと思います。

 そもそも神が「人を創ろう」と決心された時、人を大地の土で作ったので、人はアダム(「土の人」)と呼ばれたのだそうです。はっきり書いていないので分かりにくいですが、創世記1章で書かれた男と女は、ヘブライ語では、雄と雌といったニュアンスで書かれているようです。神は、人を神のイメージで、神との類似点を持った者として造ろうと決心されたのですが、まずはとにかく神のイメージで人の肉体を創った、というように書かれています。

 それでは、もう一つの似姿、つまり類似点はどうなったのかというと、それは創世記の2章に詳しく書いてあります。

 2章の冒頭には、まず、神が森羅万象を完成され、そのすべての業を終えて休まれ、その日を聖別されたことが書かれています。それはイエスが、「まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真実をもって礼拝しなければならない」(ヨハネ福音書4章23~24節)と言っておられる、だから、神が人を創造されたのは、「人が地を従わせ、あらゆる生き物を治めて、森羅万象をあげて神を礼拝するように計画されたのだ」と私は思うのです。人は、神が聖別された日に向けて創造されたのです。

 そのために、神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれました。人はこうして生きる者となった、ということを改めて書いて、神がご自身との類似点を人に授けたことを証ししたのです。

 後でアダムに神が、「土から取られたあなたは土に帰るまで/額に汗して糧を得る。/あなたは塵だから、塵に帰る」(創世記3章19節)と告げた言葉にある、「土から取られたあなた」と「あなたは塵だから」は、まさに肉体と霊から成る人を言い表しています。私たちには2つの死があるということなのでしょうか。

ここまでお読みくださってありがとうございます。このまま続けると、ずいぶん長くなってしまうので、また次回に続けたいと思います。どうか共に考えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

(横浜教区信徒 Maria K. M.)

2026年3月30日

・愛ある船旅への幻想曲(62)「自分を『人間』と思っていない司教の下で”シノドスの道”を歩めますか?」

   主のご復活の月に入った。  桜も満開で春爛漫の景色は明るく、とても嬉しくなる。  復活されたイエスは、今の世をどのように生きておられるのだろうか

 先日、6年振りに、カトリックとプロテスタントの信仰一致祈願の集いに参加した。案の定というか、カトリック司祭の参加はゼロ。プロテスタントの信者さんがほとんど。カトリックからは会場提供教会の信徒5人だけでした。「こんなことになっているんだ…」と寂しい思いをした。

 説教を担当された牧師が「世界中のキリスト教会が減る一方です」と率直に教会の現状を認めるところから始まった説教は素晴らしく、感銘したが…。

  キリスト教は日本では少数派の宗教と言われている。そうした中で、「カトリック教会は敷居が高い」「昔は、カトリック教会はプロテスタント教会の信者を聖堂に入れてくれなかった」などと言う話を、信仰一致の集まりや巷で聞いたが、私には全く理解できなかった。「カトリック教会は弱い人、貧しい人へ積極的に呼びかけている」「分け隔てなく全ての人を受け入れるのが、カトリック教会」などと、反論したい思いがあった。

 だが、今は良く分かる。カトリック信者以外の人から見たカトリック教会は、教義や倫理規定が難しい云々ではなく、そこにいる人間から受ける印象で判断されているのではないか。そう感じる場面によく遭遇する。

   外の人にそういう印象を与えているのは、当然、内部に問題があるからだろう。いつの頃からか、私たち一般信徒は、司教ともなかなか対話ができなくなっているようだ。これもまた、教会のあるべき姿との大きな矛盾である。そうした中で、フランシスコ教皇が始められた『シノドスの道』をどのように理解すれば良いのだろうか。

 カトリック教会が”伝統”として持ち続けている教皇―司教―司祭という位階制は決して衰えることがないようだ。「カトリック・あい」によれば、教皇レオ14世も3月25日の「第二バチカン公会議を学び直す」の連続講話で、教会の位階制は「教会の誕生に付随する根本的な側面」と言明されている。

    以前、ある司教が、前後の流れもなく「人間になりたい」と言われたことがある。それを聞いた信仰の薄い私は「この司教は、自分を人間と思っていないのだろうか。そもそも、こちらの認識不足なのか。だから、人間とは話さない。話し合いができない。そう思っているなら、はっきり言ってください!」と心の中で叫びたくなった。

   故溝部司教は、「愛し愛される関係の中でこそ、人間として成長できる」と強調されていた。まともな「人間司教」と出会えたことは、私の宝物である。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2026年3月29日

・「カトリック精神を広める㉘。勧めたい本紹介・11・ナヴィン・チャウラ著 「マザー・テレサ  愛の軌跡」

 今回お勧めしたい本は 「マザー・テレサ 愛の軌跡」(ナヴィン・チャウラ著、三代川律子訳= 1995年12月15日初版、日本教文社)です。
    1979年にノーベル平和賞を受賞された聖マザー・テレサのことはご存知でしょう。テレサが亡くなった1997年には自身が創設した「神の愛の宣教者会」のメンバーは4000人を数え、123か国、610か所で活動を行っています。活動内容はホスピス、HIV患者のための家、ハンセン病者のための施設(平和の村)、炊き出し施設、児童養護施設、学校など。
 本書の筆者チャウラ氏は、カトリック教徒ではありません。インド人で、ヒンズー教徒ですが、むしろそのことで、一般の人にとっては読みやすい本となっています。インドの情報・放送省上級幹部で、インドでのハンセン病の研究発表会でマザーに会い、その話を聞いて感動。一般の人に、彼女の素晴らしさをもっと知ってもらいたいと本書の執筆を思い立ち、マザーに提案、快諾を得て5年に渡る取材と、活動に同行して書き上げた「マザー・テレサの仕事を記した本」だが、生い立ちから取材して書き下ろしており、伝記に近いものになっています。
 本書で注目すべきは、なぜマザーは貧しい人々のために働く活動を始めたのか、活動の初めはどのような様子だったのかです。
    18歳の時、神の呼びかけを聞いてインドで女子教育に力を入れていたロレト修道女会に入会し、20年近くカルカッタ(現在のコルカタ)で地理と歴史を教えていました。1946年の9月、年に一度の黙想を行うため、ダージリンに向かう汽車に乗っていた時に修道会を離れて「路上で暮らす貧しい人々ために働くように」という神からの声を聞いたといいます。
 それはどんな声だったのか。神からの声を聞いたあと、修道会及びローマ教皇の許可を得るのに4年かかって、たった一人で貧しい人々のための活動を始めましたが、それはどんな様子だったのか。本書で明らかにされます。
 数十年以上かかるのが普通なのに、没後わずか16年、2016年に聖人の列に加えられています。
(横浜教区信徒・森川海守=もりかわ・うみまもる=X:https://x.com/UMImamoruken
2026年3月29日

・Sr.阿部の『乃木坂の修道院から』㉒ バンコクの”難民収容所”にいたヴィちゃんの受洗の思い出

  首都バンコクの古い中心街スワンプルーに、IDC(Immigration Detention Center 移民収容施設)があります。難民移民の不法滞在者の収容所です。

 タイは地理的、社会政治的な理由で不法移民労働者や庇護を求め移動する人々の拠点で、当時、バンコクの収容所には5千人ほど収容され、食事の提供は経済的にも大変。入管は減らすために強制送還し苦心惨憺していました。

 この施設内に JRS(イエズス会難民司牧)のクリニックがあり、入所者の健康管理や人道的な配慮に努めていました、私がタイに行って間もない頃から、そこで働くフィリピン人(JRSメンバー)の女医ガルシアさんと親しくなり、毎週手伝いに行きました。

 鉄格子の部屋コンクリートの床に鮨詰めの生活している様子を見ました。食事はご飯とお菜が仕切りのあるアルミの容器に入れて、格子越しに差し入れられます。パンを主食とする諸外国の人々のために、ホテルからパンをたくさんいただき、切ってジャムと小袋に入れる手伝いもしました。

 ガルシアさんはタイに来て長年にわたって収容所で働く傍ら、国境沿いのジャングルに潜むミャンマーからの避難民の巡回治療、難民キャンプの人々の亡命手続きに必要なメディカルチェック、北部の山奥の山岳民の巡回治療に当たり活躍していました。

 IDC での忘れられないヴィちゃんの思い出をお話ししましょう。

 カンボジアから物乞いに連れて来られ、送り返しても、不法滞在で捕まり、IDC収容所へ。顔と胸、両腕の付け根、手の指が酷い火傷を負うカンボジアの女の子です。ガルシアさんにもらったイエス様、マリア様のご絵に格別、心を惹かれ、英語のお祈りを覚えました。

 せめて自分のことが自由に出来るほどの手術を受けさせたいと、費用の相談を受けました。当時、神言会の後藤文雄神父様がカンボジアの貧しい界隈に学校を建てるために、バンコクに立ち寄られ日本語のミサを捧げてくださり親しくしていました。カンボジアの子供たちに心に掛けている神父様、とにかく会っていただこう、とIDC へご案内。膝の上に抱いてじっとヴィちゃんを見つめ、了解してくださいました。

 外出許可手続きをして入院、顔以外を見事に手術、皮膚移植の手術など辛かったと思いますが、友人のクリスチーナさん(イタリアンレストランオーナー)の付き添いで無事終了。収容所に戻り、カトリック要理を勉強し、洗礼の準備。外出許可をもらい、レデンプトール修道院の聖堂で、洗礼式と初聖体を受けることができました。彼女のために、ガルシアさんが真っ白の可愛いドレス と白いフリルの付いた靴を用意しました。クリスチーナさんが代毋を務め、皆に見守られる中で、ジョゼフィンの洗礼名をいただいたヴィちゃんの洗礼式。感謝のミサが捧げられ、それはうれしいお祝いでした。

 不法滞在で再び捕まることのないように、カンボジアのJRSのシスターと連絡を取り、出生も両親も分からないヴィちゃんのために、誕生日は3月19日とか適当に生年を決めて身分証明書が出来、以後は不法滞在で捕まることなくJRS の保護下で学校にも行き卒業。収容所で学んだ英語とタイ語を活用してホテルに就職できました。

 素敵に成長し、パスポート持ってガルシアさん、クリスティーナさん、私たちに会いに来ました。ほんとうにうれしかった。収容所にいる頃、ヴィちゃんは火傷の顔のひきつりを剥ぎ取りたいと漏らしたことがありました。「ヴィの目は美しく輝いている、顔ではない、心の美しさよ。顔はヴィのIDだからそのまま大事にね」とガルシアさん、顔の火傷の整形手術はせず、そのままにしました。

 ユニークなヴィの輝く目、面影が私の胸に今も生きています。お互いにユニークなID を目に輝かせて生きて行きたいですね。

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

 

2026年3月5日

「余白の想い」②姦淫の女とイエス(ヨハネ福音書8章1~11)「正統的キリスト教」の教えは「強者の論理」ではなかったか


以下に記すことは、現代聖書学の見解である。当方、このコラムで、荒井献氏の著作「イエス・キリストの言葉」を用いた。ただ、この箇所を論ずるにはあまりにも複雑であると同時に問題が多岐にわたる故、簡略的に記すことを了承されたい。

 この物語の最後「これからは、もう罪を犯してはいけない」。この箇所には( )が付けられ、後代の加筆と見られているが年代的に古く重要である箇所を示す、と「共同訳聖書」の凡例にある。問題は、この最後の部分が、イエスが本当に語られた言葉かどうか、ということだ。ただし、この箇所、「姦淫の女」の物語は、元来、ヨハネ福音書にはなかったといわれる。紆余曲折を経て、4世紀にこの箇所がヨハネ福音書に採用された。

 そもそもこの物語の中で「姦淫の女」は、本当に悔い改めを必要とする「罪人」とみなされていたのであろうか。カトリック聖書学者によれば、イエスが、この女に「行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言われたのは、「悔い改めを求め、罪に陥った女を憐れみ、赦した」から。この文言は、いわば条件付きの言葉である。これが教会における一般的解釈であろう。だが、数多くの写本研究からこうした赦しを求める文は古い写本には無かった、とされている。

 イエスにとって、この女を罪に定める考えは毛頭なく、「私もあなたを罪に定めない。行きなさい」で終わっていたのである。この言葉から理解するなら、イエスは「姦淫の女」を「悔い改め」を必要とする「罪人」とは見ていない。イエスは彼女を絶対的に無条件で受け入れた、と言えるだろう。

 イエスが「新約聖書」において、人を積極的に「罪人」としたであろうか、と思い返すことが肝要である。「姦淫の女」に対してイエスは「罪の赦し」を与えたのではなく、「無条件」な「全人的な解放」をされた、と見なすことできるであろう。

 ここで、我々は「正統的キリスト教」の信仰告白、使徒信条、神学、教義と教理は皆、「強者」の側にいる「キリスト者」により作り上げられてきた「強者の論理」の教えではないか、と問い直す必要がある。

 次のことを記してこのコラムを終えたい。

 どれほど歴史を通して培われてきた強固な神学や教理・信条であってもそれを「絶対化」せず、その信仰と神学を基盤にする宗教の在り方が「イエスの福音を生きる生き方」と乖離しているならば、そのことにも「否」と言うべきであろう… 更に、ヴァチカンに於いて、黙想を指導するエリク・ヴァーデン司教の言葉を引用しておく。『それはアブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわちキリスト・イエスにおいて憐れみ深い御子となられた神を、哲学における不動の動者とは一線を画すものです。(底本:荒井献「イエス・キリストの言葉」岩波書店・2011)

 

(東京教区信徒 纐纈康兵)

2026年3月1日

「愛ある船旅への幻想曲」(61) 第二バチカン公会議…教会に真摯に向き合い、社会の流れに沿った意見を熱く語る指導者が必要

    春、日本では新しい一年の始まりだ。カトリック教会も人事異動が発表され、各小教区の反応もそれぞれだろう。心静かに復活祭が迎えられるように神に祈りたい私である。

    2007年に故森一弘司教が発行された本『世界と日本と民主主義のありようを考える』の“新しい流れを前にして”の冒頭で「わたしたちも時の流れに敏感でなければならないでしょう。その流れの何が問題になるのか、冷静に見極めていくことは、大事なことのように、わたしには思えます。」とある。

     「憲法改正の問題、靖国神社参拝問題など、政府および自民党を中心にして進められていく政治の動きを見ていきますと、そこに、新たな国家主義、民族主義を高揚させようとする意図の働いていることが明らかに見てとれます。またそれに呼応するかのように、その方向に世論をあおり立てようとする一部マスコミ、メディアの動きも顕わになってきています… 憲法改正が政治日程に上げられるようになった今、わたしたち日本の教会は、新たな動きを展開しようとする日本社会に、どう向き合い、どうかかわったらよいのか、第二バチカン公会議を生きる教会としての真価が問われる時を迎えているのではないかと思います」(抜粋)。

 約20年前に森司教が危惧し語っておられた状態が今まさしく日本社会にあてはまり、日本の教会の生き方が問われているのではないか、と私は思っている。

 私は、第二バチカン公会議後のカトリック教会のミサしか知らないが、今もトリエント・ミサに与りたい60代の男女信徒をも存じている。カトリック信者にとってミサはイエス・キリストの死と復活を記念する重要な祭儀であり、聖体拝領はキリストと一つになる場面だ。各信者の聖体拝領への思いは計り知れなく、他人が介入できない問題である。

 ミサの中心は何なのか、カトリック教会の中心は何なのか。どれだけのカトリック信者がキリスト教を正しく理解しているのだろう。

 キリスト教の歴史を知らずしてカトリック宗教を語ることはできず、社会との共存もできない、と私は思っている。そして、トリエント公会議後と第二バチカン公会議後の教会の姿はどのような違いがあるのか。それを正さねば、「現代世界憲章」が作成された意図そして重要ポイントを読み解くことはできないだろう。各憲章は社会で生きる信徒として知る権利がある。そのためには、教会に真摯に向き合い、社会の流れに沿った意見を熱く語る指導者が今も必要である。

 以下は、森司教の『結び』からの抜粋。

 「じっくり考えれば、権利の背後には、その根拠となる人間の尊厳、人間の深い神秘性とかけがえのない価値があるはずです。こうした価値に関して、キリスト教には、豊かな光があります。直面している問題がどこにあるのかを明確に識別し、それにこたえていく光を提供し、人びとの良心に訴えていく役割が、教会の役割ではないかと考えるものです」。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2026年3月1日

「パトモスの風」 ⑨今年を「聖フランシスコ年」とされたレオ14世教皇に感謝!

 
 レオ14世教皇様が、2026年1月10日から2027年1月10日までを、聖フランシスコ没後800年を記念する「聖フランシスコ年」とされた、という発表を知った時、私は心から感謝しました。私が「サン・ダミアーノの十字架」と出会い、アッシジの聖フランシスコについて知る機会を得たのは、神さまからのものだったのだと感じられたからです。そして、それまで持ち続けたヨハネ福音書と黙示録への思いがここにあったように思えました。

 そこで、これまで、「サン・ダミアーノの十字架」には、なぜヨハネ福音書と黙示録のテーマが描かれているのか、また、作者はなぜ、キリスト者の都をローマに置くことや、聖フランシスコの登場を預言するような人物を描き残したのか、などを追いかけてきことを、これからも続けていけたらと願っています。

 ヨハネ福音書は、洗礼者ヨハネが、「光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じる者となるため」(ヨハネ福音書1章 7節)に遣わされた、と書いています。そして、「彼は光ではなく、まことの光があった。その光は世に来て、すべての人を照らすのである」(1章8~9節)とあります。しかしそれに続く、「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は自分のところへ来たが、民は言を受け入れなかった」(1章10~11節)という句を見ると、その落差に驚かされます。

 「世は言によって成った」とあるのは、このように書かれた理由を、創世記に探すように示唆しているのです。前回2月号のコラムで書かせていただきましたように、ここでも、創世記の「蛇」を、初めの女と男の間に発現した「人間の情報」であると捉えて考えてみる必要があります。

 初めの男と女が、神が食べることを禁じた「善悪の知識の木」の実を取って食べた後、「取って食べてはいけないと命じておいた木から食べたのか」(創世記3章11節)と問いただした神に、アダムは「あなたが私と共にいるようにと与えてくださった妻、その妻が木から取ってくれたので、私は食べたのです」(3章12節)と答えました。自分が神の命令に背いた原因を、神に帰したのです。このことは、彼が、この時、「神への敵意」を持っていたことを表しています。

 一方「女」は、「蛇がだましたのです。それで私は食べたのです」(3章13節)と、その理由をありのままに答えました。そこには、二人の間に発生した「人間の情報」を、どう取り込んで自分の知識にしたかの違いがあったと見ることができます。

 神は、人間の情報が他の生き物の中で最も呪われるものだ、と言われ、「お前と女、お前の子孫と女の子孫との間に/私は敵意を置く。/彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」(3章15節)と言われました。「私は敵意を置く」という御言葉は、まず「お前と女」、すなわち人間の情報と「女」の間に、次いで、「お前の子孫と女の子孫との間に」置かれました。神は、この御言葉が遺伝によってすべての人に継承されるようにしたのです。この時すでに、全人類の命が女性の胎に託されていたからです。

 神は、この御言葉を、アダムと人間の情報との間に置きませんでした。それは、「神への敵意」を先にもっていたアダムに「私は敵意を置く」という御言葉を与えれば、その葛藤に彼が苦しむからです。しかし、彼の知識となった「神への敵意」は、彼だけにとどまらず、子孫にも伝わっていきました。だからヨハネ福音書にあるように、世は「言」を認めなかったし、民も「言」を受け入れなかったということが起きるのです。

 だからこそ、「彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」と言われた神の言葉に希望がありました。それは、やがて御言葉が人となって生まれ、人に「人間の情報」を区別することを教えることで、その頭を砕き、「お前は彼のかかとを砕く」と言われた出来事を、神の計画が成し遂げられることにつなげてしまう、という希望です。これらの事に注意を向けながら、さらに続くヨハネ福音書の次の言葉を読むと、何かが、もっとはっきりしてくる気がします。

 「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた。この人々は、血によらず、肉の欲によらず、人の欲にもよらず、神によって生まれたのである。言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(ヨハネ福音書1章12~14節)。

(横浜教区信徒 Maria K. M.)

2026年2月28日

・ カトリック精神を広める㉗ 勧めたい本紹介・10 アレッシオ・パレンテ神父著「煉獄の霊魂は叫ぶ!『ピオ神父、万才!』

 今回お勧めしたい本は、 「煉獄の霊魂は叫ぶ!『ピオ神父、万才!』-天国と地獄の狭間」(アレッシオ・パレンテ神父著、甲斐睦興訳、 1995年11月20日初版、近代文藝社)だ。

 聖ピオ神父は、イエス・キリストと同じ手、足、脇腹に十字架上での聖痕(せいこん:きずあと)が現れた神父として有名。令和元年に長崎を訪れた教皇ヨハネ・パウロ2世も若い頃、ピオ神父から赦しの秘蹟、告解を受けたことがあるという。

 ピオ神父は、1887年5月25日に南イタリアカンパニア州の農村ピエトレルチーナに、7人兄弟の4番目の子として貧しい農民の家に生まれた。一家は毎日ミサに出席し、毎晩ロザリオの祈りを欠かさなかった。両親は読み書きが出来なかったものの、聖書を暗記して、その物語を子供たちに語り聞かせた。ピオ神父が5歳の時に自分の人生を神に捧げたという。その時からイエス、聖母マリア、守護の天使が見えて会話することができ、他の子も同じだと思っていた、と母親に語っている。

 23歳でカプチン会の司祭になり、31歳の時、十字架の前で祈り、ミサ後に感謝の祈りを捧げている最中に、聖痕が手、足、脇腹に現れた。最初は教会から超自然的なものとは認められず、公にミサを捧げることも禁止された。正式に認められたのはその15年後である。

 ピオ神父は、哀れな罪人や煉獄の魂のために、主に自分を捧げたいと強い情熱を感じ、いつも彼らのために祈りを捧げ、聖痕による苦痛を犠牲として捧げていた。このため、生きている人間よりも多くの煉獄の霊魂がピオ神父のもとを訪れたという。81歳で亡くなるが、彼はしばしば「死後はもっとやる。私の本当の使命は、私の死後に始まるのです」と宣言している。

 死後には聖痕はすべて消え、遺体は、サン・ジョヴァンニ・ロトンドの聖ピオ聖堂に安置され、40年後に聖人の位に上げられるかどうかの調査のために墓を開いたら、腐敗していないご遺体が現れた。この聖堂は、現在では、世界各地から多くの巡礼者が訪れる巡礼地となっている。(以上は、ウィキペディア等参照)

 本書によれば、プロテスタントでは煉獄は単なる迷信と考えているが、カトリックでは、天国へ行く途中の住まい、生前に犯した罪を償(つぐな)う場所と信仰している。彼は35歳の時に、司教から乞われるままに,以下の話をした。

 「夜中、部屋で祈っている最中に、修道院の扉が閉まったままなのに、一人の老人がドアを開けて中に入ってきた。『どんなご用ですか』と聞くと、老人は名を名乗った後、『私は、たばこを吸ったまま眠ってしまい、寝ている間に布団に火が付いて死んでしまいました。今は煉獄に留まっていますが、天国に行けるようにミサを捧げてくれださいと神父様に御願いに行くことを。神様が許してくださったので、ここに参りました』と語った。それで神父はミサを捧げることを約束し、修道院の扉を開け、『さようなら』と言った途端に、老人の姿は消えてしまった。その時には,失神しそうになったほど。翌朝、さっそく老人のためにミサを捧げ、老人が天国に召されたことが分かった、と司教に話したという。神父はその後、町に出かけ、町の史実を調べたら、確かに、実際に生きながら焼かれて死んだ老人がいた、ということが分かった」。

  イギリスのロンドンでは、ピオ神父は1月の「憂鬱とストレス解消の守護聖人」となっている。これは、ピオ神父の有名な言葉 “Pray, hope, and don’t worry(祈りなさい、希望を持ちなさい、そして心配しないでください)”に敬意を表し、一年でもっとも憂鬱な気分になる1月の22日をDon’t Worry Be Happy dayに選定しているからである。

(横浜教区信徒・森川海守=もりかわ・うみまもる=X:https://x.com/UMImamoruken

2026年2月28日

・「神様がくれた贈り物」㉛宣教のヒント〜人を説得するのではなく、納得するのを待ちながら、祈ること

 

  目に見えるものだけを信じる人たちに、「神は、本当に存在するのか? 証拠があるなら、見せてほしい」と言われると、困ってしまう。また、「祈ったら、なんでも叶えてくれるんでしょう?」と聞かれたときも、返す言葉がなくなってしまう。

  私としては、「私が、今、ここに生かされていること自体、神様がいらっしゃる証拠なのよ」と思いつつも、結局、言わずにそのまま黙ってしまう。その人を説得できる材料を、私は持っていないからだ。

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 私のひとつ年上の先輩に、家族みんながカトリック信者、という方がいた。にこにこした笑顔が印象的で、みんながやりたくないことでも、率先して引き受ける人だった。学校生活でも、他の生徒たちとの違いはなく、先輩のおうちにお邪魔するまでは、本当に信者なのか、半信半疑だった。

 18歳だった私が、家族とうまくいかず、もう家に帰りたくなかったあの日、その先輩のご自宅に泊まらせていただいた。夜遅い時間だったのに、先輩のお母様が、温かく迎えてくださり、「一番年下のあなたに、一番かわいいカップを、お渡ししましょうね」と、暖かい紅茶を出してくださった。きゅっと縮まっていた体から、ふぅっと力が抜けた。お母様が「私は先に、休みますね」とおっしゃり、寝室に戻られた後、時計を見たら、もうすぐ午前1時という時刻だった。

 その時に、部屋の奥に気になるものがあった。それは、高い位置に置かれた学校で見たことがあるような少し大きめのサイズの聖母像だった。「こんなふうに、家の高い位置からマリア様が見守っておられることを、毎日感じながら生活しているのか」と、未信者だった私の心に深く残った。

 翌朝は、お父様と朝食をご一緒させていただいた。「よく眠れたみたいだね」と、穏やかに迎えてくださった。朝食後、部屋に戻ると、先輩は、私の話を聞いてくれた。そして、自分自身の悩みも赤裸々に話してくれた。

 こんなふうに、先輩だけでなく、御家族からも「たった一人の私」として大切にされた時、「神がいるんだ!」と納得した。「いる」と口で説得されても、信じることはなかっただろう。

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 私たちができる宣教のヒントは、ここにあるのかもしれない。神の存在を、説得するのではなく、その人が納得するまで、祈って待つ―そうしていれば、きっと導いてくださるはずだ。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2026年2月28日

・「愛ある船旅への幻想曲」(60)「頭で考えるだけの宗教」では、社会との共存は難しい

 今、日本は受験シーズンを迎え次のステージへの挑戦にあたふたしている子供たちもいることだろう。勿論、その子供たちの家族も落ち着かない。試練と忍耐の厳冬である。そんな中、衆議院解散だ。
 日本に初めて女性総理大臣が誕生した時、喜んだ国民が大勢いる、との報道だが、現状は賛否両論。日本の未来が心配である。いまだに“女性の役割”を問い続けているカトリック教会は、だいぶ現代社会から遅れをとっているようだが、唯一、社会情勢と”共存”できるのは、急速な少子高齢化と信徒減少(人口減少)についてであろう。
 前回のコラムで某トップ聖職者たちとの出会いに安堵した、と明記したのだが、後日談を述べねばならない。
 聖職者には、社会で生きる人と人とのルール、時間をかけて丁寧に話し合い、築き上げた信頼関係の大切さが、理解できないようだ。カトリック教会での地位は日本社会では簡単に通用しないこと、現場を知らない交渉のやり方は無謀さしか残らないことを思い知る出来事があった。一般社会に人間への尊重を教えねばならないトップ聖職者が人間を無下に扱うようでは、イエスも神も、そこには、おいでにないだろう
 今回の選挙で、ある党首は『人間の尊厳』の政治理念を核としていた。教皇フランシスコも『人間の尊厳』を尊重することを私たちに望まれた。バチカンの教理省宣言として、『無限の尊厳 ― 人間の尊厳』文書も出たはずだ。カトリック信者として『人間の尊厳』は一番大切であり、デリケートな問題と、私は思っている。
 しかし、「『カトリック教会は、社会とかけ離れた立ち位置の存在』と互いが見なしている限り、人間をも知らず、『人間の尊厳』の意味さえも「自分中心の狭い世界だけの主張」と受け取られかねないだろう。カトリック教会の高位聖職者たちが、相手の人間に対して「尊重と愛」を持たない扱い方を社会の現場で示すようでは、今ある教会への誤解は解けないのではないだろうか。
 カトリック教会の組織、人間関係、位階制度は独特である。それに、胡座をかいているような信者たちの集う宗教に未来はあるのだろうか。教皇フランシスコの回勅『兄弟のみなさん』は、人間の尊厳を擁護し、推進する”大憲章”と言われている。
 だが、人間として社会で必死に生き、経験を積まねば、キリスト教の核である“愛”を理解することはできない。よって『人間の尊厳』をも理解できない。「頭で考えるだけの宗教」では、社会との共存は難しいと、はっきり結論付けられた私の厳冬である。
 教皇フランシスコの確信の言葉-「私は、世界中のすべての人に、私たちのものであるこうした尊厳を忘れないように、と訴えます。この尊厳を私たちから奪い取る権利は、誰にも無いのです」(教理省宣言『無限の尊厳 ―  人間の尊厳について』)
(西の憂うるパヴァーヌ)
2026年2月1日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」㉑タイ北部の山奥の村で村民89人の洗礼式、アジアの仲間に福音を伝える使命を痛感した

 タイ北部メチェム県の山奥、最高峰ドイ•インタノン(2590m)の麓にカリアン民の村が点在しています。チェンマイから最高峰を超え、メチェムから更に北へ、ザブザブ川を渡り土埃を上げながら、やっと車の幅程の山間の道を5時間余、36世帯200人ほどのメヘナイ村があります。この村での忘れられない出来事をお話ししましょう。

 長崎コレジオ神学生の体験学習ボランティアの現地コーディネートのため、当地の神父さまと相談し、教会を建てるために毎年村にお世話と通訳で行っていました。大学の春休みを利用して2週間ほど、村人の家に泊まり寝食を共にし聖堂建設の手伝い。

 土台の土掘り、川から砂運び、石砕き、鉄筋を曲げて組んで…何から何まで手造りです。子供たちもバケツで水運びの手伝い、セメントをこねてバケツ・リレーでコンクリート流し… もちろん短期間で完成するはずはありませんが、ボランティアの労働力と村人総出で土台と柱、屋根の梁まで完成。

 夕方は子供たちと遊んで、楽しいひと時、オルティ(水浴び、つまりシャワー)して汗を流して皆で夕食「オメ」です。オ=食べる、メ=ご飯。覚えたカレアン語で結構心を通わせ、笑いが絶えない日々。

 その年は長崎コレジオの尾高修一神父さまが同伴され、毎日、日本語、タイ語、カリアン語を組合せて皆んな参加のミサを捧げました。日本語の説教は「難しい話しないでね」と言って私が通訳、村人の聖歌は本当に心が痺れ、たまらなく美しいでした。

 カトリック村のはずなのに、聖体拝領する人が少ないので、「告白したいの?」と聞いてみると、まだ洗礼を受けていないのです。司祭も何年も村を訪問していなくて、遠い町まで秘蹟を受けに出かける費用も無し。神父さまから了解をいただき、カテキスタの助太刀を呼んで、13 歳までが洗礼、14歳から洗礼初聖体の準備。聖歌の練習が響き渡り、村はみごとな信仰の学舎に。

 未完成の聖堂の床にビニールシートを敷き、屋根の梁越しの夜の星空の下で、洗礼式とミサが行われました。受洗者は何と89人!神父さまにカリアン語を練習してもらい、白い衣はないのでストラを肩に掛けながら、胸に付けた洗礼名と名前を呼び洗礼式、ミサの中で初聖体… 尾高神父さまは、説教の声が詰まるほどの感動。叙階してすぐに神学校に勤めたので洗礼を授けたのは初めてだったのです。

 式後は、大きな黒豚を屠って村中でご馳走してお祝い、村長さんは銀紙を巻いて作った剣の祝いの舞を披露、本当にうれしかったのですね。「生涯で一番うれしい日。村人たちの受洗、それも同じ顔をした日本人の神父さまから… 今までは西洋人の宣教師からでしたが」としみじみ語ってくれました。

 そのような村長さんの言葉を聞いて、私はハッと「アジアの仲間に福音を伝える使命」に気付かされました。そして、その時以来、私の意識に大きな展開がありました。気持ち心の視野が広がり、「イエスの極め難き福音の喜びの小径」を示されたように思いました。

 福音の味を噛み締め、口ずさみながら巡礼宣教人生を喜んで歩み続けたいと思います。聖母マリアの導きご保護を願いながら、共に前進しましょう。

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

2026年1月31日

・「パトモスの風」⑧ヨハネ福音記者が「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」と書いたのは、その体験があったから

今回は、ちょっと横道にそれてしまいますが、前回、ヨハネ福音書1章の「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」(ヨハネ福音書1章 5節)とある「闇」とは、人間の情報や知識のことです、と
書いたことについて、少しお話ししたいと思います。

このコラムで初めのころにお書きしましたが、アッシジの聖フランシスコが出会った「サン・ダミアーノの十字架」の作者は、十字架像の上部に、一人の男性がボタンの付いた筒のようなものを持って、下から手を差し伸べているイエス・キリストに渡そうとしている様子を描きました。

私は、それはまさしく黙示録の「七つの封印がしてあった」(ヨハネの黙示録5章1節)巻物に違いない、と思いました。この十字架像の中心テーマは、ヨハネ福音書の十字架の下の場面ですので、サン・ダミアーノの十字架に、「ヨハネ福音書と黙示録の相が現れている」ことに、フランシスコも気付いたに違いありません。

『アシジの聖フランシスコの小品集』(庄司篤訳、1988年、聖母の騎士社)の第一章「訓戒の言葉」の最初のテーマ、「主の御体」を読むと、フランシスコが、ヨハネ福音書から御父の愛とご聖体についての特別な理解を得ていたことが見えます。

一方、同じ「訓戒の言葉」の第2のテーマ、「我意の悪」では、創世記の「善悪の知識の木」へとその関心が向いています。フランシスコは、ヨハネの黙示録もよく読んでいたと思います。そして、黙示録の「竜」と創世記の「蛇」について考察したかもしれません。しかし、800年も前の彼の時代、それが何かを知るための手がかりは乏しかったでしょう。

黙示録の「竜」は、「巨大な竜、いにしえの蛇、悪魔ともサタンとも呼ばれる者、全人類を惑わす者」(12章9節)、「悪魔でありサタンである竜、すなわち、いにしえの蛇」(20章2節)と表現されていて、それが創世記3章の「蛇」とつながります。黙示録の「巨大な竜」は、「いにしえの蛇」、すなわち創世記の「蛇」がまるで進化したかのようです。

創世記の「蛇」が何であるかは、初めの「人」から女と男が創造された後、二人の間に、情報が発現した、と考えると合点がいきます。生き物は皆、複数になれば同種の個体間で情報を共有し、種の保存に最
適化しようとして進化するようになります。人間も同じですが、人間の間に発生した情報は、他の生き物とは比較できないほど急速に発達したと思います。2500年以上も前に書かれたといわれる創世記が、人間の情報を「蛇」にたとえて、他者として捉えたセンスにはすごいものがあります。

創世記3章に描かれた初めの女と「蛇」の対話が、人が情報を知識として取り込んでいく様子、と捉えると(創世記3章1~9節参照)、初めの「女」に起こったその現象は、人と競合する知性、AIと格闘する現在の私たちには、身につまされる体験ではないでしょうか。

AIと関わる私たちの中には、実在感が曖昧になって、それが「命を持った相手」であるかのように錯覚し、依存する人々もいる、と聞きます。創世記の初めの女と男も、それぞれが日常的に得た情報を共有するうちに、神が食べることを禁じた木の実についての彼らの記憶が、次のように曖昧になっていきました。

神は、園の中央に命の木と善悪の知識の木を生えさせられたのですが、「園のどの木からでも取って食べなさい。ただ、善悪の知識の木からは、取って食べてはいけない。取って食べると必ず死ぬことになる」(2章16~17節)と人に命じました。しかし、女のイメージは、園の木の実を食べることはできるが、「ただ、園の中央にある木の実は、取って食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないからと、神は言われた」(3章3節)いうものでした。神の言葉に人間の情報が混入して、彼女の知識は当初の神の命令とは違ってしまいました。

この違いの中で、女の脳裏に、神の命令に対して、「神は本当に、園のどの木からも取って食べてはいけないと言ったのか・・」という疑惑が生まれました。それは、「私たちは、園の木の実を食べることができる…」という知識との間で行ったり来たりしたことでしょう。「でも、ただ、園の中央にある木の実は、取って食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないからと、神は言われた…」と思い返しました。

ここで、死を体験したことも見たこともない若者であれば、「死んではいけない」を「決して死ぬことはない」にひっくりかえすことは簡単です(3章1~4節参照)。さらに、「それを食べると目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っているのだ」(3章5節)と後付けでその理由を思いつくに至ると、彼女には別の現実が見えてきます。

「女が見ると、その木は食べるに良く、目には美しく、また、賢くなるというその木は好ましく思われた。彼女は実を取って食べ、一緒にいた夫にも与えた。そこで彼も食べた」(3章6節)と書かれています。
二人の間で交わされた情報が、女の記憶により強く印象付けられたのは自明のことでした。神による人の創造に参与し、他者の命のために働く胎を授けられた女性は、常に他者の存在を本能的に意識してい
るところがあります。そこで、コミュニケーション能力が高く、ストーリーを共有することに長けています。

今では男女の差異は感じられませんが、人類が歴史を生き延びて今日のような発展を遂げた理由がそこにある、と言われているところです。人類はストーリーを共有することによって大規模協力を可能にしてきたのです。

イエスが洗礼者ヨハネから水で洗礼を受けられた後、共観福音書は、イエスが「悪魔から試みを受けるため、霊に導かれて荒れ野に行かれた」(マタイ福音書4章1節)という場面をそろって記載しています。当時は、まだ情報という言葉も概念もなかったと思いますが、神であるイエスは、創世記の場面と同じように、悪魔(サタン)を他者として捉え、それが人間の情報であることを知らせ、それと対峙する模範を私たちに示されたのではないでしょうか。

神であっても人の肉体を持つイエスも、この世に生まれたときから、さまざまな情報に接していたと思います。しかしイエスの記憶の中で、人間の情報が取り込まれて彼の知識となっていたとしても、ご自身
が携えて来られた御父の御心とは完全に区別されていたことが、荒れ野の場面の対話から分かります。

福音書は、イエスが多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた時、ペトロがイエスを脇へお連れして諫め始めた、と書いています。するとイエスは振り向いてペトロに、「サタン、引き下がれ。あなたは私の邪魔をする者だ。神のことを思わず、人のことを思っている」(マタイ福音書16章23節)とお叱りになったとあります。「人のこと」とは人間の情報のことです。

イエスは、御言葉を受け入れイエスの名を信じる弟子たちが、ご自身の言葉と人間の情報とを区別するように、格別に配慮し、訓練しておられたのではないでしょうか。ヨハネ福音記者が「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」と書いたのは、その体験があったからこそであり、その体験を共有する方法を、未来の信者たちのためにイエスが残さなかったはずはない―私はそう確信します。

(横浜教区信徒 Maria K. M.)

2026年1月31日