・Sr.阿部のバンコク通信  (70)タイ語訳の日本の漫画が召命に結び付く!

    漫画が大好きなタイの子供たち。カバンの中にはタイ訳の日本漫画本が何冊も… 夢中で読んでいるのには本当に驚きました。

   漫画本との出会いは、タイでの宣教活動に閃きを与えてくれました。女子パウロ発行のタイ語訳コミック版「ベンハー」を1997年6月に出版したのは、奇跡とも言える出来事でしたが、次いで女子パウロの「クォヴァディス」3巻と「白い鳩のように」、サンパウロの「遙かなる風を超えて」3巻と「たとえ話きかせて」、講談社の「漫画聖書物語」5巻と「聖書の中の人々」8巻,「My Super Hero」…と続きます。

 単行本やCD やDVDも出版しました。これらが電波の届かない地域に届けられ、現地の人たちに感動を与えていることに驚き、人間を育てる書物の威力を見直しました。

 ボロボロの「ベンハー」初版本が、神学生を同伴してボランティアに入った山奥のカレン族の村で見つけた時は、「こんな所にまで!」と胸が熱くなりました。

 タイの人々の好む味付けで福音を調理した”ご馳走”を、メディアに乗せて宣教するのが、私たちの使命です。版権使用許可の交渉をしながら、テクニックを学び、コンピュータでの編集作業もゼロから始め、汗と涙と祈りの挑戦… 「主よ、素敵な装丁や制作をお助けください」と十字を切りながら、表紙のデザインに取り組んだことを、懐かしく思い出します。

 タイの若者を女子パウロ会への入会に導いたのは、実にこれらの日本の漫画本でした。漫画をきっかけにした召命です!

 2005年白い鳩のように」で私たちの会を知った山岳民の村に住むアティタヤーが最初の入会者。母親から離れたことのない1人っ子のパリチャートが「ベンハー」を読んで、二人目の入会者となり、二人はその後14年の養成を受けて、2019年に終生誓願に至りました。「遙かなる風を越えて」や「クォヴァディス」を読んで入会を決意したのは、現在の有期誓願中のシスターピンです。

 愛読者の皆さん、コロナ禍で大活躍している通信ツールを使って、美味しい魅力的な福音の”ご馳走”を隣人に届けませんか。今、その時です!

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

 

2022年9月5日

・Sr.岡のマリアの風  (78)福者ヨハネ・パウロ一世教皇のように、「ほほ笑む教会」になりたい

 アルビーノ・ルチアーニ、教皇ヨハネ・パウロ一世が、2022年9月4日、福者として宣言された。

 バチカンのジャーナリスト、アンドレア・トルニエッリ氏は、9月3日付『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』で、「福音の本質を私たちに呼び起こす、教皇になった一人のキリスト者」というタイトルで記事を書いている。

 「一人のキリスト者」ートルニエッリ氏は記事の中で、この言葉を繰り返している。実際、「列福されるのは、教皇でも、その教皇職でもなく、自分自身を『塵』と認識しながら全身全霊で福音に従った一人のキリスト者」である、と語りながら。

 私たちは、福者ヨハネ・パウロ一世について、わずか34日間の教皇在位以前のことはあまり知らない。トルニエッリ氏は、アルビーノ・ルチアーノが、1970年2月8日、サン・マルコ大聖堂でのヴェネチア総大司教としての最初の説教の中で、「11年前、ヴィットリオ・ヴェネトの司教になったばかりの時、信徒たちに言った言葉を繰り返したこと」を思い起こしている。

 「神は、ある偉大なことを、ブロンズや大理石の上ではなく、塵の上に書くことを好まれます。というのも、書かれたものが、ばらばらになったり、風で散らされたりせず、残っているなら、その功績はすべて、ただ神のものであることが明らかになるからです。この塵は私です。総主教の職務と、ヴェネチアの大司教区は、塵に結ばれた偉大なことです。この結合から、何か善いものが生まれるとすれば、すべて主の慈しみのおかげであることは明らかです」。

 神は、この「塵」の上に、「最も美しいページを書き記した」とトルニエッリ氏は指摘する。それは、今日、あらゆる時代にも増して必要とされている、と。

 アルビーノ・ルチアーノは、「あらゆる主人公主義(protagonismo)から無縁で、目立った地位を望んだこともなく、コンクラーベでほぼ満場一致で選出される前は、ヴェネチア司教を引退する年齢に達したら、宣教者としてアフリカに出発することを考えていた」。

 彼は日々、「主よ、私をありのままに取り、私を、あなたの望まれるようにしてください」と祈っていたキリスト者である。福者ヨハネ・パウロ一世が証しした教会について、トルニエッリ氏は語っている。

 「日常性の中で福音を生きる教会、その存在を見せるた めに花火を必要としない教会。近しさ、慰め、希望を、最も小さい人々、最も貧しい人々、排斥されている人々、表に出て来ない人々から始めて、すべての人に運ぶことができる教会」。

 教会の、私たちの使命は、人となられた神の御子、イエス・キリストから託された使命である。つまり、人々に、世界に、慈しみ深い父である神のみ顔を現わすこと。神のやり方、「近しさ、慈しみ、やさしさ」を、言葉や行いよりも先に、生き方をもって証しすること。

 神が、塵の上に書かれた美しい物語(ストーリー)。父と子と聖霊の、永遠の命の交わりに招かれていることを知っている謙虚な者たちの日々によって織りなされる、神と人との共働の物語。

 教皇フランシスコは、列福式のミサを、次の言葉で締めくくっている。

 「教皇ルチアーニは、ほほえみをもって、主の善(慈しみ)を伝えることができました。喜びに満ちた顔、穏やかな顔、ほほえみの顔をもつ教会は、何と美しいことでしょう。それは、決して扉を閉めず、いらだたない教会、不平不満を言わず、恨みを抱かず、怒らず、短気ではない教会、不愛想な姿を見せず、後戻り主義(indietrismo)に陥って過去へのノスタルジー(郷愁)に苦しむことのない教会…」。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)

2022年9月5日

・愛ある船旅への幻想曲 ⑲日野原・名誉院長は語るー「人が人に与える最高のものは心」

 今夏の日本は、猛暑となり局地的な豪雨が相次ぎ水害・土砂災害が起こっている。地球温暖化やそれに伴う水蒸気量の増加等の世界的な規模の変動が寄与している可能性があるらしい。また、ロシアとウクライナの戦争がもたらす環境破壊や有害物質の排出は今後も世界中に悪影響を及ぼすであろう、と言われている。戦争は人間社会の対立によって生じ、人権と自然をも破壊する。

 

*広島市長の「平和宣言」と小学生代表の「平和への誓い」に感銘を受けた

 小学五年生の男の子が切実に、この戦争からの環境被害を、私に語った。中学一年生の男の子は、優しさについての作文に、ウクライナを支援する国々のことを称賛し、戦争からの環境破壊に繋げる文章を書き上げた、と話してくれた。この二人の母たちは、それぞれカナダ人とスコットランド人だ。日本も子供たちが多文化に触れ、多様性を感じ、互いを尊重することを学び、世界観の広い人間に育つ環境が出来つつある。「人間社会と世界情勢に興味を持ち、各国のニュースにも無関心ではない子供たちがいる限り、世界には明るい未来がある」と希望を持っている私だ。

 8月6日、広島は被曝77年の「原爆の日」を迎えた。この日の広島市長の『平和宣言』と、広島市の小学生代表の『平和への誓い』の言葉には、私が常々思っていることが綴られ、いたく感銘を受けた。

 広島市長「他者を威嚇し、その存在をも否定する、という行動をしてまで、自分中心の考えを貫くことが許されてよいのでしょうか。私たちは、今改めて『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイが残した『他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ』という言葉を思い起こす必要がある」

 小学生代表「自分が優位に立ち、自分の考えを押し通すこと、それは『強さ』とは言えません。本当の強さとは、違いを認め、相手を受け入れること、思いやりの心を持ち、相手を理解しようとすることです。本当の強さを持てば、戦争は起こらないはずです」。

 これらのメッセージは、国と国との戦争だけに述べられたのではない。私たち一人ひとりが今、人間として受け入れなければならないメッセージだ。

 私たちは生きていく上で、大なり小なり他の人との対立が生じ、争いを経験する。どんなに仲良し家族でも、夫婦喧嘩、親子喧嘩、兄弟喧嘩は避けては通れない。私自身、前向きな喧嘩?では、問題解決のために本音を言い合うことを前提に、気分は悪いが相手を受け入れる心構えだけは持つようにしている。家族内での対立は、社会で生きていく為に大きなヒントがあると感じているからだ。

 

*患者をないがしろにし、医師に顔を向ける病院

 社会集団の中では、立場の違いや利害関係からの対立がある。地方でいまだに存在する事例を挙げたい。

 ある人が、重篤な疾患で病院にかかる。一番大切な事はその人(患者)の身体の状態が良くなり治ること、と思うだろう。

 ところが、医者を紹介する病院関係者が不安しかない患者の家族に、「言っておきたいことがあります。この医者は、素晴らしい実績を持ち、○○で一番の有名な医者ですから、あなたからの質問など、とにかく何も言ってはいけません。医者に全て任せて従いなさい。この医者は私たちの病院には、なくてはならない大切な人ですから…」と、その医者を知る自分を誇示し、医者主導の「お任せ医療」を無理強いする。

 「私たちにとっては、病気になった家族(患者)のことが一番大切、大切な人ですから」と、悔しさと悲しさから涙をこらえた家族の訴えを聞いた。

 今の医療現場では、医者の責務として、患者の視点を念頭においたコミュニケーションをとることが求められている。医者が最善の治療をする為にも、患者や家族から過去の病歴を含む正確な情報を得る必要があり、患者や家族には、それを確実に報告する権利と責務がある。患者が良質な医療を受けるためには、医者と対等な立場での情報交換がなされねばならない。これは、双方の権利意識の問題解決にもなるだろう。

 患者の存在を軽視し、思いやりの言葉もなく、ひたすら”医者への尊敬の念”を言葉巧みに熱弁する病院関係者の医者に対する”気遣い”は、すべて病院経営の為だった。経済的利益を求めるために人間の尊厳、そして生命を巧みに利用し、威嚇する言葉は、医療現場で決してあってはならないことだ。カトリックの病院で働くキリスト者なら、なおさらのこと、心せねばならない問題だろう。WMAリスボン宣言『患者の権利』とWMAジュネーブ宣言『医師の誓い』を改めて思い起こし、人権を蹂躙しない心構えを共有せねばならない。

 私が知る医者たちは、日々患者の健康を第一の関心事とし、医者の職業的倫理を真面目に実践している。そして、「我々は、たかが医者だ」と謙虚である。彼らこそ「○○で一番の医者」かも知れない。

 

*教会は『野戦病院』になっているか

 

 教皇フランシスコは、たびたび、「教会は『野戦病院』です」と言われている。だが今、カトリック教会は、本当に『野戦病院』になっているだろうか。病院は今、『パターナリズムからパートナーシップへ、依存から協働作業へ』を推進していると聞く。教会は、どうなのだろうか。

 今進められている“シノドスへの道”の歩みに対する教皇フランシスコの希望は「全信者が共に歩む教会を作っていくこと」だ。「教会がこれまで、『聖職者主義』から脱することができず、信徒一人一人の声に耳を傾けることもできず、『皆で共に歩む教会』になっていなかったことへの反省」がもとになっている。

 聖路加国際病院の日野原重明・名誉院長は語られているー「なんと言っても、人が人に与える最高のものは心である。他者のための“思い”と“行動”に費やした時間、人とともにどれだけの時間を分けあったか、によって、真の人間としての証しがなされる」と。

 100歳を超えても医者として患者のために自分の人生を捧げ「医者としてあるべき姿」を貫き通し、信仰・感謝・実践の喜びに満ちた日野原先生の105年間は、真のクリスチャンとしての証しであろう。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2022年9月3日

・竹内神父の午後の散歩道 ⑳素朴な美しさとその清らかさ

 「人と人とのあいだを/美しくみよう/わたしと人とのあいだをうつくしくみよう/疲れてはならない」(「ねがい」)。八木重吉(1898-1927)は、その短い生涯にも拘わらず、数多くの詩を残しました。素朴な言葉で紡がれる彼の詩は、私たちに、穏やかな輝きと暖かな透明感を届けます。またその余韻は祈りとなって、私たちを神へと導きます。

 この素朴な美しさは、ひとえに、彼の心から溢れ出てくるものなのでしょう。「およそ心から溢れ出ることを、口は語るのである」(ルカによる福音書6章45節)。人と人との間を美しく見たいーそう願う彼は、同時にまた、それが容易でないことも分かっていました。

 

*すべては心から

 

 「美しさ」と「清さ」ーそれらは、その最も深いところでは一つである、とそう思います。聖書においても、「清い」(カサロス)という言葉が、しばしば語られます。この言葉は、一般的には、倫理的・宗教的観点における清さを表しますが、その意味は、「混じり気のない純粋さ」を意味するようです。

 例えばイエスは、こう語ります。「心の清い人々は、幸いである/その人たちは神を見る」(マタイによる福音書5章8節)。清く生きるーまぶしいような言葉です。でもその意味は、いったい何なのでしょうか。真っ直ぐ神に向かうことでしょうか。あるいは、そのような生き方を求めることなのでしょうか。

 いずれにしても、しかし、まず心を整えること、それこそが大切なのではないか、と思います。その出発点となるのは、「正しい意向」(right intention)を持つことです。清い生き方は、ここから始まります。私たちの人格は、それによって養われ、真の「仕合せ」へと導かれます。この仕合せは、互いに仕え合うことによって与えられます。この仕合せは、自分の仕合せでありながら、同時にまた、周囲の人にとっての仕合せでもあります。

 その一方で、私たちは、汚れた人になることもあります。その原因は、いったい、どこにあるのでしょうか。イエスは、こう語ります。「外から人に入って、人を汚すことのできるものは何もなく、人から出て来るものが人を汚すのである… 中から、つまり人の心から、悪い思いが出て来る」(マルコによる福音書7章15、21節)。(なるほどな)と思います。

 またパウロは、「汚れ」についてこう語ります。「それ自体で汚れたものは何一つありません。汚れていると思う人にとってだけ、それは汚れたものになるの
です」(ローマの信徒への手紙14章14節)。

*ひっそりとまた慎ましく

 

 イエスはまた、こう語りました。「私は光として世に来た」(ヨハネによる福音書12章46節)。この光は、実にひっそりと慎ましい形で、この世に来られました。「マリアは月が満ちて、初子の男子を産み、産着にくるんで飼い葉桶に寝かせた」(ルカによる福音書2章6-7節)。

 この光の中にこそ、真の命があります。それは世の初めから神と共にあり、神のみ言葉として私たちに語り掛けます。これが、私たちに与えられた神からのしるしです。美しい生き方や清い生き方ーそれらは、このような素朴な形でこそ体現されます。そのことに気づかされる時、私たちは、改めて静かな感動に誘われます。

 八木重吉は、また、次のように祈り求めます――「どこを/断ち切っても/うつくしくあればいいなあ」(「ねがい」)。

(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)

2022年9月3日

・菊地大司教の日記から「茂原教会70周年感謝ミサ、そして白子の十字架のイエス・ベネディクト会修道院」

2022年8月17日 (水) 茂原教会聖堂献堂70周年感謝ミサ

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 千葉県にある茂原教会が70周年を迎え、8月14日、感染対策をとりながらでしたが、感謝ミサを捧げました。現在の主任司祭は、教区司祭の真境名神父様です。茂原教会の皆さん、70年、おめでとうございます。

 教区のホームページに記された歴史によれば、再宣教初期に、茂原には教会が存在したようです。そのImg_20220814_105917意味で、教会自体の歴史は70年をはるかに超えています。しかし、1890年の日本における教区長会議以降の宣教方針転換もあり、またその当時の社会情勢もあり、明治末期ころには茂原の教会は閉鎖になったとのこと。

 現在に通じる教会は、戦後にこの地域一帯の宣教を委任されたコロンバン会の宣教師が改めて設立したもので、「1952年6月、初代主任司祭として聖コロンバン会のチャールズ・ロディー師が着任。1953年、コロンバン会の宣教師が現在の地に教会を建て、再び熱心な司牧が開始された。その後 、2009年まで聖コロンバン会、2010年から2014年までグアダルペ宣教会司祭が司牧にあたっていた。 1982年に聖堂、1994年に司祭館・ホールが完成し、現在に至る」と教区ホームページに記されています。

 これまで働いてくださった宣教師の方々に感謝します。また宣教師たちと一緒に、教会を育て上げてきた信徒の皆さんに、心からお祝い申し上げるとともに、次は100年を目指して、教会をさらに育てていかれることを期待します。

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 この日は、ミサ後に真境名師に案内されて、九十九里浜を目の前にする白子に、十字架のイエス・ベネディクト修道会を訪ねました。

 この会は、ホームページによれば、このような特徴をもって創設されました。

 「明らかに神が招いていると思われる人を、単に健康が損なわれているという理由で修道生活から除外できるだろうか?」

 「この問いかけが心にあった創立者ゴーシュロン神父 (当時モンマルトル大聖堂付司祭) は、指導していた数名の若い女性達と共に協力者のスザンヌ・ヴロトノフスカを初代総長として、1930年に十字架のイエスの愛の中で、典礼・念祷・沈黙・兄弟愛・仕事に特徴づけられた聖ベネディクトの戒律による簡素な隠世修道会を創立しました」。

  「この会は教皇庁直轄の修道会で、聖ベネディクト会連合に加入しています。健康に恵まれている人も、また身体的病気や障害を持つ人も同じ生活を分かち合うことが可能です。その適応において、伝統的隠世修道生活の厳しい根本的要素は一つも軽視されていません」。

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 日本での活動は1968年に始まり、1975年には白子で修道院が設立されました。実はその直前の一時期、シスター方は岐阜県の多治見修道院に住まわれていたことがあります。神言会のかつうての本部修道院で、葡萄酒を醸造していることで知られています。私自身がそのころ、名古屋の小神学校で小神学生だったので、シスター方が多治見におられたのは、記憶していました。

 短い時間でしたが、シスター方11名と、いろいろなお話をすることができました。

 これからも、祈りをもって、教区を、そして日本の教会を支えてくださることを、お願いいたします。

2022年8月20日

・愛ある船旅への幻想曲 ⑱カトリックが”まっとうな宗教”として受け入れられるためには

 今、コロナショック、ウクライナ・ロシア戦争、安倍元首相銃殺事件と次々に予測不可能な問題が起こっている。

 日本では、一般的に“政治と宗教の話”は、ある時からタブー視されるリスクが高まっている。私自身、政治の話から、少なからず気まずい雰囲気を経験し、これは”都市伝説”ではない、と確信している。しかし、互いに個々の主義主張の違いを認めることを前提に、自分が置かれた場所からの意見や疑問を議論することこそ、私たちが生きる社会が発展する為にも必要だ、と私は思う。

 宗教の話は、日本の公立学校に宗教の授業はなく、身近なものになっていない為、私は極力避けている。また、日本の歴史を知る上で、宗教に対する各人の固定観念は違う、と理解している。ましてや、カトリック教会を深く知る人は少ない。この度の、旧統一教会の報道からキリスト教会を同一視している人たちが、既にいることは残念ながら否めない。

 以前、未信者のおじいさんから「カトリック教会も入信したらお金が沢山いるのでしょうね」と、言われたことがある。

 何を根拠にそう言われたのか。おじいさんは、同世代の信者たちからお金の話を聞いたことがあるのか。他の宗教からの情報でそう思い込んでいるのか。いずれにしても、宗教には多額のお金が必要と思っている人たちがいる、ということだ。信徒として、教会を維持する為にお金が必要なことは理解できる。(中には、決してそうは思わない信徒もいるが)。

 カルト宗教の見分け方の一つに「お金の話が出たら要注意」とある。以前、カトリック教会上層部の方々のお金に関しての発言からカルト?と錯覚する場面があった。「信徒の質問に開き直ってカルト的なことを言うようでは」とトップとしての神経を疑い、全く世間知らずの発言に信徒たちはあきれ、失望し、速やかに退散するしかない。信徒の教会離れは今や珍しくなくなっている。

 教皇フランシスコは、「ミサを日曜日に記念することは、教会生活の中心です。キリスト者は、復活した主と出会い、主のみ言葉に耳を傾け、その食卓に養われ、教会、すなわちこの世におけるキリストの神秘体となるために日曜日のミサにいくのです」と語られている。

 私は、洗礼を授かった司祭から、日曜日とミサの関係を説明され、日曜日の予定をキャンセルし、ミサに与る時間を作った。毎週主日のミサに教会に集い、荘厳な気持ちでミサに与り、帰途に着く。イエスを中心とし、イエスの証人となるために、何よりも心の休息を取るために、主のみ言葉が必要である。

 しかし、今の教会はどうだろう。信徒の奉仕職が必要不可欠だとされているためか、なんだか忙しい。日曜日以外も教会に出向く。時間に余裕がなければ奉仕はできない為、子育てや仕事に忙しい世代は無理な話だ。

 結局、奉仕者も委員会活動も、殆どを”ベテラン信徒”に任すことになり、司祭もそれに甘じている。共同体の中に”特別な共同体”ができるわけだ。カルト宗教は、自由時間のほとんどをその団体に捧げることを強いられる、ともいわれる。歪んだ価値観に心が支配される集団にならない為にも、教会奉仕が自分中心の活動になってはならない、奉仕が”いいクリスチャン”を演じる場であってはならない、と思う。

 私たちの教区は、その当時の司教から「委員会メンバーも若い人たちに交代し、教会を変えていきましょう」と先を見た呼び掛けがあった。私たち信徒は、当時の小教区の主任司祭の積極的な呼びかけに応え、それを実行した。

 予想通りとてもデリケートで難しい取り組みだったが、他の小教区より一歩先を歩んでいた。若い人たちから、教会への思い、各委員会を改めるべき意見を聞き、話し合い、今までの良さを取り入れながら、シンプルな教会運営で、誰でもが活動に関われる内容に変わりつつあった…。

 ところが、ある日、古い体制に戻ってしまった。

 今回の“シノドスへの道”への取り組みもリスクを背負っての『現状打破』は、難しく、疑問・質問・意見等を批判としか受け取れない人たちには『現状維持』が答えとなるのだろう。

 以下は、オウム真理教問題を取材するジャーナリスト江川紹子さんが、ダライ・ラマへの取材から『まっとうな宗教といかがわしいカルトの見分け方』からの一節だ。

 「studyとlearnの違いです。studyには“研究”するという意味もあります。研究するには、疑問を持ち、課題を見つけ、多角的に検証することが必要です。一方のlearnは、単語の表現を教わり、繰り返して記憶する語学学習のように、知識を習い覚えて身につけることを言います。studyを許さず、learnばかりさせるところには、気をつけなさい… 一人ひとりの心に湧いた疑問や異なる価値観を大切にしなければ、studyはできません。それをさせない人や組織からは距離を置いた方がよい」

 オウム真理教、地下鉄サリン事件。当時、長女もその時間、地下鉄で高校に通っていた。これも私たち家族には身近な問題だった。カルトは、いつも、すぐ隣にいる。

 本物の宗教には、癒しと自由があるはずだ。一人ひとりの信仰が偽証とならないためには、嘘と偽りのない言葉を語らねばならない。教会が融通の効かない平和を唱える偽善者の集まりにならないためにも言葉には気をつけねばならないだろう。

 先日、数年ぶりにお会いした司祭も教会を憂いていた。真剣に教会を考えている司祭もいるのだ。組織を運営してきた司祭の正直な言葉は嬉しかった。陰に潜んでいる問題こそ、明るみに出さねばならない。「真実なる神、嘘偽りのない神を証しするためにも、私たちが語る言葉に、ごまかしがあってはならない」と常々思う私である。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2022年8月3日

・竹内神父の午後の散歩道 ⑲病気について思うこと

 健康でありたいーおそらく、それは、すべての人の願いでしょう。にもかかわらず、病気を経験したことのない人は、いないでしょう。そもそも、健康とは、いったいどういった状態を意味するのでしょうか。

 英語のhealthという言葉は、もともと、「全体・完全」(whole 、「癒す」(heal)、また「神聖な」(holy)などの言葉と同語根のギリシア語holosに由来する、と言われます。また、ラテン語のsalus(健康)という言葉は、ただ単に身心の健康だけでなく、霊的健康の意味での「救い」(salvation)にも通じているそうです。

 そうすると、「真の健康」とは、ただ単に身体や精神の健康だけでなく、本来は、「人間の生命の調和ある状態や霊的救済までも含んでいる」と考えられそうです。

*病気の癒しと神の国

 「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民衆のありとあらゆる病気や患いを癒やされた」(マタイによる福音書4章23節 イエスの福音宣教と病気の癒しは、分かちがたく結びついています。 時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて 福音を信じなさい」(マルコによる福音書1章15節 ーここに、イエスの福音宣教は始まります。病気の癒しは、「神の国」の到来のしるしでもあります。

 イエスは、ガリラヤでの宣教を始めてまもなく、四人の漁師を弟子にします。その後、彼は、様々な場所で、多くの人々の病気を癒します(マルコによる福音書1章21-34節)。

 ある安息日に、彼は、会堂に入って教え始められます。そこで 彼は、汚れた霊に取りつかれた男から その霊を追い出します。その後、彼は、シモンとアンデレの家に行き、シモンのしゅうとめの病気を癒します。その後、彼女は、一同に仕えます。

 「仕える」(ディアコネイン)とは、もともと、「食卓で給仕をすること」です。病気からの癒しによって、私たちは、誰かに仕える者となります。夕方になると、人々は 病人や悪霊に取りつかれた者をイエスのもとに連れて来 町中の人は、戸口に集まります。

 このように、イエスの活動の場は、「会堂」からペトロの「家」へ、そして「戸口」へと移っていきます。「会堂」は宗教生活の場、「家」は個人的な生活の場、そして「戸口」は公の生活の場 と考えられます。つまり、イエスの活動は、あらゆる生活の場へと広がっていたのです。しかも それは、休む暇もなく続きますー 狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子(イエス)には枕する所もない」(マタイによる福音書8章20節)。

*祈りにおける神との親しさ

 そのような生活を支えていたことーそれが、祈りです。 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた (マルコによる福音書1章35節)。

 祈りとは、神との親しさ、そしてその交わりにほかなりません。イエスの場合、それは、彼を遣わされた父なる神との親しさです。具体的に彼は何を祈ったのか、そのことについて聖書は、ほとんど語っていません。大切なのは むしろ、祈りにおいて父と一つになることにある、と言いたいからでしょうか。

 自分と父は一つ(ヨハネによる福音書17章)―これは、祈りによって得たイエスの確信です。そのことを、彼は、次のように語ります。「 私が天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、私をお遣わしになった方の御心を行うためである…。私の父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、私がその人を終わりの日に復活させること〔である〕 」(ヨハネによる福音書6章38-40節)。

(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)

2022年8月1日

・Sr.岡のマリアの風(77) 教皇フランシスコのカナダ訪問ーウィルトン酋長との友情

 教皇フランシスコの長いカナダ訪問、「悔悛(痛悔)の巡礼」が終わった。

 この「巡礼」は、すでに今年の4月、先住民代表者たちのバチカン訪問から始まっていた、と言えるだろう。

 「巡礼」は、教皇自身がカナダに、特に先住民の人たちが暮らす場所に、自らの「体・存在」をもって訪れたことで、頂点を迎えた。けれどそれは終着点ではなく、新たな歩み、「癒しと和解」のために「共に歩む」旅の始まりである。

 私にとって、この巡礼の間、バチカンの新聞『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』の社説は福音の光に照らされて、この「出来事」の意味を思い巡らす機会を与えてくれた。(参照:『マリア論オンライン講座』HPに、社説の試訳掲載)。

 『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』編集長、アンドレア・モンダ氏は、「共に歩む いやむしろ共に飛ぶ」というタイトルで(『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』7月30日付け)、初日、マスクワシスでの集いから、最終日、ケベックまでの巡礼に、「控えめで強靭な態度で、すべての行事と集いに寄り添った」クリー部族の長老の一人、ウィルトン・リトルチャイルド酋長と教皇フランシスコとの間の「形式的な親しさを超えた、真の関係」について述べている。

 ウィルトン・リトルチャイルド氏は、植民主義的メンタリティーのもとで先住民文化の破壊をもたらした政策の一つ、カトリック教会の少なくない信徒たちが支持し、あるいは無関心だった「寄宿学校」の元生徒の一人だ。彼は、ケベックでの集いの短い挨拶の中で、彼自身、「寄宿学校の元生徒たちから、7000件近い証言を聞いた」と語った。

 モンダ氏は書いている。「(ウィルトン氏は)教皇の行為を見、彼の目を見つめながら、教皇もまた、『どのように私たちの言語が抑圧され、私たちの文化が奪われ、私たちの精神性が否定されたかを語った証言を大きな慈しみをもって、深く、耳を傾けた。彼は、私たちの家族が破壊された後の惨状を感じた』と認識した」と。

 車いすの教皇フランシスコと、二本の松葉杖で歩くウィルトン氏。「共に歩みながら、癒し、和解、希望の未来に向かっての最初の一歩である、という教皇の旅の精神をすぐに理解した」とウィルトン氏。

 モンダ氏の言葉を聞こう。

 「ケベックの司教座聖堂での晩の祈りの中で、教皇とウィルトンは、昔からの友人同士のように挨拶し抱き合った。教皇は、祝福を求めた彼にこたえるように、親指で彼の額に十字架の印をし、クリー部族の長老の鋭い目は、感謝と純粋な幸福を表していた。この、スポットライトから遠く離れた一瞬の場面の中でウィルトンは、真に、立派な頭飾りに囲まれた勇敢な顔をもつ『金の鷲』(彼の名前Usow-Kihew)であり、同時に、真実を直感し喜びにあふれる小さな子供だった。

 彼は教皇に、『あなたは、私たちと共に歩むために遠くから来てくださいました』と語ったが、この言葉は基本的に彼自身にも当てはまる。実際二人とも、歩行が困難である。一人は松葉づえで、もう一人は車いすで。それにもかかわらず、彼らは非常に遠くから出発し、非常に重い荷物を肩に背負いながら、共に歩んだ…。動くことが困難なこの二人の老人は、共に、殆ど無言のうちに歩むことを選んだ。

 ウィルトンは、教皇フランシスコが、ラック・セント・アンのほとりで、沈黙のうちに祈っているのを見た。何千年も前から、おそらく世界創造の時からそこにあり、カトリック教会の牧者(教皇)の中に、キリスト教の冒険が最初の一歩を踏み出した、ガリラヤ湖のイメージを呼び起こしたあの湖」。

 教皇は実際、サンタンヌ・ド・ボープレの巡礼聖堂でのミサ説教の中で、エマオの弟子たちの「旅」を思い起こしながら、自分たちが今歩んでいる、 挫折から希望へ」の旅について語り、唯一の「道」であるイエスに向かう祈りで、次のように結んでいる。

 「私たちの命、力、慰めである主イエスよ、エマオの弟子たちのように、私たちはあなたに願います。『私たちと共にいてください。夕方になりますから』(ルカ福音書24章 49節)。

 主よ、私たちと共にいてください。希望が沈み、失望の暗い夜が来る時に。

 私たちと共にいてください。イエスよ、あなたが共におられるなら、歩みの方向は変わり、不信の袋小路から、喜びの驚きが再び生まれるからです。

 主よ、私たちと共にいてください。あなたが共におられるなら、苦しみの夜は、命の輝く朝に変わるからです。

 単純に言いましょう。主よ、私たちと共にいてください。あなたが私たちの傍らを歩いてくださるなら、挫折は、新しい命の希望へと開かれるからです。

 アーメン」。

  挫折から希望へ。それは長く忍耐を求める旅である。それは「共に歩む」旅である。それは、共に、「根(ルーツ)」から再出発する旅である。真ん中に、自分たちのエゴではなく、すべてのものを「善い・美しい」ものとして造られた創造主である神を置いて。

 モンダ氏は、彼の社説をこう結んでいる。

 「この長い旅の最後の公式の集い、イカルイトで、イヌイットの若者に語りかけた教皇は、彼に、上に向かって歩むよう招かれた。『あなたは、飛び立つため、真実の勇気を抱きしめるため、正義の美しさを促進するために造られたのです』。それは、すべての若者、カトリック信徒も、そうでない人にも向けられた言葉であり、友人ウィルトン・リトルチャイルドに向けられた言葉でもある。彼の心は、その言葉を聞いて、間違いなく鷲のように高く飛び上がっただろう」。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)

2022年8月1日

・Sr.阿部のバンコク通信(69)「あけぼの会」で、今は亡き戦場カメラマンとの出会い

  ある日、既に始まっていた「あけぼの会」に見覚えのない中年男性が加わり、私の隣に座りました。

 月1度、月刊「あけぼの」(女子パウロ発行)の記事を題材にして、1994年からバンコク市内で始まった集いです。共に読み味い、静かに各自の心に耳を澄ませるひと時の後、1人ずつ感じた事、気づきを分かち合い、皆でひたすら聴く2時間ほどの集い。先月は第264回目になりました。

 年齢層も顔ぶれも豊か、宗旨に拘りない集いで、移動の激しいバンコク、参加者は入れ替わりますが、深みのある豊かな時を共にする出逢いと分かち合いは逸品だと思います。

 それは2002 年3月の集いのこと。中村哲さんの記事を題材に、「あなたが神を感じる時は?心の深いところに聴いてください」との問い掛けで始まった集いでした。しばらくの沈黙の味わいの後、分かち合いが始まりました。

 初参加の男の方の番になったら、「いやー、驚きました」と開口一番。「昼の日中に、いい歳のご婦人達が、こんな真面目な集いをやっているとは」と言ったのです。その日の司会者が「まあ、失礼な」と呟きました。

 「実は、橋田信介という者で」と自己紹介。戦場を取材するカメラマンの体験、ご自分の分かち合いをされました。他の事は覚えていないのですが、橋田さんの声、言葉が、今も鮮明に残っています。

 「取材のため、非常に危険な場所へ命を晒してでも行くことがあります。自分の内から突き動かされる何かによって、躊躇せずに現場に赴く…そういう時、私は神を感じます」と。

 橋田さんの言葉が心に響き、「凄い人だ」と思いました。そしてご自分の著書を残して去られました。

 その2年後の5月27日、甥さんと銃弾に倒れたニュースに胸が痛み、翌月の『あけぼの会』は、橋田記者のことを偲んで、祈り、語らう集いに。テーマは「コルベ神父の人生、戦争は人を狂わせるが、神の声に従う人の示した道は?」でした。

 情報過多で騒がしいコロナ禍の中、時にじっと自分の内に耳を澄ませる機会を、皆さん、共に工夫してみませんか。香ばしい珈琲を満喫する素敵なひととき、人生をリセットし、スッキリさせ、心身の免疫力を高めてくれること請け合いです。

 皆さんファイト!

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2022年7月31日

・ガブリエルの信仰見聞思 ㉗善きサマリア人のたとえ話ー「忙しさは心を亡くす」

*”善きサマリア人”の実験

 インターネットのお陰で、世界各地から無限と言っていいほど多くの情報や知識を、素早く、簡単に入手できるようになりました。その中には、「今」だけではなく、遠い昔の情報や出来事などの情報もたくさんあり、「そんなことがあったのか」と驚いたり、勉強になったりすることもしばしばです。

 先日、仕事の関係で米紙ニューヨークタイムズの記事を検索していると、半世紀ほど前の興味深い記事に出会いました。プリンストン大学の2人の心理学者が「善きサマリア人のたとえ話」(ルカ福音書10章25節~37節)をヒントに、神学部の学生を対象に行った実験に関する1971年4月10日付けの記事です。

 実験で、心理学者たちは、学生たちに「牧師とは、どのような使命や仕事が関係しているか」について5分程度の話をするよう求め、うち半数には、「善きサマリア人のたとえ」を話の中に取り入れるように、残りの半数にはそうした条件を付けませんでした。

 狙いは、「宗教的な問題や人を助けることを考えることは、実際に困っている人を見た時の行動に影響を与えるか」を解明することにあり、具体的には、学生たちに、決まった時間にキャンパスの反対側にある別の建物で話をすることを義務付け、そこに行く途中で、明らかに苦しそうにうずくまり、うめき声を上げる人に出くわすようにしました。さらに、学生たちを3グループに分け、Aグループの学生には「時間はたっぷりある。急ぐ必要はない」、Bグループの学生には「もうすぐ始まるから少し急がないといけない」、Cグループの学生には「遅刻してしまったので急ぐように」と条件を付けたのです。

 実験の結果明らかになったのは、「たとえ話を取り入れるように」と言われて学生たちでさえ、苦しんで人に出会っても、時間に余裕が無い場合、立ち止って助けようとはしなかったこと。その人をまたいで行ってしまったケースもいつくかありました。

 苦しんでいる人の出会った学生たちの判断に、はっきりと影響を与えたのは、「時間」のようでした。時間に余裕のある学生は人を助けるために立ち止まる可能性が高いことが分かったのです。

*”善きサマリア人”のたとえ話

 「善きサマリア人のたとえ話」では、追剥に襲われて瀕死の状態で倒れていた人は 「エルサレムからエリコに下って行く途中 」(ルカ福音書10章30節)でした。祭司とレビ人はなぜ彼を助けなかったのか、その理由は書かれていません。神殿で奉仕するためにエルサレムに向かっていた、あるいは他に何か急ぎの重要な仕事をしに行く途中だったのかも、知れません。

 倒れている人が死んでいるかどうか、知るためには、彼の体に触れねばなりません。体に触れれば、不浄な状態になってしまい、神殿で奉仕できなくなる。穢れを消すには7日間かかり、職務を全うしようとしても手遅れです。他に急ぎの仕事をしに行く場合も、倒れた人の介抱に時間を掛けることは大きなマイナスになる、と考えたかもしれません。

 祭司とレビ人は宗教家であり、神殿で神に奉仕しようとエルザレムに向かっていたが、プリンストン大学の神学生たちの多くと同じ選択をしてしまいました。瀕死の状態で倒れたいた人の横を通り過ぎました。永遠の命に入るために、神殿で奉仕することを優先したためでした。

 主イエスはこのたとえ話を、「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるか」(ルカ福音書10章同25節)という質問と、結びつけて語っておられます。弟子も、私たちも、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、神である主を愛し、また、隣人を自分のように愛しなさい」という二重の教えを与えられているのです。

 この言葉は、旧約聖書の申命記6章5節とレビ記19章18節からの引用で、この教えを、ユダヤ人たちは熟知していましたが、階層と順序があると頑なに解釈していたようです。すなわち、最優先すべきは「神」であり、「隣人愛」はその次だ、というわけです。イエスは、当時一般的であったこのような解釈を正す必要があるとお考えになり、「善きサマリア人のたとえ」を語られたのではないでしょうか。

 主は、このことをマタイ福音書25章31節~46節で明確にされますー人の子が終末にご自分の栄光の王座に着かれ、ご自分のことを気にかけることがなかった人たちを裁かれています。

 その人たちは、「主よ、いつ私たちは、あなたが飢えたり、渇いたり、よその人であったり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お仕えしなかったでしょうか」と聞きます。 主はお答えになりますー「よく言っておく。この最も小さな者の一人にしなかったのは、すなわち、私にしなかったのである」(同45節)。

*助けが必要な人に仕えるとき、私たちは主に仕える

 「『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くすいけにえや供え物よりも優れています」(マルコ福音書12章33節)。

 私たちの愛や助けが必要な隣人、兄弟姉妹に仕えるとき、主イエス・キリストに仕えるのです。この律法の2つの部分の間には、分離や階層はなく、それぞれが他方に影響を与え、依存しているのです。両方がなければ、どちらかを持つことはできないのではないでしょうか。そして、私たちの救いはこの上にあるのです。

 確かに、私自身を含めて、様々なことで忙しく急いでいる日々を送る人も多いと思いますし、日頃の生活での優先順位と限界もあります。他の人を仕えるためにすべての時間を費やすことはできません。しかし、主イエスのご指摘は明確です。自分のことばかりにとらわれすぎて、困っている隣人を無視してはならない、ということです。

*「忙」は「心を亡くす」と書く

 プリンストン大学で行われた”善きサマリア人”の実験の結果から、時間に追われたり、仕事で忙しかったりすると、心の余裕や隣人への思いやりを無くし、キリスト者の本来であるべき姿をも失わせることが分かった、と見ることができるでしょう。私自身、この実験結果から、いかに崇高な信条を掲げていても、仕事などに追われると、いとも簡単に、その信条から離れてしまう、人間の弱さを改めて思い知らされました。ご存じのように、「忙」という漢字は、は「心」と「亡くす」からできています。「忙しい、と心を亡くす」ことのないように… 自省を込めて。

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)

2022年7月10日