・Sr.岡のマリアの風 (53)教皇の愛するテーマ-喜びの「伝染」

 信じる者の「率直さ、喜び、単純さ」は伝染し、多くの人に「希望」をもたらす(『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』、2020年7月24日参照)。

 7月25日は、使徒聖ヤコブの祝日でした。スペイン語で「聖ヤコブ」はサンティアゴ(Santiago)。ユネスコ世界遺産でもある「サンティエゴ・デ・コンポステーラ巡礼路」を思い起こします。

 教皇フランシスコは、南スペイン、マラガに住む、障がいをもつ15歳の青年、Alvaro Calventeさんが、父親と、家族の友人に伴われて、「サンティエゴへの道」を歩み終えたことを聞き、彼に直接、手紙を書き、その「証しと祈り」に感謝しました。

 手紙の中で、教皇自身の愛するテーマ、「喜びの伝染」、多くの人々に希望をもたらす「真の喜び」を、この15歳の青年が証ししたことへの感謝が表されています。

 「わたしたちが経験している[コロナウイルス]パンデミックのただ中で、あなたは、率直(誠実)さ、喜び、単純さをもって、多くの人々の希望を動かすことができました」と。

 教皇はまた、Alvaroさんが、どんなにたくさんの人々に「一歩を踏み出す」よう励ましたかを、強調しています。

 「わたしたちを歩むよう励まし、また他のたくさんの人々をあなたと一緒に歩むよう招いてくれて、ありがとう」。

 実際、パンデミックが、わたしたちを消極的な「閉鎖」、「孤立」へと向けている中で、Alvaroさんの「生きた信仰の証し」は人々を巻き込み、積極的に「共にいることの喜び」を伝えました。

 『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』によると、Alvaroさんの巡礼は、父親によって、ソーシャルネットワークを通しても共有され、同時に、マラガのコットレンドを支援するための資金調達キャンペーンにも役立ったそうです。

 まさに「祈りのネットワーク」です。教皇は、Alvaroさんがリュックの中に、「あなた自身の祈りの意向だけでなく、巡礼の中で『あなたと一致していた』、あなたに祈りを頼んだたくさんの人々の意向をもっていたこと」を思い起こしました。

 共にいる、共に歩む、共に祈る喜びを生きることによって、わたしたちは、「恐れることはない。わたしはあなたたちといつも共にいる」という主イエスの言葉を証しします。

 巡礼の、また人生の、歩みの道中、「わたしたちは決して一人で行くことはありません」、なぜなら「主はいつもわたしたちの傍らにおられるから」です。

 ソーシャルメディアの発達で、わたしたちは世界中の人々と「今」を共有することが出来るようになりました。

 一方で、自己利益のために他人を中傷するフェイクニュースが、驚くほどの速度で蔓延する中で、一人の信仰者が「率直さ、喜び、単純さ」をもって発信するメッセージの中に、今の「時のしるし」を見て、それを共有することが出来るよう、「小さな善いこと」への感性を磨きたい、と望みます。

 たとえ本当のことであっても、誰かを一方的に中傷しそうになったら、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思います。わたしたちは、まったく無償で洗礼の恵みを受けました。わたしたちはキリストから、何を託されて世に派遣されているのだろうか、と。

 教皇フランシスコは、7月20日の日曜正午の祈りで、「毒麦のたとえ話」(マタイ福音書13 章24‐ 43節)の中の、主人と僕(しもべ)たちの「目線」の違いについて語っています。今の目先のことしか見ていない僕と、遠い将来へ眼差しの中で、今を見ている主人。

 僕たちは、目の前の「毒麦」を見て、「今すぐ抜きましょう」と言います。それに対して、主人は「善い麦」を見て、それがこれから成長していくことを気にかけ、「もう少し待ちましょう、今、間違って善い麦の芽を抜いてしまってはいけないから」と言います。

 みんなが、それによって誰かが被害を受けることになっても、あらゆる手段を使って自分が正しいと思うことを主張するのでは、将来のため、次の世代のため共に働くエネルギーは生まれません。

 ユダヤ教・キリスト教の伝統は、「神のみことば」の中から、今を生きる知恵をくみ取りましょう、と教えてきました。イスラエルの民は、生存の危機に陥る
たびに、「神がわたしたちにしてくださった偉大なこと」―出エジプト―を思い起こし、神はわたしたちに何を望んでいるのか、という原点に戻りました。

 キリストの民も、時に驕りから堕落するとき、わたしたちの救いは、キリストの無償の自己無化、自己譲渡によることを思い起こし、自分たちは神ではないこと、まったくの恵みによって救われた罪人である、という原点に立ち返ります。

 そのとき、神がどんなにいつくしみ深くわたしを、わたしたちを見守っているか、毒麦―わたしたち―をすぐに抜こうとはせず、回心して善い麦となり天の国に入ることを信じて待っているかに気づきます。

 そこから、最も素朴で、最も美しい魂の祈りがあふれ出ます:「主イエスよ、罪人であるわたしたちをあわれんでください!」。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

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2020年7月31日