・Dr.南杏子のサイレント・ブレス日記㊶ エリザベス・ブラックウェルと共 に

 エリザベス・ブラックウェル(1821年~1901年)をご存知だろうか?

 世界で初めて正規の医学教育を受けて医師となった女性である。1849年、ニューヨークの医学校を首席で卒業し、医学学位を取得。その後、パリ、ロンドン、ニューヨークなどで数多くの患者の治療に当たり、ニューヨーク病院附属女子医学校やロンドン女子医学校を設立し、現代に続く女性医師の未来を切り開いた人物だ。

 ブラックウェルは、イギリス南西部の港町ブリストルに砂糖製造業を営む家庭に生まれた。しかし、生家の砂糖工場が火災にあったため一家でアメリカに移住する道を選ぶが、17歳の時に父を亡くし、その後は姉妹とともに小さな学校を開き、そこで教師をしながら生活していた。

 人生の転機は、彼女が24歳の時に訪れる。子宮がんで余命いくばくもない知人から、「なぜ、あなたは医学を勉強しないの? 女のお医者さんがいてくれたら、私も少しは苦しみから救われたはずなのに……」と声をかけられ、医師になる道をすすめられたのだ。

 19世紀半ばのアメリカでは、そもそも女性が医師になるという発想がなかった時代だ。ブラックウェルも医師を志したものの、多くの壁が目の前に立ちはだかる。面会した医学校の学長には困惑顔で就学を断られ、願書を全米の学校へ送っても受理してもらえない。

 そんな中、ニューヨーク州の田舎町にあるジェニーバ医学校(現・シラキュース大学)は、全在学生(当然ながら男のみ)が認めれば入学を許可すると提案してきた。要は断るための方便だ。ところが学生たちは冗談半分で全員が賛成票を投じてしまった。

 入学を認められた後も、いざ女子医学生の存在が現実のものとなると、男子学生が意地悪をしてくる。さらに、「レディーにふさわしくない」と外科の授業を締め出され、研修先からは「女の面倒は見られない」と受け入れを拒否されてしまう……。

 それにしても、大昔の話である。しかし、現代の日本に生きる私たちは、ブラックウェルの苦労や彼女を取り巻く男たちの滑稽な姿を笑えるだろうか?

 2018年8月に東京医科大学をはじめとする医学部の不正入試が発覚し、多くの大学で女子学生の点数を操作していた事実が露見した。入学試験だけにとどまらない。日本の医学教育や医療現場では、男女間の差別が、実態として意識として、さまざまなレベルで残っていると言わざるを得ない。

 女子医学生や女性医師が直面する「いま」の問題に焦点を当て、専門も考え方も異なる5人の女性医師の人間模様を描いた『ブラックウェルに憧れて』を7月下旬、光文社から上梓した。エリザベス・ブラックウェルの人生や彼女が残した名言の力も借りながら、多くの女性医師が涙と希望を抱きながらがんばる姿を作品にした。女性であり、医師であるがゆえの苦しみを少しでもあぶり出せていたら嬉しい。

 (みなみきょうこ・医師、作家: モンスター患者の登場で揺れる医療現場に焦点を当て、医師と患者の絆を考える『ディア・ペイシェント―絆のカルテ』=幻冬舎文庫=が、NHKテレビ「ドラマ10」で連続ドラマ化され、7月17日から放映中です。『いのちの停車場』=幻冬舎=、『サイレント・ブレス―看取りのカルテ』=幻冬舎文庫、『ステージ・ドクター菜々子が熱くなる瞬間』=講談社も、好評発売中です)

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2020年8月1日