・竹内神父の午後の散歩道⑮ 神に愛された塵ー四旬節の初めに

 灰の水曜を迎え、四旬節が始まります。司祭から灰を額(あるいは頭)に受ける時、次のような二つの言葉が用意されています。一つは、「回心して福音を信じなさい」(マルコによる福音書 1 章 15 節参照)、そしてもう一つは、「あなたは塵だから、塵に帰る」(創世記 3 章 19 節参照)です。

 いずれの言葉も、それぞれ味わい深いと思います。「自分はいったい誰なのか」「自分は何のために生きているのか」ーこれらは、私たちにとって、根本的な問い掛けです。儚さと掛け替えのなさこのような問いに出会う時、一つの事実に気づかされます。それは、自分は塵に過ぎない、ということ。

   ある時、次のような言葉に出会いましたー“We are only dust、but beloved dust [by God]”(私たちは、ほんの塵に過ぎない。しかし単なる塵ではなく、〔神に〕愛された塵である)。簡潔な文ですが、この中には人間の二つの現実が語られている、と思います。一つは人間の儚さであり、もう一つは人間の掛け替えのなさです。

  自分は塵に過ぎないーその事実がふっと腑に落ちる時、改めて自分をわきまえ謙虚になれるのではないか、そう思います。それはまた、いかに自分は多くの恵みを与えられているのか、ということへの気づきでもあります(コリントの信徒への手紙1・ 4 章 7 節参照)。

 ですから、主から「私に立ち帰れ」(ヨエル書 2 章 12 節)と言われる時、それは、恵みの与え主への立ち帰りにほかなりませんー回心。「回心とは、衣を裂くことによってではなく、心を引き裂くことによってこそ生まれる」と語られます(同 2 章 13 節参照)。

*悪人の死を喜ばない

 私たちが立ち帰るべき方ーそれは、命そのもの。ですから、もし私たちが、この方へと立ち帰らなければ、私たちの中に命はありません。たちまち死の深淵へと沈み込んでしまうでしょう。しかし、それは、この方の思いではありません。この方は、たとえどんな人であっても、その人の死は望みません。むしろ、立ち帰って生きることこそ願っています。

 「私は悪しき者の死を決して喜ばない。むしろ、悪しき者がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、悪の道から立ち帰れ。イスラエルの家よ、あなたがたがどうして死んでよいだろうか」(エゼキエル書 33 章 11 節)。

 それに対して、私たちは、どのように応えましょうか。そこで求められるもの、それは、「和解」にほかなりません(コリントの信徒への手紙二 5 章 18-19 節参照)。和解とは、神との和解、キリストとの和解、そして私たちの間の和解です。

 この和解が可能となったのは、「平和の君」(イザヤ書 9 章 5 節)と呼ばれる方が、神の独り子として私たちに与えられたからです。その方が、私たちを招きますー「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」(マルコによる福音書 1 章 15 節)。だからこそ、「今こそ、恵みの時、今こそ、救いの日」(コリントの信徒への手紙二 6 章 2 節)なのです。

 神はまた、「隠れたことを見ておられる父」(マタイによる福音書 6 章 4 節)です。この方から遣わされたイエスは、ただひたむきに、その方の御心の実現のために自らの生を生き抜きました(ヨハネによる福音書 6 章 38-40 節参照)。

 彼は、人間として、私たちと同じように塵から生まれました。彼は、罪を犯されませんでしたが、あらゆる点で私たちと同様に試練に遭われました(ヘブライ人への手紙 4 章 15 節参照)。また、彼は、御子であるにもかかわらず、多くの苦しみを通して従順を学ばれた(同 5 章 8 節参照)、とも語られます。

 その彼が、自らについてこう言い切りますー「私は命である」(ヨハネによる福音書 14 章 6 節)。

(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)

2022年2月28日

・菊地大司教の日記より「本所教会で、日本26聖人殉教記念ミサ」

2022年2月 8日 (火)日本26聖人殉教祭@本所教会

 2月5日は日本26聖人の記念日でした。聖パウロ三木を筆頭に、26名のキリスト者は、長崎の西坂において、1597年2月5日に殉教の死を遂げられました。

 毎年2月の最初の主日には、この26聖人殉教者を保護の聖人とする東京の本所教会で、殉教祭が行われてきました。今年は感染対策をしてミサに参加する方の人数を制限しながら、2月6日の日曜日の午前10時から、殉教者記念のミサを行いました。

 本所教会は、東京での4番目の教会として1880年(明治13年)の4月に聖堂が設けられ、そのときに「日本26聖人殉教者」に捧げられました。聖堂は度重なる火事や災害や空襲で焼失しましたが、現在の聖堂は1951年に、当時の主任司祭であった下山神父様によって建設されたものです。なお26聖人殉教者が列聖されたのは1862年(文久2年)6月8日ですから、今年で160年になります。またその当時の4つの教会とは、築地、浅草、神田、本所の四カ所で、その後に麻布と関口が加わりました。このあたりのことは、こちらのリンクから本所教会のホームページへ。

以下当日のミサの説教の時、手元にあった原稿です。原稿のあとに、本所教会のYoutubeアカウントから当日のミサの映像のリンクを張ります。説教中、一部音声が乱れますが、すぐに回復しますので、御寛恕ください。

【日本26聖人殉教者殉教祭ミサ 2022年2月6日 本所教会】

 私たちの人生には苦しみや困難がつきものです。他人の目からはどれほど順風満帆な人生だと思われていたとしても、そこには大なり小なり、さまざまな意味での苦しみや困難が存在するのが、私たちの人生です。

 特にこの二年間、私たちは感染症の影響で、世界中ですべての人が命の危機に直面しています。どうしてこんなことになったのか、誰も分かりません。いつになったら安心できるのか、誰も分かりません。暗中模索という言葉は、まさしく今現在の状況を表している言葉であり、私たちは闇の中で希望を求めてさまよっています。

 感染症対策が経済に影響を与え、社会的距離を取ることや不要不急の外出を避けることなどが、多くの人を孤立の闇に閉じ込め、孤独が広がっています。感染症によって命の危機に直面する人もいれば、その感染症への対策によってもたらされた経済の危機や隔離政策によって、命の危機に直面する人もいます。

 なぜこんなことになったのか。なぜ今なのか。いくら問いかけても答えは見つかりません。

 教皇ベネディクト十六世は、回勅「希望による救い」の中で、「苦しみは人生の一部」だと指摘されています。この世界から理不尽な苦しみを取り除く努力をしなければならないとしながらも、教皇は、人間はその有限性という限界の故に、苦しみの源である悪と罪の力を取り除くことができないのだとも指摘します。それができるのは神だけであり、神は人間の歴史に介入されて、自ら苦しまれることで、世界に癒しを与える希望を生み出した。それは自ら創造された人類への愛に基づく行動なのであり、その神の愛による苦しみにこそ、わたしたちが掲げる希望があるのだと指摘されます。

 その上で、教皇ベネディクト十六世は、人間の価値というものは、私たちと苦しみとの関係で決まるのだとして、回勅にこう記しておられます。

 「人とともに、人のために苦しむこと。真理と正義のために苦しむこと。愛ゆえに、真の意味で愛する人となるために苦しむこと。これこそが人間であることの根本的な構成要素です。このことを放棄するなら、人は自分自身を滅ぼすことになります(「希望による救い」39)」

 苦しみは、希望を生み出す力であり、人間が真の神の価値に生きるために、不可欠な要素です。苦しみは、神が私たちを愛されるが故に苦しまれた事実を思い起こさせ、神が私たちを愛し、この世で苦しむ私たちと歩みをともにされていることを思い起こさせます。

 私たちの主イエスの人生こそは、「人とともに、人のために苦しむこと。真理と正義のために苦しむこと。愛ゆえに、真の意味で愛する人となるために苦しむこと」を具現化する人生であります。

2022_02_06_034 歴代の教皇様たちは「この世界になぜ苦しみが存在するのか、悪が存在するのか」という課題に取り組んで、それぞれさまざまな教えを残しておられます。

 故岡田大司教様も、「善である神が創造された世界に、なぜ悪が存在しているのか」と言う課題を最後まで追求され、一冊の著書を残されました。「悪の研究」という著書は、大司教様が一年ほど前に亡くなられてから出版されました。

 岡田大司教様の著書でもそう書かれていますが、悪が存在する理由は追求すればするほど、その理由は分からない。理由が分からないと言うことが分かる。悪が存在する理由は分からないけれども、「神は愛をもってそれを凌駕して、私たちの苦しみをともにされたことによって、苦しみの中から希望が生まれるのだ」ということを明確に示された。そのことは理解ができる。なぜ苦しみがあるのかは分からないけれども、神はそこから復活の命への希望を生み出していった。ですから、私たちは、苦しみと理不尽さの中にあるときにこそ、主イエスの苦しみの人生に、そしてその死と復活の神秘に、本当の希望を見出します、

 教会は2月5日に、日本26聖人殉教者を記念します。聖パウロ三木をはじめ26人のキリスト者は、1597年2月5日、長崎の西坂で主イエスの死と復活を証ししながら殉教して行かれました。

 2019年11月に西坂を訪問された教皇フランシスコは、激しい雨の中、祈りを捧げた後に、次のように述べられました。

 「この聖地は、死についてよりも、命の勝利について語りかけます。ここで、迫害と剣に打ち勝った愛のうちに、福音の光が輝いたからです… ここは何よりも復活を告げる場所です。あらゆる試練があったとしても、死ではなく、命に至るのだ、と最後には宣言しているからです。私たちは死ではなく、全き命である方に向かって呼ばれているのです。彼らは、そのことを告げ知らせたのです」

 聖人たちの殉教は、死の勝利ではなく、命の勝利なのだ。聖人たちの殉教によって、福音の光が輝いたのだ… そこから「福音の光」という希望が生み出された、と教皇様は指摘されました。

 「殉教者の血は教会の種である」と、2世紀の教父テルトゥリアヌスは言葉を残しています。

 教会は殉教者たちが流した血を礎として成り立っていますが、それは悲惨な死を嘆き悲しむためではなく、むしろ聖霊の勝利、すなわち神の計らいの現実における勝利を、世にある教会が証しし続けていくという意味においてであります。私たちには証しを続ける責務があります。

 私たちは、信仰の先達である殉教者たちに崇敬の祈りを捧げるとき、単に歴史に残る勇敢な者たちの偉業を振り返って褒め称えるだけではなく、その出来事から現代社会に生きる私たち自身の希望の光を見い出そうとします。

 私たちは、信仰の先達である殉教者を顕彰するとき、殉教者の信仰における勇気に倣って、福音を証しし、告げ知らせる者となる決意を新たにいたします。なぜならば、殉教者たちは単に勇気を示しただけではなく、福音の証しとして、命を暴力的に奪われるときまで、信仰に生き抜いたのです。つまりその生き抜いた姿を通じて、最後の最後まで、福音を証しし、告げ知らせたのです。私たちは殉教者に倣い、福音に生き抜くようにと、最後の瞬間まで福音を証し、語り、行うようにと、今日、主から呼ばれています。

 迫害という困難な時代に、福音に生きるとはどういうことであるのかを、殉教者たちは明確に模範を示されました。永遠の命への希望を心に刻み、どのような困難があっても神の愛を証しする奉仕の業に励み、それを最後の最後までやり通すこと。

 今この感染症という困難な時代に生きている私たちも、この状況だからこそ、どのように福音に生きるべきなのかを見極めなくてはなりません。神からの賜物である命を守り抜く行動は、自己保身ではなく隣人愛に基づく行動は、恐れのあまりの退却ではなく、積極的な愛の証しの行動です。今、私たちは信仰を堅く保って、それを証しし、告げ知らせるために、どのような生き方をするべきか、何を語るべきか、何に心を向けるべきか、何を大切にするべきか、心の耳を開き、信仰の先達に倣い、この困難なときだからこそ、互いに助け合い支え合うことで、福音を証しして参りましょう。

 

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2022年2月10日

・Sr. 岡のマリアの風(72) 「聖徒の交わり」とは… 教皇の講話から改めて考える

 「聖徒の交わり(the communion of saints)」は、ローマでマリア論を勉強していた時、教義学の教授が何度もしつこいくらいに繰り返していたテーマの一つです。教会の信仰の中で、マリアは決して孤立していない、キリストの内に、私たちとの交わりの中にいる、だから「聖徒の交わり」の視点からマリアの姿を見ることはとても大切だ、と言いながら

 教皇フランシスコは、2月2日の聖ヨセフについての連続講話の最終回で、「聖ヨセフと聖徒の交わり」について話されました。私にとって、この大切なテーマを、異なる光で、さらに深く考える機会となりました。

  私たちは「使徒信条」の中で「聖徒の交わり」を信じます、と宣言します。英語では、the communion of saints、「聖人たち(聖なる者たち)の交わり」と響きます。教皇は、この「ひじょうに重要な信仰の項目の一つ」は、しかし、明確に理解されているとは言えない、と指摘します。「聖徒の交わり」とはどのような現実を表しているのでしょうか。「聖徒(聖人)」とは誰のことでしょうか。教皇フランシスコ自身、自分が小さい頃、thecommunion of saintsと聞いて、聖人たちも「聖体拝領(communion)」をするのか、と思ったそうです。

 「聖徒の交わり」。教会の真の聖母崇敬を理解するためにも重要なテーマです。教皇フランシスコに導かれながら考えました。

*聖人が奇跡を行うのではない

 「さまざまな奇跡を行うのは、聖人たちではありません。違います!」と、教皇ははっきりと述べています。

 「この聖人はたくさん奇跡を行う」と言う人に、教皇は言われます。「違います。待ってください。聖人たちは奇跡を行いません。聖人たちを通して働く神の恵みだけが、奇跡を行うことが出来るのです。さまざまな奇跡は、神によってなし遂げられます。聖なる人、正しい人を通して働く、神の恵みによってなし遂げられます」。

 教皇は「このことは、はっきりすべきです」と言われます。「『私は神を信じていないが、この聖人を信じている』と言う人がいますが、それは間違いです。聖人は、あくまでも「執り成す人」、私たちのために祈ってくれる人です。聖人は私たちのために祈り、そして主は私たちに恵みをくださるのです」。

*「聖徒の交わり」の唯一の絆はキリスト

 「そんなこと知っている」と思うでしょうか。けれど教皇が指摘しているように、「時に、キリスト教は、キリスト教的というより異教的メンタリティーを反映している信心の形に陥る可能性」があるのも事実です。そのような「異教的な信心の形」とは、人間に信頼を置く形、イメージ(画像)や物体に信頼を置く形です。

 教皇は、預言者エレミヤの言葉を引用しています。「呪われよ、人間を頼みと[する]人は。[…]祝福されよ、主に信頼する人は」(エレミヤ書17章 5-7節)
私たちが、ある聖人の執り成しに完全に委ねるとき、「私たちの信頼は、キリストとの関係においてのみ価値をもちます」。ですから、聖母への崇敬であっても、というよりキリストの母マリアへの崇敬だからこそ、必然的にキリストに深く結びついているのです。

 別の言葉で言えば、「聖徒の交わり」の、「交わり」の絆は、唯一、キリストご自身です。「キリストが、私たちをご自分に結びつける絆、また私たちを互いに結びつける絆」であり、この絆こそが「聖徒の交わり」なのです。

*教会は「救われた罪人たち」の共同体

 教皇は、『カトリック教会のカテキズム』の「美しい表現」を紹介しています。「聖徒たち(聖人たち)の交わりがまさに教会(The communion of saints is the Church)なのです」(946項).

    これはどういう意味でしょうか、と教皇は問いかけます。教会は完全な人たちのためにあるという意味でしょうか―私たちは「聖徒(聖人)」と聞くと、完璧な人というイメージをまず思い浮かべます。

  「違います」と教皇は力強く答えます。教会は「救われた罪人たち(イタリア語:peccatori salvati)の共同体である、という意味です」。誰も教会から排斥されません、私たちは皆「救われた罪人」だからです。

    私たちの聖性は 「キリストの内に現わされた神の愛の実りです。キリストが私たちを聖化してくださいます。私たちを、私たちの『みじめさ(miseria)』において愛し、そのみじめさから救いながら」。これは、教皇フランシスコのモットー、「憐みを受けた憐れな者」-ただ、神の憐れみによってのみ救われた、哀れな者―に繋がります。キリストの内に「救われた罪人」、聖なる者とされた私たちの「交わり」は、ですから、私たちの努力や善意によるものではありません。神の、全く無償の愛の実りです。

 私たちが互いに「交わり」の中に結びついていることをすぐに理解させるのが、聖パウロが述べている「キリストの体(キリストが頭[かしら]、私たちは肢体)」のイメージだ、と教皇は言われます(コリントの信徒への手紙1・12章12節参照)。

   「私たちは皆、一つの体です。信仰を通して、洗礼を通して、私たちは皆、結びついています。交わりの中にいます。イエス・キリストとの交わりの中に結びついています」。これが、「聖徒(聖人たち)の交わり」という意味なのです。

*聖徒の交わりは死をも超える

 キリストの内に一つの体を形づくっているのですから、私の喜び、苦しみは、すべての人に関わり、兄弟姉妹の喜び、苦しみは、私に関わります。

 この意味で、一人の人の罪は、つねにすべての人に関わり、一人ひとりの人の愛は、すべての人に関わります。「聖徒の交わりの力で、この結びつきの力で、教会のあらゆる成員(メンバー)は、深く私に結びついています。それは私が教皇だからではありません。私たちは互いに深く結びついているのです」。

 さらには、この私たちを結び付けている絆は「ひじょうに強いので、死さえもそれを断ち切ることはできません」。

 実際、聖徒の交わりは、今、この地上で私たちの周りにいる兄弟姉妹たちだけに関するのではありません。「地上の旅路を終え、死の境界を超えた兄弟姉妹たち」にも関連します。

 「愛する兄弟姉妹の皆さん、考えてみましょう。キリストの内に、誰も決して、私たちを、私たちが愛している人々から引き離すことはできません。[私たちを結びつけている]絆は、実存的な絆、私たちの本質(nature)そのものの中にある強い絆だからです。ただ、彼らと共にいる在り方だけが変わります。けれど、何も、誰も、この絆を断ち切ることはできません」。

*聖人への「信心、崇敬(devotion)」は愛の表現

 「聖徒の交わり」は「友情の関係」です。私たちはキリストの内に、周りにいる兄弟姉妹たちとも、天にいる兄弟姉妹たちとも友情を結ぶことが出来ます。聖人たちは「友人」なのです。
私たちがある聖人への「信心、崇敬」と呼んでいるものは、「実際、私たちを結び付けているこの絆から出発して、愛を表現する方法なのです」。私たちは、そのようにして、天に友人たちをもっています。イエスも、ご自分の友人たちを持っていて、重要な時に彼らに信頼しました。

 このような視点から、教会の聖母マリアへの「崇敬」も、決して個人的なものではなく、キリストの内に、キリストの体の成員(メンバー)たちの交わりの中で理解されるべきでしょう。

 「教会の歴史において、信じる者の共同体に持続的に寄り添ってきた聖人たちがいます。何よりも、教会は、神の母であり私たちの母であるマリアに対して、深い愛情、ひじょうに強い絆を感じてきました」。

 「私たちが聖人たちを近くに感じるのは、つねに、聖徒の交わりのおかげです」。聖人たちへの崇敬は、「友人」としての私たちの信頼であり、魔法でも迷信でもありません。それは「正しい生活、聖なる生活、模範的な生活を送り、今は神のみ前にいる兄弟や姉妹と話すことです。私は、この兄弟、この姉妹と話し、私のために執り成しを願うのです」。

 教皇フランシスコは、折々の話の中で、「一つの体」、「キリストの体」である教会のビジョンを、私たちに示し続けているように思います。父である神は、ご自分の家―「父の家」―に、すべての子らを「集める」ために、独り子を世に、私たちの救いのために遣わしてくださいました。「集める」、つまり「一つにする」ためです。人間は「分裂させる」のが得意です。私たちキリスト者も、ボーっとしていると、ついつい「分裂」の誘惑に負けてしまいます。

 自分に都合の悪いものはいらない、自分と合わない人は排斥する…そのようにして、私たちは「分裂」の力に協力してしまいます。一つに集める神の力と、分裂させる「この世」の力。多様性の中の一致を造り出す神の霊、聖霊と、疑い、対立の中で分裂させるこの世の霊。私たちは、日常の現実の中で、どちらの側についているのでしょうか。一致に向かう力なのか、分裂させる力なのか。言葉を変えて言えば、私たちは、聖霊に導かれて、日々、教会(キリストの体)を形造っているのか、それとも、この世の霊に引きずられて、ますます断片化、孤立化させているのか。時に、立ち止まって識別する勇気が必要でしょう。

 「聖徒(聖なる者たち)の交わり」、the communion of saintsのイメージは、一致を造り出す聖霊の働きを映し出しています。父である神は、ご自分がお造りになった人間を、たとえ人間の側から拒否されても、誰をも排斥することなく一つに集めようとなさっている。そのことを信じて、希望して、キリストの内の交わりに留まり続けることができますように!

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)

2022年2月6日

・竹内神父の午後の散歩道⑭ 洗礼者ヨハネー主の証しを生きる人

    自分が生きてきた証しを、何らかの形で残したい――おそらく、そう思う人は、少なくないかもしれません。

    証しとは、それが形のあるものであってもそうでなくても、それによって、残された人々が、(あぁ、あの人はこんな人だったんだなぁ)と思い起こすことができ
るようなものかもしれません。ですから、それが、残された人々の記憶に残るかぎり、その人は、ある意味で(まだ)生きている、と言えるのかもしれません。

*光についての証し人

   洗礼者ヨハネは、確かに、一つの証しを生きた人でした。彼の証しは、しかし、自分のことを後世の人々に残そうとするものではありませんでした。むしろ、それは、彼の後に来る「世の光」(ヨハネによる福音書 9 章 5 節)についての証しでした。

    彼について、聖書は、こう語りますー彼は光ではなく、光について証しをするために来た」(1 章 8 節)。ヨハネは、「燃えて輝くともし火」(5 章 35 節)でしたが、光ではありませんでした。

   けれん味のない生き方―それが、ヨハネの魅力です。彼は、言葉と行いにおいて、潔さのある人物でした。「主の道をまっすぐにせよ」(ヨハネによる福音書 1 章 23 節)―彼は、文字通り、このことを自らの務めとし、それを生き抜きました。

  彼は実際、際立った人物でした。イエスは、彼のことを「預言者以上の者」(マタイによる福音書 11 章 9 節)と言い、さらには、「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」(11 章 11 節)とまで称揚します。それゆえ、人々は、彼こそ来るべきメシアではないか、と思うほどでした。しかし、彼は、そのような人々の噂や思惑を一蹴します。

*信仰告白という証し

 ヨハネは、確かに、イエスの先駆者でした。それは、言葉においてだけでなく、自らの死においてもそうでした。「イエスは誰か」ーこれは、すべての人に向けられた共通の問い掛けです。そして、ヨハネの証しは、まさにこの問い掛けに応えるものでした。

 ですから、もしこの問いに対して、「イエスはキリストである」と応えることができるなら、それは、‵‵信仰告白〟となります。そうすると、ヨハネは、最初にこの信仰告白をした人、つまり、‵‵最初のキリスト者〟と言えるかもしれません。

 「自分は誰なのか」―ヨハネはまた、そのことをよく弁えていた人でした。ですから、彼は、端的に自分とイエスの違いを語ります。「その人は私の後から来られる方で、私はその方の履物のひもを解く値打ちもない」(ヨハネによる福音書 1 章 27 節)。このヨハネのわきまえこそが、彼の偉大さを端的に示しています。「あの方は必ず栄え、私は衰える」(同3 章 30節)。

*聖霊による証し

 「私はこの方を知らなかった」(ヨハネ による福音書1 章 31 節、33 節)―最初ヨハネは、そう語りました。しかし、彼は後に、イエスを知ることとなりました。それを可能にしたもの、それが、聖霊にほかなりません(同1 章 33 節)。

 それゆえ、彼は、イエスを指し示してこう語りました―「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(同1 章 29 節)。「神の小羊」とは、どういう方でしょうか。それは、「終わりの日に世を裁く方」(ヨハネの黙示録 7 章 17 節、17 章 14 節)、「苦しむ主の僕」(イザヤ書 53 章)、また、「過ぎ越し祭に屠られる羊」(ローマの信徒への手紙 3 章 25ー26 節)です。

 ヨハネは、「荒れ野で叫ぶ声」(ヨハネによる福音書 1章23節)。そして、イエスは、それによって証しされた「神のみことば」そのものです。

(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)

2022年2月4日

・ガブリエルの信仰見聞思㉕ 「人に感謝すること」とは…

*キリスト者として人に感謝すること

 かつては友人からこのようなユニークな観点を聞いたことがあります。

 「あなたは誰かから好意や援助を受けたとしよう。その人に感謝するのは一般的に筋だと思われている。しかし、そもそも、その人がしてくれた善いことに必要なすべての能力、機会、意欲、そしてその人の命、呼吸、存在そのものは、神様がその人に与えられているのです。すべては神様が与えてくださっているのだから、神様だけに感謝するのが正しいのではないか」。

 そもそも、人に対して感謝の気持ちを持つことは、ごく自然なことで、なぜそんなことを疑問に思ったのか不思議でした。そして友人は「なぜなら聖書には、一人の人間が何かに対して他の人間に明示的に感謝するところがないからです」と答えました。

 なるほど。結局のところ、あらゆるものを通して、あらゆるものにおいて、神様こそが究極の与え主だから、神様以外の人に感謝することは適切なのでしょうか、ということです。

 

*神様に感謝すること

 「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン」(ローマの信徒への手紙11章36節)、「また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と万物とを与えてくださるのは、この神だからです」(使徒言行録17章25節)と、使徒パウロは教えます。

 そのため、私は誰かに助けられたり、誰かから恩恵を受けたりしたとすれば、神様がその人を創られ、息を吹き込まれ、助けてくれる心を傾けられたのだから、その人ではなく、神様だけに感謝すべきなのです…か。

 もちろん、神様はすべてを与えてくださったのですから、神様に感謝すべきことです。私たちが感謝するとき、最終的に念頭に置くべきことは、私たちに起こるすべての良いことの与え手であり支え手であり、摂理にかなった導き手である神様だと思います。

 しかし、これらの真理は、私たちが他人から受けた恩恵に感謝すべきでないことを意味している、とは思いません。人間は、神様が望まれる多くの善いことを行うために、主の御手の中の器となることは、誰も認めるところでしょう。

 

*主の御手の中の器

 例えば、主イエスは使徒パウロについて、「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らの前に私の名を運ぶために、私が選んだ器である」(使徒言行禄9章15節)と言われ、「彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、…罪の赦しを得るように」(同26章18節参照)と、パウロを遣わされたのです。

 これは神様が初めから、ずっと行われていることではないでしょうか。神様は戒めをくださり、約束をされ、警告を発され、助けを与られますが、主の望まれことをこの世で成し遂げられるために創られた主要な器が人間であることを、疑うことはないでしょう。

 では、神様は、御手の中の器そのものである私たちのことを、どのように考えておられるのでしょうか。主の器である私たちは、「良いもの」「賞賛に値するもの」「忠実なもの」「従順なもの」「喜ばれるもの」と称されていいのでしょうか?器である私たちは神様からの報いと称賛に値する適切な受け手と見なされるのでしょうか?

 そして、もし主がご自分の御手にある器を、ご自分の称賛と報いの適切な受け手、として見ておられるなら、それらの人間である器に対する私たちの態度と応えはどうあるべきなのでしょうか?

 聖書は、神を求める者に報いられるのは神である、と明確に述べています。マタイ福音書第6章では、主イエスが「特定の行動をとれば、御父なる神様が報いてくださる」と何度も言っておられます―「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように」「施しをするときには、…ラッパを吹き鳴らしてはならない…右の手のしていることを左の手に知らせてはならない」「…隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」と。

 「主は私たちの善い行いに報いてくださる」と何度も言われています。エフェソの信徒への手紙第6章8節は、驚くべき言葉だと思います―「…奴隷であっても自由人であっても、善いことを行えば、誰でも主から報いを受けるのです」。これは実にすごいことだと思いませんか。

 そして、報い以上に、私たちは、「…神からそれぞれ誉れを受ける」とパウロは言います(コリントの信徒への手紙①第4章5節)。なんと理解し難いことでしょう。神様はどうして私のような弱くちっぽけな人間にそんなことをおっしゃることができたのでしょう?

 

*謙虚に人に感謝の気持ちを表す

 すなわち、私たちが行うすべての善いことは、神様によって可能にされたとしても、それは神様によって支えられ、神様によって役立つものとされたとしても、神様はご自分の御手の中の従順な器を、ご自分にとってお喜びであり、ご自分の報いと称賛を受けるにふさわしいものとして、寛大に見なされることを選ばれたのでしょう。

 無限の完全さで、何の必要もない全能の神様が、その民の不完全な働きに対する喜び、報い、称賛、誉れをもってお見つめになれるのなら、私は謙虚に、主の御手の中にある器である自分と同じ人間の他者に対して、喜びを込めた感謝の気持ちを表して接するのは、ふさわしいことではないでしょうか。

 それが、私たちキリスト者として人に感謝することの定義ではないか、と思います。すなわち、人が私にしてくれた善いことを通じて、神様からの恵みを私に取り持ってくれたその人に対して、謙虚に喜んで恩義を表現することです。

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)

2022年2月3日

・Sr.阿部のバンコク通信(63) 食用ホオズキ(鬼灯)にコロナ撃退効果!

 先日、食用のホオズキをいただきました。橙色の丸い実がカラカラに乾いた”提灯袋”に入っていて、実に可愛らしい。甘酸っぱいくて美味しい。

 タイでは観賞用としてではなく、もともと野生のホオズキを栽培し食用として市場で売られています。中南米では昔から薬用として重宝され、ヨーロッパでは果物として、日本でも20余年前から「ゴールデンベリー」「オレンジチェリー」「ストロベリートマト」とか素敵な名が付けられ、美容と健康のスーパーフードとして”珍重”されているようです。

 タイの野生ホオズキが日の目を見たのは1969年。北部山岳地帯を訪問した前国王ラマ9世が、麻薬原料のケシ栽培で生活していた農民の自立を助けるためロイヤルプロジェクト(タイ国の資源、素材を100%使ってタイ国民の生活向上のために王室が企画支援する事業)を始められ、その中の農業支援にホオズキ栽培もあったのです。現在ではホオズキは、生食用のほか、果物、ジャム、ジュースとして出荷されています。

 ビタミンが豊富で、鉄分、マグネシウム、カルシウムも。粘膜を強くし免疫力を高め、風邪、インフルエンザ、動脈硬化、心筋梗塞の予防…と、効能書きが続く。

 数年前から、姉妹が好まないのを”幸い”に、よそからいただく度に、私1人でほとんど食べてしまう。それで最年長の私が一番元気。3度のワクチンを打っても痛くも痒くも無し。自然のサプリメント。創造主が備えてくださった野生の治癒力。ホオズキのおかげであったのかも知れません。

 今、タイの市場にはホオズキが並んでいます。ウィルスの侵入を防ぐホオズキは、今はあまり使われていない漢字では、その姿から「鬼灯」とも書きます。”鬼”の”灯火”が新型コロナウイルスを追い払ってくれているのかも。

 「カトリックあい」読者の皆さま、長く続くコロナ禍に、気負け、根負けせず、お身体を大事にお励みくださいませ。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2022年2月2日

・Dr.南杏⼦のサイレント・ブレス⽇記 ㊿ パズルの向こう側に

 認知症の人たちが共同で暮らすグループホームやデイサービスなどの高齢者施設を訪ねる機会がある。ある高齢者施設のフロアでは、利用者の方たちがパズルを楽しんでおられる風景を目にした。

 卓上に広げられているのは、ジグソーパズル……いや、よく見るとそうでなかった。

 一般にジグソーパズルのピースの形は、各辺に凹凸部があり、カタカナの「キ」に近い形をしている。 隣り合うピース同士が「キ」と「キ」の凹凸部をかみ合わせて接合し、はずれにくい構造になっている。それぞれ良く似た形のピースはたくさんあるものの、全く同じ形のピースをしたものはないかららしい。

 その施設で人気のパズルは、個々のピースが「キ」ではなく、青空に浮かぶ雲のような形をしていた。ピースのサイズも大きい。ジグソーパズルと区別して、「板パズル」「ピクチャパズル」などと呼ばれていた。ピースの数にも大きな違いがある。ジグソーパズルは150ピース以上が当たり前。2000ピースを超える超難関もある。一方、雲形ピースを楽しむパズルは、40~60ピースが標準。26ピースといった品もあるという。

 施設にある、パズルのストックを見せてもらった。フロアの棚に納められていたのは、約50種類。雲形ピースの板パズルのほかに、通常のジグソーパズルもあった。

 だがいくつもの板パズルがほこりをかぶっていた。何年も使われていないと見えるジグソーパズルも随分あった。それを指摘すると、スタッフは「ご利用者様から人気がなくて」と苦笑する。それらは、五十音や九九の表のデザインだったり、ポケモンやアンパンマンなど子供向けのキャラクターが描かれている品だったりした。保有するパズルの約3分の1はお蔵入り状態だという。

 「明らかに子供向けのものは、ご利用者様に手にしてもらえません。難易度が高すぎるものも同様です。これらの死蔵品は、パズルを買い集めた担当者だけでなく、日々の介護に携わる私たちスタッフ全員にとって大きな教訓です」と教えられた。

 介護保険制度の導入から20年余。「高齢者の尊厳を重視するケア」「一人一人に合わせた介護」といった理想は、利用者とスタッフ相互の、それこそ小さな試行錯誤の積み重ねによって支えられているのだと改めて実感する。パズルだけでなく、言葉遣いから、食事、体操のメニューなど、いろいろな教訓が積み重ねられてきた。

 わずか46ピースの板パズルでも、出来上がりの図は存在感を強くアピールする。満開となった桜の枝越しに見える富士山、緑あふれる皇居のお堀端、ゴッホやミレーら巨匠たちの名画、愛らしい子猫や子犬たちの姿……。

 「きれいにできましたね」と同じ思いを共有する瞬間は、利用者も介護スタッフも同じ笑顔を浮かべている貴重な時間だ。そんなひとときをいかにたくさん作れるか、スタッフの試行錯誤はこれからも続く。

 

(みなみきょうこ・医師、作家: 2021年は、⼥性看護師の⽬を通して医療現場の現実と限界を描いた『ヴァイタル・サイン』、命がけで舞台に立つ人たちと医師との物語『希望のステージ』を上梓しました。映画化された『いのちの停⾞場』の続編として、家族が担う介護に焦点を当てた『いのちの十字路』を福島民友新聞、下野新聞、山陰中央新報ほかで連載中です)

2022年2月1日

・愛ある船旅への幻想曲⑫「正しい人」とは他人から認められ、そう呼ばれてこそ本物

 ヒトには想定外の出来事が大なり小なり必ず起こる。それが「生きている」ということだろう。その時々をどう対処するのか。悩みを一人で抱え込むのか。家族や友達に相談するのか。自分の最良の手段は何か。どうすることが正しいのか。これも生きてきた仮定によって解決策は違うだろう。

 世界中がコロナウィルスの大感染の下にある。日々の生活に、数々の制約を受け、ストレスがある。どう生きていけば良いのか。今の自分は正しいのか。もちろん、あまり大きな変化もなくこの状況を受け入れている人もいるだろう。それが人間社会、と私は思っている。

 私は、1937年生まれの解剖学者、養老孟司先生の大ファンである。彼は、自分の言葉で歯に衣着せぬ、もの言いをされる。そして、84歳の今も、次から次へと考えるべき問題が生じて来る、と言う。

 数十年前、私は娘と共に養老孟司先生講演会に行く機会に恵まれ、期待を裏切らないダンディな養老先生と講話に、母娘は拍手喝采。今も母娘は、彼から目が離せない。

 養老氏の新刊『ヒトの壁』の第二章“新しい宗教が生まれる”に、森本あんり氏『異端の時代』から「正統に自己隠蔽能力が備わっている」に対して《含蓄の深い表現である》と記し、「正しい」とされた人、分野は「自らに都合の悪い面を隠す」ということにもなるが、これは宗教を見れば分かりやすい。

 作家の片山恭一氏は「新しい宗教が生まれつつある。その名を『シンギュラリティ』という」と書く。「間もなくAIが人間の知能を超える」ということが「正しい」とされている。そこを疑う人間は「古い」と言われ、異端者扱いされる。現代では”自然科学教”、”工学技術教”が正統化され、それが自己隠蔽する。

 以上、抜粋。

 「本当に、この人は正しい人だった」(ルカ福音書23章47節)

 イエスが息を引き取られた時の百人隊長の言葉だ。私たちは、イエス・キリストの生き様を知っている。イエスは、神の子だったが、人間として生き、多くの人を癒し、救われた。しかし、十字架の上でさえ、ご自分のために力を使われなかった。人間の裏切りと罵りにも耐え抜いた姿を、聖書は記す。

 「正しい人」とは他人から認められ、そう呼ばれてこそ本物だ。ここで「自画自賛」は必要ない。

 コロナ終息後の人間社会は、どう変わるのだろう。自分の居場所を、本気で考える人が増えるかもしれない。暗く憂鬱な場所より「愛ある明かるい場所」でヒトは幸せに生きることができる、と私は思っている。

 見よ、私は新しいことを行う。 今や、それは起ころうとしている。 あなたがたはそれを知らないのか。 確かに、私は荒れ野に道を 荒れ地に川を置く。(イザヤ書43章19節)

        (西の憂うるパヴァーヌ)

2022年1月31日

(読者コラム)改・司教引退後のタイトル、「emeriti」イコール「名誉…」か?

 引退した役職者などに”名誉“という”称号“がつくことがある。春の人事異動期には、今年も”名誉“がつけられる人が多く出るかも知れない。 

 企業や団体の場合は、様々な事情、主としてその貢献度の高さから”名誉会長“とかのタイトルが退任者に贈られる場合があるが、一般的なのが大学の”名誉教授“だろう。

 学校教育法に「大学は、当該大学に学長、副学長、学部長、教授、准教授又は講師として勤務した者であって、教育上又は研究上特に功績のあった者に対し、当該大学の定めるところにより、名誉教授の称号を授与することができる」と定められており、「教育上、または研究上、特に功績のあった者」に、その大学がタイトルを認めることになっているようだ。

 そうした”社会的常識”からみて、昨年末に、カトリック長崎教区の髙見三明大司教が出した、教区の信徒、男女修道者、司祭にあての「重大なお知らせ」の中に、こう書かれているのに、違和感を持った方も少なくないのではなかろうか。

 「わたしは、フランシスコ教皇様により、長崎大司教(教区長)の退任願いを受理されて、新大司教の着座式まで『使徒座管理者』の任命を受け、実質上これまでのような長崎大司教区の責任を委ねられました。そして着座式後に引退し、『名誉大司教Archiepiscopus emeritus』となります」(表記も含め原文通り)。

 このタイトルは、教会法の第402条第1項 の日本語訳、「司教は、退任が受理されたときは、退任前の教区の『名誉司教の称号』を得る」が根拠になっているわけだが、この箇所のラテン語で書かれた原文は「titulum emeriti suae dioecesis retinet」だ。 ラテン語の専門家によると、emeriti形容詞)には、もともとは「名誉の」という意味は無く、「引退した」だった。これを語源とする英語emeritusを、Merriam Websterでは「退職した」と「名誉の」の二通りの意味を載せている。

 日本では、教会も含めて、引退した前任者への敬意を込めて「名誉云々」というように”翻訳”されているようだが、現代イタリア語では 悪名高い」とか、「悪いことで名が知られている」というニュアンスで使われることもあるという。「悪名高い」もあり得るとすれは、「引退司教」の方が訳としても適切ではなかろうか。

 数年前に定年まで10年以上も残して辞めてしまう司教が続出したが、彼らの中に「名誉司教」のタイトルを名乗っている人がいるような記憶がある。こういう人は、百歩譲っても「引退…」が適当だろう。

 この問題に関連して思い浮かぶのは、世界最大の男子修道会で、日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルも創始者の一人だったイエズス会の前総長、アドルフォ・ニコラス師のことだ。

 組織神学の教授として上智大学で教鞭をとり、日本管区の管区長となり、さらに総長として全世界で活動する約2万人の会士たちのトップとして活躍された。イエズス会士として教皇フランシスコの先輩でもある師は、教皇の良き相談相手でもあったが、80歳で”定年”(総長には正式な定年はない)を迎えると、その年の総会で退任。その後は、本部のあるローマにも、故郷のスペインにも戻らず、マニラの東アジア司牧研究所、さらに上智大学アルペ国際学生寮で奉仕をなさった。健康を害され、東京のイエズス会の静養施設「ロヨラ・ハウス」を終の棲家とされたが、”名誉総長”などのような肩書を受けたり、もちろんご自身で名乗ったりされることはなかった。そもそも、同修道会には「肩書」を誇るような文化はないのだ。

 引退される方には申し訳ないが、「名誉司教」ないしは「名誉大司教」の条件は、学校法の定めを援用するなら「教区あるいは日本における福音宣教、または信徒、司祭のリーダーとして特に功績のあった者」とするが妥当ではなかろうか。

 ご本人は、この条件に相当するような”功績”をあげた、と本心からお思いなのだろうか?お名乗りになるのは、せめて、聖職者による性的虐待裁判や巨額損失発生事件をきちんと収拾され、責任も明確にされ、教会内外に対する信頼を回復されてからでも、遅くはないと思うのだが…。

 日本の教会のためにも、そして聖職者の性的虐待とそれに対する高位聖職者の対応に深く傷ついている信徒のためにも、あえて苦言を呈したい。

(日本の教会関係者の言葉使いを憂うる一信徒)

2022年1月16日

・Sr.岡のマリアの風(71) 年の初めにー「腕まくり」して一歩前へ

   2022年正月、「本当の話」です。やっと正月休み。普段できないこと、これをしよう、あれをしよう…と、(休みなのに!)計画を立てていました。それを神さまは見事にひっくり返し、感染症胃腸炎に罹り、まさに「寝正月」。で、寝ながら、そういえば、と考えました。

   教皇フランシスコは、この待降節・降誕節の中で、思い通りにならない現実をありのままに受け入れるマリアの姿、ヨセフの姿を、しつこいくらい繰り返し示してくださっているのに、私は自分のこととして考えてなかったな~、と。

  マリアもヨセフも、夢物語ではなく、現実の中で、神の望みを探し求めた、と教皇は指摘します。だから、物事が自分の望んだ通りにいかない時でも(教皇フランシスコは、ほとんどの場合がそうです、と言っています)、パニックになることも、自虐的になることもなく、他の人のことを思い遣り、自分の望みを超える、神の望みを探し求めることが出来た、と。

  それにしても、人間というのは脆いものです。一年の初めに、「土の器」である自分の姿を再認識したことは恵みでした。この歳になったら、もっとちゃんと自分の現実と向き合うべきですね。私たちは、土に返っていくこの命の中に、神の子の永遠の命を生きている。これって、すごいことだな~と考えました。

  そう言えば、年末に読んでいた、アレクサンドル・シュメーマン師の本の中で、キリスト者はいつの間に、「死」を、「裁き」「恐れ」として捉えるようになってしまったのだろう、という問いかけがありました。古代教会のカタコンベ芸術が象徴しているような、「主との出会いの待望」の中で「喜び」のトーンを帯びた死の解釈は、どこへ行ってしまったのだろう、と。

  土の器の中に脆さ、弱さをもちながら、すでに今、ここで、神の命を生き始めている私たち。キリストとともに死んで、キリストとともに復活した私たち。それが私たちの「現実」の姿。正月三日間だけでは足りない黙想の時でした。

  教皇フランシスコは、年の初めに、私たちが今、緊急に求められているのは、理想主義について討論をするのではなく、「平和の手職人」として、「腕まくりをして」一歩を踏み出すことだ、と言われます。日々の小さな出来事、良いこともそうではないことも、すべてを心に留めて思い巡らすことを知っている、母の

 「まなざし」が必要です。教会は、マリアから、「母である」ことを学ばなければなりません、とも。

 「腕まくり」は、気合を入れるための、私の昔からの癖です。今年も、マリアの学び舎で、小さな者としての歩みを続けることが出来ますように!祈りつつ。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)

2022年1月7日

・ガブリエルの信仰見聞思 ㉔主イエス・キリストを通して再び始める

*父がくれた一冊の本

 中学時代のある元旦の朝、父から一冊の本をくれました。橙色の表紙には、汗をかきながら崖を登っている少年のイラストが描かれ、「Press On!」(=あきらめずに一生懸命推し進める)という本のタイトルが大きな太文字で書かれていました。

 著者の名前はもう覚えていませんが、欧米系の某カトリックの司祭が10代の若者たちに向け、これからの人生で、とりわけ信仰と霊的成長において直面する様々な課題について書かれた本です。

 その本を読み始めると、興味深く感じ、その日の夜に一気に読んでしまった記憶があります。それ以来、毎年の年始に必ず再読し、自分自身の成長につれて毎回新たな感触や観点を受けることができました。

 残念ながら、社会人になってから故郷を離れ、何度かの引っ越しを重ね、いつの間にかその本を紛失してしまいました。とっくに絶版になっているようで、何年も探していたのですが、今日の電子書籍の時代でさえもどう探しても見つけません。

 その本を何度も読み返したことがあったため、全てではありませんが、幸いにも一部の内容やその司祭の教えを今でも覚えています。そして今でも毎年の年始に、まだ記憶に残っているその一部の内容を思い起こしながら、自分自身の反省と励みになる材料にしています。

 このようなことが今でもできるのは、やはり数十年前の元旦の朝、「これを読め」と言ってその本を渡してくれた父のおかげです。父ちゃん、ありがとう!

*「過去の棚卸し」と「新たな抱負」

 1年を終え、新たな1年を迎えるにあたり、程度の違いがあるでしょうけれど、私たちはおそらく一旦立ち止まって、過去一年の棚卸しをするでしょう。自分の失敗を認めたり、反省したりして、正直に自己評価します。

 そして、そこから学び、より良い未来へ向かって進んでいくことを決意するでしょう。私たちは皆、より良くなりたい、より充実した人生を送りたい、より無私の心で互いを愛したい、と願っているため、新たな抱負を立てるのではないでしょうか。

 問題は、なぜそうするのか、ということです。それは、私たちの心の奥底にある憧れのようなものが現れているからではないでしょうか。神様に与えられた人間の自由を行使し、より良い生き方を選択するよう、私たちを招いているものなのだと思います。しかし私たちは、自分たちの能力だけではそれを行うことができません。

 私たちは、昨年の失敗を悔い改め、いただいた賜物を神様に感謝しながら振り返り、新しい年はより良い年にしようと決意しています。しかし、その一方で、私たちは人間としての弱さと罪という現実にも直面しています。また、私たちは何かを変わろうとする決意が失敗に終わることを経験したり、日常生活で間違った選択をする傾向もあったりします。

 だからこそ、私たちは神様が必要です。実際のところ、私たちは、永遠の生ける神様の愛に見守られ、主の懐に抱かれながら生きているのです。そして、始まりも終わりもない悠久の神様が、ご自分の内に再び始めるようにと、何度も何度も私たちを招かれているのです。

 主イエスを通して、ご自分の命を私たちと分かち合うことによって、それを可能にしてくださるのです。

 「見よ、私は万物を新しくする」(ヨハネの黙示録21章5節)

 主イエスは、私たちの内にあるすべてのものを新しくされることができ、さらに、すべてのものを私たちを通して、新しくされるという御業を続けておられます。

 私たちが2022年に、すべてのものを新しくしてくださる方、主イエス・キリストとの生きた関係を結ぶことによってもたらされる、豊かなお恵みと新たな始まりを見出すことができるよう、祈ります。

 「・・・誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、まさに新しいものが生じたのです」(コリントの信徒への手紙②5章17節)。
新しい年に神様の豊かな祝福が皆様とご家族の上にありますように!

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)

2022年1月2日

・Sr.阿部のバンコク通信(63)「タイには177頭のトラが棲息ー彼らを保護することは、豊かな自然を守ること」

 明けましておめでとうございます。タイ国は仏暦2565年、日本同様十二支の寅年です。コロナ渦巻く最中に、牛-寅と続き、力強く感じます。

 タイ国には十二支を祀ったお寺があって、自分の生年の仏塔を参拝し、喜捨することで功徳を得、長寿に恵まれる、と信じられています。

 ネコ科最大の動物である野生のトラは、ビルマに跨がるタイ南西部山岳地帯の、見通しの悪い熱帯雨林に棲息しています。20世紀初頭まで、アジア大陸に広く棲息していたトラ、その約9割が現在失われています。農業開発で森林が伐採され、人里が山奥まで広がりトラの棲息環境が破壊、医薬と嗜好品製造のための密猟で激減。日本にもトラ製品が大量に輸入されていて、2000年4月、やっと全面販売禁止。トラ滅亡に加担していたとは驚きです。

 2021年7月29日、世界トラの日の発表によると、177頭がタイ国に生存。インドネシアトラ種で、野生のゾウと共にタイ国の宝物です。

 「もともと野生動物の住処、健やかな森を返すように」とのプーミポン前国王の現地訪問の際のお言葉により、1999年クイブリ国立公園が設けられ、国を挙げて環境保全に取り組むようになりました。野生のトラは、さらに奥深い密林で生活し、国立公園となったことで棲息地域が保護され、近隣諸国では絶滅状態になっているインドネシア・トラが、タイのケーンクラチャン国立公園には生存しているのです。

 トラを頂点とする生態系を保護することは、私たち人間を含めた生命体が生きるための水資源ー豊かな自然ーを守ることなのです。黄金に黒の縞模様、動物界では素敵な頼もしい存在ですよね。

 そう言えば、愛称”スゥア”(トラ)と言うタイ人の親友がいます。京大卒で晴佐久神父様の「星言葉」のタイ語訳を引き受け、感動して一気に滑らかなタイ語に翻訳してくれました。5,000冊印刷、もう在庫ゼロです。その後も「風の交響曲」他、数冊の翻訳を引き受けてくれました。なかなかハンサムなトラさん、ありがたい存在です。

 寅年の2022年、トラの棲息に関係する13カ国が一堂に会し、“グローバル・タイガーサミット”が開かれます。人間がもっと賢く、謙虚になり、この地球棲家を大切に守る責任を果たすように、自然保護の聖人アッシジの聖フランシスコに切に祈ります。

 愛読者の皆様、逞しく素敵な寅年を!

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2021年12月31日

・愛ある船旅への幻想曲⑪  年の初めに…「若さ」とは

 イエス様の誕生、そして新しい年の始まりおめでとうございます。2022年がカトリック教会にとっても皆様にとっても良き年となりますようにお祈り致します。

 そして、僭越ながら、また今年も、私が折々に老若男女信徒の声を聞き、私が接した出来事等とリンクさせた文章をコラム欄に発表させていただきたいと思っています。よろしくお願い致します。

 昨年、フランシスコ教皇様が個々の信徒の声をシノドスのために聞いてくださろうとする姿勢に驚きと共に教会刷新を図りたいとの意識を強く感じています。85歳という高齢でありながら、カトリック教会のトップとしての責任意識を持つ教皇の、時代を識別する若さを感じ、シノドスの成功を切に祈りたいと思います。

 私は、教会の会議等に出席する場合にも予め信徒の声を聞きます。代表として会議に出るには必要不可欠なことと思っています。しかし、小教区でさえも新しい声(若い声)は、なかなか届かず、従来通りの方針で同じ人達だけが引き続き奉仕なさる教会が多いのではないでしょうか。

 その方が司祭はじめ大体の信徒にとっても都合がいいのかもしれません。ましてや「そんなこと言われても奉仕できる若い世代もいないし、仕方ない」と言われればそれまでです。もう一度、シノドスの意図を考えねばなりません。何も言わないことが謙遜でもなく平和主義でもありません。教会には明るい未来が必要です。そして、教会は今の社会と共に歩んでいるのです。(新しい声が上がる教会はまだ動こうとしている教会でしょう。)

 ミサも然りです。「なぜ私は教会に行きミサにあずかるのだろう」と考えます。現実に疲れ苦しみ、イエスの愛から救われたい、その実感を味わうために、ただ静かにミサにあずかりたい。司祭の綺麗な所作の司式、みことば、素晴らしい説教、そして悲しみと喜びへの沈黙。そこに聖霊を感じ新たな力(若さ)を得たい。派遣の祝福で平和のうちにミサを終えてまた生きていきたい。

 これは、信徒として贅沢なわがままでしょうか。教会の中心もミサの中心も主イエス・キリストです。フランシスコ教皇は、“ミサのために教会に行くときには「イエスが私たちのためにいのちを投げ出してくださったゴルゴタに行くのだ」と考えましょう。そうすれば見せ物もおしゃべりも消え失せます”と言われました。(教皇フランシスコ2017年ミサに関する連続講話より抜粋)

 ある司教は、ミサ中に(奉仕する)信徒の諸所の動作が目立つことがないように注意されました。その注意さえも伝えられる教会と伝えることさえ出来ない教会があるかもしれません。そして、「司式司祭の後ろにイエスが見えねばミサの意味がない」と、言われました。

 この司教のミサ司式にはイエスに毎回出会うことができました。また、ある枢機卿の突然の訪問とミサ司式からは、聖堂内は“やすけさ”で溢れ、オルガンも歌も聖霊に導かれ美しく流れ、静かに厳かに神との対話ができたミサでした。

 この司教様も枢機卿様も、当時既にご高齢でしたが、とにかく司式の声も歌声も若く澄んでいたことをはっきりと覚えています。枢機卿様は、体調がすぐれない中、最後の巡礼旅行に来られたことをミサ後、初めて笑顔で話されました。そして「ありがとう」と。お二人から、正しい教会の姿とミサの神秘を厳しく深く教えていただいたことに感謝しています。

 そして今、カトリック教会が正しい教会であることを社会に認めてもらわねばなりません。

 各ハラスメントの問題について、「自分達には関係ない」「これは一事象でしょう」と言う信者がいる。しかし、「この問題が解決しない限り教会には行かない」という信徒もいることを知って欲しい。受け取り方と対応の問題です。

 例えば社会の教科書に『キリスト教にはカトリックとプロテスタントがあります。、、』と、学ぶ時に「ああ、知ってる。カトリック教会はいろんな虐待がある宗教でしょう」と、学生達が認識したらどうでしょう。もう既に、その声が聞かれます。自分だけを守る“人と教会”は若さを失います。新しい声や多感な若者の声さえ耳に入らない教会は不安です。私たちは、いつも目を覚ましていたいものです。

 若くない私が2022年、年始めの新たな船旅へのメッセージをしたためました。

 以下に、教皇フランシスコ使徒的勧告『キリストは生きている』第二章から抜粋します。

34 若さとは、年齢よりも心の状態です。

       第二バチカン公会議は次のように述べまし

  た。「たえず生き続けてきた長い歴史を経て

  豊かにされ、歩みを続ける教会は、世におけ

  る真の若者です。教会ではいつでも「若者の

  同伴者であり友」である、キリストに会える

  のです。

35 教会を老けさせ、過去に執着させ、停滞さ

       せ、動かないものにしてしまうものから、解

  き放たれていられるように主に願いましょ

  う。

          (西の憂うるパヴァーヌ)

2021年12月31日

・三輪先生の新年の思い「1989年1月7日・激動の昭和の御代が終わった日…」

 激動の昭和の御代は63年の長きにわたったが、1989年1月7日を持って閉じた。

 私が生まれたのは昭和4年(1929年)、ちょうど60年前である。この年、ニューヨークでは株式市場で大暴落が起こり、これに端を発して、経済大恐慌がたちまち全世界を覆った。私の生まれた長野県は生糸の一大産地で、北米の経済と深く結びついていた。岡谷市は北米との間に直通の電話回線を持っていた。

 生家は長野県松本市の商店街、中町通りにあった。物心がついた頃、我が家の筋向いの大店が空き家になっていた。生糸の卸問屋ででもあったのだろうか。間口は優に九間(約16メートル)はあった。店内は20畳ほどの畳敷きになっていた。店先は開け放たれていても、店番などはおらず、悪ガキ友が勝手に上がってみたりしていた。

 商店街の不景気とは、そんなものだった。

 それでも県下の壮丁が兵役に服する歩兵第50連隊の所在地として、中町通りだけでも「連隊ご用達」の漆屋が二軒あって、除隊祝いに縁者に贈る茶盆などを商っていた。

 戦火は中国大陸全域にに広がっていった。初めの頃、秋口であったろうか。立派なラシャ地の軍服に盛装した堂々たる体躯の兵隊さんが5,6人、我が家の空き店に数日、宿泊したことがあった。連隊の兵営が手狭で、分散して、余裕のある家に預けられたのである。

 南京陥落でも、戦争は終結しなかった。

 陥落を提灯行列で祝ったのかもしれないが、当時八歳の私の記憶にはない。しかし杉葉で飾られた凱旋門が、帰還する第50連隊の兵隊さんたちを迎えたことは、かすかながら覚えている。そんなことが一度ならずあって、軍都、松本市は華やいでいた。

 しかし、兵隊が死なずに済む戦争はない。やがて、国鉄の松本駅から、白布に包まれた骨箱を首から下げた遺族などの悲しい行列を見送ることが多くなった。そして、小学校も高学年になった頃、「ボーイスカウト」改め「大日本少年団」の一員として、私は同輩と二人で、戦死した長野県出身の兵士の御霊を、新設なった護国神社に合祀する行事に携わった。

おそらく昭和12年の秋のことだったろう。東京では靖国神社の例大祭が執り行われる時、私は、母が仕立て直してくれた、生後百日のお宮参りに着た羽二重の衣装で、白木造りの唐柩に収まった兵士の英霊を、神社脇の真っ暗な田舎道から担ぎ出したのであった。

・・・・・・・・

 昭和の御代60余年のうち最初の20年は対外戦争の絶えないような時代であった。一般国民が熱望した平和な時代は、世界の半分以上を敵に回した大戦の結果が「大敗」と出た時、初めて到来したのであった。昨日の敵が軍国主義国家=大日本帝国の戦災で荒廃した国土と国民を占領支配し、そのうえで、財閥解体とか農地解放政策を日本政府に実施せしめたのである。

 こうして「再生日本」は、民主主義国家への道を歩み始めたのである。昭和の御代も初めの20年は戦争に明け暮れたが、その後は新憲法の下、順調に復興していった。一時は、米国を出し抜くばかりにさえ、なったのである。

 そんな折、天皇が崩御された。戦後は40年余の昭和の御代が終わったのである。その時、私は同時代を生きた国民の一人として、特別に深い感慨に襲われた。戦前から戦後へ、共に喜び、共に悲しんだ大御親を亡くした思いであった。

 崩御のニュースを聞いた翌日、1989年1月8日の朝、私は湘南海岸にいた。私の海浜の遊び場兼仕事部屋のすぐ先の波打ち際で素足でジョギングをしていた。少しばかり雨交じりの天気だったが、その程度の肉体の”酷使”は、この際、適切に思われた。

 それはちょうど、私にとって還暦を迎える年に当たっていた… こうして一つの時代は終わり、新しい時代が始まっていた。(令和3年12月23日記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長、プリンストン大博士)

2021年12月31日

・菊地大司教の「司教の日記」からー宣教地召命促進の日、「私が新米司祭でガーナにいたころ」

 その昔まだ叙階したばかりだった頃、私が担当していた教会では、3年に一度、司教様が訪問されて、堅信式を行っていました。アフリカのガーナでの話です。

 私が一人で担当する巡回教会が23Advent2021eほどあったので、地区を四つに分け、司教様には四回の堅信式ミサをお願いしていました。もちろん一日に四回ではなくて、司教様は一週間小教区に泊まっていただいて、毎日村を巡回し、一度のミサで堅信を授けていただくのは、200人ほどです。

 そう、3年に一度の堅信式は、毎回ほぼ800人ほどが対象でした。もちろんすべて野外ミサです。聖堂には入りきれません。正面のステージのところに幕を張って、その前に祭壇をしつらえてあるのですが、しばしばその幕の裏手で、教会の長老たちが休憩をしていました。時に風でその幕が落ち、司教様が堅信を授けている裏手で、くつろぐ長老たちが露わになって大慌てなんて事もよくありました。

 その頃の私は、まだ叙階したばかりで司教様のミサを一緒にしたこともなかったので、言葉一つ発せず、ミトラをかぶったまま、こちらへ首をかしげる司教様の、無言の圧で、儀式を体で覚えたものです。

 そんなわけで、1990年代には本当に司祭が少なかったガーナでしたが、今は地元からの召命も増加し、わたしが働いていたコフォリデュア教区は、首都のアクラ教区から独立した1992年頃、20名ほどしかいなかった教区司祭が、現在は70名を超えています。

 まだまだ司祭は必要です。司祭の召命のために、また現在神学院で養成を受けている神学生のためににお祈りください。東京教区には現在、4名の神学生が、東京カトリック神学院で学んでいます。彼らの今年のザビエル祭のビデオをご覧ください。一人ひとりのインタビューもあります。このリンクです。1時間番組です。

2021年12月8日