・愛ある船旅への幻想曲⑪  年の初めに…「若さ」とは

 イエス様の誕生、そして新しい年の始まりおめでとうございます。2022年がカトリック教会にとっても皆様にとっても良き年となりますようにお祈り致します。

 そして、僭越ながら、また今年も、私が折々に老若男女信徒の声を聞き、私が接した出来事等とリンクさせた文章をコラム欄に発表させていただきたいと思っています。よろしくお願い致します。

 昨年、フランシスコ教皇様が個々の信徒の声をシノドスのために聞いてくださろうとする姿勢に驚きと共に教会刷新を図りたいとの意識を強く感じています。85歳という高齢でありながら、カトリック教会のトップとしての責任意識を持つ教皇の、時代を識別する若さを感じ、シノドスの成功を切に祈りたいと思います。

 私は、教会の会議等に出席する場合にも予め信徒の声を聞きます。代表として会議に出るには必要不可欠なことと思っています。しかし、小教区でさえも新しい声(若い声)は、なかなか届かず、従来通りの方針で同じ人達だけが引き続き奉仕なさる教会が多いのではないでしょうか。

 その方が司祭はじめ大体の信徒にとっても都合がいいのかもしれません。ましてや「そんなこと言われても奉仕できる若い世代もいないし、仕方ない」と言われればそれまでです。もう一度、シノドスの意図を考えねばなりません。何も言わないことが謙遜でもなく平和主義でもありません。教会には明るい未来が必要です。そして、教会は今の社会と共に歩んでいるのです。(新しい声が上がる教会はまだ動こうとしている教会でしょう。)

 ミサも然りです。「なぜ私は教会に行きミサにあずかるのだろう」と考えます。現実に疲れ苦しみ、イエスの愛から救われたい、その実感を味わうために、ただ静かにミサにあずかりたい。司祭の綺麗な所作の司式、みことば、素晴らしい説教、そして悲しみと喜びへの沈黙。そこに聖霊を感じ新たな力(若さ)を得たい。派遣の祝福で平和のうちにミサを終えてまた生きていきたい。

 これは、信徒として贅沢なわがままでしょうか。教会の中心もミサの中心も主イエス・キリストです。フランシスコ教皇は、“ミサのために教会に行くときには「イエスが私たちのためにいのちを投げ出してくださったゴルゴタに行くのだ」と考えましょう。そうすれば見せ物もおしゃべりも消え失せます”と言われました。(教皇フランシスコ2017年ミサに関する連続講話より抜粋)

 ある司教は、ミサ中に(奉仕する)信徒の諸所の動作が目立つことがないように注意されました。その注意さえも伝えられる教会と伝えることさえ出来ない教会があるかもしれません。そして、「司式司祭の後ろにイエスが見えねばミサの意味がない」と、言われました。

 この司教のミサ司式にはイエスに毎回出会うことができました。また、ある枢機卿の突然の訪問とミサ司式からは、聖堂内は“やすけさ”で溢れ、オルガンも歌も聖霊に導かれ美しく流れ、静かに厳かに神との対話ができたミサでした。

 この司教様も枢機卿様も、当時既にご高齢でしたが、とにかく司式の声も歌声も若く澄んでいたことをはっきりと覚えています。枢機卿様は、体調がすぐれない中、最後の巡礼旅行に来られたことをミサ後、初めて笑顔で話されました。そして「ありがとう」と。お二人から、正しい教会の姿とミサの神秘を厳しく深く教えていただいたことに感謝しています。

 そして今、カトリック教会が正しい教会であることを社会に認めてもらわねばなりません。

 各ハラスメントの問題について、「自分達には関係ない」「これは一事象でしょう」と言う信者がいる。しかし、「この問題が解決しない限り教会には行かない」という信徒もいることを知って欲しい。受け取り方と対応の問題です。

 例えば社会の教科書に『キリスト教にはカトリックとプロテスタントがあります。、、』と、学ぶ時に「ああ、知ってる。カトリック教会はいろんな虐待がある宗教でしょう」と、学生達が認識したらどうでしょう。もう既に、その声が聞かれます。自分だけを守る“人と教会”は若さを失います。新しい声や多感な若者の声さえ耳に入らない教会は不安です。私たちは、いつも目を覚ましていたいものです。

 若くない私が2022年、年始めの新たな船旅へのメッセージをしたためました。

 以下に、教皇フランシスコ使徒的勧告『キリストは生きている』第二章から抜粋します。

34 若さとは、年齢よりも心の状態です。

       第二バチカン公会議は次のように述べまし

  た。「たえず生き続けてきた長い歴史を経て

  豊かにされ、歩みを続ける教会は、世におけ

  る真の若者です。教会ではいつでも「若者の

  同伴者であり友」である、キリストに会える

  のです。

35 教会を老けさせ、過去に執着させ、停滞さ

       せ、動かないものにしてしまうものから、解

  き放たれていられるように主に願いましょ

  う。

          (西の憂うるパヴァーヌ)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2021年12月31日