「人と人とのあいだを/美しくみよう/わたしと人とのあいだをうつくしくみよう/疲れてはならない」(「ねがい」)。八木重吉(1898-1927)は、その短い生涯にも拘わらず、数多くの詩を残しました。素朴な言葉で紡がれる彼の詩は、私たちに、穏やかな輝きと暖かな透明感を届けます。またその余韻は祈りとなって、私たちを神へと導きます。
この素朴な美しさは、ひとえに、彼の心から溢れ出てくるものなのでしょう。「およそ心から溢れ出ることを、口は語るのである」(ルカによる福音書6章45節)。人と人との間を美しく見たいーそう願う彼は、同時にまた、それが容易でないことも分かっていました。
*すべては心から
「美しさ」と「清さ」ーそれらは、その最も深いところでは一つである、とそう思います。聖書においても、「清い」(カサロス)という言葉が、しばしば語られます。この言葉は、一般的には、倫理的・宗教的観点における清さを表しますが、その意味は、「混じり気のない純粋さ」を意味するようです。
例えばイエスは、こう語ります。「心の清い人々は、幸いである/その人たちは神を見る」(マタイによる福音書5章8節)。清く生きるーまぶしいような言葉です。でもその意味は、いったい何なのでしょうか。真っ直ぐ神に向かうことでしょうか。あるいは、そのような生き方を求めることなのでしょうか。
いずれにしても、しかし、まず心を整えること、それこそが大切なのではないか、と思います。その出発点となるのは、「正しい意向」(right intention)を持つことです。清い生き方は、ここから始まります。私たちの人格は、それによって養われ、真の「仕合せ」へと導かれます。この仕合せは、互いに仕え合うことによって与えられます。この仕合せは、自分の仕合せでありながら、同時にまた、周囲の人にとっての仕合せでもあります。
その一方で、私たちは、汚れた人になることもあります。その原因は、いったい、どこにあるのでしょうか。イエスは、こう語ります。「外から人に入って、人を汚すことのできるものは何もなく、人から出て来るものが人を汚すのである… 中から、つまり人の心から、悪い思いが出て来る」(マルコによる福音書7章15、21節)。(なるほどな)と思います。
またパウロは、「汚れ」についてこう語ります。「それ自体で汚れたものは何一つありません。汚れていると思う人にとってだけ、それは汚れたものになるの
です」(ローマの信徒への手紙14章14節)。
*ひっそりとまた慎ましく
イエスはまた、こう語りました。「私は光として世に来た」(ヨハネによる福音書12章46節)。この光は、実にひっそりと慎ましい形で、この世に来られました。「マリアは月が満ちて、初子の男子を産み、産着にくるんで飼い葉桶に寝かせた」(ルカによる福音書2章6-7節)。
この光の中にこそ、真の命があります。それは世の初めから神と共にあり、神のみ言葉として私たちに語り掛けます。これが、私たちに与えられた神からのしるしです。美しい生き方や清い生き方ーそれらは、このような素朴な形でこそ体現されます。そのことに気づかされる時、私たちは、改めて静かな感動に誘われます。
八木重吉は、また、次のように祈り求めます――「どこを/断ち切っても/うつくしくあればいいなあ」(「ねがい」)。
(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)

千葉県にある茂原教会が70周年を迎え、8月14日、感染対策をとりながらでしたが、感謝ミサを捧げました。現在の主任司祭は、教区司祭の真境名神父様です。茂原教会の皆さん、70年、おめでとうございます。
教区のホームページに記された歴史によれば、再宣教初期に、茂原には教会が存在したようです。その
意味で、教会自体の歴史は70年をはるかに超えています。しかし、1890年の日本における教区長会議以降の宣教方針転換もあり、またその当時の社会情勢もあり、明治末期ころには茂原の教会は閉鎖になったとのこと。
現在に通じる教会は、戦後にこの地域一帯の宣教を委任されたコロンバン会の宣教師が改めて設立したもので、「1952年6月、初代主任司祭として聖コロンバン会のチャールズ・ロディー師が着任。1953年、コロンバン会の宣教師が現在の地に教会を建て、再び熱心な司牧が開始された。その後 、2009年まで聖コロンバン会、2010年から2014年までグアダルペ宣教会司祭が司牧にあたっていた。 1982年に聖堂、1994年に司祭館・ホールが完成し、現在に至る」と教区ホームページに記されています。
これまで働いてくださった宣教師の方々に感謝します。また宣教師たちと一緒に、教会を育て上げてきた信徒の皆さんに、心からお祝い申し上げるとともに、次は100年を目指して、教会をさらに育てていかれることを期待します。

この日は、ミサ後に真境名師に案内されて、九十九里浜を目の前にする白子に、十字架のイエス・ベネディクト修道会を訪ねました。
この会は、ホームページによれば、このような特徴をもって創設されました。
「明らかに神が招いていると思われる人を、単に健康が損なわれているという理由で修道生活から除外できるだろうか?」
「この問いかけが心にあった創立者ゴーシュロン神父 (当時モンマルトル大聖堂付司祭) は、指導していた数名の若い女性達と共に協力者のスザンヌ・ヴロトノフスカを初代総長として、1930年に十字架のイエスの愛の中で、典礼・念祷・沈黙・兄弟愛・仕事に特徴づけられた聖ベネディクトの戒律による簡素な隠世修道会を創立しました」。
「この会は教皇庁直轄の修道会で、聖ベネディクト会連合に加入しています。健康に恵まれている人も、また身体的病気や障害を持つ人も同じ生活を分かち合うことが可能です。その適応において、伝統的隠世修道生活の厳しい根本的要素は一つも軽視されていません」。

日本での活動は1968年に始まり、1975年には白子で修道院が設立されました。実はその直前の一時期、シスター方は岐阜県の多治見修道院に住まわれていたことがあります。神言会のかつうての本部修道院で、葡萄酒を醸造していることで知られています。私自身がそのころ、名古屋の小神学校で小神学生だったので、シスター方が多治見におられたのは、記憶していました。
短い時間でしたが、シスター方11名と、いろいろなお話をすることができました。
これからも、祈りをもって、教区を、そして日本の教会を支えてくださることを、お願いいたします。
今、コロナショック、ウクライナ・ロシア戦争、安倍元首相銃殺事件と次々に予測不可能な問題が起こっている。
日本では、一般的に“政治と宗教の話”は、ある時からタブー視されるリスクが高まっている。私自身、政治の話から、少なからず気まずい雰囲気を経験し、これは”都市伝説”ではない、と確信している。しかし、互いに個々の主義主張の違いを認めることを前提に、自分が置かれた場所からの意見や疑問を議論することこそ、私たちが生きる社会が発展する為にも必要だ、と私は思う。
宗教の話は、日本の公立学校に宗教の授業はなく、身近なものになっていない為、私は極力避けている。また、日本の歴史を知る上で、宗教に対する各人の固定観念は違う、と理解している。ましてや、カトリック教会を深く知る人は少ない。この度の、旧統一教会の報道からキリスト教会を同一視している人たちが、既にいることは残念ながら否めない。
以前、未信者のおじいさんから「カトリック教会も入信したらお金が沢山いるのでしょうね」と、言われたことがある。
何を根拠にそう言われたのか。おじいさんは、同世代の信者たちからお金の話を聞いたことがあるのか。他の宗教からの情報でそう思い込んでいるのか。いずれにしても、宗教には多額のお金が必要と思っている人たちがいる、ということだ。信徒として、教会を維持する為にお金が必要なことは理解できる。(中には、決してそうは思わない信徒もいるが)。
カルト宗教の見分け方の一つに「お金の話が出たら要注意」とある。以前、カトリック教会上層部の方々のお金に関しての発言からカルト?と錯覚する場面があった。「信徒の質問に開き直ってカルト的なことを言うようでは」とトップとしての神経を疑い、全く世間知らずの発言に信徒たちはあきれ、失望し、速やかに退散するしかない。信徒の教会離れは今や珍しくなくなっている。
教皇フランシスコは、「ミサを日曜日に記念することは、教会生活の中心です。キリスト者は、復活した主と出会い、主のみ言葉に耳を傾け、その食卓に養われ、教会、すなわちこの世におけるキリストの神秘体となるために日曜日のミサにいくのです」と語られている。
私は、洗礼を授かった司祭から、日曜日とミサの関係を説明され、日曜日の予定をキャンセルし、ミサに与る時間を作った。毎週主日のミサに教会に集い、荘厳な気持ちでミサに与り、帰途に着く。イエスを中心とし、イエスの証人となるために、何よりも心の休息を取るために、主のみ言葉が必要である。
しかし、今の教会はどうだろう。信徒の奉仕職が必要不可欠だとされているためか、なんだか忙しい。日曜日以外も教会に出向く。時間に余裕がなければ奉仕はできない為、子育てや仕事に忙しい世代は無理な話だ。
結局、奉仕者も委員会活動も、殆どを”ベテラン信徒”に任すことになり、司祭もそれに甘じている。共同体の中に”特別な共同体”ができるわけだ。カルト宗教は、自由時間のほとんどをその団体に捧げることを強いられる、ともいわれる。歪んだ価値観に心が支配される集団にならない為にも、教会奉仕が自分中心の活動になってはならない、奉仕が”いいクリスチャン”を演じる場であってはならない、と思う。
私たちの教区は、その当時の司教から「委員会メンバーも若い人たちに交代し、教会を変えていきましょう」と先を見た呼び掛けがあった。私たち信徒は、当時の小教区の主任司祭の積極的な呼びかけに応え、それを実行した。
予想通りとてもデリケートで難しい取り組みだったが、他の小教区より一歩先を歩んでいた。若い人たちから、教会への思い、各委員会を改めるべき意見を聞き、話し合い、今までの良さを取り入れながら、シンプルな教会運営で、誰でもが活動に関われる内容に変わりつつあった…。
ところが、ある日、古い体制に戻ってしまった。
今回の“シノドスへの道”への取り組みもリスクを背負っての『現状打破』は、難しく、疑問・質問・意見等を批判としか受け取れない人たちには『現状維持』が答えとなるのだろう。
以下は、オウム真理教問題を取材するジャーナリスト江川紹子さんが、ダライ・ラマへの取材から『まっとうな宗教といかがわしいカルトの見分け方』からの一節だ。
「studyとlearnの違いです。studyには“研究”するという意味もあります。研究するには、疑問を持ち、課題を見つけ、多角的に検証することが必要です。一方のlearnは、単語の表現を教わり、繰り返して記憶する語学学習のように、知識を習い覚えて身につけることを言います。studyを許さず、learnばかりさせるところには、気をつけなさい… 一人ひとりの心に湧いた疑問や異なる価値観を大切にしなければ、studyはできません。それをさせない人や組織からは距離を置いた方がよい」
オウム真理教、地下鉄サリン事件。当時、長女もその時間、地下鉄で高校に通っていた。これも私たち家族には身近な問題だった。カルトは、いつも、すぐ隣にいる。
本物の宗教には、癒しと自由があるはずだ。一人ひとりの信仰が偽証とならないためには、嘘と偽りのない言葉を語らねばならない。教会が融通の効かない平和を唱える偽善者の集まりにならないためにも言葉には気をつけねばならないだろう。
先日、数年ぶりにお会いした司祭も教会を憂いていた。真剣に教会を考えている司祭もいるのだ。組織を運営してきた司祭の正直な言葉は嬉しかった。陰に潜んでいる問題こそ、明るみに出さねばならない。「真実なる神、嘘偽りのない神を証しするためにも、私たちが語る言葉に、ごまかしがあってはならない」と常々思う私である。
(西の憂うるパヴァーヌ)
健康でありたいーおそらく、それは、すべての人の願いでしょう。にもかかわらず、病気を経験したことのない人は、いないでしょう。そもそも、健康とは、いったいどういった状態を意味するのでしょうか。
英語のhealthという言葉は、もともと、「全体・完全」(whole 、「癒す」(heal)、また「神聖な」(holy)などの言葉と同語根のギリシア語holosに由来する、と言われます。また、ラテン語のsalus(健康)という言葉は、ただ単に身心の健康だけでなく、霊的健康の意味での「救い」(salvation)にも通じているそうです。
そうすると、「真の健康」とは、ただ単に身体や精神の健康だけでなく、本来は、「人間の生命の調和ある状態や霊的救済までも含んでいる」と考えられそうです。
*病気の癒しと神の国
「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民衆のありとあらゆる病気や患いを癒やされた」(マタイによる福音書4章23節 イエスの福音宣教と病気の癒しは、分かちがたく結びついています。 時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて 福音を信じなさい」(マルコによる福音書1章15節 ーここに、イエスの福音宣教は始まります。病気の癒しは、「神の国」の到来のしるしでもあります。
イエスは、ガリラヤでの宣教を始めてまもなく、四人の漁師を弟子にします。その後、彼は、様々な場所で、多くの人々の病気を癒します(マルコによる福音書1章21-34節)。
ある安息日に、彼は、会堂に入って教え始められます。そこで 彼は、汚れた霊に取りつかれた男から その霊を追い出します。その後、彼は、シモンとアンデレの家に行き、シモンのしゅうとめの病気を癒します。その後、彼女は、一同に仕えます。
「仕える」(ディアコネイン)とは、もともと、「食卓で給仕をすること」です。病気からの癒しによって、私たちは、誰かに仕える者となります。夕方になると、人々は 病人や悪霊に取りつかれた者をイエスのもとに連れて来 町中の人は、戸口に集まります。
このように、イエスの活動の場は、「会堂」からペトロの「家」へ、そして「戸口」へと移っていきます。「会堂」は宗教生活の場、「家」は個人的な生活の場、そして「戸口」は公の生活の場 と考えられます。つまり、イエスの活動は、あらゆる生活の場へと広がっていたのです。しかも それは、休む暇もなく続きますー 狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子(イエス)には枕する所もない」(マタイによる福音書8章20節)。
*祈りにおける神との親しさ
そのような生活を支えていたことーそれが、祈りです。 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた (マルコによる福音書1章35節)。
祈りとは、神との親しさ、そしてその交わりにほかなりません。イエスの場合、それは、彼を遣わされた父なる神との親しさです。具体的に彼は何を祈ったのか、そのことについて聖書は、ほとんど語っていません。大切なのは むしろ、祈りにおいて父と一つになることにある、と言いたいからでしょうか。
自分と父は一つ(ヨハネによる福音書17章)―これは、祈りによって得たイエスの確信です。そのことを、彼は、次のように語ります。「 私が天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、私をお遣わしになった方の御心を行うためである…。私の父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、私がその人を終わりの日に復活させること〔である〕 」(ヨハネによる福音書6章38-40節)。
(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)
教皇フランシスコの長いカナダ訪問、「悔悛(痛悔)の巡礼」が終わった。
この「巡礼」は、すでに今年の4月、先住民代表者たちのバチカン訪問から始まっていた、と言えるだろう。
「巡礼」は、教皇自身がカナダに、特に先住民の人たちが暮らす場所に、自らの「体・存在」をもって訪れたことで、頂点を迎えた。けれどそれは終着点ではなく、新たな歩み、「癒しと和解」のために「共に歩む」旅の始まりである。
私にとって、この巡礼の間、バチカンの新聞『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』の社説は福音の光に照らされて、この「出来事」の意味を思い巡らす機会を与えてくれた。(参照:『マリア論オンライン講座』HPに、社説の試訳掲載)。
『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』編集長、アンドレア・モンダ氏は、「共に歩む いやむしろ共に飛ぶ」というタイトルで(『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』7月30日付け)、初日、マスクワシスでの集いから、最終日、ケベックまでの巡礼に、「控えめで強靭な態度で、すべての行事と集いに寄り添った」クリー部族の長老の一人、ウィルトン・リトルチャイルド酋長と教皇フランシスコとの間の「形式的な親しさを超えた、真の関係」について述べている。
ウィルトン・リトルチャイルド氏は、植民主義的メンタリティーのもとで先住民文化の破壊をもたらした政策の一つ、カトリック教会の少なくない信徒たちが支持し、あるいは無関心だった「寄宿学校」の元生徒の一人だ。彼は、ケベックでの集いの短い挨拶の中で、彼自身、「寄宿学校の元生徒たちから、7000件近い証言を聞いた」と語った。
モンダ氏は書いている。「(ウィルトン氏は)教皇の行為を見、彼の目を見つめながら、教皇もまた、『どのように私たちの言語が抑圧され、私たちの文化が奪われ、私たちの精神性が否定されたかを語った証言を大きな慈しみをもって、深く、耳を傾けた。彼は、私たちの家族が破壊された後の惨状を感じた』と認識した」と。
車いすの教皇フランシスコと、二本の松葉杖で歩くウィルトン氏。「共に歩みながら、癒し、和解、希望の未来に向かっての最初の一歩である、という教皇の旅の精神をすぐに理解した」とウィルトン氏。
モンダ氏の言葉を聞こう。
「ケベックの司教座聖堂での晩の祈りの中で、教皇とウィルトンは、昔からの友人同士のように挨拶し抱き合った。教皇は、祝福を求めた彼にこたえるように、親指で彼の額に十字架の印をし、クリー部族の長老の鋭い目は、感謝と純粋な幸福を表していた。この、スポットライトから遠く離れた一瞬の場面の中でウィルトンは、真に、立派な頭飾りに囲まれた勇敢な顔をもつ『金の鷲』(彼の名前Usow-Kihew)であり、同時に、真実を直感し喜びにあふれる小さな子供だった。
彼は教皇に、『あなたは、私たちと共に歩むために遠くから来てくださいました』と語ったが、この言葉は基本的に彼自身にも当てはまる。実際二人とも、歩行が困難である。一人は松葉づえで、もう一人は車いすで。それにもかかわらず、彼らは非常に遠くから出発し、非常に重い荷物を肩に背負いながら、共に歩んだ…。動くことが困難なこの二人の老人は、共に、殆ど無言のうちに歩むことを選んだ。
ウィルトンは、教皇フランシスコが、ラック・セント・アンのほとりで、沈黙のうちに祈っているのを見た。何千年も前から、おそらく世界創造の時からそこにあり、カトリック教会の牧者(教皇)の中に、キリスト教の冒険が最初の一歩を踏み出した、ガリラヤ湖のイメージを呼び起こしたあの湖」。
教皇は実際、サンタンヌ・ド・ボープレの巡礼聖堂でのミサ説教の中で、エマオの弟子たちの「旅」を思い起こしながら、自分たちが今歩んでいる、 挫折から希望へ」の旅について語り、唯一の「道」であるイエスに向かう祈りで、次のように結んでいる。
「私たちの命、力、慰めである主イエスよ、エマオの弟子たちのように、私たちはあなたに願います。『私たちと共にいてください。夕方になりますから』(ルカ福音書24章 49節)。
主よ、私たちと共にいてください。希望が沈み、失望の暗い夜が来る時に。
私たちと共にいてください。イエスよ、あなたが共におられるなら、歩みの方向は変わり、不信の袋小路から、喜びの驚きが再び生まれるからです。
主よ、私たちと共にいてください。あなたが共におられるなら、苦しみの夜は、命の輝く朝に変わるからです。
単純に言いましょう。主よ、私たちと共にいてください。あなたが私たちの傍らを歩いてくださるなら、挫折は、新しい命の希望へと開かれるからです。
アーメン」。
挫折から希望へ。それは長く忍耐を求める旅である。それは「共に歩む」旅である。それは、共に、「根(ルーツ)」から再出発する旅である。真ん中に、自分たちのエゴではなく、すべてのものを「善い・美しい」ものとして造られた創造主である神を置いて。
モンダ氏は、彼の社説をこう結んでいる。
「この長い旅の最後の公式の集い、イカルイトで、イヌイットの若者に語りかけた教皇は、彼に、上に向かって歩むよう招かれた。『あなたは、飛び立つため、真実の勇気を抱きしめるため、正義の美しさを促進するために造られたのです』。それは、すべての若者、カトリック信徒も、そうでない人にも向けられた言葉であり、友人ウィルトン・リトルチャイルドに向けられた言葉でもある。彼の心は、その言葉を聞いて、間違いなく鷲のように高く飛び上がっただろう」。
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)
ある日、既に始まっていた「あけぼの会」に見覚えのない中年男性が加わり、私の隣に座りました。
月1度、月刊「あけぼの」(女子パウロ発行)の記事を題材にして、1994年からバンコク市内で始まった集いです。共に読み味い、静かに各自の心に耳を澄ませるひと時の後、1人ずつ感じた事、気づきを分かち合い、皆でひたすら聴く2時間ほどの集い。先月は第264回目になりました。
年齢層も顔
ぶれも豊か、宗旨に拘りない集いで、移動の激しいバンコク、参加者は入れ替わりますが、深みのある豊かな時を共にする出逢いと分かち合いは逸品だと思います。
それは2002 年3月の集いのこと。中村哲さんの記事を題材に、「あなたが神を感じる時は?心の深いところに聴いてください」との問い掛けで始まった集いでした。しばらくの沈黙の味わいの後、分かち合いが始まりました。
初参加の男の方の番になったら、「いやー、驚きました」と開口一番。「昼の日中に、いい歳のご婦人達が、こんな真面目な集いをやっているとは」と言ったのです。その日の司会者が「まあ、失礼な」と呟きました。
「実は、橋田信介という者で」と自己紹介。戦場を取材するカメラマンの体験、ご自分の分かち合いをされました。他の事は覚えていないのですが、橋田さんの声、言葉が、今も鮮明に残っています。
「取材のため、非常に危険な場所へ命を晒してでも行くことがあります。自分の内から突き動かされる何かによって、躊躇せずに現場に赴く…そういう時、私は神を感じます」と。
橋田さんの言葉が心に響き、「凄い人だ」と思いました。そしてご自分の著書を残して去られました。
その2年後の5月27日、甥さんと銃弾に倒れたニュースに胸が痛み、翌月の『あけぼの会』は、橋田記者のことを偲んで、祈り、語らう集いに。テーマは「コルベ神父の人生、戦争は人を狂わせるが、神の声に従う人の示した道は?」でした。
情報過多で騒がしいコロナ禍の中、時にじっと自分の内に耳を澄ませる機会を、皆さん、共に工夫してみませんか。香ばしい珈琲を満喫する素敵なひととき、人生をリセットし、スッキリさせ、心身の免疫力を高めてくれること請け合いです。
皆さんファイト!
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
*”善きサマリア人”の実験
インターネットのお陰で、世界各地から無限と言っていいほど多くの情報や知識を、素早く、簡単に入手できるようになりました。その中には、「今」だけではなく、遠い昔の情報や出来事などの情報もたくさんあり、「そんなことがあったのか」と驚いたり、勉強になったりすることもしばしばです。
先日、仕事の関係で米紙ニューヨークタイムズの記事を検索していると、半世紀ほど前の興味深い記事に出会いました。プリンストン大学の2人の心理学者が「善きサマリア人のたとえ話」(ルカ福音書10章25節~37節)をヒントに、神学部の学生を対象に行った実験に関する1971年4月10日付けの記事です。
実験で、心理学者たちは、学生たちに「牧師とは、どのような使命や仕事が関係しているか」について5分程度の話をするよう求め、うち半数には、「善きサマリア人のたとえ」を話の中に取り入れるように、残りの半数にはそうした条件を付けませんでした。
狙いは、「宗教的な問題や人を助けることを考えることは、実際に困っている人を見た時の行動に影響を与えるか」を解明することにあり、具体的には、学生たちに、決まった時間にキャンパスの反対側にある別の建物で話をすることを義務付け、そこに行く途中で、明らかに苦しそうにうずくまり、うめき声を上げる人に出くわすようにしました。さらに、学生たちを3グループに分け、Aグループの学生には「時間はたっぷりある。急ぐ必要はない」、Bグループの学生には「もうすぐ始まるから少し急がないといけない」、Cグループの学生には「遅刻してしまったので急ぐように」と条件を付けたのです。
実験の結果明らかになったのは、「たとえ話を取り入れるように」と言われて学生たちでさえ、苦しんで人に出会っても、時間に余裕が無い場合、立ち止って助けようとはしなかったこと。その人をまたいで行ってしまったケースもいつくかありました。
苦しんでいる人の出会った学生たちの判断に、はっきりと影響を与えたのは、「時間」のようでした。時間に余裕のある学生は人を助けるために立ち止まる可能性が高いことが分かったのです。
*”善きサマリア人”のたとえ話
「善きサマリア人のたとえ話」では、追剥に襲われて瀕死の状態で倒れていた人は 「エルサレムからエリコに下って行く途中 」(ルカ福音書10章30節)でした。祭司とレビ人はなぜ彼を助けなかったのか、その理由は書かれていません。神殿で奉仕するためにエルサレムに向かっていた、あるいは他に何か急ぎの重要な仕事をしに行く途中だったのかも、知れません。
倒れている人が死んでいるかどうか、知るためには、彼の体に触れねばなりません。体に触れれば、不浄な状態になってしまい、神殿で奉仕できなくなる。穢れを消すには7日間かかり、職務を全うしようとしても手遅れです。他に急ぎの仕事をしに行く場合も、倒れた人の介抱に時間を掛けることは大きなマイナスになる、と考えたかもしれません。
祭司とレビ人は宗教家であり、神殿で神に奉仕しようとエルザレムに向かっていたが、プリンストン大学の神学生たちの多くと同じ選択をしてしまいました。瀕死の状態で倒れたいた人の横を通り過ぎました。永遠の命に入るために、神殿で奉仕することを優先したためでした。
主イエスはこのたとえ話を、「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるか」(ルカ福音書10章同25節)という質問と、結びつけて語っておられます。弟子も、私たちも、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、神である主を愛し、また、隣人を自分のように愛しなさい」という二重の教えを与えられているのです。
この言葉は、旧約聖書の申命記6章5節とレビ記19章18節からの引用で、この教えを、ユダヤ人たちは熟知していましたが、階層と順序があると頑なに解釈していたようです。すなわち、最優先すべきは「神」であり、「隣人愛」はその次だ、というわけです。イエスは、当時一般的であったこのような解釈を正す必要があるとお考えになり、「善きサマリア人のたとえ」を語られたのではないでしょうか。
主は、このことをマタイ福音書25章31節~46節で明確にされますー人の子が終末にご自分の栄光の王座に着かれ、ご自分のことを気にかけることがなかった人たちを裁かれています。
その人たちは、「主よ、いつ私たちは、あなたが飢えたり、渇いたり、よその人であったり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お仕えしなかったでしょうか」と聞きます。 主はお答えになりますー「よく言っておく。この最も小さな者の一人にしなかったのは、すなわち、私にしなかったのである」(同45節)。
*助けが必要な人に仕えるとき、私たちは主に仕える
「『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くすいけにえや供え物よりも優れています」(マルコ福音書12章33節)。
私たちの愛や助けが必要な隣人、兄弟姉妹に仕えるとき、主イエス・キリストに仕えるのです。この律法の2つの部分の間には、分離や階層はなく、それぞれが他方に影響を与え、依存しているのです。両方がなければ、どちらかを持つことはできないのではないでしょうか。そして、私たちの救いはこの上にあるのです。
確かに、私自身を含めて、様々なことで忙しく急いでいる日々を送る人も多いと思いますし、日頃の生活での優先順位と限界もあります。他の人を仕えるためにすべての時間を費やすことはできません。しかし、主イエスのご指摘は明確です。自分のことばかりにとらわれすぎて、困っている隣人を無視してはならない、ということです。
*「忙」は「心を亡くす」と書く
プリンストン大学で行われた”善きサマリア人”の実験の結果から、時間に追われたり、仕事で忙しかったりすると、心の余裕や隣人への思いやりを無くし、キリスト者の本来であるべき姿をも失わせることが分かった、と見ることができるでしょう。私自身、この実験結果から、いかに崇高な信条を掲げていても、仕事などに追われると、いとも簡単に、その信条から離れてしまう、人間の弱さを改めて思い知らされました。ご存じのように、「忙」という漢字は、は「心」と「亡くす」からできています。「忙しい、と心を亡くす」ことのないように… 自省を込めて。
(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)
バンコクの修道院の路地を出て大通りに出ると、路肩に露店が並ぶ界隈があります。いつもお世話になる時計と靴の修理の屋台、台車の八百屋、他にミシンのある繕いもの屋、バーベキューやラーメン屋。向かいのスーパーマーケットの前の道の両側にも、あらゆる種類の屋台がずらりと並び、歩くことのできるスペースはほんのわずかしかありません。
何とも楽しく生き生きした生活感に溢れ、通るだけで元気をもらいます。タイの街中、至る所で味わえる”日本のお祭”のような雰囲気。これも観光スポットとして、外来客を惹きつけているのかも知れません。
タイに来てうれしく感じたことのひとつは、街中の屋台と露店です。靴を持って行くと、すり減った底を取り替え、剥がれた底はしっかり縫って、ずっと使えるようにしてくれました(写真)。鞄も、ギターケースも、直してもらいました。時計修理をやっているチューンさんは、どんな時計でも、使えなくなるまで修理してくれます。
子供のころから母に習って繕い物をしたり、一枚の生地から違ったデザインで見事に弟妹(私を含め当時6人)の洋服を仕立てる母の、ミシン掛けを手伝い、父には鋸の引き方、ちょっとした大工や電気工事も習いいました。工夫する楽しさ、喜びは、この歳になっても衰えません。
修理し、繕い、加工し、持てる力を目いっぱい使って、『ありがとう』『さょうなら』をする… 巷の人々との関わりの中で味わう喜びです。
ところで私は、使い捨ての”消費主義”にずっと異議を唱え、黙々と、細やかな反抗を続けています。こと人の扱いに関しては、怒りが高じるばかりです。人をこよなく慈しみ愛するイエスの姿に一層惹かれ、「あやかりたい」と願っています。
人ひとりを、ないがしろにしていい正当な理由など、あるはずがありません。神が独り子を世に遣わし、あがなって下さった私たち一人ひとり、慈しみの心を取り戻し、償いを捧げながら、深く悲しい世界の魂の傷を癒す日々でありますように、と心から祈ります。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
最近、コロナ禍で制限されてきた社会生活が、感染者数の下げ止まりなど不安要因を抱えながら、ゆっくりではあるが戻りつつある。教会も然りだ。ただ、人と会うことさえも制限されるという異常な事態が常態化し、社会全体のつながり、人間関係の希薄化が進むことが心配されている。
私の世代は、“しらけ世代”と呼ばれている。一つ上の“団塊の世代”が社会への影響力が大きいために、こう呼ばれてもしかたがない。世代論を嫌う人もいるが、私は各世代の背景を知ることは必要だと思っている。
いつの間にやら私たち世代もおばあちゃんになり、友達との会話に孫の話は欠かせない。大学生活を終えるまで真面目に勉強してきたと思い込んでいる⁈私たちは、孫の教育にも並々ならぬ興味を持っている。しかし、自分の意見を決して娘や息子に無理強いすることはない。私たちは、今を生きる子供達家族への流儀を心得ているつもりだ。今日まで、互いに愛と信頼を育んできた結果だ。
私は、『教会』とは何か、と問い続けている。いろんな本を読み、著名な方にも問うてはいるのだが。教皇フランシスコは、2015年の水曜恒例一般謁見の連続講話『家庭』㉖『共同体』で、次のように語っておられる。
「イエスはご自分の周りに『集い』とも言える共同体を作りました。それはいわば召命によって人々を招くことでした。これが『教会』という言葉の意味です。福音書の中でイエスの周りに集う人々は、もてなしの心にあふれる一つの家庭を形作ります。それは、閉鎖的で閉ざされたものではありません」
今回のシノドスに関して、ある方からNICE1(第一回全国福音宣教推進会議)のまとめを読むことを勧められた。そこから、少し紐解くことができた。以下はそのごく抜粋。
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【“開かれた教会をめざして”公式記録集】
・前文(抜粋)
4.日本の教会全体を視野に収め、各教区の独自性を保ちつつ、日本の教会全体の成長のために、共同で責任を負い、共同の作業を展開するよう要請される。
5.「日本の教会」という視点に基づいて行動することは、不可欠な要請である。
Ⅱ優先課題(抜粋)
1. 宣教のための共同体育成
16教区が一体となって、日本の教会として当面取り組まなければならないのは、基本方針を実現するための実践的養成ではないでしょうか。
他の小教区、教区とも手をとり合い、助け合って努力することも大切です。
【参加者一同の『宣言』】(抜粋)
全ての人に開かれ、全ての人の憩い、力、希望となる信仰共同体を育てるよう努めたいと思います。人間の尊厳を守り、真の幸せを実現することに貢献できる教会を育てていくよう励みます。
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この記録集には「日本の教会」と「共同」という言葉が何回も出てくる。私が常々考えている内容である。しかし、35年前と現在の『日本の教会』に変化はあるのだろうか。NICE1に直接関わられた信徒方は“焼け跡世代”と“団塊の世代”の方々で、今も教会の為に尽力され、今回のシノドスにも中心的立場で参加されている方々と思う。
私にとって『シノドスへの道』は、自分が歩む道を考え直すきっかけとなった。
地理学者のロバート・D・サック『人間の領域性ーその理論と歴史』第4章カトリック教会には“信仰が教会の唯一の関心ごとではない、と指摘し、教会は政治的で経済的な制度、と記されている。政治的とは、解釈に違いはあるだろうが、私は内田樹氏(フランス文学者、思想家)の“安倍政権を総括する”を読み、安倍政権、政治家や官僚、政治を『教会』(聖職者、おもだった信者を含む)に置き換えてみた。
「教会で決定的に失ったのはのインテグリティ(誠実さ)。道徳や倫理が欠如した教会を長期間にわたり見せられ続けた結果、真っ当な道を歩もうとしてきた司祭や信徒、国民に深い失望と精神的な揺らぎが芽生えた。教会の判断が常に正しいわけではない。時に、教会の指示で事実がゆがめられることも度々おこっている。そこに教会の見識、良識が問われる。もし、今の教会の「負の遺産」まで継承するのであれば、どんな未来が待っているのか、私たちはよく考える必要がある」
「開かれた教会をめざして」を議題にあげるのは、今の教会が「開かれていない」「閉ざされている」から、と言うことになる。そのあり方に疑問を抱き、もの言う信徒たちは教会を追われる。世間の常識は、教会には通用しない。各小教区も手を取り合い、助け合わなければ教区の一致もない。フランシスコ教皇の回勅『兄弟の皆さん』に“他者を自分たちと区別する閉じたグループは自分本位や単なる自己保存の現れになりがちです。”とある。
信者間の妬みや批判も、ともすれば自分だけを守るためであり、そこに愛はなく争いしか残らない。フランシスコ教皇の憂いを、どれだけの信者が共有しているのか。
結局、今まで共同作業も共同責任もとってこなかった現実がここにあるのではないか。日和見的な上部だけの関係は真の交わりと一致は実現しない。日本の教会に、日本人がいない、元気な若者がいない。この状態に危機感を持つ信者がどのくらいいるのだろうか。
政治も教会も、結局は人の問題である。
私は、他者を思いやり、信仰という宝を分かち合い、愛ある純粋な道を歩みたいと思っている。
マタイによる福音書 12章6節から8節
言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。『私が求めるのは慈しみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたら、あなたがたは罪もない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。」
(西の憂うるパヴァーヌ)
「食事は、現在、それほど大切なものではないと思います。私の場合、サプリメントを飲んでいますから」—そう言って、50歳の男性は、引出しを開けました。すると、その中から現れたのは、山のようなサプリメント…
かつて見た、あるテレビ番組の一コマです。毎日、彼は、約60粒のサプリメントを飲んでいるそうです(彼の場合、むしろ、食べている、と言った方がいいかもしれません)。ガバッ、とまるでポップコーンを放り込むように、サプリメントを口にします。しかも、それが、”カイカン”なのだそうです。
*食の目的は
私たちにとって、食事は、単なる栄養補給が目的なのでしょうか。むしろ、生物としての命を繋ぐ以上に、人間としての命の尊厳を繋ぐものなのではないか、とそう思います。食卓を囲むーそれは、お互いがいっそう親しくなるきっかけとなりますが、同時にまた、同じ命に与る、といった意味もあるでしょう。
ある日、イエスは、五つのパンと二匹の魚で、5千人の群衆の空腹を満たします(マタイによる福音書14章13-21節)。また別の日に、彼は、七つのパンとわずかな魚で、四千人の空腹を満たします(15章32-39節)。
前者においては、「〔イエスは〕五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた」(14章19節)と語られます。一方、後者においては、「〔イエスは〕七つのパンと魚を取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った」(15章36)と語られます。
両者とも、パンも魚も増えた、とは語られていません。ただ、人々は満腹した、と語られます。いったん、イエスの手を介した食物は、祝福されたものとなります。
*イエスとは誰なのか
そもそも、イエスとは、いったい誰なのでしょうか。ある時、彼は、こう語りましたー「私が命のパンである」(ヨハネによる福音書6章35、48節)。カナの婚宴で、彼は、水をぶどう酒に、しかも上等のぶどう酒に変えました。これが、彼の公生活における最初のしるし(奇跡)です(同2章1-11節)。
また彼は、最後の晩餐の席で、パンとぶどう酒を取ってこう語られますー「これは、あなたがたのための私の体である…。この杯は、私の血による新しい契約である」(コリントの信徒への手紙11章24-25節)。つまり、イエスの公生活は、食事の場面で始まり食事の場面で終っている、と言ってもいいかもしれません。
イエスは、実際、実に多くの人々と食事を共にしました。そして、そのような場面において、彼はしばしば、神の国の神秘を、また自分が誰であるかを隠された形で示されました。さらにこの世を去る時、彼は、新しい掟を与えることによって、自分が誰であるかを現わされましたー「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネによる福音書13章34節)。
イエスと共に食卓を囲むーそれは、彼による祝福です。また、私たちが、誰かのために食事を供する時、それもまた、一つの祝福となります。イエスの祝福は、すべての人に開かれています。そこには何の閉鎖性も排他性もありません。彼によって祝福された食物は、私たちにとって真の命となります。「感謝の祈りを唱えて」(エウカリステオー)ーそのような食事は、単なる栄養補給に留まるようなものではありません。それは、一人の人間の命への尊敬、喜び、そして感謝にほかなりません。
(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)
教皇フランシスコは、連続講話「老年の意味と価値について」で、5月18日に「叫び続けるヨブ」についての、ひじょうに力強くインパクトのある話をなさいました。私自身、教皇の話を聞いた後、しばらくぼ~っとなりました。
教皇は繰り返し強調されますー 神が最後に答えたのは、叫び続けたヨブであって、「すべてを知っているかのように」ヨブを説得しようとした友人たちではなかった、と。ヨブは、神を、人間の定型、理屈に閉じ込めることを、断固として拒みます。慈しみ深い神が、ご自分を呼び求める惨めな人間を見捨てることなどあり得ないという絶対的な信頼をもって叫び続けます。
教皇は、ヨブが、人間が造り出した神の「風刺画」を受け入れず、「悪を前にして、叫び続ける信仰を証ししています。神が答えてくださるまで、神がご自分のみ顔(表情)を現してくださるまで叫び続ける信仰を証ししています」と言われます。
ですから、ヨブの叫びは「祈り」です。ヨブは人間に向かって文句を言っているのではありません。造り主、あがない主である主に向かって「抵抗」しているのです。ヨブの祈りは、ユダヤ教のラビ伝統が、人間の歴史始まって以来、初めて神に「抵抗」した人、と考える、父祖アブラハムの執り成しの祈りを思い起こします。アブラハムは、自分の民ではないソドムの人々のために、彼らの悪を知りながらも、彼らをすべて滅ぼそうとしている主に大胆に抗議します。いつ聞いても、心を打たれる言葉です。
「正しいものを悪い者と共に殺し、正しい者と悪い者が同じような目に遭うなどということは、決してありえません。全地を裁かれるが公正な裁きを行なわないことなど、決してありえません」(創世記18章 25節)
主はアブラハムの言葉を受け入れ ソドムの町に「10人」の正しい人がいたら滅ぼさない、と約束されます (32節参照)。
私がいつも感動を覚えるのは、主がアブラハムの「交渉」を、最後の最後まで聴くことです。50人、45人、40人、30人、20人…そして10人になるまで。主は、最初から、ソドムの町に10人の正しい人さえもいないことをご存知でした(実際、町は滅ぼされました)。それでも、アブラハムの抗議をさえぎりません。聖書には何も書かれていませんから想像するしかありませんが、主はアブラハムの抵抗を喜んだのではないか、と私には思われます。ご自分がお造りになった人間を滅ぼすことは、主の望みではないからです。
アブラハムは、神と「対話」をするよう招かれた民の、最初の人です。自分の民ではない人々のため、神のみ前で執り成す民 あきらめずに正義を叫び続ける民の始まりです。
ヨブの友人たちは、人間が造り出した神のイメージ、罪人を容赦なく排斥する、冷徹な裁き主である神のイメージをヨブに押し付けようとします。ヨブは、そのような神のイメージに、徹底的に反対します。「神がご自分のみ顔を現わしてくださる」ことを確信して叫び続けます。
実際、ヨブの言葉は何と胸を打つでしょうか、と教皇は言われます。
「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に塵の上に立たれる。私の皮膚がこのように剥ぎ取られた後、私は肉を離れ、神を仰ぎ見る」(ヨブ記19章 25-26節)。
これは強烈な信仰告白です。なぜ自分がこのような苦しみを受けているのかは分からない。それでも、私は、惨めさのどん底で、自分をあがなってくださる神のみ顔を見るたろう、と言っているのです。
そしてついに、神は答えます。友人たちにではなく、ヨブに対して。神は、友人たちの説教ではなく、ヨブの「抵抗」を受け入れたのです。
それはヨブが「沈黙の後ろに隠された神のやさしさの神秘」を理解したからだ、と教皇は言われます。強く心を打つ言葉です。神の沈黙が、冷徹な裁き主のそれではなく、やさしさの神秘で満ちていることを、ヨブは知っていた、だから、神の沈黙を前にしても、疑わず、恐れず、扉をたたき続けることが出来たのだ、と。
ヨブの叫びが祈りだったことは、その後のヨブの態度で分かります。ヨブは、「もう十分です、あなたの前に黙します」と言います。ヨブの状態(「足の裏から頭の頂(いただき)まで、悪性の腫れ物」が出来た状態:2章7節参照)が、この時点で良くなったわけではありません。それでもヨブは、もはや叫びません。
ヨブは告白します。「私は耳であなたのことを聞いていました。しかし今、私の目はあなたを見ました」(42章 5節)。
ヨブは言うのです、「あなたのみ顔を見ました。それで十分です」と。教皇は、人生の先輩である人たちに、人類のため、世界のために「叫び続けてください」、「恐れずに、勇気を出して、前に進んでください!」と言われます。それは、教皇フランシスコにとって、「世界を救う」「命を救う」使命を託されている「自分たち」に対する、創造主である神の切実な呼びかけなのでしょう。
「マリアのミニ動画」25回目でも、教皇のヨブについての話を分かち合いました。数日中に「mikonagai聖母の騎士」のYoutubeチャンネルから配信される予定です)。
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)
1994年4月、タイに来て先ず語学学校へ。メモすることも、見ることも禁じられ、記憶するのみの先生の授業に付いて行けず、1か月で登校拒否。翌月の授業料で辞書と地図を買い、独学を始めました。
設立時の責任者で所用も多く、フィリピン管区との英語での連絡に四苦八苦していたので、時間的に余裕が出来、好都合でした。
しばらくは安い赤バスに乗ったり、徒歩で町に繰り出して連日、”体験学習”。始発から終点まで数時間乗っても円換算で12円。乗客の様子や会話、バンコクの巷にどっぷりと浸り、何とも言えない、楽しい気持ちになりました。
タイ語の習得は”カタツムリ”のごとし、その後、週2回(文法と会話が各1時間)の個人レッスンに通い、ぐんと上達。英語表記でなく、独特のタイ文字から直接学び、5種類の音調に親しみ、小6の検定試験に挑戦。完全に落ちた、と思いきや、51点で合格してびっくり。うれしい思い出です。
タイ語を学びながら親しくなった日本人のケンジさん、恵美さん、イタリア人のソーニャさんとの出会いは、私のタイ人生をさらに豊かにしてくれました。恵美さんケンジさんはタイ語
ペラペラ、なんで勉強する必要があるのかなと…。
タイ人と結婚した恵美さんは「家族との会話や自営業の手伝いができるように」、ケンジさんは「新聞が読めるようになりたいしね…」と。東京の六本木で有名人が出入りするクラブを経営していたケンジさん、その後、タイ人スタッフと素敵なレストランを開店。何度か恵美さんと食事に行き、尽きない話に花を咲かせました。「実は僕、ホモなんだけど、付き合ってくれてありがとう」と。こよなくタイを愛する2人とは、ずっと友達です。
そのケンジさん。一緒に生活していたタイ人青年がエイズに感染したが、どこの病院にも拒否されて、やっとカミリアン病院に入院。その病院で、最期まで親身の介護してもらって、「カミリアン病院の前は、感謝の気持ちで拝んで通るの」とケンジさん。カミリアン修道会を誇りに思いました。
イタリア人のソーニャさんは、カミリアン病院修道会のエイズ救済センターのボランティア。休暇を利用して来泰、タイ語を学びながら支援活動。ソーニャさんに連れられて、ジョバンニ神父とエイズ患者に初めて出会いました。エイズ感染者への配慮には本当に感動し、関わりが始まりました。
「カトリック・あい」の代表で、十数年前にバンコクに勤務されていた南條さんとの出会いも然り。主の摂理の出会いと導きに身を委ね、これからも励んでまいります。
愛読者の皆さん、コロナ禍での摂理の出会い、主は用意していてくださいますよ。
(写真右上は、病床にある貧困生活者を訪問、左は、パキスタンから逃れて来た不法滞在の家庭を訪ね、外に出られずにいる子供たちとのひと時)
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
“あるロシア女性の手記”が新聞に連載されている。ここで少し紹介させていただきたい。
*「今年のキリスト教復活祭」のテーマでは…
ウクライナの人たちは自国の戦士のことを、爆撃にさらされ占領下にある都市や村の住民のことを、住む場所もお金もなく世界各地に分散している避難民のことを祈るだろう。苦しみ、殺され、その後よみがえったキリストも、彼らとともにいることだろう。一方、ロシア人が祈るのは…「殲滅すべき敵」と見なすウクライナに勝利することだ。
祈禱も、血を分けた兄弟民族に打ち勝つためになされる。一体、これがキリスト教だろうか?キリスト教風の装いをまとって、復活祭のお勧めの用語でカムフラージュしただけではないか。わが国の悪魔的な祈禱の本質は、聖職者や宗教活動家が口にしたり書いたりしているものを読めば分かる。
「これは聖戦だ。信仰を守るためなら、ロシアはどんな犠牲も払う」「ロシアに栄えあれ!ウクライナの悪魔に打ち勝つのだ!」。要するに、大規模な世界戦争を彼らは、あおっている。「皆殺しだ!わが勝利のない世界は不要だ」と。
*「非人間的な侵略の唱道者」のテーマでは…
聖職者や信心深い人々こそが、戦時下で一番残酷で非人間的だ、ということだ。彼らは、侵略のイデオローグ(唱導者)になってしまった。その説教は良心を目覚めさせずに眠らせる。現政権と同様の犯罪者だ。聖職者はこの戦争を止めることができたはずだ。兵士たちに呼びかけて、住民に悪辣な行為をしないよう諭すこともできたはずだ。
それなのに彼らはロシアの勝利を、信仰でも言語や文化、生活様式の上でも兄弟である人たちの血を欲している。少数ではあるが戦争に反対する聖職者も「いる」のではなく「いた」ことも言っておく必要がある。しかし、彼らは即座に教会に弾劾され、口を封じられ、説教も信者に届かないままだ。今年、ロシアの復活祭でキリストは、よみがえることなく彼らから離れ、おそらくロシアからも去ってしまった。
光あふれる祭日ではなく、とても苦い、血まみれの祭日だ。ウクライナと西側諸国は、復活祭に向けて人道回廊を設け、占領下のマリウポリから住民を退避させるようロシアに提案したがロシアは拒絶した。聖職者たちは口を閉ざしたままだ。「わが国」の兵士は、「わが国」の聖職者の説教に従い、ウクライナに向けてミサイルを発射した。ミサイルには聖なる復活祭の文句が書かれていた。「キリストはよみがえりたまえり!」気味が悪い。ぞっとする。「キリストは私たちのためによみがえらなかった。私たちはキリストを殺したのだ」と記されている。
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私は、この筆者と同じように、「キリストが永久にロシアから去ったわけではない」と願い、祈らずにはいられない。私の友達の娘さん一家はスイスに住んでいる。ウクライナから母親と息子が避難し、かわいい男の子は娘さんの息子の小学校で学んでいた。しかし、先日、父親の死でウクライナに帰国した。こんな状況を子供たちは目の当たりにせねばならないのだ。悲惨な戦争は生涯忘れることのできない心の傷になるだろう。
復活の主日は、十字架上で亡くなったイエス・キリストがよみがえられたことの喜びで人々を一つにする、カトリックにとって最も重要な祭日だ。
ここ数年の自分自身の状態はどうだろう。心からその日を祝い、カトリック信徒として喜びの内に教会で生きているだろうか。疑いがある。「非人間的」な状態を、教会の中で感じているのかもしれない。
ある年配の方から、「今のカトリック教会で、今まであった制度を受け入れられる人と受け入れられない人が、なぜいるのか」と尋ねられた。この問いかけについて、年配ではない世代の信徒たちと、この問いかけについて分かち合った。
「では、どうして何の問題意識も持たずに、今まで来れたのか、お聞きしたい」「教会組織がイエス・キリストの教えから逸脱している、という認識はないのか」「今の制度を容認している人は、制度を知らない人か、その制度で優位に立っている人か、自分のことで精一杯で制度に無関心な人ではないか」「制度のことなど知らずに信徒になったが、色々見てくると今の制度の理不尽さがやたら目につく」… 意見や感想が次々と出てきた。
カトリック信者にとって制度への認識の違いは、“世代間ギャップ”だけで片付ける訳にはいかないだろう。今の制度に疑問を持つ信徒は、それに抗議しているのではない。人間中心の組織や制度が生んだ”権威”を振り回すことは、イエスの教えではないはず、と憂いているのだ。
パウロは、ガラテヤの信徒の手紙の中で、こう諭している。「私たちは霊によって生きているのですから、霊によってまた進もうではありませんか。思い上がって、互いに挑み合ったり、妬みあったりするのはやめましょう」(5章25節〜26節)。
私は、聖霊の導きによって神からの良心を受けねばならない、と思っている。どんな場面でも、キリスト者同士の争いに、“イエスの愛”は届かない。
(西の憂うるパヴァーヌ)
先日、沖縄のシスターたちにマリアさまの話をするために呼ばれて、まさにルカ(私)の滞在中に「梅雨入り」という「初体験」をしました。
沖縄で梅雨入りということは、日本で今年一番ですね。でも、しとしとと降る、という梅雨のイメージではなく、 嵐に近いどしゃ降り。(しかも、次の日は、昨日の雨がウソのようにピタッと止んでおだやかな日)
部屋には「何でこんなに大きい?」と、「本土人」の常識では言いたくなるかなり大きな除湿器がありました。それでも三時間もすれば満杯。場所が変われば、習慣も違う、来て、見て、経験しないと、分からないことはたくさんある、と妙に納得。
ちなみに、沖縄のシスターたちによると、台風のとき、「沖縄人」たちはいくら危ないから海に近づくな、と放送があっても、海に行くんだそうです。
「えっ、なぜですか?」と私が聞くと、「それが沖縄の人。荒れ狂った海を見て、波の音を聞くのが好きだから」という返事。
私も茨城県生まれで、太平洋の荒れた海を見て育ったから、分かる気がする~、と言うと、それから、話がはずんで、だから私たち、「風の谷のナウシカ」大好きです、え、私も大好きです!それから「モアナと伝説の海」…え~、私も!と…
滞在、四日間、一日中、風がビュンビュン吹いていました。沖縄は小さな(?)島だから、海風がずっと吹いているんですよ、風がないと、息が詰まる、と彼女たち。まさに「ナウシカ」の世界。
もともと風の好きな私は、飛ばされそうなほどの風の中で、しばし、ぼ~っと立って、沖縄の遠くの海を見ていました。
は「勝手に生えてきた」というパパイアの木が数本。小さな実もなっていて、朝の食卓にも出ました。「ちゃんと世話をしていないから、小さいです」とシスターたち。でも、甘くておいしかったですよ。
帰りがけには、「シスター、修道院にお土産買わなくていいですよ、もう、送りましたから」。
帰って数日後、大きな段ボールで、沖縄らしいクッキーが届いた。 一つひとつのクッキーが(それも大きめ、沖縄らしい!)ヤシの実がデザインされた袋に入っていて、その名も「スーパー・クッキー」(!)
荒海に翻弄されながら、しっかりと海の星、マリアさまを見つめてたくましく生きている「沖縄人」たちに、力をいただきました。感謝!
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)
元気でいたい―おそらくそれは、誰もが望むことでしょう。しかし私たちは生身です。生きているかぎり、何らかの病気に罹ることも避けられません 身心一如ー私たちのと心は一つ。ですから、気が塞いでいればどこか身体の具合は悪くなり、身体の調子が崩れれば心は落ち込みます。「 心が喜びを抱くと体を健やかに保ち/霊が沈み込むと骨まで枯れる」(箴言17章22節)です。
中国では、古くから、 ”気” は「万物生成の根源力、身体の根源となる活動力」と考えられているようです。 古くは、孟子もまた、「われは善くわがの気を養えり」(『孟子』(公孫丑上))と語っています。
「浩然の気」とは、「天地の間に満ち満ちている非常に盛んな精気」のことのようです。これは、感覚的な目で見ることはできません。しかし、生きている現実の中で、確かに感じることはできます ‶気〟によって、人は生きるのでしょう。
*聖霊に満たされ導かれ
聖書の中には、‶気〟の代わりに ”息 ”という言葉が出てきます。「神である主は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれた。人はこうして生きる者となった」(創世記2章7節 )「あなたが 息を取り去ると、彼らは息絶えて/塵に返る」(詩編104編29節)
イエスを生かしていたものーそれは、聖霊にほかなりません。彼の生涯は、その誕生から死に至るまで、聖霊に満たされ、証しされ、また導かれたものでした。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う」(ルカによる福音書1章35節)ーこれは天使ガブリエルのマリアへのお告げ(マタイによる福音書1章18-20節参照)、聖霊が鳩のような目に見える姿でイエスの上に降り、父なる神から認証を受けます(ルカによる福音書章3章22節 参照)。
彼は、その生涯の終わりを十字架上で遂げます。「イエスは、この酢を受けると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた」(ヨハネによる福音書19章30節)。
*福音は貧しい人々に告げられて
次の言葉も、イエスの働きが、聖霊によって導かれたものであることを語っています。 「イエスが霊の力に満ちてガリラヤに帰られると、その噂が周り一帯に広まった。イエスは諸会堂で教え、皆から称賛を受けられた」(ルカによる福音書4章14-15節)。
イエスは、ある安息日に会堂で朗読されます。手渡されたのは イザヤ書。そこには、次のような言葉が記されていました。
「主の霊が私に臨んだ。貧しい人に福音を告げ知らせるために/主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは/捕らわれている人に解放を/目の見えない人に視力の回復を告げ/打ちひしがれている人を自由にし/主の恵みの年を告げるためである」(4章18-19節)。
「主の霊がわたしの上にある」ーイエスの宣教の原点です。その中心は、貧しい人に福音を告げ知らせることにありました ‶貧しい人 とは、「捕らわれ人」「目の見えない人」そして「圧迫された人」などです。
「主の恵みの年」とは、もともと ヨベルの年 と呼ばれていました。それは、50年ごとに、すべての民が自由にされる年(レビ記25章10節 )。そのような神の救いが、まさにイエスにおいて実現する と語られます 主の平和が、この地にありますように。
(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)
(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)