・Sr.阿部のバンコク通信 (67)人との出会い、主はコロナ禍でも用意していてくださる

   1994年4月、タイに来て先ず語学学校へ。メモすることも、見ることも禁じられ、記憶するのみの先生の授業に付いて行けず、1か月で登校拒否。翌月の授業料で辞書と地図を買い、独学を始めました。

 設立時の責任者で所用も多く、フィリピン管区との英語での連絡に四苦八苦していたので、時間的に余裕が出来、好都合でした。

 しばらくは安い赤バスに乗ったり、徒歩で町に繰り出して連日、”体験学習”。始発から終点まで数時間乗っても円換算で12円。乗客の様子や会話、バンコクの巷にどっぷりと浸り、何とも言えない、楽しい気持ちになりました。

  タイ語の習得は”カタツムリ”のごとし、その後、週2回(文法と会話が各1時間)の個人レッスンに通い、ぐんと上達。英語表記でなく、独特のタイ文字から直接学び、5種類の音調に親しみ、小6の検定試験に挑戦。完全に落ちた、と思いきや、51点で合格してびっくり。うれしい思い出です。

 タイ語を学びながら親しくなった日本人のケンジさん、恵美さん、イタリア人のソーニャさんとの出会いは、私のタイ人生をさらに豊かにしてくれました。恵美さんケンジさんはタイ語ペラペラ、なんで勉強する必要があるのかなと…。

 タイ人と結婚した恵美さんは「家族との会話や自営業の手伝いができるように」、ケンジさんは「新聞が読めるようになりたいしね…」と。東京の六本木で有名人が出入りするクラブを経営していたケンジさん、その後、タイ人スタッフと素敵なレストランを開店。何度か恵美さんと食事に行き、尽きない話に花を咲かせました。「実は僕、ホモなんだけど、付き合ってくれてありがとう」と。こよなくタイを愛する2人とは、ずっと友達です。

 そのケンジさん。一緒に生活していたタイ人青年がエイズに感染したが、どこの病院にも拒否されて、やっとカミリアン病院に入院。その病院で、最期まで親身の介護してもらって、「カミリアン病院の前は、感謝の気持ちで拝んで通るの」とケンジさん。カミリアン修道会を誇りに思いました。

 イタリア人のソーニャさんは、カミリアン病院修道会のエイズ救済センターのボランティア。休暇を利用して来泰、タイ語を学びながら支援活動。ソーニャさんに連れられて、ジョバンニ神父とエイズ患者に初めて出会いました。エイズ感染者への配慮には本当に感動し、関わりが始まりました。

 「カトリック・あい」の代表で、十数年前にバンコクに勤務されていた南條さんとの出会いも然り。主の摂理の出会いと導きに身を委ね、これからも励んでまいります。

 愛読者の皆さん、コロナ禍での摂理の出会い、主は用意していてくださいますよ。

(写真右上は、病床にある貧困生活者を訪問、左は、パキスタンから逃れて来た不法滞在の家庭を訪ね、外に出られずにいる子供たちとのひと時)

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

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2022年5月31日