バンコクの修道院の路地を出て大通りに出ると、路肩に露店が並ぶ界隈があり ます。いつもお世話になる時計と靴の修理の屋台、台車の八百屋、他 にミシンのある繕いもの屋、バーベキューやラーメン屋。向かいのスー パーマーケットの前の道の両側にも、あらゆる種類の屋台がずらりと並び、歩くことのできるスペースはほんのわずかしかありません。
何とも楽しく生き生きした生活感に溢れ、通るだけで元気をもらい ます。タイの街中、至る所で味わえる”日本のお祭”のような雰囲気。これ も観光スポットとして、外来客を惹きつけているのかも知れません。
タイに来てうれしく感じたことのひとつは、街中の屋台と露店です。靴を持って行くと、すり減 った底を取り替え、剥がれた底はしっかり縫って、ずっと使えるよう にしてくれました(写真)。鞄も、ギターケースも、直してもらいました。時計修 理をやっているチューンさんは、どんな時計でも、使えなくなるまで修理してく れます。
子供のころから母に習って繕い物をしたり、一枚の生地から違ったデザイ ンで見事に弟妹(私を含め当時6人)の洋服を仕立てる母の、ミシン 掛けを手伝い、父には鋸の引き方、ちょっとした大工や電気工事も習いいました。工夫する楽しさ、喜びは、この歳になっても衰えません 。
修理し、繕い、加工し、持てる力を目いっぱい使って、『ありがとう』『さょうなら 』をする… 巷の人々との関わりの中で味わう喜びです。
ところで私は、使い捨ての”消費主義”にずっと異議を唱え、黙々と、細や かな反抗を続けています。こと人の扱いに関しては、怒りが高じる ばかりです。人をこよなく慈しみ愛するイエスの姿に一層惹かれ、「あやかりたい」と願っています。
人ひとりを、ないがしろにしていい正当な理由など、あるはずがありません。神が 独り子を世に遣わし、あがなって下さった私たち一人ひとり、慈しみの心 を取り戻し、償いを捧げながら、深く悲しい世界の魂の傷を癒す日々 でありますように、と心から祈ります。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)