・Sr.岡のマリアの風(77) 教皇フランシスコのカナダ訪問ーウィルトン酋長との友情

 教皇フランシスコの長いカナダ訪問、「悔悛(痛悔)の巡礼」が終わった。

 この「巡礼」は、すでに今年の4月、先住民代表者たちのバチカン訪問から始まっていた、と言えるだろう。

 「巡礼」は、教皇自身がカナダに、特に先住民の人たちが暮らす場所に、自らの「体・存在」をもって訪れたことで、頂点を迎えた。けれどそれは終着点ではなく、新たな歩み、「癒しと和解」のために「共に歩む」旅の始まりである。

 私にとって、この巡礼の間、バチカンの新聞『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』の社説は福音の光に照らされて、この「出来事」の意味を思い巡らす機会を与えてくれた。(参照:『マリア論オンライン講座』HPに、社説の試訳掲載)。

 『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』編集長、アンドレア・モンダ氏は、「共に歩む いやむしろ共に飛ぶ」というタイトルで(『オッセルバトーレ・ロマーノ紙』7月30日付け)、初日、マスクワシスでの集いから、最終日、ケベックまでの巡礼に、「控えめで強靭な態度で、すべての行事と集いに寄り添った」クリー部族の長老の一人、ウィルトン・リトルチャイルド酋長と教皇フランシスコとの間の「形式的な親しさを超えた、真の関係」について述べている。

 ウィルトン・リトルチャイルド氏は、植民主義的メンタリティーのもとで先住民文化の破壊をもたらした政策の一つ、カトリック教会の少なくない信徒たちが支持し、あるいは無関心だった「寄宿学校」の元生徒の一人だ。彼は、ケベックでの集いの短い挨拶の中で、彼自身、「寄宿学校の元生徒たちから、7000件近い証言を聞いた」と語った。

 モンダ氏は書いている。「(ウィルトン氏は)教皇の行為を見、彼の目を見つめながら、教皇もまた、『どのように私たちの言語が抑圧され、私たちの文化が奪われ、私たちの精神性が否定されたかを語った証言を大きな慈しみをもって、深く、耳を傾けた。彼は、私たちの家族が破壊された後の惨状を感じた』と認識した」と。

 車いすの教皇フランシスコと、二本の松葉杖で歩くウィルトン氏。「共に歩みながら、癒し、和解、希望の未来に向かっての最初の一歩である、という教皇の旅の精神をすぐに理解した」とウィルトン氏。

 モンダ氏の言葉を聞こう。

 「ケベックの司教座聖堂での晩の祈りの中で、教皇とウィルトンは、昔からの友人同士のように挨拶し抱き合った。教皇は、祝福を求めた彼にこたえるように、親指で彼の額に十字架の印をし、クリー部族の長老の鋭い目は、感謝と純粋な幸福を表していた。この、スポットライトから遠く離れた一瞬の場面の中でウィルトンは、真に、立派な頭飾りに囲まれた勇敢な顔をもつ『金の鷲』(彼の名前Usow-Kihew)であり、同時に、真実を直感し喜びにあふれる小さな子供だった。

 彼は教皇に、『あなたは、私たちと共に歩むために遠くから来てくださいました』と語ったが、この言葉は基本的に彼自身にも当てはまる。実際二人とも、歩行が困難である。一人は松葉づえで、もう一人は車いすで。それにもかかわらず、彼らは非常に遠くから出発し、非常に重い荷物を肩に背負いながら、共に歩んだ…。動くことが困難なこの二人の老人は、共に、殆ど無言のうちに歩むことを選んだ。

 ウィルトンは、教皇フランシスコが、ラック・セント・アンのほとりで、沈黙のうちに祈っているのを見た。何千年も前から、おそらく世界創造の時からそこにあり、カトリック教会の牧者(教皇)の中に、キリスト教の冒険が最初の一歩を踏み出した、ガリラヤ湖のイメージを呼び起こしたあの湖」。

 教皇は実際、サンタンヌ・ド・ボープレの巡礼聖堂でのミサ説教の中で、エマオの弟子たちの「旅」を思い起こしながら、自分たちが今歩んでいる、 挫折から希望へ」の旅について語り、唯一の「道」であるイエスに向かう祈りで、次のように結んでいる。

 「私たちの命、力、慰めである主イエスよ、エマオの弟子たちのように、私たちはあなたに願います。『私たちと共にいてください。夕方になりますから』(ルカ福音書24章 49節)。

 主よ、私たちと共にいてください。希望が沈み、失望の暗い夜が来る時に。

 私たちと共にいてください。イエスよ、あなたが共におられるなら、歩みの方向は変わり、不信の袋小路から、喜びの驚きが再び生まれるからです。

 主よ、私たちと共にいてください。あなたが共におられるなら、苦しみの夜は、命の輝く朝に変わるからです。

 単純に言いましょう。主よ、私たちと共にいてください。あなたが私たちの傍らを歩いてくださるなら、挫折は、新しい命の希望へと開かれるからです。

 アーメン」。

  挫折から希望へ。それは長く忍耐を求める旅である。それは「共に歩む」旅である。それは、共に、「根(ルーツ)」から再出発する旅である。真ん中に、自分たちのエゴではなく、すべてのものを「善い・美しい」ものとして造られた創造主である神を置いて。

 モンダ氏は、彼の社説をこう結んでいる。

 「この長い旅の最後の公式の集い、イカルイトで、イヌイットの若者に語りかけた教皇は、彼に、上に向かって歩むよう招かれた。『あなたは、飛び立つため、真実の勇気を抱きしめるため、正義の美しさを促進するために造られたのです』。それは、すべての若者、カトリック信徒も、そうでない人にも向けられた言葉であり、友人ウィルトン・リトルチャイルドに向けられた言葉でもある。彼の心は、その言葉を聞いて、間違いなく鷲のように高く飛び上がっただろう」。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)

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2022年8月1日